負社員   作:葵むらさき

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第47話 有休申請の理由ですか、働かないで給料貰いたいからです

 温度。圧力。組成物質の密度。熱伝達率。それから、融解点。破壊強度。粘性率。弾性係数。数々のデータがディスプレイ上を流れるように走る。方程式が解かれてゆく――が、それが完了する前すでに、神の中には“予測”がついていた。

「サカ、保護の手は届いてるか」鹿島は厳しい声で問う。

「なんとか、ぎりぎり」酒林が答える。「けど車はまだ見えない」

「そうか、方向は今向かってるので間違いはなさそうだが」鹿島は画面上の数列を目で追いつつ眉を寄せる。

「鯰」恵比寿がそっと池に向かって呼びかける。「地球は何も言って来てないか」

「別にー」鯰は退屈そうな間延びした声で答える。「何、新人たちもう仕事できなくなっちゃうの?」

「そんな事あるわけないだろ」恵比寿は肩をいからせる。「今一生懸命やってんだよ、俺らが」

「へえー、瓢箪(ひょうたん)で?」

「うるさい」恵比寿はむっつりと言い捨てる。

「瓢箪?」鹿島が池の方を見て問う。「何独りごと言ってんだ、鯰」

 恵比寿は背を丸め、自分のPCで鹿島とは別の地点でのデータ採取作業を黙々と続けた。

 

「あれ」結城が車内で周囲をぐるりと見渡す。「真っ暗になった」

「地下に下りたのか」時中が呟く。

「頭の中で鈴が鳴っています」本原が機器を持たない方の手で耳を押える。

「鈴?」結城が振り向いて訊き、

「頭の中で?」時中が横を向いて訊く。

「はい。しゃーん、しゃーんって」本原が頷く。「虚無僧がいるみたいです」

「虚無僧?」結城が叫び、

「何故虚無僧なんだ」時中が怪訝そうな顔をする。

「なあるほど」スサノオが運転席で両手を頭の後ろに組み納得の声を挙げる。「さすが、妄想担当に選ばれるだけあるな」

「妄想?」結城が横を向いて訊き、

「担当?」時中が斜め前方を見て訊く。

「そうそう、お前らの担当がさ」スサノオは天津の顔で振り向き、三人を見渡した。「地脈拾い担当、妄想担当、あとなんだっけか、何とか担当って風に、分かれてるんだ確か」

「なんだそれ?」結城が吃驚して叫ぶ。「地脈はまだわかるけど、なんで妄想担当が必要なの?」

「この依代(よりしろ)の中身が説明したろ」スサノオは自らを指差した。「鉱物粒子の間隙を開いて、その隙間に水を流し込んで」

「あー」結城は車の天井に目を向けた。「なんか、あったね」

「それが地脈拾いと妄想のなせる業だというのか」時中が確認する。

「では結城さんの『開けゴマ』は何なのですか」

「格好つけじゃねえか?」スサノオはすっとぼけた声で答える。「二人じゃなんか心細いし、かといって三人目には大した役目もねえけど、まあ儀式的に締めの意味で付け足してるんだろ」

「ええっ」結城は自らを指差した。「俺って、付け足し要員?」

「補欠のようなものか」時中が推論し、

「では本来もっと控え目に行動するべきなのではないでしょうか」本原が希望的意見を囁いた。

「あーでも、そうかあ、本原さん妄想担当かあ」結城は感慨深げに顎に手を当て幾度も頷く。「さすが、クーたん信奉者だけあるなあ」

「つまり妄想力が強いほど、粒子間に水が流れ込みやすくなるというのか」時中が確認する。

「さあね」スサノオは肩をすくめる。「神たちの理屈ではそうなんだろ。まあ奴らは昔から人間どもの妄想のお陰で飯食ってきたようなもんだからな。そりゃ感謝もするし満足もするだろうよ、その妄想力とやらに」

「では地脈取り担当というのは、何の能力を買われた結果なんだ」時中は真剣な顔で、自分の認められた点を聞き出そうとした。

「地脈は真反対だな」スサノオは振り向いて時中を見た。「妄想のかけらも夢もロマンも希望もない、現実主義の堅物ってことだろ」

「ははあ」頷いて納得したのは結城だった。「なるほど合ってる」

「知った風なことを言うな」時中が鋭く攻撃する。「現実主義の何が悪い」

「悪いなんて思ってないよ」結城は右手を立てて左右に大きく振った。

 

