ザーザザー……。
雨。それは、日の光を遮る分厚い雲から、暗く閉ざされた世界へと降り注ぐ水の名前。
「……。」
その中でハジメは、体が濡れるのも構わずに目の前にある光景を見つめて立ち尽くしていた。
『賢太君、天国に行っても元気でね!』『鈴木君。安らかに眠ってください。』『鈴木賢太へ。サッカー部一同より』『鈴木君へ。1年3組より』
たくさんの色紙や手紙。そして花や菓子類に囲まれた一つの額縁の中に、小学生低学年程度の一人の少年がまるで太陽のように笑っている。
ハジメは自分の手を雨が降りしきる空へかざす。その手にはいつの間にか、どす黒い泥のようなナニカがこびりついている。それは雨に流され、赤い液体となって地面に流れ落ちていった。
「俺は……」
ハジメに容赦なく襲いかかる罪の意識。それは水に濡れた布のように絡みつき、重くのしかかる。
「?」
不意に、ハジメの体に振りかかっていた雨が消えた。上を見ると、後ろから突き出されたビニール傘が雨を遮っている。
「ごめんね。心配になっちゃって。風、引くよ?」
後ろを見ると、心配そうにハジメの様子をうかがい、自分も半分雨に濡れているにも関わらず、自分のビニール傘を差し出し続ける同い年くらいの少女が立っていた。
「……君……は?」
「私?私は神凪サヤ。よろしくね。」
その少女は灰色のサイドテールを跳ねさせ、青色の瞳を優しく輝かせた。
―――――――――――――――――――――――――――――
「休暇って何すればいいんだ?」
ハジメは途方に暮れたように呟きながらブラブラ歩いていた。決闘騒ぎから2日。召還されてから今日で9日目。天気は曇りで、今にも雨が振りそうだ。
今ハジメがいるのは、この一週間でなんとなく見慣れてきたきらびやかな王城ではなく、いつもはそこから見下ろしていた城下町に当たるところだ。あたりには、キャイキャイと集団になって歩く他のクラスメイト達の姿も見える。
なぜこんなところに彼らはいるのか。それは昨晩、メルドから突然招集がかけられたところまで遡る。
「よし、全員いるな。」
お馴染みの修練場へと集まったクラスメイトたちの前に立つメルド。不思議そうに彼の顔を見つめる彼らの姿は、親を待つ小鳥のようでどことなく笑いを誘う。
その後、メルドから「明日は休暇にする」との話がされた。何でもずっと訓練漬けでは、いかに神の使徒といえども疲れが出たり、訓練そのものが疎かになってしまうのではないか。とメルド本人が神殿や貴族達に直談判しに行ったらしい。そして見事、一日とはいえど休暇を勝ち取ったそうだ。その分騎士団の仕事は増えたらしいが、メルドの後ろで顔を青くさせていた副長の姿は見なかったことにする。
『お前ら。ぜひともこの国を楽しんできてくれ!』
「……とは言われたもののなぁ。」
ハジメはうーんと唸る。手元には一日遊ぶ程度なら困らないような金額の金があり、辺りには多種多様様々な店や屋台があったりするのだが、どれにも行く気にならない。
(服……は支給されてるし、同じく生活用品もいらないな。武器は作れるし……)
頭の中で「いらないものリスト」を作成していたハジメ。
(これもなんとかしなくちゃいけないんだけど、今はどうにもな……。)
そう考えながら、ハジメは懐から取り出した銀色の潰れたパッケージを見て、大きくため息をついた。3つあったこれも、今日の朝飲んだ分で最後。なんとか代用品を見つける必要があるのだが、その代用品になりうるものは見つかっていない。
(明日からどうするかなぁ。)
憂鬱そうに遠くを見やるハジメ。ハジメはとある事情から、調理したものを食すことができず、普通の食材も栄養補給としてあまり役に立たない。銀色のパッケージの中身の不味い物質は、そんなハジメのために作られた栄養食品のようなものだった。
早急になんとかしなければいけないのだが、そのためには時間も自由も足りない。神の使徒という立場に行動が制限されてしまい、うかつに動くことができない今、それを打破するための方法は未だつかめずにいた。
だが、ハジメはまだ諦めてはいない。
(まだ、約束守れてないしな。)
とある約束を守るまで、生き続けると決めたから。
しばらく歩き、商店街も中程に差し掛かった頃。ハジメは誰にも気が付かれないように後ろに意識を向けた。
「いるな。」
いる。ハジメが最も関わりたくない存在がいる。
白崎香織がそこにいる。
彼女は先程から様子をうかがうようにして、建物や屋台や人の影からチラチラとこちらの様子を伺っている。うっとおしいことこの上ない。ハジメはこの世界に呼び出されてからもう何度目かもわからない、大きなため息を付いた。
このまま後をつけられ続けれるのはなんとかして避けたいところだ。やることが無いとはいえ万が一捕まって、この一日を彼女のために使わされることになるのはごめん蒙りたい。
さて、関わりたくはないのだが、見たところ光輝達幼馴染の姿は見えないため応援は期待できないだろう。なら自力でなんとかするしかない。
(……巻くか。)
そうと決まれば。ハジメはタイミングを見計らい、一気にその場から飛び出した。そして、まるでパルクールでもするように人や屋台や路地などを駆使して時に地面を走り、屋根の隙間を跳び、空を駆ける。ちらりと後ろを確認すると、はじめの頃はなんとか追いついてきていた彼女も、いくつかの路地や屋根の上を経由する頃には、すでに姿は見えなくなっていた。
「思ったより粘られたな……。」
