鬼滅の刃RTA 上弦の弐単独討伐   作:一億年間ソロプレイ

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なんだか好評だったので頑張って書きました
かわいい女の子を書いているのに何か足りないなと思いました
♡ ←これを忘れていました なんということでしょう


IF:どこかがおかしい本編軸の話②

 

 ある日、池に映る姿に興味を持った。そこの池から見えるのは己の姿では無く、同じ顔の黒い髪をした子供。

 強く惹かれて手を伸ばした。池の縁から覗いていたことなんて頭からすっかり抜けて、子供は音を立てて池に落ちた。

 水面の中で驚いた顔をした子供がくすりと笑う。

 

 それを見てから。――見てしまった時から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上弦の弐と遭遇した後、柱合会議にて情報共有を行った。

 会議前に花屋敷に寄った筈の仏塚だが、直前の任務で負った傷を隠していた風柱共々に花屋敷へ再び連行された。

 

「怪我はしていないというのに……」

 

 兄弟子を盾にして花屋敷を抜け出した仏塚は、自身の鎹鴉の()()の案内で鬼が発見された場所へと向かっていた。道中に見えた鬼を片手間に斬りながら。

 とはいえ、現場にいた鬼も仏塚にとっては一刀で終わる鬼だった。彼の階級は(きのえ)だが、実力は柱に匹敵している。

 

「注意喚起ィ~。注意喚起ィ~」

「注意喚起だって?」

 

 彼はいつもとは異なるさわの鳴き声に興味を寄せる。刀に付いた血を袖口で拭いながら、鴉の話に耳を傾けた。

 

「近頃、隊士タチガ襲撃サレル事件ガ増エテイルゥ~。注意、注意~!」

「ふうん……。気が抜けているみたいだね」

「襲撃サレタ隊士タチハ全員、全員! 肺ヲ壊サレテイル! 真面目ニ気ヲ付ケロ!」

「はいはい。で、次の任務は何処? 早く斬る(行く)よ」

「休メェ~~~!!!」

(……)

 

 仏塚は少し後ろに目をやる。

 木々の茂みから隠れているモノを置き去りにするため、即座にその場を去った。

 

 

§

 

 

 胡蝶カナエは肺の機能が回復するまで花屋敷で安静にするようにと言い渡された。比較的軽傷だったらしく、時間さえあれば柱として復帰できる。

 そのことに胸を撫で下ろしたのは当人よりもその妹であるしのぶだった。

 

(姉さんが無事で、本当に良かった……)

 

 姉が肺を痛めている筈なのに笑顔を崩さず自身を迎えた時も、医者の診断結果を待っている時でさえ、足場が崩れ落ちてしまうような不安だけが積もっていた。

 医者から姉の容態を聞き、ようやく不安から解放されてどれだけの安堵感が彼女を包んだことか。

 アオイたちもとても喜び、感情の乏しかったカナヲもあれ以降少しずつ自分の意見を出すようになった。

 温かな屋敷に残りたくもなったが、しのぶも一隊士。姉の無事も言い渡されたことで任務に出なければならない。

 

(姉さんがいなくても頑張らないと)

 

 最近、隊士が襲撃されているという。それを受けてか、鬼殺隊は『隊士の単独任務』を禁じて『二人組』での行動する方針を取った。

 しのぶはその相手と合流する為、草木の茂る道を歩いていた。最近は日差しの暑さも治まり、やんわりと秋の訪れを感じさせる空気が流れている。

 

「確かこの村よね? 誰かしら」

 

 一度任務で立ち寄ったこともあるが長閑な村だ。瓦ではなく茅葺の屋根の家屋が並び、都市部では感じられない自然の空気が色濃く残る。

 黒々と耕された畑で雑草を抜いていた男が山道から下りてきたしのぶを見る。

 小さく会釈をしてから彼女は「すいません」と呼び掛けた。

 

「私と同じ黒い詰襟の服を着た方を見かけませんでしたか?」

「ああ、その人なら村長ん家に行ってるよ。家はあっちの、大きい所な」

「ありがとうございます」

 

 しのぶは彼に手を振り、周りの民家よりも一際大きな家屋を目指した。

 丁度人が出てくるらしい。黒い詰襟と白い羽織……、そして特徴的な頭髪を見たしのぶは思わず「げ」と声を出した。

 

「それでは後程」

「どうぞ、よろしくお願いします……」

 

 頭を下げる男に笑いかけ、道を引き戻そうとした男もしのぶを見た。

 事務的な笑顔を浮かべるその仕草、振舞い、言葉遣いにさえも嫌悪感が募る。

 

「やぁ、数日ぶり? 元気かな、しのぶちゃん」

「……どうも。お元気そうで何よりです、仏塚さん」

 

 胡蝶しのぶにとって最も苦手な男が二人組の相手ということに、「クソッタレ」と舌打ちを零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()、夜中に出歩いた村人が消えるらしいよ」

「出歩くって……、山の中に入ったり、ということですか」

「いいや? 納屋や蔵の鍵を掛け忘れたといって家を出て以降、姿を見掛けなくなる。それが四件は起きてる」

 

 場所を移して二人は村の宿の中で話をしていた。

 嫌悪感はあるものの、これから行動を共にする。しのぶは冷静を装って宿の人間から出された茶を飲み下す。

 

「山に隠れている鬼が村に下りて人を狩っているように思えますが」

「そうだったらいいんだけどね。誰も争ったりする音を聞いてないという」

「……血鬼術を持っている異能の鬼の可能性があると」

「そういうこと」

 

 「でねー」、と仏塚は自分が書いた村の地図を広げた。

 大まかに家や川の位置が書かれており、黒い丸があちこち、散らばって書かれていた。

 

「この黒丸が被害の起きたと思わしき場所。襲われた地点はバラバラ。ちなみに食われた人間の身体的共通点は無いよー」

「……これ、何日前から起きているんですか?」

()()()

(コイツ……)

 

 最初に『最近』と言い、しのぶに言われれば『二日前』と訂正した。

 とぼけた顔をする男への好感度は最低に近い。今も彼女の顔に血管が浮き上がっているものの、怒鳴り散らすことだけは抑えていた。

 

「つまりもうとっくに貴方の中では対策も終わっていると」

「うん。それで君はどうする?」

「一つだけ聞かせてください。どうしてこんな回りくどいことを?」

 

 仏塚は一点の曇りもない、輝かしい笑顔で言い放った。

 

「だって今の君たち、弱いから!」

「んだとコラ!!!」

 

 しのぶは激怒した。必ずこの人を食ったような態度をする男を倒さねばならぬと決意した。

 しのぶには筋力が足りぬ。しのぶは、鬼殺隊の中では小柄な方である。だが姉と約束を交わし、力及ばずながら鬼殺隊として活動してきた。

 けれども自身と姉に対する嘲りに対しては、人一倍敏感であった――。

 

「覚えててなさい! 絶対こんな鬼くらい一人で倒してみせるんだから!!」

「頑張れ~」

 

 村人を襲撃した鬼の血鬼術は自身の立てる音を静かにさせるというものだった。

 見敵必殺の心意気でしのぶは襲撃されるだろう家を特定し、見事待ち伏せて鬼と対峙した。

 対峙は出来たものの、やはり頸を斬ることは出来なかったので見かねた仏塚があっさりと斬った。

 更にしのぶは激怒した。

 

「ん~……。君って花の呼吸と水の呼吸を使うんだね」

「それが、なにっ、よ……!」

 

 鬼退治から翌日、しのぶは重石を乗せられながら腕立て伏せをしていた。

 山の中で何故かこの男に稽古を付けられていた。何故と思う気持ちと共に、「この際、忌々しいこの男の技を全て覚えてやる」という心意気で彼女は従っていた。

 

「極めるならどっちかにしたら? それか新しい呼吸作るとか」

「全員が全員っ、貴方みたいにっ、色んな呼吸を習得してっ、新しい呼吸作れるとっ、思わないでっ、くれますっ!?」

「わー、鍛えながら怒ってる。すごーい」

「うがー!」

 

 こちらがいくら怒っても相手は気にすることなく軽々と言葉を発してくる。

 

「それか、攻撃を受け流すのは水の呼吸、頸を斬りに行く時は花の呼吸とかね。一回で斬れないなら手数の多い花の呼吸の型で頸を何度も斬ればいい。そうしたらどんな固い首でも斬れそうじゃない?」

「斬るっ、前にっ、弾かれるかっ、斬ってっ、も、再生されるっわよ……!」

 

 彼女にとって苦い記憶が蘇る。

 その時はまだ階級も低く、姉とは別行動を取っていた時だった。

 任務で向かった先で人を襲う鬼と戦い、型を使って日輪刀を頸に振るった。

 

(やった、斬れる――!)

