勝手にシン・エヴァンゲリオン   作:hekusokazura

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第壱拾八話

 

 

「横になろっか…」

 泣き疲れてしまったのだろう。膝を抱いたまま深く俯いてしまい、動かなくなってしまった少女に声を掛けると、少女はこくりと頷いた。

 

 地べたに横になって、パラシュートの生地から支柱を外し、支えがなくなった生地を毛布のように頭から被る。

 アルミシートに梱包された2人は互いに向かい合い、小さなランタンを囲むようにして見つめ合う。

 

「碇くん…」

 少女はランタンの光をその瞳に宿しながら、シンジの名を呼んだ。

「なんだい…」

 シンジは光に照らされて、まるでルビーのような輝きを放つ少女の瞳を見つめがら答える。

「私は、私で、いいの…?」

 少々哲学的な問いの投げ掛けに、シンジは苦笑しながらも頷く。

「うん。君は、君自身がなりたい君になれば、いいんじゃないかな…」

「「綾波レイ」じゃなくても…いいの?」

「いいと思うよ…。君は君だ…」」

 柔らかな声でそう告げると、またもや少女は顔をしわくちゃにさせ始めたため、シンジはもう泣かないでほしいとばかりに、慌てて言葉を紡いだ。

「君は、これからどうするつもり?」

「碇くんは…、どうするの…?」

「僕はヴィレに行く。アスカが待っててくれていると思うから」

「ヴィレに…」

「うん。それでまたエヴァに乗る」

「エヴァ…に?」

「うん。そして、父さんを止めようと思うんだ」

「碇司令を…?」

「うん」

「そう…」

 少女の瞳に戸惑いが宿り、その視線がシンジの瞳とランタンの光との間を交互に彷徨う。

 

「君は…?」

 シンジの声に、彷徨っていた少女の視線がシンジに集中する。

「君は、これからどうするの…?」

 そう問われ、少女は一度瞬きをし、鼻を啜る。

「私…、どうしたらいい…?」

 少女に聞き返され、シンジは小さく笑いながら首を横に振る。

「それは、君が決めるべきだよ」

「私が…?」

「君のことは、君自身が決めなきゃ…」

「私が…、私のことを…決める…」

 シンジにしてみれば至極当たり前のようなことなのに、何だか途方もない難題を突き付けられたかのような顔でそう呟く少女。

 そんな少女を見てシンジは笑いそうになってしまったが、そう言えば自分自身もネルフに連れてこられて以来、自身の命運の殆どを他者に握られ、自分で自分自身のことを決めることが出来たことなんて指で数えられる程しかなかったな、と思い出す。増してや、その人生の全てをネルフに身を捧げてきた少女なんて、自分のことを自分で決める機会なんて、少しも与えられなかっただろう。

 見れば、少女の体が震え始めている。それは寒さからくる震えだけではないことは、シンジにも分かった。ランタンに照らされる少女の顔は、何処か怯えている。

 もうここまで来たんだからとばかりに、シンジは今度はそれほど躊躇わずに、震えている少女の頭をそっと抱き締めてやり、その頭をぽんぽんと叩いてやった。

「今すぐに決める必要ないよ。よく考えて、ゆっくりと決めたらいい…」

 シンジの優し気な手と、シンジの温もりと、シンジの柔らかな声に溶かされるように、次第に少女の体から震えは消えていき、その小さな頭はシンジの腕の中で静かに、それでいてしっかりと縦に振られた。

 

