勝手にシン・エヴァンゲリオン   作:hekusokazura

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第伍話

 

 

 

「ほらレイ。これを口の中に入れて。こうやって、あむあむ、噛むのよ」

「あむあむあむ…」

 

 眠りの底、と言うか、気絶の底から目覚めたら、隣が何やら騒がしい。

 

「じゃあ、んぐって。顎を上げて。飲み込むの」

「んんんん…」

「そうそう、上手ね、レイ。…なんだ、シンジ、起きてたの。ほら、あんたもこれさっさと食べて」

 目を擦りながら体を起こすシンジに、アスカが栄養食品を投げてくる。

「あ、ありがとう…」

 シンジは食品の包装を破り、中身を口にしながら、寝ぼけ眼で2人の様子をうかがう。

「食べたらこの水飲んで。ああもう、ゆっくりゆっくり。ちょ、鼻から噴き出すんじゃないのよ。誰も取らないから、落ち着いて飲みなさい」

「んぐんぐんぐ…」

「ほら。顔を拭いてあげるわ」

「あうあうあうあ…」

「じゃあレイ。出発する前にトイレに行っておきましょうか」

「あぁぁぁ…」

「何よ…」

「え?」

 アスカがシンジをじっと睨んでいた。

「なにジロジロ見てんのよ」

「いやぁ、その…」

 

 何だかお母さんみたいだね。

 と言ったら殺されそうなので、代わりにこう言ってみた。

 

「「レイ」って…」

 先ほどからアスカは「それ」をレイと呼び続けている。

「もうアレコレ面倒くさいから便宜上そう呼んでいるだけよ。何? 文句あんの?」

「いやいやいや…」

 アスカに凄まれ、シンジは慌てて首を横に振った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 捕虜と脱走者と彼らに盗まれた「備品」という奇妙な組み合わせの3人。貴重な仮眠時間を提供してくれた天幕を離れ、歩き始める。

 広大な空間から、再び延々と続く廊下へ。

 

 ふと、3人の足が止まった。廊下の奥から気配。目を凝らすシンジとアスカ。

 散々追い掛け回された、あの四つ足歩行の怪物ではない。

 何者かが、2本の足でこちらに向かって歩いてくる。アスカはすっかり使い慣れた医療用ハンマーを構えた。

 

 こちらへとぼとぼと歩いてくる人影。

 人影の顔が次第にはっきり見えるようになり、アスカの片方の眉が、ぴくりと動く。

 昨日撃ち抜かれたばかりの左肩が疼いた。

 

 

 俯いて、視線を床に這わせながら歩いてきた人物は、10メートルほどの距離になってようやく3人の存在に気付く。驚いたように少し目を丸くして、足を止めた。

 その少し見開いた目で先頭に立つアスカを見て、その横に立つシンジを見て、そしてシンジの背後でシンジの腕に抱き着いて立っている制服姿の「それ」を見る。

 

 黒いプラグスーツを着た空色髪の少女の目がさらに見開かれ、眉間に深い皺が寄った。

 

 空色髪の少女はすぐさま身に付けていたボディバッグのファスナーを下ろし、中に手を滑り込ませる。

 掴んだ物をバッグから抜き出すと、それを両手で持った。

 彼女が手に持ったのは拳銃。

 右手で銃把を握り締め、左手は銃把を握る右手を包み込むようにして銃身を支える。

 右手の親指で安全装置を外しながら狙いを定めると、引き金に掛ける人差し指に一気に力を込めた。

 

 

 しかし黒スーツの少女が引き金を引き絞ることはなかった。

 黒スーツの少女がこちらに拳銃を向けたと同時に、アスカは地面を蹴った。天井すれすれまで跳躍し、10メートルの距離を一足飛びで一気に詰めたアスカは、振りかざしたハンマーを振り下ろす。アスカの素早い動きに、黒スーツの少女は反応さえできない。アスカのハンマーは拳銃の銃身にぶち当たり、拳銃は黒スーツの少女の手から叩き落された。

 アスカは着地様に左手を前に突き出し、黒スーツの少女の体を押し倒す。

 

