SAOを真面目に攻略しない人々   作:徳明

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言葉遊びをしすぎた。さて、一体何種類の鳥が登場するでしょうか(数えてない)


3/5 結城明日奈の行動力です。

「——って感じで、大学めぐりもできて中々に充実しました」

「そうかい、まあ早いうちから進路のイメージを持つのは良いことだよ」

 

 雑談がてら京都での思い出を報告する僕に、伸之さんは笑みを浮かべながら相槌を打つ。

 

「姉はかなり真剣でしたね。僕は東都工大が目標なので観光気分でしたけど」

「おや、てっきり君は文系に進むものだと。テストの傾向を見てもそちらの方が向いているようだし」

「制御工学への興味が捨てられないんですよねぇ」

 

 進路としてはロボット系に行きたい。

 BMI技術がブレイクスルーを迎え、《Society 5.0》と呼ばれる時代。人とコンピューターの融合はより加速するだろう。それらを用いて物質的なモノを世に生み出し、ハード面から社会の発展に繋げることが自分の夢だ。

 

「それに、僕は伸之さんの一番弟子を名乗っていますから」

「本当に君は……変わっているよ」

「そうでしょうか? かなりの優良物件だと見込んでいるのですが」

 

 功績からして、数年後には『あの須郷伸之』で一般にも通じるところとなるだろう。分野でも僕が目指す先にいるから、実質師匠のようなものだ。

 

「直ぐに理解するさ、憎しみすら覚えるほどの才能に遭えばね」

「あー……茅場さん、でしたっけ。母が失礼なことを言っていた気が」

 

 彼には遠く及ばないだとか、目立った成果が無いだとか。何かにつけて評価の基準にしていた記憶がある。そのせいで姉の縁談も色々と拗れてくる訳だが……それはさておき。

 茅場氏の魔法じみたテクノロジーを活用できること自体、途轍もなく優秀である証左なのだ。

 他の科学者たちが彼の後を追う中、既に様々な製品を開発まで漕ぎ着けている伸之さんは紛れもなくその内のトップ。人類の頭脳の次席に名を連ねる、と言えばその凄さが理解できるか。

 

「次席……ねえ」

「えっと、気を悪くされたならすみません。別に茅場氏と比較する意図があった訳では」

「いや、次席と聞いて一人思い当たる人物がいてね。神代さん——神代凛子というんだが」

「女性なんですね」

「意外かい? 実は、茅場先輩が修士を取るまで唯一対等に接していた研究員が彼女なんだよ」

「知己ってやつですか」

「さあね。ただ、二人だけの世界があったことは傍目からも見てとれたよ」

 

 うわあ、生々しいな。大人になるとそんな関係にもなっちゃったりするのか……やっぱりアニマルっぽい()にも及ぶんだよな。

 コウジロリンコね、後で調べよう。断っておくが、これは決して下世話な好奇心ではない。

 

「ともかく、こちらの世界に入るなら覚悟しておくべきだ。君が来る頃なら当然このツートップは健在、どころかノリにノっているはずだから」

「肝に銘じます。まあ、恥ずかしながら()()()役は慣れているつもりですが」

 

 これでも結城家の人間だし、周囲からの遠慮や容赦のないランク付けは物心ついた頃から経験してきた。聞くところによると、彰三さんトコの次男坊は親戚たちから見れば優越感に浸る恰好の標的らしい。

 自嘲すると、伸之さんは疑った顔で笑う。

 

「おいおい、冗談にしてはセンスが無いなあ。『猛禽』が鴨だって?」

「伸之さんの中で僕は一体どんな位置付けなんですか……」

「割と実権を握っている印象だったけど。次期当主の座も狙えるんだろう?」

「あっはは、ないない!」

 

 顔の前で手をヒラヒラと扇いで否定する。

 僕は一族の他の子弟と違って形に残る成績が少ない。遺伝子と英才教育のお陰で無冠は免れているが、どうしても専門に特化した相手には一歩劣る。学業だって、兄や姉には及ばない。

