「づ……ぁ……。」
ハジメは、よろよろと頼りない足取りで今まで浸かっていた川の水から抜け出すと、ゴツゴツの岩盤へと仰向けで寝転がった。
「いっ……つ〜。」
その体に傷は一切残ってはいないが、川の流れのせいで幾度となく岩の壁に打ちつけられたこともあり、体中が鈍い痛みで覆われていた。
「しっかしまあ……無茶するねぇ……。」
ハジメは、今まで抱きしめていた両手を離すと、中から顔をのぞかせた眠っているサヤを見て苦笑した。
ここはオルクス大迷宮。その奈落の底。あれから二人……というよりハジメはサヤが怪我をしないように全身で彼女を包み込み、あっちこっちの壁に激突を繰り返しながら落下、ついでとばかり奈落の壁から吹き出ていた鉄砲水に押し流され、またもや川底や壁に毬のように体をはねさせて突き進んでいた。暫くしてようやく流れが収まり、岸辺へと上がることができ……今に至る。
「寒っ……。」
ビッチョビチョになった衣服に悪態をつくハジメ。自分だけならどうともないのだが、ここにはもう一人、サヤがいる。このままにしておけば彼女はカゼを引いてしまうだろう。
「しょうがないなぁ…。」
ハジメはふぅ、とため息をつくと瞳を発光させ、少しだけ細胞を活性化させた。発生した熱が衣服についた水気を飛ばし、ついでにヒーター代わりになって冷たくなって震えていたサヤの体を温めていく。
「……オリジン。いるか?」
ぐでっと仰向けに寝転びながら自身の相棒を呼ぶハジメ。すると、
『キュー!!キュー!!』
「おわっ?!」
今まで下敷きにされていたオリジンが、背中を押し上げて無理やり這い出てきた。その声は心なしか怒っているようにも聞こえる。しっぽをピンと立て、さながら威嚇する猫のように頭部から白い煙を排気するオリジンに、ハジメは「悪い悪い」と謝罪する。
「悪かったって。……ふぅ。
オリジン。取り敢えず周囲をスキャンしてくれ。解析できたら、もしくは外敵がいたら報告。」
オリジンはもう一度フンス、と排気すると、了解したとばかりに首を振り、翼を広げると飛び上がった。
ヴォン……ヴォン……
オリジンの頭部から赤い光線があたりに張り巡らされ、低い駆動音のようなものとともに周囲の状況をスキャンしていく。数秒もあればその行動は終わり、オリジンはいつの間にやらハジメの腰に巻き付いていたベルトのスロットへ、自ら装着される。
直後、ハジメの目に映る世界が一変した。今まで見えていた情報の他に、赤い升目上の光の線によって映し出される目に見えない情報が重なる。
「外敵は……無し、と。少し進んだ先に広い空間があるな……。それにあれは……魔力の塊?なんにせよあそこがしばらくの拠点でいいかな。」
しばしの間考え込んでいたハジメはそう呟くと、サヤを抱きかかえて行動を始めた。
「かえって……くる?」
サヤがそう涙をためた瞳でハジメへと問いかける。ハジメは少したじろぐものの、苦笑しながら彼女の頭をなでた。
「大丈夫だ。帰ってくるさ。」
しょうがないなあ、というふうにハジメはサヤを抱き上げ、ポンポンと背中を叩いた。
「約束だ。」
「約……束……。」
「……んみゅ……?」
少女が目を覚ました。ハジメは今まで閉じていた目を開くと、膝の上で丸くなっているサヤを見下ろす。
「お目覚めか?お嬢様。」
サヤは焦点の合わない目で暫くハジメの顔を眺めていたが、唐突にくわっと目を見開くとペタペタとハジメの顔を触る。そしてそこに居るのが本物のハジメだとわかると、瞳を潤ませその胸の中へと飛び込んだ。
「うおっ。……ったく……」
かなり強い力で抱きついてくるサヤ。ハジメはその頭を優しく撫でる。
「なあサヤ?なんであんなことしたんだ?」
「……」
ハジメの口調はとても穏やかで、まるでわがままを言う子供をあやす父親のように見えた。
「……き……」
ハジメの胸に顔を押し付けながら、小さな声でもぞもぞとなにかを言うサヤ。ハジメはくぐもったその声がうまく聞き取れず、首を傾げる。
「今、なんて……?」
「う……き……!うそ……き!」
「うそつき……!」
「っ……」
ハジメはサヤの言葉に大きく目を見開き、サヤの顔を見下ろす。その顔は涙に濡れ、不安と恐怖と怒りに歪んでいた。
