――これは、術師殺しが抱いたある後悔の話。
――これは、名をも知られぬ殺し屋が死に際に抱いたある未練の話。
「シノアリス×呪術廻戦」で読み専がやらかす雰囲気小説です。シノアリスを知らなくても一切問題ありません。またシノアリスに関するネタバレや独自解釈やクロスする上での多少の操作などがあります。基本なんでも大丈夫な方のみどうぞ。
薄い腹を押さえた少女の白い指は、あっという間に赤へと変わった。
ぽっかりと空いた銃創からとくとくと赤い血が零れて、地面を這いまわる鼠の小さな足を濡らしていた。殴られて腫れあがった白い頬と、噛み切った唇からはもはや何も感じない。
小さな体を守るように折り曲げて横たわる彼女からは、どれだけ零すまいと押さえつけても、変わらずにとくとくと命が零れ続けている。
熱くて、寒くて、ただひたすらに暗い、じめじめとした歓楽街の路地裏の生ゴミと鼠に塗れて、訪れるべき“その時”を、みすぼらしく蹲りながら少女はずっと待っていた。
「君ガ殺シタ人間ニハ家族ガイマシタ。デモ、コレッポッチモ君ノ心ハ痛マナイ。カワイソウ。壊れた人間ッテカワイソウ」
「ボクには殺すことしかないんです。そうすることでしか、ボクは世界とは関われないんです」
すでに光が消えかけ、焦点が合わなくなってきた少女の瞳がふいに何かに合わされた。燃え尽きる命が最後に見せた幻か、ドロドロとした黒い影が彼女を覆うように広がって、包み込むような優しい声音で語りかける。
少女には決して見えなかったけれど、いつだって確かに居た何か。
死の間際にして、ようやく明確に理解した“アレ”の存在は、いつか聞いた通りのままに、確かに“呪い”そのものであった。
******
血を流し倒れ伏している男に手を伸ばす少女のすぐそばで、禪院甚爾は面倒くささを隠しもせず、大きなため息をこれ見よがしに吐き出した。
甚爾は依頼のためラブホテルの清掃員である男を待っていた。
依頼主であるホテルの元締めは“こちら”の世界を知っているが、ただそれだけだ。正直よくもまぁ“術師殺し”と呼ばれる自身へのツテを得られたものだと、うっかり感心してしまうような人間からの依頼など、普段であれば鼻で笑って終わりだが、目の前でどんどんと積み上げられた札の厚さが“ただの人間を殺す”にしては分厚かったがゆえに、表面上は仏頂面で、内心では「はっ? ただの一般人殺すのに下手したらそこらの術師殺すよりもらえるとか、は?」などと思いつつ、最終的に笑顔で引き受けたのは今からほんの三時間前のこと。
依頼主が言うには、何も知らずに三時間後に出勤してくる清掃員の男を待つべく、よい機会なので渡された前金を銀色の小さな玉へと交換し、きれいに溶かし終えたのがほんの五分前のこと。
ぴかぴかに光るからっぽの箱を前に可笑しいとばかりに首を捻ってから、うっかりそのまま“ここから一番近い家に転がり込もう”としたところで、追加で遊ぶための金が簡単に手に入ることを思い出し現在に至る。
なんてことのない依頼だ。
ただ人を殺す。ただの人を殺す。
“術師殺し”であれば対象が目の前にいるのならば、それこそ瞬きの間に終わるだろう。
「はーっ。だっる」
重い腰を上げ依頼を遂行しようと現場に向かい、されどどうにも未だ出勤していなかったらしい男と、その傍らにこんな時間と場所にいるにはあきらかに可笑しな赤いフードを被った少女とを、ようやくホテルからほど近い路地裏で見つけたと思った時には――当然のように、すでに依頼は終わっていた。
どさりと“物”が倒れる重い音の後に、ゆっくりと少女が膝を折る姿を視界におさめて、甚爾はなんとも言い難い嫌な予感を感じ取り、思わずガシリと自らの頭をかき混ぜていた。
「オイ、何してんだ? ガキは家で寝る時間だろうが」
血を流し倒れ伏している男。
屈みながら動かぬそれに手を伸ばす、赤いフードを被った少女。
面倒くさいことになったと、息を吐きだす“術師殺し”。
噎せ返る血の匂いが路地裏のごみと混ざり合い、“体質”故に誰よりも眉をひそめ、より恐ろしい顔に雰囲気となった甚爾を気にする余裕もないのか、とめどなくこぼれ続ける液体を避けるように、少女の小さな手が男の体へと伸ばされる。されど、触れた彼女の手がその鼓動を、息遣いを、温度を、とらえることはなかった。“誰よりもわかっているだろう”に、彼女は探すように手を動かし続けている。
「なあ、オイ。死んでるだろソイツ? 何がしたいんだ?」
二度目の重いため息と、髪をかき混ぜる音が路地裏に落ちた時、ようやく自分以外の存在に気が付いたのか、発信源である男のほうへと振り返った少女の顔色は、フードに隠され甚爾にはわからなかった。
「何って……」
