「はい……はい。わかりました。その件に関してはこちらから話を通しておきます」
「ありがとうございます! やっぱり三司さんは頼りになりますね」
「良いですよこれくらい。この手の話は学生会長の立場から進めた方がなにかとスムーズでしょうから。それより当日の進行についてですが……」
「あ、はい。それについては抜かりありません。競技スケジュールから設備の点検、関係各所への連絡も済んでいます。実行委員以外で係として各クラスに依頼した手伝いの人選も決定しましたし」
「ああ、そういえばうちのクラスでも係決めをやってたみたいですね。ちょうどその時は学生会長の仕事で抜けていたので詳しくはわからないですけど。そもそも私は学生会長ということでその人選自体を免除されていましたし」
「仕方ありませんよ。会長はただでさえ忙しいんですから。それに係でこそないものの、こうやって準備を手伝ってもらってるんですから」
「私だって楽しみにしているんです。協力は惜しみませんよ。当日は……いいえ、当日までの準備も含めて色々大変なことはあるでしょうが頑張りましょうね、実行委員長」
「はい、任せてください。絶対に大成功させて見せます。この体育祭を!」
「ふふ、頼もしい限りです」
「あ、それで三司さん。かなり心苦しい……いえ、胸の苦しいお願いがあるのですが……」
「はい、なんでしょう。私にできることなら」
「胸を潰してほしいんです」
「………………は?」
「胸を、平らにしてほしいんです!」
「…………………………あ゛あ゛?」
「どうして! 自分で盛った胸を! 自分で潰さなきゃならないのよ!!!」
「……うわぁ」
「おいそこ、珍しく余計なこと言わないと思ったらものすごく気の毒なものを見る目で私を見るのをやめろぉ!」
「…………」
「無言で目を背けるなぁ!」
「もうどうしろと」
「めんどくさそうな顔しないで……。私だってもうどうしたらいいのかわからないんだから」
「もう一度話を聞かせてもらっていいか? 『胸を潰す』のインパクトが強すぎて他のことが頭から抜け落ちてしまった」
「ピンポイントでそこだけ覚えてるんじゃないわよ。……はぁ。もう一度言うから、今度こそちゃんと聞いてよね」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ですから、胸を平らに潰してほしいんです」
「いえ、聞こえなかったわけじゃなくてですね。言葉の意味が分からないと言いますか……」
「あ、すみません。つい気が逸ってしまって。体育祭当日のプログラム、午後の部一番に『応援合戦』があるじゃないですか」
「ええ、紅組白組それぞれの応援と、赤白合同で行う全体応援ですよね」
「そうですそうです。その全体応援なんですけど、ぜひ応援団長を三司さん、いえ、学生会長にやっていただきたいなと」
「えっ、私ですか⁉」
「はい。色別の団長はともかく、全体の団長ともなると学生会長である三司さんにやってもらいたいんです。というか正直他の方に務まるとも思えません」
「いやいや、別に新しく三人目の団長を立てなくても、紅組と白組の団長たちに二人でやってもらえばいいじゃないですか。例年そうでしたよね、確か」
「……まあ、妥当なご意見ですね」
「でしょう?」
「だが断る!」
「な⁉ え? あなたそんなキャラでしたっけ、実行委員長?」
「こと、このお願いに関してキャラを隠している場合ではないのです! 私の願いはただ一つ! 学院のアイドル、三司あやせに応援団長をやってもらうこと! そしてその際に学ラン衣装を着てもらうことなんです!」
「え」
「学ラン衣装の三司あやせをこの目に焼き付けるためだけに、私は体育祭実行委員長にまでなって今回の激務をこなしているのです!」
「えー」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「なるほどわからん」
「でしょうね。正直なところ真正面から言われた私だって、理解するのに時間がかかったわ」
「つまりは三司さんに学ランのコスプレさせるためだけに実行委員長にまでなったのか? その生徒は」
「……コスプレって言わないでほしいんだけど、どうやらそうみたいね。そしてその完成度をあげるために……」
「胸を平らに潰してほしい、と」
「ええ。正直相手が男子だったら訴えていたわ。あの子、あの熱量をよく今まで隠していられたわね……。それにしてもどうしよう。自分で盛って自分で潰すとかどんなマッチポンプよ……」
「そんなに思い詰めるくらいなら断ってもいいんじゃないか? 学生会長だからって何でもしなくちゃいけないわけじゃないだんだろ」
「それはだめ。お願いであって強制されているわけじゃないけど、やらなきゃいけないの」
「どうして」
「……体育祭実行委員の人たちには本当によく頑張ってもらってるわ。星幽発表祭と違って一般公開もアストラル技術も関係ない体育祭に学院側は力を入れていない。そんな中、あの人たちの主動でみんなに楽しい思い出を作ってもらえるように頑張ってるの」
三司さんはそこで少し間を取ってから付け加える。
「今年はお姉ちゃんも見る。まだ炎天下の中運動するのは危ないから見学だけだけど、お姉ちゃんは体育祭をすごく楽しみにしてるの。だから、この体育祭はなにがなんでも成功させたい。そして、楽しい体育祭を作ってくれる人たちに返せる恩があるなら、私は全力で報いたい」
そんな、まっすぐで純真な言葉に三司さんの葛藤を理解する。
「……そうか。なるほどな。それは是が非でも頑張らなくちゃいけないな」
「そうなの。だからたとえ辛くても、心が全力で拒んでも、私は最後までやり通すの」
「そこまでの覚悟があるなら頑張ってくれ。俺もできることは協力するからさ」
三司さんの覚悟を聞いて俺の口から、気が付けばそんな言葉が飛び出ていた。
「……本当?」
「ああ、本当だ」
「漢に二言は?」
「二言はない」
「手伝ってくれるの?」
「任せろ。……あ、いや」
やけに確認を重ねる三司さんに嫌な予感がして止めようとしたがもう遅かった。
三司さんは上目づかいでまるで甘えてくるかのような表情から一転、罠に獲物が掛かった狩猟者のようににやりと笑うと、拳を振り上げて高らかに宣言する。
