「なんですって…!?」
リツコからの報告に、ミサトは悲痛な声を上げる。そんな上官に対し、リツコは同じ報告を繰り返した。
『エアロック室内から全ての生体反応が消えたわ』
「そんな…! マリ、本当に船外には誰も出てないんでしょうね?」
『間違いないですよ! 艦長が大砲で艦体ぶっ飛ばした直後に8号機でちゃんと塞ぎました! あたしが姫を見落とすはずないじゃないですか!』
いつになく真剣な声音でマリの返事が返ってきた。
ミサトは再度モニターを睨む。
モニターには、エアロック室内を映し出した映像。槍を持った彼女がエアロック室内に飛び込んだ時に、リツコが投げ入れた小型カメラから送られてきたもの。
2人の少女が標的に槍の先端を突き立てた瞬間、画像全体を眩い光が支配した。閃光は30秒ほど続いた後に消失。
光が消えた後に現れた室内。ズタズタに破壊された8号機の前腕が突っ込まれた室内。
そこに、人影は一つもなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
綾波レイは光の奔流の中に居た。
光はある一点に向かって凄まじい速さで流れている。その一点がまるでブラックホールのように、周囲の光を悉く吸い込んでいるのだ。
光が集まる場所を背にして、それは浮かんでいた。
眩い光の中に浮かぶ黒い影。煙のような、黒い「澱み」。
光の中でゆらゆら揺れる黒い「澱み」は、光の奔流に流されまいと必死に藻掻いているようにも見える。
そんな黒い「澱み」に、綾波レイは右手を差し伸べる。
近付く真白い手に怯えるように、黒い「澱み」は声を発した。
「何をする…! 近付くな…!」
まるで男の声と、女の声とが重なったような、そんな不可思議な声を発する黒い「澱み」に、綾波レイは涼やかな声で言う。
「本来あるべき場所へ…、帰るの…」
すると黒い「澱み」は女の声のみで言った。
「嫌よ…。せっかくシンジと…、会えたのに…。シンジの側に…、居たい…。シンジは…、私が守らなければならないの…。この世界は…、シンジにとっては辛いことばかりだもの…。あの子は…、私が守らなくちゃ…」
そして次に黒い「澱み」から発せられた声は、再び男の声と女の声とが重なった不可思議なものだった。
「こんな世界…、壊してしまわなくちゃ…!」
綾波レイは静かに頭を横に振る。
「碇ユイも、碇ユイの仮面を被ったあなたも…、この世界に干渉することは…許されない…」
「なぜ…! シンジが苦しんでるんだもの…! 私にはこの世界を矯正する力がある…! 私はシンジを苦しみから永遠に解き放ってやることができるの…!」
「彼らの世界は…、彼らの未来は…、そこで生きる彼ら自身の手で切り拓かれるもの…。一度でも…、この世界から離れることを選んだあなた達が出来ることは…、この世界で何が起きようとも…、たとえ愛するものが傷ついたとしても…、彼らが生きる姿を、黙って見守ることだけ…」
「あなたは悪魔よ…! こんな辛い世界で、シンジに生き続けろと言うの…!」
「あなた達は神ではないわ…。碇くんは…、すでに選択している…。この世界で生き続ける、と…。碇くんも…、この世界も…、すでにあなた達の手から離れているの…」
「すでに一度…、この世界から離れた者…。貴様は我々をそう言ったな…」
黒い「澱み」から発せられた声。男のみの、まるで氷の刃のような、冷たい声。
「ええ…」
綾波レイはその声を、涼やかな眼差しで受け止める。
「それは貴様自身もではないか」
再度、刃のような冷たい声。
「ええ。分かっているわ…」
それでもなお、綾波レイは涼やかな眼差しでその声を受け止める。
綾波レイは差し伸べていた右手で、黒い「澱み」に触れる。
触れた瞬間、「澱み」と綾波レイの手との間に眩い燐光が幾つも弾けた。
