もはや言葉は必要なく
ただただひたすらに
配点(嫉ましい)
二月十四日。愛の聖人バレンタインの祭り。武蔵中が明るく華やかな雰囲気に包まれる中、爪弾きにされた場所も存在する。
その部屋の空気に色を付けて形容するなら黒く濁り、沈澱している。
密閉された室内では循環が起きずに悪くなる一方。そんな場所にいれば人の精神は負の方向へ傾き、それが更に空気を悪化させる。
机を囲む者達は卑屈になり、他者に嫉妬し、やり場のない感情を叫びという形で爆発させる。
「教室でイチャつく奴等がいたから嫌がらせに溶けて湯気出てるチョコをトグロ巻くように椅子に置いてきた!」
「ざまあ!」
「この日に異性交遊に興じる不心得者には当然の処置だ。まったく嘆かわしい。バレンタイン様も草葉の陰で泣いている事だろう」
「チョコ貰えたと喜んでたら女装した馬鹿だった……正体を知っても割とありだと思ってしまって本気で死にたい……外面は良いしチョコも絶品だったんだよ……」
「中身も良いよね」
「カップル共がチョコチョコうるさいからチェコ特産のビールを振る舞ってやったぜ! 氷の塊にしてな!」
「あれ、何か急に寒くなったぞ」
「あんな口や喉に絡みつくような菓子のどこが良いんだか。理解に苦しむ」
「俺もカップル共を襲撃してゲリラ結婚式を執り行っていたのに山本に邪魔された。てめえもチョコ貰えないくせにがっかりだ! 前々から犬臭い奴だとは思っていたが権力の狗に成り下がったとはな」
同じ感情を持った人間が集まっているのだから彼等の行為に異議を呈する者はなく、故に彼等は自身に疑問を抱かず退廃的な儀式は止まらない。
●
部屋の壁際に一人の男がもたれかかっていた。
疲労困憊といった感じで寝入っているが、彼の顔にあるのは憔悴ではなく安堵。使命をやり遂げた男の表情だ。
彼は脇にある物を抱えていた。紙芝居だ。枠には檜を贅沢に使った紙芝居のタイトルは「抜歯怪人Dダガン」
虫歯の子供の前に現れて麻酔なしで歯を抜いていく怪異の話だ。物語の中でこの怪人は退治される事はなく、散々抜歯をした挙げ句にいずこかへ去る。
童話は娯楽の提供だけでなく子供に道徳や教訓を与える役目があるので、バッドエンドで終わる事自体はそこまでおかしくない。しかし時期を鑑みればこの紙芝居にはそれ以上の思惑を感じなくもない。
ただ、この紙芝居には続きがあった。
それまでの絵がしっかりとした材質の厚紙に描かれているのに対して最後はメモ用紙。しかも絵はなく、歯磨きをきちんとすれば虫歯にならない事と人の厚意を無碍にしてはいけない旨が走り書きで記されていた。
ようは子供を前にして直前でヘタレたのだ。
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「特価セールやってたから買ってみたけど意外に面白いな」
感想を漏らしつつプレイしているのはM.H.R.R.のマティアスを主人公にした衆道ゲー「美しい泉のほとりで」
余談だが彼はこの手のゲームの題材になる事が多い。聖譜記述では子供がいなかったのが運の尽き。想像力豊かな創作者に目を付けられるのは時間の問題だった。更に兄のルドルフ二世は結婚さえしなかったのが拍車をかけた。
「美しい泉のほとりで」もそんな中の一つだ。
まだ全クリした訳ではないが、史実を元にしつつ大胆なアレンジを加えた名作と言えるだろう。
窓から落とされたフェルディナント二世をマティアスが抱きかかえる場面は秀麗なテキストと艶麗なスチルが相まって不覚にも涙腺が潤んでしまった。
衆道ゲーというだけで毛嫌いしてこれまで手を出さなかったのが勿体ない。
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ある机では神妙な空気が流れていた。
一人の青年が眉を寄せ、恐れと困惑が入り混じった表情で丁寧にラッピングされたチョコを机に乗せる。
その刹那、気の早い者が手を出そうとして別の男に制される。だが男にも疑念があった。回答次第では実力行使も致し方ない。
「これは?」
