主役になれないモブが使い魔作成でラスボス討伐後の崩壊世界を生き延びるようです   作:きんたろう

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十七、産みの地獄

 ゴロゴロゴロ。台車が進む音だ。時折段差でガタッと揺れて、鉄郎の傷に響いた。

 

「乗り心地最悪だな」

 

 そう鉄郎はぼやいた。

 前を進む燕は、

 

「台車持って来いって言ったのご主人じゃない」

「それしか思いつかなかったんだよ!お前、車椅子がどこに売ってるかって、すぐに分かるか!?」

 

 軽口を叩く――だがそれは半ば強がりだ。状況はかなり絶望的である。

 台車を押しているのは子供たちだ。

 鉄郎が気絶したままののぞみを抱えて二人で台車に乗り、それを子供たちが押して、燕が前を行く。ついでに、ビスケットが周りを飛んでいる。陣形とも言えない陣形。悪魔で溢れた夜明けの薄暗い街を進むには不安しか残らない。

 

「ね、お兄さん」

「ん?」

 

 鉄郎に声を掛けるのは、台車を引く男の子だ。

 

「大人の人たちは、置いてくるしかなかったの?」

「ああ――それしかなかった」

 

 鉄郎は断言する。

 

「あの状況で意識の無い大人十数人を運ぶ術は無かった……し、今の世の中、病院なんかないんだ。あんな重傷者、生きてたって苦しいだけだ……」

「……」

 

 鉄郎は自嘲する。

 今のセリフはきっと言い訳めいて聞こえたことだろう。その通りだ。子供たちに、あの大人たちに、何より自分に言い訳しているのだ。

 

(例えば主人公ちゃん――木ノ実なら)

 

 彼女なら、どうしたろうか。鉄郎は考える。

 きっとあの場に残ったはずだ。あの吹き抜けで籠城戦をやって見せて――そして全員で生還したろう。それか、人数分台車を用意したか。

 間違いない、と思えるのは、あの大人たちを見捨てなかった、という事だ。

 

(だが俺にはそんなことはできない。力も無い。彼女なら、それでもやっただろうが)

 

「きゅう!」

 

 ビスケットが鳴いた。

 

「燕」

「うん。見えてる」

 

 燕の指から放たれた墨の弾丸が、背後から追いすがる悪魔たちを貫く。

 

「燕、あとどれくらい行ける?」

「まだまだぜんぜん大丈夫でっす!」

「……」

 

 それが強がりであるのは鉄郎にはよく分かった。燕は鉄郎が作り出した使い魔なのだ。彼女のことは本人を除いて鉄郎が一番分かると言っても過言ではないだろう。

 

「これ飲め、最後の一本だ」

「……うん」

 

 鉄郎が懐から取り出したのは、赤い瓶。鉄郎の血が入った小さな瓶だ。以前ハーピーを惹きつけた時に使ったものと同じもの。

 鉄郎の血を燃料にする燕にとって、この血はまさに命の水。

 それを燕は一息にあおる。

 

(木ノ実のコミュニティまで、あと数キロ……燕の足なら一瞬だ。けど……くそ、ニオが居れば――)

 

「きゃあ!!」

「!?」

「沈む!なんで!?沈んじゃう、やだぁ!!!」

 

 悲鳴を上げたのは、子供たちの中で一番年が低い少女。

 その少女の体が、アスファルトの道路の上であるはずなのに、沼に飲み込まれるかのように、ゆっくりと下へ消えていく。

 少女の足元は、そこだけ妙に暗く、黒い。そこへ沈んでいく。

 げらげらと言う笑い声が、どこかから聞こえてくる。

 

「くそ、シャドウか……!!」

「はっ!」

 

 燕が少女の足元に炎を打ち込む。すると、虫の様な喚き声が響き、黒いそれはやがて静かになる。

 

「引き上げて、やれ」

 

 燕がその少女を抱え上げると、その少女の足は足首からが無くなっていた。喰われたのだ。

 