「やあ、96じゃないの」

 

 黒スーツの少女の上に馬乗りになるアスカ。

「いつ以来かしら。ああそうそう、あんたがあたしの肩に風穴開けて以来ね」

 口調こそ冗談めかしてはいたが、少女を組み敷くアスカの腕はぎりぎりと少女の胸を圧迫していく。

「今度は一体誰の体に風穴開けようとしてたのかしら?」

 そうアスカに問われ、しかし胸を圧迫されている少女はその苦しさで呼吸する事さえままならない。 

 アスカはすっとその顔を黒スーツの少女に近づけ、相手の耳元に囁いた。

 

「あんた。今、あたしでもシンジでもなく、あのコを撃とうとしてたわよね…」

 

 アスカは少女から顔を離すと、ニヤリと笑いながら少女の顔を覗き見た。

 少女の顔が、みるみるうちに紅潮し出す。

「なに。あの親父さんから命令でもされた? 自分のバックアップを消せって」

 少女が四肢を振り回して暴れ出すが、暴れる少女に馬乗りになるアスカの体は小ゆるぎもせず、アスカは少女に冷ややかな声を浴びせ続けた。

「それともあんたの意思なのかしら? 素晴らしいことじゃない。自分の意思で動けるって」

 そこまで言って、アスカは少女の顎を鷲掴みにする。

 両目を剥き、真っ白だった肌を湯がいたように真っ赤にさせ、歯を食いしばってアスカを見上げる少女の顔を、アスカは満足げに鑑賞する。

「いい顔になったじゃない。まるで 人間(あたしたち) のようね」

 アスカの視線を受け止め切れなくなったのか、少女はぎゅっと目を瞑った。

 そして暴れさせていた四肢は動かなくなり、少女の体からはすっかりと抵抗の意思は消え、やがてぐったりとして動かなくなった。

 

 

 アスカは動かなくなった黒スーツの少女から離れる。

 体を解放されても、少女は床の上に倒れたまま動かない。

 

 アスカは振り返り、そこに立つ2人に告げた。

「行きましょ。シンジ。レイ」

 

 アスカのその言葉に、動かなくなった少女の体がピクリと反応し、閉じていた目が開いた。

 

 アスカが黒スーツの少女を制圧する様を、何も出来ずただ呆然と見つめていたシンジ。アスカに促され、背後に立つ「それ」を見る。

「行こうか、レイ」

 

 シンジのその言葉に、再び少女の体がピクリと反応し、天井を見つめたまま下唇を噛んだ。

 

 3人は肩を並べて歩き出す。

 

 アスカは一度だけ振り返り、床に倒れたままの黒スーツの少女を見た。

「じゃあね、96」

 

 シンジも一度だけ振り返り、床に倒れたままの少女を見る。

 何か声を掛けようとして口を開いたが、結局その口からは何の言葉も出ることはなく。

「あぁぁ…」

 「それ」に腕を引っ張られるままに、少女に背を向け、歩き始めた。

 

 

 

 3人分の足音が遠ざかり、やがて消えた。

 床に倒れたままの少女は体を傾け、背中を床から離すと少しずつ体を縮こませ、背中を丸め、膝を腹に抱える。

 空色の髪の隙間から覗く色素の薄い小さな口が微かに開閉し、何事かを呟いている。

 

「…わたしは…アヤナミレイ…、…アヤナミレイじゃない…、

 

…わたしは…アヤナミレイ…、…アヤナミレイじゃない…、

 

…わたしはだれ…、…わたしは96…、

 

…わたしはだれ…、…わたしは96…」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あああああもうっ! どっから沸いて出てくんのよこいつら!」

「あぁぁ…」

「レイ! ほら頑張って! 走って!」

「おぉぉ…」

 

 上の階を目指して彷徨っていたら、突如として四つ足の怪物の群れと遭遇した一行。

 懸命に逃げる3人は、アスカは獰猛な牙を剥き出しにして群がってくる怪物たちに向けて握ったハンマーを振り回しながら走り、シンジは走ることに慣れておらず何度も転びそうになる「それ」を支えながら走る。

