Re:ゼロから始める異世界生活(ifルート ネム) 作:ネムりん☽︎︎.*·̩͙
原作には違った展開が待ち受けているのでどうぞ気長にお楽しみください。
前章に引き継ぎ第二章です。前章が有難くもご好評でしたので、投稿することができました。
前回よりも長くなっていますのでどうぞお楽しみください。
第二章 「約束した朝遠く if」
1
「上から見ていた感じ、アレなのよ。・・・お前、相当に頭が残念みたいかしら」
朝食の場、と三姉妹に案内された食堂で、巻き毛の少女が挨拶代わりにそう言った。
着替えるために部屋に戻ったエミリアと途中で別れたため、今、食堂の中にいるのはス
バルと巻き毛の少女だけ。少女の皮肉にスバルは盛大に嫌な顔をしてみせる。
「爽やかな早朝に顔を合わせていきなり何を言いやがんだ、このロリ」
「何かしらその単語。聞いたことないのに、不快な感覚だけはするのよ」
「攻略対象外に幼いって意味だ。俺、年下属性あんまりないし」
「・・ベティーにここまで無礼な口を叩けるのも、かえって哀れに思えるかしら」
皮肉めいた少女の言葉を意識的に無視をして、スバルは広い食堂をざっと見渡す。
食堂は中央に白いクロスのかかった卓が置かれており、すでに皿の並べられた席が点在
している。スバルの用意もあるなら、下座のどれかがスバルの席だろう。
「テーブルマナーその他のわからない俺に、レクチャーすることを許してやるぜ?」
「不遜極まるかしら。わからないなりに素直に頭を下げるがいいのよ」
「お前に頭下げるぐらいなら堂々と一番上の上座に座って思いっきり怒られるわ」
顔を赤くして怒りを露わにする少女に、スバルは掌をひらひらと振って上座に座る。た
ぶん、ここに座るのはエミリアか当主あたりだろう。可能性は五分五分だ。
本当に上座に尻を落ち着かせたスバルに、巻き毛の少女は呆れた顔で頭を振る。
「まぁ、いいのよ。それよりお前、ベティーに感謝の言葉はないのかしら?」
「感謝って、今まさにお前、俺の救いを求める手を振り払ったばっかじゃねぇか。その上
で感謝を要求ってどんな育ち方すると出る結論だよ。親の顔が見てみたいわ!」
「なんでお前が怒るのかしら!怒りたいのはベティーの方なのよ!せっかく・・・っ」
売り言葉に買い言葉。スバルの返事に声を荒げた少女は、しかし最後で尻すぼみになっ
た。少女の不自然な言葉の切り方にスバルは続きを促そうとする。が、
「失礼いたします、お客様。食事の配膳をさせていただきます」
「失礼するわ、お客様。食器の配膳をさせてもらうから」
「失礼します、お客様。食後のデザートを配膳させていただきます」
食堂の扉を開き、台車を押す三姉妹のメイドがやってきた。
青髪がサラダやパンといった、オーソドックスな朝食メニューを食卓に並べ、桃髪が手
早くカップにお茶を注いで配膳していき、紫髪が、見なれたショートケーキのようなものを右前に配膳していく。温かな香りに、思わずスバルの腹が鳴った。
「おほー、いいねいいね。いかにも貴族的な食卓だ。・・・これで異世界チックなゲテモノ
ばっか並んだらどうしようかと思ったぜ」
場所が異世界であるだけに、何が出てくるか心配していたスバルは一安心。
パッと見、肉体的にも精神的にも重大な危機を及ぼしそうなメニューは見当たらない。
テンションが上がり、背もたれに体重を預けて軋ませるスバル。椅子の軋む音が食堂に
響き、澄まし顔の少女の横顔に苛立ちが浮かぶ。
巻き毛の少女になぜかちょっかいをかけずにいられないスバル。少女の澄まし顔をもっ
と感情的に崩してやろうと悪戯心が芽生えて、スバルは気合を入れて尻を滑らせ―――
「あはーぁ。元気なもんじゃーぁないの。いーぃことだよ、いーぃこと」
そうする前に、新たに食堂へ入ってきた人物の嬉しそうな声が全てを中断させていた。
長身の人物だった。
スバルより頭半分は背が高く、濃紺の髪を背に届くぐらいまで伸ばしている。
しかし、その体つきは細身というより華奢に近く、肌の色も病的に青白い。
整った面貌と合わせて、どこか陰のある美青年といった風貌だ。
左右で色違いの、青と黄色の瞳の色鮮やかさもその印象を強めている。
―――その配色が奇抜すぎる服装と、ピエロのような顔のメイクがなければ。
「・・・飯の前の余興にいちいちピエロ雇ってんのか。金持ちの考えはわかんねぇな」
「何を考えているのかおおよそ想像がつくけど、ベティーは不干渉させてもらうのよ」
「つれねぇな。ベティー。俺とお前の仲だろ?もっといちゃいちゃトークしようぜ」
「お前とベティーの間にどんな関係が築けたのかしら。あと気安く呼ぶんじゃないのよ」
つれない態度で少女は肩をすくめて会話から離脱。少女の態度にスバルがしかめ面をし
ていると、食堂の中に踏み出すピエロがスバルと同じく少女を見て目を開く。
「おーぉやーぁ?ベアトリスがいるなんて珍しい。久々にわーぁたしと食事を一緒にし
てくれる気になったとは、嬉しいじゃーぁないの」
「頭幸せなのはそこの奴だけで十分かしら。ベティーはにーちゃを待ってるだけなのよ」
馴れ馴れしい発言をすげなく切り捨て、少女――ベアトリスの視線はピエロの背後へ。
食堂の入り口からピエロに遅れて入ってくるのは、着替えてきた銀髪の少女だ。
「にーちゃ!」
弾むように席を立ち、長いスカートを揺らしてベアトリスが走る。花の咲いたような笑
みを浮かべる姿は、これまでの少女の生意気な評価を忘れさせる愛嬌に満ちていた。
ベアトリスの視線の先に立つのはエミリアだ。が、応じるのはエミリアではない。
「や。ベティー、四日ぶり。ちゃんと元気でお淑やかにしてたかな?」
気楽な様子で銀髪から姿を見せる灰色の小猫、パックの言葉にベアトリスは頷いた。
「にーちゃの帰りを心待ちにしてたのよ。今日は一緒にいてくれるのかしら」
「うん、だいじょうぶだよー。今日は久しぶりに二人でゆっくりしてようか」
「わーい、なのよー!」
エミリアの肩から飛び立ち、差し出されるベアトリスの掌の上にパックが着地。ベアト
リスは受け止めたパックを愛おしげに抱くと、その場でくるくると回りだす。
「ふふ、おったまげたでしょ。ベアトリスがパックにべったりだから」
「おったまげたってきょうび聞かねぇな・・・」
和気藹々とした風景に驚くスバルに、悪戯っぽく笑うエミリアが歩み寄る。死語を使い
こなすエミリアにお決まりの返答をすると、エミリアは「んん?」とスバルを指差した。
「あれ、スバル。その席って・・・」
「あ、そうだった!いや違うんだよ。これはね、ほら、椅子の尻が冷たいと心まで荒む
かもじゃん。だから先に温めておいただけで、関節シャットダウン狙いじゃないんだよ」
「ごめん、ちょっと何言ってるかわかんない。それにそこ、ロズワールの席よ?」
目を丸くするエミリアの前で、盛大に目論見を外したスバルが椅子から滑り落ちる。
「まあまーぁ、気にすることはなーぁいとも。なるほどエミリア様に君の温もりは届かな
かったかもしれないけど、そこは私がきちーぃんと大切に受け取るからねーぇ」
慰めるように手を伸ばし、軽くスバルの肩を叩いて笑いかけてくるピエロ。スバルは肩
に触れる手と、道化の優しい笑顔を交互に見比べ、嫌そうに顔をしかめた。
「何このピエロ馴れ馴れしい。踊り子さんに触るのはマナー違反ですよ?」
「いつ踊り子に・・・じゃなくて、スバル、その人は・・・」
「いやいやいーやーぁ、構いませんよ、エミリア様。あの瀕死のところからここまで元
気になったと思えば、むしろ歓迎すべきことじゃーぁありませんか」
口調に他人を苛立たせる特徴があるものの、至極まともな発言をするピエロ。ピエロは
そのままスバルたちの視線を受けたまま、椅子を引いてゆっくり座席に腰を下ろした。
大テーブルのもっとも上座であるその席は、先ほどまでスバルが座っていた位置だ。
「おいおい。俺が言うのもなんだけど、そこ勝手に座ってっと偉い人に怒られっかもよ」
「その心配は大丈夫・・・っていうか、スバルにはやっぱり名乗ってないんだ」
忠告するスバルに、ほとほと呆れた声と顔つきでエミリアが呟く。ただし、エミリアの
呆れはスバルではなく道化の方にも向けられていた。
「どゆこと?」
「それはつーぅまり、こういうことだぁーとも」
スバルの疑問に椅子に座ったまま道化が、大きく両手を広げて応じた。
「私がこの屋敷の当主、ロズワール・L・メイザースというわーぁけだよ。無事に当家で
くつろげているようで、なーぁによりだとも。―――ナツキ・スバルくん」
と、道化姿の変態貴族は清々しいぐらいに図々しく名乗ったのだった。
2
上座のロズワールを筆頭に、それぞれが用意された座席に腰掛けて朝食が始まった。
「む・・・普通以上にうめぇな」
目の前に並ぶ食事から、サラダ的なものとスープ風なものを口にしたスバルの感想だ。
「ふふーぅん、でしょでしょう。こう見えて、レムの料理はちょっとしたものだよ?」
自慢げなロズワールに頷き返し、スバルは調理担当と思わしきレムを見る。レムはスバル
の視線に手で狐のサインを作って見せた。意味がわからないが、ひょっとするとこの世界
のVサイン的なものだろうか。スバルは返礼に両手で蛙を作って応じる。
「この料理は青髪の・・・えーと、レムちゃんでいいのか。が、作ったの?」
「はい、お客様。当家の食卓はレムが預かっています。姉様たちはあまり得意ではないので」
「ははーん、三姉妹でそれぞれ得意スキルが違うパターンだ。じゃ、姉様は掃除が得意で、一番下の子は・・うーん・・癒し担当兼お手伝い的な?」
「お客様。その癒し担当とはどういう・・ネムをそういう目でみていたのですか・・」
「いや!違ぇよ!?ロリ好きとかじゃないからね!?」
「ハッ!」
「姉様!?今、馬鹿にしたよね!?」
「・・・そうです。姉様は掃除、洗濯を家事の中では得意としています。そうですね、ネムは姉様やレムの癒しを担っています、お手伝いもよくしてくれています。ね?ネム」
「はい、姉様。ネムは姉様たちの癒し係です」
「全然態度違うんだけど!?じゃあ・・レムりんは料理系は得意だけど、掃除と洗濯は苦手か」
「いえ、レムは基本的に家事全般が得意です。掃除、洗濯も得意ですよ。姉様たちより」
「長女の存在意義が消えたな!?」
万能な次女と得意科目でも次女に及ばない長女。三姉妹としては逆に珍しい。
次女の発言をラムとネムは気にした風もしない。訂正しないということは事実なのだろうが、それならそれで揺るがないラムとネムの態度は何事のなのか。
「もしくは分野違いか。ラムちーの方は戦闘職・・・.やはりネムネムは癒し系。お庭番と妖精メイド的な方向で一つどうよ」
「いーぃね、君。ラムとレムとネムの三人は個性が強いから、初対面には受けが悪いんだけどね」
「キャラの濃さに関しちゃ主が特殊すげて今さらなんともねぇよ。ロズっち」
ロズっち、と愛称で呼ばれるロズワールだが、スバルの発言を権力者の余裕で見逃す。
煽って相手の感情を引っ張り出す癖があるスバルからすると、思惑を外した形だ。とは
いえ、さして気にするでもなく皿の上のメニューを次々に消化して、
「これで飯がマズイなら考えもんだけど、このうまさだし問題なし。ね、エミリアたん」
スバルの気楽な呼びかけに、口を布巾で拭いていたエミリアが渋い顔。何事かとスバル
が首を傾けると、エミリアは小さく吐息した。
「あのね、スバル。お食事中の私語はダメ。三人しかいないのに準備してくれたレムとラ
ムとネムに悪いし、礼儀がなってないと大事な場面で失敗しておじゃんにしちゃうんだから」
「おじゃんってきょうび聞かねぇな・・・それはそれとして、テーブルマナーね。この状況
からしたら、今さらじゃね?」
お決まりのやり取りをしつつ、スバルは食卓を手で示す。広い食卓のスペースの中、隣
り合うスバルとエミリア。
本来、二人の座席の距離は食卓を大いに活用するため離れていたのだ。
「けど、エミリアたんの近くで食べたい俺が移動してきた。ロズっちがそれ黙認した時点
で今さらじゃん?なんなら、嫌いな野菜とか俺の皿に投げてくれていいよ」
「じゃあ、ピーマルを・・・って、そうじゃないでしょ。もう、私が馬鹿みたい」
言い負かされて唇を尖らせるエミリアが可愛くてスバルは笑う。
それからスバルは、つい今のエミリアの言葉から疑問点を拾い上げた。
「ところで、ロズっち。今、エミリアたんが屋敷の使用人が三人しかいない的なこと言っ
てたように聞こえたんだけど」
「あはぁ、現状はそうだねぇ。ラムとレムとネムしかいなくなっちゃったよ」
「このでかい屋敷の管理が三人だけとか、質にこだわる以前に過労死すんぜ。それとも
・・・新しい使用人が雇えないとかって感じの状況ってこと?」
スバルの問いかけにロズワールは沈黙し、テーブルの上で手を組んだ。ロズワールの表
情は笑みを浮かべているが、スバルを見る瞳の雰囲気が明らかに変わる。
「本当に不思議だーぁね、君。ルグニカ王国のメイザース辺境伯の邸宅まできて、事情を
知らないなんてーぇいうんだから。よく、王国の入国審査を通ってこれたもんだね」
「まぁ、ある意味じゃ密入国みたいなもんだから・・・」
気の抜けたスバルの答えにエミリアが驚き、まるで幼子を叱るような目つきになる。
「呆れた。そんなのあっさり喋って。恐い人たちにぎったんぎったんにされちゃうわよ」
「ぎったんぎったんってきょうび聞かねぇな」
「茶化さないの。ねぇ、スバル。ホントに大丈夫?スバルの周りってみんなそうなの?
