Re:ゼロから始める異世界生活(ifルート ネム)   作:ネムりん☽︎‪︎.*·̩͙‬

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少し間が開いてしまいましたが、第四章無事投稿です。
前回に引き続き、第四章となっております。
ぜひ、最後までお楽しみください!


ifルート【ネム】第四章

第四章  「逢魔時の鬼ごっこ if」

 

 

—改めて記憶に残っている四日目のことを思い出し、スバルは結論する。

 

「初回の死因は、寝てる間の衰弱死ってことか・・・・」

 

 朝を待つスバルの身を襲ったのは、突然の耐え難い眠気と寒気だ。全身から体力と精力

を奪ったあの感覚は、短時間でスバルを衰弱死させるのに十分な力を発揮した。

 眠って無防備なまま同じ状態で陥れば、それこそ永遠に眠りから目覚められまい。

 

「ただ、鎖・・・いや、鎌?みたいな聞くだけで耳が痛くなる音もしたんだよな。

それにあの「その願い・・・叶えてあげますよ」って声、どこかで・・」

 

 衰弱に関しては推測も成り立つが、鎖、鎌、謎の声に関しては心にはひかかるもののわからずじまいだ。

 長い鎖が重なり合う独特の金属音に、甲高い耳の鼓膜が潰れるような鎌の音。それらがおそらく凶器で、

 スバルは全身を抉られ、切り裂かれた。

 傷跡を思い出すだけで、なくした全身に稲妻が走るように痛み出す。肉体はその体験を覚え

手いないのに、魂がその記憶を拒絶しているのだ。

 

「襲撃者がいた・・・・ってことか。衰弱と鎖それに鎌・・少なくとも二人か、同じ人物とはわからねぇが」

 

 今回の収穫といえば、下手人がいたという事実が判明した点だけだ。

 四日目の夜に行われる、ロズワール邸への襲撃。その哀れな犠牲者リストの中に、スバ

ルの名前が加えられたのだ。屋敷の他の面々の名前はどうか知れないが。

 

「俺が載るぐらいなら全員だろ。たぶん、盗品蔵と同じでエミリアの王戦絡みだから」

 

 しかし、とスバルはそこまで考えて頭を抱える。襲撃があり、狙いがエミリアたちで

あることは看破できた。そこまでは上首尾といえる。

 

「けど、それがわかっても説明できる証拠も、未然に防ぐ手段も俺の手の中にはねぇ」

 

『死に戻り』の厄介さは、死ぬ前の世界の情報を説明できないところにあるといっていい。

 ましてや今回は屋敷への襲撃の予見だ。ロズワールに対策を呼びかけることはできるが、

それで襲撃者の対応が変われば、その変化には対応できない。 

 そして襲撃者を撃退するという手段もあるにはあるが、スバルの戦闘力の低さと相手の

戦力がわからない点から選択肢としてアウトだ。

 ゲロ吐いてボロ泣きしてたら殴り殺された、というのが前回の簡単なあらましである。

 

「我ながらひどすぎる。おまけに相手の面も得物も見ていない。犬死前回じゃないか・・・」

 

 相手の素性も見てこないのでは、撃退プランすら練り始めれない。

 腕を組み、首をひねり、スバルはぐるぐると部屋を周回する。と、そんなスバルに、

 

「——死ぬほどうっとうしいから、とっととやめるか吹き飛ばされるか選ぶといいのよ」

 

 部屋の中央、スバルの円運動の中心にしたベアトリスが、心底不機嫌にそう言った。

 スバルは険悪な表情のベアトリスに振り返り、邪気のない顔で舌を出す。

 

「悪い悪い。でも、こうやって頭以外のとこも回転させてっと不思議と頭の方も回るんだ

よ。だから大目に見てくれ。俺とお前の仲だろ」

 

「ベティーとお前にどんな関係があるのかしら。まだ二回しか会ってもいないのよ」

 

「そんなこと言っても心は正直だぜ。俺をさらりと部屋に入れてくれたくせに」

 

「お前が勝手に『扉渡り』を破ってきやがったかしら。ホントに信じらんないのよ」

 

 相変わらず、スバルへの敵意を隠そうともしないベアトリス。そんな少女の態度にまた

も救われた気持ちで、スバルは目覚めの朝に禁書庫へ足を運んでいた。

 割り切ったつもりでいても、やはりラムやレム、ネムの三人に初対面扱いされるのは辛い。

 前回と違って三人に断りを入れて部屋を出たが、縋れる場所はここしかあり得なかった。

 

「まぁ、お前に迷惑はかけねぇよ。茶でも出してゆっくりさせてってくれ」

 

「そんなもん出るわけないかしら。ああもう、うっとうしい」

 

 己の縦ロールに触れながら、ベアトリスは苛立ったように口の端を歪める。

 ふと、そんなベアトリスを見て思ったことがあった。

 

「そういや、お前って見た目そんなんでも魔法使いなんだろ?」

 

「気に入らない言い方なのよ。そんじょそこらの二流と一緒にされたら困るかしら」

 

「・・・・お前、友達少ない方だろ」

 

「どうして今の話からそんな話題に飛ぶのかしら!」

 

「いや、俺も友達いないからわかるけど、お前のそれはよくないよ。さすがにその年頃か

ら高飛車キャラやってるとあとに響くって。矯正できるうちにやっとけ」

 

 顔を赤くするベアトリスを煽りつつ、スバルは咳払いで場の空気を改める。納得いかな

げな表情の魔法使いベアトリスに、スバルが折れ入って聞きたい話。それは、

 

「相手を衰弱させて、眠ったように殺す魔法・・・とかってあるか?」

 

 スバルの陥った衰弱——あれが毒や病によるものか、魔法によるものか確定させたい。

 あの夜、全身を襲った怖気と倦怠感の正体は、今のところ魔法であると疑っている。

 空発的な伝染病にかかる切っ掛けが見当たらない上に、発症してから数時間で衰弱死さ

せるほどの病だ。異世界とはいえ、そうそうあることとは思えない。

 次に毒物による暗殺の可能性も考えたが、あまり確実性に欠けているだろう。スバルを撲

殺した下手人がいた、死に際に聞こえた鎌の音と半身を抉ったおそらく鎖の音からして

 下手人は二人と予想する。だが、毒と直接攻撃が重なるのは明らかに不自然だ。

 問いかけにベアトリスは眉を寄せたが、スバルの態度に小さく肩をすくめて答えた。

 

「あるかないかで言えば、あるのよ」

 

「あるのか」

 

「魔法というより、呪いの方に近いかしら。呪術師が得意とする術法に、そんなものが多

いのよ。陰険な呪術師らしいやり方かしら」

 

 呪術師、という新たなジョブに困惑するスバルに、ベアトリスは指を一つ立てて講義。

 

「呪い師——転じて呪術師は、北方のグステコって国が発祥の、魔法や精霊術師の亜種なの

よ。もっとも、出来損ないばかりでとてもまともに扱えたもんじゃないかしら」

 

「でも、実際に他人を呪い殺せたりするわけだろ?どこが出来損ない?」

 

「そこが出来損ないなのよ。——使い道が他者を害するものしかない。マナの向き合い

方として、これほど腹立たしい術師共が他にいるものかしら」

 

 呪術への忌避感はこの世界では根深いらしく、ベアトリスは嫌悪を隠しもしない。スバ

ルも呪いを庇う理由などない。今はもっと情報が欲しいと身を乗り出して先を促す。

 

「それで、その呪術ってやつならさっき言ったみたいな方法も?」

 

「できる、とは思うのよ。でも、呪いをかけるよりももっと簡単な方法もあるかしら」

 

「簡単な?」

 

「お前はそれを、身をもって知っているはずなのよ」

 

 首を傾げるスバルに、ベアトリスがこれ見よがしに掌を向けて酷薄に笑う。少女の似合

わない禍々しい笑みと、言葉の真意からスバルは答えに辿り着いた。

 

「まさか、お前・・・あの強引なマナドレインって、死ぬ可能性があんのかよ!?」

 

「マナは生命力そのものでもあるかしら。それを強引に吸い出し続ければ、衰弱死させる

ことだってできる。呪術師なんて奴らに頼るより、よっぽど楽で確実なのよ」

 

「最初・・・いや、初日だとさっきか!さっきも下手したら殺すきだったのか!」

 

「ここで死骸になられると、お前の死骸をまたぐのが面倒だから加減したかしら」

 

「死骸って言うな。虫みたいに聞こえるだろうが!」

 

 ホントにそんな程度にしか思ってなさそうな目を向けられて、スバルはどうしてここを

安住の地に感じたのかと自分に疑問。

 

「まさか、俺を殺したのはお前じゃないだろうな・・・」

 

「死んでたならこうして話す煩わしさも消えて楽だったのよ。残念だけどベティーは忙し

胃から、お前を殺してやってる手間も惜しいかしら」

 

 両手を後ろに組み、スバルの隣を抜けて書架の前に立つベアトリス。ゴスロリな衣装の

裾を揺らし、背伸びする少女はその上背より少しだけ高い場所を目指す。と、

 

「これでいいのか?」

 

「・・・・その隣なのよ。とっとと渡すかしら」

 

「へいへい」

 

 意外と分厚い本を書架から抜き、膨れ面のベアトリスに手渡す。受け取ったベアトリス

は不満げな顔つきのまま、礼も言わずに部屋の奥の脚立に座り込んだ。

 椅子を使うよりしっくりくるのだろうか。何度も禁書庫で見かけた姿だ。

 

「それは何の本を読んでいるんだ?」

 

「部屋に入った虫を追い払う方法が書いてあるのよ」

 

「書庫に虫がわいてんのか・・・最悪だなそれ。どんな奴だ」

 

「黒くてでかくて目つきと口が悪いのよ。あと、態度もでかいかしら」

 

「ずいぶんと特徴ある虫だな、そいつ・・・」

 

 あたりを見回し、できればとっとと退治してもらいたいものだと思う。

 首をひねるスバルに、本に目を落とすベアトリスが吐息をこぼした。

 

「まだ何か用があるのかしら。何もないなら出てってほしいのよ」

 

「ああ、えっと・・・・そう、さっきのマナちゅーちゅー吸う奴って誰にでもできんの?」

 

「その表現は心外に尽きるかしら。・・・屋敷だと、できるのはベティーとにーちゃぐらい

なのよ。ロズワールにもできないかしら」

 

「へぇ、本人は万能みたいなこと言ってたと思ったけどな」

 

 ロズワールも見栄を張ったということだろうか。それとも、効果の地味さに反して意外

とレアなスキルだったりするのだろうか、マナドレイン。

 

「ともあれ、あんましべつまくなしにちゅーちゅーやるなよ。特に俺とか、真面目に今

は血が足りてねぇんだからあっさり衰弱死するぞ」

 

「ああ、モツは全部戻したけど、血までは戻らなかったかしら。まぁ、ベティーもそこま

でやってやる義理はないのよ」

 

 肩をすくめてみせるベアトリスの発言に、スバルは『ん?」と首を傾ける。

 今の文法だと、どうにもおかしな事実が浮かび上がってしまうのだが。

 

