彼女が冷たく笑うわけ 作:ゲル状
あっという間にやってきた一週間後、雷門中のグラウンド周辺には大勢の生徒が詰め掛けていた。
それはサッカー部の試合の噂を聞き付けてのこと。
当然ではあるが、弱小たる雷門中サッカー部を目的とした訳ではない。
試合を申し込んできた相手を一目見たいからである。
帝国学園サッカー部。
中学サッカーの全国大会、フットボールフロンティアにおいて四十年間王座を守り続けている、名門中の名門。
そんな最強のサッカー部が雷門中に訪れているのだ。
今年も優勝が期待されている彼らが雷門中に練習試合を申し込んできた理由は不明だが、雷門中サッカー部としては受けない選択肢はなかった。
受けねば廃部、この試合に負けても廃部。
大会に出ることすらままならないサッカー部など予算の無駄でしかない。
ゆえに円堂を筆頭として、七人しかいなかった彼らは必死でメンバーを集めた。
どうにか四人の助っ人を確保し、試合に間に合わせることが出来たのである。
そして、この一週間、かつてない熱意で練習を重ね、大きく成長した。
これならば帝国学園が相手であってもどうにかなると希望を持てるくらいには、自信をつけることが出来たのだ。
――そんな状態で試合に臨んだ彼らを、少女は校長室から見下ろしていた。
雷門夏未――雷門中の生徒会長にして、学園長の娘でもある、事実上この学校のトップである。
彼女は気になっていた。
こんな実績どころか、まともに活動しているかすら怪しかったサッカー部に、天下の帝国が練習試合を申し込んできた理由が。
試合の結果、廃校にまで追いやられた学校もあり、黒い噂の絶えない帝国ではあるが、こんなサッカー部をなんの目的もなく狙うほど暇でもない筈だ。
今のところ、夏未はその理由を見出すことが出来ないでいる。
そして、答えに行き着くことも――そして、彼らがその目的を達成することもなく終わりそうだと、殆ど諦めをつけていた。
(どうあれ、サッカー部はこれでお終いね)
ホイッスルが鳴った。前半終了だ。
現在のスコアは10-0。どうやら帝国は手心を加える気はないらしい。
いや、まともに動かず相手の消耗を煽るプレイで積極的に得点しに行っていない辺りは、せめてもの手心かもしれない。
おかげでまだ一部、諦めの悪い者たちはいるようだが――全員が全員、疲労困憊であった。
後半の逆転でも狙っているのだろうが、あれでは動けまい。
帝国の目的が興味の対象だったものの、気にかけていただけ無駄だったか、と夏未は落胆する。
こんな始末なら見物などせず、生徒会の指揮でもとっていた方がマシだったかもしれない。
「会長、備品の整理は終わりました」
「――ええ。ご苦労様」
そのタイミングで部屋に入ってきたのは、副会長たる海皇と、度々生徒会に力を貸してもらっているためすっかり顔なじみとなった鈴音だった。
倉庫にあった各種備品の整理。
力仕事だが、生憎、備品の数に対して生徒会には男手が足りなかった。
ゆえに頼んでみたところ、力を借りることが出来た訳だ。
「これで全部か」
「そうだね。助かったよ鈴音。力仕事となると僕たちだけだとどうもね……」
「構わないが、生徒会の人数で行うべき仕事でもないのではないか」
「次からは大々的に助力を求めるよ。キミの負担にもなるのは申し訳ない」
「俺のことなら気にしなくていい。力になれるなら本望だ」
大体の頼み事を引き受け、文句も言わず遂行する彼の在り方は、夏未にとっては不思議でしかなかった。
かといってなんでも思考停止で頷く訳でもなく、些細なことだろうと予定が重なれば先に決まっていたそれを蔑ろにしようとはしない。
――これは理事長の言葉と思ってもらって結構です。そんな、夏未のある種の決まり文句でさえ、一切彼の意思は動かなかったのだ。