それともスバルだけ特別物知らずなの?」
本気で心配してくれるエミリアに悪い気がして、スバルは自分の態度を反省する。
「あー、俺はちょっと特別物覚えが悪いかな。だから差し支えないなら、ぜひぜひご講釈
頂けると幸いに存しまして候」
「そういう言葉づかいできるのを聞くと、ちゃんとした家の子に見えるんだけど・・・」
「こんなんで社交場出たら俺の社交界デビュー詰むって。なんか、エミリアたんも意外と
この手の知識弱い?今のとか尊敬語が入り乱れてぐちゃぐちゃだよ?」
「う・・・否定できない」
スバルの指摘に小さくなるエミリア。エミリアのそんな一面に驚くが、萎縮するエミリ
アをフォローするのは上座で黙っていたロズワールだ。
「君の指摘もわからないでもないけど、エミリア様は今、勉強中の身だーぁからね」
「勉強中、ね。そのへん、さっきの話にもひょっとして絡んでくる?」
「君、やっぱり考えてるね。考えれるからこそ、考えてないみたいな発言がこぼれる」
感心した様子のロズワールに、スバルは肩をすくめてから自分の胸を叩いた。
「なんか考えて生きるのなんて当たり前だろ。八方ふさがりで死ぬか生きるの瀬戸際で、
腹の中身がぽろっとはみ出してようと、考え抜くのが人間の義務なんだから」
「なんかぽろっとはみ出したことがあったみたいな実感がこもってるわね・・・。ええと、
話を戻すけどスバルは今この国―――ルグニカ王国がどんな状況にあるか知ってる?」
「全然まったくこれっぽっちもわかってない」
「そんな清々しく言い切られると、スバルの生き方に驚かされちゃう」
褒め言葉ではないだろうな、とエミリアの慈愛の眼差しを見て思う。保護欲をくすぐる
作戦ではないが、心の距離感が母親と幼子ぐらいになっているのは確かだった。
「それで、国の状況って・・・なんかマズイことになってんの?」
「穏当な状況ではないね。なーぁにせ、今のルグニカは『王が不在』なものだから」
ロズワールの言葉を吟味し、意味を理解してスバルは息を詰めた。
警戒の眼差しを道化メイクの男に向けて、とっさにスバルは椅子の上で身構える。
「そーぉんな警戒しなくても心配ご無用。すーぅでに市井にまで知れ渡った厳然たる事実
だーぁからね」
「さよけ。いや、危うく秘密を知られたからには生かして帰さん展開になるかと」
「こっちからばらしてそれじゃスバルが可哀想・・・ともかく、それで国中不安定なの」
なるほど、とスバルは納得。王位が空っぽという状態は、王国の運営形態的に致命的だ。
病没かそれ以外か、いずれにせよ突然の王の『死』に国が揺れている。
「でも、そういうのって普通、王様の子供が跡を継いで万事解決じゃないの?」
「普通はそーぉなるんだけどね。だーぁけど、事の起こりは半年前までさかのぼっちゃう。
王が御隠れになったのと同時期に、城内で流行り病が蔓延してね」
特定の血族に発症する伝染病、と発表されたとロズワールは語る。
「病気ばっかりは本人の責めるわけにいかねぇしな。けど、そうなると国ってどうなるん
だ?王様の血筋いないし、民意優先で総理大臣選出するのか?」
「後半が何言ってるのか全然わーぁからないけど、現状、国の運営は賢人会によって行うわ
れている。いずれも、王国史に名を残す名家の方々だ。国の運営に問題はない。しかし」
そこで一度間を置き、ロズワールは表情を引き締める。
「―――王不在の王国など、あってはならない」
「そらそうだ」
お飾りがあったとしても、頭の存在しない組織など成立しない。国ならなおさらだ。
「なるほど、段々わかってきたぜ。つまり、王国は王不在な上に王選出のドタバタで混乱
中。他国との関係も縮小して鎖国状態。そこへ現れる謎の異国人俺―――俺超怪しいな!」
「さーぁらに付け加えちゃうと、エミリア様に接触してメイザース家とも関係を持ったわ
けだーぁしね。状況証拠ばっかりだけど、気が早ければそれだけで・・」
ロズワールが目をつむり、首に手刀を当ててギロチンアピール。ロズワールの悪ふざけ
を目にしながら、ふいにスバルは嫌な予感に冷や汗が止まらない。
そうさっきから、たびたび気になってはいたのだ。
「なんで・・・屋敷の主が、エミリアたんを様付けで呼ぶ?」
屋敷の中で一番地位にある人物が、最大限の敬意を払う間柄だ。
胸の中で不安が芽吹き、黒い花を咲かせ始めるのを感じるスバルにロズワールは笑う。
「当然のこーぉとだよ?自分より地位の高い方を敬称で呼ぶのはねーぇ」
口をぽっかり開けて硬直するスバル。ギギギ、と音がしそうなほど機械的な動きでエミ
リアを見ると、渋い顔をした少女は観念したように吐息をこぼした。
「騙そうとか、そういうこと考えてたわけじゃないからね」
「―――――エミリアたんてばつまり」
懲りずに愛称呼びを続けるスバルにトドメを刺すように、
「今の私の肩書きは、ルグニカ王国四十二代目の『王候補』の一人。そこのロズワール辺
境伯の後ろ盾で、ね」
告げられた言葉に、スバルは自分の不敬ぶりが天元突破したのを感じ取っていた。
3
―――――異世界で巡り合った美少女は、女王様でした。
その一分だけ切り取ると、まさしく正統派な異世界ファンタジーといった風情だ。
正しくは女王様候補であり、その女王様候補へのこれまでの接し方を思い出すと、
「命三つ差し出したくらいじゃ、釣り合わねぇよな・・」
「その、驚かせちゃってごめんね。こんなに、黙ってるつもりなんてなかったんだけど」
「んにゃ、怒ったりしないって。エミリアたんてば、ホント天使みたいに優しいよね」
「えっ!?」
ストレートすぎるスバルの言葉に絶句し、それからエミリアの頬に朱が上る。
「いや実際、こうしてられる原動力って全部エミリアたんから始まってるからね。そうい
う意味でも、これは本気でE・M・T(エミリアたん・マジ・天使)だよ!」
「・・・はぁ。なんとなく、スバルの付き合い方わかってきたかも。その誰にでも言って
そうな軽口は忘れて、本題に入っちゃえばいいのね」
わずかに赤みの残る顔のまま、手を叩くエミリアが場をリセット。椅子をずらして先ほ
どの距離感に戻るエミリアに、スバルも仕方なく従う。
「さーぁて、んじゃまーぁだいーぃぶいい感じに脇筋それちゃったけど、本題に入るとし
ましょうかーぁね。スバルくん、準備はいーぃかな?」
「今の流れで首飛ばされてないってとこで、悪い話じゃないことを祈らせてもらうよ」
スバルの言葉にロズワールは口笛を吹く。エミリアも意外そうな目をしたのは、今のス
バルの言動に二人の真意を探る意図があったと買い被ったからだろう。
「ってわけで、本題ついでに俺の予想だ。わざわざエミリアたんが女王様候補って話を振
ったんだし、それ込みで状況説明してくれんだろ?」
「・・・・ホントに、スバルって頭いいの?それとも頭おかしいの?」
「その二択ってだいぶ極限だよね!」
スバルの苦情にエミリアは小さく舌を出して謝罪。可愛い、許した。
ちょろいスバルの内心はともあれ、ロズワールがエミリアの謝罪に後を引き継ぐ。
「君の予想で大当たり。君の処遇、さっきの話に大いに関係ありだ。―――エミリア様」
「うん、わかってるわ」
呼びかけに頷いたエミリアが、懐から何かを取り出してテーブルの上に差し出す。
スっと伸ばされた白い指先、押し出されてきたそれを見たスバルの眉が上がった。
「―――あの徽章じゃねぇか」
白いクロスの上で輝くのは、中央に宝珠をはめ込まれた竜を象る徽章だ。
手癖の悪いフェルトという少女に盗まれ、スバルがそれこそ三度も死んだ末にようやく
持ち主のエミリアの下へ取り戻したキーアイテム。
煌めく宝珠の深く澄み切った色は、改めて目にしたスバルに畏敬を念すら抱かせる。
「竜はルグニカの象徴でね。『親竜王国ルグニカ』なーぁんて大仰に名乗ってるぐらいだ。
城壁や武具のあちらこちらにもシンボルがある。中でもその徽章はとびきり大事だ」
思わせぶりに区切るロズワールに、スバルは先を促す視線を送る。と、ロズワールは目
線でエミリアに続きを催促した。エミリアは目をつむって唇を震わせる。
「王選参加者の資格。―――ルグニカ王国の王座に座るのにふさわしい人物かどうか、それ
を確かめる試金石なの」
張り詰めた声色で告げられたスバルは目を剥く。テーブルの上の徽章は両翼を広げた竜
をモチーフにしており、宝珠の煌めきが今の話の真実だと裏付ける。
「ま、まさか・・・王選参加資格の徽章をなくしてたのか!?」
「なくしたなんて人聞きの悪いっ。手癖の悪い子に盗られちゃったの!」
「一緒だ―――――っ!」
大声で叫び、食卓を叩いてスバルは立ち上がる。衝撃で危うく食器がテーブルから落ち
かけるが、そこは控えていたレムが見事にフォロー。スバルはそれには目もくれず、
「っていうかマジでそれなくすとどうなっちゃうの!?それを捨てるなんてとんでもない
って言われるタイプのアイテムだろ!役所とかで再発行とかできんの!?」
「まーぁ、なくしましたーじゃ済まないのは間違いないだろうねーぇ」
慌てふためくスバルに、ロズワールは不必要に大きい服の襟を正して答える。
「王とは即ち王国を背負うもの。そんな大任を負おうって人が、小さな徽章一つ守り切れ
ないとなったら言語道断。どうして国を任せようだなんて思えるんだろーぉね」
「そりゃそーだ。そんなんが知られたら一大事も一大事・・そういうことか!」
盗られた徽章をめぐる王都での騒動。そしてこの歓待。導き出される答えは一つ。
「徽章をなくしたなんて公に知られたらマズイ。だからエミリアたんは徽章探しを誰にも
頼れずに一人でやるっきゃなかった」
「・・・・ええ、そう」
「実行犯はフェルトだけど、依頼者はエルザだ。あいつも誰かに頼まれたって言ってたし
・・・それって、エミリアたんが王様になるのを邪魔しようとする奴がいるってことか?」
「そーぅだろね。王選から脱落させるのに、徽章を奪うなんて簡単に思いつくしねーぇ」
スバルの中で、昨日の出来事の様々な辻妻が合い始める。
頑なに助力を拒むエミリア。フェルトとエルザの依頼主。そしてスバルが三度、殺害さ
れる原因になった徽章の価値。スバルがこうして、屋敷でもてなされている理由。
「改めて考えると俺、超GJ!これはもう、ご褒美に期待が高まっちゃうな!」
思いかけず、自分の行いの功績が大きかったことを知ってスバルは有頂点。鼻息も荒くエミ
リアを見下ろし、指をわきわきさせて好色を気取る。突っ込み待ちの姿勢だ。だが、
「うん、そうなの。スバルは私にとって、ものすごい恩人。命を救ってもらっただけじゃ
済まないくらい。だから、なんでも言って」
「へ?」
「私にできることなら、なんでもする。ううん、なんでもさせて。スバルが私に繋いでく
れたのは、それぐらい意味のあることなんだもの」
胸に手を当てて、真剣な顔つきで見つめ返されてスバルは言葉を失う。
頬の筋肉が強張り、シリアスな周囲の空気にテンションの目盛りが合っていない。
――やべぇ、マジ空気読めてねぇ、俺。
スバルは自分の空気が読めないテンションち、エミリアの真剣な眼差しの熱が噛み合わ
ずに困り果てる。結局、困り果てた挙句。
「・・なんなの?」
「いや、なんとなく手が伸びて」
じっとこちらを見るエミリアの髪に、スバルの指先がそっと滑り込んでいる。
頭を撫でる、というよりは髪に通して感触を楽しむ形だ。
「ご褒美ってんならほら、こんなんでも嬉しいかなぁという安い俺」
「・・・パックの毛並みも触ってたけど、スバルって体毛に興奮する趣味とかあるの?」
「髪の毛を体毛ってカテゴライズするのやめようよ!こんな綺麗な銀髪なのに!」
あんまりな評価にスバルは悲鳴を上げる。エミリアの銀髪はまさしく絹糸のような触り
心地で、柔らかさでスバルを魅せたパックのものとは異なる魅力がある。
ただ、エミリアはスバルの言葉になぜか痛ましげに目を伏せた。エミリアの仕草の理由
がわからず、スバルは首を傾げる。傾げたところで、背後から視線を感じた。
「あ、お邪魔だったかなーぁ?アレだったら、私たちは退室しておくけど?」
「そういう気遣いって口にした途端に余計なお世話になるんだよ。そして、俺の質問ター
ンはまだ終わってません」
エミリアの髪を楽しむのを続行しつつ、スバルは空いた方の手でロズワールを指さす。
「エミリアたんが女王様候補ってのはわかったけど、後ろ盾ってご紹介のあったお前はど
んな立場にあらせるんでしょーか」
「周りが見えてるねーぇ、話が通じすぎるぐらいじゃーぁないの」
「お褒めに預かり誠に光栄に存します候。単にアニメとかラノベとかの影響で、ファンタ
ジー展開に脳みそが慣れてるってだけどな」
記憶困難なオリジナル造語が入り乱れる世界観。それらをいくつも踏み越えてきた読者
の一人として、これぐらいの設定披露で頭がこんがらったりはしない。
「ま、隠すようなことでもなーぁいんだけどね。私の肩書はルグニカ王国の・・一応は
辺境伯って身分になるよ。もっと聞こえのいい役職なら、宮廷魔術師になるかーぁな」
「そう。それも、筆頭魔術師・・王国で一番の魔法使いなの、この人」
スバルの言葉を引き継いだエミリアだが、なぜかちょっと不満そうな顔。ロズワールは
エミリアの反応すら快いのか、紅の引かれた唇をゆるませて笑う。
「それらを踏まえた上で続きの話をすると、私はエミリア様を王選候補として支援する立場。後
ろ盾って言葉を言い換えると、体のいいバトロンってーぇことだね」
「バトロン、ねぇ」
後援者代表。それが目の前のロズワールの肩書きといったところか。
スバルは長身の道化を改めてしげしげ眺めて、それからエミリアにそっと目を配らせする。
「言い難いんだけどさ・・・エミリアたん、もっと人を選んだほうがよくね?」
「仕方ないの。王国で頼れる人なんて私にはいないし、そもそも私に協力してくれる物好
きな変人なんてロズワールぐらいしか・・・」
「なーるほど。消去法なのね」
「二人して、バトロンを目の前に怖いもの知らずもいーぃとこだーぁね」
わりと悪し様に貶められている感があるが、ロズワールは怒るどころか含み笑いで大人
の対応。器が大きいのか、あるいは蔑まれることに悦びを感じる性質なのか。
「で、本題だ。ロズっちがエミリアたんのバトロンってのはわかった。ちょっち振る舞いの
端々から天然さとかっぺ的な部分が見え隠れするのがキュートなエミリアたんのことだ。
昨日の王都での単独行動とかって、かなりの珍事だったんじゃねぇの?」
「初めてのことだろーぉね。ラムが一緒だったはずなんだけどさーぁ」
苦笑してラムに話題を向けるロズワール。スバルがそちらを見ると、ラムは髪の分け目
を一個隣のレムと同じに整えて知らん顔だ。髪の色が違うから丸わかりなのだが。
「その自信満々に『誤魔化せたぞ、しめしめ』みたいな顔がムカつくな」
当人の反省の意思はともあれ、言質を取ることには成功した。と、そこへ代わりに手を
上げるのは気まずげな顔のエミリアだ。
「その、ラムが悪いわけじゃないのよ。昨日は私が・・・ちょっと好奇心に負けちゃったっ
ていうか、それでふらふらとラムからはぐれちゃって」
「なんだその萌えキャラみたいな理由。そのエミリアたんの天然さが溢れ出たのは別とし
て、主人の命令が守り切れなかったのは事実じゃん。そこんとこどーよ?」
スバルはラムは庇うエミリアを両手で指差し、そのまま指をロズワールへと向け直す。
「確かに一理ある。ラムの監督不行き届きは私の責任でもあるかもねーぇ。でも、それは
それとして君は何がいいたいのかーぁな?」
「簡単な話だ。大事な身分のエミリアたんから目を離したのはそっちの落ち度。んで俺は
そこにつけ込む悪い奴。つけ入る隙を見っけたら、絞れるとこから絞るのがやり口よ」
スバルの物言いに、室内の全員が各々、表情を変えた。