 

 そう思った彼女に、刀の弾かれる音が答えた。え、と零す間もなく鬼はしのぶを振り払い、柵に打ち付けられた彼女を睨んだ。

 何が起きたのか理解するのに時間を要し、地面に転がる刀を視認し、答えに辿り着いて絶望した。

 

 彼女が初めて、鬼の頸を斬れない事を体験した日だった。

 実力が、筋力が、才能が無ければ、――鬼の頸に切れ目さえ入れることが敵わないのだと思い知らされた出来事だった。

 その時は運よく上の階級の隊士が来て鬼を斬ったから良かったものの、あのまま放心していれば命は無かった。

 

 続いて浮かぶのは、苛酷な最終選別を姉と生き延びた時のこと。

 各々、自身を育てた育手の家へと戻り、数日後に個々人に渡される日輪刀。

 初任務で姉と合流して、ワクワクとした心地で姉と日輪刀を見せ合った。姉の刀は花の呼吸の適性を示す、鮮やかな桜色の刀身だった。

 しのぶの刀に色は無かった。

 

(私には何の呼吸の才能も無い)

 

 しのぶが何度日輪刀を握っても何の色にもならなかった。ただ鈍色の刀身だけが事実を示す。

 目の前の男みたいに、たくさんの呼吸を使える訳でもない。体格だって恵まれてはいない。経験も豊富じゃない。

 

「腕立て伏せ止め。しばらく休憩ね」

(……悔しい)

 

 仏塚がこの場を去るのを見て、しのぶは重石を横に置いて蹲る。

 

 あの男は自分の劣等感ばかり刺激してくる。自分の持っていないものばかりを持って、他者に、鬼殺隊に、姉に認められている。

 

 本来なら実力のある人間に稽古を付けてもらえるなんて喜ばなければならない事だ。

 隊士は誰だって自分の事だけで手一杯の人間が多い。わざわざ弱い隊士を鍛え導こうなんて人間は奇特だ。

 

(……なんで私、こんな事しか考えられないんだろう)

 

 理由は分からないけど、仏塚は隊士を鍛えようとしている。その事にさえ、しのぶの倦んだ心がじくじくと痛む。

 はぁ、と重い溜息を零していると足音が近付く。目を向けた彼女は見えた光景に「はい?」と声を出した。

 

 仏塚がブンブンとしのぶに向かって手を振っている。その手に巻き付いているのが――。

 

「マムシがいたよ~」

「え、マムシ!? 噛まれてはいないんですか!?」

「気配に気づいてたから大丈夫。ところでさぁ」

 

 ――鬼に毒って効くか、気にならない?

 

(……気になる!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果から言えば、鬼に毒は効いた。

 異能持ちではない鬼との任務の最中、知識のあるしのぶがマムシを解剖して毒腺を丁寧に取り出した。仏塚はスパスパと四肢を斬って抵抗を少しの間だけ封じた。

 

「ほら口開けなよ」

もがが(なんだコイツら)!?」

「よく噛むんですよ~」

 

 そして(無理矢理)毒腺を嚙まされた鬼は毒に苦しんだ。斬られた箇所からの出血が止まらず、しのぶにとって固い範疇にある鬼の頸だったが、毒でもがき苦しむ鬼の頸は非力な彼女でも斬ることが出来た。

 毒の効能と知的好奇心の勝利である。

 

「効くんだね。時間掛けると解毒されそうだけど」

「……つまり、毒薬が効くと」

「これならある程度筋力が無くても、鬼の頸が斬れるんじゃない?」

「そう、ですね……」

 

 鬼も元はといえば人の肉体。ならば、毒が効くのも道理。

 

 ――はっ、と覚めるような心地だった。

 

「試したいことがあります! 付き合ってくれますか?」

「いいよ。暇だし」

 

 二人掛かりで山に生える毒草を見つけ、翌日。

 異能の鬼に山の毒草という毒草をすり潰した液体が提供されることになった。

 鬼は窒息死になりかけながら曖昧な意識の中頸を斬られた。――しのぶの勝利である。

 

「見ました!? 私一人で頸斬りましたよ!」

 

 ――姉さんも、仏塚も、誰の手も借りずに!

 思わず興奮したしのぶが振り向いた先には仏塚がいる。

 ぼやーっと口を開けてしのぶの実験を見ていた彼が、あまりにも喜ぶ彼女を見てか「ははっ」と悪戯っぽく笑った。

 

(笑った……)

 

 演技臭くもない、つい溢れてしまったような笑みに気を取られた。

 しかし、しのぶは羞恥で顔を赤くさせた。

 

(撫でられてる!? この男に!?)

「よく頑張りました~」

「や、やめてください! 触んないで、変態!」

「うんうん。鬼の頸が斬れると嬉しいよねぇ」

「うがー!」

 

 撫でられぬ様に抵抗するも、仏塚の手は逃げるしのぶの頭を的確に追って撫でてくる。

 ひとしきり彼が満足するまで撫でられてしまったしのぶはしばらく仏塚に対して威嚇し続けた。

 

 

§

 

 

 産屋敷耀哉は鎹鴉からの報告や柱からの報告を聞いていた。

 暗闇、或いは死角からの不意打ち。辛うじて生き残った隊士たちは軒並み肺が壊れており、その壊れ具合もそれぞれ。

 二度と呼吸術を使えない程に壊れてしまっている者や、長期間休む事で前線に戻れる者。

 ――どちらにせよ、鬼殺隊の戦力を減らされている。

 

 無論、それを解決出来る手は先見の明によって見えている。

 鬼殺隊を統べる頭領として下すべき判断を間違えてはならない。

 

「許してくれとは言わないよ。如何なる謗りも受ける覚悟は出来ている。……天元」

「はっ」

「頼まれてくれるかい」

「お館様が望むのならば、如何様にも」

 

 忍びは気配を消し、耀哉は白毛混じりの鎹鴉の頭に優しく触れる。

 最終選別の頃から仏塚と付き合いをしてきた、彼の相棒だ。

 

「お前にも苦労を掛ける」

「……仕事、ナノデ!」

 

 開かれた部屋から飛び立つ鎹鴉をただ見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仏塚としのぶが組んでから二週間が経っていた。鬼殺隊は対策を取ったものの襲撃の報せは止まない。

 生憎だが二人には襲撃の手は伸びていないらしい。待機命令が出ている二人は茶屋でまったりとしていた。

 

「まぁ、毒は一つの手段として。やっぱり呼吸術での頸の切断が確実ではあると思うよ」

「それは分かってます。毒を解毒しようとするのもまた体の機能ですから。それに、もっと分解されにくい毒でないと実戦に使えないのもよく分かりましたから」

 

 はむ、としのぶは注文した団子を口に運ぶ。甘さが任務で疲れた頭に染み渡ってじいんとした美味しさを伝える。

 仏塚は茶屋の娘が運んできた、己の頼んだあんころ餠を彼女へと渡した。

 

「いいんですか?」

「今甘いものの気分じゃなくってね」

「やった!」

 

 思わぬ棚からぼた餠ならぬあんころ餠にはしゃぐのを横目に、仏塚は茶を飲んだ。

 

(さっきから妙に視線を向けられている……)

 

 はて、何かしただろうか。少なくともこの街で長く滞在したことも、任務を行った事も無い。

 