「今の言い方だと、なんか俺の傷口塞いだのがお前みたいな感じに聞こえたんだけど、エ

ミリアの手柄横取りとか性格悪いぜ?」

 

「あの半端者の小娘に、致命傷まで治せる力なんてまだないのよ。にーちゃと小娘で傷を

小康状態にして、ベティーが治療した・・・どうしたのかしら」

 

「いやマジ超複雑」

 

 思わぬところで明かされるスバル生還の裏事情。

 てっきり、路地裏で傷を治してもらったと同じように、スバルの傷を治してくれた

のはエミリアだとばかり思っていたのだが。

 疑わしさに目を細めてみるが、胡乱な顔つきのベアトリスに動揺はない。よほど肝が

据わった大嘘つきでないかぎり、事実を言っているとみていいだろう。

 つまりベアトリスは、

 

「肝が据わった大嘘つきか。マジ、性格最悪だな、お前!」

 

「他人様の厚意を素直に受け取れないお前も相当なのよ!」

 

 失礼なスバルの物言いにベアトリスが怒鳴り返し、取っ組み合い寸前にもつれ込む。

 もっとも、最終的には魔法力で弾かれたスバルが逆さに壁に叩きつけられて決着だ。

 壁にぶつかって上下反転するスバルの前で、ベアトリスが長い縦ロールを撫で付け

 

「そろそろ出ていってもらうかしら。手の震えも止まっているし、恐いのも誤魔化せるよう

になった頃合いなのよ」

 

「・・・ばれてた?」

 

「隠そうとしてたのかしら?そうそう都合よく扱われるのも心外なのよ」

 

 つまらなさそうに鼻を鳴らし、ベアトリスは虫を払うようにスバルに手を振る。

 少女の言葉に、スバルは顔の前に手を持ち上げる——指先は、震えを忘れていた。

 死ぬのも通算で五度目になるが、決して慣れるものではない。むしろ回数を増すごとに

死の経験は積み重なり、死の恐怖を再び味わうことを想像するだけで足がすくむ。

 ましてや今回は死に方が死に方、惨殺だ。戻ってきたスバルの心が絶望に軋み、指先や

足に勇気が通わないことを誰が責めるだろう。

 

「なんて言い訳タイムも終了か。優しくないね、まったく」

 

 嘆息を最後に置き去りにして、立ち上がるスバルは禁書庫の扉に手をかけた。

 振り返り、スバルの方を見てもいないベアトリスに苦笑する。

 

「悪かった。でも助かった。また頼む」

 

「次はもっとごっそりマナをいただくのよ。だからもう、くるんじゃないかしら」

 

 本に目を落としたまま、すげない口調で切り捨てる。ベアトリスのその姿勢に背中を追

われた気がして、スバルはドアノブをひねって「扉渡り』を抜ける。そして——

 

「その前にお前、さっきの虫ってひょっとして俺のことか!?」

 

「もうとっとと出ていくのよ、ぶっ飛ばされたいのかしら!?」

 

ぶっ飛ばされて『扉渡り』が行われた。

 

 

 

 

2

 

 

「えっと、大丈夫って聞いていい?」

 

「その優しさだけが俺の癒しだよ。これホント、嘘偽りなく」

 

 庭園で銀髪の少女に見下ろされながら、スバルはそう言って肩を落とした。

 ベアトリスの魔法力に弾かれ、『扉渡り』で強制的に転移させられたスバルは、庭園の

二階テラスの窓から射出されて花壇へ転落した。危うく、死因・口論である。

 

「ますます、俺を殺したのがあいつである説有力になるな・・・」

 

「その花壇、昨日にレムとネムが動物の糞を肥料にまいてたのよね・・・・」

 

「うおおおわああ、三秒ルールー!」

 

 三秒どころかがっつり三十秒は突き刺さっていた花壇から飛び出し、微妙に距離を置く

エミリアの前で、スバルは泥とひょっとすると泥以外で汚れた服を必死で叩く。

 

「ノーカン!ノーカンだよね!昨日の話だし、浄化されてるよな!?」

 

「あのね、こういうのは『ウンが付く』って幸運が付くのと言い換える考え方があって』

 

「すでにエミリアたんが慰めモードにシフトしてる!」

 

 半泣きで袖を振るスバルを不憫に思ったのか、エミリアはその端正な面に苦笑を刻むと、

そっと胸のペンダントに指で触れる。

 

「——パック、起きて」

 

 緑の結晶が、エミリアの呼びかけを切っ掛けに淡く輝き出す。光は次第に小さな輪郭を

結び、やがて小さな猫の像を結んで、エミリアの掌の上へと出現させる。

 小猫は小さな体を思い切り伸ばし、まるで欠伸でもするような仕草をした。

 

「うーん、おはよう、リア。ああ、それとスバルも起きたんだね」

 

「おはよ、パック。起きていきなりなんだけど、スバルの体、洗ってあげてくれる?」

 

 片目をつむっておねだりするエミリアに、思わずスバルの方が見惚れる。娘の頼みにパ

ックは振り返り、スバルの泥まみれの様子を見ると納得したように頷いた。

 

「それじゃ、洗うよー。それ!」

 

「洗うよーって気軽に言われても・・・うぇいっ!?」

 

 突き出されたパックの両手を起点に、青白い輝きが展開——直後、光が大量の水となり

すさまじい勢いでスバルの半身を直撃、この世の不浄を一気に押し流す。

 

「鉄砲水か——!」

 

「おっとと、バランスが悪い」

 

 半身に水を浴びてくるくる回るスバルの体を、余計な気を働かせたパックが水に角度を

調整して逆回転に。右へ左へ、抵抗もできずに回されに回される。

 

「ほら、きれいになったね。よかったね』

 

「も、弄ばれた俺の・・・・この、心は・・どうおろろろろろ」

 

 目を回し、水浸しの芝生の上でグロッキーのスバル。濡れた袖で顔を拭きながら、よれ

よれの状態でどうにか立ち上がった。

 

「あまりの勢いに腕がもげるかと・・・おい、まさか本気でお前らが犯人じゃねぇよな?」

 

「何を疑ってるのかわからないけど心外だよ、心外。ぷんぷん・・・・うにゃ!」

 

 空中でふわふわ浮きながら怒った仕草の小猫。その狭い額にデコピンを打ち込み、悲鳴

を上げさせてからスバルはエミリアに向き直った。

 なんだかこれまで一番、ありがたみの薄い再会になってしまった。本当は決死の状態

から復活したスバルを、エミリアが涙ながらに迎える感動の場面のはずだったのに。

 この状況を打開するために、まず最初に何を言うべきか——。

 

「ぷっ」

 

「ほぇ?」

 

「あはは!もう、ゴメン、ダメ。あは、ふふふふ!もう、二人して何やってるの・・・

ああ、お腹痛い。やだ、死んじゃうっ」

 

 突然、堪え切らずに笑いだしたエミリアの前に、不安が吹っ飛んだ。 

 濡れ鼠となったスバルを指差して、エミリアは整った面いっぱいに喜色を刻んで笑って

いる。予想外の反応に、スバルは自分の頭の横に浮くパックと顔を見合わせた。

 

「とりあえず、最初の悪印象は挽回!アシストありがとうございます、御父さん!」

 

「誰顔が御父さんか。そう簡単に娘はやらんよ!」

 

 スバルの図々しい言葉に、胸を反らしたパックが偉そうに言い放つ。

 それを聞いてまた、エミリアの大きく笑う声が庭園を弾けた。

 

 

3

 

 

「ラムたちに庭園に向かったって聞かされたのに、ちょっと遅いな〜って思ってたの」

 

 笑い終わって庭園の端で、エミリアはスバルを見つめてそう話した。

 エミリアの瞳にはいまだに涙が笑いの残滓となって残っており、それをすくいながらの

やり取りだ。爆笑されたスバルはちゃっかり手の中のパックを弄びながら、

 

「へぇ。遅いなーって思っててくれたってことは、待っててくれたって思っていいん?」

 

「えっと、違うわよ?確かにお礼を言わなきゃって思ってたし、下手に私が動いてすれ

違ったら嫌だなって思ってたりもしたけど、ここに残ってたのはたまたまなの」

 

「そ、たまたまだよ、スバル。色々と理由つけてボクの毛繕いを長引かせたり、微精霊相

手に同じ話を何回もしてぐったりさせたり・・・それも全部、たまたまなんだって」

 

 相変わらず誤魔化しが下手なエミリアの自爆を、パックがさらに誘爆させる。

 

「もうっ、パック?」

 

「素直になればいいのに。そこがリアは可愛いんだけど・・・・スバルもそう思うでしょ?」

 

「超思うよ!エミリアたんの何もかもが、俺には輝く一番星だ!」

 

「スバルまでからかうんだから・・・あと、そのたんってなに?どこから出てきたの?」

 

 そろそろ恒例のやり取りなりつつある呼び名への疑問。

 前回まではなし崩しにエミリアが受け入れるまで放置してきた話題だが、スバルは顎に

手を当てて悪い笑みを作って、丸め込むことにした。

 

「これはいわゆる愛称ってやつだよ。パックがエミリアたんをリアって呼んでるのと同じ

感じで、親しい二人の間柄を示す一種の愛情表現だな」

 

「・・・・私、スバルとそんなに仲良くなった覚えないんだけど」

 

「地味に傷つく発言だけどめげない俺。関係の前借りだと思ってよ。俺はこうしてエミリア

たんと愛称で呼べる関係になるぐらい親しくしたいと思ってるってこと。オーケー?」

 

 少なくとも、数日先の夜にはその呼び方を許してくれるぐらい距離を深めていたと思う。

 スバルの強引な言い分にエミリアは驚いた顔をして、それから少しだけ頬を赤らめた。

 

「ん・・・わかった。それで納得してあげます。やだ、ちょっとこっち見ないで」

 

「うちの娘。友達少ないから。呼び名とかそういうのに飢えてるんだよ。ちょろいの」

 

「俺のメインヒロインちょろいんだ!」

 

 顔を背けるエミリアの肩の上で、己のヒゲを手入れしているパックの返事にスバルは驚

く。登るには険しい壁だと思っていたが、意外と取っ掛かりが多いと気づいた気分だ。

 

「ただ、身分違いは継続中だしな・・・貴族制度とか、もうちょい詳しく調べねぇと」

 

「むぅ・・・なんだか、すごーく私にとって不本意なお話してなかった?」

 

「E・M・P(エミリアたん・マジ・プリティ)って合意に達しただけだよ。お?」

 

 エミリアの追及を戯言でかわし、ふと屋敷を振り返るスバルの目が細まる。

 

「ラムとレムそしてネム、ね。朝食の時間には、まだちょっとあるはずなんだけど・・・・」

 

 スバルの視線を追いかけて、屋敷から出てきた三姉妹を見つけてエミリアが首を傾げる。

銀髪が陽光を受けるのを目に焼き付けながら、スバルはイベントの進行を確認。

 ロズワール帰還のタイミングだ。スバルたちの前へきた三姉妹が、同時に頭を下げる。

 

「当主、ロズワール様がお戻りになられました。どうぞお屋敷へ」

 

