勝手にシン・エヴァンゲリオン   作:hekusokazura

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第参話

 

 

 

 

 パラシュートなしのスカイダイビングならぬシャフトダイビングを決行した結果、着地した時に足が痺れてしまったらしいアスカを、今度はシンジが背中でおんぶする。エレベーターの最下層の扉をこじ開け、その扉の向こうに現れた廊下を歩いた。

 

 この廊下は突き当りにある部屋のためだけに造られたものらしい。

 廊下は一度も分岐することなくやがて途切れ、2人をドーム状の広い空間へと導いた。

 

 この空間に足を踏み入れて、シンジの頭の中に真っ先に浮かんだものは、友人たちと行った「海洋研究所」という名の巨大な水族館だった。

 

 空間の大半を占めるのは、巨大な水槽。

 てっぺんは見上げなければならないほどに高く、あまりの大きさにその全貌は視界の中に収まりきらない程だ。

 

 その空間には僅かな光源しかなく、巨大な水槽の中身はよく見えないが、水槽の中は水とは違う、何かしらの液体で満たされていることは分かった。そしてその液体の中を、複数の物体が浮遊していることも。

 

 アスカを背負ったシンジはゆっくりと巨大な水槽のガラス面へと近づいた。

 ただでさえ薄暗い空間。おまけに水槽の中を満たしている液体は少し濁っており、より一層見通しを悪くさせている。

 ガラス面へ顔を近づけ、中を覗き見る。シンジに背負われたアスカも、シンジの背中から身を乗り出してガラス面に額をくっ付け、中を凝視した。

 

 

 ドン!

 

「きゃっ!?」

 

 不覚にも乙女のような悲鳴を上げてしまったアスカは、跳ねるように顔をガラス面から離し、背中を大きく仰け反らせる。そのままシンジの背中から滑り落ち、床に尻餅を付いてしまった。

 尻餅を付いたまま、濁った液体の向こうから突然現れたそれを凝視する。

 

 尻餅を付いたまま動けなくなってしまっているアスカ同様、シンジもまた硬直してしまっていた。

 濁った液体の向こうから現れたそれ。

 濁った液体の中でふわふわと浮きながら、両手と額をガラス面に引っ付け、真っ赤な瞳でこちらを覗き見ているそれ。

 

 

「…あやなみ…れい…」

 

 

 まるでシンジのその呟きが合図にでもなったかのように、巨大な水槽のそこかしこでふわふわと浮いていた影が次々とシンジとアスカが居るガラス面へと集まってきた。最初の一体目と同じように、それらの影もガラス面に両手と額をくっ付け、水槽のすぐ側に立つシンジを凝視する。

 

「…ネルフ様の悪趣味もここに極まれり…ね…」

 

 アスカがそう呟いた瞬間、ガラスの向こう側からシンジを見つめていた赤い瞳が、一斉にアスカの方へと向いた。

「ひっ!?」

 確認できるだけでも20はある同じ顔、そして40個の赤い瞳に一斉に見つめられては、兵士相手に無双したさしものアスカも生理的な嫌悪感を抱かずにはおれず、短い悲鳴を上げてしまった。

 

 白い髪。白い肌。赤い瞳。

 濁った液体に浮かぶそれらは、全てが寸分たがわず同じ顔、同じ体をしていた。

 

「つまりここは綾波タイプのプラントってことか。…いや、プランテーションと言うべきかしら」

 

 

 アスカの声がどこか遠い。

 シンジは放心状態のまま一歩後退る。

 ことり、と足音がした。

 その足音に反応するかのように、40個の瞳が一斉にシンジの方へと向かう。

「…あやなみれい…、…あやなみれい…」

 その6文字を繰り返し呟きながら、更に水槽から遠ざかっていくシンジ。

 

 

 この異様な光景にも少しずつ慣れてきたアスカは、痛むお尻を擦りながらまだ痺れが残る足でゆっくりと立ち上がった。

「こいつらはあんたが知ってる綾波レイじゃない。ただの空っぽの器。まだ何ものでもない、ただの細胞の集合体よ」

 アスカの声が届いていないのか、シンジは呆然とした顔で巨大な水槽と、その中に浮かぶ「それら」を見つめている。

 そんな様子のシンジを見て鼻から溜息を漏らしたアスカは、シンジから視線を外すとツカツカと歩き始めた。アスカが立てる足音に反応し、水槽の中の群れが一斉にアスカの方へと向く。アスカは巨大な水槽の端っこを目指していた。そのアスカに率いられるように、水槽の中の「それら」も群れを成して付いてくる。

