西の空では、もう間もなく太陽がその身を地平線に着底しようとしている。
真っ赤に彩られた砂の大地に、ぽつんとある小高い丘。
その小高い丘をぐるりと囲む、無数の影。
四つ足の怪物たち。
怪物の群れが、赤く染まった丘の周辺を埋め尽くしている。
その怪物たちの間を縫うように、数人の武装した兵士たちが歩き、丘の頂きを目指している。
兵士たちが丘の頂上に辿り着く。
兵士たちの視線の先にある、丘の頂上の小さな岩。
その岩を背にして蹲っている人影があった。
ぐったりとした様子で膝を抱えているスカート姿の少女。
全身泥だらけ、傷だらけ。
右手に握る大型ハンマーは先端が曲がり、頭部の金属の塊は大きく欠けている。襟元で雑に切り揃えられた髪は、時折強めに吹く風にさらさらと揺れていた。
兵士の一人がうんざりとした口調で言う。
「手間を掛けさせやがる…。我々から何時間逃げ続ければ気が済むんだ…。ヴィレのパイロットから何か吹き込まれたか…」
「まあいい。母艦へ連絡だ。素体を確保したと伝えろ」
指示された兵士は、無線機の回線を開きながら、上空をゆっくりと旋回している大型VTOL機を見上げた。
兵士の一人が少女に近づく。
「おい。立て。本部へ帰るぞ」
そう告げて、少女の左脇に腕を差し入れ、少女の体を引っ張り上げた。
俯いていた少女の顔が上がる。
「おい、待て」
何かに気付いたらしい兵士の一人が声を上げた。
その兵士は少女の前に立つと、少女の顎に手をやりくいっと顎を上げさせ、その泥だらけの顔を凝視する。
「誰か水持ってないか」
隣に立っていた兵士が腰にぶら下げていた水筒を渡す。
少女の顔を凝視していた兵士は、受け取った水筒の口を開けると、少女の頭の上で水筒をひっくり返した。水筒の口からどぼどぼと水が零れ落ち、少女の頭を濡らしていく。
兵士は空になった水筒を乱暴に投げ捨てた。
「やられた…!」
洗い流された泥のむこうから現れたのは、夕焼けの空のような赤い髪。
「…あ~あ、…バレちゃったか…」
いつの間にかうっすらと瞼を開けていた赤毛の少女は、その口もとに小さく笑みを宿しながら呟いた。
「くそっ。貴様! 我々の素体をどこに隠した!」
「あんたバカ…? ゆうわけないでしょうが…」
少女の額に突き付けられる自動小銃の銃口。
「言え! 今すぐ言わなければ…」
「どうせ吐いても殺すでしょ、あんたらは…」
相手の脅しの文句を、少女の掠れた声が掻き消す。
銃口を突き付けていた兵士は、隣に立つ兵士を見た。その兵士は、時間の無駄だと言わんばかりに首を横に振る。
兵士は改めて自動小銃を構えた。片目で照準器を覗き込み、銃身の先を正確に少女の額に向ける。
自分を睨む銃口。
それをぼんやりと見つめていた少女は、すっと視線を地べたに落とした。
「…あいつ、うまいことヴィレの連中に拾われたかな…」
こんな時まで他人の心配をしている自分が少し可笑しかった。そして、
「シンジ…、あたし…、頑張ったよ…」
不思議なほどに満たされた気持ちの中で、静かに瞼を閉じた。
ドン!