 何度聞いても惚れ惚れするステレオ音声だ。

 エミリアが三人に頷くのを見ながら、スバルはその場で屈伸してから三姉妹に向き直る。

と、ラムとレム、ネムの三人は今のスバルの姿を上から下まで眺めて顔を見合わせる。

 

「姉様、ネム。ちょっと見ない間に、お客様が泥塗れの濡れ鼠になってます」

 

「レム、ネム。ちょっと見ない間に、お客様が汚物塗れで汚いボロ雑巾だわ」

 

「姉様、姉様。ちょっと見ない間に、お客様がずぶ濡れで見るにも耐えません」

 

「言われなくてもドブネズミになってんのわかってるよ。俺のジャージ、どこにある?」

 

 辛辣な三人のコメントに苦笑して返し、スバルは屋敷の景観を見上げた。

 着替えて、身なりを整えて、改めてロズワールと向き合うことにしよう。

——今回は、前回までと違ったアプローチをしてみるつもりなのだから」

 

4

 

 

 

——実質、三度目になるロズワール邸の一週間。

 その三ループ目の今回において、スバルが重視したのは情報収集の一点だった。

 

「キーワードは魔法と鎖、それに鎌と謎の声だけど・・・・これじゃまだまだ何もわからねぇ」

 

 わかっていることは、四日目の深夜に何者かの襲撃があるという事実のみ。

 現時点でのこの情報をロズワールたちに公開しても無下にはならないだろう。ただ、スバ

ルは情報の出所を説明できない。下手に打てばスバルも敵対する刺客の一味などと疑われ

かねない。せめて、襲撃者の背格好だけでもわかれば話は違っただろうが。

 

「だから今回はいっそ、情報収集と割り切る。『死に戻り』の条件が前回と同じなら・・・」

 

 王都のループでは三度死亡し、四度目で突破できた。その前提通りなら、あと一度は戻

ってこられるはずだ。今回の情報を活かし、四度目で世界の突破を果たす。

 

「正直、最初から諦めてるっぽくて選びたくない作戦なんだが・・・」

 

 しかし、打てる手段が限られてる以上、こうした犠牲を払う覚悟は必要だ。それにも

とより、捨て回を投げ捨てるつもりは毛頭ない。やり直す覚悟と、最初から諦めて挑むの

とでは話が違う。可能なら、今回でループを脱することも念頭に入れている。

 

「そのために、パックにはそれとなくエミリアを守るよう伝えてあるしな」

 

 庭園で戯れている最中、スバルはそっとパックにエミリアの身辺を気遣うよう耳打ちし

ていた。相手の感情が読める小猫は、スバルの真剣さに嘘はないと思ってくれたようだ。

 

「色々と曖昧な話だけど、リアを案じているのは確かみたいだからね」

 

 と、強引なスバルの話運びを寛容な態度で受け止めてくれた。

 これでエミリアの安全はある程度確保できたと考えていいだろう。

 深く追及されなかったことと、肩の荷を下ろすことができてホッとする。

 

「あとはロズワールとあのロリにそれとなく・・・それとなくって、どうやんだよ」

 

 がしがしと乱暴に頭を掻き毟り、羽ペンを鼻の下に挟んで背筋を伸ばす。

 待ち受ける難題の多さに頭が痛い。それでも、できる限りの手を尽くすのだ。できるな

らラムにもレムにもそれにネムにも、もちろんロズワールとベアトリスも、無事に四日目を乗り越えても

らいたい。山頂の高さは、挑まない理由にはならいないのだから。

 

「失礼します、お客様」

 

 椅子の背もたれに体重を預け、軋む音を響かせていたところへ外から声がかかる。

 

「おう、その声はネムか?入っていいぞ」

 

 スバルの応答を受け戸を開けて姿を見せたのは、紫髪のメイド——ネムだ。

 ネムは手に湯気立つカップを乗せた盆を持ち、机に向かうスバルを見ると眉を上げた。

 

「ん、本当に勉強していたんですね、お客様」

 

「お前、超失礼だな。仮にも現在、お屋敷のお客人ですよ、俺」

 

「食客という名の居候でしょう。ネムはそう認識しておりますよ、お客様」

 

 悪びれもない様子で部屋に入ってきて、ネムは手際良くお茶の配膳を始める。

 その作業を傍らで眺めながら、ネムの言いぶりにスバルは苦笑を隠せない。

 食客もとい居候——その表現があまりに的確に思えたからだ。

 

「どうぞ、お客様」

 

「お、ありがと。あちあちあち」

 

 受け取ったカップの中を見下ろすと、琥珀色の液体が湯気を立てて水面を波立たせてい

る。この世界のお茶は見た目や味ともに紅茶に近い。香り高さを楽しむ点も同じだ。

 そっけない態度のネムだが、こうしてお茶を入れる作法はレムに習ったのかなかなか様になっていた。

 ネムの洗練された仕草を見届け、スバルは出されたお茶をゆっくりと味わい、頷く。

 

「うん・・・やっぱマズイ」

 

「お屋敷の中でも最高級の茶葉に、罰が当たりそうな感想ですね。ネムでも美味しいと思うのですが」

 

「苦いもんは苦い。ダメだ、やっぱ俺は紅茶って葉っぱとしか思えねぇ。植物の味がする」

 

 顔をしかめるスバルを冷たい目で見て、ネムはベット付近で綺麗な姿勢で立っている。

 

「もっと気楽にしてくれてもいいんだぜ。食客だからってそんなに偉いわけじゃないしさ」

 

「そう・・ですね、では失礼します」

 

 ネムの姿勢には言葉も出ない、スバルは万歳をして椅子の背もたれを大きく鳴らす。その

音を聞きながら、ベットでくつろいでいたネムが、ふっと流し目にスバルを見た。

 

「えっと、二日後には出ていくお客様は、少しは進展とかしているのですか?」

 

 ずいぶんとストレートに聞いてくるところがラムの遠慮なさに似ているとものだと、スバルは思わず小さな苦笑を浮かべる。

——この三回目のループが始まって、すでに事態は二日目の夜に入っている。

 今回の三回目のループでのスバルの屋敷での立場は、これまでとは打って変わって客人

待遇だ。それもそのはず、最初の朝食での席でスバルがそう望んだから。

 

 客人待遇を求めた今回、スバルは客室を与えられて、レムとラムとネムに身の回りの世話をさ

れながら、前回の文字習得の勉強を継続している。

——それも全ては、後腐れなく一度屋敷を離れる理由を作るために。

 内心で先々の構想を練りながら、指先は別の意識が働いているようにイ文字を模写し続

けている。気持ち悪いほど機械的な動きで、まったく頭に入ってきてないが。

 

「その惚けた顔は集中しているからですか?それともいつも通りですか」

 

「文学青年まっしぐらな今の俺を見て良く言ったもんだぜ。一心不乱に机に向かう俺の背

中を見て、思わずときめいちゃったりしない?」

 

「品性の欠片もない発言、そしてこの読みづらい字。——文学青年が聞いて笑われてしまいますよ、お客様」

 

「本当にラムにそっくりだな、時々分身かと思うくらいだよ。もっと可愛らしいメイドになってくれよ」

 

 スバルの恨めしげな提言は爽やかに無視され、ネムは文字で埋め尽くされたページをぺ

らぺらと無に等しいの顔つきでめくっている。表情の動かないにネムの横顔を睨みながら、

こうして距離を縮めてきている態度に腑に落ちないものを感じずにはいられなかった。

 

 使用人待遇であった前回までと違い、今回、ネムたちとの接点は少ない。それこそエミ

リアを追いかけている時間以外は、こうして部屋にこもって文字の書き取りに追われてい

る。たまに、ちゃんとベアトリスをからかいに行って入るが。

 だからラムとレムとネムの三人には、使用人と客人の距離感でしか接触していない。しかし、ネムは

姉方に言われているのか、時々こうしてスバルの部屋を訪れて、スバルの様子を見守っては、

時間を過ごしていく。それが、不思議ではならなかった。

 

「じっとネムを見つめるのはやめてください。姉様に言いつけますよ。お客様」

 

「わりぃわりぃ、少し考え事しててな。姉様に言いつけるのはやめてくれ、平手打ち飛んできそうだから」

 

 気まずさを誤魔化すように目を逸らした先、赤茶けた背表紙の本が置かれている。拾い

上げたそれは参考書扱いの童話であり、点在する文字もそろそろ理解できる。

 

「つまり、時は満ちたってことだ。そろそろ、勉学の成果も実感したいしな」

 

「知らなければ恥をかくような、ネムでも知っている常識なお話ばかりです。文学青年を気取るなら、

このぐらいのイ文字は完璧でないと」

 

「俺が文学青年気取ったのそんなに嫌だった?」

 

 ネムはスバルの問いかけに応じず、机の上に残っていたカップをお盆の上に片付ける。

それはスバルの飲みかけだったのだが。

 

「おーい、まだ飲みかけなんですけど、片付けるの早くね」

 

「どうせ不味そうな顔をして飲むんですからいらないでしょう。お茶だって、どうせなら味の分かる方

に飲んでもらったほうが嬉しいですよ」

 

「だから葉っぱの味がするって感想言ったじゃん・・・ああ、もういい。俺は本に没頭する

から、姉様んとこに甘えに行くなりてけとーに時間潰すなり好きにしてけ」

 

 ぞんざいに手を振ってから、スバルは椅子に寄りかかって童話集を開いた。最初に作者

の序文と目次のページがあり、本文に入る流れは見慣れた本の書式にならっている。

 

「ええと、なになに・・・むかーしむかし」

 

 やっぱり、どの世界でもおとぎ話の始まり方はこれがしっくりくるんだなぁ、と妙な納

得をしながら物語を読み進める。童話、というだけあって物語の起承転結は非常に明快で

簡潔。子どもへのわかりやすさ優先で、想像の余地が多いところなどいかにも童話だ。

 

「教訓っぽい展開が多いのも一緒だな。もろに泣いた赤鬼みたいな話とかあるし」

 

 ちなみにスバルがおとぎ話で一番好きなものが『泣いた赤鬼』だ一番嫌いなおとぎ話を

聞かれても。『泣いた赤鬼』と答える。

 

「バットエンドもビターエンドもクソ食らえだよなぁ。全部幸せで、いいじゃんかよ」

 

「趣深い感想を言っているところ悪いですが、読み終わったんですか?」

 

「読み終わったよ。微妙な常識感の違いを楽しめて意外と面白かった。こう、まさに異文

化交流した感じ。俺も地元のおとぎ話、いくつか輸入してみようか。泣いた赤鬼とか」

 

「泣いた赤鬼・・?」

 

 異世界への著作問題を考えるスバルの呟きに、ネムが口を固くとじて反応。珍しいネム

の反応にスバルは「へえ」と眉を上げ、

 

「そういうタイトルのおとぎ話が地元にあるんだよ。なんなら話て聞かせようか?」

 指を立てて提案するスバルにネムは無言。ただ、寝台に腰を掛けたまま膝に手を置いて視

線をスバルに向ける仕草が、話の先を促しているのを表明している。

 

「んじゃ、ご静聴願おうか。『泣いた赤鬼』。むかーしむかし、あるところに・・・・」

 