控えめな声と同時に動かしていた手を止め、足元にあったエナジードリンクの缶を蹴り倒し、血だまりに靴を浸しながら立ち上がった少女は、今度こそ真正面から甚爾を見つめ、その小さな手に何かを握りしめて突き出した。
「見てください! このおじさんは貧乏さんでした。所持金12円なんて、さすがのボクもドン引きです」
少女の手に握られていたのは、ちっぽけな三つの硬貨だった。
立ち上がった勢いか、甚爾を見上げた時の角度のせいか、脱げたフードもそのままに愛らしい顔を歪ませて、そのまろい頬を空気で膨らませて、聞いてくださいと言わんばかりに彼女から零された愚痴は、路地裏には似合うが、少女には似つかわしくもないものだ。
「……お前、なんで殺した?」
「なんで? お金を貰って、頼まれたから。だから殺しました!」
甚爾の前で、“術師殺し”のその前で、清掃員の男をたやすく殺して見せた少女は吐き捨てるように言ったあと、彼女の凶行の目撃者なぞお構いなしに、リサイクルショップにでも売れば僅かばかりは金になりそうな男の鞄へと、今度は手を伸ばしている。
なんでもないことのように答えて見せたその小さな手は、当然のように血で染まっていた。
「は? アイツ、お前にも頼んでたのかよ!?」
「……もしかして、おじさんもおじさんに頼まれましたか?」
「どのおじさんだよ! あと、俺はお兄さんな?」
「そうなんですか。あっ! そういえばおじさん! 残念ですが目撃者は殺さなきゃです!」
話を聞いていないのか、彼女は“術師殺し”へと、親しい友人に「また後で」と軽い別れを告げるように微笑んだ。そのあと、掌の血が付かないように細心の注意でもって、戦利品を小さな体に斜めにかけ、路地裏の壁に捨て置いてあった袋からお菓子でも取り出すかのように新品の包丁を取り出し、むしるように百円均一の文字が躍るパッケージを地面に放り投げた。
血だまりにゴミが沈むより先、胸元に包丁を手に肉薄してきた、自身の半分ほどしかないような小柄な彼女に容赦なく甚爾は膝を叩き込む。――はず、だった。
ぱしゃり、と。遅れてゴミが水たまりに落ちる音に「ビックリしました」という少女の囁きと着地の音が重なり合った時、攻撃が不発に終わったことを知り、“術師殺し”は盛大に眉を寄せていた。
嫌な予感ほどよく当たる。
あの時感じた面倒くささが自身の真後ろから気さくに肩を叩く様を、男は確かに幻視した。
「へぇ?」
そう、至極簡単な話だった。
二人は“同じ”だった。
手加減なぞ一切せず、愛らしい顔をした華奢な少女の腹に、比喩なく穴を開けるほどの攻撃をしたはずが、あっさりと、手で逸らされ躱されたとき、甚爾は“それ”に気が付いた。
本来であれば彼女が放ったゴミが地面に落ちるより先に、瞬きにも満たないような刹那の時間で少女の小さな体がこちらへと肉薄してきた時点で気が付くべきだった。けれど、凶器を手に飛び込んでくる彼女に“反射でいつも通り”に攻撃するその時まで、かの“術師殺し”でさえ気が付かなかったのは、慢心故か、あるいは運命だったのか。日頃の行いのせいだというのなら、まだ納得がいくだろうか。
「おじさん、強いんですね!」
それが禪院甚爾と“赤ずきん”の初めましてだった。
「おじさんは、ボクが遊んでも壊れないから、だからボクはおじさんがとっても大好きです!」
「そうかそうか。俺は言ったよな? 出会い頭に包丁を突き刺すなって何度も言ったよな?」
彼女はそれ以降、ふいに甚爾を見かけるたびに、飼い主を見つけた犬のように、あるいは欲しくて欲しくてたまらない玩具を見つけた子供のように「おじさん、こんにちは!」と包丁を手に、傍目にはまるで、娘が父親に助走をつけて抱き着くように、文字通り飛び込んでくるようになった。
「――そういえば、アイツの名前を聞きそびれたな」
甚爾はあの日の出会いを後悔した。
******
“赤ずきんの殺人鬼”は“おじさん”が大好きだった。
全力で遊んでも壊れない人間を、彼女は“おじさん”以外に知らなかったからだ。
なんでも“てんよじゅばく”だと、少女の“体質”についてざっくりとした説明はされたのだが、赤ずきんには“そんなこと”は関係などなかった。
彼女の生活は、“おじさん”と出会ったことで劇的に変わることはなかった。ただ、少女と“同じ人間”がいるという事実は、確かに赤ずきんの心を揺らし居座っていた。
「お前、これが見えるか?」
「……おじさん。ボク、お薬だけはやめたほうがいいと思います」
気が付いた時には、彼女は一人だった。
ある日、彼女はいたずらしてくる男の子を殴った。
男の子の歯が折れて、そうして泣きわめく彼に、騒ぎ立てる周りの人々のざわめきを、少女は“楽しい”と感じた。