「新人たちがいなくなるんだったら、あたしもまたやることなくなるからさあ」鯰は言う。「なんだっけ、長期休暇? 有給休暇? 取ってもいいよねえ」

「何いって」恵比寿が答えかけたが、

「ははは、いいよ」鹿島がPCを見たまま笑って承諾した。

「ほんと?」鯰の声がさらに甲高く高まり、

「えっ、まじすか」恵比寿が思わず鹿島を見て素っ頓狂な声を挙げた。

「いいよ、ただし俺の要石(かなめいし)と同伴休暇だけどな」鹿島はPCを見たまま頷いた。

「えー」鯰の声がさらに甲高く高まり金属的なものになる。「そんなん休暇の意味ないじゃん」

「要石外したら俺そのものの意味がなくなるからな」鹿島は両手を組み、うん、と頭上に伸ばした。「ようし後はサカと天津が追いついてくれるのを待つだけだ」

「ははは」恵比寿は二重の意味で安心し、思わず笑った。「さっすが鹿島さん」

「ああ、恵比寿くん。お疲れ」鹿島が答える。

「――」恵比寿はハッと息を呑み、背筋を正した。「は、はいっ」

「スサノオがさ、新人たちさらって地下に逃げ込んだらしいのよ」鹿島は眉をしかめて現状を伝える。もちろん恵比寿自身もよくよく理解している現状だ。「いま、構成方程式で大体の到達予測点を割り出してね。まあサカと天津に追ってもらってるし大丈夫かなと」

「は、はいっ」恵比寿はただそうくり返すしかなかった。

「そうそうそれでさ」鹿島は池の方を親指で差す。「鯰の奴が有休くれとか言いやがんだぜ。どう思う?」

「ははは」恵比寿は笑って見せた。「鹿島さんの要石と同伴休暇にしないと無理っすよね」

 だがその言葉に対する返事は返ってこなかった。既に鹿島は、PCの画面にまっすぐ集中していた。

 

「ああ」酒林は焦りに表情を歪めた。「やっべえ」

「やばいすね」天津も、表情は凍ったままだが声に焦りを滲ませた。

「離れちまう――」そう言った直後、神たちは自分たちの保護の手から新人を乗せたワゴン車がスサノオによって引き離される衝撃を感知したのだった。

「そのまま急げ」大山が直ぐに指示を出す。「鹿島さんの割り出した地点まで、まっすぐ」

「皆、どうか持ちこたえてくれ」住吉が神頼みならぬ人頼みを口走る。「俺らが追いつくまで」

「スサノオの目的が、新人の生命ではない事を祈る」石上も拳を強く握り締め、神ながら祈った。

 

