港までの道程   作:紫 李鳥

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 峰子はすべてを喋っていなかった。話にはまだ続きがあった。

 

「――罪を償ったら、君を迎えに行く。それだで、焼津(やいづ)に居てくれ。君の住みゃーだという目印を決めておかざぁ。そうだな……物干し竿に手ぬぐいを結んどいてくれ。そうすれば君の住みゃーだと分かる。真太郎を頼む」

 

 それが全貌だった。峰子はそれから九年間毎日、物干し竿に手ぬぐいを結んでいた。雨の日も雪の日も。

 

 

 勇人は、資料室に(こも)ると、九年前の三面記事や事件ファイルを調べてみた。だが、事件はおろか、木村真雄が自首したという記録さえなかった。

 

 ……つまり、あの身元不明の白骨死体は木村真雄の妻だ。だとすると、殺した後に死体を遺棄して逃走したことになる。だが、こんな推測もできる。妻を殺害したというのは真っ赤な嘘で、峰子と別れるための作り話だった。……いや。峰子の話が事実なら、前者のほうが可能性が高い。

 

 勇人は、白骨死体が発見された村に行ってみた。木村真雄が住んでいた借家はすでに取り壊されていた。

 

「木村さんですか?働きもんでしたよ。十年近くなるか、突然姿が見えなくなって。夫婦ともです。引っ越すなら一言(ひとこと)あってもいいのにって、皆と話してたんですよ」

 

 姉さん被りの初老の女は、そう言っ(くわ)を持った手を休めた。

 

「夫婦仲はどうでしたか?」

 

「そりゃもう、仲がよかったですよ。旦那さんが優しい人だで、奥さんも幸せそうでしたよ」

 

 女の回答は、峰子が語った木村の人柄と合致した。やはり、故意に殺したのではなく、揉み合っているうちに誤って殺してしまったというのが真相のようだ。

 

 署に戻る前に、開店前の〈玄三庵〉に立ち寄った。蕎麦を打っていた玄三が厨房から顔を出した。

 

「お忙しいとこすみません」

 

 頭を下げると、止まり木に座った。

 

「お疲れさん。遺体の身元は分かりましたか?」

 

「……いいえ、まだ。歯科所見でも一致するものがなくて」

 

「ま、虫歯一つない歯の丈夫な人は居るでしょうから」

 

 手を動かしながら、玄三が一瞥(いちべつ)した。

 

「歯医者に行ったことがないなんて羨ましい。あとは復顔という方法もありますが……」

 

「吉岡さん」

 

「はい」

 

「俺は、おみねちゃんに辞めてほしくないんだ」

 

「え?」

 

「身元不明のままにしてくれないか」

 

「……玄三さんの気持ちも分からないではないですが」

 

「立場上、そういう訳にもいかないか」

 

 玄三は手の粉を払うと、茶を淹れた。

 

刑事(デカ)の頃、いろんな人間ドラマを見てきたよ。逮捕される父親に『お父さん!行かないで!』って、泣き叫ぶ女の子。『父さんのバカヤロー!』と言って泣き叫ぶ少年。……真太郎くんにはそんな思いをさせたくない」

 

 勇人の前に湯呑みを置いた。

 

「……玄三さん」

 

昨夜(ゆうべ)のおみねちゃんの話が事実なら、正当防衛だ。遺棄したとなれば、死体遺棄罪に罰せられるべきだが、白骨死体が奥さんだと確認された訳じゃない。だから、このまま身元不明にしてほしくてさ」

 

 玄三は勇人に目を据えながら茶を飲んだ。

 

「……」

 

 勇人は、玄三に返す適当な言葉が見付からなかった。

 

「木村さんが仮に奥さんを殺し遺棄したとして、事件が発覚すればおみねちゃんに迷惑がかかると思い、離ればなれになったに違いない。おみねちゃんは真太郎くんに、『父さんは外国で働いている』とでも言ってあるのだろう。もうすでにご主人とお子さんを事故で亡くしているんだ、これ以上悲しい想いをさせたくない。できれば木村さんと親子水入らずで暮らしてほしい。これまで女手一つで真太郎くんを育ててきたんだ、……おみねちゃんを幸せにしてやりたい」

 

 玄三は目頭を押さえた。

 

「……玄三さん」

 

 

 その頃。木村真雄は、建設現場を転々としながら、飯場で寝泊まりしていた。

 

「木村さんは(いき)だね、キセルなんかで吸って」

 

 相部屋の高島(たかしま)という四十代の男が話しかけた。

 

「あ、親父(おやじ)の形見なんです。いちいち刻みを詰めるのは面倒ですが、慣れると手放せなくて」

 

「それだと、指が黄ばまなくていいよな。俺なんか両切りだで、ヤニがついて取れにゃー」

 

 高島は恨めしそうに、自分の指先を見た。

 

「そうは言ってもやっぱ、使い慣れた枕と一緒で、吸い慣れたタバコが一番ですよ」

 

 真雄が配慮を見せた。

 

「同感だ。どうですか、今夜、花札でも一緒に」

 

「申し訳にゃー。賭け事は苦手なんで」

 

 真雄が頭を下げた。

 

「木村さんは真面目だな。そんなに貯めてどうするんですか」

 

「……妻と一人息子が待ってるもんで。苦労かけっぱなしなんで、金持ってって、いいとこ見せにゃーと」

 

「いい旦那さんだな。奥さんも幸せだ」

 

「ありがとうごぜゃーます。……出稼ぎが長かったんで、一日も早く息子に会いたくて……」

 

 沁々(しみじみ)と語った。

 

 

 真雄は九年前、自首するつもりでいた。だが、正当防衛を警察が認めてくれるか不安だった。“若い女ができて妻が邪魔になったから殺した”とされかねない。真太郎を人殺しの子供にはしたくなかった。

 

 遺体さえ発見されなければ、“殺し”を知られることもない。遺体をリヤカーで運んで林に埋めると、翌日には家財道具を処分した。――そして、建築現場で働きながら金を貯めた。三人で暮らすために。……仮に遺体の身元が判明し逮捕されても、それは仕方がないことだと覚悟を決めていた。だがその前に、峰子と真太郎に一目(ひとめ)だけでも会いたい。真雄はそんな想いだった。

 

 

 

 それから間もなくだった。物干し竿に手ぬぐいを結んだ家に、小石が入った丸めた紙が投げ込まれた。それには、電話番号と住所が書いてあった。

 

 

 数日後、峰子と真太郎が忽然と姿を消した。空き家になった物干し竿には手ぬぐいは結ばれていなかった。

 

 

 

 

 

 一方、復元された頭蓋骨の顔貌は、真雄の妻、孝子に似ていた。――

 

 

 

 

 

 完


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