ある日、無視する子の指を折った。
その子は少女に言葉を投げかけた。「馬鹿。死ね。この××××!」初めてお話ができたことを少女は純粋に“喜んだ”。
ある日、ナイフで人を刺した。
彼女を襲おうとした口の臭いおじさん。彼の財布にはたくさんのお札が入っていた。少女は初めてのお金を手に、ようやく“知った”。
“そうすること”でしか、世界と関われない自身のことを。
「あっ、でもお馬さんもやめたほうがいいと思います! 紙がもったいないですよ!」
「ぶっ飛ばすぞこのガキ」
人を殺すことでしか世界と関われない少女には、当然のように親もいないし、甘える相手もいないし、遊び相手もいなかった。赤ずきんはずっとひとりぼっちだった。
そんな彼女の前に現れた“自身と同じだというおじさん”に、少女が“彼女なりのコミュニケーション”で仲良くしようとしたのは当然の帰結であった。
けれど、それだけは赤ずきんとは異なり、人を殺すこと以外でも世界と関われた“おじさん”はどこまでも釣れなかった。
“おじさん”は赤ずきんと遊ぶより、“目に見えない何か”と遊ぶことを好んでいた。当の本人が聞けば特大のため息をつくか、どうでもよさそうに肯定するか、どちらであったとしても少女から見た“おじさん”はそうだったのだから、それが彼女にとっての真実だった。
見えないけど、確実にいる何か。
“呪霊”と“おじさん”が呼ぶそれを少女なりにかみ砕いて理解した時、彼女は珍しく本気で“おじさん”に感謝したことを、“生涯忘れることなどない”のだろう。
ボクも“アレ”と遊ぼう!
その日から少女は“アレ”と遊ぶことを覚えてしまった。
“アレ”は赤ずきんや“おじさん”と比べてしまうとはるかに弱い。けれど街にはたくさんいる。それに彼女はまだ一度しか会ったことがないけれど、少女にも“おじさん”にも負けないくらいに強い“アタリ”と遊んだこともある。
「遊んでくれるんですか?! やったー!!」
「おいコラ、テメェ、見えてんじゃねぇか?!」
「なんのことですか? ボクはただ、おじさんを殺すことでついでにお薬から救ってあげようとしてるだけですよ!」
そうして最低でも週に一度は“アレ”と遊ぶ中で、彼女はある日気が付いた。「もしかして、ボクは天才さんかもしれません」と、自画自賛してしまうような天啓のようなものに、少女は気が付いてしまった。
普通の人間が赤ずきんと遊ぶとすぐに壊れて動かなくなる。
“おじさん”は少女と遊んでも壊れない。壊れないし、とても楽しいけれど、“おじさん”はどうにも生産性のない、パチンコやら競馬やら、本人が言うには“大人な遊び”をするか“アレ”と遊ぶほうが楽しいらしく、あまり彼女とは遊んでくれない。
何よりも互いに、互いの生活がある。
人を殺して生計を立てている赤ずきんの暗殺者は、“ありがたいことに”最近はとても忙しかった。
つまらない。
ポツンと呟いた少女は、その時だけは年相応だった。
つまらない。
つまらない。
つまらない。つまらなくて、つまらなすぎて、仕方なく“アレ”と遊んでも、なんだかやっぱりつまらない。いじけるように息を吐いた少女は“おじさん”という同胞を得た今でも、結局は変わらずにひとりぼっちのままだった。
「俺の大事な倉庫を的確に殺ろうとしてる奴のセリフじゃねぇぞ! いやがらせか!? ってかその呪具どこで手に入れやがった!?」
「じゅぐ? とりあえず、このナイフは“アレ”と遊ぶのに必要そうだったから、譲ってもらいました! 元の持ち主はぐちゃぐちゃになっちゃったので、有効活用って奴です!」
「はっ! 相変わらずイカれてんなぁお前」
そもそも“アレ”は街にたくさんいるが、その分とても弱かった。あまりにも味気ないからと、強いやつを探そうとしたところで見えない赤ずきんでは無理がある。それでも暇つぶしなのだからと、てくてく探して、ようやく少女が強そうな“アレ”見つけたと思っても、たどり着く頃にはすでにいなくなっている。どうにも“アレ”と遊んでいるのは少女と、それから“おじさん”以外にもそれなりに居るらしいと悟ったのはその時だ。けれど、彼女には“彼ら”の存在などどうでもよかった。快く“じゅぐ”なるものを譲ってくれた男が弱すぎたせいか興味さえ抱かずに、彼女は憂いをつぶやいた。もっと“おじさん”がボクと遊んでくれればいいのに。――と。
けれど最近、“かぞく”ができたらしい“おじさん”はめっきりと、その姿さえ見ることが珍しくなっていた。
「本当に、なんでそんなに自信たっぷりにイカれてんだ」
「どういう意味ですか?」
“おじさん”の“かぞく”を殺したら、そうしたら、ボクと遊んでくれるかな?