頭上から大きな音。
自動小銃の発砲音にしては、えらい低い音だな、とどこか他人事のようにその音を聴いていた。
まあいずれにしろ、後は自動小銃から放たれた銃弾が自分の額を貫いていくのを待つだけとなってしまった。今は死ぬまでの余韻を暫し楽しむしかない。
それにしてもこれが走馬灯という奴だろうか。人間は死を目の前にすると、時間の流れが極端に遅くなるという。自分のすぐ頭上で発砲されたはずなのに、その銃弾は未だに自分の頭部を撃ち抜かないのは、その所為なのだろう。
そして走馬灯という奴は、その極端に遅くなった時間の中で様々な記憶を蘇らせるという話だが。一説によれば目前に迫った死を回避しようと脳がフル回転した結果起こる現象らしいが。
はてさて、自分はどんな走馬灯を見るのだろう。これはこれで楽しみだ。
やっぱりママが出てくるのかな。
…できれば、優しかった頃のママが出てきてほしいな。お別れした頃のママをここで見るのはちょっと辛いから…。
それともシンジが出てくるのかな。
あのバカ。結局大切なことは何にも伝えられなかったな…。まあまたすぐに会えるよね。
あとはミサトとかも出てくるのかな。
ヒカリとか。
マリとか。
マリ、心配してるだろうな。ずっと一緒に戦い続けてきたけど。先に居なくなっちゃってごめんね。
ん?
お?
出てきた、出てきた。
んん?
はあ?
よりによって、あんたなの?
んー、まあ最後の1日を過ごしたのが、あんただったからね。しょーがないか。
ま、でも、あんたと過ごせてよかったよ。
こんなに優しい気持ちで過ごせた日はなかったからね。
また、笑えるようになったからね。
笑って、死ねるからね。
ん?
あんた、何か言ってんの?
何を言ってるの?
は?
『げぅ』
え?
『げぅ』
ん?
『げぅ』
は?
『げぅ』
「どーして最後の走馬灯があんたのゲップなのよ!!」
思わず我を忘れて天に向かって叫んでしまったアスカ。
その空では。
「え゛?」
巨大な爆炎を立ち昇らせる大型VTOL機が、黒煙を引きながら墜落を始めていた。
呆然と墜落するVTOL機を眺めていたのはアスカだけではなかった。
アスカの周囲を囲んでいた兵士たちも、アスカに自動小銃を向けていた兵士も、その場にいた全員が墜落していくVTOL機を呆然と眺めている。
彼らの視線の先で、VTOL機は遂に地上へ到達し、大爆発を起こした、その時だった。
ふわっと、背後から風。
兵士たちはVTOL機の墜落する様に目を奪われており、その不自然な風に気付いたのはアスカだけだった。
風が吹いてきた方向に振り返る。
ギョッとした。
すぐ目の前に、巨人の顔があった。
異形の巨人の8つの目が、尻餅を付いているアスカの姿を捉える。
全身泥だらけ、傷だらけのアスカの姿を。
『おどれら、うちの姫にぬわにしとんのじゃーーー!!」
スピーカーを通してよく知った声が聴こえた。
巨人はその巨大な右腕を空高くに掲げる。そして大きく指を開いた状態の手を、そのまま地上に向かって打ち下ろした。
「わわ!!」
自分目掛けて打ち下ろされる手に、アスカは思わず悲鳴を上げた頭を抱え込む。
ドン!