 何度か任務先が被り、通りすがりの人間に「おお、アンタ。久しぶりだのう」と声を掛けられることはある。良くも悪くも見た目が印象に残るのだろう。

 だが、今の彼に向けられている視線はそんな素朴なものではない。

 

(嫌な視線だ)

 

 瞳が嫌に輝いて、その奥で欲が渦巻いている。――その目をよく知っている。

 茶屋で一服を終えたら移動しようと湯呑を置くと、先程から仏塚の様子を店の奥から窺っていた茶屋の娘が「あの」と声を掛けた。

 

「宗教にご興味は、ありませんか……?」

「宗教?」

 

 思わぬ言葉に隣で甘味を楽しむしのぶも顔を向けた。

 茶屋の娘は恥じらいながらも仏塚へと目を向ける。傍目から見ても興奮しているのが分かる。

 

「万世極楽教をご存知かしら。今、教祖様による説法が寺院で開かれているの。このような地にまで遥々お越しになられたのだから、貴方も聞きなさいと周りの方に勧められて行ったのです。私、その時まで神仏というものをあまり信じてはいなかったのだけれど、教祖様を一目見た時に、――ああ、神様は此処にいらしたのねと思いましたの。その美しさ、八重垣のお姫様の如く、いいえ、あの美しさは恐らく天から降りられた吉祥様に違いありません。そのようなお方が、慈悲深く説法を説かれまして、今の私たちが辛い事ばかりに遭うのは心から安らげる場所を見つけていないからだと仰られました。本来であれば人は皆辛く苦しい思いなどせず、心穏やかに生きても良いのだと言われて……、万世極楽教であれば全ての人の魂を慰める“極楽”へ導けるのだと。教祖様が仰られて、それまで私の身の内にあった苦しみが全て取り払われました。私がこれまで苦しかったのは“極楽”への道を見失っていたせい、ですが教祖様の導きによってその道を見つけた私は、皆さんにもその道を見つけて欲しいと勧めています」

 

「しのぶちゃん、甘味は食べたかな?」

「いや、え、は……? あと、一個です……?」

「すぐ食べて」

 

 熱を上げた娘は仏塚たちが喋っていることさえも耳に入っていないのか、その後も早口でぶつぶつと念仏が如く話しまくっている。

 急いであんころ餠を口に入れたしのぶは、茶屋の奥からゆらりと人が来て――、それだけではなく、往来を歩く人々が仏塚へと視線を集中させているのが分かった。

 

「お代はここに置いておくね」

「な、なんれふこふぇ……」

「さぁ? ちょっと危ない街に来てしまったみたい」

 

 ごくんとあんころ餠を飲み込んだしのぶには困惑が浮かぶ。

 茶屋を離れようとしたが、いつの間にか人だかりが出来ており、誰もが目を輝かせて仏塚を見ている。

 

「おお、やはり……」

「瓜二つだ……」

「教祖様の言われた事は本当なのか……」

 

 人は集まり、二人を囲む壁を作っていく。

 

「で、でも、姉さんと来た時はなんか……宗教とか、そういう話は聞かなかったのに!」

「元々少数だったか、或いは急に布教されて広まったか……。この熱の入り様は異常だと思うけどね」

「なんで冷静なのよ貴方……。どう見ても狙われてるのそっちでしょ!?」

「いやー……、ははー……。あー……、何だろうね。軌道修正中、みたいな?」

「おバカ!」

 

 とぼけた様子でふざけた事を抜かす仏塚に声を上げた。

 二人がそうしている間にも熱の入った茶屋の娘は口を動かし続けていたが、ここで一息入れ、はっきりと大きな声で告げた。

 

「――そして教祖様は私達におっしゃられたのです。ご自身と似た顔の、黒と白の髪をした男の方がいれば、是非万世極楽教の寺院へ連れてきて欲しいと」

 

 浮かされた瞳たちは中心にいる男を見つめる。

 

「その方は、極楽への道を見失っている唯一の血縁であると。なんて悲しいお話でありましょうか。かの教祖様と血を同じくした家族が道を迷い、それを憂いている教祖様……。なんて痛ましい……」

 

 仏塚はちらりと目を動かし、伏せた時だった。

 二人と集団の間に煙玉が投げられた。煙は一瞬で辺りを覆い、隣同士にいる人間の輪郭さえ隠す。

 その中で颯爽と動く人影が一つ。

 

「な、これは!」

 

 狼狽える人だかりを後ろ目に、――()()は軒先の屋根へと移動していた。

 その場にいるのは三人。一人は仏塚、一人は派手な飾りを付けた柱――に俵抱きされているしのぶである。

 

「危ない所だったな。この俺が地味に助けてやらなきゃ派手に捕まっていた。感謝しろ」

「いやぁ、柱の方に助けていただけるとは。幸いです」

「もう何なの、何なのよ……!」

「事情は後で説明する。今はこの街を離れるぞ」

 

 元忍びにして音柱、宇随天元の助けあって二人は人の囲いを抜け出すことが出来た。

 彼の案内で万世極楽教の及ばぬ街へと移動し、藤の家紋の家に着いてからようやくしのぶは一息落ち着けた。これまで無造作に柱に抱えられていたせいで胃の中身がぐちゃぐちゃになっていた。

 

「な、何だったのよ。アレ。貴方、あんなに人を動かせる宗教の人と血縁なの?」

「これは信じて欲しいんだけど、俺の両親は万世極楽教とは無関係の人間だよ。ちなみに一人っ子。生まれる予定だった子がいたけど母子共に鬼に食べられちゃった」

「……えっと、ごめんなさい」

「いいよ、気にしないで。もう過去の事だから」

(そんなさらっと言われても、こっちが気まずいんですけど……)

 

 居たたまれない気持ちになりながら、それでもしのぶは疑問に思う。

 

(血縁じゃないけど……、教祖が血縁と言っているのは何故? この人って、そんなに求められている人なの?)

 

 “求められている人”といえば……、そうではある。鬼殺隊の中でも仏塚文寿郎は異質だ。

 独自の呼吸を開発し、複数の呼吸を扱い、鬼殺隊からの信頼も厚い人材。

 この人ならどんな場所でも人に認められてやっていけるだろうという確信はあれど、――ああしてまで欲しがられる程の人なのか。

 

(確かに、なんだかんだ言って優しい人なんだろうとは思う……)

 

 しのぶに稽古を付けたり、毒で鬼を弱らせてから斬る事も出来ると見つけてくれたり。

 姉と話している時に薄っすらと感じていた人形らしさも最近は気にならない。

 人形らしさよりも意地悪ばかりしてくる人という印象が強くなってきた。

 

 視線を向ければ「んー?」とばかりに表面上の笑顔が返ってくる。それが何処となく、いつもよりも固い笑みに見えたのは気のせいだろうか。

 

 畳の上でぐったりと伸びていたしのぶだったが、ス、と最低限の物音と共に現れた音柱に姿勢を正した。

 

「いい。一隊士にゃ疲れただろう。楽な姿勢で聞け」

「いえ、そんな事は……!」

「……単刀直入にお聞きしたいのですが。あの街で待機命令が出ていたのは貴方と合流する為ですか?」

「そうだ。喜べお前たち。――この派手な俺様との共同任務だ」

「柱と共同任務……!?」

 

 途轍もない嫌な予感が彼女の中でしていた。

 それは隣にいる男もまた、同じ心地だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 和室の中で可憐な鼻歌が響く。

 それはおおよその聞くもの全てが顔を綻ばせ、この鼻歌の主がこの上なく上機嫌なのだなぁと伝える程に軽やかなものだ。

 だが、それを聞いている(ぬし)は不機嫌極まりなく眉間に皺を作っていた。

 

「貴方様がこのような場所に来られるとは珍しい」

「童磨、私の言いたいことは分かるか?」

「『動き過ぎ・騒ぎ過ぎ・信者の増やし過ぎ』で――」

 

 ビッ、と血と肉の混じった線が部屋の壁に飛び散る。ありゃりゃと軽い調子で吹き飛ばされた顔を再生しながら、童磨は鬼の牙を見せながら屈託なく笑った。

 