 こちらに御鉢が回ってきたら、結城家もいよいよヤバいぞといった感じだ。

 

「それに僕は『お行儀』が悪いみたいですし」

 

 つい数日前の出来事を回想する。

 昼間はお気楽な京都観光だったが、夜は敷地内で過ごさなければならない。しかしながら本家にはWi-Fiが飛んでおらず、ネット環境が最悪なのだ。

 そのため当主から許可を得てONUとノートPCを繋ぎ、逆テザリングをしていたのだが……事情を知りもしない大人たちはそれが異様に見えたらしく、最終的に母の命令で撤収させられた。

 退屈に堪えかねた僕はネットを諦めて、姉に『菖蒲切り』を提案する。

 菖蒲切りとは、菖蒲の葉を使ったチャンバラのことだ。もともと端午の節句での集会だったので、それに因んだ遊びをと閃いた次第である。

 姉はこの誘いに乗った。

 

「明日奈さんはそういう『男の子の遊び』には興味が無い性格だと思っていたよ」

「僕もです。まあ、気分転換でしょう」

「それで、戦績の方はどうだったんだい?」

「五分五分ですね。明確なルールは設けていませんでしたが、雰囲気で」

「ほう、健闘したじゃないか」

「——寝技、投擲、何でもアリになった挙句止められましたけどね」

「……」

 

 そう、僕と姉が組むと加減が利かなくなるのだ。

 互いに手を抜ける性分ではなく、また筋力のバランスがちょうど釣り合う年頃というのもあり、ヒートアップしやすい条件が揃っていたのだろう。

 始めの内はフェンシング擬きの緩い突き合いだったのが、十分後には近接格闘へと変貌した。

 

「五戦目くらいでマウントの取り合いの最中を兄に発見され、母から大目玉を食らいました」

 

 二人揃って謹慎処分である。

 これに関しては自分でもやり過ぎたと反省している。第一発見者が兄だったのは運が良かったとしか言えない。あの人の擁護がなければ、今頃は寺にでも放り込まれていたはずだ。

 

「私のこと、呼んだかしら?」

 

 伸之さんが苦笑いで絶句しているところに、スクールバッグを携えた姉が廊下から顔を覗かせる。

 

「おかえり、姉さん」

「ただいま。いつもお世話になっています、須郷さん」

「あ、ああ。お邪魔しています、明日奈さん」

 

 先週の決意を実行するつもりらしい。

 ハーフアップの長髪を靡かせながらペコリとお辞儀する姉に、伸之さんは戸惑っている様子だ。

 その隙を逃さず姉はズイっと間合いを詰めて、弟に勉強を教えることになったこと、レクトの製品を知って伸之さんに興味が湧いたこと、進路選択にあたって助言が欲しいことなどを矢継ぎ早に畳み掛け、僕の授業に同席する許可を取り付けてしまった。

 この交渉(ゴリ押し)力は見習いたいものだ。

 

「ところで、何の科目を教えてもらっていたの?」

「プログラミングだよ」

「プロ、グ……え、テスト勉強じゃないの?」

「今日はね」

「後に回しなさいよ。あなた、次の模試のノルマ分かってる?」

「もちろん」

 

 だが、それにばかりに注力してもいられない事情があるのだ。

 要するに僕が学校に行っている間、誰が作物の手入れをするのかという話。いくら宮城に親切な人が多いとはいえ、他人の土地を週五で面倒見てくれるほど暇ではない。

 そのため、無人状態でもある程度の管理ができるよう、かなり前からロボティクスを導入している。

 

「田んぼの水位とかハウスの温湿度調節、水やり、異常の監視なんかは全て、自律制御か遠隔で操作可能になってる」

 

 ただしシステムはまだ途上にあり、試行錯誤の繰り返し。だから専門家の手を借りているのだ。

 

