ゆゆゆ短編集   作:mn_ver2

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文章力を鍛えたい


乃木若葉と結婚する男

 ……俺は勇者なんて大層な人間などでは決してない。

 勇者とは、人々を恐怖に陥れる魔王を倒すべく立ち上がる勇敢な者のことを指す。

 俺は戦わなかった。寧ろ知らないふりをしていた。四国の外から命からがら逃げ延びてきた人たちのことなんて、どうでも良かった。

 ただこの戦争状態が早く終わってくれないかな、なんて呑気なことを考えながら当時を過ごしていた。

 改築された大赦の廊下は文字通りピカピカだ。勢いよく走って滑りたい、という強い衝動に駆られるが、そんな小学生のようなことはしない。もう二十五歳の大人だ、流石にその辺りは弁えている。

 行き交う大赦勤めの人たちは皆揃いも揃って白い装束に身を包み、白い仮面を被っている。正直不気味さを覚えてしまうが、俺も同じ格好をしているのであまり強く言えない。

 外から差し込む夕暮れの光は優しげのある橙色で、これから臨む俺の人生において一世一代の大勝負を暖かく見守ってやろうという神樹様のご意思のように感じられた。

 ……いや、俺は巫女のように神託を受けることはできないから勝手に自己を納得させているだけだが。

 目指すはただひとつ。

 上の階へと続く階段を上り、上り、目的の階に着く。なんでエレベーターかエスカレーターでもいいから取り付けてくれなかったんだよ、と建築士に内心で愚痴を漏らして誰一人いない通路を歩く。

 この階に部屋はひとつしかない。この長い通路は奥にある部屋へと続いていて、特に装飾などが飾られているわけでもないのに、言葉にできない存在感を放っている。

 

「…………覚悟を決めろ、俺」

 

 そう言い聞かせ、足を進める。

 一歩進む度にどうしてか足取りが重くなっていく錯覚に陥る。俺はオカルト的なものは鼻で笑う人種だが、今だけは疑いなくその存在を信じられそうな気がした。

 いや違う、誤魔化すな。これは俺の心がそうさせているだけだ。この先に待つ人物に会うため、喝を入れてしっかりとした足取りでシンプルな木造ドアの前に立つ。

 大きく深呼吸をして、顎を引く。

 仮面を外す。

 そして、コンコン、と叩いた。

 すると奥の方から「お入りください」と落ち着いたソプラノの声が返ってきた。

 俺は物怖じせずにドアノブに手をかけ、ガチャリと開いて中に入った。

 部屋の構造は十畳ほどとあまり広くはなく、執務をする為の大きな机が四分の一ほどを占めている。まだ処理を終えていないのか、書類の山が高く積み上げられている。そしてその脇に四畳分の畳が敷かれ、そこにひとりの着物姿の女性が正座をして静かに佇んでいた。

 そして悟る。

 あの陽光は、俺の為などではなかったのだと。

 壁の小さな窓から細い陽光が降りてきている。それは女性を上から照らしていた。

 アメシストのような艷やかな光沢を放つ長髪を橙色の陽光が際立たせる。くっきりとした美貌がさらに強調されている。

 俺はつい呼吸をすることすら忘れて女性に魅入ってしまっていた。

 そうしている間にも、女性は長い睫毛を僅かに揺らし、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。

 

「お待ちしていました、睦月さん」

 

 上里ひなた。

 二十六という驚異的な若さで大赦のトップ。

 当時中学生の時に巫女を全員纏め上げ、神官たちを巫女という立場を利用して屈服させ、大赦を掌握したという恐るべき胆力の持ち主。

 そして、四国のため、あるいは若葉のためならば手を汚すことを厭わない人物。

 改めて上里様の人となりは、二十代のそれではなく、濃密な人生経験を重ねた年長者という印象を抱いてしまう。

 ごくりと生唾を飲む音が聞こえたのか、苦笑いを浮かべた上里様は口を開いた。

 

「さあさあ、こちらにお座りくださいな」

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 根暗な学生のような、やや早口で情けない返事をした俺は、ぎこちない動作でありながらなるべく静かに座ろうと努めた。

 全身から熱い汗がどっと噴き出るのを感じながらも、なんとか正座できたことに内心で百回ほど安堵の息を吐く。

 いや、こんなことで精神力を消費してどうするのだ。

 

「それで? 何の御用でしょうか? ご存知の通り、私は多忙の身です。単刀直入にお伺いしたいのですが」

 

 こちらの考えを全て見通していながら、敢えて泳がせているような超然とした目つきで俺を見る。

 俺と上里様の関係性は友人であると評していいだろう。ある程度打ち解けた会話のできる仲ではある。

 とはいっても面と向かって会う機会はそう多くない。今言った通り、上里様は多忙の身。プレイベートの時間はあまりないし、あったとしても俺と何かをする、なんてことは滅多にない。