「………………っしゃーー! 言質取った! 労働力ゲット!」
「……は?」
「あー助かった。実際参ってたのよね。学生会長としての日常業務に加えて体育祭の手伝いとか、さすがに身がもたなかったから」
「嵌めたな?」
「なんのことでしょう? お手伝いの申し出、ありがたく受け取ります。頼りにしますね、在原君?」
先ほどまでの砕けた態度と打って変わって、〝学生会長〟三司あやせの鉄仮面をかぶって微笑む三司さん。
心なしか、普段の笑みよりも口角が上がって可愛らしい気がするが、今の俺にはご馳走を目の前にした捕食者にしか見えなかった。
「本当、欲しかったのよね、私専用の雑用がか……秘書的な存在が!」
「おい。今〝雑用係〟って言ったよな? 確かに言ったよな?」
「なによ、だって会長としての難しいあれこれはどっちにしろ任せられないんだから、結局は雑用係でしょ。それともなあに? 漢に二言があるっていうの?」
「……約束した以上はきちんと手伝うよ。こんなだまし討ちみたい形じゃなくて言ってくれれば素直に協力したけどな」
「う……それは悪かったわよ。お願いします、在原君。体育祭までの間でいいので私のことを支えてくれませんか?」
言葉遣いこそ〝学生会長〟モードであったが、仮面を外した素の彼女の頼みに俺は答えに躊躇う必要がなかった。
「ああ、任せてくれ。あまり難しいことはできないから、猫の手くらいに思ってほしいところだが」
「は? アナタに猫を名乗る資格があるの? 猫を名乗るならもっと可愛くしてきなさいな」
……手伝いを辞退してやろうかと割と本気で思った。
そして体育祭準備の忙しさに目を回していたらあっという間に体育祭当日がやってきた。
俺の主な仕事は、学生会長と体育祭実行委員や関係各所の連絡役だったりとか、用具運びといった力仕事がもっぱらだった。
あまり小難しい書類仕事を任されるよりはよっぽどいいが、本当に雑用係の感じが否めない。
そんな苦労を乗り越えた本日、天気は快晴。なんの不安もなく体育祭に臨める。
一応、学生会長の建前上の秘書である俺も出席した朝ミーティングもつつがなく終わり、あとは開会式を待つばかり。
係の生徒たちが持ち場に散る様子を眺めながら、俺は三司さんに声をかける。
「それじゃあ三司さん、俺はクラスの方戻るから。何かあったら遠慮なく声をかけてくれ。三司さんは開会式で学生会長として話すんだろ? 頑張ってくれ」
「………………」
「三司さん?」
「……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「おーい、三司さん? …………三司さん! 大丈夫か?」
「はっ、はい! あ、なんですか在原君。今日は頑張りましょうね」
三司さんが我に返ったように学生会長モードで慌てて返事をする。
「ああ、頑張ろう。……じゃなくて。大丈夫か? 開会式の挨拶とかそんなに緊張してるのか?」
「違うのよ、緊張しているのは挨拶じゃなくて午後の……」
「ああ、応援合戦か」
話を誰にも聞かれていないことを確認してから、三司さんが素で話す。
「そう。私は前に出て全体の音頭を取るだけだし、声を張り上げるのは紅白の団長が手伝ってくれるから内容はそう難しくないの」
「それは知ってる。俺はその練習にも立ち会ったからな」
一応仮にも秘書として。
「学ランにも袖を通してみたの。この気温だとかなり暑くて苦しいけど、まあ何とかなる範囲ね」
「それも知ってる。俺も試し着するところを見たからな」
一応仮にも秘書として。
「胸も潰してみたわ。実行委員長から借りたさらし巻いてぺったんに。体操服の上から巻くだけでいいのは助かったわ。……彼女、なんであんなの持ってるのかしら」
「それは知らない」
秘書だろうが知らないものは知らない。
「まあ、学ランコスプレを見たいなんて言うくらいだからそういうコスプレとかが好きな人なんだろ。それなら持っていても不思議はない」
「そういうものなの?」
「さあ?」
多分、我が妹を見る限りにおいては。七海もそういったものをいろいろ持っていたはずだ。
「あああああ……。それにしても本当に怖い。試着できちんと胸がつぶれてるのは確認したけど、ぺったんの状態で人前に出るのがものすごく怖い」
「その恐怖は俺には計り知れないが。でも普段の三司さんを見てる人ならそのぺったんを見ても、本体がぺったんだなんて思わないだろ。いつもの変身後を見てる人なら」
「本体とか変身後とか言うのやめてもらえます? ぶっ潰すぞ」
「悪かったって。なんの気休めにもならないが、それでもやりきるって決めたんだろ? それに琴里さんも見てるんだ。せっかく琴里さんが見学してる教室から見やすい場所で応援合戦ができるように調整したんだ。胸張っていこうぜ」
「……ありがとう。確かになんの気休めにもなってないけど、なんか勇気出てきた。不思議ね、自分でもわかってたことを言われただけなのに。アナタに手伝いを頼んで本当によかったわ」
「……」
「……アナタ今まさか、『張る胸なんかないけどな』とか思った? ちょっと、おい。こっち見なさいよ」
「……健闘を祈る」
「あコラ逃げんじゃないわよ! 今日の私の手伝いも忘れないでくださいねー!」
逃げ出した俺に向かって、わざわざ口調を変えて三司さんは釘を刺したのだった。
♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧♧
「あ、在原君。よかった。ここにいたのか」
「二条院さん」
運営の方の手伝いをしているとはいえ、当然俺にも参加種目はある。俺が参加する種目は二つ。
二人三脚と、借り物競争である。
二条院さんとは二人三脚のペアとして参加する。
「ちゃんと合流できてよかった。在原君は三司さんの手伝いなんかで忙しそうだったからな」
「いくら手伝ってると言っても、さすがに競技の方が優先だよ。実行委員の人たちも三司さんも、その辺りは大丈夫だと思うぞ」
「それもそうか。準備してくれている人たちが楽しめないのは良くないからな。それなら安心だ」
俺と二条院さんは係の誘導に従い競技の列に並ぶ。
運営側に関わっているせいか、ついついそっち側も気にしてしまうが滞りなく進んでいるようでよかった。
「さあ在原君。体調は万全か? 我ら紅組の勝利のために少しでも点を取りたいところだ」