「眩暈がします」本原が機器を膝に置き、両手で耳を押さえる。「鈴の音が大きくなりました」

「大丈夫?」結城が振り向き、それからすぐにスサノオに「スサノオさん、ちょっと車停めてもらえますか」と要望した。

「駄目」スサノオは即却下した。「現場まであと少しだから我慢しろ」

「でも五分ぐらいいいでしょう」結城は口を尖らせる。「本原さん具合悪そうなんで」

「その五分で取り返しつかない事になってもいいのかよ」スサノオは取り合いもせずブレーキをかけもしなかった。

「取り返しって、でも業務に当る人間の体の方が大事でしょうが」結城も引き下がらない。「本原さんがここでげろっぱしてもそのまま行く気っすか」

「げろっぱはしません」本原が耳を押さえたまま否定したが、その無表情の顔は蒼ざめていた。

「絶対にするな」本原の隣に座る時中が真剣な表情で伝えた。

「だから停めて」結城はついに、スサノオの握るハンドルに手をかけた。

「あっお前何しやがる」さしものスサノオも焦りの声を挙げた。

「あそうか、どうせ真っ暗で道なんかないわけだから、ぶつかるとか道交法とか気にしなくていいんだよねえ」ハンドルを握りながら、結城は後部座席を振り向き確認する。

 後部座席の二人は、賛同にしろ否定にしろすぐに返答できなかった。

「ようしそんなら俺が停めてやる」結城は俄然張り切り出した。

「やめろよ」スサノオは抵抗の声を挙げる。

 二人はハンドルを巡って争ったが、傍から見ているとその姿は小学生二人が触ってはならないものを玩具にして争っている姿のようにも捉えられた。

「結城」時中が声をかける。「停めるのならハンドルではなく、ブレーキを踏め」

「えっ」結城が振り向き、「あそうか」と言ってハンドルから手を離しブレーキペダルを勢い良く踏みつけた。

 車は激しく前のめりになり、運転席と助手席でエアバッグが膨らむ。座っている全員はシートベルトが身体に強く食い込む苦痛に耐えねばならなかったが、実際には結城がハンドルに手をかけた時点でスサノオの足もアクセルから離れており減速していた為、乗員の怪我もなく車は停まった。

「よし、降りよう」結城が素早くシートベルトを外しドアを開ける。

「待て」スサノオが手を伸ばすが結城の滑り降りる方が早く、後部座席の二人も続いて車外に出た。

 しかし外は真っ暗だ。

「お前ら、車に戻れ」というスサノオの叫びを背に、三人の新人たちは文字通り闇雲に走り出した。

「大丈夫、きっと天津さんとか神様たちが追いついてくれるって」走りながら結城が叫ぶ。

「虚無僧」時中が走りながら呟きかけ、すぐに口を閉ざし「鈴はまだ鳴っているのか」と本原に問いかけた。

「はい」本原は頷き「けれど虚無僧は飽くまで例えなので、実際には頭の中に虚無僧はいないです」と答えた。

「わかっている」時中は走りながら唾棄するかのように言い捨てた。

「スサノオ、追って来ないね」結城は走りながら振り向き、速度を落した。「この辺で少し、様子見ようか」息を切らして提案する。

「ああ」

「わかりました」答える二人も息を切らして立ち停まった。

 しばらく誰も何も言わず、ただ全員の息の切れる音だけが聞こえた。辺りは闇だ。だが目が慣れて来たのかどうか、三人は互いの立つ位置を確認する事はできた。また足許も、ただ黒い地面が続いているだけで特に障害物があるわけでもない。

「どこなんだろね、ここ」結城が片足の踵でとんとんと地面を叩く。「洞窟の中なのかな」

「しかし洞窟ならこんなに地面が平坦なはずはないだろう」時中が暗い周囲を見回す。

 目が慣れたのだとしても、周囲を岩盤が囲んでいる様子はまっ たくなかった。

「洞窟の匂いもしません」本原が息を大きく吸い込んで言う。

「おお、さすが妄想担当」結城が感心する。「洞窟の匂いって、凡人にはわからないよね」

「匂いは誰にでもわかる」時中が否定し、

「妄想は関係ありません」本原が否定する。

「ははは、そうか」結城は笑いながら振り向いたが、すぐ真顔に戻った。「あれ」

「どうした」時中が眉を寄せて振り向き「何」掠れた声を挙げた。

「どうしたのですか」本原も振り向き「まあ」両手で口を塞いだ。

「これ」結城が茫然と二人に問う。「妄想じゃ、ないよね。皆見えてるんだよね」

「ああ」時中が掠れた声で答える。「現実だ」

「見えています」本原が口を塞いだまま答える。「現実です」

 三人の目の前には家が――昔話の絵本に出て来るような藁葺き屋根、平屋造りという民家が建っていた。

 庭があり、色とりどりの花が咲いているのが見える。不思議なことに、周囲は暗闇であるにも関わらず花の放つ色はくっきりと見えるのだ。庭の向こうには家畜小屋もあり、牛らしき鳴き声が長閑に届いて来る。なんとも懐かしく素朴で、そしてひどく場違いで違和感を醸し出していた。

「な」結城が瞬きも忘れてもう一度問う。「なんでこんなとこに家があんの?」

「まさか」時中が微かに首を振り答える。「これは」

「もしかして」本原は口を塞いだまま囁いた。「マヨイガ様でしょうか」


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