「あ?ああ、あああああ!?」

「ひっ、ひい、ひ!?」

 

 まるで食べかけのアイスの棒のように覗く骨が痛々しい。

 そしてその凄惨な光景が、子供たちをパニックに追い込む。

 

「おい!落ち着け!!お前ら!」

「あ、はう……」

「あああ!いやだあああああ!」

 

 その少女は幸か不幸か、気絶する。

 だが、一人の少年が走り出してしまう。

 

「う、わあああああ!?」

 

 待っていましたとばかりにハーピーが飛んできて、少年をさらってしまう。

 

「お前ら、動くな!!!燕!!何とかしろ!!!」

「っこんのお!!」

 

 燕の攻撃は正確にハーピーだけを穿った。しかし当然、少年は空に投げ出される。

 

「っ!!」

 

 咄嗟の判断。燕は墨弾に糸を括り付け、壁に発射する。それは少年の体重を一瞬受け止め、千切れる。それを数度繰り返して、少年はアスファルトに転がった。

 少年が轢かれたカエルの様な骸を晒す事態にならなかったことに安堵する鉄郎。

 

「燕、早く女の子の傷の止血だ!そこの少年も台車に乗せて!ショックで動けなくなってる!!」

 

 その安心の余韻に浸る間もない。

 

「お、重い……」

「頑張れ男の子だろ!」

 

 結果として台車には四人が乗せられる事態となる。

 これではさらなる鈍足化は避けられない。

 

「くそっ……」

 

 口汚く零す裏で、鉄郎はどこか冷静だった。

 

(あーあ。ここで死ぬかもな……)

 

 状況はより絶望的であった。

 

(こいつら全員見捨てて、俺と燕だけなら助かるか……)

 

 それは当然、のぞみも見捨てるという事。

 

(できねえよ)

 

 そう、できない。

 鳥本鉄郎と言う男は、全員を助けようとする勇気も、全員を見捨てる度胸も無い。善人である勇気も、悪人である度胸も無い、どこまで行っても、どこにでもいる普通の男であった。

 モブであった。

 

(せめて太陽が昇ってくれれば……)

 

 基本的な夜は悪魔の時間であり、太陽の光を嫌う悪魔は多い。

 血の匂いに群がってくる悪魔どもも、少しは動きが鈍るだろう。

 

「早く、行こう……大丈夫。何とかなる――」

 

 鉄郎が、縋るような励ましを口にした、その時。

 メリ、とアスファルトが割れ砕ける音。それが、鉄郎たちの背後から響き渡ってくる。

 尋常な気配ではなかった。

 

「早く逃げ――おい!ぼぅっとしないでくれ!」

「あっ、はい!!」

 

 飲まれていた。鉄郎も男の子も、その気配に。

 進む台車の上から、鉄郎は闇の向こうの陰を見つめる。この気配の正体はいったい何か?と。

 

「は……?」

 

 まず見えたのは巨大なかぎ爪――いや、“足”だ。それが二本――前足だろう――見えた後、顔が見えた。

 牛だ。巨大な牛の顔で、牛にはありえない牙を持っている。人など五人だって丸呑みにできそうな口から涎を垂らし、その足でアスファルトを捲りながら、近づいてきている。

 

「牛鬼……?なんでそんな大物、?が??」

 

 そう、大物。

 悪魔の強さには人間のイメージが大きく関わる。人によく知られ、そして恐れられる悪魔ほど強いのだ。

 牛鬼とは牛の顔に蜘蛛の様な鬼の体を持った存在として知られている。

 その名前は現代においても聞くほどメジャーな存在だ。妖怪絵巻、各地の伝承、それらを題材にした漫画など、その名を目にする機会は多い。

 そして大抵、牛鬼とは強者として扱われるのだ。

 故に、眼前の牛鬼は強い。

 燕では、とても敵わない。

 

「こんな……こなくそ!!ご主人!時間を稼ぐから!」

 

 燕も、その力の差に一瞬蒼白になり――すぐに我を取り戻して、攻撃する。

 