 しかし今日の上里様の言葉には、どこか碧色の冷たさが宿っている。

 俺の目の前にいるのは、友人という側面は備えつつも、大赦トップという側面を前面に押し出している上里ひなたなのだ。

 屈してはならない。

 ――そう。

 もう、すでに説得……勝負は始まっているのだ。

 だからこそ、ただ一言のもとに先手を頂く。

 

「若葉を俺にください」

 

「――そうですか」

 

 上里様はそう短く呟くと僅かに目を伏せた。

 その後にもう一度俺を見つめると、言った。

 

「もちろん、駄目です」

 

 きっぱりとした拒絶の言葉。

 この返事は十分想定されていたことだ。

 実質上里様は若葉の保護者。

 この年になっても耳かきをしてやっている噂があるとかないとか。

 

「そもそも睦月さんのそのお願い……どれほど恐れ多いものかおわかりですか? 若葉ちゃんとあなたの交際を許したのは、正直私の気まぐれとも言えます」

 

 もちろん知っているとも。

 初代勇者。唯一の生き残り。

 他の勇者たちが戦いで落命していく中、ただひとり生き残った当時中学生の若葉。

 四国の人間ならば大人から子供まで、誰一人として知らない者はいない偉人。

 そのような人物と付き合えていることがどれほどのことかはきちんと理解している。

 戦略的な交際だと当初は揶揄され、謂れのない誹謗中傷を嫌というほど受けた。しかし俺はその悉くを乗り越えて今に至るのだ。

 

「若葉ちゃんをあなたに託すことはできません。あなたよりも私の方が遥かに相応しいのは間違いありませんので。交際を許したのは、私が二十四時間守ってあげられないのでその代役に、という理由もあります」

 

「……そのようなことは以前言っていなかったと思われますが」

 

「当然でしょう。私が交際を許した理由を、なぜ一から全てを説明しなければならないのですか?」

 

「…………」

 

 確かにその通りだ。

 わざわざ思考情報を相手に全て開示する理由なんてない。

 当時は「わかりました。睦月さんと若葉ちゃんとの交際を認めましょう。ですがおふたりとも、一般人と同じようなことはほぼできないと覚悟してください」と正座する俺と若葉に告げた。

 その時の俺は天にも舞い上がるような気分だったが、膝の痺れで僅かに身じろぎすることしかできなかったのをよく覚えている。

 そう。今思えばあの時、上里様は理由をなにひとつ教えてくれなかった。

 あそこでさらに深堀りするべきだったか? 「どうして若葉との交際を認めたのですか?」と。しかし今となってはもう過去のことだ。

 だから俺は。

 

「そう、ですね……」

 

 と歯切れの悪い返事しかすることができなかった。

 自然と裾を強く握り締めてしまう。

 なんてダサいんだ⁉ と嘆かずにはいられないが、それでも俺はこの程度で怯むわけにはいかない。

 正直なところ、上里様の覚悟は俺には測り知れない。必要ならば手を汚すことも厭わない人間だ。四国の人間が全員清き心を持っているわけではない。

 もし四国や大赦、さらに言えば若葉に危害を加えようものなら、容赦なく文字通り『消す』ことができる。

 大赦内では、それを代行する集団を編成しようという議題が時々持ち上がっているのはまた別の話。

 しかしながら、俺の覚悟はしっかり理解してもらわなければならない。

 いや、なんとしてでも理解させてやるのだ。

 なよなよしている俺を若葉が見れば、「もっと自信を持て! そんなだと私が恥ずかしいぞ?」と背中を叩くこと間違いなしだ。

 全くもってその通り。

 乃木若葉という人間が好いた男は、俺だ。

 だから、あいつになるべく恥じぬような生き方をしなければならない。

 やや下がりかけていた調子を、根気と気合と根性で持ち上げる。

 引いてはならない。相手は大赦のトップ。下手な話術や感情誘導にかかるはずもない。なんなら俺よりも遥かに上手。それを自覚しろ。

 だからここは率直に、回りくどいことはなしにして述べるべきだ。

 俺はこれまでの人生で一番真剣な眼差しで上里様を見詰めた。

 すると上里様の瞳にほんの少しだけ揺らぎが生じた……ような気がした。

 

「俺は若葉を愛しています」

 

「言葉で言うだけなら誰にでもできますよ」

 

「俺の今までの行動はすべて、上里様の耳に届いているはずです」

 