 決まり切った文句から始まるおとぎ話、「泣いた赤鬼」は、人間と仲良くしたい赤鬼と、

その友人である青鬼が織りなす友情物語——そういって、差し支えない話だ。

 山で暮らす鬼の二人は、村人と赤鬼が仲良くなるために試行錯誤した挙句、村で

悪さを働く青鬼を赤鬼が懲らしめ、赤鬼と村人との溝がなくなって仲良しになるという結

末を迎える。物語の最後で青鬼はいなくなり、赤鬼はいなくなった青鬼の友情を示し方に

崩れ落ち、青鬼のために涙を流す。そんな物語だ。

 

「赤鬼は青鬼の家の前に残った手紙を何度も読んで、涙を流しました・・・・おしまい」

 

 簡略的にではあるが、スバルはそんなおとぎ話をネムに対して語り終える。スバル自身、

何回も読み直した物語だ。私見が入らないよう、留意して言葉を尽くしたと思う。

 話を聞いていたネムは口を閉し、頬を硬らせてした。そんな彼女が口を開くのを、スバルは語り終え

他のと同じ姿勢で待ち続ける。やがて、ネムは硬い口を開いた。

 

「・・・・悲しい、お話ですね」

 

 ぽつりと、そうこぼすネムにスバルは頷いた。

 

「そうだな。でも、俺は優しい話だと、そう思う」

 

「登場人物の鬼二人が報われていない気がする、とネムはそう思いますね。赤鬼も青鬼も」

 

「そいつはまぁ、納得する部分もあるな。全部肯定できるわけじゃねぇけど」

 

 三者いずれも考えが足りないのは事実だと思う。騙されるだけの村人はいざ知らず、鬼

二人はもっと話し合えば、もっとまともな妥協点は望めたはずだ。少なくとも、この二人

の間に永遠の別離が訪れる必要など、きっとない未来があったはずなのに。

 

「だから俺は、この話が大好きで大嫌いなんだよ。青鬼の自己犠牲はすげぇかっこいいけ

ど、すげぇ報われてなくて馬鹿だ。俺は頑張っ分だけ報われたいと思うタイプだし」

 

「お客様は青鬼の方をそう思うのですね。・・ネムは、赤鬼の方を救いがたいと思ってしまいました」

 

 ネムの答えにスバルは顔を上げる。ネムは、スバルの方に視線を向けず拳を強く握り、

 

「自分の望みのために青鬼を利用して、結果、自分は何も失わず、青鬼に失わせた。ネムは聞いていて

あまり気持ちよくないお話でしたね」

 

「じゃあ、お前は鬼二人はどうすりゃよかったと思うんだ?」

 

「・・・赤鬼は、本気で人間と仲良くしたいと思っていたなら、人里に下りて

時間をかけてでもゆっくり少しずつ親交を深めていけばよかったんです」

 

「時間をかけてか・・・」

 

 寂寥感に溢れた意見に、スバルは沈黙しながら考える。その様子をネムは見てとり言葉を続ける。

 

「何かを得るための対価を自分ではなく、青鬼に払わせるのはどうかと思います。欲したのは赤鬼なら、

傷付くのも赤鬼であるのが道理です。先走って判断した青鬼にも問題がありますが」

 

「厳しい見方をしやがんなぁ。鬼になんか恨みでもあんのかよ。お前」

 

「——お客様は、鬼のどちらと仲良くしたいと思うんですか?

 

「鬼、二人の?」

 

 ネムの問いかけにスバルは目を瞬かせる。その問いかけは、考えたことがあまりない。

 頷き、ネムは両手をスバルの方へ伸ばして、それぞれの指を一つずつ立ててみせる。

 

「欲するばかりで犠牲は払わない赤鬼と、自己犠牲ばかりで自分を大切にしない青鬼と、どちらですか?」

 

「なんともまぁ、言い方次第って感じの二択を・・・しかも、俺は斬新な村人設定かよ」

 

 『泣いた赤鬼』でディスカッションはしたことないが、村人の立場で物事を考えるのは

珍しい。ともあれ、スバルは差し出されるネムの両手を見つめて、少し迷ってから、

 

「・・・ふーん」

 

「なんだよふーんて、俺が『泣いた赤鬼』を読んだことある以上、どっちの手も取りたいっ

て思っちまうのが人情ってもんだろ?」

 

 ネムの両手を、伸ばしたスバルの両手をそっと押さえる。スバルの答えにネムは嘆くよ

うに吐息し、手が触れる距離にいるスバルを見つめて、

 

「片や自分本位で、片や他人本位。過ぎればどちらも側に置きたくないです」

 

「過ぎたら、な。それは傍にいる奴が教えてやればいいんじゃね?仲良くしたいって

思った赤鬼も、それを助けてやりたいって思った青鬼も悪い奴らじゃねぇだろうし。俺は

島にひきこもってる鬼を問答無用でやっつける正義より、こういう鬼のが好きだね」

 

 頬をつり上げるスバルに瞠目し、ネムは掴まれている指を見つめ、ほどき自分の両手を見る。手を

後ろに組み姿勢を整える。その様子を見て椅子に座り直し、改めてネムに向き直った。

 

「それで、ネムさん的にはお気に召しましたかね、『泣いた赤鬼』は」

 

「どっちとも仲良くしたいだなんて、お客様は欲深くて全てを拾うとするんですね。いつか後悔しますよ」

 

「そういうお話じゃなかったと記憶してるんですけど!?鬼の話とすげ変わってね?」

 

 スバルの叫びに首を横に振り、ネムは小さく手を叩いてその話を終わらせにかかる。ど

うにも性急な態度が気にかかったが、それを言葉にする前にネムが机の上の本を指差し、

 

「お客様の故郷のおとぎ話はともかく・・・こちらのお話で、印象に残ったものは?」

 

「そうだな・・・・気になったのはやっぱ、この真ん中にあったドラゴンと、巻末の魔女

の話だろ。どう考えてもこの二つだけ別枠扱いだし」

 

 ぺらぺらと童話集をめくってスバルは答える。この本の中で、スバルの印象にもっとも

強く残ったのがその二編だ。片方はまさに別格の扱い。そしてもう片方はまるで、

 

「魔女の話はなんつーか、載せないわけにはいかないから載せたぐらいの投げやり感が半

端ないけどな。起承転結とかALL無視して概要だけだぜ」

 

「・・・・魔女の話は仕方ないことです。竜の話が別扱いなのは、ここがルグニカである以

上は当然のことです」

 

「ああ、『親竜王国ルグニカ』だろ?名前の由来、やっとわかったよ」

 

 童話集を机の上に置いて、その表紙に手を添えながらスバルは頷く。

 今、スバルが滞在している大国は『親竜王国ルグニカ』と呼ばれているらしい。

 世界図で見ると、世界のもっとも東に位置するこの国が、『親竜王国』などと呼ばれる

のには理由があった。

 簡単な話だ。この国はずっと昔から、竜と結ばれた盟約で守られてきたというのだ。

 

「飢饉、疫病、他国との戦争——竜はその様々な窮地において、ルグニカを守るために力

を貸してくれたと言われています」

 

「それで付いた名前が『親竜王国』と。童話によると王族と竜の盟約だなんて書いてあっ

たし、こりゃおとぎ話というより昔話だよな」

 

「そうですね、事実ですから。今も貴きドラゴンは、この国の安寧をはるか遠方——大瀑布の彼

方より見守っている。王家と交わした約束、その成就の時までと、ネムは習いました」

 

 厳かにネムがそう告げるのを、スバルは喉を鳴らして聞いていた。

 はるか昔にドラゴンと交わされた約束。——童話にはその内容は描かれていないが。王

国の危機を何度も救ったほどの約束だ。

 そこまで考えて、スバルはふと気付く。竜の盟約、その相手がルグニカ王族ならば、

 

「あれ、ドラゴンと約束した一族って・・・ついこないだ滅んでね」

 

「そうですね。流行り病でお亡くなりになられました」

 

「それってヤバいんじゃね?いや、何がどうヤバいのか全然わかんねぇけど」

 

 約束のためにこれだけ尽くしてくれるドラゴンだ。約束の対価も相当だろう。なのにそ

れを払うべき王族が勝手に滅んだとあれば、これまでの負債はどこへ向かうのか。

 

「竜が何を求めているのか、それは童話に記されていない通りわからない。今の状況で竜

がどう動くかは・・・」

 

「——竜のみが知る。ってところです。お客様」

 

 息を呑み、スバルは暑くもないのに、額に汗が伝うのを感じていた。

 今のネムの言葉を咀嚼し、呑み込み、胃の中で掻き回して吸収してから息を吐く。強大

な力を持つ竜との交渉、それを行うのは王国の頂点。即ち、スバルの知る少女であり、

 

「エミリアにかかるプレッシャーは尋常じゃねぇな」

 

「はい、一国を背負い、その命運を両肩に乗せて、国を守るも滅ぼすも思いのままのドラ

ゴンと相対する——考えただけで、もう童話の一編になります」

 

 エミリアがこの童話集を見て、複雑な顔をしたのは前回のループの最後の夜だ。ページ

をめくるエミリアの手が止まった理由を、今ようやくスバルは悟る。

 エミリアの抱えていたものの大きさ、重さはスバルの想像を大きく越えている。あの華

奢な両肩にどれだけの重責を背負うのかと、そう考えるだけで心が悲鳴を上げるほど。

 

「仕方のないことです」

 

「——は?」

 

「誰にだって生まれ持つ資質があって、それに伴う責任があります。エミリア様は他の誰にもないような資質

を持って生まれてきた。だからその道筋が、どれだけ険しかったとしても歩んでいかなければならない」

 

「女の子一人に、そんなもん全部背負わせてか」

 

「荷物を一緒に持ってくれる人がいてもいいと思います。でも、いずれ辿り着く頂上に

は、必ずエミリア様自身の姿がなくてはならない」

 

 発生源のわからない冷酷な声音がスバルの声を震わせる。そして、それに応じるネムの声は冷

酷で無情そのもの。それがスバルの怒りを刺激しないための配慮だと気付き、肩を落とす。

 ネムにどれだけ怒気をぶつけても、それは筋違いだ。エミリアが背負う重責はネムの責

任ではなく、そもそもスバルが怒る資格もない。それが、無性に悔しかった。

 

「そうだ、ネムネム。もう一個の話なんだが・・・・」

 

 謝るのも違う気がして、スバルは話題を変えようと童話集を指さす。

 本の中央で、明らかに別格の扱いを受けていたドラゴンの話と対をなすように、巻末に

ほんの数ページだけで描かれたその物語はあった。

 題名は『しっとのまじょ』とされている。

 

「この魔女の話って・・・・」

 

「その話はネムは話す気になりません」

 

 ぴしゃりと、それこそドラゴンの話以上に断ち切るように言われた。

 思わず目を見開くスバルの前で、ネムは勢いよく立ち上がり背を向ける。

 

「長居しすぎましたね。姉様たちにも迷惑をかけれませんし、そろそろ戻ります。お客様、夕食の

ときにはまた呼びに上がります」

 

「あ、ああ・・・・」

 

