勝手にシン・エヴァンゲリオン   作:hekusokazura

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第七話

 

 

 

「シンジ! うそっ! そんなっ! やめてよ、バカシンジ!」

 

 シンジが空の彼方に消えてしまい、たちまちパニックに陥ってしまうアスカ。

 しかし訓練に訓練を重ねてきた身体は勝手に動いてしまう。

 シンジの腕を離してしまった左手で、コンソールのスイッチを次々と押していく。

 砲撃を受けて火を吹いていた右回転翼のエンジンから白い消火剤が噴き出し、炎を消していく。続けて左回転翼を停止させて左右不均衡だった推進力をゼロにする。

 動力を失ったVTOL機は巨大なグライダーと化した。

 もとより滑空には不向きな構造のVTOL機。高度計は恐ろしい速さでその目盛りを減らしていく。

 

 近づいてくる地上。真っ赤な大地。

 アスカは後部座席で、きゃあきゃあ悲鳴を上げ続けている「それ」に向かって怒鳴った。

「不時着するわ!耐衝撃姿勢!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

「黙れ!!舌噛むわよ!!」

 言葉は伝わらなくてもアスカの凄みは伝わったのか。「それ」は恐怖に顔中を引き攣らせながらも口を噤んだ。

 

 遥か下にあったはずの地表。それが、すでに目の前にまで迫っている。

 幸いにも迫る地表は更地になっていて、障害物らしきものは少ない。

 アスカは血走った目で計器と眼下の大地とを交互に見やる。

 

「大丈夫…! あたしならやれる…! あたしならやれる…!」

 

 高度計は間もなくゼロを刻む。

 地上に転がる岩や枯れた木々がはっきりと見えてきた。

 地上の急接近を知らせる警報が一際高い音を鳴り響かせたその瞬間。

 

「お願い!」

 

 彼女にして珍しく祈りの言葉を吐きながら、その左手は神業の如き素早さで一連の作業を行った。

 水平飛行から垂直飛行へと切り替えるスイッチを叩くと、沈黙していたエンジンを再点火、さらにスラストレバーを殴るように押し上げ、エンジンを一気にフル回転させた。

 停止していたエンジンが唸り、生き残った左回転翼が急速に回転し始める。

 ふわりと、シートベルトで座席に括り付けられていたアスカの体が浮いた。

 機体を覆ったのは、地表への激突という破壊的な衝撃ではなく、まるでふかふかのクッションの上にでも丁寧に下ろされたような、ふんわりとした浮遊感。

 そして。

 

 ドン!

 

 今度こそ凄まじい衝撃。

 規定を遥かに上回る速度で地表に降り立ったVTOL機。巨体を支える主脚はたちまち折れ、傾いた主翼が地面に触れ、地表を削っていく。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 この世界は何て恐ろしい場所なんだろう。

 

 「みんな」を溶かしてしまった青い液体。

 群れをなして襲ってくる恐ろしい化け物たち。

 椅子に縛り付けられたと思ったら、次々と襲ってくる衝撃。

 こんな世界に、出てくるんじゃなかった。

 あの濁った液体の中でぷかぷかと浮いているだけで良かった日々の、何と平和だったことか。

 

 もし「それ」の今の心情を言語化できたとしたら、そのような言葉が並ぶに違いなかった。

 

 体を座席に縛り付けるシートベルトに両手でしがみ付き、膝を折って体を縮こませ、目を閉じるのも怖いとばかりにかっと見開いた両目で、所々から火花を散らす天井を睨んでいた。

 衝撃が止んで、静かになっても、しばらくは全身を硬直させて動けなかった。

 

 ぼんやりと天井を見上げていたら、轟音に晒され一時的に麻痺していた聴覚が復活してきた。

 どこからから人の声がした。

 

「あぁぁぁ…」

 身じろぎする。

 後部座席に縛り付けているシートベルトが、「それ」の動きを邪魔する。バックルの解除方法なんて知らない「それ」は、肩を右に左に何度も揺り動かし、身を捩らせながら、何とかシートベルトの束縛から脱出。

 途端に、

「あうっ!」

 座席から床に真っ逆さまに落ちてしまった。

「うぅぅぅ…」

 打ってしまった頭を摩りながら、おずおずと立ち上がる。

 

 「それ」が座っていた席の一つ前。操縦席の横に立つ。

 そこに座る彼女。

 赤毛の少女。

 

 ちょっと。

 いや。

 かなりおっかないけど、でもここまで手を引いて導いてくれた少女。

 その少女が膝を抱え、その膝に額をくっ付け、その細い肩を震わせている。

 