そんな、とても楽しい甘美な妄想に、少女は束の間思いをはせた。きっと、“ソレ”を実現したのなら、“おじさん”は“本気”で赤ずきんと遊んでくれるだろう。どちらかが死ぬまで、ずっと遊ぶことになるだろう。二人にとっては永遠で、世界にとっては刹那の間、すぐに終わってしまうだろう楽しい時間の後には――例えば、何が待つのだろう。
もし、“おじさん”を殺してしまったら、少女はまたひとりぼっちになってしまう。今度こそ本当に本当のひとりぼっちになってしまうその有様を想像したとき、なんとも言えない表情を浮かべてしまった、そんな赤ずきんを知るのは路地裏の鼠だけだった。
「だから、この、俺を殺すっていうその自信をどっから持ってきたんだって聞いてるんだ。これだからガキは」
彼女はその時の感情を言葉にできず、ただ“それは嫌だ”と漠然と感じただけだった。きっと、唯一の遊び相手が居なくなったらもっとつまらないから。と、最もらしい理由を書きなぐり、時同じくして“かぞく”を殺さなくても“おじさん”が少しだけヤル気になってくれる方法を見つけ、以降どうでもいいこととして全ては忘れさられていった。
「そういうおじさんは、なんでそんなに“うじうじ”してるんですか? ボク、ウジ虫さんを潰すのはさすがに靴が汚れるからイヤですよ!」
“おじさん”に「うじうじしてる」と言うと、「何も知らねぇくせに」と言って、やっぱりうじうじしながら、いつもより少しだけ楽しく遊べる現実のほうが、赤ずきんには大切なことだった。
小さく、淡く、彼女の心に芽吹きかけていたモノよりも、ずっと大切なことだった。
「そういう、お前は――」
「えっ? なんですか? よく聞こえ……っと、相変わらず容赦ないですね!」
“おじさん”の“かぞく”を殺すのはまだいいかな。
これから食べる夕飯を決める気軽さで少女は笑う。赤ずきんを殺す自信しかないのに「自信たっぷり」と呆れたように言い募る“おじさん”を眺めながら笑う。
彼女の中で生まれようとしたモノを、無知ゆえに無邪気さで持って認知する前に殺しつくして、笑う。
“これは赤ずきんの暗殺者としてのカン”だ。
“おじさん”が本当に本気になって遊んでくれたのなら、少女はさっくりとあっさりと殺される。赤ずきんは強い。けれど“おじさん”の方が彼女よりも強い。少女より体が大きく、少女より力が強く、少女よりも長く生きている。
なによりも、真の意味で二人は“同じ”と言い難かった。そして、そんな“おじさん”を少しだけ彼女はずるいと思っていた。
少しだけ――少女とは違い、大事な“かぞく”がいることが――ずるいと思っていた。
彼女には“おじさん”しかいないのに。
少女はいつもひとりぼっちなのに。
赤ずきんは殺しを抜きに、決して世界とは関われないのに。
「そうか、よっ!」
「うわぁ! 今のはさすがに危なかったので、お返しです!!」
ぽつりと、再び淡く小さく少女の心に広がった波紋は、けれどすぐに収まり消えてしまった。なぜそう思ったのか? 少女に問いかけ導いてくれる人間がどこにもいなかったから。彼女の傍には誰一人としていなかったから。赤ずきんはいつもひとりぼっちだったから。
「そうだ、ボクはこれから少し忙しくなるので、おじさんには会えません」
「よっし!! 二度と来るなよ! まぁそれはそれで、幾らだ? 手伝ってやってもいいぞ? 遠慮すんなよ。お前と俺の仲だろ?」
「おじさんとボクの仲……えっと、援助交際って言うんでしたか? それとも、パパ活ってやつですか?」
「誰がお前みたいなツルペタのガキに欲情するって? もっとでっかくしてから出直せ。でも、まっ。いつもつまらないって言ってるからには良かったんじゃねぇの?」
“おじさん”と赤ずきん、一番の大きな違いもそれだった。
どうであれ、家族と定義できる他人がいること。
どうであれ、周りに人がいること。
どうであれ、住む場所が、帰る場所が、原点がわかっていること。