エミリアが眉を寄せ、三姉妹が申し訳なさと敵意が同居した瞳でスバルを睨み、ベアトリ
スは熱に浮かされた目をパックに向けたまま、パックは卵料理の前で滑って黄身に頭から
突っ込む大惨事。そして、ロズワールは納得とでも言いたげな微笑で頷いた。
「なーぁるほど。確かに私財で比較して無一文に等しいエミリア様より、バトロンである
私の方が褒美を求めるには適した相手だーぁろうねーぇ」
「だろ?そしてロズっちはそれを断れないはずさ。なにせ、俺はエミリアたんの命の恩
人な上に、王選からのドロップアウトを防いだ救世主的な何かだ!」
席から立ち上がり、天に指を向けてスバルはポージング。
「認めようじゃーぁないの、事実だからね。そして、その上で聞かせてもらおうか」
同じように席から立ち、ロズワールを、エミリアがはらはらと心配そうに見守っている。
「君は私になーぁにを望むのかな?現状、私はそれを断れない。徽章紛失、その事実を
隠蔽するためならなんでも支払おう。あーぁ、何を望む?」
「へっへっへ、さすがはお貴族様。話が分かるじゃねぇの。褒美は思いのまま!そして
ロズっちは断れない!男に二言はねぇからだ!」
「スゴイ言葉だーぁね。なるほど。男は言い訳しないべきだ。二言はない」
小悪党なスバルの態度に後ろでガンガン好感度が下がる音がしているが、それらも全て
この発言を引き出すための伏線。
ロズワールの背肯に、スバルは会心の笑みを浮かべた。
「俺の願いは一つ。俺をこの屋敷で雇ってくれ」
長い長い前振りに反して、すっぱりあっさりと言い切ったスバル。
スバルの申し出に、唖然としたのは背後の女性陣だ。三姉妹のその表情の変化に乏しい面
差しに困惑を浮かべ、ベアトリスは本気で嫌そうな顔をする。そしてエミリアは、
「わ、私が言うことじゃないけど、ちょっとそれは・・・」
生まれ持った美貌と神秘性も、それだけ目を白黒させるのに忙しい効力半減だ。
「驚いた顔も可愛いけど、そんなに俺の提案に反対?」
「そういうことじゃなく、欲がなさすぎるの!」
まるで我が事のように怒り、エミリアはテーブルを叩いてスバルに詰め寄った。
「いい?パックのときもだけど今の話も・・・違う。そもそも、王都で私の名前を聞いた
ときもそうだったもの」
エミリアは自分が知る限りの、スバルが褒美を得られそうだった場面を羅列。それら全
ての成果を知るエミリアは、本当に理解できないと頭を振った。
「こっちの・・私の感謝の気持ち、わかってくれてないんだ。そんなことで・・・命を救わ
れたことの恩も、それ以上のことだって、全然返せたりしないのにっ」
語尾が弱々しくなり、エミリアはスバルの胸に掌を押し当てて顔を俯かせる。
エミリアの慟哭を聞いて、スバルは自分の浅慮さを痛感した。
エミリアはずっと負い目を抱いていたのだ。恩返しに求められる対価の釣り合わなさに。
しかし、それはスバルにとっても同じことなのだ。
スバルだってずっと、エミリアに負い目を抱いている。
そして、それは二度とエミリアに求めることができない負い目だ。
もうこの世界のどこにでも、返せない恩義なのだから。
正面、エミリアの潤んだ紫紺の瞳がスバルを見上げている。
それからスバルは、できる限りの真摯な態度でエミリアに本心を伝えることにした。
「エミリアたんわかってねぇなぁ。俺は本気で心の底から、そのときそのとき
本当に欲しいもんを望んでるんだぜ?」
「――え?」
「あのとき、俺は君の名前が知りたかった。明日の見通しも立ってなくて、新天地で不安
でてんぱってて、たぶん落ち着いて考えたら欲しがらなきゃいけないものもことも他に
色々とあったんだと思う。―――でも、俺は自分に嘘をつかない男だ」
三度も死んだのだ。その報酬を得るために。
目の前の銀髪の少女の笑顔と、その名前を知るためだけに費やしたのだ。
――あの瞬間、それ以上の褒賞など望むべくもない。
「ロズっちへの頼みもおんなじさ。俺ってば今、徹頭徹尾の一文無し。大金せしめて豪遊
ってのも手だけど、継続的な生活基盤を手に入れるってのも手でしょ?」
「・・・別にそれなら使用人じゃなくても、食客扱いとかで良かったんじゃないの?」
「その手があったか!ロズワールさん、ぜひ俺を食客に・・・」
一縷の望みをかけてロズワールを見ると、彼は頭の上で両手を×の形に交差させた。
「最初の要求が有効です。男に二言はないからねーぇ」
「うおぉーい!そうだよね!男に二言とかしないもんね!」
さっきの誰かの発言が跳ね返って泣く泣く却下。
「今、一瞬だけすごーく真剣に見えたのに・・・気のせいだったみたい」
「おまけにエミリアたんからもこの評価!踏んだり蹴ったりだよ!」
理想的な異世界生活穀潰し環境の成立を、自分の失言で失ったスバル。さらに美少女からの
好感度も落としたあれば拾うところがない。
「ともかく・・・そういうことだから。ラムちーとレムりんとネムネムだけで屋敷の維持も負担半端ないだろうし、下男的ポジションでよろしくお願いします」
「差し迫った問題なのは事実なんだろーぉけどね。・・・エミリア様の言う通り、やーぁっ
ぱり欲のないお話だと私も思うよーぉ?」
初めて苦笑めいた表情を見せるロズワールに、スバルは立てた指を左右に振ってみせる。
「俺は超欲張りな男だよ。だってそうだろ?超可愛い超好みの美少女と一つ屋根の下生
活を合法的に獲得だ。距離が縮まれば心の距離も同じ、チャンスは無限大!」
「・・・なーぁるほど。それは確かにそうだ。好みの女性の側にいられる職場、というのは
なかなか得難いものだーぁね。うまい話だよ。まーぁったく」
「ま、それにだ」
スバルは振っていた指を止めて、そのまま頭に持っていくと無造作に黒髪を掻く。
「俺みたいなわけわからん奴は、わけわからんまんま放置するより手元に置いておけよ。
その上で俺がエミリアたんにとって有用か有害か見極めてくれや」
スバルは少し、都合の悪い話を知りすぎている。何の予防線も張らずに屋敷を出るよう
な事態になっていれば、きっと碌な事にならないだろうと思っての発言だ。
ロズワールに何の心当たりもなければ、絶句するような言いがかりだったに違いない。
だが、そんなスバルの気まずい心情に反して、
「そうさせてもらうよ。―――願わくば、仲良くやーぇっていきたいもんだね?」
即座に切り返したロズワールは片目をつむり、黄色の瞳だけでスバルを見て答えた。
その妖しい輝きの奥の感情は、スバルにまったく読み取ることができなかった。
余談だが、思わず場の勢いで告白めいた発言をしてしまい、内心赤面ものだったスバル。
が、おずおずとスバルがエミリアの表情をうかがうと、
「もう、スバルってホントに仕方ない子なんだから。・・・どうしたの?」
そう平然と返されてしまって、スバルも口ごもるしかなかった。
意識しすぎ、なのだろうか。これも美少女慣れしていない経験値の低さが出た結果か。
「好みの女の子にこんだけ相手されてねぇとか、燃えてくるな、オイ」
わりと差し迫った環境にも拘わらず、だいぶ斜めの角度にやる気を燃やすスバルを横目
に、エミリアは小さな声でぽつりと呟いた。
「そにしても・・・ラムとレムとネム、誰がスバルの好みだったんだろ」
先の発言を曲解し、唇に指を当てて見当違いな想像に胸を膨らませるエミリアだった。
4
―――長引いた朝食の場が片付き、スバルの進退の件もおおむね決着した。
その流れを見て取り、いち早く席を立つのは巻き毛の少女―――ベアトリスだ。
「話もほどほどに決着したようだし、ベティーはそろそろににーちゃと戻るかしら」
自分の分を片付け、早々に立ち去ろうとする少女にスバルは立てた指を横に振った。
「待てって。そう急ぐ必要もないだろ・・・っていうか、人任せにしないで自己紹介ぐらい
してけっつの。この場で、お前の立場だけさっぱりわかんねぇよ。ロズっちの妹?」
「これを親戚扱いだなんて、お前もベティーを怒らせるのが上手なようなのよ」
不機嫌丸出しでため息をつくベアトリスに、散々な評価のロズワールは楽しげに笑うば
かり。スバルはベアトリスの険のある視線に肩をすくめた。
「ベティーはロズワールのお屋敷にある禁書庫の司書さんだよ!」
「にーちゃっ!?」
が、言い合いの始まりそうな空気をのんびり割り込んだ灰色猫の発言が搔き乱した。
猫はパンの耳に砂糖をまぶして揚げたラスク的なデザートを齧っている。
「甘っ、うまっ、うにゃっ」
「甘味で知性失ってるっとこ悪いけど、そこんとこもちょっと詳しく」
甘いのに夢中なパックに先を促しつつ、どさくさ紛れでスバルはパックの耳に触る。至
高の感触を堪能していると、堪能されるままのパックは皿から顔を上げた。
「ロズワールは魔術師としてそれなりだからね。代々受け継ぐ家柄でもあるし、人目に触れさ
せられない本とかもあるんだよ。ベティーは契約で、それを守ってるってこと。ね?」
「うん、そうなのよ。にーちゃの言うことはいつだって正しいかしら」
盲信的な発言をしつつ、ベアトリスの手がおっかなびっくりスバルと反対のパックの耳
へ。指先がその毛並みに触れると、少女の愛らしい顔がふにゃっとゆるむ。
初めて、見た目相応の愛らしい表情をスバルの前で浮かべるベアトリス。思わず息を呑
むスバル。すると、そんなに二人と一匹を傍目に見ていたエミリアが小首を傾げる。
「そうしてると、すごーく仲良しの二人が小猫を可愛がってるみたいに見えるわね」
「こいつと仲良くとか思われるのはちょっと・・・」
「こいつと仲良くなんて絶対にごめんかしら」
エミリアの感想に、スバルとベアトリスの答えが重なる。幾分、照れ隠しの混じるスバ
ルに対して、ベアトリスは目がマジだ。
「ふふ、いがみ合う二人を揃って虜にしてしまう自分が恐い・・・にゃにゃにゃ!」
二人に挟まれ自画自賛に忙しかったパックが、伸びてきたエミリアの指先に摘ままれて
じたばたする。その内、ぐったりと動かなくなるパックにエミリアはため息をついた。
「それはそれとして、禁書庫の番人って響きが俺の男の子心を激しくくすぐるんだけど」
ぐったりするパックをうっとり見ていたベアトリスが、スバルの感想に表情の温度を著
しく下げる。自分の縦ロールに触りながら、それでもベアトリスは律義に答えた。
「さっきのにーちゃの説明がほとんどかしら。お前が入った、あの部屋がそうなのよ」
「ああ、あの本まみれの」
床が抜けないか心配になった蔵書量を思い出し、スバルは禁書庫という響きに納得。そ
の反面、あの蔵書全てが禁書扱いになると、それだけで犯罪的な感じが漂ってくる。
「ひょっとしてこのロリ、知らずに片棒担がされてる哀れなロリなんじゃ」
「何回聞いても腹立たしい単語なのよ。あと質問に答えてやったベティーを置き去りに、
世界一くだらないことを考えているのが伝わってきて死ぬほど腹立たしいかしら」
「カリカリすんなよ、小魚食えって。カルシウムとると心が落ち着いて背が伸びる。俺は
エミリアたんと俺ぐらいの身長差が、ラブコメするのにちょうどいいと思うんだけど・・・」
憤慨するベアトリスへの一言と装って、ちらちらとエミリアに色目を使う。が、エミリ
アは今のスバルの妄言を聞き流し、ベアトリスの方に詰め寄った。
「ちょっと待って。ベアトリス・・・まさか、スバルを禁書庫に招き入れたの?」
「・・・それこそ、まさかなのよ。ベティーがこんな得体のしれない奴をわざわざ招く必要
がないかしら。勝手に『扉渡り』の正解を引きやがったのよ」
額に青筋を浮かベアトリスは乱暴に席を立ち、無言で食堂の扉を押し開いた。と、
「あれ?廊下は?」
不可解な光景を前にして、スバルは間の抜けた疑問の声を上げていた。
眼前――屋敷の廊下へ通じてるはずの扉の向こうに、書架の並ぶ大きな部屋が広がってい
る。それは一度見た覚えのある場所であり、昏倒させられた記憶に新しい一室だ。
「これが『扉渡り』なのよ。その神秘を目に焼き付けて、せいぜい震えるがいいかしら。
―――にーちゃ、こっちへ」
禁書庫へ足を踏み入れて、勝ち誇るようにスバルを見たベアトリスが手を伸ばす。少女
の掌に、エミリアの下から飛び立つパックが着地。
それを確かめたベアトリスが扉を閉めて、向こう側に少女と猫の姿を隠してしまう。
「おお、すげぇ」
目を白黒させていたスバルをさらに驚かせたのが、何も言われていないのに閉じた扉を
開けてみせたラムの行動だ。乱暴に閉じる扉の向こうには、スバルが自らの足で歩い
てきた廊下が続いている。つい一瞬前の光景が嘘のように、だ。
「なるほど。つまり屋敷のどことでも自室に繋げられる魔法ってわけだ。ひきこもり
御用達で、トイレがピンチな時に便利だな」
「案外、っていうかあんまり驚いてないのね。そのひきこもりってなに?」
「疲れて帰ってくる家族のために、自らを犠牲にして家を守り続ける守護神のこと」
「えっと・・・すごい人?スバルも、ひきこもりだったの?」
「ぎゃふん」
煙を巻こうとして、逆に気遣ったエミリアにばっさり切られるスバル。
「はーぁいはい。それじゃ、紹介の続きといこーぉか。ラム、レム、ネム」
事項自得で凹むスバルと首を傾げるエミリアはさて置き、ロズワールが手を叩いて注目
を集める。名前を呼ばれた三姉妹が静々と前に出て、スカートの端を摘まんで揃ってお辞儀。
「改めまして、当家の使用人筆頭を務めさせていただいております、レムです」
「改めて、ロズワール様のお屋敷で平使用人として仕事をしている、ラムよ」
「改めまして、当家の使用人、主に姉様たちのお手伝いをしている、ネムです」
「姉様急激にフランクになってんな。いや、俺が言えた話じゃねぇけど」
腕を組むスバルの発言、三姉妹は手を取り合ってスバルを見た。
「だってお客様・・・改め、スバルくんは同僚になるのでしょう?」
「だってお客様・・・改め、バルスって立場同じの下働きでしょ?」
「だってお客様・・・改め、そうですね・・・浮かばなかったのでレム姉様にならってスバルくんは同僚になるのですよね?」
「おい、姉様。俺の名前が目潰しの呪文になってんぞ、それにネムネム浮かばなかったってなんだよ。少し悲しいじゃねぇか」
初対面の場では必ず一度は触れられる鉄板ネタだ。もっとも、ラムとレムとネムがそれを知っ
ているはずもない。もどかしさを堪えつつ、スバルはロズワールを振り返った。
「俺の立場ってアレか。やっぱ執事とかって使用人見習い的な?」
「現状だと三人の指示で雑用、ってのが一番だろぉーうね。不満だったりする?」
「不満があるとすれば、雇ってと養ってを間違えたさっきの自分にしかねぇな。よろしくお願いしますぜ、先輩方。超頑張るぜー、粉骨アレしてな」
「砕身」
「ソレしてな」
一瞬、出てこなかった単語を四人で指さし確認。それから「イエーイ」と手を伸ばすス
バルに三人がハイタッチで応じる。言わずとも、一番下のネムは手を重ねるように。すでになかなかの連携、というよりノリがいい。
「仲良きことは美しきかな。お互いのわだかまりもなーぁいみたいで、雇い主としても大
いにけっこうなことだーぁよ。ねーぇ?」
「不思議なことに波長が合ってな。あのロリより間違いなく相性がいいぜ!あのロリより!」
「よっぽどベアトリスと仲良し扱いされたのが嫌だったんだ・・・」
不憫ようなエミリアの呟きが、この集まりの終わりを意味する一言になった。
5
「それじゃ、バルス。行きましょうか」
そう言ったのは、ロズワール直々にスバルの教育係を命じられたラムだ。妹のレムとネムがテ
キパキと食堂の片付けを行う傍ら、手伝いもせずにラムは食堂の扉に手をかける。
「あ、呼び方はもう完全にそれでいく気なんだ」
「ええ、そうよ、バルス。ロズワール様のご指示だから、まずバルスに屋敷を案内する
わ。はぐれないでついてくるぐらいはできるでしょう?