そう、俺たちは紅組である。
クラスごとに色分けされているため、俺も二条院さんも恭平も三司さんもみんな紅組。
もっと言うと、学年の違う七海や壬生さん、茉優先輩たちも紅組らしい。
この体育祭では色の目印に頭にそれぞれの色の鉢巻を巻いている。
当然、俺と二条院さんの頭には赤色の鉢巻がなびいていた。
俺は鉢巻をしっかりと締めなおして応える。
「ああ。問題ない、ばっちりだ」
「それは良かった。やるからには狙うは一等賞だ」
「あまり練習はできてないけど、やるからには勝ちたいな」
「そこは問題ない。在原君となら勝てると思ってこの競技に決めたんだ」
「え?」
聞き間違いでなければ、二条院さんは自らこの競技に立候補したそうだ。しかもペアを俺と断定したうえで。
そういえば俺はクラスで参加種目を決めた時に、三司さんと一緒に抜けていたから、決定の経緯を知らない。
てっきり、人気のない種目に勝手に振り分けられたと思ったのだが。
「俺、種目決めの時にいなかったから知らないんだけど。二条院さんが決めたのか?」
「そうだぞ。在原君とペアを組めば勝てると思ったからな」
「なんで」
「朝、一緒に走っているだろ? お互いに相手の走り方だとかクセはわかっているはずだ。だから勝てる、とまでは言わないが他のペアに比べて有利なことは間違いない」
「なるほどな。それは確かに。練習の時に最初からちゃんと走れたのはそれが原因か」
「だから勝つぞ、在原君。他のペアを引き離して、文句なしの一番を取ろう」
「ああ、やってやろう」
そしていよいよ俺たちのレースの番。
二人の脚が離れないように、布を固く結ぶ。
ひょこひょことレーンに並んでから、肩を組む。
体操服の薄い生地越しに感じる柔らかさにどうしてもドキドキしてしまうが、上体をしっかりと固定しなければ走りづらくなってしまう。
二条院さんの方を見てみると……。
少し鼻息を荒くし、頬は紅潮している。
しかし、照れや恥じらいというものは一切感じず、ジッとゴールだけを見つめている。
完全に「入って」いた。
これは俺も気合を入れなおさないと、文字通り足を引っ張ることになりかねない。
『それでは、位置について……』
スターターの合図が聞こえる。
「ぶっちぎるぞ、二条院さん」
「もちろん。最初から全開だ」
『よーい……ドン‼』
全組一斉に飛び出す。
しかし、俺たちの前には、いや、俺たちの横にすらも人はいない。
スタートから完全に頭一つ前に出られた。
後ろからは「イチ、ニ、イチ、ニ」と掛け声が聞こえるが俺たちにはその必要すらない。
いつも一人で走る時よりも少しだけ相手の走り方を意識して……。
お互いがお互いの走りをしているから、ぴったりと鏡合わせのような走りができている。
『おおー! 紅組の一ペア、速い速い速い! 他の組を置いてきぼりにしてまだまだ加速していくーーー!』
放送実況の声が聞こえる。後ろを振り返る余裕は流石にないが、この分なら転んだりしなければ一位は確実だろう。
ラスト20m。確実に息を合わせて……。
『ゴール!!!』
俺たちは見事に一着でゴールできた。
他の組は未だゴールする気配すらない。
「やった! やったぞ在原君!」
「やったな、二条院さ——」
喜びを分かちあおうと二条院さんの方を向くと、ガバッと。
真正面から飛びつかれた。
俺の首に腕を回し、結んでいない方の脚だけでぴょんぴょんと器用に跳ねる。
大変可愛らしいが、単純に近いのと、密着しながら跳ねるせいで胸部あたりに何やら幸せな感触が……。
「やったやったやった!」
「二条院さん、わかったから、俺も嬉しいから。早くどかないと次にゴールしてくる人の邪魔になってしまう」
「ん? そうだな。移動を……」
俺の言葉に冷静になった二条院さんが動きを止める。
そして……。
超至近距離で目が合ってしまう。
至近距離というか、抱き着かれているから実際はゼロ距離である。
「な、な、な……。ワタシはなんて大胆なことを……。しかもこんな公衆の面前で! ゴメン! 在原君!」
ドン、と俺を突き放すように距離を取ろうとする二条院さん。
しかし俺たちの脚はしっかりと結ばれたままで……。
「あ、わわっ、うわ、——きゃっ」
「危ない!」
ドサ。
転びそうになる二条院さんを受け止めようとしたが、足が不自由なせいで踏ん張りがきかなかった。
俺を下にしたまま、二人で倒れる。
「いたた……。怪我はないか、二条院さん」
「……ぽー…………」
目を開けると、何やら呆けた様子の二条院さん。
形的には俺が二条院さんに押し倒されている体勢。
そしてその距離は、やっぱり近いままで。
むしろ倒れて身長差がなくなった分、顔同士の距離がさっきよりも近い。
どちらかがもう少し踏み込めば、唇と唇が触れてしまいそうな……。
「……ぽー…………」
二条院さんは変わらず呆けているし、どうしたものか。
俺が下だから、二条院さんに動いてもらわないとどうしようもないのだが。
「二条院さん、そろそろ……」
「……ぽー…………」
「二条院さん、二条院さん!」
反応のない二条院さんのことを腕の力だけで持ち上げ、少しだけ距離を確保する。
これでこれ以上の事故は起きないだろう。
「二条院さん、どいてくれ」
「……ハッ、ワタシはまた何を……。ゴメン在原君! すぐにどく。……あ、あれ? 足が、絡まって? 解けない……。って、うわ!」
立ち上がる前に足の布を解こうとした二条院さんが体勢を崩して俺の上へ。
何の因果か、ちょうど俺の顔の上に二つの禁断の果実が降り注ぐ。
「ああああああああ! ちょっ、待つんだ在原君。こんなところで何をするんだ。みんな見てる、見てるからーーー!」
「さっきから、俺は、何もしてねぇーーー!」
果実に埋もれたままの俺の声は、果たして届けたい相手に届いたのか。
それは誰にもわからない。
「たった一種目に出ただけなのにすごく疲れた……」
結局あの後、近くにいた生徒の力も借りて布を解き脱出に成功した。
全体の競技も終わり参加生徒が散り散りに去っていく中を、二条院さんは「頭を冷やしてくる」と言ってさすがの健脚でいち早く抜け出していった。
「あ、在原君。ちょっといいかい?」
「ん?」
呼ばれた声に振り向くと、ここのところの準備ですっかり顔見知りになった体育祭実行委員の男子生徒がいる。