「buuuuooooo――」

 

 だが、炎も墨の弾丸もその黒い皮膚を浅く傷つけるだけで、牛鬼は気にも留めない。

 彼が見ているのは、久々のごちそうである、人間だけだ。

 

「うっ!?わっ!?」

「わたしを無視して!!」

 

 牛鬼の口から糸が放たれた。狙いは鉄郎たち。

 燕は地面に手を付き、そこから蒸気のように炎を立ち昇らせた。赤と青、そして墨の色が混じった美しい炎の壁は、牛鬼の糸を焼き尽くし、鉄郎たちを守る。

 

「目を潰せば!!」

 

 燕は炎の壁の後ろから描き出した弓矢を撃つ。それは炎の壁で火を纏い、牛鬼の眼球に寸分たがわず突き刺さった。

 

「uuuuuuuooooooo!!!!」

 

 炎の壁を目くらましに利用した、見事な戦いである。鉄郎は舌を巻いた。

 

(これなら、なんとかなる――?)

 

 そんな希望は次の瞬間あっさりと消えた。

 牛鬼の顔面から、十は下らない数の目が“生えた”のだ。

 

「そん、な?」

 

 牛鬼が右足を大きく振り上げた。

 狙いは燕、ではなく。

 

「地面を――!?」

 

 牛鬼が足を振り下ろしたのはアスファルトだ。

 外した、のではなく。

 

「ご主人!伏せて!瓦礫が!!」

 

 勢いよく突き立てられたかぎ爪に抉り飛ばされ、道路の様々な建材が殺人的な速度で迫る。

 燕が選択したのは防御であった。

 と言うか、それしかなかった。躱せば、その後ろの鉄郎たちがミンチになる。

 

「これで、何とか、なってよ!!」

 

 燕は細い鉄杭を地面から鋭角に生やす。そして、その間を布状の墨で満たす。見た目には黒い滑り台だ。

 それは大きな瓦礫を斜め上方へと逸らすことに成功する。

 だが細かい飛沫はまで防ぎきれず、鉄郎たちを傷つけた。

 

「あがっ……」

 

 鉄郎が台車から転げ落ちた。

 視界が赤い。触れて見ると、手に血が付いた。どうやら、頭に被弾したようだ。

 意識が朦朧とする。

 

「ご主人!立って!逃げて!よ!!!!」

 

 燕が叫ぶ。

 鉄郎はふらふらと身を起こす。が、そこまでだ。

 

(なんで、なんでだ?牛鬼ってのはもっと南の方の妖怪で……今助かるためには、助かるには……?)

 

「あ……ニオ、どこだ?俺たちを連れて……」

「ご主人!ニオはもういないんだよ!?しっかりしてよ!」

 

 燕のその声――殆ど悲鳴――で、鉄郎は意識を揺り戻される。

 

(そうだ……ニオはもう死んだ。こんなだから、こんな事に……ごめん、まだ墓も立ててないよ)

 

 牛鬼は、ようやく燕を敵と認識したらしい。今は身に纏わりつく燕を嫌がって、めったやたらに暴れている。

 

(腹も痛いし、頭も痛い……もういいよな?俺もあの時死ねていれば良かったんだ。うっかり生き延びちゃったから、こんなに苦しむ)

 

 鉄郎は子供たちを見る。動けるのは最後まで台車を押してくれていた男の子だけのようだ。うずくまってしまっているが、まだ五体満足で、どこからも血を流していない。

 

「おい……少年。立て。走れ」

「え……?」

「ここを真っすぐ行けば直に着く。だから、走れ」

「で、でも……」

「いいから、行け!!!」

 

 男の子ははじかれたように走り出した。

 運が良ければ辿り着けるだろう。自分の足で走れるというのは、今の世の中大事なことだ。

 

「けど……」

 

 気絶した男の子と足を食われた女の子。

 この二人を助ける手段はもはや無い。

 

「ごめんな……」

 