気が付けばひとりぼっちだった少女にはどれもこれも望むべくもないものだ。
「そう、ですね。おじさんと違って、ボクはひとりぼっちでつまらない。つまらないなら。つまらないから。ボクは、ひとりぼっちで、だから――」
ひとりぼっちの少女は、だからこそ気が付いてしまった。
ひとりぼっちの彼女は、だからこそ止まれなかった。
ひとりぼっちの赤ずきんは、だからこそ――
「ボクは、“アレ”を作ってみようと思います」
******
唖然と佇む少女を眺め“赤ずきん”は首をかしげていた。
「あっ、お邪魔してます!」
真っ赤な夕日が傾いて、すでに暗がりに冒されつつあるリビングを見渡してから、驚愕の表情を浮かべ固まってしまった少女に、“赤ずきん”はポンと思い出したかのように手を打ってから、笑顔で「おかえりなさい!」と彼女を出迎えた。
細く赤い夕陽と、赤く黒い部屋の中、輝く笑顔を浮かべる“赤ずきん”が、固まったままの少女の前を通り過ぎ、勝手知ったるとばかりに開けた冷蔵庫の奥に見つけたケーキの箱を取り出して、仲のいい友人の顔をして、茫然としたままの少女に問いかけた。
「このケーキあなたのですか?」
踊るような足取りは楽しげで、“赤ずきん”がご機嫌であることを少女へと伝えている。
中身を気にする素振りもなく勢いよく取り出したケーキの箱を少女の目の前に掲げては、けれど返事がないことに焦れたのか、剥ぎ取るように無理矢理に開けられた箱はひしゃげたまま、すぐ傍にあったゴミ箱ではなく、まだら模様を描く床の上に捨てられた。
「あれ? ひょっとしてお誕生日?! わあ! オタオメです!」
中から現れた丸いケーキの上に飾られたプレートは、“赤ずきん”が無理矢理箱を崩したせいで割れていた。可愛らしいチョコレートが綴る、割れて呪いのように歪んだ文字を読み、“赤ずきん”は少しだけ目を開いてから、無邪気な笑顔で少女に祝いの言葉を送った。それからくるりと彼女によく見えるようにケーキを回してから、机の上に放るように置く。綺麗に施されていたクリームが、“赤ずきん”の手にあたり崩れるのもお構いなしだった。ついたピンク色や赤色や白色のクリームをそのままに、パチリと手を叩く。猫だましのようなそれを受けても、未だに何の反応も返さない少女を心配してか、“赤ずきん”はコップを手におずおずと、“くだらない”いたずらを受けて怒っている友人を宥める調子で問いかけた。
「あ……何か飲みます?」
断りもなく、ケーキの上から取り上げた割れたプレートに噛り付きながら、先ほど冷蔵庫で見つけた牛乳を自身の分と、それからそっと少女の分とを用意して、そうして“赤ずきん”はようやく“それ”を思い出した。
「……って、ボクんちじゃないですよね」
恥ずかしそうな声音で送られた謝罪が少女の耳を滑って消えた。
すっかり夕日が消えたはずの部屋は、けれど変わらず赤かった。
「あ」
冷蔵庫の前に、少女の母がある。それからシンクの中にも母はある。
部屋のドアのすぐそばに、少女の弟がある。それから調味料をしまっている棚の上にも弟はある。
机の上に少女の父がある。それから部屋の一番奥にも父はある。
「あ?」
誰もかれも、手足は好奇心旺盛な園児が虫にしたようにもぎ取られ、床に打ち捨てられている。
誰もかれもお腹が抉られて、そこからテラテラとした中身が零れ落ちていてる。
それからシンクの中と、棚の上と、机の上と、どろりと濁った視線が、あるいはぽっかりとあいた空洞が、少女を出迎えるように向けられている。
「あっあ??」
どうして?
普通な家庭。普通な学校。普通な友人。多分、普通な恋。
どうして?
平凡で退屈な日常を過ごす女子高生。
どうしテ?
そんな彼女の世界は、この日、弟の十二歳の誕生日に、夢のように消え失せた。
どうシテ?
生意気盛りでもかわいい弟。優しいけれど言うべきことは言う母。最近は疎遠になっていた口下手な父。
どウシテ?
バラバラでぐちゃぐちゃな“それ”が、家族であったことが理解できない。
ドウシテ?
