ピ、ピ、ピ、ピ……。
無機質な電子音が朝を告げ、今日も一日が始まる。
かぶっていた布団をたたみながら起き上がり、窓を開けると少し冷たい風が頬を撫でる。
万歳をするように伸びをして、まだぼんやりとしている頭を目覚めさせた。
「よし、今日も張り切っていってみよう!」
キッチンに立ち、朝ご飯とお弁当の支度を始める。お弁当を用意するようになったのはこの春、高校に進学してからだからまだ慣れない。油断しているとうっかり遅刻してしまうことになる。
とりあえず先に三人分の朝ご飯の支度を終わらせて、テーブルに運んでいると、
「おはよう七海。今日もおいしそうな朝ご飯だね」
お父さんが起きてきた。
「うん、おはようお父さん。もう準備できるからね」
そう言いながら準備を進めていく。
最後に全員分のお箸を出したところで我が家最後の一人が顔を出した。
「おはよう。ごめんね七海、手伝えなくて。ちょっと寝坊しちゃった」
「大丈夫だよ。おはよう、お母さん」
こうして、わたしの一日は始まる。
わたしの家はごく普通の三人家族。たまに喧嘩なんかもしたりはするけど、お父さんもお母さんも優しくて大好きだ。
わたし自身も特に変わりはない普通の女の子。……若干のオタク趣味はあるかもだけど。
ほかにわたしの説明をするのなら、最近高校に入学した高校一年生である、ということぐらいだろうか。
特筆することのない普通の高校。家からほどほどの距離をわたしは歩いて通学している。
学力レベルは並み。部活動も目立って優秀な成果を上げているところはなかったはずだ。個人的に頑張ってもらいたい部はあるけれど。
そんな高校を志望したのには、はっきりとした理由がある。
大好きな人を追いかけるためだ。
わたしより一つ年上の彼は、当然私より一年早く進学した。
近所に住んでいて、親同士の仲もよく、小さいころから兄妹のように一緒にいた。
いつの間にかしなくなってたけれど、昔は彼のことを〝お兄ちゃん〟なんて呼んだこともあった。
気づいた時には男の人として好きになっていて、でも関係を壊すのが怖くて踏み出せなくて、ずっと「ただ近くにいる」状態が続いていた。
けれど、それも今は変わった。
彼の中学卒業のタイミングで、今までのように会えなくなる、誰かに取られてしまう、そんな不安から一歩踏み出した。
その前と後で、正直わたしたちの関係は何も変わらなかった。
それでも、〝恋人〟という名前をつけられたこの関係を、わたしはとても愛おしく思っている。
学校の校門をくぐると、ちょうど予鈴が鳴った。
いつも通りの時間。あとはこのまま歩いていれば……、
「おはよう七海」
「おはよう、七海ちゃん」
後ろから追いついてくる声が二つ。
「おはよう暁君。周防先輩もおはようございます」
西行暁。
この人がわたしの恋人。
わたしの一番大切な人。
この人のことを追いかけてこの高校まで来たのだ。
暁君はサッカー部に所属していて、今日も朝練に参加していた。周防先輩は暁君のお友達で、同じくサッカー部に所属している。
今は朝練を終えて、部室棟から教室に向かうところだ。もうすでに練習着から制服に着替えている。
いつもこのタイミングで歩いていると会えることをわたしは既に学んでいた。
「朝練お疲れ様、暁君。今日もお弁当作ってきてるから一緒に食べようね」
「ああ、ありがとう。毎日悪いな」
「わたしが好きでやってるんだからいいの」
わたしと暁君が話していると、周防先輩が話に加わってくる。
「いいよね暁は。毎日毎日彼女の手作り弁当が食べられてさ」
「ありがたいことにな」
「全く、わざわざ高校まで追いかけてきてくれる恋人だなんて羨ましいものだね。毎朝見せつけられるこっちの身にもなってほしいよ」
「ならわざわざ練習後に一緒に教室向かわなくてもいいんだぞ?」
「そうは言っても、練習終わったらいの一番に身支度整えて教室向かうのは暁じゃないか。七海ちゃんと会えるようにって。僕だって早く教室に着いて、朝のおやつのおにぎりを食べたいんだから仕方ないんだよ。練習のあとはお腹が減るからね」
「あれはおやつとかいうレベルじゃない気がするが……」
「それに、同じ教室に行くのにわざわざ別行動してたら、まるで僕と暁の仲が悪いみたいじゃないか」
最後にわたしの方を向いて、もちろんと付け加える。
「もちろん、僕がお邪魔虫だって言うなら空気を読んで退散するけどね」
「いえいえそんな、邪魔だなんて。暁君が周防先輩とお喋りしているのを聞くのも好きですよ、わたし」
「いい子だねー、七海ちゃんは。本当、暁が羨ましいものだ。そうだ、聞いてよ七海ちゃん。今朝はさ、暁、練習中にドジっちゃってさ——」
「恭平。その話はいいだろ」
「えー、わたしその話気になるなー」