(そもそも、生まれてきたことが間違いだったんだ。生まれてきた瞬間に、俺は生きなくちゃならなくなった。学んで、奪って、使われて、死ぬまでそうしなくちゃならなくなったんだ)

 

「のぞみ……けどお前には生きていて欲しい。お前は多分、希望になれる。木ノ実ならうまくしてくれるさ」

 

 鉄郎は自分の腹の傷を撫でた。のぞみにも同じ場所に傷がある。

 なんとなくそれが、絆のように思えたのだ。

 

(いいよな?もう。十分生きたよ。梟、ニオ。今から行く……)

 

「燕……!!のぞみを連れて木ノ実のとこに――」

 

 言い切る前に。

 背後に気配。

 振り向く鉄郎。

 

「グールか……」

 

 1メートル前後の体格。灰色の肌。血走った目。痩せた体。膨らんだ腹。異様に高い鼻。長い舌。

 そんな醜悪な悪魔が、弱った鉄郎たちを仕留めようと爪を剥いて近づいてくる。

 

「aaa……aa」

「どうせ死ぬなら、美人の吸血鬼に血を吸われて死にたかった……な」

 

 鉄郎は目を瞑る。

 まさにグールが飛び掛からんとする、その瞬間、グールと鉄郎の間に割り込む者がいた。

 

「きゅ、ぷっぷつつつつ!!」

 

 ビスケットだ。肉体を失い、魂だけとなった体で、鉄郎を守らんとグールの前で翼をはためかせる。

 

「ビス、ケット??おい――」

「a――aaa?」

 

 だが、どう羽を広げて大きく見せても所詮手のひらサイズの家禽である。

 最初は怯んだグールだったが、次の瞬間には爪でビスケットを切り裂こうとする。

 しかし。

 

「aaaga!??!?」

 

 その場のグール全員の頭に風穴が空いた。

 

「ご主人。勝手に諦めないでよ」

「燕――」

 

 やったのは当然、燕だ。

 牛鬼は?確認した鉄郎は、泡のように現れては消える、墨で描かれた偽物の燕に翻弄される牛鬼の姿を見る。

 

「ご主人がわたしを産んだんだよ?」

「……だから何だよ?」

「だからご主人には、幸せになる義務があると思わない?」

「は――?」

「だって――」

 

 妙に晴れやかな表情で。

 燕は羽ばたくように大きく手を広げた。

 

「わたしを産んで、わたしを使って、わたしを愛して、わたしと生きて、なのに、今みたいに『くそみてえな人生だったな』なんて顔して死ぬなんて、許さないよ?」

「何を、言ってる、んだ?」

「わたしが産まれてあげて、わたしが使われてあげて、わたしが愛して、わたしが傍にいるのに、なのに幸せじゃないなんて、許されないんだよ?」

「な、な?」

「ご主人がわたしを産んだんだ――だからね、ご主人はわたしを幸せにする義務があるんだよ。だって――」

 

 燕は、鉄郎に頬を包む。

 

「わたしはご主人の幸せが幸せの、ご主人の使い魔なんだもん。だから……」

 

 幸せに生きて。

 そう言って、燕は鉄郎の額にキスを落とした。

 

「うわっ!?!?」

 

 次の瞬間、鉄郎は投げ飛ばされていた。

 地面に激突するその直前で、燕の力だろう、墨でできた黒いエアバッグの様なものが膨らみ、着地を保護する。

 鉄郎が腹の痛みに呻いていると、のぞみを含めた子供たちも同じように投げ飛ばされてくる。

 

「燕、何を――」

 

 鉄郎が文句を言う前に、燕が指を横へ払った。

 すると、轟、と鉄郎の前に黒い炎が立ち昇る。

 それは道路一本どころか、並ぶビルも突っ切って数百メートルも伸び、鉄郎とのぞみ、燕と悪魔たちを分け隔てていた。

 

「燕!?何する気だよ!!」

「早く逃げて、ご主人。この炎に気付いて、直に主人公ちゃんが来てくれるよ」

「ふざけ……っ。お前が、お前まで死んで!!俺が幸せなはず――」

「ほんとはね。ご主人」

 