続けて綾波レイは左手も差し伸べ、黒い「澱み」に触れる。やはり左手と黒い「澱み」が触れた瞬間、幾つもの燐光が弾け飛ぶ。
両手で黒い「澱み」を包み込んだ綾波レイは、そのまま黒い「澱み」を自身の胸へ寄せる。
そしてそっと抱き締めた。
たちまち、綾内レイの胸からも無数の燐光が溢れ出す。
眩い燐光たちはやがて柔らかな光の螺旋へと変化する。
その螺旋は、まるで赤子が眠りにつくための揺り籠のよう。
光の揺り籠の中に、黒い「澱み」はその身をゆっくりと委ねた。
「我々が深い深い眠りについた時」
黒い「澱み」から漏れる男の声。しかしその声に刃のような冷たさはもはやなく、毛布に包まれて温められたように和らいでいる。
「いつかまた、世界が我々を必要とする時が来る。滅びかけの世界を抹消し、新たな世界を始めるために…。そう信じていたのだがな…」
綾波レイは抱き締めた黒い「澱み」に、その真っ白な頬をそっと寄せた。
「あなた達がこの地球にもたらした生命の息吹は…、幾度も大輪の花を咲かせたわ…。幾つもの絶滅の危機を乗り越えて…。そして今、彼らは再び滅びの危機に直面しているけれど…。でも大丈夫よ…。彼らはきっとまた乗り越えられる。だって…、彼らはあなた達の子供たちだもの…」
「そうか…。ならば…、ならばせめて…我を褒めてくれ…。見事な華を…咲かせる種を撒いた者…として…」
微睡む黒い「澱み」の声は、途切れ途切れになっていく。
そんな「澱み」に、綾波レイは赤子を寝かしつける母親のような声で囁き掛ける。
「ええ…。よくやったわね…。そしてありがとう…。私たちに、未来を生きる命を与えてくれて…」
「ふむ…。今は貴様のその言葉で…、満足する…ことに…しよ…う…か…」
やがて「澱み」は光の螺旋の中で、少しずつその影を綾波レイの胸の中へと沈めていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
真っ白な光に満たされた空間。
そこに2人の少女が立っていた。
お互い体に一切のものを纏わぬ、生まれたままの姿。
透き通るような白い肌。
空色の髪。
2つの真っ赤な瞳。
体のあらゆる部分が寸分違わず同じ色、形をした2人の少女。一卵性双生児どころではない、まるで鏡を合わせたような、複製体ような2人。
ぱっと見では見分けなどこれっぽっちもつかないような2人だが、しかしそれぞれの人格によって形作られているその面持ちは明らかに異なっており、2人がそれぞれ全く別の人生を歩んできた、全く別の人物であることが分かる。
そんな2人が、人一人分の隙間を開けて肩を並べて立っている。
まるで誰かが来るのを待っているかのように。
やがて、白い光の向こうから、その人物は現れた。
その少女も、やはり先の2人と寸分違わず同じ顔、同じ体をしている。
自分と全く同じ顔をした2人の少女の前に、その少女は立った。
少女はおもむろに口を開く。
「時間がないわ…。手早く進めましょう…」
その少女の言葉に、肩を並べた2人の少女のうち、右側に立っていた少女は真剣な表情で頷いた。
左側に立っている少女は、どこかぼんやりとした表情でぼけーっと突っ立っている。
正面の少女は言う。
「槍の力によって器を失った皆の魂は、新たな主を求める初号機のコアへともう間もなく吸収される。でも、あのコアから生まれた私たちなら、その流れに逆らうことができる。私たちで、彼らを助けましょう」
正面の少女は、2人の少女の顔を交互に見た。
「ただし、私たちの非力な力では、助けられるのは1人につき1人まで。誰が誰を助けるか…。簡単なことね。あなた達が今、一番大切にしたいものを助けたらいい…」
正面の少女は、右側の少女を見る。
「あなたはもう決まっているわね…」
右側の少女は頷く。
迷いのない少女の表情に、正面の少女は表情を崩し、少しだけ微笑んだ。