「いいから。ほら、もう昇降口についたぞ。七海、あとでな」
「もう、ばいばい、あとでね暁君」
昇降口からは学年が違うわたしたちは分かれることになる。
こういう時に周防先輩が羨ましいと思う。正確には周防先輩だけでなく、二年生の人たちが。
わたしも同じ学年だったならもっと一緒にいられただろうし、こんな寂しい気持ちにもならなかったのだろう。
わたしが一つ年下だから、わたしたちには超えられない距離を感じた。
そんなものないとわかっていても、そう考えてしまうわたしがいた。
そういえば、こんなこと考えるのは、この気持ちを暁君に伝えるかどうか悩んだ時以来だな。
あの時はひとしきり悩んだ。
この気持ちを伝えたら離れていく暁君をつなぎ留めることができるかもしれない。
逆に、拒絶されたらもうわたしたちの間に「昔仲が良かった」以上のものは望めない。
暁君がわたしのことをどう思っているのかがわからない。
わたしのことなんて〝妹〟としか思っていないんじゃないかって。
結局はなんだかんだで気持ちを伝えてしまったし、それを受け入れてもらえた。
でも、その時に言われた言葉は今でも覚えている。
『七海が言わなかったら、俺から打ち明けることはなかったと思う』
『ずっと妹のように思っていたから。そう、自分に思い込ませてたから』
兄妹のように一緒にいたわたしたちは、そこを壊すのが怖かった。
兄妹のようで兄妹じゃなかったから。だから怖かったし、だからこそギリギリのところで超えることができた。
だったら、もし。
もしも、わたしたちが本当に兄妹だったらどうなってたんだろうね、〝お兄ちゃん〟。
わたしは久々に、心の中でだけど、彼のことをそう呼んだ。
お昼休みになり、わたしと暁君は校舎の屋上で落ち合っていた。
いつもは他に数グループが利用しているけれど、どうやら今日はわたしたちしかいないようだ。
「あー、つっかれたー! やっと飯だ!」
「はいどうぞ、お弁当」
「いつもありがとな」
「どういたしまして。召し上がれ」
「いただきます」
二人で壁際に腰を下ろし、膝にお弁当を載せて食べる。いつも通りの風景。
しかし、暁君の動きがなんだかぎこちない。
「暁君、動き変だよ? 怪我でもしたの?」
「いや、たいしたことじゃないんだが、朝練で膝すりむいてな」
「ああ、今朝周防先輩が言おうとしてたのはそのこと?」
「まあな。本当たいした怪我じゃないから心配はいらないぞ」
「ならいいけど」
そう言ってわたしは自分の弁当をあむっと一口食べる。
「もしわたしがアストラル使いだったら、治癒能力者になって、そんな怪我すぐに治してあげられるのになー」
「それなら俺は怪力の能力者がいいかな。そうすれば競り合いで負けてこんな怪我しないで済んだし」
「あんまり乱暴なのはわたし嫌だよ?」
「んー、じゃあ瞬間記憶能力がいいかな。見たものをパッと覚えられたらテストで満点取り放題だ」
「能力の悪用はいけません。ちゃんとテストは自分の実力で受けなきゃ」
「わかってるよ。だいたい〝もしも〟の話だしな」
「実際周りで見たことないしね、アストラル使い。でも知ってそうな人なら知ってるかな」
「ああ、在原のオッサンな。あの人何の仕事してるのかわからないから、怪しすぎんだよなー」
暁君の言う〝在原のオッサン〟とは以前ちょっとしたことでお世話になったことのある職種不明の男性だ。街で会えば挨拶してくれるしご飯をご馳走してくれたりする。とだけ言えばめちゃくちゃに怪しさ満点なんだけど、わたしも暁君も妙にあの人には気を許してしまっている節がある。なぜだろうか。
「まああのオッサンのことはどうでもいいや」
暁君はそう言って話を打ち切る。
「なんか七海、元気なくないか? なにか悩み事か? 話くらい聞くぞ」
今朝からちょっと元気がないのを見抜かれている。
それもこれも、学年が同じならなかった悩みなのに。
学年が同じで、あわよくばクラスまで同じになれたらなにも屋上の堅い床の上でご飯を食べなくても済むのだ。
それこそ教室で机を向かい合わせてみんなに見せつけるようにお弁当を食べればいい。
ただ、現状さすがにクラスどころか学年が違う教室で食べるのは、心理的ハードルが高すぎる。
本当は教室での暁君の様子も知りたいのに。
だからこそ、周防先輩の存在はありがたい。これからも情報リークお願いします。
それはそれとして。
「暁君、高校入ってから妙に女の子と仲いいよね?」
「そうか?」
「そうだよ、去年文化祭に学校見学を兼ねて遊びに来た時には、すごく驚いたんだから。すごくきれいでかわいくてスタイル良くて今や学生会長も務める才色兼備のあやせ先輩に、黒髪ロング和風美人の二条院先輩、年上の余裕…というかすごく大きくて大人の余裕を醸し出す式部先輩。あんなにかわいい人たちに囲まれて何なの? ギャルゲの主人公なの⁉ ……あとそれに周防先輩も」
