舞台裏の出演者達   作:とうゆき

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対面場の追憶者達

 

これからも生きるよ

配点(一一八四年六月六日)

 

 

 

 鎌倉幕府に属する鬼型異族である海野・幸氏は頭蓋に直接響く疼きに顔をしかめながら神社の階段を上る。

 着物から露出する肌に感じる日差しは暖かく、澄んだ空気は春の息吹きを感じさせる。しかしそれは幸氏に快をもたらすには至らなかった。

 

 階段を上りきり鳥居をくぐった先には一人の長寿族の男性。

 源氏の棟梁、源・頼朝だ。現在は実朝を襲名中だが、義経が重奏神州からマジ暗殺しに戻って来ており絶賛命の危機真っ只中。

 幸氏の存在に気付いた頼朝は彼を一瞥。

 

「幸氏か」

「ご無沙汰しております」

 

 当たり障りのない挨拶。これから殺されるというのに頼朝の表情は穏やかで、そこに恐怖や陰りはない。ここ数十年で最も晴れやかではないだろうか。

 

「……」

 

 幸氏にとってはいささか意外だった。

 現在置かれた状況を不服として抵抗する気があったのなら手を貸すのも吝かではないと思案していたが、どうやら無駄な仮定だったようだ。

 

「こんな時になんですが、生き生きしていますね」

「そう見えるか?」

 

 頼朝は己の顔に手のひらを這わせ、口元を弧にする。彼が人前で笑みを作るのは珍しい事だ。

 

「随分時間がかかってしまったがな。ようやく大姫に謝る事が出来る」

 

 大姫の事を口にしても表情に揺らぎはない。

 それを見て取った幸氏の顔も自然に綻ぶ。長い付き合いだし、かつて同じものを共有した間柄だ。ある程度なら内面を察する事が出来る。

 逃げるのではなくきちんと向き合う事にしたのだろう。それが我が事のように嬉しかった。

 

「貴様こそどうした。義高や大姫の仇を取りに来たか?」

「……」

 

 不穏な言葉が放たれたが、幸氏は義高や大姫とは幼馴染み。彼等の最期を鑑みれば妥当と言えた。

 

「そのように考えた時期がなかった訳ではありません」

 

 親しい相手を殺されれば原因を恨む。それは当たり前の感情だろう。

 かつて幸氏が会った曾我の兄弟も逆恨みに近いと理性では分かっていても復讐心を捨てられなかった。

 幸氏もまた憎しみを飲み干せるほど立派な人間でもなければ、恨みを忘れられるほど無情な人間でもない。

 けれど行動に移す事はなかった。

 

 大姫がただただ病に臥せって弱っていったのは義高だけでなく頼朝の事も愛していたからだ。

 愛する人が愛する人を殺した。その構図が彼女を苦しめ、行き場を失った悲しみが体の中を蝕んでいった。

 彼女の死後、個を捨て幕府の為に尽くす頼朝の姿はいやがおうでも幸氏の心奥を刺激する。怒りや憎しみの総体である敵意の感情と、大姫の愛する人間を害してはならないという自制が交錯し、最終的には虚無感に塗り潰された。

 苦悩に意味はない。幾ら懊悩に苦しんだ所で死んだ人間が生き返る訳ではない。復讐心を喪失感が軽く凌駕する。

 

 そしてそれ以上に全身を掻き毟る哀切がある。

 義仲の歴史再現が解釈で済まされる塩梅になった時、幸氏は二人の仲を祝福した。してしまった。

 お互いを好いているのに死別を恐れてどこか気兼ねしている二人にやきもきしていたから、ここぞとばかりにお節介を焼いたのだ。それが二人の為になると信じて。

 

 それに伊子様の事もあった。

 義高と血縁はなかったが、本当の親子のように良くしてもらっていた。だから、二人の仲が良ければ彼女も喜ぶだろうと子供の賢しさを働かせたのだ。

 無邪気な気遣いは最悪の形で叩き潰される。義高が殺され伊子様は病に倒れ、大姫も部屋に籠もり、旧知と呼べる相手は誰もいなくなった。

 ……死にたくなった。

 連日泣き腫らし、こんな時に以前なら慰めてくれる相手がいた事を思い出し、改めて喪失を突き付けられて嗚咽を上げた。

 罪悪感から逃れたくて自刃を考えた事もあったが、それは大姫が悲しむ。彼女と大層親しかったという自覚と、大事な人間だといううぬぼれがあった。義高や伊子様が死んでから見る見るうちに憔悴していった彼女を知っていたからとてもではないが命を断つ事は出来なかった。