だって今日は弟の誕生日で、だって珍しく家族みんなで少し豪華な夕飯を食べるはずで、だって奮発して有名なお店のケーキを買って、だって帰りが遅くなってまで家族代表で私が誕生日プレゼントを用意して――
ドウシテ?
なんで、わたし、はやくかえってこなかったの?
なんで、わたしだけ、あそこにならんでないの?
なんで? なんデ? なンデ? ナンデ?
縺ゥU死縺ヲ?
「あっああっ」
「待ってください! うるさくしたらご近所さんに迷惑です!」
喉を割く悲鳴が空気を震わせる前に、少女の瞳は宙を舞う右手をまず捉えた。
それからぐるんと回る視界の隅で、少女の腹を貫く“赤ずきん”の手を見つけた。
最後にはふらりと“こちら”に向かって倒れてくる制服姿の体を焼き付けてーー少女の瞳は閉じられた。
すべては瞬き一つの間に終わっていた。
「んー、そろそろ“アレ”になってもいいと思うですけど、まだ、足りないのかな?」
倒れた少女の体がリモコンを押す。
壁に飾られたテレビから零れる『連発する強盗殺人に対するニュース』の音は、もう少女の耳には届かなかった。
******
「お前、何をした?」
甚爾は久しぶりに遭遇した少女の凶刃を交わしてから、彼女に纏わりつく酷い気配に顔を歪めてみせた。べっとりとこびり付く臓物の匂いに鼻が曲がりそうだった。
「何もしてませんよ? おじさんじゃないんですから!」
赤ずきんの暗殺者。少し調べればすぐに出てくる彼女の話はいつだって血で綴られている。
単価は100万円。命は少女にとってはその程度にしか価値がない。「安すぎます」だなんて文句を言いつつ、結局あっさり請け負う彼女はやはりどこまでもイカれていた。
「もう一度だけ聞く。何をした?」
「何って、人を殺しました。もしかして匂いますか?」
「あぁ、酷いぞ」
「んー。ボクは麻痺しちゃったので、よく」
だからこそ、少女が血の匂いをさせていたとしても不思議はない。彼女が死臭や臓物の匂いを香水代わりに振りまいたとしても、“それはいつものこと”だ。
されどーー
「おじさん? 怖い顔してどうしたんです?」
屈託なく微笑む彼女は呪われていた。
あまりにも近すぎるせいか、それとも“こちら”の世界を甚爾に会うまでまったく知らなかったが故か、少女は自身に纏わりつく物をまったく気にしていなかった。出会ったときからそれは変わらない。変わらないが――
「なぁ、お前死ぬぞ」
久しぶりに出会った赤ずきんを覆うのは、“術師殺し”さえも思わず目を背けたくなるような、そればかりか何も知らないそこらの一般人でさえも感じ取れてしまうような、どろどろに煮詰められた“たくさんの人間の怨念”だった。そこに呪霊がいないことがまるでタチの悪い冗談かと疑うほどに濃いそれは、たった一人の少女のためのものだった。たかが少女一人に向けられるようなものではなかった。
なぜ、平然としていられるのか。その愛らしい顔には似つかわしくない濃い隈が張り付いてはいたが、それ以外なんともなさそうな少女の異様さを見て、冷や汗がにじむ手のひらを甚爾はそっとズボンで拭った。
間違いなく“特級”だ。
まだ生まれてもいないのに確信した男は、小さな少女の薄い肩に掴みかかった。
「……そう、ですね。さすがのボクもお手上げかもしれません。この前手違いで危ない筋の人に手を出しちゃって、実はずっーと追いかけっこしてる最中だったりします。あっ、今はちょうど鬼さんがいないので安心していいですよ!」
「そうじゃねぇだろうが!」
「おじさん、痛いです」
甚爾はあの日の出会いを後悔した。
金銭に目が眩んで依頼を受けてしまったことを“術師殺し”は後悔した。
あの日出会った“赤ずきん”の殺し屋である少女に妙に懐かれて――“こちら”の知識を中途半端に与えたことを、男は後悔した。
呪霊を“アレ”と呼び、ていのいい暇つぶしとばかりに遊んでいる赤ずきんは知らないのだ。
「なぁ、これで最後だ。お前、何をした?」
呪霊の恐ろしさを。
呪霊の浅ましさを。
“それ”を生み出す、人間の想いの業の深さを。
誰かを愛することと、誰かを憎むことの温度が同じだということを。
誰かを愛したことも、誰かに愛されたこともない少女は知らないのだ。
昔々の“誰か”と同じように。
「……おじさん。ニュースは見てますか?」
「おい、話を」
「逸らしてません。ニュース、見てたらきっとわかるはずです」
必死の形相で肩を揺らす“術師殺し”を、不思議な生き物を見るかのように見つめる彼女はどこまでものんきだった。その筋の人間がどの筋の人間なのか、生憎と候補が多すぎて特定は出来なかったが、隈を張り付け、殴られたのだろう腹を庇う少女を見れば、想像する程度のことはできる。