「エミリアたんじゃねぇんだから、物珍しさでふらふらしたりしねぇよ」
「ス・バ・ル!」
王都での迷子の件をからかわれて、エミリアが頬を膨らませる。
この後、王都候補として色々とこなさなくてはならない執務や勉強があるエミリアとは
別行動だ。しばしの別れを前に、エミリアの美貌を目に焼き付けておく。
「んじゃま、名残惜しいけど行きますか、先輩」
「そうしましょう、バルス。それではエミリア様、また後ほど」
スカートの端を摘まんで、去り際にお辞儀をするラム。スバルはその背中に続こうとして、
「スバル。私もだけど・・・スバルも頑張ってね」
「なにそれ、超嬉しい。やる気がモリモリ出たわ」
ラムを見習い、ジャージの裾を摘まんでお辞儀。エミリアの見送りの表情を珍奇なものに
してから退室すると、通路で待っていたラムが顔をしかめていた。
「嫌そうな顔すんなぁ、姉様。ちょっとお茶目しただけじゃん。俺にだって別に、メイドと
下男を一緒くたにするほど、メイド文化に疎しくないぜ?そだ、制服とかってあんの?」
さすがにジャージ姿のまま使用人生活スタート、というのも味気ない。
スバルの言葉にラムは口元に手を当てて、「そうね」と頷く。
「服装は大事だわ。ちょうどいいサイズの服が・・・・ええ、確かあるはず」
「よっしゃ。じゃ、まずは着替えてからにしようぜ。俺って意外とフォーマル似合っちゃ
う気がすんだよね。優雅で、お上品に決めるぜ」
親指を立てて歯を光らせるスバルに、目測で体格を測っていたラムが上階を指差した。
「二階に使用人の控室があるから、着替えはそこね。バルスのサイズだと、きっと先々月
に辞めたフレデリカの服が合うわ」
「おー、ちょうどいいタイミングで辞めてくれたなフレデリカ・・・女じゃね?」
「ガタイはだいたいバルスと同じくらいだったわよ」
「でも性別違いますよね?」
足を止めたラムが白い目でスバルを見る。それから疲れたような額に触れて、
「優雅でお上品なフォーマル・・・いったい、何が不満なの?」
「全部だけど!?エミリアたんのなら金払ってでも見たいけど、俺がメイド服着て誰得な
んだよ!変な性癖に目覚めて俺得になったらどうする!俺、芽生えたくない!」
無能なまま異世界トリップして女装癖に目覚める。端的に言って死んだ方がいい。だが、
死んでも戻ってくるという恐ろしい能力をスバルは持っている。救いようがない。
そのままラムに案内されて、屋敷の西側へ向かう。ロズワール邸は真ん中の本棟、そし
て西と東に通路で繋がる二つの棟がある、計三つの棟で立っている建物だ。食堂やロ
ズワールの執務室がある本棟に対し、使用人の控室があるのは西側の棟になる。
「二階の控室の・・・そうね、プレートの下がっている部屋以外ならどれでもいいわ。好き
なところを私室にしなさい。そこに制服の替えも置いておくから」
「うーい、了解。んじゃ、そうだな・・」
屋敷での私室を与えられることになり、通路の端から候補を眺めるスバル。とはいえ、
位置が違うだけで中身は一緒のはずだ。階段に近い方が移動に便利だろう。
「んじゃ、この部屋を・・」
「にーちゃ素敵。最高の毛並みなのよ、ふわぁ・・・・」
何の気なしにドアを開けた瞬間、書庫の中で小猫と戯れるロリを発見した。
気配に気づき、ゆっくりと縦ロールの視線がスバルを向く。スバルは廊下に立つラムを
振り返り、ラムが首を振るのを確認した。それから親指を立ててサムズアップ。
「誰にも言わないから安心しろ。人はみんな、その感触の前では愚かな者なのだから―――」
「壮大に馬鹿なこと言ってないでとっとと閉めるかしら!」
「ぎゃふんっ!」
見えない力―――おそらく魔法的なものにぶっ飛ばされ、スバルは廊下の壁に激突。後
頭部を打ちつけて目を回すスバルを尻目に、激しい音を立てて扉が閉じられた。
頭を振り、今の暴挙に物申そうとしたスバルだったが、開けた扉の中身が空っぽの客室
になっていて肩透かしを食らう。『扉渡り』の効果が発動したのだ。
「一度、ベアトリス様が気配を消されたらもうわからないわ。屋敷の扉を総当たりしない
限り、あの方は自分からは出てきてくださらないから」
きっぱり、敗北を認めろとでもいうようにラムがそう言う。
後ろから慰めるように肩を叩かれ、その感触にスバルは己の敗北を―――
「すっげぇ、ムカついた。俺が悪いみたいなあいつの態度が悪い!」
認めなかった。
ラムの手を振り切り、スバルは振り返ると廊下を全力でダッシュ。目を見張るラムの前
で、廊下の一番端の扉の所まで駆け抜けると、
「ここだぁ!」
「―――ひゃんっ!?」
「すごいね、スバル」
少女の悲鳴と灰色の猫の賞賛。
再び『扉渡り』を破られたベアトリスの顔に動揺が走るのを見届け、今度は吹っ飛ばさ
れまいと即座に書庫の中に転がり込む。
書庫の中で許されないアクティブさに、ベアトリスは眉を立てて怒りを露わにする。
「埃がめちゃめちゃ上がったのよ!」
「てめぇがちゃんと職場の掃除とかしてねぇからだろうが!そもそも書庫に猫なんか連
れ込んでじゃねぇよ!厚手のカバーで爪とぎされるぞ!」
「ボクの手はリアに深爪されてるから平気だよ!」
がなり合うスバルとベアトリスの傍ら、のんびりとパックが呟くが口論する二人には届
かない。そのまま屋敷中に響くような声で、怒声を交換し合う二人。
遅れて禁書庫と繋がる扉に着いたラムは、二人の口論を見ながら小さい声で、
「仲はともかく、相性がいいのはホントのようだわ」
「―――そんなわけない!!」
シンクロした叫びが朝のロズワール邸を大きく揺るがしていた。
6
スバルの使用人生活は、そうして怒涛の勢いで火蓋を切った。
思いがけないベアトリスとのセッションを終えて、スバルは衣装部屋でラムに手渡され
た使用人服に袖を通している。白のシャツに黒い上着とズボンは、スバルをイメージする
執事の格好と違和感なく合致する。問題があるとすれば、
「おーい、ラムちー。とりあえず着てみたんだけど・・・」
「その呼び方に物言いつけたいところだけど、何か不都合が・・」
呼びかけに応じ、部屋の外で着替えを待っていたラムが入ってくる。悪態をつきながら
入室したラムは、着替えたスバルを見て言葉を途中で中断。顎に手を当てて、
「あったようね。問題は肩と、足の短さかしら」
「長さって言ってくれる!?シャツは大丈夫っぽいけど、上着の肩回りがきついわ。俺、
結構無意味に体鍛えってから、上半身ちょいマッチョなんだよね」
ラムの見立て通り、肩きつさと裾の余り具合が不恰好の原因だ。特に肩回りは脇が閉
まらない不具合っぷり。個人用に仕立てた服をお下がりにしようというのだから、こうし
た問題は出て然るべきだったか。
「裾はまくればいいとしても、上は無理だ。裾上げぐらいなら自分でもできっけど」
「バルスの意外な才能はいいとして・・・いくらなんでも、そんなに貧相な格好で働かせて
おくなんてできないわ。屋敷の、ひいてはロズワール様の品位が疑われるから」
「本人があの格好で品位なんてどこにあるの?」
無表情ながら、スバルの言葉にラムの機嫌が斜めに傾いたのがわかって閉口する。口を
閉じるジェスチャーを入れるスバルにラムは息をこぼした。
「中身が伴わない以上、せめて見た目ぐらい整えないと見れるところがないわ。とりあ
えず裾上げは後回しにして、上着だけでも直してしまいましょう」
「つっても、そっちのが難易度高いだろ?俺もさすがに経験値がねぇよ」
やってやれないことはないだろうが、と自分の裁縫スキルの限界に挑もうとするスバル
にラムは「心配いらないわ」と前置きをして、
「レム、ネム、いらっしゃい」
「いらっしゃいて・・・呼び出してもそんな都合よく・・」
「お呼びですか、姉様」
重なるステレオ音声。
「ふぉぉぉぉぉぉ!しかも二人ぃぃぃ!」
軽い調子の呼び出しに突っ込みを入れようとして、すぐ脇から現れたレムとネムに心底ビビる。
驚きのリアクションのまま固まるスバルに、三姉妹は同じ仕草で首を傾げた。
「何をそんなに驚いているんです?」
「何をそんなにビビっているの?」
「何をそんなにおったまげているのです?」
「びびってねぇよ!ちょっちびっくらこいただけ!三姉妹パワーすげぇな!あと、ネムネムきょうび聞かない!」
いわゆる三姉妹のシンパシー、離れていても通じ合えるというやつだろうか。と、感動す
るスバルの前で、ラムは「ハッ」と鼻を鳴らして、
「そんなわけないでしょう。通りかかったのが見えたから呼んだだけよ。おめでたいわね」
「最後の一言のあるかないかで、俺の心のヒビ割れ度が大きく違うよ?」
「それで、何のご用でしょう。あまりスバルくんに構ってる暇はないんですけど」
「そうですよ、スバルくん。ネムたちは忙しいのですから」
「お前たちはお前たちでそつのない感じで傷つけにくるな!新入りに!優しくしよう!」
とはいえ、屋敷の維持にレムとネムの力が不可欠なのは事実。あまり足止めするのもよくない
はずだが、そんなレムとネムに対して長女はスバルを指さして告げる。
「レム、ネム、無様なバルスの姿を見て気付くことは?」
「肩回りがおかしいのと、足が短いことと」
「目つきが恐いことですか?」
「どうにもならない部分が二ヵ所入ってきたな!顔面偏差値は、普通の偏差と違って
本人の努力じゃどうにもならない分野だよ!」
スバルの訴えを余所に、姉妹は話し合いを進めている。当事者なのに蚊帳の外のスバル
は、いそいそ長い裾をまくる作業に従事する。そして、
「バルス、レムに上着を渡しなさい。明日の朝までには着れるようにしておくから」
「それは助かる、けど・・・いいのか?仕事、山積みなんじゃ」
「もちろん大忙しです。ですが、ネムと分担すれば余裕がるのですぐに渡してもらえた方が」
「あー、わかりました。お願いします」
正論を言いつけられて、スバルは脱いだ上着をレムに手渡す。上着を受け取ると、今度
はレムは衣装部屋を手で指し示し、中に入るよう顎をしゃくってくる。
「採寸しないといけませんから。自分ではできないでしょう?」
「・・・何から何まで、世話になりっぱなしで悪いな」
「構わないわ。この貸しはいずれ、より大きなものとして返してもらうから。ネムにも感謝することね」
「お前が言うと筋違いだし、嘘とも冗談とも思えねぇから恐ぇよ!あぁ・・ネムも感謝してるよ」
「構いません。スバルくん、姉様の指示ですから・・それに褒められますし・・ふふ」
「最後、チラリズムしてますよ。ネムさん」
この場で誰よりも偉そうなラムと本音が漏れているネムを廊下に残し、スバルはレムと衣裳部屋の中へ。
衣装部屋には使用人用の制服だけではなく、ロズワールの着替えの数々も保管されている。
奇抜で、いよいよサーカスか何かの衣裳部屋のように感じられる色合いの服ばかりだ。
趣味の悪い主の衣裳ゾーンを抜けると、いくつか控えめだが華のある衣装が覗ける。王
都で見たことのある衣裳があるそこは、おそらくエミリアの着替えが並ぶエリアだ。
「全部、眺めて回りたいような、着てる姿が見られるまでとっておきたいような・・・」
「ぶつぶつと何を言っているんです?奥まできてください」
いくらか険のある声で呼ばれて、さすがのスバルもそれ以上は茶化さずに指示に従う。
衣裳部屋の奥には試着室ではないが、仕切りの置かれたスペースがあり、レムがそこで細
い紐を手にスバルを待っていた。等間隔で印の入る紐は、メジャー代わりの道具だろう。
「そこに背筋を伸ばして立ってください。両手、肩の高さで伸ばして」
「ほいほい、了解。お願いします」
「レムに背中を向けて、スバルは指示通りに両手を伸ばして立つ。背後から小さな体を伸
ばし、スバルの腕と背中周りに紐をかけるレム。触れる柔らかな感触と息遣いに、ふいを
突かれたスバルは「うひ」と肩を震わせた。
「あまり変な声を出さないでください、スバルくん。不愉快です」
「今のは不可抗力だろ!色々とこそばゆくて男の子は大変なんだよ!」
心なしか冷たいレムの言葉に応じて、スバルは気を紛らわすための話題を探す。
「そういえば、ロズっちとかエミリアたんの服っぽいのはちらほらとあるけど、レムたち
の服とかあのロリのドレスって見当たらないな。別室?」
「ベアトリス様の御着替えはご自分の私室の方に。レムと姉様とネムはこの制服以外、衣装の持
ち合わせはありませんから、着替えだけ私室にありますよ」
当たり前のようなレムの答えに、スバルは眉根を寄せる。と、そんな合間に採寸を終え
たレムが手近なメモに何か書き込んでいる。そのレムにスバルは腕を組んで、
「制服以外持ってないって、全部、メイド服なの?お出かけとか休日は?」
「ロズワール様の公務に同行するときや、屋敷の仕事では問題ありません。身分を示す
意味でも、説明する必要がなくて合理的だと思いますよ」
「合理的とかってんじゃなくて・・・こう、美少女は可愛く着飾って、人の目を楽しませる
義務があると主張したいね、俺は」
「姉様やネムならともかく、レムが着飾っても誰も喜びませんよ」
「とりあえず、俺は喜ぶよ?」
「スバルくんを喜ばせて、何かいいことがあるんですか?」
「使用人生活に張りが出て、作業効率が上がるかもしれない。合理性の追求じゃね?」
口の減らないスバルの態度に、レムは少しだけ驚いた顔をする。少女の無表情を崩して
やれたのが嬉しくて、スバルは口の端を歪めて笑った。
「何がスバルくんをそこまで言わせるのか、レムにはわかりかねますね」
「髪型とか揃えて制服まで同じでも、性格の違いで服選びには個性が出るかなーって期待
してみたり。メイド服似合ってるし、ネムは違えど、双子ってステータス的にはそれもいいけど」
今の格好も、十分すぎるほどに可愛いのだが、揃いの髪型に揃いの服装。双子のお約束
ともいえるそこに、『個性』というエッセンスを加えたいのも人の情。