「伸之さんも忙しいから、こうでもしないと時間が取れないんだよね」

 

 僕の言い訳に、姉は長息する。

 母への告げ口には至らない事案なのを見越して暴露したけど、こんなに呆れられるなら適当に誤魔化せば良かったかも。

 

「鶴君のために述べておきますが、彼はエンジニアとして非常に優秀です。本人の熱意からも生半可な道楽ではないことを保証しますよ」

「ええ。何なら、道楽にすら命を懸けるような子ですから」

「ははは……それは今しがた伺ったばかりです」

 

 京都での一件だと直感したのか、姉は気まずそうに視線を逸らす。そうだぞ、同類だぞ。

 

「うるさいわね……で、今回は何を企んでいるのかしら?」

「悪事を前提にするのはやめてーな。今は接続が不安定な状態に陥った際の復旧と、その間の自動運転プログラムを強化してた」

 

 基本的に異常の感知は緊急停止だけど、例えば監視システムなどはオフラインになっても稼働してくれていないと困る。ある程度の精度で警報装置も作動して欲しいし、再接続されたら切断中の記録も送って欲しい。

 また有線が駄目なら無線で、ネット回線が駄目なら電話回線で……と、ここまで来るとコストや法律も壁になるのだが、究極では衛星やレーザーなどのバックアップがあると尚安心だ。

 

「局所的な障害なら移動式の中継機で解決できたりも考えられるね、本家みたいに電波が届いていない場合とか」

「次はモバイルWi-Fiを持ち込むとか言ってたわね」

「LANポートもあるモデルね。それか料金プランを変更してもらうか」

「そもそもどうやったらこのご時世に通信量を使い切れるのよ、動画とゲームだけなら絶対余るでしょう?」

「それは色々と実験的に裏で動かしていて——」

「えーと、お二人さん」

 

 話していると伸之さんがツンツンと肩を突き、ドアの方を指差した。目を遣ると、声を掛けようかと迷い佇む佐田さんの姿があった。

 

「わわっ、もうこんな時間。随分とオーバーしてしまって申し訳ありません」

「構わないさ」

「序でですし、須郷さんも夕食ご一緒にいかがですか?」

「いいね、それ」

 

 姉の提案に僕も賛成する。どうせ父はまた帰りが遅いのだ、料理も温かい内に消費された方が嬉しいはず。

 足りない一食分は出前で我慢してもらおう。

 

「父さんのは私が作るわ」

「あれ、姉さん料理できたっけ?」

「失礼ね。調理実習はいつも最高評価よ」

 

 でしょうけども。

 うーん……予めレシピがあるのとアドリブでは少し勝手が異なるのだけど、まあ大丈夫か。僕も東北の郷土料理なら少し頭に入っているから多分何とかなる。

 

「盛り上がっているところすまないが、遠慮させてもらうよ。長々と居座るのも悪いし、社長の御膳を横取りしたと噂が立つのは避けたい」

「そうですか……ではまた後の機会に」

「お気遣いありがとう」

 

 あまり強引に誘っては迷惑になるので素直に退がる。

 その代わりという訳ではないが、お見送りの時に京都土産を渡すことでお気持ちとさせてもらう。

 

「続きはご飯の後に聞くわよ」

「え、うん」

 

 玄関の施錠と共に発せられた姉の言葉に、嫌な予感がした。

 

 

   ☆

 

 

「さあ白状なさい、鶴」

「うぇえっ!? 何を——」

「惚けても無駄よ。さっきの技術は監視システム以外にも使っているでしょう」

「ぐっ……」

 

 鋭い。

 この状態の姉にシラを切るのは不可能と言ってもいい。ある事ない事を母にチクられても困るので、正直に机の鍵付きの引き出しの中の、鎖で繋がれた手提げ金庫からブツを取り出す。

 それは全長十センチに満たない黒い虫型のロボット。

 

「ゴキ……」

「違うからねっ!?」

 