異常なまでの献身体質。自己犠牲と言っても良い。彼の働きには感謝するほかないが、その内面は夏未には理解出来なかった。
「私からも礼を言います。生徒会室でお茶でも出しましょう」
「いや――今日は遠慮しておく」
生徒会の仕事を頼んだ後の定番だったティータイムを、しかしその日の鈴音は断った。
窓からグラウンドを見下ろす。帝国と雷門、両サッカー部の正反対な状態が、校長室からでも窺えた。
「試合を見ていたのか」
「ええ。予想以上……いえ、予想以下の惨状だけれど。前半だけで十点……後半なんて見ていられないわ」
「――流石は帝国、といったところですね」
海皇は後輩ながら目上である夏未に対し、敬語でそんな感想を述べた。
彼自身、サッカーにはさほど興味はないものの、あれだけの記録を打ち立てていれば帝国の名前など嫌でも聞く。
一週間前の“あれ”の相手が帝国であったことで、海皇はより居た堪れない気分になっていた。
あれだけの熱意をもって、何だかんだ選手を集めて挑んだ結果がこれだとは。
「雷門、仕事が終わりであれば、俺はもう行かせてもらう」
「……キミ、まさかとは思うが今からあれに参加するとは言わないだろうね?」
部屋を出て行こうとした鈴音に、思わず海皇は問うていた。
この仕事を請け負っていなければ、彼はあの試合に参加していた。
そんなことが起こらなかったことだけは、このサッカー部にとっての巡り合わせの悪さに感謝していたのだ。
鈴音は頼りになる助っ人である以前に一人の友人である。あんな大勢の観客がいる中で、これからより点差を広げるだろう試合という名の恥晒しに巻き込まれる必要はない。
しかし――さも当然のように、鈴音は頷いた。
「そのつもりだが。海皇、お前はあの場にいただろう。円堂には、この仕事が終わり次第合流する旨を伝えている」
「今更貴方が行ってどうにかなるの? 十一点以上取って、この状況から勝利出来ると?」
まさかの決断に、夏未もまた問い掛けていた。
あれは試合ではない。公開処刑だ。それに今から処刑される側に入り込むなど愚行でしかない。
それ程までに勝つ自信があるのかといえば、しかしそれは否だった。
「俺が頼まれているのはゴールキーパーだ。得点するのはキーパーの仕事ではない。俺が加わったとして、他の皆が励まなければ勝つのは無理だろう」
「なら行く必要はないのではなくて? 無様な敗北に巻き込まれてごらんなさい。貴方が今まで築いた大勢への信頼にも罅が入ることになるのよ」
「――それは俺の力を求めた円堂を裏切る理由にはならない」
「――――貴方は」
そんな言葉を残して出て行った鈴音に、現在の試合の状況を聞いて動揺した様子はなかった。
状況など関係ない。
廃部がかかっていようといまいと、ボロ負けだろうと圧勝していようと、たとえ部員が十分に揃っていて助っ人の必要などなくなっていようと、彼がすることは変わらないのだ。
「……こんなことになるなら、無観客にしておくんだったわ」
部活動にも生徒会にも所属していないながら、あれだけ学校に貢献している生徒が笑いものになるのは救いがない。
難儀な性質の先輩の今後を嘆く夏未。
その心労に、海皇は心から同意した。
「このまま終わってたまるか! 後半は奴らを走らせて消耗させるんだ!」
「走らせるったって……その体力が残ってないでヤンス」
圧倒的、としか言いようのない試合展開。
まるで遊ばれている。息一つ乱れていない帝国イレブンに対して、雷門イレブンは満身創痍だった。
元々帝国の鍛え方は違う。
試合一つを余裕を残して乗り切るなど、選手として前提にすらならない能力だ。
彼らにひたすらに翻弄された雷門イレブンは、前半キックオフ時の攻撃以降殆ど攻め込むことが出来ていなかった。
「駄目だ……俺ももう走れない」