「どう? 彼って…、とても素敵な人でしょ?」
そう問われ、右側の少女は両頬を赤らめ、俯いてしまう。
そんな少女を、正面の少女はまるで可愛い妹を見るような、優し気な表情で見つめた。
「お願いね…、彼のこと…」
少女は顔を俯かせたまま、頷いた。
次に正面の少女は、左側の少女を見る。
「あなたはどうなの?」
そう問われた左側の少女。
「あぁぁぁ…」
即座に正面の少女に向けて唸る。
その唸り声に、正面の少女は眉根を寄せた。
「違う。今はインスタントラーメンのことはどうでもいい」
正面の少女にぴしゃりと言われ、左側の少女はくりくりとした可愛らしい目を天に向けて、ちょっとだけ考え込む。
すぐに何かに思い当たったようで、笑顔で正面の少女を見た。
「あぁぁぁすぅぅぅかぁぁぁ」
その返事を聞き、正面の少女は柔らかく微笑む。
「では決まったわね」
「あなたは…」
右側の少女がおずおずと口を開く。
「あなたは…、どうするの…?」
右側の少女のその問い掛けに、正面の少女は一瞬、ほんの少しだけ寂しそうな顔をした。
しかしその寂し気な表情はすぐに打ち消し、再び柔らかく微笑む。
「ありがとう…」
問いに対する返事の代わりに、感謝の言葉を右側の少女に送る。
「あなたのおかげで…、碇くんに直接…、私の想いを伝えること…、できた…」
右側の少女は眉根を寄せ、目を潤ませる。
どこか頼りなく映る右側の少女のその表情。正面の少女は、にっこりと笑う。
「頑張ってね…。あの赤毛の女の子に…、負けちゃだめよ…」
その静かなエールに、右側の少女は顔を俯かせ、肩を震わせながら頷いた。
「それとあなた…」
左側の少女を見る。
「あぁぁぁ…」
「あらゆる軛から解き放たれたあなたは、私たちの希望よ…。どうか、そのまま自由に生きて…。私たちが見いだせなかった可能性を、あなた自身の手で掴んで…」
「あぁぁぁ…」
言っている意味が伝わらなかったのか、左側の少女は不思議そうに首を傾げ、唸っている。
そんな様子の少女に、正面の少女は少し困ったように笑ったが、何かを思い出したように急に真顔になった。
「自由に生きるのはいいけれど、でもこれだけは守って」
「うあ?」
「2度と、私と同じ顔で、人前でゲップなんてしないで…」
「ああ?」
「特に碇くんの前では…」
「あぁぁぁ…」
まるでがさつな妹を叱りつける様に言う正面の少女。
そんな少女と、ちょっとバツが悪そうに口をへの字曲げている左側の少女の様子に、右側の少女は手もとに口を当ててクスクスと笑っている。
そんな右側の少女にも、正面の少女の鋭い視線が向けられる。
「あなたもよ…」
「え?」
急な矛先の変更に、右側の少女の笑い声が止まった。
「せっかく、碇くんを攫ったのに。ぽっと出の青二才に美味しいところ全部持っていかれるなんて。そんな調子で、あの赤毛の子と張り合えるの?」
「うぅ…」
姉から厳しい叱責をくらい、しゅんとしてしまう妹。
「あぁはっはっは…」
そんな2人の様子に、末っ子が声を出して笑っている。
真っ白な光に満たされた空間の中を、3人の姉妹たちが上げる小鳥のような笑い声が、慎ましやかに木霊していた。
2人の少女が去り、一人残った少女。
背後から声がした。
「「ぽっと出の青二才」は酷いな」
振り返ると、銀髪の少年が困った顔をして立っていた。
少女は少年の抗議の声を無視し、目線で話しの続きを促す。
「初号機の掌握は済んだよ」
少年の報告に、少女は小さく頷いた。
「でもいいのかな?」
少女は「何が」と首を傾げる。
「僕がこれからすること。それは君がやってもいいことだと思うけど」
少年の言葉に、少女は小さく頭を横に振る。
そして自身のお臍を見下ろした。右手で、そっとお臍の周りを撫でてみる。
「私は「これ」と約束したから…。「これ」を本来在るべき場所へ返すと…」