 モデルとなったのは『螻蛄(ケラ)』。ミミズやアメンボと同列に扱われる彼の童謡で有名な、直翅目の昆虫である。

 

「どうしてそんなマイナーなチョイスをしたのよ」

「マイナーとは失礼な、田畑ではよく見る生物だよ。実は一昨年の自由研究でテーマにしてから愛着が湧いちゃってさ、害虫なんだけど」

「覚えているわ。去年まで水槽で飼っていたアレでしょう?」

「そそ。ケラは水陸空と活動できる構造をしていて、その他にも『螻蛄の七つ芸』と言うくらい色々な機能を持っているからね。汎用ドローンとしての要求を満たしているんだ」

 

 機械を導入するとメンテナンスが必要になるのだが、狭い部分の点検とか清掃を代行してくれる存在があれば効率化が図れる。

 そしてケラには細長い胴体やパワフルな前脚、後退や跳躍が可能な後脚など、都合の良いパーツが揃っている。

 

「……念のため。螻蛄の七つ芸は器用貧乏って意味よ」

「うん、そういうところが僕と似てるなぁって。まあ自分は啄木鳥(ケラ)じゃなくて鶴なんだけど、HAHAHA!」

「その壺の浅さは間違い無く笑い上戸(げら)だと思うわ」

 

 なかなか辛辣なことを仰る。

 

「と、冗談はさておき。これには義手と同じ技術が詰め込まれていてね、Wi-Fi経由で無線操縦する設計なんだ」

 

 脳だけでなく、PCやスマホなど一般の電子機器からもアクセスできるようになっている。

 そしてそこで実行されるアプリケーションのインストールやプログラムの更新が大飯食らいなため、外出時には今のところ速度制限覚悟で通信を続けるか、潔く諦めるかの二択しかないのである。

 

「このクネクネした走り方、嫌いだわ。絶対私の部屋には入れないでね、反射的に潰す自信あるから」

「乱暴だなぁ。丈夫な造りだからハンマーで叩きでもしないと壊れないとは思うけど、バカ高いから物理行使は勘弁」

「じゃあまあ、コップで蓋して電池切れを待つわ」

「ああ、バッテリー式じゃないからあまり意味は無いかも」

「……えっ?」

「だから、電池切れは無いよ」

 

 フリーエネルギー、というオカルティックなものではなく。身の回りに存在する電波を触角で拾って、その光子の持つエネルギーを自身の電力に変換するシステムだ。

 特にこのロボットはルーターが近くにある環境での運用を想定しており、使用している人工筋肉も従来のモーターなどに比べて高効率なので、通信の片手間に得た電力で賄えてしまう。

 

「飛翔だとかシステムアップデートでは足りない分を補助電源装置に頼ったりするけど、こっちは姉貴の想像するバッテリーとは少し違うかな」

 

 一応予備として腹に小型のマグネシウム二次電池が搭載されており、短時間ではあるが大きなエネルギーも引き出せる。

 その話を聞いて姉は形容のし難い、微妙な表情で嫌悪感を示した。

 

「……これ飛ぶの?」

「そりゃ、オリジナル準拠だから」

 

 この機能のために、回線切断時でもプログラムを稼働させるノウハウが必要だったのだ。異常即停止というルールは空の上だと逆に不都合なこともある。

 試しに飛ばそうかと頭を過るものの、叩き堕とされる未来しか見えなかったので翅を広げるだけに留めておく。

 翅は発電も兼ね、折り畳まれたシートタイプのソーラーモジュールは晴天下三時間の充電で二十分程度の連続飛翔を可能にしている。

 

「これが製品化されて、将来街に溢れ返ると考えたら……悍ましいわ」

「採算度外視でとにかくレクトの技術の粋を集めたプロトタイプだから、量産型はここまで小型高性能にはならないだろうけどね。センサーは電界式にするメリットないし」

「頭のラメはやっぱりセンサーだったのね」

「あ、分かった? 高精度とはいえ、容積の制限で角度と加速度くらいしか取得できないのはねぇ。普通のジャイロセンサーで事足りるもん」

 