「ああ、そう言えば…」

 ふと、シンジが呟く。

 なに?と、少女が顔を上げ、シンジの顔を覗き込む。

「僕は君のこと、何て呼べばいいのかな」

 今更ながらに、少女のことを「君」と呼び続けている自分に気付いたシンジ。

「やっぱり「綾波」って呼べばいいのかな?」

 正直なところ少女を「綾波」と呼ぶには、違和感が残るシンジだった。

 少女はシンジの腕の中で頭を横に振る。

「私は…、もう…、「綾波」でいることを…、止めたから…」

「そっか…」

 自分の言葉がいつの間にか少女に一大決心をさせてしまったことに、今更ながらに本当にこれで良かったのかしらと責任を感じてしまうシンジである。

「だったら、何て呼んだらいい?」

 少女は目を伏せ、暫し考えて。

「碇くんが決めて…」

 シンジの目を見て答える。

「え?」

「碇くんが決めて…」

「え? ぼ、僕が?」

 頷く少女。

「碇くんが私を呼ぶためのものだもの…。碇くんが決めて…」

「えーーー」

 突然突き付けられた難題に、唸ってしまうシンジである。

 クラスメイトや友人たちをあだ名で呼んだことさえないシンジである。増してや女の子の呼び名を決めるなんて、そんな恥ずかしいこと。

 ところが、そんなシンジの心情はお構いなしに、少女はじっとシンジを見つめて待っている。

「えっと…。そ、それじゃ…あ…」

 少女に一大決心をさせてしまった責任を感じているシンジ。脳味噌を、フル回転させた。

 

 あ、そう言えば。

 アスカは、こう呼んでたな。

 

「96…。…いや、…さすがに数字で呼ぶのは…なぁ…」

 

 96。

 

 96。

 

「きゅーじゅーろくを文字って、「クロ」。……なんつって…」

 

「うん…。「クロ」…ね」

 何の躊躇いもなく頷く少女。

「いやいやいやいや!冗談だよ!冗談!」

「いい。私、「クロ」で」

「ダメだよダメダメ!」

「どうして?」

「どうしてって。「クロ」って、まるでペットみたいじゃないか」

「ペットって…なに?」

「また面倒な質問を…。ペットと言うのはそのつまり…、人間が手元に置いて可愛がる動物のことだよ」

「そう…。つまり、私は碇くんのペットになるのね」

「なんでそーなるかなー!」

「いい。私、碇くんのペットになりたい」

「ぐはぁっ!?」(血反吐)

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 瞼の裏が眩しい。

 そっと目を開けると、視界一面が真っ白。真っ白な布地。パラシュートの生地を通して、強烈な太陽な陽射しが差し込んでくる。いつの間にやら外の世界は朝を迎えていたらしい。

 

 真っ白な生地に包まれて、少女の顔。

 卵のような肌。空色の長い睫毛。ピンク色の唇。

 柔らかな少女の寝顔。

 そんな少女の顔がすぐ側にあって。

 

 

「わ!わああ!」

 相変わらずの女性免疫不全症なシンジは、情けない悲鳴を上げて飛び起きた。

 

 そのシンジの悲鳴に起された少女。寝ぼけまなこで、上半身を起こしているシンジの顔を見上げる。

「や、やあ。おはよう…」

 シンジのぎこちない挨拶に、少女は頷いて答える。

 

 

 毛布代わりに使っていたパラシュートの生地をはぎ取ると、そこは相も変わらずの赤茶けた荒野が広がっている。目覚めたらすぐ側に可憐な少女の寝顔という状況に、究極まで高鳴っていた心臓がやっとこさ落ち付いたシンジは、今日もよく晴れた空の下で大きく伸びをした。

 そのシンジの後ろでは、パラシュートの生地から這い出てきた少女が、ベンチ代わりの岩にちょこんと腰を掛けている。

 