 この世界には、産まれる時に特別な所作をした少女に『友奈』と名付ける風習がある。

 これは高嶋友奈に倣って始まったものであり、どういうわけか、大赦は『友奈』を監視下に置いている。

 神世紀と改められてまだ十年と少ししか経過していないが、『友奈』の存在は片手で数えられるほど確認されておらず、その全ては大赦は監視している。

 なんのためにかは俺にはわからない。しかしそれほどの諜報能力があるのなら俺のすべては大赦に筒抜けのはずだ。

 絶対にありえないが、もし俺が若葉を傷つけよううものなら、その行動をするまえに狙撃か何かで撃ち殺されるだろう。

 

「ええ、もちろんです。その上で言っているのです。私は若葉ちゃんのすべてをあなたに預けることなんてとてもできません。信用できないのです」

 

 絶対的な拒絶の眼差し。

 上里様から見れば、俺は幼馴染を奪おうとする悪い虫に他ならない。

 しかし。

 

「…………若葉はあなただけのものではない」

 

 上里様の抱くそれは、過保護を超えた依存に近いものだ。

 終末戦争を生き抜いた仲だ、それはもう俺程度に介入できない親密度なのは言うまでもない。

 もしどちらかが男性ならば、間違いなく結婚していただろう。

 だが悲しいことに、どちらも女性。近々同性婚という概念に対して何らかの法改正を考えているらしいが、今はそんなこと、どうでもいい。

 

「――――今、なんとおっしゃいましたか?」

 

 空気が変わる。

 上里様の目の色が変わる。

 不信は敵意へと移行する。

 緊迫した雰囲気が、緩やかに殺伐としたものへ変容した。

 ちりちりとうなじのあたりが疼く。

 全身の毛穴がきゅうう、と引き締まった。

 殺気を向けられたことは一度や二度ではない。若葉と交際を初めて半年ほどはよく刺客が送られてきた。情けないことに、同伴していた若葉にすべてを追い払ってもらっていたが、その時に浴びせられたものより上里様の殺気は粘性があって、闇色が深い。

 俺が上里様の逆鱗に触れたのは偶然ではない。故意だ。

 

「若葉はあなただけのものではありません。若葉を大切に想うお気持ちはよくわかりますが、それはあなただけが持つ唯一のものではありません。俺だって持っています」

 

 殺気を放ちつつ上里様は返す。

 

「睦月さんの想いが、私の想いに勝るとでも?」

 

 俺は力強く返す。

 

「勝ります。当然です」

 

「は?」

 

 あらゆる表情が消え失せる。

 上里様は膝の裾を擦らないように丁寧に立ち上がると、ゆっくりと俺の前に歩み寄った。そして睨むようにしながらもう一度座った。

 互いの膝が触れるほどの超至近距離。

 顔の間の距離は拳一つ分しかない。

 

「その傲慢な言い草、とても不愉快ですよ。私と若葉ちゃんの間に割って入ろうとする蛆虫が。軽々しく私の想いを踏みにじるな」

 

 敬語すら使わずに明確に敵意を露わにする。

 心臓が文字通り雑巾を絞られるような感覚に陥る。

 俺は即座に今の言葉を撤回したいという衝動に駆られた。これほど怒りに満ちた上里様を見たことがない。

 少しでも気を抜けば眼力だけで殺されそうだ。

 これが、大赦のトップ。

 男ながら、恐怖で泣き出しそうだった。

 

 ◆

 

 二年前の紅葉を迎えたある日、若葉は泣いていた。

 人知れず泣いていた。

 俺がそんな若葉を見つけたのは必然とも言えるだろう。

 大赦のイメージ向上の一環の活動として演舞をするために福祉施設で仕事を終えた若葉が、更衣室でひとり泣いていたのだ。

 便所に行こうと建物内を彷徨っていた俺は、偶然若葉の嗚咽がドアの隙間から漏れてくるのが聞こえたのだ。

 セクハラだ、とかそんな誹りを受けるかもしれないことなんて頭からすっ飛んでいた。

 急いでドアを開けた俺が中に入ると、薄暗くした部屋の隅で蹲るようにして泣いていた。

 ようやく俺は着替え中の女性の部屋に押し入ったというとんでもないやらかしに気づくが、それは弱々しく泣く若葉を見た瞬間、どこかへ消え去った。

 演舞用の白装束から私服に着替えは完了していた。

 膝を抱えながら泣く若葉に、俺はそっと言葉をかけた。

 

「若葉……?」

 

 すると若葉はさっと顔を持ち上げて俺を見る。

 

「おおおお、お前っ⁉」

 

 泣いていたのを見られたからか、それとも更衣室に俺がいたからかわからないが、動揺を隠せないまま真っ赤に泣き晴らした顔で後退った。

 