「ですが、万世極楽教の運営に関しては私に一任するとのことでしたし、何より()()が現れた為、当初の契約通り……私は好きに行動させていただいているのですが」

「だから何だ? お前は衆目という言葉を知らぬのか? 目立ち過ぎるなと常々言っている筈だが、その花が生えて腐った脳には理解できていないらしい」

「ああご安心を! 警官の方にも手はございますので。それで幾つか事件の痕跡を消した事をお忘れですか?」

「滑稽な事を言う。一々言わなければ理解出来ないのか? そもそもその手を取るなと言っている。――お前と話をするとつくづく反吐が出る」

「そんな……。私は尊き御方と言葉を交わせて幸福の極みにございます」

 

 無惨は更に顔を顰めたが、――その意を察して童磨が椅子を用意し、そこへ鬼の始祖は足を組んで座った。

 

「その本懐とやらを捕まえるつもりか?」

「勿論です」

「鬼狩りであるのにか?」

「関係ありません」

「その手筈は万端か?」

「無論でございます」

 

 男は決まりきった答えにふんと鼻を鳴らす。粛々と答える童磨の思考に嘘偽りは無い。

 

「鬼狩りの拠点の位置は特定できたか」

「一名だけ柱の屋敷は特定出来ております。襲撃いたしますか?」

「時期は任せる。やれ」

「仰せの通りに」

 

 鬼舞辻無惨は霧の中へ埋もれ、その場を去っていった。

 ――童磨は使う血鬼術『結晶ノ御子』を扱い、周辺の鬼狩りの位置の特定、並びに戦力を削っていった。

 無論、御子が集めていたのは鬼殺隊ではなく本懐(兄さん)の居場所である。その他はおまけ程度にしか思っていないが、その思考を許されるぐらいには鬼の始祖へ貢献してきた。

 

 彼女は自身へ送られる御子の視覚映像を吟味していた。これまで視界に入っては消えていた姿が、ここ最近は留まる様になってからは胸の高鳴りも治まらない。

 自身(御子)に向けられた冷たい視線にゾクゾクと背筋に甘い電流が走って悶えそうになるのを堪えた。説法中だったので。

 

 これまでは無惨の意向もあり積極的に信者を増やす布教活動を行っていなかったが、王手を掛ける為に活発に動いていた。

 信者たちは鬼が活動できない時間帯(日の出ている間)に動き、兄の居場所を報せる情報源として大いに役に立っている。

 

(それで、隣にいる小柄な子は誰なのかな? 兄さん)

 

 随分と楽しそうに見えるけど。

 

 

§

 

 

 万世極楽教。新興宗教ながらその活動は広く、そして穏やか。故に今日(こんにち)まで排斥されること無く続いた。

 教義は『穏やかで楽しく生きることこそが極楽への道。苦しいことや辛いことはしなくていい』。

 

(……うっさんくさッ! ふざけた教えよ!)

 

 鬼殺隊と万世極楽教。両者が根本から分かり合えないのは当然の事だった。

 鬼を殺すというのは即ち苦行、茨の道を歩むのと同義。鬼殺隊を構成する者達の大概は苦い経験をし、それでも鬼殺の意志に邁進するからである。

 例え片腕を無くそうがもう片方の腕で刀を握り、鬼と戦う。そんな彼らに「苦しいことなんてしなくていいんだよ」と言えばどうなるか。

 答えは今のしのぶが身に染みている。

 

(潜入して捜査って……。無理よ、頭がどうにかなりそう)

 

 主に苛立ちで。

 現在、しのぶは万世極楽教――その拠点へ来ていた。『最愛の家族を強盗に殺されて、身寄りも無く寺院の噂を聞いてやって来た少女』として。

 門扉を叩いて対応した、白い装束を着た女性はしのぶの作られた身の上(概ね嘘ではない)話を聞くとほろりと涙を流した。

 

「あら……。今まで辛かったでしょう、苦しかったでしょう。此処ではもう苦しまなくていいのよ。さ、中に入りなさい」

「ありがとう、ございます……」

 

 しのぶが調べるのはこの組織の詳細な活動内容。予め宇随の嫁たちが潜入しているとはいえ、確固たる情報は掴めていない。

 そもそも彼女が潜入するのは単なる巻き込まれだったりする。

 

「いいか。お前は駄目元での潜入だ。既に潜入の達人たる俺の嫁たちが潜っている。あいつ等に掴めん情報をお前が掴めるとは思えない。とはいえ、こちら側の人手は欲しいからな」

「分かりました……」

 

 上司に喧嘩を売る訳にもいかず、若干顔を引き攣らせながらしのぶは潜入することとなった。

 彼女は講堂に案内され、他の信者たちに紹介されていた。対応した信者伝いにしのぶの話が伝わり、それにどの信者も痛ましそうに顔を歪めた。

 

「こんな若い身の上で……」

「なんと酷い」

「家族に取り残されるだなんて……、可哀想に」

(教祖とやらはいないのね)

 

 信者たちに悲しい顔を見せながらしのぶは辺りを見回した。恐らく教祖が座るだろう柔らかで大きな座布団の周囲に一面の花が敷き詰められている。

 部屋に吊り下げられている香炉は使われていないのか、煙が出ていない。

 

「貴女はこの寺に住み込むことになると思うわ。後で私たちが過ごす部屋を教えるけど、まずは寺を案内するわね」

「お願いします」

 

 ――と、ややカチコチになりながら案内されていくしのぶを遠目から見る影が二つあり。

 

 寺は山の一部を拓いた場所にある。ある程度なだらかな道を進むと寺の正門が待ち構えている。

 敷地を囲う塀があり、正門を真っ直ぐ進むと講堂に繋がり、講堂から右に客殿、左に信者たちが住まう堂がある。

 敷地の奥、講堂から繋がる道に祖堂と呼ばれる建物がある。

 

 寺院を囲む山林の影から万世極楽教の寺院を眺める宇随と仏塚だったが、二人の間に会話は無い。

 冷ややかな緊張感の中、先に切り出したのは宇随からだ。

 

「本題はテメェの方なんだよ。仏塚文寿郎。お前はあの宗教と何の関わりがある?」

「漠然としてるなぁ。もっとハッキリ言ったらどうかな?」

 

 首元に刃を突き付けられていようが仏塚の笑みは崩れない。舌打ちを抑えて努めて冷静な心持ちで宇随は苦無を握り直した。

 

「お前と教祖の関係は何だ」

「君って忍びなんでしょ? だったら分かるんじゃない。教祖の鬼が狂言を言っているだけだって」

「にしちゃぁ顔つきがそっくりで、しかも髪の模様までも似ているじゃないの。顔だけなら他人の空似で誤魔化せただろうが、その派手に地味な模様は見過ごせねぇな?」

「ええー、これ生まれつきなんだけど。あ、両親にはこんな模様は無かったよ」

 

 疑惑は二つ。

 仏塚と教祖との奇妙な相違点。そして、通じているかの有無。

 前者はともかく、後者は今ここで聞き出したいのが宇随の本音である。

 

「ぶっちゃけどーよ。お前、あの鬼と繋がってんだろ?」

「あはは、柱ともなると冗談が上手だね? ナイナイ、俺は立派に鬼憎しの隊士だよ」

「ほーん……。だったら何故お前たちが似通っているかぐらい話してくれたっていいじゃないの」

「だーかーら、俺としても分からないんだって」

「やっぱ血縁? あんな熱烈に探されるぐらいだもんなぁ」

「ははは。あははははは。あははははははははは」

 

 ――教祖が信者を使って捜す程に仏塚文寿郎の身は切望されている。

 抑揚も何も無い平坦な笑い声を放った仏塚は、それまで寺院へと向けていた目を宇随に移した。

 

「通じているかいないかとかは、()()()になれば分かるんじゃない?」

「テメェ……」

「襲撃された隊士たちの肺は壊れている。襲撃で生き残った隊士の証言は『氷のようなものが光った』。なんだか聞き覚えのある特徴の血鬼術を扱う鬼に……、襲われているみたいだね?」

 

 苦無の切っ先を下ろした宇随は今度こそ舌打ちをした。

 

