彼女が冷たく笑うわけ 作:ゲル状
帝国イレブンのキャプテン、鬼道有人はゴーグルの下の瞳を、雷門側のゴールに向けていた。
適当に連中を弄んで、十得点した上で終了した前半。
向こうはだいぶスタミナを使っているだろうが、まだ心折れた様子はない。
もっとも、ここで棄権されるようでは目的も達成できず、拍子抜けだが。
まだ総帥たる影山が求めている人物は現れない。
これで試合が終われば徒労にも程がある。普段の練習以下だ。
姿を見せる様子のない“ヤツ”を炙り出すにはこれでは足りない。
もっと徹底的に連中を痛めつける。後半の方針を決めた時、雷門イレブンに近付く者が現れた。
「鬼道さん、アイツですか?」
「いや……違うな」
求めていた人物ではない。
影山からの指示もないし、その他のメンバーと同じ有象無象に過ぎまい。
「キーパーみたいですね。こんな状況になってから出てくるなんて……」
手遅れだろう。FWとして出てくるならまだしも、今からキーパーとなっても何も変わらない。
これから苛烈になる帝国の蹂躙に巻き込まれる不運な犠牲者が一人増えただけに過ぎない。
――見たところ、連中は彼の参戦によって士気が回復している。
ならば、あそこから崩す。精神的な支柱になっているなら、それを最初に叩き折る。
「後半、早々に動くぞ。デスゾーンを使う」
短く、メンバーに告げる。
新たなキーパーが現れたなら、悠長にゴールを守らせなどしない。
最初の一撃でそいつを叩きのめし、反撃の芽を断つのだ。
『さあ! いよいよ後半の開始です! 雷門はキーパーに鈴音を起用! 円堂はディフェンダーとなり、影野がベンチに下がります!』
試合の話を聞き付け、実況として馳せ参じた角馬が雷門イレブンに起きた変化を観客に伝える。
この試合を観戦している者は雷門中の生徒が大半だ。
ゆえに、この学校随一の変り者である鈴音の名前を知る者は多い。
彼が後半になって参戦したことに、少なからず戦況の変化が期待される。
そんな期待は、帝国にとっては関係ない。後半開始のホイッスルと共に前線に上がっていく三人は、前半とは動きが違った。
遊びなどない、積極的な攻撃姿勢。
帝国サッカー部としての、本気の一端を遂に披露したのだ。
「行くぞ。デスゾーン、開始――そしてヤツを引きずり出せ!」
帝国の敵に対しての、絶対的な死刑宣告を宣言する。
その宣言に従い、鬼道が蹴り上げたボールを追って、三人が高く跳躍した。
『おぉっと! 佐久間、寺門、洞面の三人がジャンプ! これは帝国の必殺技か!?』
跳躍と共に回転を始めた三人から放たれるエネルギーは、中心に置かれたボールに注ぎ込まれる。
一人で行うシュートとは訳が違う。三人の力が集約したボールが纏う闇は不気味を超えて荘厳にすら感じさせる。
それこそが、帝国と戦った者が等しく恐れる、彼らの代名詞――
『デスゾーン――ッ!』
同時に叩き込まれる両足。三人によるシュートが放たれる。
闇を纏ったボールは一直線に雷門ゴールを目指す。
円堂がそれに反応出来たのは、真横を通り抜けた後だった。
「鈴音ッ!」
「――――」
迫るシュートに対して、やはり鈴音の表情は変わらない。
表に現れない感情。しかし、その胸の内に灯る熱いものは爆発的に大きくなる。
今、鈴音にあるのは、迫るその一撃を受け止めんとする思いのみ。
この一時、ただそれだけに全てを尽くす。
求められた役割を全うするために、自身の可能性を火にくべる。
あのデスゾーンは、そのまま受け止めるには威力が過剰だった。ゆえに、その両手に可能性を注ぎ込む。
それによって、手に嵌めたグローブの外側にまで染み出すのは、生命力の感じられない黒。
鈴音の肌の色ともユニフォームとも違うその黒色が肘にまで広がった頃には、ボールはすぐ傍にまで迫っていた。