 有無を言わせぬ態度で、ネムはさっさと部屋を出ていこうとする。が、扉に

手をかける直前で足を止めて、ネムは置いてけぼりのスバルに振り返ると、

 

「さっきのお話・・・鬼のことなんですが」

 

「ん、ああ。『泣いた赤鬼』がどうかしたか?」

 

「姉様たちには聞かせないでください。きっと嫌がる話でしょうから。それと・・いえ、なんでもありません」

 

 話も何も、話題がおとぎ話に転がることなどそうそうありはしない。にも拘らず、念

押しするようなネムの言葉に圧迫感すら覚えて、小さく頷くしかない。

 それを見届け、今度こそネムは部屋を出て行き、スバルは脱力感にベットに倒れ込んだ。

 最後のネムの態度。レムやラムにおとぎ話を禁じたこともそうだが、それ以上に、

 

「なんなんだよ、あの態度・・それに最後何を言いかけようとしたんだ・・?」

 

 天井に悪態と疑問をぶつけてから、スバルは童話集を拾ってページをめくる。

 最後の一篇、『しっとのまじょ」は四ページだけの短い物語だ。

 

「こわいまじょ、おそろしいまじょ。そのなまえよよぶことすらおそろしい。だれもがか

のじょをこうよんだ。『しっとのまじょ』と・・・・」

 

 起承転結も何もない、ただひたすら魔女の恐ろしさだけ伝えようとする内容。子ども

でも読める文字で描かれているだけに、より淡伯でストレートな不気味さがあった。

 

「せっかく勉強して読めるようになった本だっつーのに・・・」

 

 達成感や満足感、果ては爽やかな読後感まで、一緒くたに台無しにされた気分だ。

 スバルはベットの上で寝返りを打ち、一度、童話の内容を頭から切り離す。それから考

えるのは、あと二日だけを残した今回のループでの試行錯誤だ。

 明日一日をかけて準備を済ませて、二日後の朝から行動に移す。

 尽きない不安を一つずつ潰しながら、いつしかスバルの意識は眠りの中へと落ちていた。

 

 

 

5

 

 

 

「えーっと、それでは短い間ですが、お世話になりました」

 

 玄関ホールで屋敷中の人間(たった五人な上にベアトリス除く)に見送られながら、ス

バルは別れの挨拶を滞りなく済ませていた。

 スバルが要求した三日の逗留、その約束の期限が訪れ、旅たつ朝がきたのだ。

 ジャージにコンビニ袋を提けた初期装備スバルだが、背中にはロズワールが厚意で持

たせてくれた道具袋を背負っている。ずっしりと重い道具袋にはそれなりの金額が入って

いるらしく、ロズワール曰わく『エミリア様の件の御礼』出そうだ。

 

「ホントに大丈夫?竜車を呼んでもらって、王都ぐらいまで乗っていっても・・・・」

 

 見送りの面々の中、最後までスバルに声をかけるエミリアの表情には心配の色が濃い。

自分を案じてくれるエミリアの態度を嬉しく思いながら、スバルは力強く胸を叩いた。

 

 

「大丈夫だって。ゆっくり、のんびり行きたいんだ。いずれエミリアたんに相応しい、

強くて賢くて金持ちな男になったときは、白馬に乗って君をさらいにくるよ」

 

「ハンカチ大丈夫?飲水とラグマイト鉱石と、それからそれから・・・」

 

「完全にオカン目線!?」

 

 あれこれ心配するエミリア。終いには「一人で寂しがらずに寝れる?」とまできたもの

だから、どれだけ人恋しいと思われているのか。あるいは直感で、胸中に不安を押し隠し

ているスバルの本音を感じ取っているのかもしれないが。

 

「そーぉれじゃ、スバルくん、息災で。短い間だーぁったけど、楽しかったよ。お土産も

なくさないように。君との三日間の思い出の分だけ、ちょこぉーっと上乗せしたから」

 

 

 握手を求めながらウィンクするロズワール。その意図を察したスバルは握手に応じなが

ら、背負った道具袋を揺らして音を立てる。

 

「口止め料だろ、わかってるって。余計なことは言わない。ドラゴンに誓うぜ」

 

「君と接していると悪巧みの回を見失いそうになるね。それにこの国でドラゴンに誓う、

というのは最上級の誓いだ。疑うわけじゃないけど、努努、それを忘れないよーぅに」

 

 ロズワールの念押しに手をあげて応えて、それから上げた手を今度は道化姿の背後に立

っている三姉妹に向ける。無言で佇む三人の肩を、スバルは伸ばした手で叩いた。

 

「三人にも、超世話になった。特にレムりんはいつもうまい飯をありがとうよ。ネムネムは

姉様方のお手伝いよくやってるし、たまに手伝ってくれてありがとな。それからラムちーは

・・・・うん、なんだ、トイレ掃除とか上手だよな?」

 

「姉様、ネム。お客様ってばお世辞が絶望的にヘタクソですよ」

 

「レム、ネム。お客様ってばお世辞が致命的にセンスがないわ」

 

「姉様、姉様。お客様ってばお世辞に品のかけらもございません」

 

「やかましいな、マジで思いつかなかったんだよ。でも、ありがとうな」

 

 全員に別れの言葉を告げて、名残惜しくなる前に玄関を押し開く。

 屋敷の入り口、前庭を抜けて鉄門をぐるぐると、アーラム村まで一直線の林道が続く。基本

は道なりに街道を目指し、途中で竜車を拾って王都へ——それが、スバルの偽プランだ。

 

「スバル、色々ありがとう。何かあったら、いつでも寄ってね」

 

 最後の最後まで、優しい言葉をかけてくれたエミリアに別れを告げて、送り出されたス

バルはアーラム村への道を踏む。屋敷から、スバルが見えなくなるまで手を振る銀髪の少

女。その仕草がどこまでも愛おしく、不安に小さくなっていた使命感が再び燃え上がる。

——林道をしばらく進んだところで、足を止めたスバルは周囲に警戒の目を向ける。人

の気配や視線がないのを確認してから、道を外れて森へと入った。野生動物が多いから森

へ入るのは危険だと、ラムたちに注意されていたにも拘わらず。

 忠告を無視し、草木をかき分けながらスバルは森の奥へ向かう。いくつかの斜面を上り、

時折、枝やざらついた葉で引っかき傷を作りながらもペースは落ちない。

 そのまま、十五分ほども山中を進んだだろうか。

 

「よし、ここだ」

 

 視界から緑が晴れると、高い空がスバルを迎える。森の斜面をいくつも超えた先、ス

バルは山間の小高い丘にたどり着き、眼前の屋敷を見下ろしていた。

 見慣れた豪邸、ロズワール邸の全景を山中から見下ろせる位置だ。

 林道を回り、森と山を経由してたどり着いた絶好の覗きポイント。

 

「特にエミリアの部屋がよく見える。何か異変があれば、すぐにわかるだろ」

 

 遠目に、エミリアの居室の窓が確認できる。中まで覗けないが、騒ぎや異変があれば

確実に予兆を目視できる位置だ。四日目の夜、異常はそのタイミングで必ずくる。

 

「つまりは今日の夜だ。あとは、事が起きるのを待ち構えるだけ」

 

 今が朝で、スバルが殺された時間までは十六時間ほど——集中力は、保つはずだ。

 使用人として働くこともなく、今回は休養にした結果、気力体力は充実している。

 ロズワール邸の異変を事前に察知し、何が起きてもすぐに屋敷に飛び込んでいける条件

を作る。それがスバルの今回用意した、奇襲前提の作戦だ。

 屋敷に残った場合、襲撃者は呪いの対象としてスバルを含める。

 追撃手段に乏しく、戦闘力も低いスバルでは襲撃者に対抗する役目は果たせない。刺客

の情報が一片でも欲しい今、それは致命的なことだ。

 ならばまずはどうするか—-スバルに出した答えは、至ってシンプルなものだった。

 

「今回は死んだもんと割り切って、襲撃者の見極めと襲撃状況の把握・・・それに徹する」

 

 これまでの二度のケースから、スバルは今回の襲撃は王戦絡みの暗殺であると判断して

いる。狙いが本命のエミリアを含んでいるのか、警告のために関係者を狙っているのかは

不明。だが、二度もスバルが殺された以上、関係者は皆殺しにされる可能性は高い。

 

「対策が通じるかは別として、ロズワールも警戒はしてるっぽいんだよな・・・・」

 

 脳裏に浮かぶ道化姿の貴族、ロズワール。スバルは彼がエミリアというキングを無防備

に晒しておくような間抜けではないと想定している。

 屋敷に置かれた、ラムとレムとネムというたった三人の使用人の存在がそれを裏付けていた。

 

 「最初は正直、この規模の屋敷の維持に使用人三人とか頭おかしいのかと思ったけど・・・」

 

 忠誠心確かで、長い付き合いで築き上げた信頼関係で結ばれている主従だ。ラムの行き

過ぎた忠愛と、レムとネムの敬意を見ればそれは伝わってくる。

 ロズワールはおそらく、裏切る心配のない存在だけでエミリアの周囲を固めているのだ。

 数ヶ月前に一人のメイドが辞めているという事実や、使用人を増やせないという内容に

言葉を濁したラムの真意も、それが事実なら納得できる。

 

「問題はその警戒が機能してるのかどうか、実際に襲撃が起きたときに死んでる俺にはわ

からないってことだ。俺が死んでるだけならまだいいが・・・・・・いや、よくねぇけど」

 

 ロズワールの対策が、イレギュラーであるスバルまでは守りきれなかったのであればよ

し。そうでないなら、エミリアにも被害が及んでいることになる。

 そしてスバルは王都で三度、屋敷で二度目の死から、現実は備えに備えを重ねた上から悠

然と手を伸ばしてくると経験している。

 状況は最悪の、そのさらに下を想定して然るべきなのだ。

 

「この場合の最悪は、ロズワールの警戒むなしくエミリアは暗殺される。当然、ロズワー

ルやラムとレムとネム、ついでにベアトリスをまとめて皆殺し・・・・だ、クソ」

 

 想像するだけで胸に嫌気が差し込む、最悪のシナリオだ。

 それを食い止めるためといえ、こうして事態を外側から俯瞰しようと決断している自

分の、ご立派な合理性とやらにも吐き気を感じる。

 もちろん、非情に徹し切れないスバルは予防線をいくつも張り、何かが起きれば即座に

屋敷に駆け込み、敵襲を報せて走り回る気でいるが。

 

「相手が俺の叫びでビビッて逃げてくれる慎重派だと助かるな」

 

 希望的観測を口にしながら、道具袋からスバルはロープを取り出す。屋敷の倉庫から拝

借してきたかなり長いもので、それを手近な木の幹と自分の腰にしっかりと巻きつける。

 命綱的な使い方をこのまましたら加重で死ぬので、途中に複数の結び目を作ってだ。

 

「あとはロープ切断用のナイフ・・・こんな使い方したら、怒られるだろうな」

 

 言いながら取り出したナイフは、すっかり手に馴染んだ感触の愛刀『流れ星』だ。

 今回のループでは立場が立場だっただけに、手に取れたのは今日が初めてだが、

 