「君たちの読み通り、上弦の弐は万世極楽教の教祖だ。氷の血鬼術を扱い、そして遠回しにこうも言った。『君たちの組織をいつでも壊せる』と。実際にあの遺体を検死した柱なら、今の状況の深刻さが分かるんじゃない」

 

 隊士に襲撃を行えるということは鬼側がこちらの位置を知る手段を持っているということ。隊士たちの位置情報が分かるのならば、おのずと柱たちの活動範囲も特定出来る。

 そして厄介なことに人心を掌握し、人間を手足の如く扱って昼間の活動手段まで得ている。

 

(鬼だけでなく、人までもが敵に回るってんなら話は大きく変わる)

 

 宇随はよく理解していた。鬼殺隊は人を相手にする組織ではない。

 呼吸術も一般人に向けて使うものではなく、鬼と戦う為の術。彼らが奮起するのは鬼の被害を食い止める為。

 もし守るべき人間から――、守った人間から刺されるというのならば。

 

 その先にあるのは組織の死。

 

 鬼殺隊の壊滅という、鬼の頭領が望むだろう未来。

 今の状況はその一歩手前。鬼側が情報を自由に扱っているのは、それだけで危険な事だ。

 

「ここで頸を斬れたらいいけど」

「……あん?」

 

 言葉を交わせば交わす程時間は過ぎ、陽が沈み始めていた。

 空は暗く、輝かしい弓なりの三日月が人を見下ろしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪い人ではないのだろうけれども。というのが彼女の感想だった。

 

(ここの人たちは殆ど、教祖とやらに心酔している)

 

 理不尽な事が起きれば人の心は弱る。身に起こった悲劇にどうしてと嘆く。

 もしそんな時に救いの手を差し伸べられたら、誰もがその人を恩人として慕うだろう。

 しのぶとて、あの日姉と共に生きていなければ……、きっと今よりも荒んだ心持ちで鬼殺隊にいた。『鬼を倒そう』ではなく、『鬼を全て殺す』域の殺意まで抱いていたかもしれない。

 

(それにしても、この慕われ様は異常ね……)

 

 彼女は来て早々、ここ信者にとっては至上の出来事らしい『教祖との対談』に呼び出されていた。

 

「きっと教祖様は、ご自身と貴女の気持ちを重ねたのね……。肉親と引き裂かれる苦痛は、きっととても苦しいわよね……」

(ええ、そうよ。両親が殺されて、私たちは身が裂けそうなぐらい、泣き暮れた)

 

 まだしのぶがしのぶらしくいられるのは、唯一の肉親である姉がいるからだ。姉との約束が彼女を人間として立たせてくれている。

 ――対談の場所は講堂の奥へと繋がる祖堂。渡り廊下から見える月夜の下、軒先に吊るされる灯篭に照らされてしのぶは進む。

 『亡き両親の形見だから』と持ってきた竹刀袋に収めた日輪刀を握り締める。

 

 彼女は茶屋で囲まれてからずっと、顔色が晴れる事は無かった。それも相まってここの信者も彼女の話を親身に聞き、自分の事のように悲しんだのだろう。

 

(でも、私は貴方たちとは違う)

 

 燻る心の中でいつも思う。――本当に今のままでいいの、と。

 

(理不尽に奪われて泣いて、そこで救われて……。――そこからよ。そこから、ずっと同じ場所で蹲っていて良い筈が無いのよ)

 

 宗教で救われたのならばいいのだろう。そこから新しく生きてもいいのだろう。

 でも、ここは違う。恐らくずっと、自分の受けた傷を舐め合っているだけ。

 教祖とやらに縋って、同じ境遇の同じぐらい可哀想な人間と一緒にずるずると腐っていくだけ。

 

 そんなのは御免だ。そんな事は認められない、自分が許せない。

 

(直接教祖と話せるんなら言ってやるわ)

 

 轟々と燃え盛る心の火を秘めて、絢爛な装飾が施された襖の前に立った。

 来ていた着物を脱ぐと彼女は隊服の装いとなった。

 ――そこから漂う、鬼の気配。背中に背負う『滅』の字に意識を改める。

 

「失礼します。教祖様がお呼びになられたと聞いて、やって参りました」

「どうぞ。入っておくれ」

 

 他の建物と違い、祖堂だけは外目から見ても華美に造られていた。彫刻の彫られた虹梁に、差し色に金の入った装飾たち。

 中の装いもそれに負けじと贅沢な作りをしていた。

 広々と敷き詰められた畳、煌びやかな壁と天井。釣り下がる香炉が廊下から入る明かりに照らされて鈍く反射した。

 

 中央に座すのは鬼。白橡の髪に帽子を乗せた、文字の浮かぶ極彩色の瞳はニコリと笑って来訪者を迎え入れた。

 室内の明かりに照らされる容貌は人が惑うのも無理は無い、濃艶な色香を漂わせている。

 

「やぁ、一人で来てくれて嬉しいよ。最初に話しておきたかったんだ」

「貴方が教祖で、そして上弦の弐ね。……姉さんを傷付けた鬼」

「んー? ああ、君はこの前会った柱の血縁なんだね。もしかして妹さんかな? 小さいもんね」

 

 金の扇を扇ぎながら笑う鬼に対し、蟀谷に血管が浮かぶ。フゥゥ、と自らを落ち着かせる為の呼吸を整えた。

 

「私も丁度聞きたい事があるの。貴女、どうしてこんな場所を作ったの?」

「こんな場所って……、万世極楽教のこと? 良いよ、答えてあげよう」

 

 柔らかな座布団に座ったまま、鬼は目を瞑るゆったりと豊満な胸に手を当てて歌う様に答え始めた。

 

「別に私が作った訳じゃなくてねぇ。死んだ両親が残したものを私が使ってあげてるだけ。人は皆、辛いことがあると縋りたくなるだろう? 万世極楽教(ここ)は昔から、そうして逃げてきた人たちを受け入れていてね。君はどうやら違うみたいだ」

「ええ。こんな場所でアンタみたいな鬼に縋って腐るなんてお断りよ」

「別に腐るばかりじゃないよ。ここで救われて外に旅立つ子たちもいる。私はここに来た子たち皆の幸せを願って、極楽への道を探す手伝いをしているだけ。慎ましく過ごしているだけなんだ」

 

 ちらりとしのぶは室内を見回す。慎ましいという言葉に反する装いだ。

 

「それにしては随分、立派な建物だと思うけど」

「寄付してくれる子たちもいるから助かっているよ。けれどもね、人は道を見失うんだ。救われてもまた、辛いことが襲って、その瞳を曇らせてしまう」

 

 仰々しい物言いで鬼は胸の前で手を組む。つう、と閉ざされた瞳からは涙が流された。

 

「その苦しみ、悲しみ、絶望さえも……。私にはありありと分かる。だから救ってあげている。――極楽へ行けるように」

 

 彼女は今の目の前の鬼が漂わせる気配を良く知っていた。自身が苦手だった男と同じだ。

 その鬼に浮かぶのは全てが表面上のもの。本当に辛くも、悲しくも、何とも思っていない硬質さを宿した演技の面。

 

「自分は信者たちを救っている。だから彼らを好きに食べたり、彼らを使って、見ず知らずの顔が似ているだけの()()を捕まえてもいいって事?」

 

 

 

 パチン

 

 

 

 扇が閉ざされた音が響き、――しのぶへと強烈な殺気が向けられる。

 下弦とも遭遇していない彼女にとってその身が感知する恐怖は凄まじい。だが、震える手も、燃える心も、それには屈しなかった。

 

「あのね、兄さんは()()兄さんなの。君はたったの数週間程度で兄さんと仲が良くなったなんて勘違いしているようだから言っておくけど、兄さんは誰にも心を開かないの。妹である私を除いてね」

「でもアンタ、姉さんと戦った時が初対面なんでしょ? 兄さん兄さんって。初めて遭遇した鬼に、本当の兄妹でもないくせにそう言われて、勝手に追われて……。それで自分に心を開くと思ってるの? ――馬鹿じゃないの」

 

 しのぶは刀を引き抜いた。戦力差は歴然としている。だからといって撤退を選べる程に冷静ではない。

 例え血が繋がっていなくても兄妹にはなれる。でもそれはお互いが認め合った時だけ。

 ――決して、困惑し怯える人に押し付けて成るものじゃない。

 

「お前が此処で一番嫌いだ。その性根が大ッ嫌い。他人の為と言いながら、全部自分の事しか考えてない。――此処で最も腐ってるッ……!」

 

 その攻撃を受け止められたのは、明らかな力加減が入っていたからだろう。

 鬼に取って他愛のない一撃だが、しのぶにとっては巨岩に打ち付けられたのと同等の重たさがあった。手から刀が落ちなかったのは最早意地だった。

 

 本性を現した鬼に浮かぶのは能面の顔。

 氷の視線が無感動に、一点の蔑みを宿してしのぶに突き刺さる。

 

「うん。私も嫌いだよ。弱い癖に子犬みたいに喚く女」

 

 ゆうらり。緩慢な扇の振りに素早さを交えた攻撃は弾くことさえ難しい。

 

(ゆっくりとした扇に気を取られて、防御も出来ないっ……!)