凄まじい衝撃と共に地面が揺れ、突風が巻き起こり、アスカの体が10センチばかし浮いた。
風と衝撃が止み、おずおずと目を開ける。地面に叩き付けた巨人の右手の人差し指と中指に挟まれたアスカ。それぞれの巨人の指の下には、つい5秒前までアスカを取り囲み、そして今はぺしゃんこになっている兵士たち。
「げっ…」
その見るもおぞましいスプラッターな光景に、思わず下品な悲鳴を漏らしてしまうアスカである。
すると、いち早く異変に気付き丘の下から駆け上がってきたか四つ足の怪物の一匹がアスカ目掛けて飛び掛かってきたが、勇猛果敢なその怪物は、巨人のデコピンによってあっさりと遥か彼方に吹き飛ばされる羽目になる。
空の彼方に星となった怪物を呆気に取られて見送っていたアスカを、巨人の左手が庇うように覆い包む。その直後、怪物たちが一斉にアスカに向かって襲い掛かってきたが、時すでに遅し。怪物たちの牙と爪は、巨人の装甲によってあっさりと阻まれのだった。
巨人の右腕は、まるで砂を均していくように地上の怪物たちを薙ぎ払っていく。圧倒的な力の差を見せる巨人に対し、しかし圧倒的な数を誇る怪物たちは、後から後から巨人目掛けて襲い掛かり、その足に、その腕に、その腹に、その肩に、その頭に次々と噛み付いてく。
たとえ小さな蟻であったとしても、それが群れを成せば遥かに大きな牛や馬さえも捕食することがあるという。その大きな体をあっという間に無数の怪物たちによって埋め尽くされてしまった巨人は、今様に窮地に追い込まれているように思われた。
しかし、
『ああ、もう鬱陶しいなぁ、このちゅーちゅー鼠どもが』
スピーカーから聴こえてくるのは、窮地とは正反対を行くような、どこかのんびりとした声。
『殺鼠剤を撒いちゃいまーす!』
地面に四つん這いになった巨人が背負う、無数のロケット弾発射セルが一斉に火を噴いた。巨人の背中から幾つもの光の矢が天に向かって伸び、やがてそれらは重力に引かれて地上へ向けて落下していく。
巨人の周辺を、大量の火柱が埋め尽くした。
砂の丘の頂上周辺に大量に転がる黒焦げの怪物たちの死体。その死体の輪の中心では、全身をこんがりと焦がしたエヴァ8号機が四つん這いの姿勢で活動を停止している。
背部の装甲が外れ、圧縮空気が一気に吐き出される音と共に、天に向かってエントリープラグがにょきっと伸びる。プラグの上部が開き、
「ひぃーめーーーーー!!!」
プラグから飛び出した真希波マリは、悲鳴のような声を上げながら、3階建てのビルくらいはある高さから一気に地上へと飛び降りると、そのまま8号機の左手へとダッシュ。左手がそっと握っている中身を覗き込んだ。
「姫!」
「あぁ…、マリ。お迎え…ご苦労さん」
巨大な手の薬指中節にぐったりとした様子で腰掛けているアスカは、力なく手を上げてマリの呼びかけに応える。
憔悴しきった顔、四肢のそこかしこに走る創傷、頭部以外は泥だらけの体。いつも美しく勇ましい同僚の姿は、そこには欠片もない。
「ひめぇ…」
そんな様子のアスカに、マリは思わず目を潤ませ、口をへの字に曲げる。
「ひめぇぇぇぇ!」
そして泣きながらアスカの首に抱き着いた。
「ああ、姫、大丈夫?ちゃんと貞操は守ったかな?」
「なにバカなこと言ってんの…」
「つーかどーしちゃったのさぁ。こんな髪になっちゃって…。わんこ君にふられちゃったのかな~?」
「ただの気分転換よ…。ってかあんた遅いのよ…」
「ごおめん、ごめん。ちょっと、パリまでバカンスに行ってたんだよぉ~」
「はぁぁ?」
「うそうそ、ジョーダンジョーダン。(半分ホントだけど…)」
「もう…」
アスカは問い詰める余力もなく大きく溜息を吐きながらも、ホッとした様子でマリの腕に自分の体重を預ける。しかし、すぐに何かを思い出して顔を上げ、
「姫?」
「そうだった…、こんなことしてる場合じゃないんだ…」