 このドローンの本質は静音省電力の人工筋肉とハンズフリー操作だから、安くしたいならリチウムバッテリーを使えば良い。飛行能力や慣性航法機能をオミットし、位置情報の取得をGPSに限ったとて、一定の需要には応えられる。

 耐候性を犠牲にするなら、外殻に高価なチタン合金を使ったり、基板をポリウレア樹脂で保護する必要もない。

 

「——こういうのって、須郷さんが教えてくれるの?」

「うん、基礎的なところは。その先でやりたいことがあれば自分で調べてって感じかな。ヒントとか関連する論文をくれたりはするけど」

 

 特にこのプロジェクトは僕に場数を踏ませるための課題であり、レクトは製造を請け負うだけで僕が設計を考えるという、かなり高度な自主性を求めた形態をとっている。

 全て一からというのは流石に無理で、既にある幾つかの雛形を組み合わせたに過ぎない代物だが、それでも得られた経験値は多かった。

 

「学校の情報科って全然詳しいところを扱ってくれないし、参考にしたいわ。近くちゃんと取り組まなきゃって思っていたんだけど、入門書を教えてくれない?」

「お安い御用だよ」

 

 本棚から数冊見繕って渡す。

 オーダーは一般教養としての知識なので、コンピューターの原理やインターネットの基本構造に関する概説書と、初歩的なプログラミング言語の教本に絞った。

 日常でも役立つ内容だから、知っていて損はないだろう。

 

「ありがと、読み終わったら返すわね」

「いや別にいいよ。中身覚えちゃったし、あげる」

「そう? ならお礼に私もプレゼントしちゃおうかしら」

「え、なになに!」

 

 期待して待っているところに取り出されたのは——

 

「問題集よ。さ、お勉強しましょう。テスト勉強を。い・ま・か・ら!!」

「うそーん……」

 

 

   ☆

 

 

「——だから本当に凄いんだよ、この『ソードアート・オンライン』は!」

「ええ。それは何度も聞いてますよ、兄貴」

「いいかい、鶴。フルダイブというのはね……」

 

 勘弁してくれ、と隣で茶を啜る姉に助け船を求める。

 久々にこうして兄妹弟(きょうだい)揃って団欒の時間を過ごせることに、兄は気分が良くなっているのだろう。先日手に入れたというVRゲームの話を延々と聞かされている。

 僕は兄のことが好きだが、父譲りの少し能天気な性格は苦手だ。

 そもそも電機メーカーの社員として、他社製品の筐体で動くゲームを宣伝するのに抵抗はないのだろうか。実際、レクトはアーガスからのナーヴギア委託製造販売のコンペに負けて商機を逃している訳だし。

 

「兄さん」

「ん、どうした明日奈」

「鶴が何か聞きたそう」

「おおっ、やっと興味を示してくれたかい? 何でも答えるよ、さあ」

「あ、えーと。レクトがナーヴギアのコンペで提示した入札価格……とか」

 

 すまん、兄貴。ゲーム関係ねぇ。

 一抹の心苦しさを覚えつつも口にする。呆れられて仕方のない質問だったが、兄は気にした様子を見せず爽やかな微笑みを僕に向けた。

 

「そうだなぁ、あんまり社内の話はしちゃ駄目なんだけど……250ccのバイクが新車で買えるくらい、かな」

 

 小学生に対する喩えではないぞ。

 スマートフォンを取り出して軽く検索を掛けると、大体六十万円前後という結果が出た。

 

「そんなに……」

「これでもかなり赤字覚悟だったらしいけどね。蓋を開けたら落札価格が十万を切っていて、うちも騒然としていたよ」

「そうでしょうとも」

 