そんな感覚からのスバルの提案だったのだが、
「―――です」
「へ?」
「余計なお世話です。レムが姉様と同じで、何か不都合があるんですか」
目を丸くするスバルに、レムがこれまで以上に感情の凍えた表情でそう言った。
さっきまでの軽口を交換する雰囲気と違ってしまい、スバルは思わず口ごもる。
「・・・おかしなこと言ってないで、戻りましょう。姉様を待たせすぎるわけにもいけませんし、それに
ネムにも無理をさせすぎるのもいけません、スバルくんには覚えてもらわなきゃいけないことがたくさんあるんですから」
有無を言わせない態度で言い切って、レムはスバルに背中を向けて部屋の出口へ向かう。
釈然としない思いを抱えたまま、スバルは歩く背中に続きながら、
「姉妹、好きすぎるだろ、それは・・」
口の中だけで呟いて、一筋ではいかなそうな少女との付き合いに、先行き不安な吐息
をこぼしたのだった。
7
採寸を終えて、衣裳部屋の外でラムと合流し、代わりにレムとは別行動になった。
「上着の直しは夜の内に。明日の朝までには終わらせて届けますから」
仕事が詰まっているはずのレムはそう言い残すと、ラムに意味深な目配らせをしてからそ
の場を立ち去った。目と目で通じ合う二人の態度に、スバルはラムの肩をつつく。
「なぁ、さっきのレムのアイコンタクト、何て言ってたんだ?」
「二人きりになるとバルスがいやらしい目をするから気をつけて、だそうよ。ケダモノ。これはネムにも共有しないといけないわね」
「あれだけのサインにそんな意味が・・・おい、ちょっと距離とるなよ、傷付くから!あと、なんでわざわざ姉妹共有すんだよ!」
「当たり前じゃない、ネムはラムとレムの自慢の可愛い妹だもの。ケダモノに襲わせるわけにはいかないわ」
己の肩を抱いてスバルから離れるラムに傷心しつつ、今度こそお屋敷の使用人としての
時間がスタートだ。
使用人控室や備品倉庫、禁書庫ではない普通の書庫などがある西棟。東棟は逆に来客を
迎える用の貴賓室や、滞在客用の客室などが並ぶ建物であり、屋敷の機能の中枢が集約す
る本棟と比べると見るべき点は少ない。
「おおよそ、屋敷全体の案内はこれでおしまいね。後は建物の外に庭園と、屋敷と門の間
の前庭があるわ。そっちも後で見て回るけど、ここまで質問は?」
「案内イベントって、エミリアたんがやってくれるべきイベントな気がしないか?」
「ないようだから、実際の仕事の方に移りましょうか」
案内の最中、足を止めるたびにスバルの脱線に付き合わされた結果、ラム本人の気質も
相まってスバルの発言をスルーするのに慣れたものだ。
この数時間で距離が縮まったのか判断に難しいところだが。
「今日のラムの仕事は、ちょうど前庭と庭園の手入れと周囲確認。昼食の準備を手伝って、
その後、陽日八時から銀食器を磨かないと・・・それをバルスにも手伝ってもらうわ」
「それは全然やるけど、ちょっと陽日とかって表現について聞いていいか?」
今朝、目覚めのときにも聞かされた用語だ。陽日、とはおそらく明るい時間帯のことを指
しているのだと推測しているが。
「陽日八時とかってのは時間の表現だよな・・・時計とかって、あるのか?」
「トケイ・・・?魔刻結晶なら、屋敷の至るところにあるでしょう。そこにも」
ラムが指差す方を見て、スバルは鋭い光を放つ結晶を見つける。廊下の壁の上部
―――元の世界なら柱時計でも置かれてそうな位置に、その結晶は取り付けてあった。
ぼんやりと淡い緑色の光を放つ結晶に、スバルは目を細める。
「気になってはいたけど、あれが時計代わりか。どう判断したらいいんだ?」
「陽日の零時から六時までが風の刻。そこから六時間刻みで火の刻。冥日零時からが水の
刻と地の刻よ。―――――こんなことも知らないで、どこの未開の蛮族なの、バルス?」
「実際の未開の蛮族はその言われようにYESとは答えねぇからな」
散々な言われようだが、常識力の欠落したスバルに対する評価としては真っ当だろう。
思い返せば、スバルの目覚めた客室にも魔刻結晶とやらは設置されいた。そのときと
比べると、結晶の緑の色合いがやや濃くなっている気がする。
「ひょっとして、時間経過で色の濃さとかが変わるのか?」
「・・・・風の刻は緑。火なら赤、水なら青、地なら黄色。他に欲しい説明は?」
「時間関係はいいや。陽日と冥日が、午前と午後みたいな呼び方なんだな」
腕を組んで頷くスバルに、額に手を当ててラムは疲れた様子だ。
「仕事を一から仕込むだけでも一苦労なのに、一般常識の欠落まで・・・いったい、いつか
らラムは給仕でなく調教師になったのかしらね」
「仕込むとか調教とか、聞くたびに怖気が立つ言葉選びするのやめましょうぜ、先輩」
先輩、という呼び名にラムの眉がピクリと動く。心なしか、悪くない感触であった気が
してスバルは「そういえば」と前置きしてから、
「今でこそ屋敷には三人しかいないけど、まさかずっとそうだったわけじゃないんだろ?
さっきも言ってた、辞めたメイドってのもいたみたいだし」
「・・・別邸にはロズワール様の親戚筋の方々がいらっしゃるから、これまでの同僚のほと
んどはそっちね。ラムやレムやネムはロズワール様のお世話するためだけに、本邸の方で仕事
をしているから」
「本邸と別邸・・・逆じゃなくて、こっちが本邸?」
「メイザース家の当主である、ロズワール様の邸宅が本邸に決まっているでしょう。親戚
といっても、他の方々はメイザースの分野筋でそれほどの関係が深いわけではないから」
複雑な家庭環境にありそうなのは、やはりロズワールが貴族の家系だからだろうか。
雇われの身になる以上、まったくの無関係とはいかなそうで気を引き締める。それ以前
に、女王候補のエミリアともすぐ近くで接する立場なのだから。
「世話する相手がロズっち一人でも、この規模の屋敷を二人で維持とか無理だろ。そのあ
たり、もっとどうにかなんねぇの?」
「―――今は、無理でしょうね。事情があるから。それより、無駄話は終わりよ」
手を叩き、いつまでも終わりの見えない話に終止符を打って、ラムが悠然と歩きだす。
まだまだ聞きたいことは尽きないが、常識のすり合わせは仕事をしながらでもできる。
不興を買って追い出されないためにも、まずは仕事に全力で取り組むこと。
「勤労経験のない俺に謎の前向きさあがみなぎる。やっぱり、美少女の存在は違う」
「ラムを褒めても何も出ないわよ。指導に手抜きも、温情もないわ」
「姉様は妹たちを見習って少し謙虚になった方がいいな!」
衣裳部屋で交わしたレムとの会話を反芻して、スバルは思わずそう突っ込んだ。
8
「ぁだ―――――っ!」
真新しい傷口から赤い血を滴らせて、スバルは半泣きで悲鳴を上げていた。
血の出る左手を振るスバルを見て、隣で同じ作業に従事しているラムが目を細める。
「反省のないことだわ。バルス、上達って言葉知らないの?」
「けどね、先輩。俺、箸以外の調理道具を触ったことないとこからスタートなんですよ」
言い訳をしながら切った指を口に含み、口内に鉄の味を感じながらスバルは膨れる。
場所は厨房で、時間はお昼時より少し前。ラムと一緒に庭の手入れを終えて、屋敷に戻
った二人は昼食の準備するレムの手伝いをしていた。そこに、
「姉様たち、ただいま戻りました。頼まれた仕事はあらかた終わりました」
「ご苦労様、ネム」
「ご苦労様です、ネム」
「えへへ」
微かなに頬を赤らめ撫でられるのを気持ちよさそうにしている。
一番下の妹であるネムが遅れて厨房に合流したネムに調理をしていた双子はかけより頭を撫でる。
「お、これぞ、姉妹愛。ついでに、俺も失礼して・・・」
どさくさに紛れスバルもネムを撫でようと手を頭に伸ばすが
「うぅぅ・・・!!」
「なんだよ、俺は撫でさせてもらえないってか!うぅぅって猫かよ」
「ハッ、残念だったわね、バルス」
「ネムを愛でるのはレムたちだけの特権です」
双子は顔を合わせてドヤ顔でスバルを見る。そんな姉妹愛を見せつけられる。
「その姉妹愛は納得いかないけど一旦置いといて、姉様まで皮むき担当って実際どうなのよ。姉の威厳とかは」
「得意分野は任せて、長所を活かした仕事をするの。ラムの出番はここじゃないわ」
「事前に得意分野でも能力値で負けてるって聞いてるんですけど!?」
掃除洗濯量料理裁縫、およそ家事技能では全てレムやいなか、ネムまでにも劣ってるいるかもしれないと
いう現時点での情報。
実際、野菜の皮を剥くラムの手つきは十分に手慣れた人間の領域だが。
「姉様もネムもスバルくんも、そろそろ準備は大丈夫ですか?」
そう言いながら、いつのまにか自分の持ち場に戻っていたレムが、皮剥き担当の二人が目を剥きそうな勢いで調理を進めるレムがいるのだから形無しだ。レムの手際の良さは尋常の域になく、調理作業そのもの
がパフォーマンスのように感じられるほど洗礼されている。
隅っこで競い合うように、レベルの低い雑用に追われている二人は大違いだ。
大鍋に材料を流し込み、かき混ぜていたレムが振り返る。そして、黙々と皮剥きする姉
と出血するスバルと姉の近くでフルーツを切っていたネムを見て、レムは何事もなかったように頷くと、
「さすがは姉様は、野菜の皮剥きする姿も絵になります。ネムもだんだん上達してますねいい子です」
「清々しいまでの身内びいきだな!俺の仕事ぶりにもコメントが欲しいです!」
「そのお野菜を作った畑の持ち主が可哀想です」
「心が痛いからやめて!」
レムの視線の先、転がるのはスバルが手掛けた無惨な野菜の残骸たちだ。ジャガイモ風
の野菜は元のサイズの半分ほどになり、それでも皮が残っている体たらく。おまけにそれ
なりに深く手を切ったせいで、まな板の上には血が滴っている。
「バルスはナイフの扱いがなってないのよ。皮剥きするとき、野菜じゃなくナイフを動か
してるから手を切る。ナイフは固定して、野菜の方を回すのよ」
なかなか血が止まらないスバルを横目に、ラムが助言しながらジャガイモを綺麗に剥
いてみせる。皮が途切れずに頭から最後まで繋がった、見事な一枚剥き。
「何を隠そう、ラムの得意料理は蒸かし芋よ」
「勝ち誇った顔で何を言いだしてんだよ!クソ、見てろ。俺の愛刀『流れ星』が、お前
に目に物見せてくれちゃるぜ!」
負けん気に任せてナイフを手に取り、木製の柄を握り締めて気合を入れる。何の変哲
もない普通の果物ナイフだが、今日からこいつがスバルにとっての愛刀『流れ星』だ。
「うおお――――!」
と、声を上げながら体を小さく丸めて、ラムのアドバイス通りにナイフは固定して野菜
の方を回す。最初に深々と身を抉ったが、その後は快調に滑り出して内心で驚いた。
ちらと横目にすれば、指摘通りにやってのけるスバルに自慢げな顔のラムがいる。素直
に感謝するの癪なので、スバルは無言で皮剥きに集中―――と、
「そんな熱心に見つめられると照れるんだけど・・・どうしたの?」
じっと、自分を見るレムの視線に気づいてスバルは顔を上げる。一通りの準備を終えた
レムは背筋を正したまま、作業するスバルを無言で見つめていた。それを指摘されて、レ
ムはわずかに驚いた顔をしてから言葉を紡ごうとする。
「―――バルスの格好の無様さが目につくんでしょう。特に頭、品がなさすぎるわ」
が、レムが何かを言うよりも先にラムの言葉が割り込む。その言葉にスバルは首を傾げ、
「これ、自前でやっててわりとうまく切れたと思ってんだけど・・・」
「少なくとも、使用人として置いておくのに落第点なのは間違いないわ。――――ねぇ、レム」
「・・・・え、はい。そうですね。確かにちょっと少しだけほんのさわやかに気になります」
「だいぶ気になるみたいで悪かったですね!」
奥ゆかしい物言いがかえって評価をはっきり示していて、自分の仕事にそれなりの自負
があったスバルは地味に凹む。そんなスバルにラムは「八ッ」と鼻を鳴らし、
「ちなみに、屋敷の人の髪はレムとが手入れをしているわ。ラムの髪の手入れや朝の着付け
もレムのお手製よ。それに、ネムの髪もレムのお手製だから完璧ね」
「なるほど、双子だし互いにやれば鏡映しに・・・妹もあんだけ可愛くて言い方おかしくね?」
今のラムの言い方だと、まるで一方的にレムだけが奉仕している形に聞こえた。しかし、
聞き返すスバルの前でラムは腕を組んでふんぞり返る。
「バルスの思っているとおりよ」
「少しは妹たちに貢献しろよ!姉様!」
ダメな部分を留まることなく発揮するラムは、スバルの叫びも素知らぬ顔だ。それから
ラムはレムが整えているという桃色の髪をそっと撫でてレムを見やり、
「よかったら、レム。バルスの髪、少し整えてやるといいわ、そうね、ネム。ネムもいい機会だし髪を梳くのを手伝うといいわ」
「おいおい、女の子に髪の毛いじられるとか、ドキドキして手元が狂うっつの、しかも二人だろ?」
「姉様?」
「姉様?」
唐突なラムの提案に、スバル、レムとネムが困惑を露わにする。そうして物問いたげな顔をす
る妹にラムは赤い瞳を向けて、わずかに声のトーンを落とした。
「―――髪が気になるから、バルスを見つめていたのでしょう?」
「・・・はい、そうです。ちょっと梳いて、毛先を整えるだけでも見栄えが変わると」
「だそうよ、お言葉に甘えるといいわ。レムとネムの手さばきで、天国に行けるから」
「なんかいやらしいお願いしてるみたいな言い方すんなぁ」
乗り気に見えないレムとネムは、姉の態度に押し切られた形に見えて申し訳ない。
性格の問題か、スバルに対してしすでに遠慮が欠片もないラムと違い、レムの方はまだスバルへの態度を決めかねている様子、ネムの方は明らかに壁を感じるが。距離を知事めること自体はスバルも賛成だが、
「嫌なら嫌って、そう言った方がいいと思うぜ。嫌がられたいわけじゃないけど!ネムに関しては顔が引きつってるし!」