「なんだなんだ! まだ前半が終わったばかりじゃないか!」
「後半もやるッスか……? やるまでもないッスよ……」
まるで心が折れていないのは、円堂くらいだった。
どちらかといえば、この圧倒的な力を見せつけられてまだ折れていない円堂が異常なのだが。
「やっぱこんな試合、無茶にも程があったんですよ……」
「――何を言ってる! まだやるぞ! 勝利の女神がどっちに微笑むかなんて最後までやってみなきゃ分からないじゃないか! なあ、みんな!」
しかし、この期に及んで諦めない熱意。
それがこの時点で降参を選択させず、ゆえに試合に一つの変化を齎した。
試合を見に来ていた観客たちがにわかに騒めく。
グラウンドに入ってきたサッカー部ではない第三者に視線が集まる。
帝国イレブンを率いる総帥、影山零治は一瞬、目的の少年が現れたかと思って一瞥したものの、すぐに興味を失くした。
目的の少年でも、他の、彼自身が知っているほどの名のあるプレイヤーでもない。
何のために現れたのかは知らないが、“彼”をおびき出す餌が一つ増えただけだろう、と。
「鈴音! 来てくれたんだな!」
「待たせてすまない。今からで良ければ、力を貸す」
「助かる! これでもう、一点もやらないぜ!」
座り込んでいた円堂は頼んでいた助っ人がようやくやってきたことで、一気に気力を取り戻していた。
立ち上がって自身の手を握りブンブンと振る円堂のボロボロな姿を、鈴音はやはり変わらない表情で見下ろす。
「お前がキーパーをやっていたのか」
「ああ……ただ、やっぱり帝国は強い。鈴音、頼む。俺たちのゴールを守ってくれ!」
「請け負った。一点も渡すなというなら、努めよう」
どうにか十一人、選手を揃えた円堂ではあったが、未だにこのチームにはキーパーがいなかった。
新たに加わったのはDFの風丸、何処でもやれるだろうとは言っていたが今回はMFとして起用した松野、DFの影野、そしてFWの目金。
まさかキーパー志望ではない者にやらせる訳にもいかず、鈴音の動きをある程度学んでいた円堂がゴールを守ることになったのだ。
「いや、先輩がゴール守れても勝てないでしょ。こっちは一点も取れていないんだから」
何度か練習の世話になったことがあるサッカー部たちが幾分活力を取り戻すも、どうにもならない現実を松野が突きつける。
ストライカーたる染岡のシュートは通用しなかったし、明らかに体力のない目金は論外だ。
例えば鈴音をキーパーとしてではなくフィールドプレイヤーとして起用したとて、一人で十一点取ることなど不可能だろう。
つまるところ、一人入ったところでどうにもならない戦況なのだ。
「言っただろ! 勝利の女神はどっちに微笑むか分からない。けど、鈴音がここで来てくれたのは間違いなく追い風だ! この風の勢いに乗って勝ちに行くんだ!」
理屈にもなっていない根性論。現実主義の松野は処置無しと呆れかえるが、どうやら“そうかもしれない”と思った者が多数派であるらしい。
「……だな。ゴールを気にしなくていいなら俺も思いっきり攻められる。任せるぜ、鈴音先輩」
「俺たちも出来る限り攻撃を防ぎます。だから、頼みます」
染岡と風丸はその追い風に乗ることを決めた。
サッカー部として。FWとして。キーパーである鈴音を頼りにしたことは大きい。
陸上部からの助っ人である風丸は外部の助力を受ける必要が少なかったため、鈴音との関わりはなかったものの、その噂を聞いていない訳ではない。
そして、どちらも試合の途中で彼が合流するかもしれないということは聞いていた。それが勢いになるのであれば、どんなに小さな風であっても信じるしかない。
「よし、逆転するぞ!」
『おうっ!』
後半が始まる。この点差で諦めない彼らを見つめる一人の男は、まだ動かない。
しかし円堂たちの戦いに、確実に心を動かされつつあった。