これ以上の小細工はない。ただ、黒く染まった両手を前に突き出すのみ――。
「――リィンカーネーション」
受け止めたボールの勢いで体が押し切られるよりも前に、闇のエネルギーは全て霧散した。
まるでそれは、デスゾーンを超える力にぶつかり、そのエネルギーが跳ね飛ばされたようで。
一秒と拮抗せず力が散っていき、鈴音の手に収まったボールを、佐久間たちは呆然と見ていた。
「――何をした?」
雷門、帝国、そして観客たちも等しく状況が理解できず。
真っ先に正気に戻った鬼道が問えば、やはり感慨もなく鈴音は返す。
「シュートを止めた」
キーパーであればそれが当然。何故それをわざわざ問うのか、とでもいうような、僅かな表情の変化。
その様子に、鬼道は新たにゴール前に付いた男への警戒度を大幅に引き上げる。
向こうが此方の意図しない強力な必殺技を有していたとして、デスゾーンと拮抗しギリギリで止められるならばまだいい。
再度、より大きな力を込めて放つまでだ。
だが、この男にはさしたる疲労は見られない。
本当に、シュートを一度止めただけであるような様子。
例えば此方のキーパーである源田からゴールを奪うような選手が現れただけであれば、面白いと思うだけで済んだだろう。
だがこれは、それとは違う。
帝国の持ち味である高度な意思統一による合体技をいとも簡単に防ぐキーパー――。
(――ヤツは危険だ)
場合によっては、以後の脅威となり得る存在。
早急に叩き潰さなければならない。
「いいぞ! 鈴音! こっちだ!」
「ああ」
さしたる感慨も持たないままに、鈴音はボールを手放す。
円堂がボールを受け取り、前線にそれを蹴ってようやく、帝国の面々は状況を理解して動き始めた。
MF辺見がキラースライドで素早くボールを奪取。
それを受け取った帝国エースストライカー寺門が高く蹴り上げ、自分も続く。
「百裂――ショット!」
滞空するボールを何度も蹴り付け、一撃に集約した威力を打ち放つ。
デスゾーンとは比べるべくもないまでも、個人が出せる威力としては高いものだ。
それを――
「っ……」
腰を落とし、真正面から受け止める。
先とはまた違う。必殺技を使うことなく、両手と胸で抑え込むように、シュートの威力を殺しきった。
「必殺技も使わずに、だと……」
「――――」
寺門の矜持を刺激する防御を見た、鈴音の反対側――帝国キーパーの源田は、この中の誰以上に戦慄していた。
キング・オブ・ゴールキーパー。そう称される源田は、日本の中学サッカー界でもトップクラスのキーパーとされており、また本人にその自負もある。
ボールを受け止めるための必殺技も、当然持っている。
これまでの試合で許したゴールが果たしていくつあったか。
それほどのキーパーである源田であっても、デスゾーンからの百裂ショット――この連撃を防ぐことが出来るかどうか。
「ツイン――」
「――ブーストッ!」
鬼道がボールを打ち上げた先にいた佐久間がヘディングで再び鬼道へ。
二人分の力を乗せて放たれる、速度と威力、両者に秀でたシュート。
そのエネルギーの弱所を突くような、斜めからのパンチングで鈴音はそれを弾き返した。
「……なるほど。よくわかった」
それを受け取って上がっていく雷門の面々に目を向けつつ、鬼道は呟いた。
認めよう。帝国が持つシュート一発一発は、あのキーパーには及ばない。
ゴールを決める手段は思いつく。だが、その手段はいずれも雷門の心を折るには遠回り過ぎる。
後半は連中を素早く始末するつもりだった。帝国が本気を出し、より多くのゴールを決める形でのそれが無理であるならば、他の手立てがある。
染岡にまで渡ったボール。
雷門が後半になって手に入れた二度目のシュートは、いとも容易く源田に防がれる。