 

 防御したと思えば、その前に扇の刃がしのぶを傷付ける。目先の光景に囚われて碌に動けない。

 しのぶが一歩後ろに飛んで距離を取る。彼女の動きに目もくれず、鬼はくるりと片手の扇を要返しする余裕さえある。

 舞の途中で(たか)る蚊を追い払った様な扱いに、実力の差を思い知りながらも苛立ちが湧く。

 

(しかも、あの人の時は扇を両手に使っていた。今のアイツは片手……。明らかに舐められている)

 

 ヒュゥゥゥ――。使う型を見定める。

 

(例え此処で死んだとしたって、――この鬼の前から逃げてなどやるものか。才能が無くたって、死ぬかもしれないと思ったって、私のこの気持ちを曲げてなどやるものか!)

 

 水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き

 

 しのぶが扱える型の中で最も得意な型。全体重を乗せた真っ直ぐな突きを退屈そうに鬼は見つめた。

 

「随分遅いね~。ま、君はいたぶってから殺すことに……」

 

 鬼の言葉は続かない。両者の間に轟音が轟き、彼女は背後を振り向いて飛び散る破片を氷の蔓で防いだ。

 祖堂の背面に当たる場所が爆破され、月の光が差し込んだ鬼の瞳は文字通り輝いた。

 

 

 

「兄さん!」

 

 

 

 彼女の背後に浮かぶ氷の蓮から勢いよく蔓が伸ばされる。その余波で呆気なくしのぶは飛ばされて入り口まで飛んでしまった。

 

 霞の呼吸 陸ノ型 月の霞消

 

 執拗に伸ばされる蔓を、体を捻って繰り出される斬撃で斬り落として呼吸が変わる。彼の体に見える霞は――冷たい空気。

 

 霜の呼吸 伍ノ型 堅氷至り

 

 空中で鬼との距離を詰め、斬り上げられる刀を受け止めた。狂喜を滲ませた鬼はうっとりと対面した男を見つめた。

 

「そろそろだと思ったんだ。あはっ、また逢えて嬉しい!」

「これで最後だからもう一度言っておくよ。死ね」

「ヤダぁ、兄さんってば、面白い冗談を言うね。鬼は死なないよ。例え兄さんが相手でも!」

 

 けほ、と背を打ちつけながらしのぶは立ち上がる。土煙を払う程の剣戟が目の前で繰り広げられているのを、嘆息しながら見ていた。

 

(早い。目で、追えない……。それでも、呼吸の音が違うから、あの速さの中で瞬時に呼吸を切り替えている)

 

 霞に霜、炎に雷。水に風。土に花。

 はっ、はっ、と重たい息を吐き出す。内臓が痛い、節々が軋んで体に動くなと言っている……。

 

(頸、頸を斬らなければ……!)

 

 刀を握り直そうとしたしのぶに「大丈夫ですか」と優しげな声が掛かる。

 万世極楽教の信者の恰好をした、黒い髪の女性――宇随天元が潜入させた妻の一人、雛鶴だった。

 

「今手当てをしますから。掴まって」

「すい、ません」

「いえ、むしろこちらが謝るべきね。長く時間を稼いでくれて助かりました」

 

 しのぶに言い渡されたのは時間稼ぎ。潜入し、教祖と一人で接触が可能ならばなるべく会話をして時間を稼ぐこと。

 思いのほか相手が話に興じてくれたので、万世極楽教の信者の避難に加えて祖堂の爆破も行えた。

 真打は彼らだ。……しのぶは頭を冷やす。

 

 爆風で堂の襖全てが吹き飛んだことで、渡り廊下へ避難した二人には見えた。

 ――あの爆風の中、気配を消し、呼吸の音すら消した巨体の男が鎖で繋がれた日輪刀を笑う鬼の頸へと振り下ろす様子が。

 

「あ、もう一匹いたんだ」

 

 血鬼術 枯園垂り

 

 奇襲の一撃は見てから振るわれた片手間の扇とそれに付随して作られた氷柱によって防がれた。

 

 血鬼術 凍て曇

 

 何の技が出されるのかを察した仏塚が『吸うな』のハンドサインを示し、視認した宇随は瞬時に呼吸を止めた。

 仏塚が出すものより遥かに強力な冷気が扇によって散布され、振りまいた鬼の周囲を凍らせた。

 一歩遅れていれば彼の肺が犠牲になっていただろう。脅威を新たに認識した宇随は日輪刀を構える。

 

「ッ、なるほど。面倒だ」

「おやぁ……、随分強そうだねぇ。早いし、直前まで気配も分からなかった。でも兄さんとしてる方が楽しいや」

 

 これには仏塚も思わずゲーっという顔を隠さない。だがしかし……。

 

(吸っちゃったなぁ。不味いかも)

 

 柱の負傷は抑えられたが、それで自分が吸ってしまっては元も子もない。呼吸で壊れた細胞からの出血を抑えつつ、次の型を出す。

 

 炎の呼吸 壱ノ型 不知火

 

 取った距離を詰めて頸を狙う。防御する氷の蔓をも引き裂く一撃だが、舞の途中で宇随を蹴り飛ばして鬼は仏塚の剣戟を扇で受け止めた。

 

「そんなに求めてくれるなんて……。本っ当に兄さんは私を喜ばせるのが上手だね!」

「勝手に喜んでるだけでしょ」

「兄さんから貰うなら何でも良いの。でも、もっと兄さんと遊びたいから……」

 

 雷の呼吸 肆ノ型 遠雷

 

 不味いと直感で感じた仏塚は強く踏み込んだ一撃で二つの扇を合わせた箇所を狙いはしたものの、入った刃は浅く、相手の行動を阻害するには至らなかった。

 

 

 

 血鬼術 結晶ノ御子

 

 

 

 ――シャリン。

 勝負の間において不似合いな程に軽やかな音が響いた。

 

「じゃ、よろしくね」

 

 ぽーいっと鬼が宇随へ向けて軽く投げたのは氷の人形。果てしなく嫌な予感がした宇随は即座にその人形から離れた。

 

 血鬼術 冬ざれ氷柱

 

 血鬼術 蔓蓮華

 

「ああッ!? ()()()()()()()ッ! 性質悪ィな!!!」

 

 空中からの氷柱と蔓蓮華と共に発生した冷気を避け、伸ばされる蔓を弾く。

 氷の人形だが、そこから出される血鬼術は本体と同等の威力。小さい標的、『氷のようなものが光った』という隊士の証言が正解へと導いた。

 

「この人形で襲ってやがったのか! 道理で襲撃されまくる訳だなァッ!」

 

 宇随は本体へと近付きたいが、氷人形がそうはさせない。

 ――脳裏で譜面が完成する暇も無い。撒き散らされる冷気を吸わない様にする為に回避ばかりで、攻撃にも移れない。

 

(とんだ、鬼殺隊殺しの鬼じゃねーか……!)