 レクトが先日発売したヘッドセットは、聴覚に限定した機能にもかかわらず十数万円する。

 異様なのは、敢えて名を伏せるが落札した企業の方なのだ。公共事業の一円入札じゃないんだから、儲けも加味した金額を提示しないと倒産してしまう。

 

「これ、今のところ誰も得していませんよね?」

「客観的に判断するとそうだねぇ」

 

 あれだけ巷の話題を掻っ攫っていたナーヴギアだが、業績は大コケと言ってもいい。

 五月に発売されて半年経ったのだが、総販売台数は僅か二十万台。待望のゲーム機としては初週でそれくらい売れていないとマズい。

 原因はハッキリしている。このハードで遊べるソフトが少なすぎたのだ。

 フルダイブの技術が新し過ぎてノウハウの蓄積が無いのもあるが、仮にレクトや他のゲームメーカーであれば過去の人気タイトルを移植して抱き合わせる商法もとれたはずだ。あるいはもっと、サードパーティの参入を促すような戦略を展開しただろう。

 たった一社が逸ってしまったばかりに、業界全体がダメージを受けるという悲惨な滑り出しを果たしたのである。

 

「そこに現れたのが監督、茅場晶彦の——」

「そっち繋がっちゃうかぁー」

 

 頑張って逃げ道を探していたのに、振り出しまで戻ってきた。

 

「そもそも。そんなに面白いものなんですか、VRMMORPGとやらは」

「いや、よく知らない」

「は?」

「だってサービス開始は明日だから。でも前評判では面白いらしいよ」

「姉貴ぃ、兄貴がやったこともないゲームの宣伝してくるよぉ」

「MMOはリアルタイムでサーバーに接続するプレイヤーとコミュニケーションを取れるのが魅力よ。特にこのジャンルではストーリーの大筋はあれど強制はせず、プレイヤーが各々の目的のために生きられる高い自由度を売りにしているわ」

「うわ、どうしてそんなの知ってるの」

「さっきちょっと調べたのよ」

「成る程ね。でもそんな魅力的かなぁ、現実世界でも十分自由だし……」

「例えば剣で敵を倒すとしてさ、そのために採掘したり鍛治で作ったりも可能なんだよ」

「へぇー」

 

 チェーンソーのエンジン整備したり、害獣の止め刺しするのとどう違うんだろう。

 シム系や通常のRPGみたく、物理的にできない特別な体験を楽しむなら分かるけど、現実で可能な行為をゲームでやる必要とは……リアルで好きに生きられない大人たちのオアシス?

 と、そこまで否定すると流石の兄も心地は良くないだろうから口を噤む。

 

「気になるなら鶴もやればいいじゃない」

「あー……僕、ナーヴギアと相性悪いんだよね」

「どういうこと? 小耳に挟んだけど、フルダイブ不適合という体質かしら。でも他の機械は問題無かったわよね」

「うん、どうも義手がダメだったらしくてさ。現行のマシンだと四つ腕の人間は想定されていないみたいで、エラー吐いちゃうんだよね。だからナーヴギア不適合」

 

 伸之さんから借りて試してみたのだが、キャリブレーションの段階で《不明な信号を検出》されて弾かれた。めっちゃ謝られたけど、自分が申し出た話だし修正もその内入るだろうからと僕自身は楽観的である。

 

「難儀なものね」

「だから兄貴、ゲーム(あっち)での楽しい話を待ってます」

「『待ってます』じゃないよ、明日から海外出張なの知ってて言ってるだろう?」

「まあ……」

 

 どこまで本心か分からない恨み節は、先の夕食で嫌というほど聞かされた。

 

「もしプレイできるようになったら、勝手に遊んでも構わないからね。最近は鶴の成績も上がってきたようだし、母さんも毎日機嫌が良さそうだ。大目に見てくれるはずさ」

「え、あ、はい。伸之さんと姉貴が懇切丁寧に教えてくれたお陰っすね」

 