帝国がボールを取り戻したタイミングで、鬼道が指示を出した。
「――やれ」
「っ!?」
咲山へと渡ったボールを奪いに掛かった半田は、脈絡もなくボールを渡され反射的にトラップする。
そして次の瞬間、
「ジャッジスルー!」
「がっ――!」
審判の目を盗むように蹴りを叩き込まれ、その場に蹲った。
ファールはない。ゴールだけが彼らを苦しめる手段ではない。
この時から、帝国の攻め方は変わった。
ゴールを狙うのではなく、フィールドプレイヤーを痛めつける形に。
ジャッジスルー、キラースライド、アースクエイクにサイクロン。帝国が誇る、敵を力尽くで粉砕する強力な必殺技の数々。
「……止めないのか?」
「――」
ゴール前にまで近付いていた鬼道が鈴音に問いかける。
返ってくる答えはない。その瞳に目の前で繰り広げられている惨状が映っているかさえ、定かではない。
まるで人形だな――今は気に留めている必要すらないと、帝国の攻撃に集中する。
雷門の体力は大して無い。こうして軽く攻撃してやれば、試合続行を困難とすることは簡単だ。
「やめろ! この――っ!」
しかし、このキャプテンだけは多少はマシなようだ。
寺門が持ったボールを奪おうとして、彼のジャッジスルーによりゴール前まで吹き飛ぶ。
「……まだいけるか」
「ッ、ああ……! 鈴音は、ゴールを守って、くれ……っ! 俺たちが、点を取る――!」
「――了解だ」
まだ円堂は諦めていない。
勝利する道は残っている。ゆえに、ゴールを守る役目はまだ続けていてほしいと、鈴音に告げる。
そして、それを鈴音は受け入れた。彼が攻めることはない。ゴールを放棄することなく、この場に居続ける。
「ならば続けてやる。さあ、出てこい――!」
しかし、その蹂躙劇を、誰しもが耐えられる訳ではなかった。
「ぼ、僕はもう嫌だ!」
これ以上痛めつけられて堪るかと、目金は試合終了を待つまでもなくグラウンドから逃げ出した。
誰が止めても、目金は走る。
彼がチームに入る条件として受け取った、十番のユニフォームを脱ぎ捨てて。
「……っ! 目金……!」
「利口なヤツがいるじゃないか」
これで十人――苦虫を噛み潰したような表情で円堂はベンチにいる影野を呼ぼうとして――それを見た。
目金が脱ぎ捨てた十番のユニフォームを着て、代わりにグラウンドに入ってくる一人の少年。
来たか――鬼道はほくそ笑んだ。
遂にこの学校にやってきた目的たる選手が、現れたのだ。
「――豪炎寺!」
豪炎寺修也。昨年のフットボールフロンティアにて、木戸川清修中学のエースストライカー。
つい先日この雷門中に転校してきた彼を、円堂は勧誘していた。
それを“サッカーはもうやめた”と断っていた彼だが、それを動かしたのは鈴音か、それとも尚も諦めず勝利を勝ち取ろうとする円堂か。
「待ちなさい! 君は事前に申請すら――」
「いいですよ。続けましょう」
「ッ……帝国側が承認したため、選手交代を認めます!」
雷門の監督であった冬海が止めようとするが、鬼道がそれを制する。
鈴音は試合開始時点で円堂が選手として申請していたため、交代は渋々黙認したものの、彼に関しては一切話は聞いていない。
ゆえに、帝国が止めていれば許可も下りなかったのだが――鬼道たちにとっては待ちに待った人物だ。逃がす訳にはいかない。
「やっぱり来てくれたか……!」
「――一点、決めてやる」
「ああ!」
豪炎寺を加え、帝国のスローインから試合は再開される。
素早く佐久間たちに渡ったボールは打ち上げられる。
注ぎ込まれるエネルギーは、先程の一撃以上。
『デスゾーン!』
放たれたシュートに対し、豪炎寺は一瞥すると前線に走り出す。
彼はこの一撃に関与するつもりはない。