 さりとて、会えば無理をしていると見透かされると分かっていたから会わないようにした。思い遣りと言えば聞こえは良いが、実態はただの現状維持。そんな中途半端な態度を取っている間に彼女も冥府に旅立っていった。

 

 ……当時の自分は本当に幼かった。

 都で権勢を謳歌する義仲や巴御前を見て、いつか義高と二人で神州を思う存分に振り回してやろうという密かな野心があった。

 今から振り返れば他愛ない夢想だ。思い上がった子供はいずれ現実を突き付けられるのが世の常。だが幸氏に振りかかった現実はあまりにも過酷だった。

 それでも理不尽な現実を座して受け入れられるほど幸氏は往生際が良くなかったし、諦観を抱いてはいなかった。だが無力ではあった。

 年が近く背格好が似ていた幸氏は聖譜記述に記された通りに身代わりを演じ、記された通りに失敗して義高は処刑される事になった。

 

 ただ、朝廷や頼朝方にも同情や憐憫があったのだろう。処刑前に幸氏は義高と話す機会が与えられた。

 その時、幸氏は回りを取り囲む見張りに構わずここから連れ出すと叫んだ。ざわめく周囲から自分達二人だけが切り取られたような感覚は今でも如実に思い出せる。

 決死の慟哭への解答は拒否だった。予想だにしない反応に混乱する幸氏に対し、聞き分けのない子供を親が諭すように義高は告げた。

 短い間ながら豊かな生活を送り、愛する人と暮らせたのはこの身が襲名者だからであり、利益は享受するが不利益を被るのは嫌だというのは筋が通らない。自分は覚悟の上でこの場に臨んだのであり、君の行動はそれに水を差す余計なお世話だ、と。

 今なら分かる。

 多くの武士や公家が時間をかけて練っていた計画を一瞬で覆す力が働いたのだ。聖譜に死を宣告された者は解釈の余地なく死ななくてはならない。もし潰そうとすればどうなるか。ようは自分を救おうとした相手を逆に庇ったのだ。体の震えを必死に抑え込んで。

 

 義高の義理堅さと気高さは幸氏にとってはあまりに残酷だった。

 そして幸氏はこれ以上ない程に愚かだった。事もあろうに、大姫の事はどうするのかと問うてしまった。

 どうにか出来るなら既にどうにかしていただろうに。そんな単純な事も解らない程に無思慮で幼稚だった。目を伏せて無言で首を降った義高の相貌は今でも幸氏の記憶にこびり付く。

 

 無様を晒した幸氏だったがまだ続きがある。次にやったのは八つ当たりだった。周囲に向かって外道だの、人非人だの散々罵倒した。

 義仲勢の処遇を解釈で済ませる段取りになった際に彼等が安堵していた事を知っていたにも関わらず、だ。

 皆は幸氏が叫び疲れて踞るまで黙って聞いていた。

 子供の癇癪を押さえつけずに受け止めてくれた事には感謝の気持ちが絶えない。あのお蔭で、立ち止まって後ろを振り向くばかりの人生だったが道を外れる事はなかった。

 

 新たな別れを前にしているからだろうか。短時間に様々な思いが想起された。

 幸氏が頼朝の心中を察したように、頼朝もまた漠然とながら幸氏の中に渦巻く感情を理解したに違いない。頼朝は何も言わなかったが、纏う気配が微々ながら変化するのを幸氏は感じ取った。

 

 頼朝の瞳に幸氏自身の姿が映る。

 白い痕が残る二本角。身代わりになる時に万全を期そうと思い、角を削ったのだ。

 専門知識がある人間が専用の道具を用いて行ったならさほど痛みはなかっただろうが、子供が慌てながらやった事だ。衝撃は直接脳髄に響き、激痛によって涙が溢れた。それは時が経っても楔として残り、悔恨が幻の痛みを寄越す。

 けれど幸氏にとってはある種の救いにもなった。

 帝から指示された歴史再現。しかも当時の幸氏はまだ子供だった。何も出来なかったからといって誰にも責められる事はなかった。

 それが辛い。罪の意識はあるのに弾劾に晒されるという贖罪は許されなかったのだから。故に、もたらされる痛みに後ろ向きな安寧を得ていた。

 