まさか屋根の上にまで登ってくるとは思わなかった。なにか対策を用意しないとな〜。などとぼやきながら民家の屋根から路地へと着地するハジメ。軽く筋や筋肉を伸ばしながら、また見つかる可能性も考慮して取り敢えず大通りを避けるために更に奥へと進もうとしたその時だった。
ー……ッー
「ん?」
ふと、ハジメの耳が妙な音を拾った。よく耳を澄ませると、その音は何か生物の呼吸音であることがわかる。ただ、それはかなり弱っているらしく、とてもか細く今にも消え入りそうだ。そのまま通り過ぎるか助けるか。しばらくどうするか考えた後、ハジメは自分の出した答えに呆れたようなため息をついた。
「……ハァ。」
ハジメは一つ先の曲がり角を曲がり、その音の出どころを探す。
「あそこか。」
もともと曇っていた上に、更に薄暗いその路地は、普通の人間の視覚能力では、その空間の細部まで見通すことはできない。だが、ハジメはその中でたった一点のみを見つめて迷うことなく進んでいく。
「大丈夫か。」
膝立ちになり、そこにいる誰かにそう問いかけるハジメ。その口調はいつもクラスメイト達の前で話すときの飄々とした声ではなく、ナイフのように鋭く尖った、しかしどこか優しさを感じられる声だ。
「うぅん……。」
声からしてかなり幼い少女のようだ。少女は突然話しかけてきたハジメに驚いたのか、身体を丸めて小さくし、か細い声で唸る。
「きゃっ!」
じれったい。ハジメは少女をヒョイと抱き上げ、踵を返して出口に向かって歩きはじめた。少女は驚きのあまりに体を硬直させ、小さな悲鳴を上げたきりピクリとも動かない。
若干傷つく反応だが、暴れられるよりかはマシだ。ハジメが出口へと歩をすすめるにつれ辺りは少しずつ明るくなり、それに伴ってハジメが抱きかかえた少女の姿がはっきりと見えるようになっていく。
灰色の髪に、青い瞳を持った幼い少女の姿が。
「あむっ……もぐもぐ。」
「おおう。どんだけ食べるんだまったく……。」
あれからしばらくたち、少女を連れたハジメは結局大通り。それもさっきの串焼きを売っていたあの店へと戻ってきていた。最初は大通りとは別の場所に移動しようとも考えたのだが、一本奥に入るとそこは住宅地。どうやら栄養失調で倒れていたらしいこの少女をなんとかできるものはなさそうだった。
最初の頃は、ハジメのことを警戒したのか何を出しても食べようとはしなかったのだが、しばらくしてハジメになんの悪意もないことがわかったのか、今度は目の前に出された料理をすべて平らげ始めた。あの弱々しい呼吸や呻き声を聞いたハジメとしてはそれはそれで心配になったのだが、当の本人はまるで気にすることなくガツガツと平らげていく。まあ金銭は有り余るほどある上に、これといってやることもなかったので良しとする。それに、
「こういうのも、悪くはないかな。」
美味しそうに料理を頬張り、笑う子供の姿を見るのは嫌ではなかった。
「見た目といい、あの人そっくりだ。」
その仕草に、ハジメは目の前にいる幼い少女に愛する人の姿を重ねる。まるで少女のことをその愛する人の変わりのように見てしまう自分に嫌悪感を抱くが、しかしどこか懐かしい匂いのするその光景を前にして、不意にハジメはなにかに包み込まれるような感覚を覚えた。今まで忘れていた心が温まるような、まるで凍りついた心の時計が少しずつ動き出すような、そんな感覚を。
「……っ」
しかし、それを否定するようにハジメは首を横に振る。自分はなにを考えているのだ。それもこんな幼い子供に。それでも一度感じたその感覚を拭い去ることはできず、ハジメは気を紛らわせるために少女に話しかける。
「お前、親は?」
「?」
「お父さんとお母さんは?」
「?」
一瞬自分の聞き方が悪かったのかと思ったハジメだったが、少女の反応を見る限りどうやらそうではないようだ。ハジメは質問を変える。
「……んじゃあなんであんなところにいた?」
「?」
「いや『?』じゃなくて……、ってお前まさか。」
ハジメの頭に記憶喪失の4文字が掠めていく。ハジメは更に質問を重ねていき、最終的にこの幼い少女が記憶喪失であるとあたりをつけた。基本的な知識まで欠落しているのか、何を聞いても「?」と首をひねるだけで、まともな反応がひとつもない。
ハジメは最後に、念の為少女の名前を聞くことにした。
「……お前、名前は?」
「な……ま……え……?」
初めて少女が言葉を返してきた。か細く頼りない、しかしはっきりとした声で確かに言葉を返してきたのだ。ハジメはもう一度ゆっくり名前を尋ねる。
「な、ま、え。」
「な……まえ?わたしの、名前、は……」
ポツリ。ハジメの頬に一粒の水滴が伝った。
「サヤ。」
「………………なに?」
一滴、さらにもう一滴。徐々に数を増していく水滴の群れ。それはいつしか雨となって二人の体を濡らしていく。
「わたしの名前は、サヤ。」
愛する人の面影を見せるその少女が、この先の物語に何をもたらすのか。それは誰にも分からない。
そう、神でさえも。
カチッカチッカチッ……。時計の針は進み出した。
次回、仮面ライダーオリジン
「オルクス大迷宮……か。」
本格的に始動する訓練
「お父さん……?」
ハジメの隣にある少女の姿
「南雲くん、起きてますか?」
月夜に語られることとは?
次回『月夜の宿屋にて』
生きろ。最後まで
オリジンに強化フォームは必要か否か。
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必要
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不必要