「嫌よ…、そんなの…、シンジ…、シンジ…」

 

「あぁぁ…」

 「それ」の手がアスカの肩に触れようとした、その時。

 

「あんたの所為よ!」

 

 突然顔を上げたアスカは、「それ」の手を乱暴に振り払った。

「あんたなんかを助けなければ!」

 両目を見開き、両眉を吊り上げた、アスカの顔。

 今にも「それ」に掴みかからんばかりの、怒りに満ちたアスカの顔。。

 しかしすぐに眉尻は「ハ」の字に下がり、目は細くなり、その顔はたちまち悲しみに暮れる。

「シンジは……。あんたなんか…助けなければ…、……シンジは……」

 再び顔を俯かせ、額を膝にくっ付け、肩を震わせ始める。

 

 揺れる赤毛を見つめる。

 しばらく赤毛の頭のつむじを見つめていて。

 すっと視線を落とし、足もとに向けて。

 そして座席の奥の薄暗いキャビンを見つめて。

 今度は割れた窓ガラスの向こうに見える外の風景を見つめて。

 ここには自分と赤毛の彼女と、2人しか居ないことを確認して。

 天井を見つめる。

 

 

 

 14年振りに再会して。

 それでもあの時は14年の歳月で鬱積したものが爆発してしまって。

 あいつは自分たちのもとを飛び出してしまって。

 それでもまた再会できて、あいつは散々辛い目に遭って、なお強い意志で自分たちと一緒に戦うと誓ってくれて。

 いつの間にか、当時のように軽口をたたき合えるような雰囲気になっていて。

 ああ、もう少しで14年前に戻れるんだな、とそう思っていた矢先。

 

 あいつは空へと消えてしまった。

 まだ自分の手には、あいつの腕がすり抜けていった感触が残っている。

 なぜ、この手はあの時あいつの腕をもっとしっかりと握っていなかったのだろう。

 

 もう何も見えない、見たくない。

 何も聴こえない、聴きたくない。

 

 自分の周囲に厚い厚い殻を築き、自分の世界に閉じこもろうとしていたアスカの意識。

 しかしそれはアスカが一生懸命造り上げた殻をいとも簡単に突き破って、アスカの聴覚へと届いた。

 

 

 額を、くっ付けていた膝から離し、顎を上げる。

 視線を少し上に上げる。

 

 うんざりした。

 

 本当にもう、いい加減にしてと言わんばかりの、げんなりとした顔で、「それ」の顔を見上げた。

 

「何よぉ…」

 

 「それ」は天井を見上げたまま。

 

「何よぉ…、もぉ…」

 

 アスカの抗議の声にも、耳を貸さない。

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

 大声を上げて泣き喚いている「それ」。

 赤い双眸から大粒の涙を流している「それ」。

 小さな口を目一杯広げ、人目もはばからずに大声で泣いている「それ」。

 

「なんであんたが泣いてんのよぉ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「うるさいなぁ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「もう勘弁してよぉ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

 膝を抱えていたアスカはついにその膝を伸ばし、座席から立ち上がり、「それ」の顔の前に自分の顔を突き出した。

 

「うっさい!! 泣くな!!」

 

 急に目の前でアスカに怒鳴られ、泣き声を飲み込んだ「それ」は一瞬きょとんとしてアスカの顔を見つめる。

 しかしすぐに。

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 アスカの顔を見つめながら泣きを再開。

 

「ああーもー…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「やめてよぉ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「泣きたいのはこっちよぉ……」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「シンジぃ…、何とかしないさいよぉ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「あんたがやり始めたことでしょぉ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「さっさとこいつ黙らせてよぉ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「ねえ…、シンジぃ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「さっさと出てきなさいよぉ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「シンジぃ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「シ…ン…ジ…」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「うぅ……」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「うぅわあ……」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「うわあああああーーーーん!」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「わああーーーーーーーん!」

 

「あ゛ーーーー…あ…あ…あぁぁ…」

 

「わああーーーーーーーん!」

 

「あ…ぁ…ぁ…」

 

「わああーーーーーーーん!」

 

「………」

 

 

 とってもおっかない赤毛の彼女が泣いている。

 人目もはばからずに。

 青い双眸から大粒の涙を零しながら。

 自信ありげな大きな口を、今は情けないまでに歪ませて。

 

 そんな彼女の泣き顔をぽかんと見つめていた「それ」。

 困ったように辺りをきょろきょろと見渡して。

 何度か目をしばたたかせて。

 