「な、なんでこんなところにいるんだ⁉ 女の着替えを堂々と覗きにやってきたのか、この変態め!」

 

 どうやら後者だったようだ。

 特に問題がなければ俺は慌てふためいて平謝りするべきだろう。

 問題がなければ。

 俺は濡れた裾を見ながら尋ねた。

 

「どうしたんだ?」

 

「…………なんでも、ない」

 

 ぷい、と顔を背けた若葉のマシュマロのような両頬を親指と人差し指で挟む。

 

「そんなこと言われたら余計気になるだろ。気になりすぎて朝も起きられないぞ、俺」

 

「あははおひほうな⁉」

 

 挟まれたままの若葉の言葉はいまいちわからなかったが、おそらくツッコミを入れられたのはわかる。

 一瞬だけ活力が戻った若葉だが、すぐにしゅんと、大人しくなった。

 俺は手を離し、次に壁のスイッチを押してでんとうの明かりをつけた。

 二十五歳だが、まだどこか少女らしい幼さを随所に残した顔立ち。

 世間では若葉は『凛々しくてカッコいい女性』、『いつでも冷静沈着』、『憧れの女性ぶっちぎりのナンバーワン』など、百人が評すれば万人が頷くすごい人物だ。

 しかしそんな評判とは打って変わった真逆の様子を知っているのは、上里様と俺だけ。

 幾ばくかの時間が流れた後、ぽつりと若葉は話し始めた。

 

「……演舞が終わった後、おばあさんたちから色々と話を聞いてな。歳を重ねるごとに、昔からの親友を亡くしていって辛いって……。それを聞いたとき、ふと我に返ったんだ」

 

 ……ああ、なんとなく予想がついてしまった。

 俺はただ「うん」とだけ頷き、続きを促す。

 

「私はいったい、何をしているのだろうって。ひなたが大赦を掌握してからずっと、私は大赦のため、四国のためにこの身を捧げてきた。これが正しい行いだと確信はしているのだが、何か、他に私にやるべきことがあるんじゃないかと思ったんだ」

 

 俺はもう一度頷く。

 

「それでさっきからずっと考えていたのだが……わからないんだ。でもなぜか無性に寂しくて……悲しくて……自分でもよくわからなくなって……気づいたら……うん」

 

「そっか」

 

 肯定もせず、否定もせず、話の邪魔もせず、すっきりしたかどうかはわからないが、とにかく若葉が話し終えるのをただ待った。

 そして再び俯いた若葉を、俺はそっと胸に抱き寄せた。

 

「ぁ」

 

 蚊の鳴くような声を漏らした若葉を、さらに一層強く抱きしめた俺は耳元で囁いた。

 

「泣くほどってことは、それほど大切なことなんだろう?」

 

「……たぶん。でも、変に思い込みすぎているだけなのかもしれない」

 

 俺には、若葉の悩みの答えに心当たりがある……ような気がする。違ったらそれは黒歴史ものだが、まあ、面白い思い出話の一つにもなるだろうと俺は話し始めた。

 

「あの、さ。なんで若葉は……俺と付き合おうと思ったんだ?」

 

「は、はあ⁉ どうして今そんな話をするんだ⁉ なんだ⁉ 私を辱めたいのか⁉」

 

 少し若葉を怒らせてしまったようだ。バッ! と俺の手を振り払って後ろに下がった若葉は訝しげな目で俺を見る。

 

「いやいや違う違う! 神樹様に誓ってそんな意図はない! ただ、今訊きたいんだよ」

 

「はあ……お前の悪いとこは、そういう突拍子のないことを突然言うところだぞ……」

 

「返す言葉もございません……」

 

 すでに泣き止んでいた若葉は、その俺の『突拍子のないこと』に対してなんだかんだ答えてくれた。

 やや間延びした「あー」や「えーとだな」といった前置きを何度か繰り返し、恥ずかしそうにしながらもついに口にする。

 

「それは……お前が私のことを大切に想っていてくれるからだ」

 

「それは上里様にも当てはまるんじゃないか?」

 

 すると若葉はしかめっ面に急変した。

 

「ああもう! 深堀りするのか⁉」

 

 しかし俺のいたって真剣な顔を見ると押し黙る。

 俺は無言で促す。

 

「その……私を不愛想な女だって言ってくれたことだ」

 

 そう、絞り出すような声で言った。

 からからに渇いた喉で続ける。

 

「誰も私にそんなことを言う奴はいなかった……ひなたですらだ。でもお前は違った。お前は、私を馬鹿正直に評した」

 

「あー」

 