「でもこれでシンジくんとは…」
少年のその言葉に、少女は顔を上げ、後ろを振り返る。自分とよく似た2人の少女が去っていった方へと、視線を向けた。
「私の想いは、妹たちが引き継いでくれたわ…」
少女の言葉に、少年は感慨深げに深く頷いた。
「想いは引き継がれる…か…。単体生物の僕らにはない発想だったな。代を紡いでいく、人間ならではの考え方だからね」
少女は改めて少年に向き直る。
「そして、碇ユイの願いは私が引き継ぐわ…」
「そっか」
そう言って、少年は少し寂し気に微笑んだ。
「じゃあ、ここでお別れだね」
別れを切り出す少年。
少女はそんな少年に、すっと右手を差し出す。
その手を、少年は意外そうに見つめる。
少女は微笑んで言った。
「ありがとう、渚カヲル…」
少年の白い手が、少女の白い手と交差する。
「こちらこそありがとう。綾波レイ…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
室内を突如眩い閃光が瞬き、激しく明滅する。
その明滅は10秒ほど続き、ドンという何かが床に落ちたような音と共に、光は現れた時と同じように唐突に消えた。
光の消失と共に、2人は居た。
冷たい鉄の床に横たわる2人。
一人が、ゆっくりと目を醒ます。
もう一人も、ゆっくりと目を醒ます。
お互い向き合うように倒れている2人。
お互いの手は、固く握られている。
お互いの顔を確認し、共に笑顔を見せる2人。
1人が言った。
「あんたの声…、聴こえたよ…」
その言葉に応えるように、もう一人も口を開ける。
「あぁぁすぅぅかぁぁ…」
「レイ…」
アスカはにっこりと笑って自分の名を呼ぶ、ブラウスとスカートを着た少女の空色の髪に手を伸ばす。そっと、空色の髪を掻き上げ、少女の頭を撫でた。
少女はアスカの手に、くすぐったそうに肩を竦ませる。
「あ、す、か…。す、き…」
少女はたどたどしい言葉で言う。
「あたしも…、レイが大好きだよ…」
「与圧完了。気圧、酸素濃度、共に問題なし」
「早く開けて!」
不測な急速減圧を受けて緊急閉鎖されていた隔壁が開き、ミサトはエアロック室に駆け込んだ。
「アスカ!」
床に倒れていたアスカのもとに駆け寄ろうとして、足もとに落ちていた眼帯に気付く。
眼帯を拾い上げ、改めてアスカのもとに駆け寄った。危惧した通り、アスカの顔の3分の1がまるで死人のように紫色に変色していた。ミサトは、周囲の肌を焦がす勢いで煌々と光るアスカの左目に、眼帯を巻き付ける。左目を塞いだ眼帯は、まるでその下でマグマがふつふつと沸き立っているかのように赤く光り、激しく隆起していたが、やがて光も隆起も消失していった。
「まったく、無茶して…」
「無茶はヴィレのモットーでしょ…」
ミサトの半分は心配し、もう半分は呆れたような声に、アスカは肩を竦めて答えた。
「ねえ、アスカ…」
「なに?」
「シンジくんは…?」
目の前の少女の髪を愛おしそうに梳いていたアスカの手が、ミサトのその問いに止まった。
「あのバカ、まだ還ってないの…?」
アスカの呆れたような声。
ミサトは室内を見渡す。
ここには、自分とアスカと少女と。その3人以外の姿はない。
「シンジくん…」
ミサトは焦燥を露わにした顔で呟く。
そんなミサトの腕を、誰かが触れた。
ミサトは、自分の腕に触れた手の主の顔を見る。
純粋無垢な赤い瞳が、ミサトを見つめていた。
その少女は大きく口を開く。
「ぅあ・いぃ・うぉお・ぶうう」
「え?」
不明瞭な少女の発語に、ミサトは思わず聞き返してしまう。
「ああ・うぃい・おお・ぶううう」
「え? ごめん。分かんない…」
「ぶうううううう!!」
自分の言っていることを理解しようとしないミサトに、イライラし始めた少女は頬を膨らませて抗議した。