「さて…、これからどうしよっか…」

 シンジは誰に相談するでもなく、そう独りごちた。

 振り返り、岩の上の少女を見る。

「君はどうするか、決めた?」

 少女は即座に頷く。 

「「クロ」でいい」

 その少女の答えに、シンジは困ったように笑う。

「いや、君の呼び方じゃなくて。これからどうするか、決めた?」

 そう問うと、少女は途端に眉の両尻を下げ、俯いてしまう。一晩経っても、まだ自分の身の振りを決めかねているらしい。

 上目遣いで、シンジを見つめてくる。

 その破壊力抜群の視線に、シンジは思わず助け舟を出してやりたくなったが、寸でのところで堪えた。

「ダメだよ。自分で決めなきゃ」

「そう…」

 少女は残念そうに目を伏せた。そんな少女に、たった一晩で随分と感情豊かになったものだと感心してしまうシンジである。

「僕と一緒に来てもいいし…」

 シンジの声に、少女の視線が上がる。

「父さんたちのもとに帰るのもいい。それに何も、僕たちにこだわる必要はないんだ。僕や父さんたちと離れて、全然違う道を歩むって手もある。君の自由にしていいんだ」

 

 「限りない自由」、「自由過ぎる自由」ってものが、実は一番の困りものだという話を、シンジはどこかで聞いたことがあるような気がした。

 その顔に不安を色濃く浮かべる少女。少女は「自由」という名の大海原を前に。灯台も島も雲もない、何もしるべとなるようなものがない大海原を前に、飛び出すことを躊躇しているようだ。

 

 そんな少女の顔を、シンジは優し気に見つめる。

「まだ時間はあるんだ。ゆっくりと決めたらいいよ」

 少女はぎこちなく頷く。

「あ、でも」

 シンジは何かを思い出したように声を上げる。

「もし僕と一緒に来るんだったら、アスカには謝っとかないとね」

「アスカ…?」

「うん。だって君。拳銃でアスカを撃っちゃっただろ?」

 シンジのその指摘に、少女は一度目をぱちくりさせて、そして再びその表情に強い不安の色を浮かべた。

「その人…。私のこと、許してくれるかしら…」

「んんんんー」

 少女のその問いに、唸ってしまうシンジである。

「アスカ、結構根に持つタイプだからなぁ…」

 以前、冷蔵庫にあった彼女のシュークリームを誤って食べてしまった時でさえ、3日間は口を利いてくれなかった彼女のことだ。肩を銃弾でぶち抜かれたことを、そう簡単に水に流してくれるとは思えない。

 腕組みをしてしまうシンジに、不安のあまり顔が引きつってしまう少女である。

「まあ、でも」

 そんな少女の顔があまりにも気の毒だったので、シンジは今度は助け船を出すことにした。

「僕もアスカには色々と謝らなければならないことが沢山あるから。アスカに会ったら、一緒に謝ろっか」

 少女は上目遣いにシンジを見つめる。

「碇くんと…一緒に?」

「うん」

 シンジがにっこりと笑うと、少女の顔からは不安の色が消え、そしてその口角は微かに上がった。

 

 小さく微笑む少女。

 その少女の顔に、シンジの胸は強く高鳴る。

 

 昨晩は人目も憚らずに泣いて。

 今朝は小さく笑って。

 感情に任せて、コロコロと素直に表情を変える少女。

 それはきっと、自分が知る「彼女」にも出来なかったこと。

 

 

 

「じゃあ僕は周辺を回ってみるから」

 いつまでもこの岩場に留まっているわけにはいかない。周辺は断崖絶壁だが、どこかに下界に下りられる場所があるかもしれない。シンジは周辺を探索してみることにした。

 自分も一緒に行くと言う少女に、足を怪我しているのでこの場で待機しているよう告げると、少女は不満顔。シンジは苦笑しながらこう命じる。

「僕が行っている間に、君は自分のことを早く決めるように」

 少女はやはり不満げな顔のまま、渋々と頷く。

「あ、あと呼び方のこともね」

「「クロ」でいい」

「それはダメって言ってるでしょ。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

 シンジは少女に向かって手を振りながら歩き始めた。

 少女も、胸の前で小さく手を振って、シンジを送り出した。

 

 

 

 

 シンジが去って、少女は一人になった。

 シンジの背中が見えなくなってからも、暫くシンジが歩いていった方を見つめていた少女。

 視線を落とし、自分のつま先を見つめる。何とはなしに、足をぶらぶらとさせていみる。左足は怪我をしているというのに、不思議と痛みを感じない。両腕を天に伸ばし、背中を大きく伸ばしてみる。不思議と、肩が軽かった。