マリの腕から逃れて立ち上がろうとした。
「あれ?」
しかしアスカの膝は体重を掛けた途端にすぐに折れてしまう。その場に倒れてしまいそうになったアスカの体を、マリが慌てて支えた。
「ちょーっと、ちょーっとー。どこ行こうとしてんの?」
「あいつを迎えに行かなきゃ。あいつ、あたしが居なきゃ何にも出来ないんだから…」
「あいつ? あいつって…、あーもしかしてゼーレのパイロットさん?」
「え?」
マリの顔を睨むアスカ。
「あんた、あいつのこと知ってんの?」
アスカの何時にも増して真剣な顔に、マリは少し不愉快そうに顔を顰める。
「知ってるっつーか。何なのあいつ。こっちが姫のこと聞き出そうとしても、「姫を助けろー」の一点張りで、まともな情報なーんもくんないだよ。ここまで来るのに苦労したさぁ。まあ、あいつが連中の足跡のこと教えてくんなきゃ、姫を見つけるのもうちーとばかし遅くなったかもしんないけど」
「へー、あいつが…」
存外に「あいつ」に助けられたことを知り、アスカは口もとに小さく笑みを浮かべる。
「ん? え?」
しかしすぐにアスカの頭上に、クエスチョンマークが浮かんだ。
「ってか何? あいつがあたしを「助けろ」って?」
「そだよ。「アスカァー」「助けてぇー」ってうっさいんだよぉ」
「あいつが? ってゆーか、あいつは今どこ!」
マリの肩を借りながら、アスカはエヴァ8号機の腹部の前に立っていた。
エヴァの人間で言えばちょうどお臍がある場所。
そこから。
臍の内側からどんどんと何かを殴る音。
装甲の向こうから、怒鳴り声が聴こえる。
「あぁーーすぅーーかぁーー!! あぁーーすぅーーかぁーー!!」
エヴァのお臍を見上げながら、アスカは思わず吹き出してしまった。
「ほんとだ。あいつ、喋ってる」
笑顔のアスカに、マリはまたもや少し不愉快そうに顔を顰める。
「あいつここに閉じ込めるの大変だったんだよ」
そう言いながら、「あいつ」の爪に引っ掻かれた頬を撫でた。
「どーでもいいから、ほら、可哀そうじゃない。さっさと出してあげてよ」
「はあ? 可哀そう? 姫の口から可哀そう?」
「うっさいわね。いいから、さっさと出す」
「いや。マジで危険なんだって、あいつ。野生児っつーか、狼少女っつーか」
「ああ、もう!」
渋るマリに痺れを切らしたアスカは、マリのプラグスーツの手首にあるコントロールパネルを勝手に触る。
するとエヴァのお臍の部分に埋め込まれた球体が動き、パカッと割れた。
「あ~あ、もう知んないよ~?」
割れた球体から、ブラウス一枚の少女が落ちてきた。
「あう!」
真っ逆さまに落ちてきた空色髪の少女。ドサッと、砂地の地面に倒れ込む。
「ふぅ…ふぇ…ふえ…」
頭を押さえ、ぐずり始める「それ」。
「あ~あ~もう。泣かないの」
「ふえ?」
今にも大泣きしてしまいそうだった「それ」は、すぐ近くから掛けられたその声に、溢れ出しそうだった涙が一気に引っ込んだ。慌てて声がした方に顔を向ける。
「あぁぁぁぁぁ!」
「やっ。レイ。また会えたね」
「あああああああ!」
そして結局大泣きし始めた「それ」は、アスカに向かって飛びついた。
「ぐへぇ!?」
「ありゃりゃ!?」
「それ」に勢いよく抱き着かれたアスカ、そのアスカに肩を貸していたマリは、「それ」ごと地面にひっくり返ってしまった。
「もー、だからゆったじゃーん!」
抗議の声を上げるマリは、きっと押し倒されてしまったアスカもさぞかしご立腹だろうと思ったが。
「はは、…レイ。…よく頑張ったわね。…偉いよ」
そのアスカは自分の胸で泣きじゃくっている「それ」を抱き締めてやりながら、とても満ち足りたような笑顔を浮かべている。
そんなアスカを見て、どこか納得いかないような表情を浮かべていたマリだったが。
「なーんか毒気抜かされちゃって~」
とにかく今は彼女と無事に再会できたことを、「おまけ」のコと一緒に喜ぶことにした。