 廊下を埋め尽くすほどの数の怪物の群れ。3人は怪物が居ない方向に向けて逃げ続けるしかない。

 時に階段を駆け上がり、時に廊下を走り抜け、行き止まりになったらアスカがハンマーで壁をぶち破って強引に道を作る。

 それらを何度も何度も繰り返して。

 

 階段の突き当りの鉄扉を蹴破った。

 

「空だ!」

 頭上に広がる真っ青な空。1日ぶりに見る空に、シンジは思わず叫んだ。

 

 そこは見覚えのある場所。

 肩を撃たれたアスカと一緒に乗せられたVTOL機の、離発着場。

「アスカ!あれ!」

 シンジが指さす方を見ると、だだっ広い離発着場の中央に1機のVTOL機が停められている。

「行きましょ!」

「動かせるの?」

「当ったり前でしょ!」

「だと思った」

 すでに走り出しているアスカの背中を追いかけようとしたが、ふと背後を振り返る。

 シンジたちが出てきた扉の向こう。怪物の群れが階段を駆け上がって、すぐそこにまで迫っている。

 シンジはすぐに分厚い鉄の扉を閉じた。

 

 ドン!

 

 怪物たちは走ってきた勢いをそのままに、閉じた鉄の扉に突っ込んだらしい。扉が大きく揺らぎ、扉に体重を掛けていたシンジの体が吹っ飛んだ。コンクリート製の地面を一回転したシンジは、しかしすぐに起き上がると扉に突進。扉の向こう側で体当たりを繰り返し強引にこじ開けようとする化け物たちと、扉の押し合いを始める。

 

「シンジ!」

 走り出していたアスカもすぐに引き返し、シンジに加勢しようとするが、

「行って! アスカ!」

 シンジの怒鳴り声がアスカの動きを制止した。

「でも!」

「早く! あれは君にしか動かせない!」

 

 その間も、扉の内側では怪物たちが扉への体当たりを繰り返している。

 扉に大きな衝撃が伝う度にシンジの体が大きく揺れたが、シンジは地面を懸命に踏ん張り、両手も使って地面を押し、全身を使って扉を背中で押さえ付けた。

 

 歯を食いしばりながら扉を押さえつつ、「それ」に視線をやる。

「君も行くんだ!アスカ!頼む!」

 アスカは下唇を噛むが、逡巡している暇はなかった。

「すぐに迎えにくるから! それまで死ぬんじゃないわよ!」

「行って! レイを頼んだよ!」

「ほら! あんた行くわよ!」

 アスカは「それ」の腕を握り、VTOL機に向かって駆け出そうとしたが。

「うぅぅぅぅ!」

 「それ」はアスカの手から逃れ、扉の前で踏ん張っているシンジのもとへと駆け寄った。

「ああぁぁぁ」

 そしてこの建物から溢れ出そうとしている怪物たちを封印するべく、全身全霊で扉を押さえ込んでいるシンジの腕を手に取り、あろうことが引っ張り始めた。

「ダメだ! 僕はまだ行けない! アスカ!」

 シンジに言われ、アスカは背後から「それ」の両肩を抱き締め、「それ」をシンジから引きは剥がそうとする。

「あんた! シンジが珍しく頑張ってるのに何邪魔しようとしてんのよ!」

「あああああ!!」

 アスカの腕の中で激しく暴れる「それ」。テコでもシンジの腕を離そうとしない。結果的に「それ」とアスカに引っ張られる形となってしまい、シンジの背中が扉から離れてしまいそうになる。

「アスカ! 離して!」

「もう!」

 シンジのその一声に「それ」を拘束するアスカの腕が緩み、その拍子に「それ」はぺたんとその場に座り込む。そのまま、握っていたシンジの腕を両手で包み込んだ。

 

「あぁぁぁ…」

 

 シンジを見つめる「それ」。赤い瞳。

 水槽の中を漂い、水槽の中から引っ張り上げ、制服を着せ、栄養食品を齧らせ。

 その間、ずっとずっと、虚ろだった瞳。

 魂というものが欠落していた瞳。

 その瞳が、シンジを見つめている。

 悲しみと不安を色濃く浮かべた瞳で。

 瞳を潤ませ、眉毛をハの字に曲げて、シンジを見つめている。

 