 よく覚えている。

 当然若葉にすり寄ろうとする男たちはたくさんいた。しかしそのほとんどは乃木家の恩恵を受けたいという下心丸出しな者たちだらけだった。中には真剣に若葉を想っていた男もそれなりにいたらしいが、ひなたの絶対防壁を突破できずあえなく撃沈、もしくは若葉の方から別れを突き付けられた。

 それはそうだ。如何に容姿端麗、勉学優秀であろうとも、皆が皆、口をそろえて若葉をよいしょし、持ち上げようとするのだから。

 それでも乃木家の跡取りは必ず残さなければならない。

 初代勇者という肩書きは絶大で、後の数百年にわたってその効力を発揮するだろう。さらに、裏で未だ謀反を目論む神官たちに対しての抑止にもなる。

 

「あの時はそうだな……正直、お見合いばかりで気が滅入っていたよ。だってほぼ毎日知らない男と引き合わされていたんだからな。ひなたが主導じゃなかったのもあって、告白すると、あまり乗り気ではなかった」

 

 俺はお見合いが始まって結構後の方の順番だった。

 睦月家はまったく無名の家だ。これを機に大赦内での力を手に入れる手駒として俺はいいように使われた。

 襖が開けられ、初めて間近で若葉を見た時の感動たるや、小学生の頃にあれほど四苦八苦して書いていた読書感想文の原稿用紙数枚をほんの三十分足らずで埋め尽くせる自信が漲るほどだった。

 顔は小さな卵型、大きな菖蒲(しょうぶ)色の瞳が眩しいほどの光を放っている。小ぶりな鼻筋の下に、桜色の可憐な唇が愛らしい。しかしながらくっきりとした目元は流石勇者様と嘆息するほど凛々しい。

 勇者であったころ、幾度かメディアでインタビューなどが報じられていたのを見たことがあったが、当時は少女らしさがあったが今はそれを残しつつも女性らしさがより際立っているように見えた。

 ……が、いざ若葉と一日行動――デートをした俺の感想としては、最悪だった。

 こちらから話しかけてもなんだか反応が適当だし、笑ってもくれない。

 単に俺の話がつまらないという可能性は十分に考えられたが、それでも社交辞令として愛想笑いくらいしてくれたっていいのでは、と思ったが、それすらない。

 大好物だという骨付き鳥の専門店に連れて行っても特にといった感じだった。

 最悪。とにかく最悪。

 我が人生でトップ五に入るほどクソな時間を過ごす羽目になったと内心毒づいた。

 俺より前に何人もお見合いをしたのは知っているし、それで疲れたのもなんとなくわかる。それなら一旦、日を改めることだってできたはずだ。

 俺は乃木若葉という人間に抱いていた幻想が音を立てて崩れるのを聞いた。

 勇者様もやはり人間であると思い知らされると同時に、心底失望した。

 だから俺はデートの終わり際に言ってやった。

 

『あんなに好意的に接したのに……なんだ、乃木若葉はこれほど不愛想な女なのか。こんな奴と結婚したいなんて奴ら、頭がどうかしてるんじゃないか? これなら部屋でシコってる方が遥かに有意義な時間だよ』

 

 若葉のすぐ脇に上里様がいることすら度外視して、さらに睦月家の未来をどぶに投げてもいいと考えた。それほど俺は失望した。

 今思えばとんでもない言葉選びをしたと思っているが、方向性に間違いはないと確信していた。

 驚愕と悲痛に目を見開く若葉と、次に見た上里様の絶対零度の視線を無視して帰宅し、間違いなくクビと、睦月家からの追放は免れないだろうと俺はさっさと次の転職先を探した。

 

「ま、まあ言葉は悪かったと今でも思ってるぞ? 黒歴史化してるから、ふと思い出して枕に顔を埋めることは稀によくある」

 

 流石に『部屋で寝てる方が』が良かっただろう。しかしその時の俺はそこまで頭が回らないほどただただ失望していた。

 しかし若葉はそっとかぶりを振った。

 

「いや、あれでよかったんだ。あの後ひなたにも少し怒られて……それで目が覚めた。お前とお見合いをするずっと前から、私は適当だった。でも皆『良かった』って言ってたから、これでいいんだって思ってしまった」

 

 その後、改めて若葉の方からお見合いの申し込みがあった。

 実は根に持っていて、会った途端生大刀で斬り捨てられるんじゃないかと死を悟って遺言を用意しようと思っていた。

 しかし、そんなことはしないと添えられていたから内心警戒しながらもう一度お見合いをしようと覚悟を決めて大赦に赴いた。

 再び会った若葉は見違えるほどキリッとした面持ちで、俺を見るや否や、深く頭を下げて謝罪した。

 

『この前はすまなかった。私の態度があなたを不快にさせてしまったこと、深くお詫びする』

 