 鉄郎の言葉を遮って、燕は訥々と語る。

 

「最初、ご主人だけ連れて逃げちゃおうと思ってたんだ。ほかの人はみんな放って。でもね」

 

 燕は、笑う。

 

「そしたらきっと、ご主人わたしのこと怒るかなって、嫌いになっちゃうかなって、思って……だからね……これはわがままなんだ。わたしの」

 

 背後に迫る悪魔を焼きながら。

 

「わたしさっき、幸せのため、なんて言っちゃったけど、でもご主人に嫌われるのだけは嫌で……だから、ごめんね。さよなら」

「燕ーーーっ!!!」

 

 燕が指を振ると、炎の壁の勢いはさらに強くなり、向こう側の様子が分からなくなってしまう。

 

「くそ……くそったれがぁーーーっ!!!」

 

 腹の傷にも構わず、鉄郎は地面に拳を叩きつけた。

 

(なんで俺にはこの状況に関わる力が無いんだ?木ノ実みたいに強ければ。河西みたいに賢ければ。そうすれば、そうすれば何か……)

 

 自分の腕を見る鉄郎。

 左手に何か掴んでいた。興奮でなかなか開かない手を右手の指でこじ開ける。

 それは、燕の着物の切れ端であった。どうやら投げ飛ばされる際に千切り取ってしまったらしい。

 

(だが、何の役にも――)

 

 地面を殴りつけた時の擦過傷から血が流れる。

 手のひらの上でその血が垂れて、燕の着物の切れ端に赤く滲んだ。

 

「あ――」

 

 『わたしだけじゃ』『核になる魂も肉体になる素材もない』

 鉄郎の脳裏に再びフラッシュバック。あの日。コミュニティを飛び出した日、二人で湯に浸かった日のことだ。

 

「あ、る……?」

 

 手のひらには燕の着物の切れ端。燕の力で構成された、ある意味肉体とも呼べるもの。

 横を見る。炎を嫌って、鉄郎の影に隠れるビスケットの霊。元動物の魂。

 

「……っ!」

 

 鉄郎の脳みそは、その瞬間回りだす。

 無駄に終わるかもしれない。むしろその可能性が高い。だが、やらないわけには行かない。

 

「新しい、使い魔を今、ここで作る」

 

(紙なんて無い。地面に、俺の血で)

 

 指先に滴る血をインクに描くのは、陣だ。

 魔法陣、あるいは召喚陣。肉体を再構成し、魂を定着させ、契約で縛る。そのための魔力を流すための式となる。そのための陣。

 インクとプリンタ、それとCADがあれば十分も掛からないで出来るものだ。

 だがそんな便利なものは今ここには無い。

 

「……ぐっ」

 

 鉄郎の手が止まる。

 かつて三度描いた陣だ。使うたびに改良し、何十時間もその図形とにらめっこしてきた。だがそれは勿論鉄郎が一から十まで考えたものではない。塾に資料としてあったそれを改良し、使ってきたのだ。それもコンピュータの上で。だから、完璧に記憶しているなど、冗談でも言えない。

 しかし、それでも描かなければならない。

 

(思い出せない場所は、いい。今この場で考えればいいんだ)

 

 よく言えば大胆に。悪く言えば行き当たりばったりで、陣を描いていく。

 

「血が……」

 

 そこで、手の甲の傷が固まり始めてしまう。

 いつもなら手放しで喜んだ自分の回復力も、今は呪うしかない。

 

「ぐっ……」

 

 鉄郎は再び拳を地面へ落そうとして、ためらう。

 指は陣を描くのに必要不可欠だ。これ以上乱暴に扱えない。指が動かなくなれば今度こそ終わりなのだ。

 都合よく刃物など持っていない。自分の爪では陣に足りる傷を作れない。

 

(……)

 

 と、そこで鉄郎は、腹に大きな傷があったことを思い出す。

 

(おい、マジか?俺。やれるのか。やるしかねえのか?)