「…僕のことを、…心配して…くれているの…?」

 

 シンジのその問い掛けに「それ」は返事をしない。

 ただ、

 

「あぁぁ…」

 

 と呻くだけ。

 両手に包み込んだシンジの手を、必死に揉みながら。

 

 

 シンジは口の端をゆっくりと上げた。

 背中に、今にも鉄の扉を突き破ろうとする怪物たちの息吹を感じながら、静かに笑った。

 こんな状況下で、自分でも信じられないくらいに心が落ち着き、自分の記憶にないほどのとても自然な笑顔を浮かべていた。

 シンジは静かに柔らかに「それ」に言う。

 

「僕のことは大丈夫。心配いらないから。…ほら」

 視線を、アスカへと向ける。

「このお姉さんに付いていって。彼女が君を守ってくれるから。彼女は僕なんかの100倍は強いんだよ」

 そこまで言って、再び「それ」を見る。

 ニッコリとした笑みをその顔に湛えて。

「さあ、ほら。行くんだ…、レイ…」

 

 

 こんな時に、こんな場所で、なんて顔をするのだろう。

 見たこともないシンジの笑顔。

 見る者を暖かい羽毛で包み込むような、そんな笑顔。

「アスカ…」

 シンジに呼び掛けられ、2人のやり取りを呆然と見ていたアスカは目をぱちくりとさせる。

 慌てて膝を折り、シンジの手を握ったままの「それ」の両手に自身の手を重ねる。

「レイ…、行くわよ…」

 しかし「それ」はシンジの手を握り、シンジを見つめたまま動こうとしない。

「何してんの! 早く行くの!」

 そのアスカの怒鳴り声に、「それ」はびくりと肩を竦ませた。

「アスカ駄目だよ」

 シンジの柔らかな声は、今度はアスカへと向けられる。

 声に導かれるままに、アスカはシンジの顔を見た。

「レイが怖がっちゃうじゃないか。ほら、笑顔笑顔」

 自分に向けられる、シンジの柔らかな声、シンジの柔らかな笑顔。シンジのその声も、笑みも、自分のために向けられたものではないことに気付いているアスカは、その胸に心臓が鷲掴みにされたような痛みを覚えるのだった。

 しかしアスカはその感じた痛みを表情に表すことなく、そしてシンジに促されるままに。

「ほら…。レイ…。行きましょう…」

 今自分にし得る限りの優しい声で「それ」の耳もとに呟き、そして自分にし得る限りの笑顔を「それ」に向けた。

 

「あぁぁぁ…」

 すぐ近くのアスカの笑顔を見つめる。

「あぁぁぁ…」

 扉の前のシンジの笑顔を見つめる。

 

 シンジの手を握った「それ」の手の力が、少しだけ緩んだ。

「大丈夫…。あなたはアタシが守るから…」

 アスカは「それ」の手に重ねた自分の手にほんの少しだけ力を籠め、シンジの手から離させた。「それ」がゆっくりと立ち上がる。アスカはぶらんとさがった「それ」の右手を握った。

 

「シンジ…」

 悲痛な面持ちでシンジを見つめる。

「なるべく早く迎えてに来てね」

「分かってる。…これ」

 アスカは「それ」の手を握っていない、もう片方の手に握っていたものをシンジの前に置く。

「使って…」

 アスカが置いたものを見て、シンジはクスリと笑った。

 シンジに釣られてアスカも笑うと、その笑顔をそのまま「それ」に向けた。

「じゃあ行きましょうか」

「あぁぁぁ…」

 その呻きをYesと受け取ったアスカは、シンジに背を向けると走り出した。

 今度は、「それ」は素直にアスカに付いていった。

 

「ははっ」

 赤毛の女の子と、空色髪の女の子が、手を繋ぎながら仲良く走っていく。

 14年前には決して見る事のできなかった「あの2人」のそんな後ろ姿に、シンジは声に出して笑っていた。

 

 

 

 

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