 俺は即座に『頭を上げてください』などとは言わなかった。目上の人が頭を下げることがどれほどのことか俺だってわかっている。

 だからといって、少し頭を下げたくらいで許すつもりは毛頭なかった。

 たっぷり一分ほど姿勢を固めた若葉を見下ろし、俺は問うた。

 

『それは本心からの言葉ですか? 上里様に諭されたから謝っているだけではありませんか?』

 

 僅かに身体を震わせた若葉は頭を下げたままの姿勢で答えた。

 

『それももちろんある。しかし、あなたとの一日を振り返って、どれほど私の態度が悪かったのかはよく理解したつもりだ。言葉で言ってもちゃんと謝罪が伝わらないのはわかっている。だから……だ、だから』

 

 すると、許可していないはずなのに若葉は勝手に頭を上げた。

 俺はそれを咎めることはしなかった。なぜなら、若葉の顔が真っ赤なトマト色になっていたからだ。

 何度か口をモゴモゴさせると、片手を差し出しながらようやく続きに言葉を発した。

 

『わ、私ともう一度……デ、デートを……してくれな……してくれませんか?』

 

 今までずっと受け身だった若葉が逆に誘うというのは、ずっと勇気がいるものなのだろう。

 俺はぽかんと口を開ける。

 不意に目が合うと、若葉はきゅうう、と強く目を瞑ってしまった。

 しかし手は差し出されたままだ。

 俺はそれがなんだか面白くて、可愛らしくて、ついぷひゅ、と小さく笑ってしまった。

 そして若葉の細くしなやかな白い手を取り、

 

『はい、こちらこそ改めてお願いします』

 

 と優しく答えたのだった。

 

 その後のことは今でも鮮明に覚えている。

 少し口下手ではあったが、俺を知ろうとたくさん話してくれた。俺も逆に若葉のことをもっと知りたいと思って言葉を交わした。

 俺の『突拍子のないことを突然言う』悪癖が何度も出てその度にツッコまれたが、それはそれで楽しかった。

 

「これでいいだろう! 私が話したんだから、次はお前の番だ! さあ、私のどこに惚れたのか余すことなく言ってみろ!」

 

 先生に解答するよう指名され、無事解答してみせた生徒のように安堵と優越感の滲むサムズアップをする。俺にも恥ずかしがってほしいのだろう、若葉がさあさあと催促してくる。

 少し、いじわるをしてやろうという子供じみた出来心が湧き上がった。

 俺は食い入るように若葉を見詰めた。

 

「超綺麗なそのブロンズヘアが好きだ。宝石のような紫の瞳に吸い込まれそう」

 

「は⁉」

 

「若葉のカッコいい声なんて目覚ましのアラームにしてみろ、俺は一秒未満で起きられる自信がある。ぜひ四国中にこの効能を布教したいところだ」

 

「ちょっ! お前、何言ってるんだ⁉」

 

「すらっとした手足に、色白の肌なんてもうヤバい。語彙力が低下するほど、ヤバい。うん、ヤバい」

 

「や、やめろぉ!」

 

「一見真面目だけど、よくよく見たら抜けまくってるギャップってやつがとてもいい。可愛い。好き」

 

「もういい! もういいから!」

 

「刺客から俺を毎度毎度助けてくれる時とか、もし俺が女だったら間違いなく白馬に乗った王子様案件だ。かっこいい。好き」

 

「うあ、あああ――……!!」

 

「どうした? まだ序の口だぜ? この程度で音を上げてもらっては困る。せめてあと六時間もらえないととても語り尽くせない」

 

 流暢に溢れ出す若葉の好きなところ。

 しかしそれを遮って若葉は声を荒げる。

 

「お前……私で遊んでるな⁉」

 

 恥ずかしさで卒倒しそうな若葉が俺の胸をポカポカと叩くが、痛くも痒くもない。もし本気で叩かれていたら俺の肋骨はたった数発で召されていただろう。

 十分反応を楽しめたからとりあえずこのあたりで切り上げるとして、俺は低く呟いた。

 

「若葉」

 

「なんだ?」

 

「俺はお前の良いところ、悪いところもひっくるめて若葉って存在が丸ごと好きだ。幸せになってほしいんだ。昔、どれだけ辛い思いをしたのか俺には理解しきれないけど、せめてこれからはたくさん幸せを感じてほしい。若葉に足りていないのは、幸せだと……俺は思う」

 

「…………」

 

 若葉はぴくりと眉を震わせると、伏せ目になった。

 少し、踏み込んだ言葉であることは十分に理解している。若葉は友である勇者たち全員を戦闘で失っている。

 年月は経っているが、それでも癒えない心。俺と出会うずっと前から少しでも癒やしてやりたい……という願いがある。

 大赦に籍を置いてからの若葉は毎日が大忙しだった。それは誰もが知っている。

 自分の時間を確保することなんて俺より遥かに難しいだろう。

 ゆっくりと若葉が顔を持ち上げた。

 