「ゆった!かえってくるってゆった!やくそくってゆった!うそつき!うそつきっ!うそつきぃっ!!」
「うそつき」と叫びながらポカポカとハジメの胸を殴るサヤ。その目からは幾筋もの涙がこぼれ落ち、言葉の合間に嗚咽のような音が聞こえてくる。
「うそつきっ!!えぐっ……うそつきいぃ!!」
サヤの心の叫びに、ハジメの頭の中である1場面がビデオのように再生された。
一人の少女が、ハジメの膝の上でぼーっと空を見上げている。
少女が言う。
「お兄ちゃん……なんか……暗いね。」
ハジメは笑って返す。
「夜……なんだよ。」
また、少女が言う。
「お兄ちゃん……凄く……眠い……。」
ハジメもまた、笑って返す。
「安心しろ。寝るまでそばにいてやるから……、」
少女は少し笑って、またハジメを呼ぶ。
「ねえ、お兄ちゃん……。」
ハジメは首を傾げながら聞く。
「なんだ……?」
「お兄ちゃんってさ……嘘、下手くそだね。」
ハジメはその言葉に、目を見開き、動揺する。
「っ……何……言って……。」
「泣いてる……よ……。」
少女の細い腕が、ハジメの頬を伝う涙を拭う。その少女の腹には、大きな、穴が空いていた。焼けているのか血は出ていない。しかし、少女の体は、黒い霧に溶けて、この世界から消えようとしていた。涙を拭ったその腕も、少しずつ色あせていく。
「っぁ……!ごめんっ……!!ごめんよぉっ!」
ハジメの目からは、今までこらえていた涙が、堰を切ったようにとめどなく流れ、少女の額へとこぼれ落ちる。
少女は、もう力の残らない両腕を伸ばし、ハジメの頬に添える。
「お兄ちゃん……
ありがとう。」
ニコッ。
少女の姿が、霧と消えた。
「ぁあっ……ぅあ“っ……あ“あ“ア“あ“っ……!」
宙を掴む腕。
「また……またっ!守れなかった……っ!」
「約束……したのにっ!!」
ーゆーびきーりげーんまーん嘘つーいたらはーりせーんぼーんの〜ますー
ー約束だよ?ー
ガンッ!
「あああああぁァァァアア!!!!」
拳を握りしめ、アスファルトの地面を殴りつけるハジメ。地面が凹み、しかしその拳には少しの痛みもない。それが、まるで痛みのわからない存在に約束など守ることはできないのだと、そう言われているようで、
「アアアアアアアアァァァァアアア!!!!!!!」
悔しくて、悲しくて、苦しくて、ハジメは天に向かって、理不尽な運命に向かって、吠えた。
「あ……。」
その少女の顔と、サヤの顔が、重なって見えて。
「……ごめん……」
ハジメは、
「ごめん……。」
ただただ、謝り続けるしかできなかった。
「もう……うそつかない?」
「ああ。」
ハジメは岩の壁に背を預けてあぐらをかき、サヤはその上にちょこんと乗り、ハジメを見上げる。
「約束……するか?」
ピンと小指を立ててサヤのほうへと右手を差し出すハジメ。よく言う指切りというやつだが、それを見たサヤは、コテンと首を傾け、またハジメを見上げる。
「……あぁ。初めてだったな。いいか?こうやって……」
ハジメは左手でサヤの右手を握り、小指を立たせる。
「指を組んで……」
ゆーびきーりげーんまーん嘘つーいたらはーりせーんぼーんの〜ます
「な?もう、嘘はつかない。」
「ほんと?やくそく?」
ハジメはその不安そうな顔をするサヤを優しく撫でると、柔らかく笑って言った。
「ああ。やくそくだ。」
ふと、ハジメは天井を見上げる。
ーなあ。もう一度だけ、信じてみてもいいかな?ー
はるか彼方、天へと登っていったあの少女へと問いかける。
ー約束ってやつをさー
答えはない。しかし、少女の優しい笑みが、ハジメの目にはたしかに写っていた。
その時、ハジメは気が付いていなかったが、彼が首から下げている一枚の羽。それが、ほんの少しだけ光ったように見えた。
「……?」
サヤはそれを見て、首を傾けた。
さて、このままいい話で終わらせてもいいのだが、もう少しだけお付き合いいただこう。
「うーん……」
ハジメは頭を抱えていた。あのまま終わっておけば先延ばしにできたであろう問題が発生しているのだ。
「どうしたもんか……。」
ハジメが唸っている理由。それは、
「お父さん……お腹すいた……。」