 

 水槽の端っこにはコンソール台が設置されていた。コンソールの真ん中にあるタッチパネル式の画面に触れる。暗かった画面に光が灯り、様々なボタンや数字、図形が画面上に浮かんだ。アスカは画面上に表示されたボタンを次々と押していく。

 

 ふと視線を上げると、そこには無数の顔。

 アスカのしていることに興味を示しているのか。いや、次々と変わっていく画面の模様にただ反応しているだけなのだろう。

 分厚いガラスの向こうで、幾つもの赤い瞳がアスカの手もとを覗き込んでいる。

 生理的な嫌悪感は和らいできたものの、作業中に人(の形をしたもの)からジロジロ見られるのは、あまり気分の良いものではない。

「ああ、鬱陶しいわね!」

 アスカがドンとガラスを小突いたら、コンソールの前に集まっていた「それら」は驚いたようにガラス面から離れていった。しかし空いた空間はそれらの背後に詰め寄せていた別の「それら」によってすぐに埋められ、相変わらずジロジロとアスカを見つめてくる。

 切りがない。

「もう、好きにすれば…」

 アスカは諦めたように溜息を漏らすと、コンソールに視線を落とし、作業を続けた。

 

 

 アスカがガラスを小突いた音でようやく我に返ったシンジは、巨大な水槽の端っこで何かをしているアスカに顔を向けた。

「何…、してるの…?」

 アスカはシンジに背中を向けたまま作業を続ける。

「あたしたちはね、ずっとこいつらと戦争してきたの」

「え?」

 まるで昨日の晩御飯の内容でも報告するような軽い口調で言うアスカ。シンジは聞き間違いかと、聞き返す。

 アスカは変わらない口調で続ける。

「やっつけてもやっつけても後から後からワラワラ湧いてくるこいつらに、もう心底うんざりしてるのよ」

「アスカ…」

「これでこいつらの顔を、もう見なくて済むわ…」

 

 アスカの手が止まる。

 画面上に表示されているのは2つのボタン。

 

 『Enter』 『Cancel』

 

 画面から視線を上げ、目の前のガラス面を見つめる。

 相変わらずそこには同じ顔がいくつも並んでいて、こちらをじっと見つめてくる。ふと、14年前に学友たちと訪れた海洋研究所を思い出した。あまり面白い場所ではなかったし、随分と昔のことなので細かいことは忘れてしまったが、最後に回った養殖池で、鯉相手にエサをやったことは覚えている。

 その時のエサ欲しさに口を開けて群がってきた間抜けな鯉の有様と、今目の前に群がってガラス面に貼り付いてくる「それら」がダブって見えて、アスカは思わず笑ってしまった。

 

「ごめんね…、バイバイ…」

 

 そう呟いて、アスカは『Enter』のボタンを押した。

 

 

 水槽の奥で変化があった。水槽内を満たしている液体とは明らかに別種の、青い液体が湧き出てきたのだ。

 「それら」も水槽内に広がる異種の液体に気付いたようで、一斉に振り返る。

 徐々に「それら」に向かって近づいてくる青い液体。液体の一端が、「それら」の群れの一番端でぷかぷかと浮かんでいた一体の足に触れる。

 

 分厚いガラス越しであっても、悲鳴が聴こえてきた。

 液体に触れられた一体は途端に苦しみだし、四肢をぶんぶんと振って暴れ出す。背筋を仰け反らせ、喉を仰け反らせ、両手が喉元を引っ掻く。暴れまわっていた四肢は突然ピンと硬直し、やがて弛緩したようにだらんとぶら下がった。動かなくなり、液体の中を漂流する「それ」は、つま先からボロボロと崩れ始め、やがて砂のように液体の中へと消えていった。

 

 「それ」が悶え苦しみ、動かなくなり、やがて溶けて無くなっていく様の一部始終を見ていた「それら」。

 水槽内はたちまちパニックになった。

 今も広がり続けている青い液体から逃げ惑う「それら」。

 しかし四方を分厚い強化ガラスに囲まれた場所に逃げ場などなく、「それら」は次々と青い液体に巻かれていく。

 何体かはガラスにへばり付き、内部から拳でバンバンと叩き、何とかこの水槽の中から。「それら」にとっては唯一の世界であった水槽の中から飛び出そうとしているが、非力な「それら」の膂力ではガラスはびくともしない。