「なんだ?」
「用度よかった。ちょっとお願いがあってさ……」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
よろよろと、段ボール箱を三つ重ねて運ぶ影がそこにはあった。
というか俺だ。
実行委員からのお願いというのは、この段ボールの移動だった。
中身が何なのかは聞いていないが、もうすでに使い終わったもので、今日はもう必要ないから校舎の中に運んでおいてほしい、と。
おかげで今は一人で配達員をやっている。
それにしてもこの段ボール、一つ一つは大した重さではないが、さすがに三つ重ねるとそれなりの重量があるし背が高くなって前が見えづらい。
落としたりぶつかったりしないように慎重に運ばなくては……。
「あれ? 先輩?」
「その声は……壬生さん?」
視界が塞がれていて姿こそ見えないが、確かに壬生さんの声が聞こえた。
「そうです。可愛い後輩ですよ……、って。先輩、ストップ! スト―ップ!」
「っ!」
壬生さんの突然の大声に、思わず立ち止まる。
「ふう。先輩、そのままちょっと屈んでくださいね。はいオーラーイ、オーラーイ。はい、一つ預かります」
そんな声と共に、視界が開け、腕が軽くなる。
三段重ねの段ボールのうち、一番上の一つを壬生さんが持ってくれたようだ。
「はい、先輩。見えますか? 目の前の光景が」
「……段差と猫耳が見えるな」
「でしょう⁉ クラスで流行ってるんです、この鉢巻猫耳。どうです? 可愛いです?」
おそらく壬生さんが指摘したいのは段差のことだが、そんなことより彼女の頭に乗っかる猫耳の方が気になる。
鉢巻をカチューシャのように頭のてっぺんの方に巻き、どういう結びかはわからないが猫耳のように小さな三角が二つ付いている。
「ああ、すごく可愛らしいよ。鉢巻でそんなことができるんだな」
「にゃーん。ありがとうございます。ちなみに七海ちゃんもやってますよ」
「そうか。あとで見てみるよ」
「あ、そんなことより! 前が見えなくなるほど抱えてると危ないですよ。せっかくの体育祭なんですから怪我なんかで台無しにしないでください」
「悪かった、気を付けるよ。ありがとう壬生さん」
猫耳をほめられて喜んだり、段差を注意して怒ったり。ころころと変わる表情が見ていて面白い。
段差のことをいうのなら、いくら前が見えないと言っても道は覚えているので把握していたし、足元の確認はしていたので転ぶこともなかったとは思うが。
それでも俺のために頬を膨らませ怒ってくれるこの可愛い後輩の善意を考えるとそんなことはどうでもよかった。
「素直でよろしいです。ご褒美にこの荷物、運ぶの手伝ってあげます」
「それは助かるけどいいのか? 壬生さんの参加種目の時間とか、あとは友達と一緒に観戦するとか」
「今ちょうど競技が終わったところだったんですよ。それに、七海ちゃんがお仕事に行っちゃったので一人で暇なんです」
「七海が仕事……? ああ、あいつ体育祭の間は救護係なんだったっけか」
「そうです。七海ちゃんのアストラル能力を貸してくれ、って実行委員の人にお願いされたみたいで」
「ふむ」
「おや、ちょっと浮かない顔ですね。何か心配事でも?」
「心配というほどではないが……。あいつは能力を使うとその分体力を消費するからな。乱用して体育祭が楽しめなくなったら困る」
「ははーん。やっぱり心配なんですね。さっすがお兄さん! でもまあ、そんなに心配はないと思いますよ。万が一大怪我してしまったり熱中症で倒れちゃった子がいた時だけ応急処置を頼みたい、って話だそうですから。ただの擦り傷だとかに能力は使わないと思います」
「そうなのか? それならいいが」
「まあ、それとは別に、体育祭として順当に疲れてはいるかもしれませんけどね」
「それはどういう?」
「さっきの競技、七海ちゃんと一緒だったんですよ。組は違いましたけど」
「へえ。なんの競技に出たんだ?」
「障害物競走です」
「あー、七海のやつ、結構どんくさいからな。無意味にバタバタしてしかも結局順位は低いって結果になってそうだ」
「さすがですね。まさにズバリです」
「やっぱりな。壬生さんは? 障害物競走どうだったんだ?」
「ふっ……聞いて驚け! なんと一着でした!」
「おお! すごいじゃないか、おめでとう!」
「あんな障害、私の前には物の数ではないんです。私のこのスリムボディの前では!」
「…………」
「ゴールしてニコニコだった私は気づいてしまったんです。順位と、体型の相関関係に……。そりゃあ七海ちゃんは順位低くて私は一番ですよ。……ふっ」
なんともコメントのしづらい話題が飛んできた。
「網の目くぐりでみんな何に引っかかっているのか不思議だったんですよね。〝何に〟じゃなくて〝何かが〟引っかかっていたんですねぇ。そりゃあ私はするするくぐれるわけですよ。引っかかるものなんて何もないですから」
「…………」
「先輩、何か言ってください。でないと私、なんだか惨めです……」
「……需要は人それぞれだから」
「あああああ! 身体測定に更衣室、プールにお風呂以外のイベントでこんな気持ちを抱くなんて……不覚!」
「……結構多いんだな、悩むイベント」
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
荷運びを手伝ってくれた壬生さんにお礼を言って別れると、俺は急いで校庭の集合場所に走った。
本当はもう少しくらい一緒にお喋りしたり観戦したりもしたかったが、俺の二つ目の参加種目がもうすぐ始まってしまう。
俺の本日二つ目の参加種目。それは、借り物競争である。
『位置について、よーい、ドン!』
スターターの合図で俺の組の計9人が一斉に走り出す。
スタート位置から少しのところに箱が置いてあって、お題を引く方式だ。
さて、俺のカードにはなんて書いてあるのか……。
『救護係』
借り『物』じゃないな。借り『者』もありなのか。
なんにせよ引いたからには借りてこなくちゃ始まらない。
幸い、救護係には七海がいるから人選には困らないし、場所は校庭に面している保健室だということはわかっている。
あとは、他の競技者よりも早く七海をゴールまで連れて行けば俺の勝ちだ。
「——ハァ、ハァ……。七海! いるか!」