仲間を殺された。甚爾達のような人間からすれば“そんなこと”で人海戦術や、それこそ“呪術”まで駆使し、たった一人の少女を執拗なまでに追い詰めるような組織なぞ、片手で足りる程度だから。
珍しくも引き際を、“あの赤ずきんの暗殺者”が見誤ったことだけは確かに理解できないが、今重要なのは彼女を引きずり込もうとしている、“まだ生まれてもいない”呪いについてである。
「連続強盗殺人でしたか」
「あっ? あれがどうした?」
「あれ、ボクが犯人です」
誰かが呪っているのなら、元を断てばよい。
ぐるぐるとまるで少女の内からにじみ出るような呪いとて、元を正せばすべてが終わる。
それが、生きた人間がしていたことならば。
「あっ? ……はあ? お前が? たかがそこらの家にある多くても十数万円程度のために??」
「目的はお金じゃありません! お金はあれば便利ですが、ボクはおじさんみたいに困ってはいませんから!」
連続強盗殺人事件の犯人だと告白した彼女をまじまじと見つめ、甚爾はすべてが手遅れであることを理解した。すでに死んでいる人間に、生きている人間ができることは“まだ”ない。“生まれてもいない呪霊”を払うことなど、それが誰であろうとできはしない。
「だったら、なんでだよ」
巷を騒がせるその事件は、始まって一か月をわずかに過ぎた今、二桁をゆうに超えている。
その家にいる人間を皆殺しにし、その家にあるものを食べ、その家で汗を流し、その家で寝て、そうして簡単に目につく場所にあるわずかな金品だけを持ち去る犯人像を、各番組は好き放題に語っていた。
「あの、笑いませんか?」
「たかが100万円ぽっちで人殺ししといて何言ってんだ?」
赤ずきんの暗殺者が犯人であるのなら、あぁ、なんともしっくりとハマるようで、どこまでも違和感が付きまとう。
彼女は金銭に執着しない。生きる分があればそれでいい。
彼女は快楽殺人者ではない。ただ、殺すことでしか世界と関われないだけで、殺しが天職なだけで、殺すことが少女には楽しいことだったとしても、むやみやたらにそこらの人間を殺して回るような人物ではないことを、甚爾は短い付き合いの中で知っていた。
「約束してください! 絶対に笑わないって」
「へぇへぇ、笑わない。笑わない。ただちょっと呼吸困難になるかもしれないだけだな」
ならば、そこらの陳腐な小説の中の悪夢のような事件を、なぜ少女は行ったのだろうか?
ニュースを人づてに聞いただけの甚爾は知らなかった。
殺された被害者はすべて“家族”であり、そこには赤ずきんとさして年の変わらぬ少年少女が必ず居たことを。
「ボク、“アレ”を作ってみようと思ったんです」
「は?」
「おじさんがボクの相手をしてくれないので、とびきり強い“アレ”と遊ぼうと思ったんです。――というのはタテマエってやつですけど」
「お前、何を」
出会ったころから変わらぬ笑顔。
屈託なく、無邪気なその笑顔に魅せられて、甚爾はとっさに言葉が理解できなかった。
にこにこと語る少女の言葉がいつまでたっても脳内で処理されず、耳を這いまわっている。
その日“術師殺し”はようやく気が付いた。
赤ずきんが呪霊をまるで友人のように扱っているその事実に。
彼女がいつだって呪霊“で”遊ぶではなく、呪霊“と”遊ぶと言っていたことに。
その存在に少女がいつしか、親しみさえ覚えていたことに。
「とびきり強い“アレ”なら、きっと簡単に壊れたりはしません! それに強いとお話ができるそうですよ! おじさん知ってましたか? 見えなくても声だったら聞こえるかもしれませんし、なによりも、ボクが作ったならそれはボクのものです。ボクだけのものです」
「それが、本音か? なぁ、もしそうなら黙れよ。今すぐ」
「素敵でしょう? ボクが作ったなら、“アレ”はボクのことだけを考えてくれるはずです。ボクだけを見てくれるはずです。ボクだけと遊んでくれるはずです。ボクだけの“かぞく”です。ボクが作ったんだから、ボクが“おや”だから、ならそれは“かぞく”でしょう?」
夢見心地で語る少女の顔はフードに覆われ見えなかった。
別段、珍しくもないことだ。呪霊を作る存在は“こちら”側でも探せばそれなりに転がっている。イカれた理由で自らの墓穴を掘る連中なぞどこにでもいる。
ならば、どうすることが最善なのだろう。
自業自得だと、いい気味だと、そう笑い飛ばすには赤ずきんと甚爾は近すぎた。
“何も知らなかった”少女を変えてしまったのは、甚爾自身に他ならない。