 

 指を傷に這わせる。

 だが、あの時の痛みが思い出されて、指が震える。

 

(やるしかないやるしかないやるしかないんだ。やれやれやれやれやれいけっ!!)

 

 遂にはただ勢いに任せて、指を傷へ突き入れた。

 

「ぐ、ああぁあぁう、ぐ。痛ぇ、痛いぃ」

 

 耐える。今は泣き叫んで転げまわる時間ではない、と自分に言い聞かせて。

 指をぬらりとした生温かいものが伝わっていく。チカチカと視界が明滅する。脳みその中でスパークが起きているような感覚に耐え、鉄郎は指を滑らせていく。

 

(なんでこんなことに、なったんだろうな?もっとうまくいくと思ってた。折角の崩壊世界、楽しめると思ってたのに)

 

「ビスケット……」

「プッ?」

 

 鉄郎はビスケットを呼び、陣の中に立たせた。

 

「な……生きたいか?折角死ねたのに、また産んで、いいか?」

 

 鉄郎の問いかけに、ビスケットは不思議そうな目を返すだけだ。

 

「ありがとうな……俺と一緒にいてくれて。ありがとう。ここにいてくれて。もし嫌だってんならこの後、俺を殺してくれればいい。けど、今だけ、力を貸してくれないか」

「プッ」

 

 『だからね、ご主人はわたしを幸せにする義務があるんだよ』

 鉄郎は一瞬、黙祷。

 着物の切れ端を置く。

 そして、最後の一角を描いた。

 

(生まれてくる貴女が、どうか、幸せになりますように)

 

「なんて、とても口にはできないけどさ」

 

 鉄郎の口から、目から、爪から、へそから、腹の傷から、あらゆる場所から血が流れだし、それが陣の上に流れていく。

 ビスケットは眠るように横たわると、その血に飲まれて、見えなくなった。

 

「さよなら……ビスケット」

 

 鉄郎もばたりと倒れた。限界である。もう目を開けているのでやっとという状態だ。

 その鉄郎の視線の先で、ゆっくりと血が人を模っていく。

 血は命の素だ。血は体重の十三分の一を占める。体中にエネルギーを運び、酸素を運び、体を守り、癒す。血が流れないものは死んで、腐る。血を元にして、それは形作られていく。

 そして最後に、余分な血が弾け、女が姿を現した。

 

(何度見ても、この光景は、綺麗だな……)

 

 その少女は、燃えるような青い髪であった。なぜか、額辺りの髪がぴんと逆立ち、その先が赤く燃えている。

 纏う衣服は着物だ。ただし燕の者よりずっと派手。振袖、と言った方がいいだろう。鮮やかな赤が基調となったそれは所々焦げたような茶色が混じり、燃え盛る火を連想させる。

 帯は二色。帯紐も二つで二色。一つは腰をめぐるように、一つはそれに斜めに掛けるように結ばれている。

 青、赤、黄、緑、紫。その色鮮やかさは五色絢爛と言ったところか。

 

 背丈は十六歳前後の少女に見える。これに鉄郎は驚いた。いつも鉄郎の使い魔は幼い姿で生まれてくるからだ。もしかして、と期待する。本当に何か、奇跡が起きるんじゃないか――。

 

「……んー……」

 

 その少女が目を開いた。その色は、黄、いや、金。

 顔の第一印象は、鋭さをもった美人と、鉄郎には感じられた。

 その顔が、訝しげな表情を作る。

 

「えー?うん?なに?この状況」

「おは、よう……」

「うん?なに、あんた……いや、待って。ちょっと、待って?」

 

 こんこん、とその少女は自身の頭を小突いた。

 

「あんた……あんたが、なんか死にかけてるあんたが、あたしのお上ってわけ?」

「そう、だ」

「ふぅーん?」

 

 誰が自分の主かだとか、基本的な倫理観とか、常識とかは鉄郎の血を通じてもう彼女の頭の中にあるのだ。

 だが、それを踏まえるにしても、少女の喋り方は結構乱暴だった。

 