「寮で貰った。同室の……男にだ」
「――友チョコか!?」
「智チョコ? 射られそうで怖いな……」
「……」
「馬鹿のファンクラブが一ヶ月前くらい前から触れ回っているのを見たな。いや、しかし……」
「……これ、どういう意味だと思う?」
男達は一様に口を噤んだ。別の机の女達は一斉に紙とペンを用意した。
●
数人の男が部屋に入ってくる。誰も彼も顔色が悪く、俯き気味だ。
刑の執行を待つ罪人のようにも見える。
「どうした? 確かそっちもゲリラ結婚式やってたが、番屋で説教でも食らったか?」
「……運悪くズドン巫女に捕まってちょっと通神関係の内容が自動変換される罰則を受けた」
「どんな感じに?」
項垂れつつ彼等は表示枠を展開する。
・†×†:『神が宿る聖域(サンクチュアリ)にて大いなる二(ホーリーナンバーオーヴァーツヴァイ)を持つ「神託を受けし者」との聖戦(ラグナロク)に敗れ、罰(バベル)を与えられて悲愴(トラギーシュ)の担い手となった』
・懲罰中:『酷い文章だね^^でも、どこかの眼鏡さんも似たような小説書いてたなぁ♪中等部の頃はあれを楽しく読んでいたのは恥ずかしい過去だよぉぉ///……この文章も書き込むと痛く変換されてるんだろうなぁ(泣)困っちゃう┐(´-`)┌ 』
・tyo:『omaehamadamasidana.orenotokayonndemoraenaidarokore.』
・懲罰中:『おっぺけぺー』
「……災難だったな」
「住所がちゃんと入力出来ないから通販でエロゲや同人誌が買えねえぜ……」
「カップル共が集う通神端にもげろと書き捨てる日課が……」
「愛繕のファンサイトに書き込めなくなる……」
「ブレないな、お前等」
「それはそうと外でゲリラ結婚式をやっていたのはこれで全員戻ったか?」
「いや、通神帯の情報によるとまだ奴が戦っているらしい」
「あいつが……」
●
群がっていたカップルは姿を消し、興味はあっても巻き込まれたくない通行人は距離を取って遠巻きに眺める。
道の両隣りにある店舗はシャッターを下げたり防護壁を張って各々に対策を施す。
これによってその通りは空白地帯になっていた。
交差させたチョコバットに受けた衝撃で体が宙を舞った。
流石だと感嘆を覚えるが自分もまだ終われない。体力、意気、共に十全。この日の為に特注した実物大チョコバットは表面が僅かに欠けたのみ。
着地と同時に膝を曲げ腰を落として衝撃を分散。そしてそれは走り出す為の予備動作にもなる。
一瞬の停止の後、交差を解いて両手を後ろに振り、息を吐いて駆け出す。間髪を入れずに足に仕込んでいた加速術式の符が紙片となり流体光が散る。
急激に変化するスピードで自爆しないように姿勢制御に神経を集中させつつ相手を見据える。
制服の上に一枚布を巻き付け、槍を持った男。彼はある団体に所属していた。
……同性結婚促進会「耐えらんと寝ろ」!
一緒にやれると思った。けれど自分の思い上がりだったのだろうか。
勝手に期待して勝手に失望する。それはとても愚かで無礼な事だと理解しているが、落胆する心の動きは止められない。
……しかし感傷は後から浸ればいい。
自分の前に立ち塞がるなら誰であれ打ち倒して前に進む。そう誓ったのだ。
あと一歩で間合いに入る。その一歩を踏み締めると同時に右手に保持したチョコバットの突きを放つ。
高速の一撃に対して相手は冷静だった。体の正面に縦にして構えた槍の柄でチョコバットを受け止める。
……これくらいは止めるか。
数合打ち合って彼我の戦力差はおおよそ把握した。悔しいが地力では向こうの方が上。だが諦める理由にはならない。
完全に伸びきっていない右腕に力を込め、チョコバットと槍の接触部分を基点にして左足を踏み込んで左半身を相手に肉薄させる。そのまま振りかぶった左手のチョコバットを叩き付ける。が、
「甘いよ」
相手はこちらと同じように接触部分を基点にして槍を半回転させて石突きでチョコバットを迎撃する。
片手の振り下ろしと両手の突き上げでは後者が打ち勝つ。チョコバットが跳ね上げられ、
……しまった!