 母の機嫌が良いって、正気か? 日に日に渋くなっていると思うんだけど。これで会社じゃ超有能なんだから、信じられん。

 姉も兄の目の節穴っぷりに固まっている。

 

「ああ、伸之君か! 彼も大変だろう、院生のこの時期は修士論文に掛り切りじゃなかったかい」

「らしいですね、先週一区切りついたって言ってました。少しは休めるって」

「そうなのか。知っていれば食事に誘ったんだけどな」

 

 上手い具合に話題が日常の出来事へ移って安堵した。このモードに入ればこちらも楽しく話ができる。これでも尊敬できる素晴らしい兄なのだ。

 やがて二十二時を告げるアラームが鳴って、明日は早いしと全員寝ることとなった。

 

 

 翌日。

 特にアクシデントもなく家族一同で空港まで見送りに行き、そして帰って来た。兄は今頃、ファーストクラスで快適な空の旅を満喫している頃だろう。

 本来なら宮城で過ごすはずだった時間を宛てているので、今日は昼からシステムの調整三昧だ。米の出荷が先月無事に終わって、残すは芋類の収穫と冬の備えのみ。油断は禁物だなぁと伸びをしながら時計を見る。

 

「もう五時か……」

 

 窓の外はもう暗くなっている。

 

 ——プルルルル

 

 着信だ。通知画面には《伸之さん》とある。

 今日の報告でもするか。

 

「もしもs——」

「もしもしっ! 鶴君だね!」

 

 びっくりした。今までに無いほど慌てた声音だ。気圧されて「は、はい」と吃りながら返事をする。

 

「テロの件だ」

「……え?」

「ニュースはまだ見ていないのかい? なら落ち着いて聞いて欲しい。茅場先輩がテロを起こした。ソードアート・オンラインに接続する一万人のプレイヤーを仮想世界に閉じ込めてデスゲームを始めたらしい」

「えっと、それは、ヤバいですね?」

「ああ、こっちは大忙しだよ。まあいい、それで記憶が正しければ浩一郎さんが持っていなかったかい?」

「そうですね、あると思います」

「やっぱりか。今政府がナーヴギアの回収を進めているんだが、それに協力してもらいたくてね」

 

 何やら世界では大変な事が起こっているらしい。

 座っているのも居心地が悪くなって椅子から腰を上げる。話の内容からして、兄の部屋に向かった方が良さそうだ。

 

「にしてもデスゲームって、本当なんですか?」

「茅場先輩の声明ではナーヴギアに細工がしてあって、ゲーム内でヒットポイントがゼロになると脳が焼き切られるらしい」

「うわ、えっぐ。クリアするまで解放されないってやつですか」

「そう。だから好奇心でも装着してはいけないよ」

「勿論ですよ、大体僕は不適合者ですし」

「すまないとは思っていたが、今回ばかりは幸運だったか」

「まあそうですね——」

 

 部屋に着いたので一応ノックしてから扉を開ける。この家は全体的に重厚な造りになっていて各部の動作が重い。

 

「巻き込まれなくて——」

 

 確か兄は机の上に置いていたよな。机は入り口からやや死角の位置にあるので顔を覗かせる。

 

「良かったで……」

「……どうしたんだい、鶴君? 電波が悪いのか」

 

 思わず携帯を落とす。視線の先には安らかな寝息を立てながら、メッシュチェアーに体を預ける姉がいた。

 

 その頭にナーヴギアを被って。

 

「姉貴ィィぃぃぃいいいイイ——っ!!」

 

 




予定調和。
なぜ須郷に事件を止めさせなかったのか→茅場を絶対に超えられないという運命を背負ったキャラだから。
同様に、菊岡も茅場の企みに気付けない舞台装置(キャラ)

鶴君が兄貴姉貴呼びになったのは浩一郎の仕込み…という設定。ちな、頑張って教えたけど先に覚えた言葉は『姉貴』。

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