「で……あたしは何すりゃあいいわけ?あんた、名前は?」

「てつ、ろう……」

「そう、鉄郎。あたしはあたしで、自分が何できるかって知らないわけだけど――」

 

 少女がそれを言い終わる前に、炎の壁を掻き分けて、“それ”がぬううと顔を出した。

 

「牛鬼……!」

「は?」

 

 そう、牛鬼だ。

 牛鬼は燕が渾身の力で引いた炎の壁をものともせずに、顔だけこちら側に出したのだ。

 大量にあった目玉は半分以上潰れていて、燕との激戦を感じさせたが、逆に体の方は全く元気そうだ。

 その目が、ぎょろりと二人を捉える。

 だが鉄郎には、恐怖よりも怒りが、その瞬間湧きだしていた。

 

「つばめぇ……!!」

 

 牛鬼の口に、燕が咥えられている。血まみれで、手足はダランとして、意識は無いようだ。 

 喰う気はないだろう。牛鬼は妖怪の一種とは言え悪魔だ。悪魔を喰らう悪魔と言うのはより特別な存在のみである。または、逆に極低級の者か。

 だがそれは何の安心にもならない。奴が少し力を籠めれば簡単に潰れてしまうだろう。

 ではなぜそうしないのか。

 

(そんなの、この腐れ牛の目を見りゃ分かる!人質のつもりなんだ!こいつ!)

 

 悪魔とは元来狡猾な存在である。獣同然とは言え牛鬼も高い位の悪魔。その程度の脳はあるのだ。

 

「なんとか……何とかして、くれ」

 

 だが鉄郎は、どんなに怒りに燃えてもそれしか言う事が出来ない。立ち上がる力も無く、知恵も無い。

 唯一の希望に縋るしかないのだ。

 だが、

 

「なんとかーって、これを?いや、やるけど、あたしってそんな強いの?まあやってみ――」

 

 ブチ、と。そんな音がした。

 少女の体が真っ二つになった音だ。

 炎の壁の向こうから牛鬼のかぎ爪が襲ったのだ。

 少女の肉体が舞い、そして落ちる。

 そうして、あっさりと、希望は潰えた。

 

「はっ」

 

 鉄郎の口から出たのは、乾いた笑い声。

 

「ははは。あっははは!まあ……こんなもんだよな、やっぱり」

 

 鉄郎にはもはや絶望も無かった。

 諦念と、妥協。

 

(俺にしては頑張ったよ。うん。腹の傷開くとかそれっぽかったしな)

 

 鉄郎はしかし、目は閉じなかった。

 燕が伸ばしてくれた数分の寿命を、無駄にしない心づもりであった。

 

(あとは、まあ、俺が天国に行けますようにって祈るだけだな)

 

 牛鬼が、やっとご馳走にありつける、と大口を開けた。燕はその口腔から解放され、地面を転がった。

 鉄郎には残念なことに、彼に背を向けて。

 

(せめて、燕の顔を見て、逝きてえな……)

 

 ゆっくりと、牛鬼が炎の壁を越えてくる。

 牛鬼の体によじ登って、数匹のグールも現れた。

 だが、牛鬼を恐れてか、遠巻きに鉄郎たちを眺めるだけで、襲い掛かろうとはしない。

 

(臭っ)

 

 牛鬼の吐息が鉄郎に掛かる。

 いよいよか――、と鉄郎は目を閉じた。

 苦しくないといいなあ、なんて事ばかり考える鉄郎に、しかし“その時”いつまで経っても訪れない。

 

「――?」

 

 目を開ける。

 牛鬼の口腔が上に見える。

 では鉄郎は今牛鬼の口の中なのか?