 一体は水槽の側に立つアスカの目の前に行き、まるでアスカに助けを求めるかのようにガラスを叩きながら、その無垢で空虚な瞳をアスカへと向けてくるが、アスカは何の感情も宿さない瞳で「それ」を見つめ返すだけだった。

 

「アスカ…。アスカ…!」

 いつの間にかシンジはアスカの隣に立っていた。

「何したんだ!」

 まるで咎めるかのようなシンジの口調に、アスカは冷めた眼差しでジロリとシンジを見た。

「言ったでしょ。こいつらはあんたが知ってる綾波レイじゃない。人の姿をしているだけの、ただの入れ物よ」

「でも…!でも…!」

 シンジもその理屈は分かっていた。しかし、目の前で繰り広げられている惨劇は、理屈というものを遥かに越えている。

 今も、アスカに助けを求めてガラスを懸命に叩いていた「それ」が、力を振り絞って暴れまくった末に体を硬直させ、そして弛緩させ、全身を崩壊させ始めている。

 

 シンジは巨大な水槽を見上げた。

 すでに「それら」の殆どは液体の中で藻屑となっていた。

 まだ数体残っている「それら」は、水槽の中を必死に泳ぎ回って、青い液体から逃げ惑っているが、青い液体はすでに水槽の大部分に広がってしまっている。

 

「くっ…!」

 シンジはアスカに背を向ける。

「どこに行くのよ!」

 アスカの制止も聞かずに走り出した。

 

 巨大な水槽のコンソールがある位置とはちょうど反対側に、水槽の上部へと昇降できる梯子があった。

 シンジは10mはあろうかというその梯子を一気に昇ると、水槽の天井へと駆け上がる。水槽の天井も分厚いガラスで覆われているが、何か所かに鉄製のハッチが設置されており、水槽の中に出入りできるようになっていた。

 

 

 すでに水槽の中で動いている「それ」は一体だけ。

 水槽の右上の隅に追いやられた「それ」の周囲も、すでに青い液体が取り囲んでいた。「それ」は迫る青い液体に対し、ただ身を縮こませることしかできない。

 

 

 ハッチを開ける。

 ハッチのすぐ下の水面に、見慣れた空色の髪がたゆたっている。

 シンジは迷わず右腕を液体の中に突っ込んだ。

 すでに青い液体が浸食を始めているのか、シンジの腕に激痛が走ったが、シンジは構わず上半身ごと水槽の中へと突っ込む。

 

 

 突然、頭上から差し伸べられた手。

 「それ」は驚いて天井を見上げた。

 少年が居る。

 少年が何か喚きながら、こちらに手を伸ばしている。

 

 

 「それ」は差し伸べた手をぼんやりと見つめたまま。

 シンジは液体の中で怒鳴った。

 

「手を!」

 

 「それ」は差し伸べた手をぼんやりと見つめたまま。

 

「来い!」

 

 シンジの必死な眼差しを、ぼんやりと見つめ返す「それ」。

 しかし「それ」の手が少しずつ、徐々に徐々にシンジの方へと伸ばされ始める。

 

 こちらに向かって躊躇いがちに伸ばされる「それ」の手。

 シンジはその機を見逃さず、強引に「それ」の手を掴んだ。

 左手をハッチの淵に掛け、両足を踏ん張る。 

 全身に力を込め、「それ」を掴んだ右手を一気に引き上げた。

 シンジの手に引っ張られ、「それ」の体が水飛沫を上げながら水槽の外へと飛び出す。

 引き上げた拍子にシンジの体はバランスを崩し、「それ」と絡み合うようにして水槽の天井へと転がっていった。

 

 

 

 

 

 

 初めての外界。

 初めての重力。

 初めての空気。

 

 「それ」の肺はその中を満たしていた液体を一気に吐き出すと、空っぽになったところへ今度は急速に外気を吸い込んでいく。肺の隅々まで空気を行き渡らせた「それ」は、ぐったりとして水槽の天井へと這い蹲った。

 

 

 皮膚に纏わりつく痛みに耐えながら、ゆっくりと身体を起こす。

 隣に倒れている「それ」を見た。

 

 濡れた空色の髪。濡れた白い肌。

「あやな…」

 顔を隠してしまっている髪を梳くため、手を伸ばそうした時。

 自分たちを覆う、一つの陰に気付いた。

 