「なぁ、俺に殺されるのと、そこらで野垂れ死ぬの、どっちがいい?」
「……おじさんは、“かぞく”が出来てから、なんだか可笑しなことばかり言う人になりましたよね。前だったら関わらなかった。そうですよね?」
ある日、彼女はいたずらしてくる男の子を殴った。
ある日、無視する子の指を折った。
ある日、ナイフで人を刺した。
ある日、赤ずきんは呪霊を知った。
ひとりぼっちの少女は、負の感情が向けられている瞬間だけ、自身がひとりぼっちではなくなっていることを知った。
彼女の願いは■■■■■なものだった。
「選べよ。責任なんざ知ったことじゃねぇ。それでも、テメェのケツくらいテメェで拭くくらいはどうしようもないクズな俺だからこそ、“今の俺”だからこそ、やんなきゃならねぇんだ」
甚爾はあの日の出会いを後悔した。
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熱くて、寒くて、ただひたすらに暗い、じめじめとした歓楽街の路地裏の生ごみと鼠に塗れて、訪れるべき“その時”を、みすぼらしく蹲りながら少女はずっと待っていた。
「世界ニ愛サレナカッタ命ノ末路ハコンナモノ。一人デ寂シク消エテイク」
「あぁ、でもボクは、今だけはひとりぼっちじゃありません。だって、あなたがいる」
とくとくと、少女の薄い腹から命が零れ続けている。
燃え尽きる命が最後に見せた幻か、ドロドロとした黒い影が彼女を覆うように広がって、包み込むような優しい声音で死にゆく彼女へと語りかける。
「ねぇ、このお話でボクは悪者でしたか? それとも、主役でしたか?」
「バケモノガ死ネバ、物語ハ、メデタシ。メデタシ」
「きっと、バケモノって、そう言ってますよね。なんとなくわかります」
死の間際にして、ようやく明確に理解した“アレ”の存在は、いつか聞いた通りのままに、確かに“呪い”そのものであった。
「なら、バケモノ同士、仲良くしましょう! 一緒にボク“と”遊びましょう!」
「グゥウッ!? ドコニ、ソンナ力ガ!」
「あっははっ! さぁ、殺そう! 最後の最後まで殺そう! ボクらしく最後まで! ああ、でも――」
その日、名も知られぬ殺し屋が、臭く汚くボロボロな路地裏で、誰に知られることもなく――
「こんなことなら、”あの時”おじさんと遊べばよかった」
ひっそりと目を閉じた。
「それにね、ごめんなさい。聞こえないんです。見えないんです。そこにいることは今までで一番わかるのに――残念だなあ」
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「ひどい事件もあったものだよね」
「あん?」
ほんのわずかに膨らんだ腹を撫でながら、男の妻はポツンと呟いた。
広げられた新聞は、洗剤や調味料に釣られた彼女が契約したものだった。
『死者は12名。うち11名が指定暴力団の二次団体の構成員であった。事件現場から300メートル離れた路地裏には、事件に巻き込まれたと見られる腹部を弾丸で打ち抜かれた少女の遺体もあった。赤いフードを被った少女の身元は判明していないという。』
紙面に踊る文字はひどく読みにくかった。活字など見慣れぬ男は、それでもたっぷりと時間をかけてどうにかそれを飲み込んだ。
もっと、たくさんのことが書いてあったはずだ。
一面を華々しく飾るそれは、それでも足りないとばかりに外のページにも浸食している様子が見て取れる。
内容が気になるのか、妻はすべての文字を追うために、ページを捲り、瞳をせわしなく動かし続けていた。
「お前が同情するような人間じゃあねぇよ」
ふと、部屋に落ちた固い声音に驚いて、振り返った先に居た男に、表情はなかった。
まるで、知っているように話すんだね?
とっさに飲み込んだ言葉に返ったのは沈黙だけだった。
記事を追う。
つまらなそうに顔を歪めて、それでも、いつのまにか同じように文字を辿っていた男は、乱暴に読み終えた新聞を放り投げた後、冷蔵庫からビールを片手に部屋を出た。
いつもだったら聞こえてきたのだろう小言は、いつまでたっても聞こえなかった。
「――そういえば」
男は路地に切り取られた青空をビールを手に仰いだ。
喉を通り抜ける安物特有の苦さに眉を寄せる。
「アイツの名前を聞きそびれていたな」
男は、赤ずきんの暗殺者の名前を知らなかったことを思い出し、すぐに炭酸と一緒に飲み込んだ。
二人が出会ってから、おりしも十月十日目のことだった。
名をも知られぬ殺し屋の死を、男だけが知っていた。