「いえ、そんなことは。レムも少し、かなり少し、とても少し気になるのは事実ですから」
「そんなことありませんよスバルくん。姉様の提案ですから、承ります」
すごい気にされているのはわかって、スバルは自信を喪失する。個人的には決ま
っていると思っていただけに――などと意識を疎かにするうちに、
「―――あ」
四者の声が重なり、『流れ星』がジャガイモからスバルの指へとシフト。浅く桂
剥きに手の皮が持っていかれて、スバルの悲鳴が上がる。
「うおわー!やっちまった!さっくり持ってかれた―――――ッ!」
「愛刀が聞いて呆れる関係性だわ。愛が一方通行なら、偏愛刀に呼び変えたらどう?」
「姉様。そろそろお湯が湧きますので、切ったお野菜をこちらに・・・」
「お前ら、もうちょっと新人に興味もとうぜ!」
仕事優先の姿勢は素晴らしいことだと、そう褒める気力はスバルにはなかった。
9
―――――時間は半日ほど経過する。
「つか、れた―――ぁ!」
言いながら、全身でベットに倒れ込んで全力で脱力するスバル。
場所は使用人として与えられた一室であり、今日からスバルが寝起きすることになる私
室だ。寝台と、簡易な机と椅子が備え付けられた質素な部屋で、看病されていた客室に比
べるとさすがに品格がいくらか見劣りする。
「まぁ、金がかかりすぎてても息苦しいし、こんなもんでいいんだよ・・・」
枕に顔面を埋めながら、それでも高級感で自宅に勝る匂いと感触を堪能する。休息を味
わうスバルの格好は、制服からジャージへと早変わりしており、慣れしたんだ服には今後
は寝巻きとして活躍してもらうつもりだ。
「あー、こき使われたこき使われた。勤労ってすげぇわ、世の働くお父さんたちのすごさ
がマジでわかった。一日でこれとか、半端ないッスわ」
軋む体をほぐしながら、一日の仕事内容を振り返って正直な感想を漏らす。
勝手のわからなさが大きかった部分もあるが、自分の手際の悪さに失望したのも事実だ。
唯一、救いがあったとすれば教育係であったラムの態度だろうか。
「意外にも、スパルタではあるけど懇切丁寧に説明してくれて・・・・お?」
ふいのノックの音に呼ばれて顔を上げる。と、扉の向こうから聞こえるのは、
「ネムです。スバルくん、今いいですか?」
「あ、大丈夫大丈夫。変なこととかしてないから、入っていーぜ」
「かえって信憑性の薄れる許可ですね。変なことしたら姉様に言いつけますからね。失礼します」
扉を開けて、部屋に入ってきたのは制服姿のままネムだ。一瞬、ネムの来訪にスバル
は眉を寄せたが、彼女が手の中に黒の上着を抱いているのを見て理由がわかった。
「ひょっとして、もうできたのか?仕事が早いなんて話じゃねぇぞ」
「そこはレム姉様の手際が相まってのことですね。流石はレム姉様といったところです」
「姉様大好きなのはよーくわかったぜ」
自慢げに話すネムから上着を受け取り、軽く広げてみてから袖を通す。直す前は脇が
締まらず、肩回りが悲惨なことになっていたが服だが。
「む、悔しいけど、完璧な出来栄え。綺麗に腕が回る回る・・・どうよ、似合う?」
「その灰色の服の珍しさと合わせて、珍奇な格好させたら右に出るものはいませんね」
「よーし、褒めてねぇわ。さすがにそんぐらいはわかるぜ!姉様そっくりだな!」
執事風上着に下がジャージなのだから、ネムの評価は順当なところだ。むしろ受けを狙
いに走った部分があるので、姉様自慢のネムはさておき。ただ、
「そういえば、裾の方はどうしますか、とレム姉様が」
「裾・・・・ああ、ズボンの方か。やべ、忘れた。針と糸があれば自分でやれるけど」
「持ってきてます。ネムでもこれくらいならできますので、やってしまいましょうか」
厚意で提案してくれる以上、ネムの方に悪気や悪感情はないらしい。それはそれで、素
で毒を挟まれているkとになるので問題だが、芸風だと割り切って流しておく。
ともあれ、スバルはスバルで俺だってできるんだってところを見せつけたい気持ちがある。
「よし、針と糸を寄こしてくれ。裁縫スキルで、今日一日の俺の評価を塗り替えてやる」
「今日のお昼の準備で、ネムでもできる野菜皮むきに苦戦した人の器用さに期待しろと」
「くくく、侮れるのも今の内だけだぜ。せいぜい、驚くリアクションを準備しておけ」
自信満々なスバルに諦めた様子で、ネムが懐から出した異世界風ソーイングセットを渡
してくる。受け取り、具合が元の世界とほとんど違わないことを確認。手慣れた仕草で針
に糸を通し、いそいそと制服のズボンの膝に乗せて裾上げに入る。
「ふんふんふふーん」
「・・・・意外です。本当に、手慣れてるんですね」
鼻歌まじりに生地に針を通すスバルを見て、ネムが感嘆の吐息をこぼす。
鮮やか、といっていい手つきで針が素早く往復し、鼻歌のサビが終わる前に、
「うし、片方終了。ほれ、見てみ。ちゃーんと、縫えてるだろう?」
自分の仕事を見せつけるように裾を伸ばしてやると、ネムを顎を引いて素直に認める。
その応答に機嫌を良くして、スバルはもう片方の裾にも着手。そのスバルに、
「えと・・・スバルくん。お昼のときの、お話ですが・・・」
「んー、昼?昼って、なんかあったっけ」
「あ・・・・いいえ、忘れてるならいいんです」
顔を上げなないスバルの前で、ネムが小さく首を横に振った。その彼女の反応に目を細め
て、スバルはそれが昼食の準備中に交わした散髪の話だと思い当たる。
「髪の毛の話か。あれ、その場限りの冗談かと思ってたよ、ネムまで付き合わせちゃって」
「いえ、それはいいんです。姉様の提案ですから、ですが、同僚といっても
スバルくんはエミリア様の恩人で、立場が違うのに」
「そんなへりくだるような態度とられても困る・・・つか、そんな風に思ってんの?」
同僚扱いはできない、と互いの立場に隔たりを残した発言が耳に残る。
質問に眉を寄せるネムを見て、スバルは乱暴に自分の頭を掻き毟った。
「正直、扱いずらい立場な自覚に欠けていたか。気、遣わせて悪い」
「いいえ、こちらこそどうしよもないことを言いました。忘れてください」
「そうも簡単にいかないのが人間の小難しいところでな。さって・・・」
顎に手を当てて、スバルは目を伏せてネムを見る。失言を悔いてるようにも、ス
バルからの注意を持っているように見えるしおらしい姿だ。その姿に、言葉が決まった。
「じゃ、条件を出そう。それを呑んでくれるんなら、今の話はさっぱり忘れる」
「条件・・・?わかりました。何なりと、お聞きします」
指を一つ立てて提案するスバルに、ネムは一度、目をつむってから覚悟の表情で頷く。
そこまで大仰な内容を振るつもりのないスバルは苦笑して、それから言った。
「俺の髪の毛、毛先揃えて整えて、軽く梳くのネムも手伝ってくれんなら許してやるぜ」
「・・・・・・」
「沈黙選ばれるとわりと痛い感じなんだけど、俺」
逆提案にネムは無言、その沈黙にすぐ耐え切れなくなったスバルが音を上げると、ネム
はその紫紺の瞳にスバルを映し、小さく吐息した。
「エミリア様もおっしゃっていましたけど、スバルくんは欲のない人なんですね」
「おかしいなぁ。呆れられるより、惚れ直させるシーン演出のはずなんだが・・・」
「姉様たちから、二人きりになるといやらしい目をすると聞いていました。特にラム姉様からは念押しされたので、今の提案についてもネムは正直、少し覚悟をしてしまいました」
「風評被害がひどいな!俺ロリコンじゃねぇし!」
口さがないラムの発言が、その内にエミリアにまで飛び火してしまいそうで恐い。そう
なる前に、エミリアに対して直接予防線を張っておく必要があるだろう。
内心でラムへの対抗策を練るスバルに、ネムはスカートの両端を摘まみ、
「条件、承りました。――――レム姉様にもネムから伝えておきます」
と、丁寧にお辞儀して、仲直りの提案を受けてくれる。
その芝居がかった仕草にスバルは笑い、それから手元に目を落として、
「ほれ、そうこう言ってる間に裾上げ完了だ。ちゃんとできてるだろ?」
「・・・はい、確かに。裁縫に関しては文句なしです。ただ、スバルくん自身と同じであまり使
い所が見当たりませんし、昼間のあの行いはまだ許してませんが」
「あれ!?仲直りした直後だったと思ったのに!?」
作業完了したズボンを手に、納得するネムが遠回しに毒を吐く。それにスバルが突っ込
んで、さっきまでの気まずい雰囲気の解消だ。
ソーイングセットをネムに返却して、それからスバルは自分の頭を撫でる。
「で、髪の毛だけど・・・いつにする?レムの都合もあるだろうし、さすがに今日は、もう遅くてキツイよな」
「そう、ですね。レム姉様は忙しいですし、ネムだけってのにもいきませんからね・・・残念です」
「じゃ、機会を作ってだな。散髪、人にやってもらうのとか超久しぶりだわ!」
中学の真ん中ぐらいからなので、もう丸五年近くは自分で切っていたことになる。慣れ
具合としては、手で触っていれば鏡ないでも切れる腕前だ。
「では、そろそろ時間も時間ですから失礼します。明日も朝から仕事ですけど、ちゃんと
起きれますか?」
「正直、あんまり自身ねぇな。目覚まし時計があれば起きれる体質と自負してるけど、そ
んな便利な道具なさげだし。そもそもネムはちゃんと起きれるのか?」
「なんですか、こう見えてネムの歳は15です。朝くらいちゃんと起きれますよ」
「と、いいながら姉様に起こしてもらってんだろ?」
「なにを・・まぁ、とりあえずレム姉様かラム姉様が起こしにくることにします」
そんな調子でからかわれながらもネムは助け舟を出してくれる。
「マジで?でも、先輩方を目覚まし代わりに使うなんて悪い気が・・・てか、しっかりネムさん寝てるじゃん」
「それで起きてこなくて、夕方まで寝過ごされてしまっても困ってしまいますから」
「しっかりシカとしますね!それにしても、どんだけ寝坊助だと思われてんだよ俺・・・」
「とりあえず、丸一日は目覚めないぐらいでしょうか」
それがネムなりの冗談なのだと、ずいぶん遅れてスバルは気づいた。
そんな会話を最後に、提案を受けたスバルに一礼してネムは部屋を出ていく。
扉に遮られ、見えなくなる少女に手を振りながら、スバルは思う。
「口ではなんだかんだ言うけど、やっぱり姉妹だわ、あの三人」
慇懃無礼なレムと、傲岸不遜なラム。それに、レムの性格に似る慇懃無礼なネム。
それでも思いやりすぎるぐらいに思いやりがあるあたり、同僚としてどこまでも好ましい三人だとスバルは思った。
10
―――それから。
「そーぉれで、その後のスバルくんの様子はどんなもんだい?」
時刻は夜―――すでに太陽は西の空に沈み、上弦の欠けた月が夜空にかかる頃、その密や
かな報告は行われていた。
広い部屋だ。中央には来客を出迎える応接用の長椅子とテーブルが置かれ、奥には部屋
の主が執務を行うための机と椅子が配置されている。黒檀の机には書類と羽ペンが転が
り、すぐ傍らにはまだ湯気の立つカップがほんのりと柔らかな香りを漂わせていた。
ロズワール邸本棟の最上階、主であるロズワール・L・メイザースの執務室だ。
椅子に腰かけ、最初の問いかけを作ったのはそのロズワールである。
囁くような声だったが、相手には問題なく声は届いた。それもそのはず。ロズワールが
言葉を交わす相手は彼の膝の上で、体を小さくして横座りになっているのだから。
「あの啖呵から五日―――そろそろ、見えてくるものがある頃じゃーぁないかね」
「そうですね。―――全然ダメです」
耳元に主の声を聞きながら、桃色の髪を撫でらられるのはラムだ。部屋にいるのはロズワ
ールとラムの二人だけで、ラムにとって半身ともいえる双子の妹の姿と一番したの妹の姿はそこにはない。
それは単純に、今日の報告の本題がスバルのことであり、ラムが教育係のためだ。
その教育係の明確なダメ出しに、ロズワールはきょとんとした後で噴出した。
「あはーぁ、そうかい。全然ダメかい」
「バルスは本当に何もできません。料理もダメ、掃除もヘタクソ、洗濯を任せようとする
と鼻息が荒い。裁縫だけ妙に達者ですけど、それ以外はどれも任せれません」
「女の子が多い所帯だし、それも含めて由々しき事態だーぁね」
あの年頃なら仕方ないかなぁ、と苦笑する主を見上げ、ラムはスバルが雇われてからの
四日間を振り返る。その短く濃密な時間が克明に思い出されるたびに、ラムの端正な面持
ちが無表情の仮面を剥がされて歪むのが傍目にもわかった。
「君がそんな顔をするなんてめーぇずらしい。そんなにダメかい」
「ダメダメですね。下手のではなくて、知らない様子です。育ちがよほど良かったとし
か思えません。ですが、それにしては教養に欠けます」
「手厳しいねーぇ」
笑いを噛み殺すロズワール。ラムは小さく吐息をつくと、主人の腕の中で体勢を変えて
横座りの身をさらに内側へ潜らせる。ラムの桃髪を、大きな掌が柔らかに撫でた。
「それじゃラム、肝心のお話だ。―――間者の可能性は、どうかな?」
声音の調子は変わらないまま、ロズワールは笑みを崩さず問いかける。主語のない問い
かけだが、求めている答えはわかっていた。ラムは目を閉じ、少し考えこんでから、
「否定はできませんが、その可能性はかなり低いと思います」
「ふーぅむ、その心は」
「良くも悪くも・・・というか、特に悪い意味で目立ちすぎです。当家に入り込む手段もそ
の後も・・・そもそも、バルス自身が」
口ごもりながらもズケズケと答えが出る。
我が意を得たり、とばかりの主人の微笑み。その微笑みを直接向けられたわけではないの
に、ラムは己の頬が赤くなるのを自覚していた。
「なるほど納得。となると、彼は本当に善意の第三者か」
言いながら椅子を軋ませ、ロズワールが体の向きを変える。机に向いていた体を正反対
―――ちょうど、月明かりが差し込む大窓の方へ。