 

 「それ」の頭部に向かって、勢いよくハンマーを振り下ろそうとしたが、シンジが「それ」を庇うように覆い被さったため、寸での所で振り下ろした腕を止めた。

 

「何の…つもりよ…」

 

 

 殺気に満ちたアスカの声を、背中越しに聴く。シンジは「それ」に覆い被さったまま、呻くように言った。

「分かってる…。僕がバカなことしてるってことは…」

「バカじゃないわ…。大バカよ…。今すぐにそこをどいて…」

「嫌だ…」

 アスカの額に青筋が浮かぶ。

「ガキィ!」

 シンジの背中に踵を落とした。

 

「なに? お持ち帰りして、ダッチワイフにでもしようっての? あんたも親父に負けず劣らずの趣味してんのね」

「違う…! そんなんじゃない…!」

「だったらどうして!」

 シンジは背中の痛みに表情を歪ませながら振り返った。

「副司令が言ってたんだ!」

「はあ?副司令?」

 咄嗟に叫んだシンジの"副司令"という言葉に、アスカはヴィレの副長である赤木リツコが一体何をこいつに吹き込んだのだと思った。

 シンジは続ける。

「綾波はやっぱり初号機の中に居るって。初号機に保存されてるって。リツコさんは、僕とSDAT以外は何も見つからなかったって言ってたけど、魂はきっとまだ初号機の中にあるんだよ」

 視線を自分の体の下にある、空色髪の「それ」に投げる。

「この体を使えば、綾波の魂を初号機の中から引き戻すことが出来るんじゃないかな?」

 

 シンジの言い分をそこまで聴いて、ハンマーを握ったアスカの手がぶるぶると震え出した。

「あんた、やっぱあの親父の息子ね…」

 ハンマーの先端を、シンジの鼻っ面に突き付ける。

「あんたもあんたの親父も、人の命をなんだと思ってるのよ…。そんなほいほい簡単に生き返る命に何の価値があるの? あんたの親父のやってることも、あんたのその甘い考えも、あんたが庇っているそいつの存在そのものも生命に対する冒涜なのよ!」

 アスカが胎の底から出したその言葉に、シンジは一瞬だけ下唇を噛む。

 しかし、その頭にはすぐ傍で散ってしまったあの少年の顔が思い浮かんだ。自分の身代わりとなって消えてしまった彼。自分なんかよりもずっと生きるに値したはずの彼。何も出来ず、彼の最期の姿をただ泣き喚いて見ていることしかできなかった。

 

「…でも、…助けられる命は助けたい…!」

 もう2度と、あの悲劇は繰り返したくないから。

 

 アスカは相変わらず冷めた表情でシンジを見返す。

「…ほんと、ガキね。言ったでしょ。この世界にそんな余裕はないって。もう消えてしまった命に反応できるほどの余裕なんて…」

「分かってる。僕の我がままだってことは…。でも…」

 いつになく頑ななシンジの態度に、アスカは呆れたように溜息を吐いた。

「あいつを初号機から出して、それでどうするってのよ? あんたの我欲を慰めるためだけに、皆を危険に晒すわけにはいかないわ」

「綾波を初号機から出して、そして僕が初号機に乗る」

「はあ?」

 また訳の分からないことを言い始めたシンジに、アスカは整った顔を思い切り歪めた。

「よく分からないけど、僕が初号機とシンクロできないのは、きっと綾波が初号機の中に居るからだと思うんだ。綾波を初号機から出せば、きっとまた僕は初号機を動かせるようになれる」

「…動かして、それでどうしよっての?」

 反論するのも馬鹿らしくなり、アスカはシンジの話しの続きを促した。

 シンジは伏せていた目をアスカに向けた。

 シンジの視線を真っすぐに受け、アスカは思わずたじろいでしまう。

 

「父さんの計画を…、ネルフを潰す…!」

 

 

 無言で睨み合う2人。

 ついに根負けしたアスカは、口を開く。

「あんたが初号機に乗ることを、ミサトたちは絶対に許さないわよ」

「不安ならまたあの首輪をつけるよ。覚醒しそうになったら、その時は迷わず僕を殺せばいい」

 躊躇いなく言うシンジ。

「本気なの…?」

 アスカの問い掛けに、シンジは黙って頷いた。

 

 アスカは突き付けていたハンマーを下ろしながら言った。

「好きにしたら…」

 

 

 

 

 

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