そんな2人のやり取りを微笑みながら見ていたアスカは、ミサトに助け舟を出してやった。
「「大丈夫」だってさ。ミサト」
アスカがそう言った、その時だった。
再び強烈な光が瞬き、激しく明滅する。
ミサトもアスカも少女も、あまりの眩しさに目を瞑り、手で目を塞いだ。
直後、ドンという音が響いた。
目を開く。
霞んだ視界の中に見えるもの。
腕。
黒と白の腕。
黒いスーツを纏った腕。
自分の腕。
その黒い腕に巻かれた白い包帯。
その包帯は途中から剥がれ、自分から少し離れた場所へと伸びている。
その包帯の先を、誰かが握っている。
包帯の先を握る手。
少年の手。
少年の手が、包帯の先を握っている。
自分と同じように、鉄の床に横たわる彼。
閉じられた瞼が、薄く開いた。
瞼の隙間から現れる、彼の瞳。
黒曜石のような瞳と、目が合った。
彼の目が大きく見開かれ、驚いたように私を凝視する。
驚きはやがて喜びへ。
両眉をハの字に傾け、口角を上げ、瞳を潤ませ。
しかし、その喜びは唐突に消える。
何かに気付いたように、私の顔をじっと見つめる彼。
彼の眉間に皺が寄った。
目を細め、下唇を噛む。
それは悲しみの表情。
私の心臓が、鷲掴みされたようにズキンと痛む。
しかし、彼はその顔から悲しみの表情をすぐに消した。
改めて私の顔をまじまじと見る。
そして彼はそっと目を閉じた。
再び瞼が上がった時、彼の顔には柔らかい笑みが宿っていた。
彼の手が包帯を手繰り寄せる。
包帯に引っ張られる私の手。
彼の手に近づいていく私の手。
彼は、私の手をそっと握った。
私の体温を確かめるように、私の手のひらを撫でる彼の手。
ゆっくりと指と指とを絡める。
そして、彼は静かに口を開いた。
「ありがとう…、クロ…」
『現在、高度55キロメートル、時速13,357キロ』
『艦首温度、1600度。耐熱シールドに異常なし』
『エンジン再点火まで5秒前、3、2、1、点火。エンジン点火』
『エンジン点火確認。逆噴射開始』
『艦体の減速を確認。現在時速10,112キロ、9,887キロ、9,237キロ・・・』
『高度5万メートルを切りました。全て順調です』
『了解。再突入シークエンス終了。各部署より報告』
『重力制御装置問題なし』
『自律動作正常に作動中』
『遠隔操作異常なし』
『全て異常なし。全艦、警戒シフトにて航行中』
『目標確認。旧第3新東京市上空は全方位クリア。地表のコア化状況はカテゴリー10』
『本艦の空間座標を確認。作戦開始ポイント到達まであと10秒』
『了解。全艦戦闘シフトへ移行』
『全艦フォーメーションを戦闘シフトへ移行します』
『エヴァ8号機β』
『はいはいはーい。8号機、オールオッケー』
『作戦ポイントに到達』
『8号機β、発進せよ』
『8号機、発進しまーす!』
『8号機、本艦より切り離し成功。自律飛行へ移行しました』
『続けて新2号機α』
『こちら2号機。いつでもいいわ』
『了解。間もなく切り離しポイ…ちょちょ、ちょっとあなた!』
『アースーカー!』
『ちょっとレイちゃん! 今は邪魔しちゃだめよ!』
『アースーカーーー!』
『ははっ。レイ、そこに居んの?』
『うーん!』
『待ってなさい。姑さまに約束した通り、あのバカ親父…じゃなかった、舅さまをいっちょ揉んできてやっから』
『もんでもんでーー!』
『なるべく早く帰るから。それまではそこのおばさんのゆーこと、よーく聞いてんのよ?』
『うーん!』
『ちょっとアスカ。おばさんはないでしょう』
『アスカ―!』
『なーに? レイ?』
『がんばれーー!』
『うん、アスカちゃん、頑張っちゃう!』
『あ、ねえねえレイレイ。あたしにもお願~い』
『マリリンもがんばれーー!』
『合点承知の助ぇ!』
『ちょっとあんた達。切り離しポイントをすでに10秒オーバーしてるんだけど』