左右色違いのロズワールの瞳が細められ、眼下の光景に口の端をゆるませる。
「しーぃかし、彼もめげないもんだーぁよね」
執務室から見下ろせる屋敷の庭園。その一角に、銀髪の少女と黒髪の少年が談笑してい
るのが見えた、相変わらず少年が一方的に話しかける形だが、少女も嫌がってはいない。
「微笑ましいものだーぁね。ああいう情熱はもう、私には持てないものだよ」
「アレぐらい追いかけてきてくれた方が、女は嬉しいものですよ」
独白めいた言葉に返答し、ラムは至近で見つめてくるロズワールの双眸と見つめ合う。
が、艶めいた雰囲気に反し、ロズワールは悪戯っぽく目を細めた。
「ひょっとして、意外とスバルくんを高評価してたり?」
「・・・・全然ダメですが、悪いとは思いません。仕事に関しても物覚えは悪くないし、ただ
知らないだけですから教え甲斐はあります」
ラムが不満を瞳に宿して冷たい声で応じると、ロズワールはラムの髪を梳いていた手で
その頬をそっとなぜる。陶酔したように押し黙るラムに、ロズワールは今の答えを思う。
ラムがこうして他人を評することは珍しい。
知る機会を得ればもっと伸びる、と言外に進言しているのだ。よほど、黒髪の少年はメ
イド三人のお気に召したのだろう。懸命な姿は美しい、とロズワールも頷く。
「私の立場としては、邪魔すべきなんだーぁろうけどねーぇ」
黄色の瞳だけで庭を見下ろし、可愛い逢引きにロズワールはそうこぼす。
「どちらも子どもですから、放っておいても何も起きませんよ」
「それは言えてる」
かすかな笑声が執務室で重なり、少年と少女の逢瀬を見下ろしていた窓の幕が引かれる。
―――その後の執務室の様子は、月すら見ることは叶わなかった。
11
月が空の中央に我がもの顔で居座る時刻、スバルは気合を入れていた。
袖を通した執事服の皺を伸ばし、己の身だしなみを窓に映して再確認。そろそろ着用四
日目に突入し、この衣服にも着慣れていた頃合いだと自分で思う。
「悪くない、悪くないぞ、俺。大丈夫、やれる。風呂上りの自分って鏡で見ると五割増し
イケメンに見える。その現象が今、きてる気がする」
客観的に五割増してるかは謎だが、自己暗示も十分に大事。
雰囲気だけでもイケメンの気配をまとったまま、スバルは軽く深呼吸してから足を踏み
出す。短く刈り揃えれた庭園の芝生を踏みしめ、向かうのは緑の一角―――背の高い木々
に囲まれ、一際強く月の恩恵を受けている場所だ。
そこに銀髪を月光にきらめかせ、淡い光をまとう少女が座っている。
青白い輝き―――その蛍の光にも似た現象の正体が精霊なのだと、今のスバルは知ってい
る。その真実を含めた上で、その幻想的な光景には見るものの心を補えて放さない悪魔的
な魅力があった。思わず足を止め、息を呑む。
その気配に気付いたのか、ふと目を閉じて囁いていた少女の双眸が開かれた。
二つのアメジストが正面、歩み寄るスバルを視界に捉える。
「おふっ。こ、こんなとこで奇遇じゃね?」
「毎朝、日課に割り込んでくるくせに。それに奇遇って・・・同じ屋根の下よ?」
声をかける前に見つかった動揺が一言目に溢れていて、エミリアはすでに珍しくない吐
息から入る会話の流れだ。掴みでしくじりつつもスバルはめげずにエミリアに笑いかけ、
「一つ屋根の下って、改めて言葉にするとなんかムズムズするね」
「そのムズムズって言葉、すごーく背中がぞわぞわってして、なんか嫌」
じと目で見上げてくるエミリアに頬を掻き、スバルは当たり前のように彼女の隣に腰を
下ろす。距離は拳三つ分、微妙な距離感がヘタレの証である。
スバルが隣に座ることに慣れ切ってしまい、エミリアも今さら指摘したりしない。毎
朝の日課と、食事のたびに隣にこられればそれも当然のことだろう。
無言の許容に諦めと受け入れのどちらが強いのかは不明だが、どちらでもあってもこの距
離がスバルには嬉しい。
「で、で、何してんの」
「んー?朝の日課の延長をしているの。大体の子とは朝の内に会えるんだけど、冥日にし
か会えない子たちもいるから」
エミリアの答えにスバルは納得、と頷きで応じる。
陽日や冥日、といったこの世界独特の表現にもようやく慣れが生じてきた。
ちなみに一日の時間はほぼ二十四時間で、人間の活動時間もおおよそ一緒。ご都合主義
と思いつつも、体内時計が狂わずに済んで一安心せざるを得ない。
そういったこの世界の常識も、四日間の執事研修の中で一緒に進められている。もっと
も、勉学よりは使用人業務の習得が優先で、そちらはかなりスパルタを受けているが。
「土日休みのゆとり教育世代としては、もっと長期的な目でみてほしいというか・・・」
四日間のスパルタ指導官への愚痴が漏れる。が、スバルがそうしてひとりごちる間にも、
エミリアの冥日限定のお友達との会話は進行中だ。
幻想的な光景に魅入られるように、スバルはジっと黙ってエミリアの横顔を見ている。
「見てても楽しいものじゃないでしょ?」
無言のスバルが珍しかったのか、ふいにそうこぼしたのはエミリアだ。
どこか申し訳なさそうなエミリアに、スバルは体を起こして「いや」と首を振った。
「エミリアたんと一緒にいて、退屈と思うこととかねぇよ?」
「なっ」
あまりにストレートな物言いに、思わず息を詰まらせてエミリアが赤面する。不意打ち
を食らったエミリアが顔を赤くするのを見ながら、実はスバルも耳まで赤い。
狙って出た言葉ならまだしも、今のは完全に素面で出た台詞だったからだ。
「あ、あー、ほら、それにここ何日かはゆっくり話す機会もなかったじゃん?」
照れ臭さを誤魔化すように早口になるスバル。エミリアもそれに同調して頷く。
「そう、そうよね。スバルはお屋敷の仕事を覚えるのに大変だっただろうし。うん、一生
懸命やって・・・・うん、一生懸命、だったもんね」
「フォローの気持ちが嬉しくて情けなくて泣きそう」
雰囲気を誤魔化すための話題で墓穴を掘り、思わず悲嘆をツイートしてしまう。
この四日間のスバルの仕事ぶりの評価は、かなり贔屓目とオブラートを多用し、上層部
に賄賂と袖の下をふんだんに贈ったとしても『使い道無し』といったところだった。
炊事、洗濯、、掃除といずれの家事技能も持ち合わせていないスバルは、屋敷のの使用人ス
キルとして必須のそれらの習得にまず追われることとなる。
現状は先の三つのスキルはいずれもALL『C』判定だ。
「自分の服の裾上げと、エプロンのボタンをつけ直したときだけ『S』判定貰ったよ」
「ホントに一部だけ突出して器用なのね」
「丸く平たいつまらない奴より、とんがった鋭い男になれよって育ったもんで」
親の教育方針の賜物だが、それで裁縫スキルを伸ばすスバルも両親もどうかしている。
「そっか、そうなんだ。よかった。スバルにも自信が持てることがあって」
そんなスバルの内省も知らず、エミリアは素直にスバルが自慢した技能を賞賛する。自
分のこのように喜んでくれるエミリアに、心中複雑なスバルは笑みが引きつる。
「それに、他の仕事もめげずにやってて偉いじゃない。ラムとレムとネムもこっそりだけど、ス
バルのこと褒めてたりしてたんだから」
「マジかよ、先輩方も裏で憎いシチュエーション進行してんな。俺がナイフで手ぇ切った
り、バケツひっくり返したり、洗濯失敗したりしても好感度積んでたのか!」
「それはちょっと、反省した方がいいと思うな、私」
失敗の目立つスバルの発言に今度はエミリアが苦笑。それから、エミリアは紫紺の瞳を
スッと細めて、間近のスバルを覗き込むように見えてくる。
「でも、毎日大変でしょ?」
「超大変マジ苦しい。エミリアたんに腕と胸と膝を借りてローテーションで癒されたい」
「はいはい。そうやって茶化せる間は大丈夫そうね」
伸びてくるエミリアの指先が、スバルの額を軽く押す。押された力は弱かったが、スバ
ルはエミリアの指先に逆らわず、背中から芝生に盛大に寝転んだ。
ひんやりとした草の感触と、満点の星空を見上げて感嘆が漏れる。街明かりなどの光源
のない世界では、夜空に浮かぶ星と月の美しさがスバルの知る空と段違いだ。
「―――月が、綺麗ですね」
「手が届かないところにあるもんね」
「狙って言ったわけじゃなかったのに、すごい心にくるコメントが返ってた!?」
「え、何か悪いこと言った?」
ロマンティックの代名詞みたいな台詞がはたき落とされて、夏目漱石の通じない異世界
に戦慄。胸を押さえて文豪に謝罪を意を表明するスバル。と、ふいにエミリアが驚く。
「あ・・・・」
「おう、やべ、かっちょ悪い。努力は秘めるもんだよね」
照れ隠しに笑いながら、スバルはエミリアが見つめていた手を背中の方へ回す。
――仕事での失敗が積み重なり、結果的に絆創膏だらけになっている左手を。
舌を出して誤魔化そうとするスバルだが、エミリアは真剣な表情で瞳を伏せる。
「やっぱり、大変なのよね、みんな」
自分を戒めるように、エミリアがそう呟いたのが聞こえた。
エミリアの独白を耳にして、スバルは彼女が何を思ったのか静かに納得する。
今、このロズワール邸で一から何かを学んでいるのはスバルだけではない。エミリアも
また、女王候補として学ばなければならない様々な事柄を吸収している最中なのだ。
スバルとエミリアでは、求められるレベルも範囲も違う。比べるのが失礼なぐらい、か
かかる重圧には差はあるだろう。そんな重たいものを持たされていれば、疲れてしまうことも
あるだろう。誰にも言えないそんな悩みを、エミリアも抱いていたのかもしれない。
「・・・治癒魔法、かけてあげようか?」
ぽつりと、問いかけてくるエミリア。
絆創膏の下の生まれたての傷口は産声を上げ続けていて、今も意識すればひりひりとか
すかな熱を訴えている。しかし、
「いや、いいよ。治してくれなくても、このままで」
「どうして?」
「んー、なんか言葉にし難いんだけど・・そうだな。これは、俺の努力の証だからだ」
らしくないことを言っているな、と思いながらスバルは傷だらけの手を力強く握る。
「俺って意外と努力、嫌いじゃねぇんだよ。できないことができるようになんのって、な
んつーか・・・悪くない。大変だし、めっちゃ辛いけど、わりと楽しい。ラムとレムとネムは意外と
スパルタで、あのロリはムカつくし、ロズっちは思ったより会わないから影薄いけど」
「そえ、ロズワールに言ったらカンカンよ」
「カンカンってきょうび聞かねぇな・・・」
話の腰を折られたことを、スバルは腰を折り曲げて表現。それからバネ仕掛けの人形の
ように立ち上がり、右手を額に当てて綺麗な敬礼をエミリアに向ける。
「ま、そうやって一個ずつ問題をクリアしていくのはいい。ここじゃ俺はそれをしなきゃ生
きてけねぇし・・・どうせなら、楽しい方がいいよな」
元の世界では『楽』をして生きられればそれで良かった。だが、この世界ではそんな安
穏とした生活を望めない。ならばスバルは『楽』しさぐらいは要求したい。
それは理不尽にこの世界に放り込まれた運命に対する、スバルの維持ともいえた。
スバルの決意表明に、エミリアは時間が止まったように表情を固くする。ただ瞼だけを
何度も開いては閉じ、それからふいに笑みをこぼした。
「そう、よね。うん、そうだと思う。ああ、もう、スバルのバカ」
「あれあれ、リアクションおかしくね!?惚れ直してもいいとこだよ、ここ!?」
「もともと惚れてませんー。もう、バカなんだから・・・私も」
大仰なリアクションで心外を表現するスバルに、最後のエミリアの呟きは届かない。
笑みを深くするエミリア。微笑には先ほどまでの重圧から解放されたような柔らかさが
あり、思わずスバルを見惚れさせる魔法がかけられているようだった。
エミリアの見せるこの姿は、綺麗や可愛いといった言葉で表現できるものではない。
「E・M・M(エミリアたん・マジ・女神)」
「感動してるのにまたそうやって茶化す」
少しだけ怒ったように唇を尖らせ、エミリアがまたしてもスバルの額を指で突く。
時折、こうして触れられるとき、触れられたそこがやたらと熱を持っているような気が
するのはきっとスバルの気のせいではない。
「それにしても・・・頑張ってるのはわかってるけど、どうやったらそんなに手がボロボロ
になるようなことになるの?」
「ああ、これは簡単。今日の夕方、屋敷の近くの村までレムの買い物に付き合ったときに、
子どもたちが戯れて犬みたいな小動物に超ガブされた」
「努力の成果じゃなかったの!?」
「いや、努力の痕跡はより大きなケガで見えなくなった的な・・・・俺、あんなに動物に嫌わ
れるようなタイプじゃなかったと思うんだけどなぁ」
元の世界では、子どもと小動物には好かれる、あるいは舐められる体質だったはずなのだ
が。今日の結果的ではそれも怪しい。ただし、子どもの方への効果は健在だった。
「村のガキども・・・容赦なく叩くわ蹴るわ鼻水拭くわで最悪だったぜ、チキショウ」
「なんか小さい子の面倒見とか良さそうだもんね、スバル」
「そりゃ勘違いだったぜ、エミリアたん。今からいい感じに手懐けておいて、いざ大きくなっ
たときに収穫する算段なのさ。これぞ、光源氏俺計画」
「はいはい。そんなちっちゃな意地張らないで素直に認めたらいいのに」
スバルの戯言を手慣れた様子で受け流し、エミリアは空を見ながら背筋を伸ばした。
「そろそろ私は部屋に戻るけど、スバルは?」
「俺もエミリアたんに添い寝しなきゃだから戻るよ」
「そのお仕事はもっと今のお仕事の実力に磨きをかけてからね」
「言ったな。見てろよ、ここから始まる俺の使用人レジェンドぶりを・・・・・ッ!」
エミリアの言葉を真に受けて、スバルはやる気をメラメラ燃やす。と、苦笑を浮かべ
るエミリアにスバルは振り返って、一つ指を立てた。
「そだ。よかったら明日とか、俺と一緒に村のガキどもにリベンジ・・もといラブラブデ