サヤの食糧問題である。
ハジメだけであればよかった。なぜかネオの食性に当てはまった魔物の肉がそこら中にいるからだ。だが、サヤがいれば話は別だ。彼女に魔物肉を食わせるのは流石に気が引けるというもの。つい忘れがちだが、魔物の肉は毒なのだから。
「俺の血でも飲ませるか……?病原菌とかはないはずだから有毒では……、いや待て。俺はネオだぞ。そんなやつの血を飲んで大丈夫なのか……?やったこともないしわからんな……。やはり魔物の肉をなんとか食えるようにする他ないか……。いやしかし……」
プスプスと、湯が湧いたヤカンのように頭から蒸気を出すハジメ。どの案も現実的ではないし、なによりリスクが大きすぎる。
まさか自分ひとりだけで行動するために立てた計画が、こんなところで自身に牙を向けようとは思っても見なかった。
結局暫く悩んだ結果、
『guuuu……』
「ま、食物連鎖ってやつだ。恨むなよ。」
結局魔物の肉をなんとかしてみることになった。まず第一の犠牲者は今ハジメにとどめを刺されている熊である。
「さて、こいつを……」
拠点にしている空洞へと戻ったハジメは、手慣れた様子で壁から包丁を錬成するとぱぱっと肉を切り分け、血を抜いていく。
「こっからだな……。」
ハジメは切り分けた肉の目の前にどかっと腰を下ろすと、オリジンをベルトに装填し、目を瞑る。
(この魔法床の間法の掛け合わせは……だめだな。陣が安定しない。ならこれを付け足せば……だめだ。成功率が低くすぎる……。)
ハジメの頭の中には、大量の魔法情報がびっしりと覆い尽くしている。今まで見た、調べた、聞いた事のあるありとあらゆる魔法を、ハジメ自身の処理能力とオリジンの演算能力、そして正確なシュミレーションによって構築、分解、再構築を繰り返し、魔物の肉から毒となる過剰な魔力を取り除く魔法を創造していく。
(シュミレーション開始……ちっ。これもだめか……。ならこれをここに……)
「もっきゅもっきゅ」
(んで持ってここをこうすれば……だめだ。あと少しなんだけどな……。)
「むぐむぐ。ごくん。」
(これをこうしてみたらどうだ……?だめだ。いっきにふあんていになる……って言うかさっきから煩いな何だこの咀嚼音。思考がまとまらない。今もひらがな表記になってる言葉が…………ん?咀嚼音?)
はっと目を開けるハジメ。その目の前には、
「ごちそうさまでした。」
「?!?!」
半分ほどに減った魔物の肉、そして口周りに油と血がついたサヤの姿があった。
「なっななななにしてんだっ!?」
「おいしかった。」
「そんなわけあるかっ!」
我が子が猛毒を喰らい、慌てぬ親などいない。それはこの男も例外ではなく、大切なことが一瞬頭から抜けるほどには慌てていた。
「……ん?」
ふと我に返るハジメ。もう一度サヤの姿を見る。どこにも異常はない。
『ある男が魔物の肉を食らった。一口。たった一口。次の瞬間、男はこの世のものとは思えぬような、おぞましい叫び声を上げながら、体が爆発した。ああ、これは罰なのだろう。汚らわしい魔物の肉を食らった男に我らが神、エh』
脳内でカタカナ3文字を金属バットで空の彼方まで吹っ飛ばすと、ハジメはサヤの体をオリジンにスキャンさせる。
「異常は……無い?そんな馬鹿な……。」
文献のとおりであれば、彼女はとっくに死んでいるはずだ。大の大人が一口食らうだけで死ぬほどの猛毒。それをこの小さな子供が食べて無事なはずがない。
ハジメの頭の中を凄まじい速度で思考の波が行き交う。あらゆる可能性から一番信憑性のある、一番起こり得そうな可能性を探す。
そして、
「あ〜。なるほどね。」
ハジメは、自身で導き出した結論に肩を落とした。
「確かにネオのことについてもこの子のことについても納得行くが………。」
「こりゃ一筋縄じゃ行かなさそうだな……。」
「ハァ……。」
ハジメは、いずれ自身の前に立ちふさがるであろう存在のことを思い、久しぶりに大きなため息をついた。
次回、仮面ライダーオリジン
「ここは……。」
立ち塞がる扉
「だれ……?」
謎の少女
「ksyaaaaa!!!」
襲いかかる番人
次回「フー・アー・ユー?」
生きろ。最後まで