 彼等の死を忘れた事はない。後悔と悲しみは常に胸を苛む。それは確かだ。

 ……だけど、すまない。

 大姫の死から数年は哀傷を抱えて過ごした。けれど不意に楽しさや喜びに心を踊らせる事があった。

 愕然とした。薄情だと、不義理だと、お前は大事な友の死を忘れて遊興にふけるつまりかと胸中の感情がなじる。

 それをもっともだと思いつつ、それなのに不意に嬉を感じてしまう。

 

「皆が苦しんだ末にいなくなったのに自分が生を満喫していいのかと、そんな事ばかり考えています」

 

 頼朝と幸氏の関係は一言では表現出来ないが、下手な親族より深い繋がりがあったのは間違いない。だからだろうか。思わず弱音を吐いてしまった。

 

「くだらん事で悩んでいるな、貴様」

「……はい?」

「義高も大姫も弔いのような生き方は望んでいまい」

 

 情けなさから下がっていた視線が上がる。

 

「お前の為にとか、お前の分まで生きるとか、そんな事をされても疲れるだろう」

「あ……」

 

 視界に光が差し込んだ。頼朝の言葉でそれまで心を縛っていた枷が外れた気がした。

 

「……過たず二人を正しく認識出来ていた事を嬉しく思います」

 

 幸氏自身、義高達がそんな事は望まないと思いながらも、死者の気持ちを勝手に決めつける事に抵抗と不安があった。罪悪感を正当化する為に都合良く解釈しているのではないかと。しかしながら過去と正面から向き合うと決めた頼朝の言葉なら信じられる。

 ……こんな時まで御恩を受けてしまった。

 鎌倉幕府は御恩と奉公の関係で成り立つ組織である。ならば、

 

「守ります」

「ん?」

「守りますよ。あなたが作り、育てた幕府を。あらゆるものから」

 

 自然に意思が言葉となった。

 心はどこまでも晴れやかで、どんな無理難題でもこなせる気分だった。数刻前まではよぎった不安や躊躇いなど微塵も感じない。

 実朝暗殺を契機に一つの事件が勃発する。承久の乱だ。武力により上皇が発した院宣を取り消した前例や京を監視する六波羅探題の設置など、幕府の力が確立する重大な戦乱。

 傍論によれば数百年続く武家政治にも大きな影響を与えるという。歴史再現に基づいた権威の増大が帝に対してどこまで効力があるか不明瞭だが、少なくとも幸氏個人の溜飲は下がる。それが区切りだ。

 

 ……。

 小さく息を吐く。

 朝を頼るという名前の男と旭将軍の異名を持った男が手を取り合う未来は来なかった。それは寂寥を抱かせるが、そういうものなのだ。思うようにならないのが人生。

 これまでだと、何故ああならなかったと悲嘆に暮れるだけだったが、今後はそういう可能性もあったのだと感慨に浸る余裕も生まれるだろう。

 

「随分と良い顔になったな」

「……今のあなたにこんな事を言うのは恥ずかしさもあるのですが……生きるのを億劫に感じた事もあるのです。しかし今はありのまま生きられそうです」

「そうか。それは重畳」

 

 言って、頼朝は表情を緩める。

 

「少しは良い事をしたと大姫に語ってやれる」

「自分は大姫の大親友を自称しているので久し振りの会話の良いきっかけになるでしょう。自分もいずれ、今生の自慢をしに行きます」

「ああ、一足先に会いに行く。貴様は精々のんびりしてから来い」

「そうですね。ええ……」

 

 くすりと、思い出し笑いが零れる。

 

「――義高と大姫の婚姻が決まった時は「お前幼女趣味かよ」とからかった事もあったものですが、いやはや。自分だけ爺になるのが癪ですが、まあ良いでしょう。残念を残さないように全うしましょう」

 

 それから共に空を見上げる。

 何もかも受け入れてくれるような広い青空。毎日見ていた筈なのにそれまでと違って見えた。

 

「春が近いな」

「ええ」

 

 義経はこういう時、身内だからといって手心を加える女ではない。これが最後の会話になるだろうが、幸氏の心は凪いでいた。

 これは別れであっても終わりではない。ここから新しく始めるのだ。門出に愁傷する道理はない。

 

「ではこれにて。どうかご随意に」

 

 一礼の後で踵を返して背を向け、それまで止めていた歩みを再開する。

 

 

 

 

 


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