ガラッと保健室の戸を開く。救護係ならここにいるはずだ。
「うわぁ! さ、暁君? びっくりした―」
「わぁ、暁君だぁ。こんにちは」
「茉優先輩に琴里さん? あれ、七海は?」
保健室に俺が探していた七海はおらず、代わりに茉優先輩と琴里さんがいた。ちなみに二人は普段の制服姿ではなく、体操服姿である。茉優先輩の方はその上から白衣を着こんでいたのでかなりのマニアック感が否めないが。
「七海ちゃんならね、さっき保健医の先生と一緒に校庭の方に行っちゃった。体調不良の子が出ちゃったんだって」
「だから茉優と私でお留守番してるの」
なるほど。ここに七海ではなく二人がいた理由はわかった。しかしそうなると弱る。それなりに広い校庭の中から救護係の生徒を見つけなければならない。
確か腕章をつけていたはずだが、それでも探すのは骨が折れるだろう。
「暁君はすごく慌てていたみたいだけどどうかしたの?」
「ああ。ちょうど今借り物競争に出ていてな。お題が『救護係』だったから七海に来てもらおうと思ったんだが……」
「『救護係』? それならアタシでもいいのかな?」
「え?」
白衣のポケットをごそごそ漁ったかと思えば、そこから出てきたのは救護係の腕章だった。
「じゃーん、実はアタシも救護係なのでした! だからアタシが一緒に行ってあげるよ、暁君」
「よかったねぇ暁君。茉優、ここには私がいてあげるから安心して」
「うん。そんなに時間もかからないと思うし、少しの間お願いね」
淡々と二人の間で話が進んでいく。
とりあえず茉優先輩が救護係というのならありがたい。これでお題達成できる。
「そういうことなら頼む、茉優先輩」
「おっまかせ~。じゃあ琴里、行ってくるね」
「は~い。二人とも頑張ってぇ」
そして保健室を飛び出し、俺たちは走り出した。
「——ぜぇ、……はぁ、……ぜぇ、……はぁ。…………うっ」
「大丈夫か茉優先輩。もう終わったから、焦らなくていいからしっかり息をしてくれ」
「……あんま、だいじょばな……うぇ」
「救護係呼ぶか? いや、茉優先輩がそうだったな」
「そこまでは、へいき……。たぶんもうしばらくすれば……おち、つくから」
「茉優先輩の体力も考えずに無理に走らせて悪かったよ」
借り物競争は終わった。茉優先輩の協力のおかげで、一位とは言わずともそれなりの順位で紅組に貢献できたと思う。
しかし、ゴールして隣を見てみると、元から色白の顔を青白くさせながら息を絶え絶えにしている茉優先輩の姿があった。
それもそのはず。途中で茉優先輩が俺のペースについていけないのを感じ、自分から、
「暁君、引っ張って!」
と伸ばしてきた手を、俺が引きながら走ったのである。
当然茉優先輩は自分のキャパ以上のペースでそれなりの距離を走ったことになる。
結果、ゴールするころには完全グロッキー状態の茉優先輩の完成だ。
「はぁはぁはぁ……少し落ち着いてきたかも」
「保健室まで戻れそうか?」
「……ダメ。まだ歩けない。でもここにいたんじゃ次の競技の邪魔になっちゃうよね」
「うーん、肩貸すから少しだけ移動できるか?」
「肩……。あ、じゃあ暁君。後ろ向いて、しゃがんでみて」
「……? こうか?」
「いやぁ、らくちんらくちん」
「おんぶとか恥ずかしくないのか? 周りの目とか」
「体操服白衣で校庭に出てる時点でいろいろ目立ってるからね」
「自覚あったのかよ……。白衣は脱いで来ればよかったのに」
「あー無理無理。こんな炎天下の中、体操服だけで外に出たらおねーさんお肌が死んじゃう」
「でも暑くないか? その格好」
「あつぅい。もう無理早く冷房の効いた保健室に戻りたい」
「体育祭中にあるまじき発言だな。……茉優先輩も救護係だったんだな。知らなかった」
「そうだよー。アタシはもう体育祭なんかも十分経験してるからね。一般生徒としてではなく教員よりでの参加なんだ。体育祭の間は保健室も忙しくなるから。保健室の先生(仮)って感じ?」
「なるほど」
「あとは琴里のこともあるかな。せっかく目を覚ましてくれたんだから、体育祭に競技参加はできなくても一緒にいたかったのさ」
「あれ、そういえば琴里さんように教室が用意されてるって聞いたけど。校庭が見やすい教室を」
「あー、一人じゃつまらないって抜けてきちゃったみたい。まあ保健室からも校庭が見えないことはないし、いいかなってアタシも許しちゃった」
「そうだったのか。……昼からやる応援合戦の時には教室に戻るように伝えといてくれ。でないと困る」
「それは大丈夫。琴里もすっごく楽しみにしてたから。三司さんの応援」
「それなら安心だ」
「——はあ。それにしても……」
そこで茉優先輩が話を切ってつぶやく。
「懐かしいなぁ。昔は今とは逆に、アタシが暁君をおんぶしてあげてたよね。あの頃はまだアタシの方が体が大きかったからなぁ」
「…………」
「暁君も『茉優お姉ちゃん、大好き‼』ってよく甘えてきたっけ」
「…………」
「本当、あの頃は可愛かった。なにをするにもアタシの後をついてきて……」
「なあ」
「振り返るとすごく嬉しそうな顔をしてくれたっけ」
「なあってば」
「ん? なあに、暁君」
「いい加減、過去の捏造を語るのはやめてくれないか」
「えーいいじゃんいいじゃん。思い出に浸らせてよぅ」
「だから! 捏造した記憶を! 思い出とは言わないんだよ!」
全く油断も隙もあったものじゃない。
昔を知っている相手はこれがあるから困る。
それと同時に、昔の頃だったら俺が今抱いているこの悩みもなかったのかと考える。
「本当、大きくなったね。暁君」
茉優先輩が俺に聞かせるでもなく静かにつぶやいたその一言で、俺がずっと自分自身に押し殺していた悩みが表層に浮き上がる。
大きくなった。
本当に大きい。
大きい感触が。
気になる。
さっきから、背中に当たる大きな感触がすごく気になる。
一歩歩くごとに、ふわんと弾む感覚。
いや、だめだ。気にするな俺。落ち着くんだ俺。
そうだ、こんな時は円周率でも数えて……。
「3.141……これ以上知らないや」
「ん? どうしたのいきなり。円周率? 3.141592653589793238462643383279……」
と、茉優先輩が不甲斐ない俺の代わりに続きを唱えてくれる。というかそんなにすらすら出てくるのすごすぎない?