続けざま、姿勢が崩れた所へ柔軟な体躯をしならせて繰り出された蹴りが喉に刺さる。
「ぐ……」
呼吸が止まり意識が揺さぶられた。視界に無数の光点が点滅する。
「なん……でだ?」
荒い息の隙間を縫って疑問がそのまま口から出る。朦朧とした頭が思考と言葉の区別をなくしたのだ。
「君の行為には愛がない。だから止めなければならない」
「我慢しろって言うのか……!」
胸を掻き毟るような悲痛な叫び。
正しいと自惚れている訳ではない。それでも体と意思を突き動かす衝動がある。
呼吸が段々と整ってきた。まだ、戦える。
「こんな理不尽を前にして、ただ黙って通り過ぎるのを待てってか!?」
「……」
男は答えず、口をきつく結んだまま片手を上げる。彼の目が憐れみを宿していると気付いた瞬間、
「がっ……」
背中に圧力が広がり直後に痛みが全身を貫いた。
意識が吹き飛ぶ程の激痛だったが、目を閉じ歯を食いしばって何とか耐える。
けれど、間もなく異変が訪れた。
瞼を開くと世界が色を失い、白と黒に変貌していたのだ。それだけではない。ふと見ればチョコバットが地面に転がっている。しかし、手を開いた記憶もなければ落ちてぶつかった音も聞こえなかった。
混乱しつつ背中に受けた衝撃の正体を知るべく振り向いた視線の先には洋弓を構えた集団。彼等の左側は「耐えらんと寝ろ」の男と同じように一枚布を着ている。右側も布を纏っているのは同じだが右肩をむき出しにしている。
……公衆系創作部「ハ撮りアヌス」に少年交流会「来雄」か。
自分はよっぽど嫌われていたらしい。そこまで思考した所で容赦なく第二射が撃ち込まれた。
対応しようにも意思が先走るだけで体は動かなかった。
●
「耐えらんと寝ろ」の男は渋い表情で眼前の相手を見る。
鏃を潰しているとはいえ二度に渡る一斉射撃を受けた彼は立っているのもやっとという状態だった。
「……救われないだろ」
力を失った瞳はこちらを見ずに虚空を向いている。
呼吸は荒く、一歩歩くたびにふらついて今にも倒れそうだ。いっそ倒れてしまった方が楽だろうに彼は踏み止まっていた。
それだけの理由があるのだろうが、あまりに痛々しかった。見ていられない。
「誰かが……声を……上げなきゃ……何も変わらない……皆が……笑……える……よう……に……」
「――もういい。休もう」
ゆっくりと彼の後頭部に手を添えて足払いをかける。息も絶え絶えだった男の体は呆気なく宙に浮いた。
頭に手を置いたまま自身の体を沈めて男の顔面を地面に叩きつける。鈍い衝撃が手に伝わり、それっきり男はぴくりとも動かなくなった。
「ふう……」
全身に張り巡らせていた緊張を解いて深く息を吐く。
必要な事だったとはいえ誰かと争うのは後味が悪い。他の手段はなかったのかと自問してしまう。彼が憎しみに囚われてさえいなければ良き友人になれていたかもしれないが、
……よそう。
夢想は傷心の慰めになるが度が過ぎれば上手くいかない現実との摩擦で一層傷つくだけだ。
彼が倒れた事を確認して「ハ撮りアヌス」や「来雄」の面々がやってくる。
「協力に感謝します」
乱れていた衣服を整えて一礼。
彼の執念は尋常ではなかった。単身でも制圧出来ていただろうが、時間はかかるし周囲への被害は広がっていただろう。急な頼みにも関わらず引き受けてくれた彼等には感謝の念に堪えない。
「いや、頼まれなくても動いたさ」
「彼の短絡的な行動で我々の印象まで下がるのは困るからな」
「そう言ってもらえるとありがたい」
「番屋にはこっちで連絡しておいた。じきに来るだろう」
「そうか。……罪は償わなければならない。彼もこれで悔い改めてくれれば良いが……」
もう二度とこんな形で戦う事がないように。そう祈らずにはいられない。
今日は愛の聖人が己の信念に殉じた記念日なのだ。辛い事や悲しい事は似つかわしくない。
「そうそう、前に話していた発禁処分の男色系同人誌「sword me」が手に入ったので回し読みしよう」
「お、いいね」
「浅草の方に集会場があるからそこでやる?」
彼等がわいわい騒いでいると程なくして番屋がやってきた。
番屋は暴れていた男を確保した事に感謝を述べ、男児に対する連れ去り事案や公共の場での破廉恥行為、その他諸々の容疑で彼等もしょっぴいていった。
こうしてバレンタインデーの夜は賑やかに過ぎていく。
今回の話を書く為に男色や衆道や同性結婚について調べてたけど不意に「何やってんだ俺……」って気分になった
とりあえずハイリガーさんと史実のバレンタインさんに謝らないとね。
板倉重昌のネタを盛り込めなかったのが残念。