ート・・・もとい、可愛い小動物見学に行かね?」
「なんで何回も言い直したの?・・・・それに、うん、私は」
口ごもり、躊躇の色を覗かせながらエミリアは目を伏せた。
「スバルと一緒に行くのは嫌じゃないし、そのちっちゃな動物も気になるけど・・・」
「じゃ、行こうぜ!」
「でも、私が一緒だとスバルの迷惑になるかもしれなくて・・・」
「よしわかった、行こうぜ!」
「・・・ちゃんと聞いてくれてる?」
「聞いてるよ!俺がエミリアたんの一言一句聞き逃すわけないじゃん!」
「スバルなんて大っ嫌い」
「あー!あー!急になんだー!?何もきーこーえーなーいー!!」
耳を塞いで即座に前言撤回するスバルの思い切りよ良さに、エミリアは毒気を抜かれた
ように笑声を弾けさせる。それから瞳に浮かんだ涙の雫を指ですくってスバルを見た。
「もう・・。私の勉強が一段落して、ちゃんとスバルの仕事が終わってからだからね」
「よっしゃ!ラジャった!超っぱやで終わらせてやんよ!」
デートの言質を取り、スバルはぐっとガッツポーズを決める。
現金なスバルの様子を見て、エミリアは微笑を浮かべたまま小さく吐息を漏らした。
「スバルを見てると、私の悩みって小さいなぁって、そう思っちゃう」
「そんなことねぇよ!?そんな女王様になるかもしんないクラスの悩みを抱えてたら、
ストレス社会で胃袋ハチの巣だよ!」
ついに堪えきれずにエミリアが噴出し、彼女の笑い声につられてスバルも笑い出す。
二人してひとしきり笑い合って、この日の逢瀬は終わりを告げた。
「そういえば、どうしてお仕事終わった後なのにその格好なの?」
「いやー、そういやエミリアたんにちゃんとこの格好の感想とか貰ってねぇなと思ってさ
ぁ。どう?わりといけてね?」
「うん、そうね。すごい仕事できそうに見える」
「期待が重くて潰れちゃいそう!」
最後に、そんなやり取りがあったことを、ここに記しておく。
12
「へい、ちゃんと寝たかよ、ロリっ子。あんまし遅くまで起きてると、成長ホルモンの分
泌が減って小さいまま大人になっちゃうぞ」
「・・・当たり前のように『扉渡り』を破るようになりやがったかしら」
適当な扉に当たりつけ、中を覗いて適当な声をかけたスバルに、恨みがましい声でベ
アトリスが返事をした。書庫の奥、木製の脚立に座ってスバルを睨みつけている。
「何か、用事がってベティーに会いにきたのかしら」
「んにゃ、別に?寝るから挨拶しようと思っただけ。ドア三つぐらい開けていなかった
ら諦めようと思ったけど、一発目で見っけたから」
「お前、ホントにどんな勘してやがるのよ・・・」
疲れたように縦ロールを引っ張るベアトリス。ぴよんと伸びたロールが、指から放れた
反動で弾む弾む。見ていてちょっと童心が刺激される。
「それやっていい?」
「ベティーに触れていいのはにーちゃだけかしら。・・・もういいから消えるのよ」
「自分だけ楽しんでずりぃ。はっ、まぁいいけどね。俺、今は機嫌いいから許すけどね」
デートの約束の有頂天を書庫に残し、ベアトリスの顔に渋面を刻んでから部屋を出る。
ただ、戸が閉まる瞬間に、
「―――ベティーには関係のないことかしら」
そう、寂しげな声が聞こえたような気がしたのが少し気がかりだったが。
「つって、聞き返そうと思ってドアを開けると」
開かれた扉の向こうから禁書庫は失われ、単なる客間の一室へと戻っている。
そのまま、目の前の扉を開けたり閉めたりを繰り返し、ひょんなタイミングで禁書庫と
繋がらないものかと試してみる。
「・・・・さっきから何をしているんですか?扉の建付けの確認ですか?」
「そうそう、最近夜中に軋む音が廊下に響くのは、これが正体じゃないかって・・・レムか」
スバルが扉を開け閉めする現場を目撃して、呆れた目でいるのはレムだ。レムは何も載
せていない銀色のお盆を片手に、スバルが触れていた扉を見やり、
「何か、気になることでも?」
「いや、つい今までここにロリっ子の禁書庫があったんだよ。もう消えちまったけど」
「ベアトリス様に、何かご用事が?よければレムが承りますけど」
「寝る前の挨拶しただけ。特に用事は・・・ねぇよ」
扉が閉まる寸前、ベアトリスのこぼした一言が気にかかっていたが、スバルはそれを
今すぐに聞き出す必要もないと首を振って忘れる。
「レムの方こそ、まだ働いてんのか。明日も早いんだし、もう寝ようぜ」
「お盆を片付けたら休みますよ。今、ロズワール様と姉様にお茶を差し入れてきたところですから
それに、この後はネムに添い寝しにいかないといけないので」
「二人でこんな時間に何を・・・って、添い寝っていった?ネムに?」
「はい、ネムにです。毎晩姉様と交代制で添い寝しているんですよ」
「それはまたなんでよ・・」
「ネムは・・・いえ、詳しいことは教えれません」
そういい口を閉ざしたレムに疑問を浮かべるがこれ以上は聞くべきではないだろう。とスバルは思う。
「にしても・・・こんな時間に二人でこんな時間になにを・・ああ、やっぱいいわ」
時刻はそろそろ日付をまたぐかというところだ。こんな時間に二人きりで密会している
ロズワールとラムのことを問い質すのは、いかにも生々しい話題になりそうで嫌だった。
余計なことを口にしたな、と反省するスバル。ふと、そんな自分を見るレムの視線が気
にかかった。薄青の瞳がじっと、スバルの頭の方を見つめている。
「あぁ、ネムから話は聞いているよな、約束の時間帯が噛み合わないな。レムも気になってしょうがなさそうだし」
「・・・・いえ、それほどそこまでさほども少々気にかかってもいないです」
「すげぇ気にしてくれてんのが伝わってきて申し訳なさが加速するな!」
言語が乱れが生じるほどに、几帳面なレムの視線は鋭さと集中力を増している。
スバルの仕事の片付けが遅く、レムが多忙なこともあって機会がなかなか訪れない。ど
うしたものか、と顔をしかめるスバルにレムが小さく手を上げる。
「もしもよろしければ、今からはどうですか?ネムには少し悪いですが・・・」
「今から・・・・って、これから?でも、もうこんな時間だぜ?ネムが待ってるならなおさらだ」
「毛先を揃えて、さっと洗い流せばそれほど時間はかかりません。こうでもしないと、ス
バルくんは口先だけでレムに本懐を果たさせてくれそうにありませんから」
「本懐とまで言い切っちゃうんだ!」
無表情の顔つきの中、双眸だけにやる気をみなぎらせるレムを見て、この四日間、ずい
ぶん歯がゆい思いをさせてきたのだろうなとスバルは頬を掻く。
できれば、その思いを遂げさせてやりたいのだが―――
「すまん、レム。明日はエミリアと約束があってな。なるたけ、早起きして仕事をパパッ
と片付ける必要があるんだよ。だから、夜更かしはちょっと・・・」
「そう、ですか。・・・いえ、レムの方こそ無理を言いました。ごめんなさい」
交わしたばかりの約束を理由に、先約であるレムの提案を退けるのは良心が咎めた。が、
そんなレムの姿勢に罪悪感と、言葉にし難い感情が浮かび、スバルはとっさに、
「だから、明日の夜はどうだ?」
「・・・・夜、ですか?」
「エミリアとの約束を果たしている前提だと、俺は仕事をちゃんと終わらせてる。明後日に
特に用事が入る予定もないし、あとはレムの胸先三寸ってとこなんだが」
言いながら、同日に三人の女の子と約束を交わそうとしている自分の積極性に驚く。も
っとも、エミリアに向ける感情とレムやネムに向ける感情は別物だ。
レムやネムに対しては好ましい仲間意識。エミリアに対しては、まだ自分もわかっていない。
そのスバルの提案に瞑目し、それからレムは顎を引いた。
「わかりました。では、明日の夜に。―――今度こそ、約束しましたからね」
「何がお前をそこまで掻き立てるのかわかんねぇけど、約束だ。明日の夜に、ネムにもそう伝えておいてくれ」
指切りでも交わそうとして、この世界にその風習があるのかどうか逡巡する。その間に、
レムはスバルの前で丁寧にお辞儀して、スカートを翻して背中を向けてしまう。
そのまま、静々と滑るような足取りで立ち去る小さな姿を見送り、スバルは過密スケジ
ュールになるつつある明日の予定を思い、欠伸を噛み殺して自室へと向かう。
「明日のデートは村まで行って、適当に理由作ってガキどももまかなきゃな。おっと、その
前に見晴らしのいい場所とか、花畑の位置とかリサーチしとかねぇと」
鼻の穴をふくらませ、明日への期待に胸を膨らませて部屋の中へ。着ていた執事服を脱
ぎ捨てて、ジャージへモデルチェンジするとスバルはベットへ飛び込んだ。
そのまま布団をかぶって明日へと思いを馳せるが、目が冴えて眠気が一向にこない。
心が体を裏切る事態を前に、しかしスバルは即座に頭を切り替えて裏技に頼る。それは、
「パックが一匹、パックが二匹・・・」
脳内を灰色の小猫が駆け回る牧歌的な光景を思い浮かべて、それが数を数えるたびに増
えていく妄想。仮想パックが次第に現実を侵し始め、ふわふわのい感触の記憶がスバルを忘
我の境地へ導いていく。ゆっくりと、沈むように、意識は夢の中へ吸い込まれる。
「パックが・・・百一匹・・ぐう」
桃源卿を描いたまま、意識は温かなものへ包まれて―――やがて、消えた。
13
意識の覚醒は水面から顔を出す感覚に似ている、と目覚めのたびにスバルは思う。
息苦しい感覚から唐突に解放されて、開いた瞼が世界を認識するまでのほんの数秒。そ
の間だけ、起きているのとも寝ているのとも違う感覚の中に生きている。
陽光に瞳を焼かれれる感触。わずかにだるさの残る体を起こし、スバルは首を横に振る。
しかし、今日はそんな弱気なことを言っている場合ではない。
寝起きのいいスバルは、昨夜のエミリアとのデートの約束をしっかり反芻している。
「そう、ナツキ・スバル―――今日、飛躍の時を迎えます!」
今日一日の幸せ未来を描く。目覚めはバッチリ、約束された勝利の一日だ。が、
「―――」
決め顔のスバルを驚いたような顔で見る、桃髪と青髪、そして、紫髪の三姉妹の視線。
顔を覆い、耳まで赤くしてスバルは布団に頭を押し付ける。
「なんだよ!いたのかよ!恥ずかしい、俺恥ずかしい!声かけろよ!うーわ!」
目覚ましなしの起床については、一昨日の時点で姉妹に揺り起こされるのを卒業してい
たので油断してしまった。まさか今朝に限って。それも三人揃ってご来訪とは。
布団の上で悶えるスバルに対し、相変わらず三姉妹の表情は変化に乏しい。指を差して笑わ
れるものもなんだが、その反応も滑ったみたいでなんか癪だ。
「いや、ちょっと待って、お前ら。さすがにその反応は傷付くって。人のデリケートな部分
に触ったんだから。もうちょっとこう・・あるだろ!?」
せめていつものように、冷たいなり白けたなりの罵倒で三人が返してくれるのを期待。
―――罵倒待ちというのも、ずいぶんと酷い話だ。などとスバルが思った直後だった。
「姉様、姉様、なんだかずいぶんと親しげな挨拶をされてしまいました」
「レム、レム、なんだかやたら馴れ馴れしい挨拶をされてしまったわ」
「・・・・・」
違和感。それがスバルの脳裏をかすめるような二人の囁きだ。一番したの妹も険悪な顔をしており、
「うん、と?なんか、変じゃね?どうしたんだよ、姉様方。わざわざ朝の出迎えもそ
うだけど、ネタ合わせしてそれなら悪趣味っつーか、それにネムネム、お顔恐いよ?」
確かにそっけなさはいつもの三人なのだが―――どこかが、おかしい気がする。
言いながら、スバルは三人から伝わる違和感の原因に気づき始めていた。
―――目、だ。
三人のスバルを見る視線。それが、昨夜までの親しみを失って、どこか他人行儀なもの
へと様変わりしているのだ。そして、決定的な発言が飛び出す。
「姉様、姉様。どうやら少し混乱されているみたいです、お客様」
「レム、レム。なにやら頭がおかしくなってるみたいね、お客様」
「・・・姉様」
ネムの不安に満ちたが聞こえ姉の後ろに隠れる。
―――『お客様』とそう呼ばれて、スバルは思わず絶句する。
その響きは込められた敬意と裏腹に、激しく鋭い切れ味でスバルの心の内側を抉った。
実際に痛みを錯覚し、スバルは胸を押さえる。
「三人、とも・・・はは、冗談きついぜ。そん、な、こと・・・」
どこまでも他人を見る三人の目を遮りたくて、とっさにスバルは左手を掲げて己の視界
を塞ぐ。だが、その瞬間、目に入ったものを見てスバルは自分の行いを後悔した。
―――自分の左から、絆創膏が、消えている。
水仕事で荒れた指先も、慣れない刃物仕事で切った手の甲も、子どもとの戯れの最中に
小動物に噛まれた傷跡も、まっさらになっていた。
―――遠くで、鐘が鳴っているような音が聞こえる。
激しく押し寄せ、波のように引いては戻る繰り返す鐘の音。痛みを伴うそれが耳鳴り
であるのだと、尾を引く慟哭を上げるスバルは気付かない。
こめかみのあたりがひどく痛み、鼻の奥に熱いものが込み上げるのを感じる。だが唇を
噛み、血の味を感じることでスバルは鋭い痛覚に意識を集中する。
胸の内を抉るような喪失感を、全て目先の血の味で塗り潰そうと。
事ここに至っては、スバルも現実を認めるしかない。
目の奥から熱がくるのを感じて、スバルはさっきと違う理由で布団に顔を押し付けた。
―――今のこの顔を絶対に、絶対の絶対に、誰にも見られたくない。
この、大好きな人たちに。
大好きになっていけそうだった人たちに。
大好きになっていたはずだった人たちに。
他人のような目で見られながら、涙なんて絶対に流したくない。
「どうして・・・・戻ったんだ!?」
―――あれほどスバルを苦しませ続けたル―プが、再び彼をその渦の中に取り込んでいた。
――二度目の、ロズワール邸一日目が始まる――
読んでいただきありがとうございました。誤字等はお見逃しください。
また好評でしたら第三章投稿しますね。