「ふはぁ、息が続かないや。でもどうしたの? いきなり数学の神秘にでもはまった?」
「いや、ちょっと雑念を払いに……」
「んー? まあ、こんなに桁があって面倒だから普段はπでみんな計算してるんだけどね」
「っパイ⁉」
「そうπ。え? 流石に知ってるよね?」
「あ、いやいや。大丈夫知ってる平気だ」
「すっごく何かを取り繕ってる反応だけど本当に? 二回も留年してるアタシが言えることじゃないけど、成績が足りなくて進級できませんでした、とか言わないようにね」
「わかってるって。ちゃんと勉強する。大丈夫だ」
「本当に? 何かわからないことがあったらすぐにおねーさんに聞きに来るんだよ。なんでも教えてあげるからね」
「あーもう、ここぞとばかりに姉ぶるんじゃない!」
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午前の部は終わり、昼食のための休憩時間も間もなく終わる。
俺と三司さんは午後の最初である応援合戦の準備をしていた。
とはいっても、三司さんが学ランを着るだけなのだが。
「いやよ。誰に見られるかわからない場所で胸を潰すだなんて!」
という三司さんの主張により簡易の着替え用テントが用意されていた。
校舎まで戻ってしまえばきちんとした更衣室はあるのだが、「上から着るだけで脱ぐわけではない」のと、「学生会長としてなんだかんだ忙しくなるであろう三司さんが校舎まで往復するのは手間」という理由で簡易更衣室だ。
そこに向かう道すがら。
「在原君。例のモノ、ちゃんと持ってるんでしょうね」
「ん? ああ、ちゃんと持ってるよ。はい」
と応援合戦用着替え一式が詰め込んである紙袋の中から、さらしを取り出して三司さんに手渡す。
「ちょっと! こんなもの外で堂々と渡さないでくれる⁉ 人に見られたいものじゃないのよ!」
「悪かったって。というかなんで俺もついていくんだ? 着替えるだけだろ?」
「そうだけど。……不安なのよ。ちゃんと胸を潰せてるのか確認してもらう必要があるの。万が一にも『あれ? なんか妙な部分が膨らんでませんか』なーんて言われてみなさいよ。私の命はそこまでです」
「ああなるほど。パッ……、オホン。その、中身の構造は良く知らないけど、絞めつけたことによってずれて他の場所が膨らんでいたら事件だもんな。可変式虚乳が可動式虚乳になってしまう」
「おい……なんでパッドの単語を避けることができたのに可動式とか言い出す? 在原君の命をここまでにしてあげましょうか?」
「悪かった。本当に悪かったからその顔やめてくれ。マジで怖い」
「ったく隙あらば余計なこと言いだすんだから。あ、それと私が着替えてる最中、万が一でも覗きがいないか監視しててよね。まあ、在原君のことは信用……」
——その時。
ぶおおおお……と轟音と共に校庭の砂を巻き上げながら突風が吹き荒れた。
校庭のそこかしこで悲鳴が上がる。
声の感じを聞く限り、危険性はなくただ強風に驚いただけだろう。
第一波だけならそれで済んだ。
しかし、間を開けずに第二波がやってきた。
さっきよりも強い風で目を開けるのもやっとだ。
少しだけ開いた目の端にテントが浮き上がるのが見えてしまう。
「まずい……」
一つ二つ程度ならまだいいが、校庭に立てられている簡易テントの数はそれだけではない。
全部が吹き飛んでは体育祭どころではないし、最悪怪我人だって出る。
とは言え、俺にできることは何もなく……。
せいぜいが手近なテントに手を伸ばし、吹き飛ばないように体重をかけるだけだ。
一つは守れても全部は……。
——その時。
今までよりもさらに強い風が吹き荒れる。
真上から。
まるで今まさに浮き上がろうとしているテントを押し戻すように真下に吹き付ける風に今度こそ目も明けられない。
そして十数秒後。
やっと風が落ち着いて恐る恐る目を開けると、多少プログラムの紙や誰かのタオルが散らばってはいたものの大きな被害は確認できなかった。
真上からの強風。これはおそらく……。
「……お姉ちゃん?」
三司さんがつぶやく。
そう、おそらく琴里さんのアストラル能力によるものだろう。
これから始まる応援合戦を見るために見晴らしのいい教室にいた琴里さんが校庭を守ってくれたのだ。
瞬時にこれだけの規模の能力を使えるなんて。
「さすが最強のアストラル使い」
そう評価するしかない。
なんにせよ助かった。琴里さんのおかげこの後も問題なく体育祭を続けられる。
「それじゃあ三司さん、テントに……」
行こう。と続けようとした言葉は最後まで言えなかった。
顔面蒼白の三司さんに驚いて。
「三司さん? 大丈夫だって。琴里さんには茉優先輩が付いてるはずだから、安心しろ」
「そうじゃない! お姉ちゃんのことは心配だけど今はそこじゃないの!」
「じゃあ、なに?」
「ないのよ!」
「なにが?」
「さらしが!」
「……はあ⁉」
見ると、三司さんが持っていたはずのさらしがどこにもない。
「なんで⁉」
「わからない。多分さっきの強風で持っていかれちゃったんだと思う」
慌ててあたりを見渡すも、さらしらしきものは見当たらない。
「ど、どどど、どうしよう。あれがなくちゃ胸が……」
「落ち着けって。最悪そのまま行けばいいだろう。学ランは飛ばされてない。これさえ着てしまえば胸の大きさなんて些細なものだろ」
「あん? 今胸の大きさが些細なことだって言った? もっぺん言ってみろや」
「今そんな話してる場合じゃないだろ。とりあえず学ランを……」
「ダメ! ダメなの。言ったでしょう。これは強制ではないけど感謝のしるしとしてやりきるんだって。今この時にも実行委員の人たちは体育祭のために動いてる。だから私も私にできることをやるの!」
「そうは言っても……」
「ぐぅ……」
「胸を締め付けられるようなものも今は何も持ってないしな」
「…………」
「三司さん?」
「…………こうなったらもう、覚悟を、決めるしか」
三司さんは俺から学ランを奪い取るように受け取ると、簡易テントの中に入ってしまう。
かと思えば、顔だけ少し出して。
「絶対、ぜーったいに、誰も、通すな」
とだけ告げた。
数分後。
学ランを着るだけにしてはずいぶんと時間をかけてから彼女は出てきた。
「…………ん」
言葉にもなっていない一言だけを告げ、学ランの入っていた紙袋を押し付けてくる。
? なにか入ってるな?