「それは……、それぞれいろいろあって仲良くなったんだ。ギャルゲとか言うな。あと恭平は男だ何言ってんだ」
「最近じゃ、わたしの親友とも仲良くなろうとしてるし……。なに? 同級生も先輩も攻略したから次は隠しキャラの後輩を落とそうってつもりなの⁉」
「壬生さんと話すのは主にお前のことだぞ。なんだよ隠しキャラって。あの子全然隠れてるタイプじゃないだろ、切り込み隊長レベルのコミュ力お化けだろ」
「うん……、だからわたしとも仲良くなってくれたんだけどね」
わたしは割と人見知りするタイプだから、入学式の日から積極的に話しかけてくれた千咲ちゃんには本当に感謝している。
「というか、悩みってそれじゃないだろ」
「……バレた?」
「バレるよ、わかるよ。ずっと一緒にいたんだ。そのくらいはな」
「別に今のだって全くの嘘ってわけじゃないからね。彼女として、彼氏の女性関係はいつでも心配しています。わかってるの?」
「別にやましい心当たりはないけど気をつけます……」
「それで? 本当はなにを悩んでいたんだ?」
話を流すことなく、暁君は追求する。
まあ、いいか。別に隠すことじゃないし、その辺りどう思っているのか気になる。
「もし。……もしさ、わたしたち本当に兄妹だったらさ、わたしたちはどうなってたんだろうね、〝お兄ちゃん〟」
わたしは語りだす。
「本当に兄妹で、それでもこの気持ちを持っちゃって。そうしたらやっぱり怖くて踏み出せなかったのかな。ずっと兄妹やってたのかな」
こんな〝もしも〟の話をしても意味がないのはわたしだってわかっている。
でも本当にお兄ちゃんみたいに思って育ってきたからどうしても〝もしも〟の可能性を考えたら怖くなる。
「七海にお兄ちゃんって呼ばれるのも随分と久しぶりだな」
暁君は独り言のようにぼそっと呟いた。
くだらない話をして面倒に思っちゃったかなと不安になる。
「もしも、ね」
今度はちゃんとわたしに聞かせるように言い、立ち上がる。
わたしがそのまま黙って暁君を見ていると、当の本人は気楽そうに伸びをしてから振り向いた。
「そんときには、俺はきっとシスコンになっているだろうな」
「……え?」
「俺はまた自分自身でその気持ちを隠すかもしれない。でも、ずっと隠しきるのは多分無理だ」
「それって」
「〝もしも〟俺が本当に七海の兄貴になってたらな、それでも絶対に『最高のお兄ちゃん』『お兄ちゃん大好き』『お兄ちゃんがシスコンでよかった』って言わせてやるよ。そしてお前に手を伸ばす」
暁君はわたしの目を見つめながら手を差し出す。
「だから、その時にはまたこの手を取ってくれるか?」
まっすぐに差し出された手。今まで何度も繋いできた手。
そこに暁君の手があるなら、その手を取らない選択なんてあり得ない。
暁君の目を見つめ返しながらわたしは自分の顔が緩むのを抑えられないまま答える。
「うん、喜んで!」
握った手がわたしを勢いよく引っ張り上げてそのまま暁君の胸に落ちる。
「大好きだ、七海」
「私も大好きだよ、暁君」
少しの間、お互いの気が済むまでギュッとしたままでいた。
暁君の暖かさがわたしの中に溶け込んでいく。
今、この場に他の人がいなくてよかった。この時間は、この瞬間は、この人は、全部わたしだけのものだから。
そして腕を緩め、体を離した暁君が言う。
「でも妹だと色々ハードルが高そうだから、義妹くらいだと周りの説得が楽かな」
「暁君、やっぱりギャルゲ意識してない?」
この人とならきっと二人の出会いがどんな関係だったとしても、たどり着くゴールは変わらないな。なんて思いながらお弁当の片づけを始めた。
絶対に繋いだこの手を、わたしたちは離さない。
エイプリルフールネタです。
書き始め当初のタイトルは「もし二人が兄妹じゃなかったら」でしたが最終的にこうなりました。
このIFでは二人は兄弟ではありません。
二人や周りの人はアストラル能力を持ってませんが、この世界には普通に存在します。
在原のオッサンもおそらくは特班で働いてます。ただの怪しい人じゃないよ。
また、IFのご都合設定によりあやせたちもアストラル能力は持ってませんし、なぜか橘花学園でもないのに同じ高校にいます。
あと、七海も暁も温かい家庭ですくすく健康に育ってきました。
ついでに言うと暁がサッカー部所属なのはやなやがサッカーしかまともにやったことないからです。他に意味などありません。他の種目は体育くらいでしか知りません。
まあ結局何が言いたいかというと、七海と暁はどんな関係でもイチャラブしていてほしいってことです。
今回は七海が落ち込んでいてできませんでしたが、お弁当食べる度にあーんはマストです。