「実際は、やり直した四日と四日で何回も使ってるもんだしな」

 

 使用人として雑用に追われる中、厨房でのスバルの主な役割は野菜の皮剥きと食器洗い

だった。『流れ星』はジャガイモ的な野菜やリンガ、そして時にスバルの手を切ってくれ

た愛刀だ。今回、計画にナイフが必要になったとき、自然とこのナイフを持ち出していた。

 

「ロープを切るならまだしも、最悪の場合は・・・・な」

 

 ナイフは脱出用だけはなく、いざというときの自傷用の役割も担っている。

 呪いへの対抗手段として、自傷で痛覚を刺激すれば抗い難い眠気は退けられるはずだ。

 最悪の場合、この刃は敵に向ける可能性もある。そして本当に最悪の場合は——

 

「自害用、か。は・・・・できるのかよ、俺に。そんなおっかない真似・・・・」

 

 

 臆病で、小胆な自分にそんな決断ができるなどとは思えない。

 ナイフの刃に自分の顔を映し、スバルは喉をひきつけられて自嘲の笑みを浮かべる。

 手の中の小さな刃物を見て、脳裏を過ぎるのはラムとレムとネムと接した記憶だ。

 ナイフの扱いがヘタクソなスバルを罵るラムと、ナイフで手を切ったスバルを呆れた様

子で横目にしていたレム。そんなスバルのことを気にしつつも自分の仕事を淡々とこなしていたネム。

 変なものを切るなと、そのたびに怒られて。

 

「・・・・怒られる、だろうな。またこんな、本当の使い道と違う使い方して」

 

 ラムに見下され、レムに呆れられ、終いにネムには呆れ果てられ、怒られる自分の姿がはっきり幻視できる。

 

「怒られるだろうなぁ。・・・・怒られてぇなぁ」

 

願望が口から漏れる。何事もなく、またあの日々に埋もれてしまいたい本音が。

 

「死にたくねぇなぁ。——死なせたく、ねぇなぁ」

 

 自分に言い聞かせるように言って、スバルは別ればかりのみんなの顔を思い出す。

 スバルは次のループに備えて、エミリアたちを捨石しようとしている。今回だって前

回までと同じく、確かな絆を結んだはずの彼女たちをだ。

 疼く胸を押さえる。これは戒めだ。当然の報い、受けて当たり前の必罰なのだ。

 失うことを前提に策を立てたスバルが、絶対に受けなくてはならない類の断罪だ。

 痛ましいと、そう思いながら接した。愛おしいと、そう思いながら接した。

 生じた傷口を指で広げて、肉を抉って骨を割るような苦痛に耐えながら、スバルはこの

失われる四日を過ごしてきた。全てを忘れないために、だ。

 

「言ったはずだぜ、ナツキ・スバル。繰り返した時、みんなが忘れていても・・・

お前は、それを覚えてる」

 

 だから今回のことだって、忘れていいことだなんて思ってはいけない。

 最後の、最後の瞬間まで、スバルが欲しがるハッピーエンドを求め続けなくてはならな

い。エミリアの存在を、時の狭間に消える泡沫などと決める権利は誰にもない。

 じっと身を伏せ、木々の隙間からスバルはロズワール邸を監視する。呼吸を殺し、緊張

しているはずの体の鼓動を鎮めながら、覚悟を全身に染み渡らせていく。

 かつてないほど、自分の体が自分の意思に従う感覚。

 その得難い感覚に身を任せながら、スバルはジッと時を待ち続けた。

 

 

6

 

 

時刻が夕方に差し掛かり、夕焼けの橙色がスバルのいる丘を眩く照らし出していた。

 陽光に目を細めながら、スバルは緊張する体を動かして、固くなる手足を解す。

 すでに屋敷の監視を始めて八時間ほどが経過している。その間、屋敷にこれといった変

調はなく、至って平穏を保っている。そう、夜までは平穏だったのだ。

 

「そういや、今回はレムの買い出しがないな・・・」

 

 四日目の夕方までに起きる、レムとの買い出しイベントがない。純粋にスバル一人分の

食材が浮いたため、買い出しの必要性が減ったのだろう。微妙なイベントの違いだ。

 思い出し笑いをしかけ、スバルは自分の緊張感が緩みかけているのに気づいて頬を張る。

こんなところで、集中を切らしている場合ではない。

 

「あと八時間以上あるってのに、そんあ馬鹿やってる場合かよ。集中だ、集中——」

 

 言葉が、途中で途切れた。

 幸か不幸か、ソレはスバルが気持ちを切り替えた、瞬間を狙ってきたからだ。

 

「——————ッ!」

 

 かすかに鼓膜が異音を捉えた瞬間、スバルは体を躊躇なく横へ飛び退いていた。

 全感覚を投入した上での、事前に決めていた通りの回避行動。

 直後、聞こえたのは超重量の物体が樹木を半ばからへし折る粉砕音。薙ぎ倒される木々

が周りを巻き込み。葉が枝が、折れ散る音が乱舞する。

 その中をスバルが駆け出し、一気に身を崖の下へと踊らせていた。

 

「————っあ!」

 

 奥歯を噛んでも殺し切れない悲鳴がわずかに漏れ、落下に内臓がひっくり返る浮遊感を

味わう。が、二秒で勢いは命綱によって中断。締め付けられる痛みに悲鳴を上げ、

 

「緊急、脱出・・・・!」

 

 ナイフでロープを切断し、再開する落下の中で傾いた岩壁を靴裏で噛む。滑り、肩を打

ちつけながらもどうにか地面に乱暴に降り立ち、スバルは息をつく暇もなく走り出す。

 身を軽くするために道具袋も投げ出し、形振り構わず走って息を荒げながら、

 

「見た!はぁ・・・・見たぞ!」

 

 

 スバルを奇襲し、木々を薙ぎ倒した物体——それは人間の頭部ほどある棘付きの鉄球

だ。ぼボーリング玉に殺傷能力を持たせたといってもいいソレは、長い長い『鎖』が特徴的

な武装『モーニングスター』だ。

 

 伏せていたスバルの鼓膜を掠めた金属音、鎖の音色はまさしくあの凶器のものだった。

 その威力と凶悪さを目の当たりにして、今さらながらスバルは歯の根が噛み合わない。

 あの質量が鋭さを伴って飛来すれば、直撃を受けた体が四散してもおかしくない。スバ

ルの半身が吹き飛ばされたのも、納得がいくというものだ。

 

「しかし・・・凶器は二つのはず・・・ッ、こっちきたか!」

 

 枝を踏み、溝を飛び越え、足場の悪い道を踏破しながら唾を飛ばす。

 スバルへの襲撃と同じぐらいの可能性で、屋敷を離れたスバルへの襲撃はあるものだろう

と判断していた。関係者を皆殺しにするのが目的なら、スバルも標的だろうと。

 

「でもそれは、あの屋敷に俺がいることを何日も前から知っていたってのが前提だ!」

 

 襲撃者は屋敷を数日前から監視し、線密に計画を練っていたのだ。

 故に、屋敷を離れたスバルも標的の一人とし、襲撃を警戒していたこちらを狙って襲い

かかってきた。

 

「——————-ッ」

 

 息が切れる。肺が痛い。足がつりそうで、今にも転びそうだ。

 必死すぎて道を見失い、転ばないのを優先して獣道をひた走っている。スタミナに自信

のないスバルは、荒げた息の中で駅前の光景に舌打ちする。

 

「完全に、相手の掌の上で追い込まれてたってことか」

 

 立ち止まる先、悔しげになるスバルを閉じ込めるように崖がそびえたっていた。

 硬く鋭い破片を覗かせる石の壁は、上ることも踏み台にすることも拒む自然の要害だ。

当然、ここを乗り越える手段など今のスバルにはない。

 振り向き、乱れた息を深呼吸で整えて、身構える。

 正面、いつの間にか森の中の闇は深く、夕焼けを木々が遮るこの場所は世界から隔絶さ

れたかのような寂寥感で満ちていた。

 

「くるなら、こいや・・・・・!」

 

 弱音を強気で追払い、スバルはジャージの前を開けると上着を脱ぐ。脱いだ上着を両

手に広げて構え、襲撃者が辿り着くのを静かに待ち構えた。

 追い詰められている。追い込まれている。スバルは今や、捕食者の罠にはまった無力な

獲物に過ぎない。だが、ただで食われてやるほど可愛げはない。

 払った犠牲に見合うだけの、対価を貰っていく。

——刹那、闇の彼方から鎖の音色を引き連れて、暴力が飛来した。

 

「こんじょう・・・・入ってるかぁぁぁぁぁ!?」

 

 致死確定の一撃を眼前に、スバルの体が常識を外れた反射を見せる。

 両手に構えたジャージの上着を引き上げ、飛来した鉄球を真下から巻き取り、勢いをそ

 らして胴体への直撃を紙一重で回避したのだ。もっとも、両腕から上着はもぎ取られ、衝

撃を殺し切れずに体は岩壁に叩きつけられた。

 だが、顔を上げ、狙いを外した鉄球が壁に突き刺さってるのを見た瞬間、スバルは目

論見が成ったと飛び起きて、伸び切った鎖をしっかりと掴んだ。

 そして掴んだ鎖の反対——それを握る、襲撃者がいる方向を睨みつける。

 

「さあ、姿を見せろ、クソ野郎!その面を見るのに、散々苦労したぞコラァ!」

 

 怒声を上げ、口汚く罵ることで自らを鼓舞する。

 鎖を掴むのと反対の手に、ロープを切断したナイフを握り直す。最悪の場合、襲撃者に

対してこれを振るう覚悟はある。その必要があるなら、スバルは躊躇わない。

 どんな相手が出てきても、決して見逃さないように闇に目を凝らす。

 絶体絶命の状況だったが、どうにか命は拾った。あるいは今回を捨石にすることなく、

襲撃者を撃退することも可能かもしれない。

 一度は諦めかけた状況の中、楽観めいた光明にスバルは必死で手を伸ばす。

 その光の中にエミリアが、メイドの三姉妹が、生意気な少女やロズワールがいる。思わず

状況を忘れて、スバルは消えるはずだった彼女たちとの思い出をかき集める。

 いくつもの約束。果たそうとして、交わそうとして、いまだに届いていない約束。

 そして、

 

「————仕方ありませんね」

 

 鎖の音が鳴り、持ち主の接近に伸び切っていた鎖がたわむ感覚。

 だが、そんな些細な感覚など置き去りにして、スバルは目を見開いていた。

 唇がわななき、声にならない声が呻きとなって喉から漏れる。知らず、指先は掴んだ鎖

を手放し、首は現実を拒むように小さく力なく横に振られていた。

 草を踏み、枝を越え、闇からゆっくりと少女の姿が現れる。

 黒を基調とした、丈の短いエプロンドレス。頭を飾る純白のホワイトプリム。小柄な体

格には決して見合わぬ鉄球、それに鎖で繋がる鉄の柄を握りしめて。

 

「何も気付かれないまま、終わってもらえるのが一番だったんですが」

 

 青い髪を揺らし、見慣れた無表情で小首を傾けて、

 