『え? あれま』
『誰に言ってんのよ、リツコ。このアスカ様の手に掛かれば10秒のマイナスなんて、あっという間に取り返してやるんだから』
『いいからさっさと行きなさい』
『はいはい。じゃあレイ! 行ってくるわ!』
『いってらっしゃーい!』
『2号機、発進!』
『新2号機α、本艦より切り離し成功』
『2号機及び8号機は降下用空母へ着艦せよ』
『りょうかーいー』
『今行ってるわ』
『続けてエヴァ11号機』
『はい…』
『本艦より切り離し後、11号機は2号機及び3号機の降下を援護』
『……』
『どうしたの? 11号機』
『……』
『復唱せよ。11号機』
『その依頼は承服しかねます…』
『ちょっとあんた! 今、なんつった!』
『…アスカは任務に集中しなさい。11号機、何か問題でも?』
『私とヴィレとの契約内容は、初号機及び碇くんの護衛。2号機と8号機の護衛は契約の範疇にありません』
『この期に及んで何言ってんのよ! さっさとあたしたちの援護に付きなさい!』
『そーだよそーだよ。このままじゃ背中が寂しいじゃ~ん』
『契約内容にないものを無理強いする…。これがブラック企業…』
『あんたがつい先日まで居たネルフの方がよっぽどブラックでしょうが!』
『非正規職員に対する正規職員の不当な圧力…。これがパワハラ…』
『あんたねぇ…!』
『あーもう分かった分かった。艦長裁量により11号機パイロットを現時刻をもって正規職員に登用します。これで文句ない?』
『艦内行動の自由は?』
『認めます』
『職員食堂の利用は?』
『認めます』
『有給休暇の取得は?』
『認めます』
『シャワー室の利用は?』
『シャワーは正職でも2週間に1回までよ』
『あんたたちねえ!』
『11号機、発進します』
『あ、えっと…、11号機、切り離し成功しました』
『こらあ、キュウジュウロクー!』
『もういいから。作戦シークエンスをすでに1分オーバーしてるわ。目標は?』
『旧第3新東京市の上空に敵影を確認! エヴァ13号機です!』
『来たわね…』
『さらに機影。ネーメズィスシリーズです。その数……、1,000を超えてます!』
濃紺の空の中に瞬いてた星々はやがて消え、周囲はオレンジ色の炎に包まれた。
轟音と共に激しい縦揺れ。
オレンジ色の炎の隙間に見える、青い空。
眼下に広がる、赤い大地。
「戻ってきたんだ…。地球に…」
青いスーツに身を包んだ少年は座席に深く身を沈めながら呟く。
何度か右手を握っては開き、握っては開く。
少年が体を預ける座席の前方にある画面に、文字が浮かびあがった。
『心拍ノ上昇ヲ確認。少シ緊張シテルノカナ』
その文字に、少年は微笑む。
「ふふっ。プラグスーツを着てたら、君には何でも筒抜けになっちゃうね」
『ソンナコトハナイ。ボクニワカルノハ、君ノ体温ト血圧、心拍数、酸素飽和度、アトハ心電図クライ』
「それだけ分かれば十分じゃないの?」
『ニンゲントイウノハ複雑怪奇。カラダノ表面的ナ変化ダケデ、スベテヲオシハカルコトハデキナイ。ダカラコソ、ニンゲンハオモシロイ』
「ははっ。そうなんだ」
『アトスーツ内ニ排出サレタ尿ノ分析デ君ノ健康状態ヲチェツクデキル。今朝ノ分析ハ。少シペーハー値ガ酸性側ニカタムイテイル。サイキン野菜ブソクジャナイカイ?』
「うん。やっぱり配給されてる食事だけじゃ十分な野菜は採れないよ…って。そんなことまでしなくていいよ!」
『スマナイネ。ボクハコノ世界デ一番君ノコトヲ知ツテイル存在ニナリタインダ』
「ちょ、ちょっと怖いよ…」
『フッフッフ・・・』
「だからその「・・・」が怖いって」
2人の会話(?)に割って入るように、緊張感のこもった声が聴こえた。
『旧第3新東京市の上空に敵影を確認! エヴァ13号機です!さらに機影。ネーメズィスシリーズです。その数、1,000を超えてます!』