 そして。

 

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「わああーーーーーーーん!」

 

「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

「わああーーーーーーーん!」

 

 2人分の鳴き声が木霊する機内。

 2人の少女は互いに向かい合いながら、声が枯れるまで泣き続けた。

 

 

 

 

 お互い泣き疲れ、いつの間にか狭い機内の床にぺたんと尻餅を付き、互いに肩を寄せ合っていた。

 妙な対抗意識が芽生えるもので、「それ」が泣き止むまでは絶対にこっちから泣き止んでやるものかと思っていたが、結局先に泣き疲れてしまったアスカは、今はまだ完全に泣き止まずひっくひっくとしゃくり上げている「それ」の頭を、自身の胸元で優しく抱いてやっている。抱いた「それ」の後頭部をぽんぽんと、ゆっくりとしたテンポで優しく叩いてやりながら。

 

 こんなに泣いたのはいつ以来だろうか。久しく記憶にない。心は未だに悲しみに打ちひしがれているが、流した涙が少しだけ荒んだ心を潤してくれた。

 

「ありがとね…、あいつのために泣いてくれて…」

 アスカの口から漏れたのは、そんな感謝の言葉だった。

 優しい言葉を口にすると、ほんの少しだけ心に余裕が出てくる。

 

 ふ、とアスカは笑った。

 

 それにしても何て無様な泣き顔だったことだろう。両目尻をだらんと垂らし、だらしなく口を広げ、顔中をしわくちゃにした泣き顔。

 自分が知る「彼女」は、それはもう鉄仮面と表現するのがピッタリな、瞬きする以外は殆ど顔の筋肉を使わない、その顔に感情というもの殆ど宿さない女だったが。

 

「えこひいきって…、泣いたことあったのかな…」

 

 電話越しに聴いた「彼女」の最後の言葉を思い出す。

 感情なんて持たない、人形のような女だと思っていたけれど。「彼女」にも人に感謝できる心があって、また想い人を想って頬を赤らめる感情の起伏も持っていて。

 

 鼻を大きく啜った。自分が着るシャツの胸を、涙と鼻水で汚している「それ」の横顔を見る。

「そうよね…。あんただって…、生きてるんだもんね…」

 「それ」の空色の髪に顔をうずめる。

「生きてたら…、そりゃ泣くことだって…あるよね…」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ほら、レイ。これに鼻かんで」

「びいぃぃぃ…」

「もう。女の子なんだから、最低限の身だしなみは整えなきゃ」

「うぅうぅうぅ」

「えこひいきも見た目にはほんと気を使ってなかったわね。ドライヤーとか櫛とか使ったことあったのかしら、あいつ」

「おぉぉぉぉ…」

「はい、これでオッケーと。じゃあ立てる?」

「うぅぅ…」

 

 ハッチをこじ開け、機外へと出る。

 周囲を見渡す。

 赤い砂地が延々と続く砂漠のような土地。

 VTOL機の機器は不時着の衝撃で全て壊れていて、ここが何処かも分からない。

 機内にあった緊急脱出用の背嚢を背負う。

 

 後ろでぼんやりと突っ立てっている「それ」を見る。

「ん…」

 アスカは「それ」に向けて手を差し出した。

「うぅ…」

 「それ」はすぐにアスカの手を握った。

 「それ」の手を引きながら、歩き始める。

 

 

 昨日はあいつの手を引いて歩いて。

 

 今日は「それ」の手を引いて歩いて。

 

 

「まったく…。たまには誰かの手に引かれてみたいものだわ…」

 

 そう独り言ちるアスカの視線の先にある砂の丘から、数羽の鳥が羽ばたいた。

 風にばたつく髪を押さえながら、空高くに舞い上がる鳥を見上げる。

「へー、こんな所にも生き物がいるんだ…って、ちょっと!」

「ああああああ」

 初めて見る鳥に感動でもしたのか、「それ」が奇妙な歓声を上げながら、走って空の鳥を追いかけ始めた。

「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!」

「あぁぁぁぁぁ」

「んもう!」

 腕を懸命に振って走る「それ」だが、握ったアスカの手は離さない。

 走る「それ」の手に引っ張られるままに、アスカも走るしかない。

 

「ふふっ」

 アスカの口もとが綻んだ。

 

「ははっ」

 もう笑うしかなかった。

 

 

「シンジ…」

 

 この空に消えてしまったあいつの名前を呟く。

 

「あたし…、もうちょっと頑張ってみるわ…」

 

 

 

 

 

 

第一章 《終》

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