「・・・・・嘘だろ、レム」

 

 守りたいと思っていたはずの少女が、スバルの前で凶悪な鉄球を振りかざしていた。

 

 

 

7

 

 瞬間、スバルの脳裏を支配していたのは完全な空白だけだった。

 目の前の光景を否定したい、などという縋るような懇願すらも思い浮かばない。

 ただひたすら真っ白に、スバルの思考は白い景色に覆い尽くされていた。

 呼吸が止まり、心臓すら鼓動を忘れたような停滞。そこからスバルを解放したのは、一

滴の汗が額を伝い、肌を撫ぜる感触がやたらと冷たく感じられたからだった。

 だが、現実に戻ったスバルを出迎えるのは、現実を否定したくなる光景なのだ。

———マズイ。マズイマズイマズイマズイマズイマズイ。

 空白に続いて思考を埋め尽くすのは、焦燥感と混乱でしっちゃかめっちゃかになってし

まった独り言だ。何もまともに考えれない。目の前にいるのは本当にレムなのか。

 慇懃無礼で皮肉屋で、そのくせ姉妹離れができていなて、几帳面というより神経質で、

傍若無人な姉に負けず劣らず、外巧内嫉な妹に優しく時に厳しい——スバルの知る、レムだというのか。

 先の戦意が霧散してしまったスバルを見ながら、レムは自分の青髪を空いた手を撫ぜ、

 

「抵抗しないでくれたら、楽に終わりにしてあげることもできますよ?」

 

「———その申し出に是非ともお願いしますって応じると思うか?クソ食らえだよ」

 

「失礼しました。そうですね。お客様は確かにそういう方でした」

 

 ぺこり、と丁寧にお辞儀をする姿はあまりにこの場面の雰囲気と乖離している。ともすれ

ば屋敷の中での一幕と錯覚しそうなほど、レムの振る舞いは普段と変わらない。

 それだけに、レムの手の中にある無骨な得物の異物感を拭い去ることはできなかった。

 

「女の子にごつい武器ってのは、確かにロマンだけどな・・・・」

 

 鉄の鎖に棘付きの鉄球。直撃した相手をミンチする致死性の打撃武器。レムにこれを

チョイスしたのは、趣味がよほど悪い人物に違いない。一度はその威力を味わい、壮絶に

命を散らしたスバルだ。意のままにレムが鉄球を操れることは実験済みである。

 現実を少しずつ噛み砕いて受け入れながら、スバルは突破口を求めて言葉を作る。

 

「どうしてこんなことを・・・って、ありきたりな台詞言っていいか?」

 

「そう難しいことじゃありませんよ。疑わしきは罰せよ。メイドとしての心得です」

 

「汝、隣人を愛せよって言葉はねぇのか?」

 

「もうレムの両手はどちらも埋まっておりますので」

 

 時間稼ぎに付き合うつもりはないのか、受け答えに応じるレムの視線は片時もゆるまず

スバルを見ている。今、動けば確実に、殺される。

 まがりなりにも五度死んだスバルの本能が、絶叫しながらアラートを鳴らしている。

 膠着状態というには一方的な詰めの場面だ。スバルはひたすら頭を回転させて、少しで

も情報を絞り出し、注意をそらせないかと苦心する。

 

「———ラムやネムは、このこと知っているのか?」

 

 ふと、口をついて出たのはレムと瓜二つの容姿を持つ姉と、双子の妹で、いつも二人の後ろ

をひっついてまわる妹の名前だ。

 愛想が悪く、口も悪く、態度も悪いと三冠王。それに対して、愛想は微妙、口は若干ラム似、態度はレム似との姉大好きメイド。

 メイドとしては妹どちらにも全て劣るラムに、姉様愛好家で片時も離れないようなネム。

そのラム、ネムすらも敵に回っているとしたら——スバルの過ごした、あの日々は。

 

「姉様やネムに見られる前に、終わらせるつもりです」

 

 だから、レムが口にした答えは、図らずもスバルが求めていた答えと言っていい。

 長い息を吐いて、スバルはレムの目を真っ向から見つめ返す。唇を舌で湿らせ、いく

らか生き返った目をするスバルにレムが眉を寄せていた。

 

「つまり、独断だな?ロズワールの指示じゃないと」

 

「ロズワール様の悲願の障害はレムが排除します。あなたも、その中の一つ」

 

「飼い犬の躾もできねぇのか。噛まれる通行人Aはたまったもんじゃね———ぶわぁっ!」

 

「ロズワール様の侮辱は許しません」

 

 レムの本心を探ろうと、軽く挑発したスバルの横っ面が鎖に弾かれる。打撃のインパク

トに視界が揺れ、鋭い痛みを発した左の頰が縦に大きく裂けていた。

 壁に突き立ったままの鉄球の、鎖部分を鞭のようにしならせてスバルを打ったのだ。

 挑発と軽口一つでこの被害だ。が、その甲斐あって拾うものはあった。

 少なくとも、レムのロズワールへの忠義は本物だ。そして、スバルの口封じがロズワー

ルのためだと信じ込んでいるのもおそらく事実。スバルのロズワール邸から外への離脱は、

王戦でエミリアを支援するロズワールの不利益になると判断されたのだ。

 そしてそれはつまり——

 

「ああ。そういうことか。——そんなに、俺が信用できなかったか」

 

「はい」

 

 躊躇なく頷かれて、スバルは胸の奥に鋭い刃物を突き込まれたような痛みを感じた。

 その答えはスバルにとって嫌な予感を掻き立てるものであり、その予感を肯定されるこ

とは屋敷での日々のあらゆる場面の彩りを変えてしまう。

 だからスバルは、その芽生えた嫌な予感を口に出さず、胸の内にしまい込んだ。

 ただ、滑稽な自分の間抜けさに対する自嘲の笑みだけは堪えきれなかった。

 

「ざまぁねぇよ、俺。うまくやってたなんて、勘違いしやがって」

 

「・・・・姉様やネムは」

 

「聞きたくねぇよ!——くらっ・・・ッ!」

 

 叫ぶ瞬間、目の前は海より青い灼熱に覆われていた。それは・・

 

「何をしようとしたのですか、スバルくん」

 

 決死の覚悟で後ろに飛び退き灼熱、業火を回避する、途端同時にいるはずのない、崖の上から聞きなれた声がした。

 上を見上げるとそこに、小柄な人影がぽつり佇んでいた・・・

 

「・・・・・ネムなのか」

 

 崖の上から飛び降りる影、否、ネムは姉であるレムを庇うように前に舞い降りる。

背中には、凶器であろう大鎌を背負い、手には細長いレイピアをスバルに向けている。おそらく、呪いで死にかけ

足掻いた挙句に這い回ったあの夜に行われた凶器で間違いないだろう。

 

「どうしてお前まで・・・・」

 

「簡単なことです。ネムがあなたを信じれないから」

 

「お前もそうだったのか・・・なら、俺はこの運命を変えて見せる!」

 

 咆哮し、レム、ネムがわずか逡巡した瞬間、今度こそとばかりとスバルはポケットから携帯電話を前に突き出す。

——直後、白光が闇に沈んだ森を切り裂き、刹那だけネム、レムの動きに停滞を生んだ。

 

「今・・・だぁぁぁッ!」

 

 飛び出し、二人の横を走り抜ける、 

 あり得ない膂力で暴力装置を操るレムと、ネムだが、僅かな停滞が生じたいまは

スバルが抜け駆けするのには十分だ。反応に遅れたのを利用し、スバルはわき目をふらずに一気に駆け抜けた。

 喘ぎ、肺に空気を押し込みながら思考と足を走らせる。

 これがレムとネムの独断ならば、スバルの命を拾う3弾はかろうじてまた立つ。屋敷へ戻り、

雇い主本人に直談判できれば可能性はあるはずだ。しかし、ロズワールの意見もレムとネムと同

痔ならば、わざわざライオンの檻から抜け出し、狼の檻へ駆け込む愚行に他ならない。

 

「それでも・・・・エミリア、なら・・・!」

 

 記憶の中で誰よりも燦然と輝く、あの銀髪の少女ならスバルの言葉を信じてくれる。

 

——王戦の当事者であり、スバルの存在がもっとも疎ましいかもしれない彼女が、本当

にスバルの言葉を信じてくれるというのか?

 

「——————!?」

 

 一瞬、脳裏を過った自分の声にスバルは雷を打たれたような衝撃を受けた。

 まぎれもなく自分が、自分声で、エミリアの心を疑ったのだ。

 あのまっすぐで、一生懸命で、他人のために損をすることを躊躇わないような少女のこ

とを、そうだと知っているスバル自身が疑ったのだ。

 

「俺は・・・・・なんのために・・・ッ!」

 

 立場が変われば考えも変わる。そうだとしても、エミリアを疑った。

 守りたいと決意の拠り所にしていた相手すら疑って、スバルは何を信じるというのか。

 守りたい相手の心を疑い、守りたいと思った相手に命を狙われて、無様に山中を逃げ惑

いながら打開策の一つもまともに出せやしない。

———何が、今回はあえて情報収集に徹する、だ。

 いざ、目の前に予想と違う形で脅威が訪れれば、こうして命を吐き出しながら生にしが

みつくしかないではないか。驕っていた。甘く考えていた。浅はかだった。

 息を荒げ、坂道を転がるように走りながら、スバルは後悔だけを垂れ流していた。

 泣き言がこぼれ、涙が視界をぼやけさせる。足取りが乱れ、ふいに木々が空いた空間に

出くわし、スバルは空の向こうに夜が迫ってきているのを見た。そして——

 

「——あ?」

 

 超高々からの斬撃の刃が一閃、スバルの右足の膝から下を斬り飛ばしていた。

 勢いのまま大きく跳ねる右足の先端を見ながら、バランスを崩してスバルは地面に激突

していた。衝撃で頬の傷口から再出血し、岩肌に打った肩の骨が爆ぜる音が響く。脳に直

接電極を指したような痛みが全身をつんざき、スバルは絶叫した。

 

「ぁああああが!足がぁぁッ!?」

 

 痛みがない。それが逆に恐ろしい感覚だった。

 右足は膝下が消失し、吹っ飛んだ断片は茂みの向こうへ飛んだきりだ。遅れて噴出する

 鮮血が大地を赤黒く染め、今さらのように訪れる痛みが神経を蹂躙した。

 

「——————ッッッ!」

 

 地面を引っ掻き、声にならない苦痛を盛大に上げる。

 傷口を押さえ、体を振り乱し、空いた右腕は地面を叩き、木を殴りつけ、爪が盛大に剥

がれ、その熱さに意識が沸騰する。苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いた。

 痛みが神経を鑢で削り、剥き出しの体中を鉋掛けさせるような感覚。一秒ごとに血が凄まじい勢いで失われ、刻々と自分が死んでいくのがわかる。

 

「レム姉様」

 

「はい、ネム。わかっていますよ・・水のマナよ。このものに癒しを」

 