「そうだろうか……?」

 

 俺は喉を鳴らす。

 

「俺はそう思う。若葉が違うっていうのなら違うんだろうけど。そしてもれなくこの記憶は黒歴史にカテゴライズされる」

 

「なんかお前、よく黒歴史つくってないか?」

 

「男ってのは、しょっちゅう黒歴史を生む馬鹿な生き物なんだよ」

 

 全身を硬くした若葉を俺は抱き寄せる。

 抵抗はなかった。

 あらん限りの力で細い身体を抱き締めた。俺よりずっと力の強い若葉だが、完全に俺に身体を預けてくれる。

 両腕をわずかに緩めることなく、言った。

 

「幸せになってほしい。ただそれだけのために、俺は若葉にすべてを捧げる」

 

 こつん、と額を合わせる。

 若葉は震える吐息を漏らし囁き返した。

 

「……ありがとう。私もお前と一緒に幸せになりたい。そのために、私のすべてを捧げる」

 

 そう言うと、若葉の方から俺の唇を奪いにきた。

 柔らかい唇。触れ合う唇。

 互いに初めての口づけ。

 ファーストキスの味はレモン味だとかよく言われているがそんなことはなかった。

 熱くて蕩けそうな、命の味がした。

 互いの身体が密着し、若葉の甘くて良い匂いが鼻腔を撫でる。

 心と心がゆっくりと溶けて……混ざる。

 俺は皆の勇者ではない。

 終末戦争の時に何もしなかった凡人、それが俺だ。

 だから俺は遅れながら勇者になる。

 皆のためではない。

 俺は乃木若葉という女性のための――。

 

 ◆

 

 いや、いいや、違う!

 この程度(・・・・)で負けてどうする!

 上里様の放つこれは間違いなく本物の殺気だ。覚悟の決まっていない状態でこれを向けられていたら俺はあっという間に弱気になっていた。

 しかしこの殺気を向けられてなお正気を保っていられるのは……そう、誓いがあるからだ。

 若葉を幸せにすると言った。ならば、それを実現してやるのが男というもの。大赦のトップだろうが幼馴染だろうが、俺はその障害を踏破しなければならないのだ。

 そうだろう、若葉!

 俺は負けじと上里様を睨みつける。

 

「――俺はあんたの想いを踏みにじってなんてない」

 

 立ち上がる。

 見下ろす。

 俺はあんたに言い負かせられないぞと意志のこもった視線で見下ろす。

 上里様は俺を見上げる。

 毅然とした態度は俺も上里様も変わらない。

 

「では、睦月さんは何がしたいのですか?」

 

 透き通った瞳はまるで俺を真に値踏みするかのようだ。同時にこの回答をもって結論を出すだろうと漠然とした予感が脳裏を過ぎる。

 だからここで的外れなことを言ってはならない。

 さっきも考えた通り、変に言い繕おうとすれば即座に看破される。 俺は別にそれを回避できる程話術が優れているわけではない。

 ゆえに、馬鹿正直に述べるべきなのだ。

 俺は、あらん限りの勇気を振り絞って、叫ぶようにして答えた。

 

「俺は若葉を幸せにしたい!! 下心はある。独占欲だってもちろんある! あんなに素晴らしい女性に魅力を感じない男は不能としか思えない!!」

 

「は、はあ?」

 

「――そして俺は、若葉にとっての勇者になる。若葉と一緒に生きて、隣で喜びと悲しみを分かち合いたい。それで、俺のことも幸せにしてほしい」

 

 呆れ九割といったところか。

 上里様は豆鉄砲を食らったような顔で呆然と俺を見詰める。

 これが俺の想いを極限まで押し込めた言葉の羅列。本当ならもっともっと想いの丈を語りたいところだが、それはまた違うような気がする。

 もしこれで「それでも駄目です」と言われたら、俺は既成事実でも作ってやる気概でいる。

 それを若葉が了承してくれるかはまた別の話だが、その時はその時だ。

 握った掌が汗ばんでいて、少し気持ち悪い。

 まるで地震が起こったかのように緊張で視界が小刻みに震える。飲み込む唾が妙に喉に粘つく。

 ああ。

 俺は……極限まで緊張しているのか。

 心臓が短い周期で激しく脈打っているのが胸に手を当てなくてもわかる。

 命の危険を感じたとき以上の緊張。

 これほどにも、俺は必死になっているのだ。

 たっぷり時間が過ぎた後、上里様は呆れ顔で「はあ〜」と長く嘆息した。

 駄目だったか……?