中を覗き込もうとすると……。
「中を見るな。絶対に。そして私が受け取るまで誰にも見つからない場所に保管しといて」
と釘を刺される。
そこでようやく納得した。この紙袋の中身について。
普段の彼女の、服の内側から存在を主張する膨らみがない。
さらしを巻いてみた時よりも自然な、完璧なフラットがその胸部に形成されていた。
「三司さん……」
「何も……何も言わないで! やめて、見ないで!」
「似合ってる?」
「何も言うなつってんでしょう! 似合ってるって何よ! せめて疑問形じゃなくて言い切ってよぉ!」
「とりあえず見た目に問題はない。実行委員長の要望そのままだ。自信を持て」
「この格好で自身持てって言われてもねぇ」
「ほら、琴里さんだって見てるんだから。胸張っていこうぜ」
「張る胸がなくなっちゃたんだけどねぇ。……はぁ。自分で言ってりゃ世話ないわね。よし、在原君!」
俺の名前を呼ぶとともに、バっと右手を振り上げる。
「なに?」
「もう、察しが悪いわね。ハイタッチよハイタッチ。景気づけにね」
「なるほど。それなら」
——パンっと小気味の良い音が鳴り響く。
「よし、行ってくる」
そう言い残し走り出す三司さん。
彼女がやりきると決めたのだ。それなら俺も俺に与えられた任務を果たすのみ。
つまるところ、この三司さんの秘密を守りきる。
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その後の体育祭は異様な熱量のもと行われた。
学院のアイドル、三司あやせによるコスプレ応援。これがすべての原因だろう。
そのあり得ない熱量のもと、残りの種目もすべて終わった。
結果発表を含む閉会式の後、体育祭の最後の目玉であるフォークダンスが執り行われる。
学年もクラスも関係なく、男女の区別のみで列をなし、曲とともに男女が手を重ねて踊り始めた。
どことなく甘酸っぱい雰囲気にもなるが、まあ、それだけ。
これが終われば長く長く感じた今日が終わる。
この曲が終われば……。
そろそろ曲が終わってしまう。
もうちょっとだけ、あとちょっとだけ。
あと二人。あと一人。
そして……。
「お疲れ様、お兄ちゃん」
「お疲れ、七海」
俺が差し出した手を次に握ったのは七海だった。
両手をそれぞれ重ねてステップを踏む。
ついさっきまで飽きるほど何度も繰り返したこの動きが、なぜ今になってこんなにも楽しく、こんなにも気恥ずかしく感じるのだろうか。
ずっと伏せていた眼を、少し上げてみる。
ぱちりと。すぐ至近距離で開かれた大きな瞳がこちらを見つめていた。
「…………」
「…………」
つかの間の沈黙。
最初の会話以来、お互いに無言だったから今更気にすることではないのだけれど、それで
も言葉を探して、見つからなくて。
この状況で何か気の利いたことを言えるほどの器用さは俺にはないらしい。
「……ふふ。なんだか照れくさいね。こうやって手を繋いで二人で踊るの」
「そうだな。実は緊張してた」
「ね、どう、猫耳? 似合ってる? 可愛い?」
「ああ、似合ってるよ。壬生さんに聞いてたけど本当に猫耳してたんだな」
「む、サプライズになってなかったか。残念」
「まあ見られただけ良かったよ。今日はなぜかなかなか会わなかったしな。一回は七海のこと探しもしたのに」
「そうだったの? せっかく体育祭なのに運のない……。あ、ていうかお兄ちゃん! フォークダンスの途中からわたしのこと見すぎだよ。近くなってから露骨にわたしまであと何人かとか数えてたでしょ」
「……そんなことないぞ。俺が見てたのは相手の男だ。フォークダンスにかこつけて大事な妹に手を出す不埒な輩がいないか監視してたんだ」
「おんなじだし……。本当にシスコンきもいなー。……ふふっ」
「きもいとか言いながら笑うなよ。というか、そういう七海はやたら俺の様子を把握してるみたいだけど、踊った相手の顔ちゃんと覚えてるのか?」
「……えへへ」
「笑ってごまかすなよ。七海だって残りの人数気にしてたんじゃないか」
「だって、曲がもう少しで終わっちゃいそうだったから。あとちょっとのところにお兄ちゃんがいたんだもん。せっかくなら二人で踊りたいじゃない。お兄ちゃんは違ったの?」
踊りながらも器用に小首をかしげて上目遣いで尋ねてくる。
そんなに素直になられると意地を張っている俺の方が子どもに思えた。
「いや。俺だって七海と一緒に踊りたかったよ。七海に届くまで続いてくれ、って必死に祈ってた」
「そっか。片方だけしか祈ってなかったら叶わなかったかもね」
「?」
「ほら、もう終わっちゃう」
長らく続いたフォークダンスの曲も、気づけば締めくくりに入る。
どうやら今のペアで最後らしい。
「そうだな。二人とも祈ったから叶った」
「うん。最後にお兄ちゃんと踊れてよかった」
いよいよ曲が終了し、七海と向かい合ったまま動きを止める。
フォークダンスを始める前に説明があった通り、この後は流れ解散のはずだ。
多少、このままお喋りをしていたっていいだろう。
向かい合ったままではないが、二人で隣に並びたつ。
……なんとなく繋いだ手を離すのが惜しくて、二人の間の手はそのまま。
俺も七海も振り払う素振りもない。
きっと、この時間が終わるまではこのままで。
「紅組勝てたね、やった」
「ああ。昼過ぎからの紅組の盛り上がり様はすごかったからな。特に男子の」
「あやせ先輩の応援効果だろうね。学ランまで来て気合入ってたし。応援合戦が終わっても脱がなかったなんてよっぽど応援に熱が入ってたんだね。あやせ先輩、思ったよりも負けず嫌いなのかな?」
体育祭の勝ち負けとは別のところで勝負していたなんて、この純粋な妹にはとても言えない。
手に汗をかいていないかちょっと不安になる。
「それにしてもすごかったなぁ、あの格好。胸まできれいに潰して。あやせ先輩くらいのサイズだと、あそこまできれいに潰すのは結構大変なんだよ?」
七海はおそらく自身のコスプレの記憶から言っているんだろうが、つぶされていたのは巨乳ではなく虚乳なのだ。いくらでも潰せる代物なのだ。
「今度きれいな潰し方教えてもらおうかな。ぜひ参考にしたい」
「やめてあげてくれ。本人、あまり気乗りしてなかったから」
「そうなの? 学ラン姿の応援、すごくカッコよかったのに」
七海から胸の潰し方教えてくださいなんて言われたら三司さんが本気で泣いてしまう。
「それより七海。あとで三司さんに能力を使ってあげてくれないか? 疲れているところ悪いが、三司さんも結構余裕がないはずだ。」
「? それはいいけど。わかった。後であやせ先輩のこと探してみるね」
「うん、頼む」
「そういうお兄ちゃんは? ここのところ忙しそうにしてたけど、疲れてない? 怪我とかは?」
「大丈夫だよ。疲れてはいるけどまだ余裕はあるし、怪我はない。七海の方は? 怪我とか。障害物競走ではずいぶん苦労したと聞いたが」