 

 ふふふ、と鬼の笑い声が響く。

 先程から仏塚は嫌な予感ばかりしている。その為か、頸を斬る為に攻撃に踏み込むことが出来ず防戦を強いられている。

 

「どうしたの? 兄さんから来ないね。あ! もしかして吸っちゃったの!? もう、どうして吸っちゃうの兄さん! あれくらい避けてよ!」

「避けるも何もお前が使わなければ済む話じゃない?」

「いいや、これは避けられなかった兄さんの責任だね! 仕方ないなぁ、後で医者を手配しておくからちゃんと言うことを聞くんだよ」

(会話が通用しないのはいつもだけど。今回は輪を掛けておかしい)

 

 狂人の思考を察する程無駄な事は無いだろうが、それでも仏塚は思考を続けていく。

 

(一緒に帰る。……まさかね。いや……)

 

 仏塚は突入前、この寺院を俯瞰して見えた光景を思い起こす。山の中の寺院、贅沢な作りの堂。何か引っかかるものがあった気がする。

 怖気のする視線と扇、血鬼術を受け流しながら思案し続けて。

 

()()()()()()()()?)

 

 確認する為に彼の足は爆破で出来た穴から外へ。寺院の敷地を囲う塀を足掛かりにまだ形を残している祖堂の屋根へと登った。

 白い羽織を靡かせて屋根からこの敷地を見下ろす。

 

 ――この敷地に、池は無かった。

 

「……気付いちゃったぁ? だって、私たちにとって大切な場所だったもんね。あそこは」

 

 背後から追いかけてきた鬼の、穏やかな口調に振り向く。

 月光が鬼の血を被った髪と特異な瞳へと柔らかに降り注ぐせいか、瞳の奥がよく見えた。

 ――獣染みた欲を漲らせ、輝いている様に見えた。

 

 悪手を悟った。戦闘に於いて冷静な判断が出来なければ待ち受けるのは最悪の事態のみ。

 

「……お前は全部知っていた? 知っていて()()()()()()をした?」

()()()()()()()()()()。それだけ、それだけなんだよ、兄さん」

 

 ――彼には鬼の背後が見えていた。応急処置を終えた後の彼女が、同じように塀を伝って屋根に上り跳躍した姿を。

 意地でも鬼の頸に食らいつく為に繰り出した技の兆しが。

 

 

 水の呼吸 捌ノ型 滝壷

 

 

 しかしそれでは足りない。この鬼を斬る為には足りない。

 当然この鬼は背後からの気配に気付いていながら敢えて放置した。

 その刃が自身に近付く間際を狙って……、片手で扇を振り上げた。

 

「ほえ……?」

「……え?」

 

 その場にいる二人が目を見開かせた。

 

 ――扇が斬り上げたのは仏塚の左目で、思わず鬼は動きを止めた。

 

 彼は鬼の体を押して位置をずらしたのだ。なんで、としのぶが口を動かした。

 対し、鬼の女は花も恥じらう眩しい笑顔を見せてその体を抱き締めた。彼女の頬は赤らんでその喜びを嚙み締めた。

 

「――嬉しい! 兄さんの方から来てくれるなんて!」

 

 離れようとした仏塚の体を鬼は絶対に離さない。もがく体に対し、人体が壊れない程度に力を込めて――押された勢いのまま、背から屋根を落ちる。

 

 

ベン

 

 

 琵琶の音が鳴り、二人が落ちる地点に一つの障子戸が現れた。そこから見えたのは――畳のある室内。周囲の光景から切り取られた様に、空間自体が異なっていた。

 

 技が不発に終わった彼女は二人の後を追って落下する。

 手を伸ばすしのぶに対し、童磨はただただ勝ち誇った笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君たちの負け♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バツン

 

 

 

 開かれた障子戸は二人の体が落下しきる前――、仏塚の片足を残して、閉じられた。

 障子戸はパッとその場から消えて、碌に受け身も取れずしのぶは地面に体を打ち付けた。

 

「ぐゥっ……!」

 

 痛みに震えながら体を起こすと、膝から下の足が目に入った。

 呆然と、脳が理解を拒む。

 

「……あ、ああ」

 

 ――己は間違った行動を取った。怒りに任せて、してはいけない行動を取った。

 それを彼は庇った。あそこで死ぬのは自分だった。

 自分が頭に血が上って行動を逸らなければ、……彼はいたかもしれない。

 

「ああああ……」

 

 自分のした行い、そして起きてしまった結果。

 拒んで尚答えを導く明晰な頭脳は、彼女の内に濁流にも等しい激情を生む。堪え切れなかった慟哭が涙と共に溢れ出した。

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!」

 

 

 

 ――同時に、氷人形が割れた。駆けつけた柱はその光景で全てを察した。

 

 男の形をした足の前で、指先から血が滲む程に強く強く、土を搔く少女の姿で。

 

「……顔を上げろ。胡蝶しのぶ」

「……」

「それを持って退却するぞ」

 

 

 ギリ……。

 

 

 誰のかも分からぬ軋む音で、嗚咽と涙の流れる音が止まる。

 

 微かな呼吸の音が響く程重たく、静かで長い沈黙の間。

 

 

「………………は、い」

 

 

 ――こうして、万世極楽教の潜入任務は一人の犠牲を持って終いとなった。

 その日以降から鬼殺隊への襲撃は止んだ。上弦の鬼がこの結果を求める為に攻撃していたのだと、一人の柱は理解した。

 

 音柱と仏塚文寿郎、胡蝶しのぶ。彼女たちの共同任務は伏せられ、仏塚文寿郎の訃報が親しい者達に届けられた。

 

「嘘だろ……。アイツ、死んだのか……?」

 

 賭博場から出てきた隊士は驚き。

 

「そうか」

 

 水柱は多くを語らなかった。

 

「……」

 

 風屋敷で報せを受け取った柱は静かに道場の真ん中に正座をしていた。彼の前には小さな壺が置かれていた。

 片足分だけが入った骨壺だ。

 

 彼はその壺を思い切り握った。柱の尋常でない力を込められた壺は容易く壊れ、壺の破片と中に残った骨が壊れながら彼の手に突き刺さっていく。

 

「――鬼は、俺が全て殺す」

 

 血の涙を滴らせたまま、修羅が立ち上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面と時間を遡って、障子戸の向こうへ消えた二人へ視点は戻る。

 仏塚文寿郎は刀を持つ手を上から抑え付けられ、床に伏していた。今の彼の体は足を切断された痛みと肺の痛みを堪えていた。

 

「ああ、兄さん。ようやく帰ってこれたね。嬉しい……! おかえり、おかえりなさい」

(失敗した。――失敗した!)

 

 あの場の最善策は戦力である己が生き残ること。――庇うなんて事はしてはいけなかった!

 

 だと、いうのに。一瞬体が、思考を置いて勝手に動いた。

 

 これでは全ての機会を無くしたも同然。己がこの鬼の手中に収まることは必ず避けなければならなかった。

 例え、自分の代わりに人が死ぬとしても。

 

(でも、嫌だったのは、何故? 不快に思ったのは何故?)

 

 才能も無い、体格も小さい女の隊士なんて育てる価値は無かった。

 だが襲撃対策の為に二人組を組むと言われてからは自分の思いのままに動けない。相手は自身よりかなり弱く、体力も無いから移動する時間も掛かった。

 暇だったから鍛錬を見ていただけ。良い事は無かった。ただ手間ばかりが掛かるだけの時間だった。

 

(それでも才能が無いと泣きながらも、それでも己に食らい付かんばかりの目をする彼女を、失いたくなかったのは、何故……?)