 違う。

 牛鬼の下あごが無くなっているのだ。

 

「な?に?霊子が、崩れて……?」

 

 何があった?鉄郎は自問する。

 まさか、木ノ実が間に合った?いや、そんな気配は無い。音も無い。

 燕が切った?いや、燕はさっきの場所から動いてない。音も無い。

 ではまさか――あの少女が?いや、彼女はさっき死んだはず。音も無い。

 

「燃えてる?」

 

 少女の姿を探す鉄郎は、先ほどの少女の上半身と下半身が燃えているのを見つける。

 

「aaa!!!!」

「uuuuaaaaa!!!」

 

 悲鳴だ。グールたちの。

 鉄郎がそちらを見やると、突如、グールの体の一部が“崩れた”。

 まるでその体の部分だけ粘土で拵えていたかのように、ボロリと取れてしまうのだ。そしてその取れた体は分解されるみたいに粒子状になり、少女の燃える体へと吸い寄せられていく。

 牛鬼の下あごも、こうして取れてしまったのだろう。いや、下あごだけではない。牛鬼は腹が抉れ、足の爪も所々欠け、右前足に至っては根元が無くなってしまったようで、地面に転がっている。

 

「何が?なんだ?炎?灰?周りの霊子を奪い取ってるのか」

 

 少女の体はやがて燃え尽き、灰となった。その灰の山に、グールや牛鬼から出来た白い粒子が溶けるように消えていく。

 やがて、灰の山は少しづつその量を増やし――

 

「ぷはっ」

 

 先ほどの少女が、その灰から顔を出した。

 同時に、日が昇る。

 

「あー……痛かった。死ぬかと思った……てか、死んでた?」

 

 鉄郎は呆然とその少女を見つめた。

 太陽の光とともに灰から這い出るその様子は、まるで不死鳥の再誕を見ているかのようで。

 

「なんだよ鉄郎ー。死んでも生き返るならそう言ってよね~。お陰でビビり損じゃん」

 

 そう、その少女はまさしく、生き返ったのだ。

 

「buu……uuu」

「ってうわ!まだ生きてるし!」

 

 牛鬼のうめき声に飛び上がる少女。

 燕との戦闘の上、体のあちこちが欠けた牛鬼はまさしく満身創痍とは言え、まだ生きていた。

 

「早く……とどめを」

「つってもなんも武器ないし。その必要もないみたいよ?」

 

 何の話だ、と鉄郎が見ると、牛鬼の腹、零れた腸にグールが群がった。

 グールとは、何かを腹に収めることが目的の、低級悪魔である。別名、『掃除屋』だ。彼らが歩いた後は血の一滴も残らない。一滴残らず飲んで、舐めてしまうのだ。

 グールたちも五体満足でなく、中には腹に穴が開いていて、食べる傍から出て行く者までいる。

 その姿は、不気味でありながら、哀れみを誘った。

 

「……行こっか、鉄郎」

「ああ――おい!!危ない!」

 

 二人の気が緩んだ、その瞬間であった。

 牛鬼が、足を振り上げたのである。最後っ屁。悪あがき。そんな行動。

 しかしそれは鉄郎を殺すだけの威力を持っていた。止めるものはここにもういない。そして鉄郎は、死んでも生き返らない。

 

「っつ!!」

 

 震える体で地面を蹴ろうとした。だがその思いは足がぴくぴく痙攣するだけで終わってしまう。

 かぎ爪が全てを薙ぎ払う。その瞬間に。

 ――圧倒的な力の奔流が牛鬼を薙ぎ払った。

 

「えっ!?き、消えた?あの牛は?鉄郎、あんたがやったの?」

「……」

 

 その攻撃は燕の炎の壁をすら吹き散らした。

 

(もう、大丈夫だな……)

 

 その力を鉄郎は以前、目にしたことがあった。燕の狙いが当たったのだ。

 鉄郎を包んだのは安心と言う感情だった。

 木っ端悪魔はその力に恐れをなして逃げ散ったのだろう、辺りはずいぶん静かだ。

 

「ちょっと鉄郎?おーいってば。ねーえ?」

 

 頬を突かれても、反応する体力など鉄郎にはない。体が求めるまま、鉄郎は眠りへと身を投じた。

 願わくば、今日が最後であってくれと、祈りながら。

 





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