 ふいに暴れ回るスバルの体が柔らかな掌に上から押さえられた。身動きを封じられて

血走った目を巡らせると、スバルは傍とその姉の後ろに立っているメイド姿の少女がいることに気付く。

 青い髪、レム。紫の髪、ネムだ。スバルの逃亡を許さなかったネム。

負った傷をレムが今、青い白い光を掌に纏い、スバルの失われてた右足に温かい魔力を注いでいる。

むず痒さに似た感覚、治療の、魔法だ。

 完全に痛みが消えたわけではないが、遠ざかる現実にスバルを驚きが支配した。

 この期に及んで、レムがスバルを治療する理由がわからない。スバルの視線を受け、レ

ムの面差しに淡く微笑の気配が浮かぶ。そこに、ほんのささやかな希望を見出し、

 

「こんなあっさり死なれては、聞き出すことも聞き出せませんから」

 

 続くレムの言葉に、それが儚く愚かな楽観であったと思い知らされた。

 応急処置を終えて立ち上がるレムが、再度鎖の音色を奏でながら構える。

 地面に仰向けのスバルの、すぐ傍の地面を大きな爪痕みたいに抉ったネムの斬撃もそうだが、

 序盤に襲撃を仕掛けてきた鉄球。それは近くで見れば見るほど

無骨で、大雑把で、ただ命を脅かすことの身に特化した暴力装置だった。

 わざわざ見える位置に鉄球を構えるレム。後ろで援護射撃のようにレイピアを向けるネム。その真意は十分に伝わった。

 お前の命は自分が握っているのだと、そう知らしめるためのわかりやすい示威行為だ。

 

「———これは、没収しておきますね」

 

 言って、屈みこむレムがスバルの固く閉じられていた掌を開く。握られていたのは、レ

ムとネムの邂逅から硬直したように手放すことのできなかったナイフだ。

 強ばった指先を乱暴に剥がし、ナイフを取り上げたレムはそれを手の中で回した。

 

「さっき、レムにこれを突き立てていれば、もう少し展開は違ったものになったはずなのですが」

 

 スバルの行いの非合理性を、理解できないと言いたげにレムは眉根を寄せている。

 だが、淡くなり始めた苦痛の中、スバルは息を押し殺しながら首を横に振った。

———そのナイフをレムにネムに突き立てることなど、できるはずがない。

 レムの後ろで、ネムやラムに教わりながら、野菜や果物の皮剥きを教わったナイフを、あの騒

がしくも優しい時間を過ごした道具を、レムやネムの体に突き立てろというのか。

———そんな覚悟は、スバルにはなかった。

無言で首を振り続けるスバルに吐息をこぼし、レムはナイフを森の茂みへ投げ捨てる。

 それから気を取り直すように鎖を打ち鳴らし、スバルを冷淡な目で見下ろした。

 

「お聞きします。あなたは、エミリア様に敵対する候補者の陣営の方ですか?」

 

「・・・・・俺の心はいつまでもエミリアのものだ」

 

 言った瞬間、たわんだ鎖がスバルの上半身を激しく打った。

 逃走中、枝などで裂けていた肌着があっけなく破れ、その下の肌にも同じだけの裂傷が

刻まれ、スバルの絶叫が森に響き渡る。

 

「誰に、どんな条件で雇われているんですか?」

 

「え、エミリアたんの笑顔に、プライスレスで」

 

 手首の返しで同様の仕打ち、まったく同じ位置を寸分の狂いなく打つ技術を体感しなが

ら、苦痛の叫びでその技量を褒めたたえる。

 その後も、似たような質問に似たような返事。

 その回数分だけ鎖の音が響き、それに続いて苦鳴と悲鳴の大合唱だ。

 意識が消し飛びそうになるたび、レムの手ずから回復魔法で治療され、治療と暴力の無

間地獄を繰り返されるスバルの精神は摩耗し、意識は何度も途切れている。

 それでもなお、レムの仕打ちに心だけは屈しなかった。

 頑ななスバルの態度に疲れを感じたのか、跳ねた血を拭うレムがふと空を見上げ、

 

「そろそろ戻らないと、夕食の支度に遅れてしまいますね」

 

「・・・・晩飯か、今日のメニューは、何なのかな・・・」

 

「そうですね。挽肉のパイ包味などいかがでしょう」

 

「ば、晩餐に並ぶのはごめんだわ・・・」

 

 最後まで軽口を叩き続けるスバルの姿勢に、レムとネムはついに吐息で感情を表現する。それ

からしばし黙り込み、いつにも増して感情の消えた瞳でスバルを見下ろして、言った。

 

「———あなたは、魔女教の関係者ですか?」

 

 重なるステレオ音声から発せられる聞き覚えのない単語が飛び出し、スバルは困惑に眉を寄せた。

 それがこの場のどんな状況に則した単語なのか、レムとネムの真意がわからず口ごもる。

 

「答えてください。あなたは、『魔女に魅入られた者」でしょう?」

 

「・・・・魔女、に?」

 

「とぼけないでください!」

 

 激昂したレムが薄青の瞳に怒気を湛えてスバルを射抜く。それは本当の意味で、スバ

ルが初対面からこの瞬間まで一度も見なかった、レムが感情を露わにした姿だった。

 白い面に怒りの朱を差し、レムは殺意すら浮かべてスバルを見下ろしている。

 

「知ら、ねぇよ・・・・そもそも、うちは代々・・無宗教・・・」

 

「まだとぼける。———そんなに魔女の臭いを漂わせて、無関係だなんて白々しいにも限度

がありますよ」

 

 憎悪。スバルを睨むレムの瞳に、その後ろから感じるネムの殺気を見た。これまでの行動の真意全てが

裏返るような感情の渦に、スバルはレムの本質の一端を見た気がして目を見張る。

 

「姉様もネム以外の他の誰も気づかなくても、レムとネムはその臭いに気づきます!その悪臭に、咎

人の残り香に、嫌悪と唾棄を抱きます。ネムは特に、苦しめられていて・・・」

 

 黙り込むスバルの前で、レムは歯軋りしそうなほど唇を噛み締め、ネムは今にも泣き出しそうなほど憎悪に溢れた顔をしていた。

 

「姉様やネムとあなたが会話しているのを見ているとき、レムは不安と怒りでどうにかなってし

まいそうでした。姉様とネムをあんな目に遭わせた元凶が、その関係者が・・・のうのうと、レム

と姉様とネムの大事な居場所に・・・!」

 

 要領を得ない恨み言をぶつけられ、怨嗟の吐息がスバルに容赦なく浴びせかけられる。

 

「ロズワール様が歓待しろとおっしゃるから、レムやネムも様子を見ていました。・・・でも、も

う監視する時間すらも苦痛なんです。ネムの悲しい寝顔も見ていられないんです」

 

 そしてレムは、さっきは口にできていなかったスバルの、決定的な一言を暴く。

 

「姉様が世話をするのを装って、あなたと親しげに振る舞っているだけと知っていても!」

 

「———」

 

 溜め込んでいた憎悪を一気に吐き出すように、レムはこれまでの感情の少なさを取り戻

すように激情をスバルに叩きつけた。言い切り、肩を揺らし、レムは瞳に憤怒を宿してス

バルを睨む。と、その怒りがふと驚きに揺らいだ。それは、

 

「———なんでだよ」

 

 憎悪を口にしたレムの前で、スバルが静かに涙をこぼしていたからだ。

 

「わかって、たよ。・・・・想像、ついてたさ」

 

 喉がしゃくり上げ、込み上げてくる熱いものが次々と瞼を通り抜けて頰に落ちる。滂沱

と止めようのない涙を流しながら、スバルは涙声で途切れ途切れに続ける。

 

「こんな目にあってんだ。・・・優しくされたのにだって、裏があんのはわかってた。でも

・・・・聞きたかぁ、なかったよ」

 

 何もできないスバルに、仕事の基本を付きっきりで教えてくれた三人。

 執事服の着方のなってないスバルを嘲るラム。サイズの合わない上着を仕立て直し、

着方の指導までしてくれたレム。文字を覚えるのに四苦八苦するスバルに、ネムは根気よ

く付き合ってくれて、様子を見守ってくれていた。レムは髪を切る約束以来、ジッとスバルを見つめることが多く

て、急かされているようで、気にされているようで嬉しかった。

 全部、忘れらない、優しい思い出だ。

 

「野菜の皮、剥くときに手ぇ切らなくなったよ。洗濯物だって、素材で洗い方違うってわ

かったし、掃除はまだ教わってる最中だけど・・・」

 

 四日と四日じゃ、それ以上の上達はまだ望めなくて。でも、いくつかの四日を乗り越え

手、その先の日々でなら、まだ知ることもできるだなんて考えていて。

 

「読み書き・・・簡単なやつだけど、できるようになったんだ。約束守って、勉強してた。

童話、読めたんだぜ。お前たちのおかげで・・・」

 

「何を・・・言っているのですか?」

 

 うわ言のようなスバルの言葉に、レムは気味の悪さでも感じたように声の調子を落とす。

スバルはそのレムの瞳を真下から見上げる。

 

「お前たちが、俺にくれたものの、話だよ・・・・」

 

「そんなこと、記憶にありません」

 

「———なんで、覚えてねぇんだよ!!」

 

 ふいに噴き出した激情に、レムの足が思わず一歩、後ろに下がり。ネムは溢れそうになっていた涙が引っ込んだ。

 寝ていた体を強引に起こし、レムとネムを睨んで歯を剥き出しながらスバルは吠える。

 

「どうして、みんなでよってたかって俺を置いていくんだよ・・・・!俺が何したっつーん

だよ・・・・!俺に何をしろって言うんだよ・・・・ッ!」

 

 感情が制御できない。八つ当たりも甚だしいとわかっていながら、それでもスバルの心

が、魂が、叫ぶのをやめられない。

 異世界に呼ばれ、理不尽に追いやられ、それでもなお歯を食いしばって過ごしてきた。

 だが、もう限界だった。

 

「何がいけねぇんだよ。何が悪かったんだよ。お前ら、どうしてそんなに俺が憎いんだよ

・・・・・。あの、約束だって・・・俺はずっと・・・・ッ」

 

「———レムは」

 

「俺は・・・お前らのこと、だい」

 

———衝撃が、その後の言葉を続けさせなかった。

 

 不意打ちの威力に声が出なくなり、その場に貼り付けられたように立ち尽くす。

 空気が抜けるような息と、水が溢れるとような音が聞こえて、スバルは視線をさまよわせる。

 すぐに、原因が見つかった。

 

「———」 

 

 喉だ。

 スバルの喉、鋭いレイピアが喉を突き刺し穴が空き、気動の途中から空気と血泡が吹き出している。

 目の前、唖然とその光景を見やるレムの顔が見えた。

 

「さようなら。スバルくん」

 

 その声を耳に響き、直後スバルの目は光を失い、ぐるりと白目を剥いた。

 声は続かない。意識も、電源を切ったように落ちる。

 遠ざかる。痛みはない。怒りも、悲しみも、感情すらも置き去りだ。

 ただ最後に、

 

「——姉様は、優しすぎます」

 

 そうぽつりと、誰かの悲しげな声だけが聞こえた気がした。




最後まで読んでいただきありがとうございました!
好評でしたら次の章も出して行きますね。
挿絵も用意してありますので、お楽しみにです。
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