続けて女性の声。
『聴こえたわね、シンジくん。あなたのお父さんはこちらの降伏勧告には従うつもりはないそうよ』
緊張感を孕んだ声に対し、少年は苦笑いしながら言った。
「でしょうね。父は僕に似て、頑固ですから」
女性は呆れたように言う。
『ほんと。似た者親子ね』
「父が色々と迷惑掛けます」
女性は和らいだ声で言う。
『とりあえず、あなた達の親子関係も、一度は決着付けとかないとね』
「はい。ミサトさん」
『あれあれ~? でもあちらさんって、もうパイロットさん一人も残ってないんじゃなかったかにゃ~? ダミーでも使ってんの?』
『ダミーシステム計画は14年前の起動失敗を受けて破棄されてるはずよ。13号機は初号機同様に第2使徒由来のエヴァ。この度初号機で起きたことと同様のことが、13号機でも同時多発的に起きているとも考えらるわ』
『つまり第2使徒由来のエヴァの中にはみんな、「あれ」が潜んでるってことか。第2使徒由来のエヴァって、あと何機あんの?』
『13号機以降は全部ね』
『うへっ。じゃあ親父さんがとち狂って14号機以降を全部覚醒させる前にちゃっちゃとケリつけないとね』
『現状、彼我兵力差は1対9か。分が悪いわね』
『なーに言ってんのよリツコ。分の良い戦いなんて、14年前から今日まで一度も無かったじゃない。ほら、シンジ。あんたもさっさと来なさいよ』
『ワンコくーん。周りのモブっこたちはあたしたちに任せてくれちゃっていいから、ワンコくんと初号機はあの13号機をお願いね~』
『…碇くんは、私が守るから』
『だからあんたはあたしたちの援護っつってんでしょうが!』
「ふふっ」
『ドウカシタカイ?』
「あ、いや。この雰囲気。何だか14年前に戻ったような気がして。いいな、って思っちゃった」
『ソレハ違ウヨ。シンジクン』
「え?」
『時間ハ不可逆的ダ。決シテ戻ルコトハナイ。ソシテボクタチガ立ツテイル「今」ハ、過去ノボクタチガ様々ナモノヲ積ミ重ネタ上ニ出来タ「今」ナンダ』
無機質な画面に無機質な文字で綴られる言葉。しかし少年には、その文字が自分の言葉を窘めているように思えた。
「うん。そうだね」
画面の文字を、少年は噛みしめる様に見つめる。
過去の自分たちが。みんなが。
様々な犠牲を払った末に到達した先が、「今」なのだ。
あらゆる犠牲は、決して「過去」に戻る為に払われたものではない。
そしてあらゆる犠牲の上に至った「今」、自分がまだこの世に存在することができて、そして再びエヴァに乗っているのは、過去を懐かしむためでもない。
『ソシテコレカラ始マル戦イモ、甘美ナ過去ヲ取リ戻ス為ノ戦イデハナイ』
「うん。未来を切り拓くための戦い、だよね」
『コノ戦イニ、君ト肩ヲ並ベテ臨ムコトガ出来テ、僕ハトテモ光栄ダヨ』
『シンジくん、準備はいいかしら?』
「はい、いつでも行けます」
『初号機。ヴンダー機関部との切り離しまで、あと1分。初号機切り離し後、ヴンダーは縮退炉による航行へと切り替えます』
「ミサトさん」
『なに?』
「ありがとうございます。またエヴァに乗せてくれて」
『仕方ないでしょ。初号機の新しいコアOSが、ヴンダーの主機になるのも拒否して、シンジくん以外は一切受け付けないとか言い出すんだから。なんなのアレ。前のコアOSよりもよっぽど厄介じゃないの』
「ははっ。でも前よりもシンクロ率は上がってますから。前よりも上手く動かせるような気がします」
『また人間やめないでよ』
「分かってます」
『…シンジくん』
「はい」
『ありがとう。また、エヴァに乗ってくれて…』
「はい…」
『初号機切り離しまで、後5秒、3、2、1』
『初号機、発進します』
『初号機、本艦より切り離し成功。本艦はこれより縮退炉による航行へと移行します』