 と俺は眉間に皺を寄せた。

 確かに無礼な物言いがたくさんあったし、それが悪かったか……。

 しかし上里様はどうしてか、俺から視線を反らし、部屋の隅のほうに置かれているクローゼットを見やった。

 丁寧な所作で立ち上がった上里様はクローゼットに近づき、取っ手に触れた。

 

「……らしいですよ、若葉ちゃん」

 

 扉を開くと、そこにはやや窮屈そうに身体を押し込まれている若葉の姿があった。

 上里様の手を借りて出てきた若葉の顔はこれまで見たことのないくらい真っ赤だ。

 目が合う。

 その瞬間、これまでのやり取りをすべて聞かれていたことを理解し、俺は即座にこの一幕を黒歴史に認定した。

 きっと俺の顔も若葉と同じように真っ赤になっていることだろう。

 恥ずかしい。恥ずか死ぬ。

 口を横一文字に結んだ若葉は、同じように口を結ぶ俺の横に座った。

 

「申し訳ありません、睦月さん。試すような真似をしてしまって」

 

 そう上里様は軽く頭を下げて俺に謝罪した。

 

「い、いえ、こちらこそなんか、なんかあれ、あれです。失礼なこと、いろいろ……すんません」

 

 曖昧な謝罪を返した俺はへなへなと力なく座り込む。

 今すぐここから消えてしまいたいという激しい衝動に駆られているのだが、なんとか理性でそれを抑え込むことができている。

 

「少し脅し口調になってしまいましたが、それでも()に歯向かおうとする反骨心……見上げたものでした。綺麗事を並べるだけの殿方ならいくらでもいますからね。だからこそ、男らしい欲望を素直に口にされたのは驚きこそあれ、好ましかったです」

 

 すらすらと評する上里様の声は、俺の耳にはほとんど聞こえていなかった。

 ただ極限なく込み上がる恥ずかしさをどうにかしたいとばかり願っていた。

 

「……認めましょう。どうか、若葉ちゃんをお願いします」

 

 そう言って。

 頭を下げられたところで俺は我に返った。

 この場は、俺の一世一代の大勝負の場であると同時に。

 上里様、そして若葉にとっても人生を大きく左右する局面でもあるのだ。

 ……少し、自己中心的になっていた。

 両頬を叩き、身を引き締めた俺は誠意をもって答えるべく表情を改める。

 この瞬間、唇が震え、自分の喉――あるいは魂から音が零れ出るのを聞いた。

 

「任されました」

 

 ごくごく微かだが、力強い声が密かに空気を揺らした。

 少し情けないほど小さな声に上里様はくすりと笑うと、

 

「はい。――では、少し私は席を外しますね」

 

 とだけ言い残し、若葉にウインクをして部屋を出ていってしまった。

 後には俺と若葉だけが残された。

 お膳立てしてくれたのは嬉しいのだが、どう話を切り出せばいいのかわからない。

 ちらりと盗み見るように若葉を見ると、まだ顔を真っ赤にして下に俯いている。

 いやいや、ここは男としてリードをしてやらねば……。

 俺は少し上擦った声で、愛する女性の名を呼んだ。

 

「……若葉」

 

「うわああああああああ⁉」

 

 すると、あの初代勇者の凛々しさなんてどこかへ吹き飛んだかのような、俺以上に情けない声で叫ぶとその場でゴロゴロと転がり始めた。

 

「お、おい落ち着けよ……」

 

 手を伸ばして動きを止めようとするが、その勢いたるや凄まじい。

 

「これが落ち着いてられるかぁ⁉ あんな、あんなことを言われて――!」

 

 しかし、しだいに転がる勢いが弱まっていき、ついに動きを止める。

 

「嬉しくないわけ、ないだろう……!」

 

「――――」

 

 その瞬間。

 俺は、胸のうちでずっと長い間抱えていた想いが、轟音とともに激しく爆発する音を聞いた。

 どろりと頭のてっぺんから指の先まで熱い感情が染み渡っていくのを感じる。

 そしてその感情に導かれるままに、俺は牢固とした口調で言った。

 

「若葉。俺と結婚してください」

 

 若葉の瞳が大きく見開かれ、鋭く息を呑む。

 きらめく瞳を俺にじっと向ける。

 俺のこのキザな言葉は、普通ならば流れるように黒歴史になって蓋をされることだろう。

 しかし、この記憶ばかりはそんなことにはならない。

 

「……はい」

 

 そっと頷き、頬に一筋の涙が流れる若葉が俺に見せた極上の微笑みを、生涯忘れるはずがないのだから。




次のテーマは決まっていますのでお楽しみに!
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