止められると確信し、ゴールへと近付いていく。
鈴音へと近付いていくシュート。それの前に、円堂が立ち塞がった。
「俺だって――何もしない訳にはいかないっ!」
自主練習の成果を、ここで発揮する。
シュートにも通用するほどの脚力。それを、相手の攻撃を止めるために使い切る。
全力を込めた右足は黄金に輝き、振り下ろされ地面に叩き付けられると同時に――雷鳴が轟いた。
「おおおおぉぉぉ――――ッ!」
「ッ、何――!?」
まるでそれは、雷を纏った槌の如き一撃。
その場に落ちた一筋の稲妻が、デスゾーンの威力を引き下げた。
エネルギーを霧散させ、煙を上げるボールはそれでもゴールに向かい、しかしネットを揺らすことなく鈴音に受け止められる。
「鈴音! 豪炎寺だ!」
「ああ――」
帝国のゴールへと向かう豪炎寺を見据え――鈴音は彼に向け指を突きつける。
それは標的の確認。脳の判断を、体全体に意識させる。
「静寂のタクト――いくぞ」
小さな、それでいて確かな宣言と共に蹴り出されたボールは、音も立てずに放物線を描き、やがてその姿を消した。
誰の目にも映らないまま――鈴音が思い描いた通りの軌道を描き、ボールは豪炎寺にまで到達する。
鈴音と豪炎寺、放つ側と受け取る側。二人にのみ視認出来ていたボールを、正確に受け止め豪炎寺は蹴り上げる。
「ファイアトルネード!」
炎を伴った回転。そして、回転の勢いそのままに左足でボールを蹴り出した。
その威力に瞠目した源田の手は間に合わない。
炎の一撃がゴールに突き刺さる。一歩遅れたホイッスルに、グラウンドが歓声に包まれた。
『ゴール! 遂に……遂に! 雷門イレブン、帝国から一点をもぎ取りましたぁ!』
「よっしゃあ!」
帝国が一点を奪われたことに、影山は満足げに頷く。
炎のストライカー豪炎寺修也――その実力は、暫くサッカーから離れていようとも一切錆びついていない。
それを確認した影山は手早く審判に試合放棄の申し出をする。
ゲームはここで終了。
実質的に雷門中の勝利となるだろうが、そんなことはどうでも良かった。
突然の試合終了に雷門イレブンも、観客も困惑していたが、それが意味するところに気付けば、雷門中の勝利という事実に沸き立ち始める。
(――しかし。豪炎寺修也だけではなかったか。思わぬ収穫だな――)
この試合で見つけた、二つの想定外。
円堂守、そして鈴音或。
前者はまだ、先程見せた技でさえ未完成ではあったが――あの技にはかつて見た伝説の技に似た性質を感じさせた。
そして、後者は事前の調査で見つからなかった名前だ。サッカー部には所属していない、助っ人ではあるようだが、過去に何もなかった訳がないだろう。
今からでも、調べる必要がある。サッカー部に入るようであれば――。
「サンキューな、豪炎寺! これからも一緒に――」
「……今回だけだ。言っただろう。サッカーはもうやめたと」
未だ興奮の中にある雷門中の面々を背に、帝国は去っていく。
雷門サッカー部の最初の危機を、乗り越えた瞬間だった。
■リィンカーネーション
使用者:鈴音
種別:キャッチ
生命力の感じられない黒に染まった両腕でボールを受け止める。
シュートに込められたエネルギーは弾き飛ばされるように霧散し、急速に威力を失う。
オーラなどで受け止める技ではないため、シュートの力は失われるまで発動者自身が耐え切らなければならない。
■静寂のタクト
使用者:鈴音
種別:必殺タクティクス
指差した相手という対象を体に意識させ、確実に対象にボールを届けるコントロール技術。
ボールを蹴った直後から、相手に届く直前までボールは視認出来なくなる。
シュートとしての威力はなく、また、パスを前提とした技術のため対象を選ぶ必要があり、他者の攻撃の布石とする必殺タクティクスに該当する。