「ふぅっ…」

 天に伸ばした腕を一気に下ろし、軽く息を吐く。

 足をぶらぶらとさせながら、空を見上げた。

 

 ―――自分のことを早く決めるように。

 

 彼はそう言っていたけれど、もう自分の心はとっくに決まっている。

 あとは彼に、自分の決めたことを伝えるだけ。

 彼が帰ってきたら、一言目で伝えよう。

 

 ―――君のことは君が決めなきゃ。

 

 そう彼に言われた時には、ただ不安しかなかったけれど。

 一度決めてしまえば、心がこんなに軽くなるなんて。

 

 

 空を見上げる少女の瞳に、青い空と点々と浮かぶ雲が映り込む。

「…碇くん…」

 そっと彼の名前を呟いてみた。

 

 不思議な人だと思った。

 彼の声に乗せられる言葉は、不思議と自分の心の中に染み渡る。

 

 潰れたタープの中から、ボディバッグを引っ張り出す。

 ファスナーを開け、中をごそごそと探る。

 手にしたのは、あちこちが傷だらけの携帯音楽プレイヤー。

 何度も自分の手から零れ落ち、一度は彼に思いっきり壁に投げ付けられたものだけど、結局は自分の手の中に収まっている。もしかしたらこれが、自分を彼のもとに導いてくれたのかもしれないと、ちょっと現実的じゃない想いに耽ってしまう。

 プレイヤーの筐体に巻き付けられたイヤフォンのコードを解く。

 イヤフォンの片方を右耳に入れ。

 もう片方を左耳に入れ。

 筐体を見つめる。

 筐体の側面に並ぶ幾つかのボタン。

 少女の指が並ぶボタンの上を彷徨い。

 そして三角形を横に倒したような表記がある、一番大きなボタンを押した。

 

 カタっと小さな音を鳴らせる筐体。 

 筐体の中にある、小さなカセット式のテープが動き始める。

 耳の中に入れたイヤフォンから、小さなノイズ。

 程なくして、イヤフォンから音楽が流れ始める。

 

 少女にとっては、初めて触れるもの。耳にするもの。

 様々な音色で構成される複雑な響き。

 

 耳を伝う音に合わせて、少女の頭が揺れる。

 

 

 ブツッ

 

 突然、途切れた音楽。

 不思議に思い、少女は手に持ったプレイヤーを見る。筐体の中のテープは今も滑らかに左から右へと動いている。

 人差し指で、コンコンと筐体を小突いてみる。

 

 

 ザーーーーー!!

 

 

 耳を劈くようなピンクノイズ。

 見開かれる少女の目。

 その目に収まる瞳孔が、瞬時に縮まる。

 少女の背がまるで弾かれたように反り返り、少女の体は音を立てて岩の上に倒れ込んだ。

 全身が引き攣り、つま先から手の先、頭の先までがピンと伸び、小刻みに痙攣を繰り返す。

 少女の手からプレイヤーが零れ落ち、カタンカタンと音を立てて岩の下に転がり落ちていった。

 

 岩の上に倒れ、痙攣を繰り返す少女の体。口の端から泡状の涎が溢れ、右の鼻の孔から鼻血が垂れ始める。

 痙攣に合わせてカチカチと歯を鳴らせる少女の口から。

 

「私は「綾波レイ」じゃない…、私は「綾波レイ」じゃない…、私は「綾波レイ」じゃない…」

 

 全身を支配し始めている「何か」に抗うように繰り返される少女の呟き。

 

「私は…、私は…、私は…」

 

 しかし次第に大きくなっていく痙攣と共に、少女の声は途切れがちになり。

 

「わ…、た…、し…、……」

 

 やがて消えていった。

 

 

 

 

 

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