『艦長より全艦へ回線開きます』
『ヴィレの皆さんに伝えます。全艦及び全機はこれよりネルフとの戦闘に入ります。
かつてない、大規模な戦いとなるでしょう。
そして残念ながら、これが最後の戦いになるというわけではありません。
ですが私は確信しています。
後に降り返って、この戦いの勝利こそが、14年に渡る長い戦争の終わりへの始まりだったと言えることを。
この戦いに身を投じてくれた皆さんに、感謝します』
『新2号機α及び8号機β降下開始。接敵まであと1分』
『準備ハイイカナ? シンジクン』
「うん。いつでもオーケーだ」
『デハ30秒後ニエヴァノコントロールヲ譲ルヨ』
「うん。…あ、カヲル君」
『ナンダイ?』
「今は未来から片時も目を逸らさないよ。でも、この戦いを生き抜いたら、その時は…」
『「カノジョ」ヲ探シニ行ク、カイ?』
「うん。…だめかな?」
『僕トシテハ、君ニハ僕ダケヲ見テイテ欲シイケド』
「ははは…」
『フフフ。分カツテルヨ。僕モコノママジャフェアジャナイト思ツテイタカラ』
「フェアじゃないって、どうゆうことかな…?」
『アノ赤毛ノコモ、「カノジョ」ノ妹モ、ズツト我慢スルツモリデイルハズダヨ。「カノジョ」ガ還ツテクルソノ日マデ』
「何を我慢してるの?」
『・・・時々キミノソノ天然ブリニハ呆レルヲ通リ越シテ殺意スラ沸イテシマウヨ』
「ちょ、ちょっと怖いよ。カヲルくん」
『キミヲ殺シテ僕モ死ヌ』
「な、何言ってんの…! カヲルくん…!」
『Hahaha。デモコレデコノ戦イガ終ワツタ後モ退屈シナクテ済ミソウダ。モチロン僕モ負ケルツモリハナイヨ』
「カヲルくん…。カヲルくんが何を言っているのか…、僕には全然分からないよ…」
『シンジクン。ユーハブコントロール』
「え? あ、アイハブコントロール」
『見エテキタ。13号機ダ』
「こちら初号機! 13号機を目視で確認!」
『了解』
『こちら2号機! うはっ! 凄い数! ハンマーもう一本持ってくるんだったわ』
『こりゃどこ撃っても当たるねぇ』
『碇くん。危ないときは言って。すぐに駆け付けるから』
『全艦、戦闘準備完了』
『ならば結構。ヴンダーより全艦へ。これより、ネルフ本部制圧作戦を開始します』
『???』
「え?」
『???』
「どうしたの? カヲルくん」
『???』
「え? あと2分で13号機と接触するんだけど」
『Unknown 確認』
「え? どこどこ?」
『Unknown 。エントリープラグ内ニ異物アリ』
「え? 異物?」
『シンジクン。プラグ内ニ何カヲ持チコンダカイ? 持チコム場合ハ事前ニ申請ガ必要ダヨ?』
「いや、僕は何も…」
『異物ハ君ガ座ルシートノ後ロニアルミタイダ。アイハブコントロール』
「ゆ、ユーハブコントロール。え? このシートの後ろ?」
『ソウダヨ』
「えっと…。どこかな? ん? ……おっ。ああ、あった、あった。これだこれだ」
『見ツカツタカイ?』
「え…? これって…」
『ナンダイ?』
「これ…。僕の…」
『ソレハ以前僕ガ直シテアゲタモノダネ』
「ずっと失くしたと思ってたのに…」
『エントリープラグデ無クシタノカイ?』
「いや。失くしたのはあの時だ。てっきりエアロックに吸い出されそうになった時に、艦の外に行っちゃったと思ってたんだけど」
『デハナゼ初号機ノエントリープラグノ中二・・・』
「ふふっ…」
『ドウシタンダイ? シンジクン』
「いや。何度も僕の手から離れたはずなのに、結局は僕のもとに戻ってくるんだなって思って」
『呪ワレテルネ』
「や、やめてよ」
『ちょっと初号機! 目の前に13号機来てるわよ!』
『オツト。詮索ハアトダ、シンジクン。ユーハブコントロール』
「アイハブコントロール。そうだね」
『接敵マデアト10秒』
「了解。エヴァンゲリオン初号機! 碇シンジ! 行きます!」