「むぅ。千咲ちゃん、また余計なこと言って。大丈夫、怪我なんてないよ」
「そうか」
「ま、二人とも怪我がないならよかったよかった。それならわたしの能力を使う必要もないね」
「ああ、それは三司さんに取っておいてくれ。それに……」
「それに?」
「それにこうして手を繋いでるだけで、七海の温もりを感じて癒されるしな」
「……お兄ちゃん、やっぱり結構疲れてない? いつもならそんなこと言わないのに」
「そうか?」
「そうだよ」
繋いでいた手が少しだけ強く握りなおされた気がする。
能力を使っているわけではないのだろうが、この手から順に癒しが体中に伝わっていくようで。
やっぱり、もう少しだけこのままで。
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締めのフォークダンス後に残っていた生徒も解散し、日中の騒々しさを惜しみながらの撤収作業がいよいよ始められた。
一般生徒は既に寮に戻り、人数は少なくなるが実行委員たちだけが残っている。
とは言え、今日のうちに片さなければいけないものなど微々たるものだ。しかもその大半も使い終わったものなどはその時点で片付けてしまっているので、残すは日除けのテントくらいなものである。
今日まで体育祭の準備を手伝っていたことだし、最後も何か手伝うことは、俺もこの場に留まっていたがその必要はなかったようだ。
それならお役御免ということで俺も先に寮に戻るかな、と思っていたところで声をかけられた。
「在原君、お疲れ様」
「ああ、三司さん。お疲れ。……やっぱりまだその格好なんだな」
三司さんは応援合戦の時のまま、学ラン姿だった。
そこを指摘すると三司さんはキョロキョロと周りを窺った後で答える。
「当たり前でしょう! どんなに暑くても迂闊に着替えられないんだから!」
「そうだったな。実行委員長の反応はどうだった? 苦労した甲斐はあったのか?」
「……ええ。とても喜んでくれたわ。正直引くくらいに。まさか感極まって泣かれるとは思わなかったけど」
「泣かれたのか……。いやまあそこまで喜ばれたなら良かったじゃないか」
「まあそうね。頑張った意味があったわ」
「一通りの仕事が終わったなら先に寮に戻っててもよかったんじゃないのか? 学生会長としての三司さんの仕事はもう終わったんだろ?」
「それはそうなんだけど。自分が関わったことだし、最後まで見届けたいの。どうせ今寮に戻ったところでお風呂にも入れないし」
「なるほど。三司さんらしい理由だ」
「……ねえ、どっちが? 最後まで見届けることとお風呂に入れないこと、どっちが私らしいって?」
額に青筋を浮かべながらそう訊いてくる三司さん。いやもう、本当に〝らしい〟よ。
「そんなに素を出してていいのか? 近くに誰もいないとはいえ、いつ誰がそばに来るのかわからないんだぞ」
「ご心配なく。その時にはすぐに切り替えられますから。こんな感じに。」
一瞬前の表情が嘘のようににこやかな笑みを浮かべる姿を見てそれ以上の言及をやめる。
「あ、そうそう。ありがとう」
「なにが? 学生会長秘書(仮)のこと?」
「それもそうだけど。さっき七海さんが来てくれて能力を使ってくれたの。疲れてたし暑いしで大変だったんだけど、すごく楽になったわ。聞いたら、在原君に頼まれたって言ってたから」
「それは良かった。最後の最後で倒れられでもしたら事だからな。わざわざそれを言いに来たのか?」
「なによ。悪い?」
「いや別に。律儀だなと思ってさ」
「本当は後でお礼しに行こうと思ってたんだけどね。在原君はもう帰っちゃってると思ってたから」
「そこまで薄情でもないさ。もう手伝いはいらないみたいだから帰ろうとはしてたけど」
「そ。ならここで会えてよかったわ。こういうのはなるべく早く伝えた方がいいだろうし」
「どうせまた明日教室で会うんだから、そこまで気にする必要ないと思うけどな」
「私がちゃんとしておきたいのよ」
「そうかい。ちゃんと受け取ったよ。三司さんもお疲れ様。少し横で手伝ってただけだけど、学生会長って本当に大変なんだな」
「ありがとう。ええ、すっごく大変よ。……だからこれからもずっと私を支えてくれる人がいると助かるんだけどなー」
まるで独り言のように(その割には大きな声ではっきりと)つぶやく彼女に苦笑しかできない。
というか横目でちらちら俺のこと見てくるし。
「俺にできることならな。また頼ってくれ」
「やった!」
そう言って目を細めて笑う彼女は嬉しそうに続ける。
「でも、そんなにずっと一緒にいたら周りに勘違いされるかもな。現に今回だって『なんでお前が手伝っているんだ?』と何人かから訊かれたぞ」
それが純粋な疑問なのか、嫉妬心ゆえのモノなのかは定かではないが。
「……いいわよ」
肯定の言葉。
その言葉に思わず振り向く。三司さんの顔が赤く見えるのは夕日のせいか、それとも……。
「アナタとなら、在原君となら勘違いされてもいい」
聞き間違いかとも思った。彼女の態度がそうではないと告げてくる。
「……三司さん」
「だって……」
三司さんはそこで俺に向き直ると生徒会長としての仮面を外した、普通の女の子のように満面の笑みで言葉を続けた。
「だって、それくらい在原君のことをこき使えてるってことでしょ? いやー学生会長の仕事が捗っちゃうな―」
「……おい」
「あはは、冗談よ」
「いや絶対に本気だろ。完全に本気で言ってるだろ」
「ちゃんと冗談だってば。……途中からは」
「え?」
「なんでもない! ほら、まだ残ってたってことは急ぎの用事はないんでしょ? 手は足りてるみたいだけど、私たちも手伝って早く終わらせちゃいましょ」
「あ、おい、ちょっと」
実行委員たちが集まる場へ三司さんは駆け出——そうとして、立ち止まる。
「在原君、最後に」
「ん?」
「ん」
三司さんがスッと右手を上げる。
いつも察しが悪いと言われる俺でもさすがにわかる。
「ははっ、体育祭の成功を祝して」
「うん、成功を祝して」
——パンっと、二人の掌を重ねた音が大きく響いた。
特別賑やかな一日が幕を閉じた。
また、俺たちの平和な日常は続いていくのだった。
最後までお付き合いありがとうございました。
楽しんでいただけていたら幸いです。
RIDDLE JOKERより共通√その後のお話です。
イメージとしては完全にドラマCD「かなりピンチな三司あやせの一日(温泉編)」です。
なぜに(温泉編)と銘打っていて他がないのか。
こんな感じの「友達以上恋人未満」って雰囲気の中でわいわいしてるのがかなり好きいです。
私史上最長文でした。
なかなかに難しかったです。楽しかったから何も問題はありませんが。
ちなみに登校日本日8月8日はやなやが投稿を始めてから半年になります。
いつもお読みくださっている読者様には特別の感謝を。