 

 見捨てれば良かったのに不合理な行動を取った。

 困惑する仏塚を他所に、鬼は喜色を隠しもしない。

 

「兄さんらしからぬ動きだったけど、こうして私の元に帰ってきてくれた! それだけでもうなんでもいいや!」

 

 鬼は彼から日輪刀を奪い取り、彼女は木の棒を折るかの如く簡単に折った。からん、と折れた破片の落ちる乾いた音が響く。

 

 刃に触れて焼けた皮膚を再生している指がつう、と項垂れる兄の顎を持ち上げた。

 血の流れる左目と(から)の色をした瞳が震えて鬼を見上げた。そこに確かに滲むのは恐怖。

 

「ほら、そんな顔しないで。兄さん、今日からずっと傍にいるよ。誰も私と兄さんの邪魔をしないよ。そう誰も。両親も、信者も、人も、鬼も、生と死も……。誰も、だぁれも……もう二度と、引き裂いたりしないし、させない」

 

 彼には目の前の鬼が取る次の行動が、手に取る様に分かった。

 鬼は天女の如く嫣然(えんぜん)と微笑んだ。

 

「兄さんが二度と離れない様にもう片方の足も斬っちゃうね」

 

 ああ。彼は嘆息した。

 

(地獄って現世(ここ)にもあるんだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

§

 

「やだ、やだやだぁ! 兄さんも一緒に来てよ、来てよぉ!」

 

 熱病で死ぬ間際の己を送り返しに来た“兄さん”に向かって何度も縋った。

 ずっと水面の奥から見ていた、大事な人。大事な片割れ。

 妹に生まれる命を譲った、代えがたくて憎らしくて愛おしい人。

 

 貴方が生を譲らなければ全ての苦しみは貴方のものだった。

 なのに貴方が私の代わりに苦しむのは、それは自分が苦しむよりも激しい痛みを産んだ。

 

「だから、()はもう死んでいるから、君とは一緒に行けないんだよ」

「このまま()()()も一緒に行けばいいでしょ。そうすれば、一緒にいられるでしょ」

「……」

「もう、もう嫌だ。嫌だ! だって誰も私を見ないもの! だって、誰も私を勝手に使うだけだもの! わたし、私を見てくれるのは、()()()っ、しか、いないもん!」

 

 泣きじゃくる金糸雀が縋るのは、己と同じく柔らかな肉体を持ち、()()()()()()()()()()片割れだ。

 

「そんな事は無い。今は苦しいかもだけれど、きっと、君を見てくれる人が現れる」

「そんなのいない、いない……! いたらどうして私を助けてくれないの。私が泣いても、誰も助けてくれなかった。酷い、酷い、()()()、酷いの……!」

「……まずはあの山を離れよう。そうしたら、きっといる筈だよ」

 

 ぼろぼろと溢れる妹の涙を、“  ”は優しく拭った。

 

「死んでいるよりも、生きている方が良いからね。だから、私はお前に譲ったんだ。私の代わりにとまでは言わない。でも、たくさん幸せになって欲しい」

「う……」

 

 “  ”は慈愛に満ちた動きで妹を抱き寄せた。何も体温は感じない、それでも確かにある温かさが痛みを癒した。離れたくない一心で“  ”の衣を握った。

 

「さ、戻りなさい」

 

 それでも川の向こうへと優しく投げられた。とある妹は、こうして意識を取り戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――この日の為に幾度も思考を巡らせた。

 蘇ったあの日から、ずっと忘れない様に記憶を焼きつけた。何度も兄さんの言葉を刻んだ。

 だから山を離れようとした。けれど小さな足では山を下りることさえ時間が掛かり、大人に簡単に連れ戻された。この人たちはどう足掻いても私に縋りたいらしい。

 

(本当は誰だっていいのに。私に何かを見出して、勝手に悔いて泣いて喚いて暴いて)

 

 誰かが私を顧みたか。誰かが私を幸せにしたか。

 ――否。誰もいない。その全てを満たしたのは兄さんだけだった。

 

(兄さん。兄さん。私はずっと、貴方に焦がれています)

 

 睡蓮の咲く池の向こう、いつも見える兄さんに向かって手を伸ばす。湖面の中の彼は寂し気に目を伏せている。

 

(兄さん。兄さん。どうしたら私は貴方に逢えますか)

 

 あの時の様に逢って言葉を交わしていたい。ずっと傍にいて欲しい。あの時みたいに抱いて欲しい。

 

 考える。考える。考える。

 兄は私が死にそうだった時に現れてくれた。地獄(こちら)へ来てはいけないと送り返してくれた。

 

 送り返した? どうして? 私が幸せになる為に?

 

 長く歳月を掛けて尚散らばる思考が、ある日唐突に繋がって一つの解を生み出した。

 

(……私が。人としての道を踏み外せば、貴方は私を、元に戻しに、来てくれますか)

 

 ――気付いてしまえば、それからの生に虚無が訪れる事は無かった。どんな苦難も痛みも兄さんと生きる為の糧と思えば悦びに変わった。

 しかしながら、決定的に人という枠組みを踏み外せる手掛かりはなかった。ただ罪を犯そうが兄は戻しには来ないだろう。水面の奥で目を伏せるだけ。

 

 二十歳となった年のある日。人ではない気配をしたモノが寺院に現れた。

 揺らめく黒い髪と紅梅の瞳が印象的な、端正な顔立ちをした男だった。

 

「“神の子”とやらを聞いてきたが、つまらんな。毛色が違うだけではないか」

「……そういう貴方は他の人間と何かが違うのでしょうか?」

「私を人間と同一視するな。――私こそが至高、私こそがこの世で最も優れた生物だ」

 

 その男は語った。自らが人とは違う括りにいる生物であると。

 陽の光で滅び、人の血肉を啜り、妖術さえも扱えるようになると。

 本当か否かは男がその腕を触手へと変えたことで確信した。

 

 本当の、人の括りから外れた生物であると。

 

「私はその生物になりたい。なれば、逢える人がいる」

 

 そうして人から鬼になった。人間が食べる食物を受け付けなくなったが、何も問題は無い。食料(にんげん)は幾つも補充できるし、好きに食べられる。

 不老の肉体を得て極楽教の教祖は永遠のものとなった。老いぬ肉体と神々しさを秘めた容姿の教祖が切衆生を救うという話は人の好奇心をくすぐり、そして見に来た人間を信仰の沼へ引き摺り落とした。

 

 極楽教から万世極楽教と名を変えた。信者を救済という名目で食らい、時に出歩いて己に惹かれる男を食らい、悩める女を食らい、血鬼術に目覚めた。

 やがて上弦の鬼まで登り詰めて、あの方の意を汲んで動くことで私の願いを叶える余地を作った。

 

(其れも、是も、私の全ての行いは――この日の為に積み上げたもの)

 

 腕の温もりに溜息が漏れる。愛しい人の血肉はどんな稀血にも敵わないと知る。

 彼の血と肉がこれまでの飢えを癒す様に喉を、全身を潤して、蕩ける程の幸福感を齎す。

 先程舐めて噛み締めた眼球は正に天上の、極楽に往ける程の衝撃を身の内に齎す甘露。

 柔らかな羽毛に倒した体の上に跨って、血で濡れた手を絡めて、此方を射抜く一つの目を見つめた。

 

「兄さん。兄さん。私はずっと……、貴方を待っていました」

 

 水面の奥から来てくれるのをずっと。

 待ち侘びていた。

 




長々とした蛇足

本編との違い
・童磨♀
・本編で死んでる人間が生きている
・無惨様の童磨への好感度(明確な欲求と貢献度がある為、こちらの方が高め)
・ホモの獲得してるスキルがかなり豊富。ついでにこの時点で特徴:『次代』持ち
・現時点で好感度最大なのが賽河(済)・おはぎ柱(済)・??(済)・鮭大根柱(済)・カナエ姉貴・しのぶ姉貴(済)。
・おや……? しのぶ姉貴の様子が……。


妹は遠くにいる兄に出会う為という乙女心(?)でひたすら動きました。
弟は「確実に会える訳でもないあにに向けて動くなんて馬鹿の極みじゃない?」という現実的思考によって無神論者思考へシフトし、「信者を救済する」という目的で動きました。

つまり、どっちとも蘇生後に“あに”・“  ”に向けて動くものの、途中で虚無感を感じる。
それを乗り越えて動けたか、の違いで分岐する感じっス。フラグ管理がキチィっス。

それはそうと、“  ”だっつってんのに兄さん呼びする妹はどうなんですかね。
どう思う? “  ”殿?
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