カフェ『ふろすと』。昼間はカフェ、夜にはバーにもなる店だが、今回の話は昼。
昼の間は学業終わりの学生が来る。だがここはキメツ学園から離れた場所にある。学園からの距離で言えば神崎家が経営しているあおぞら食堂の方が近く、このカフェに来るまでにファミレスやチェーン店のカフェもあるので、ここまで来るのはゆっくりしたい子たちばかりだ。
「いらっしゃい」
カランコロンとドアベルが鳴り、店に来たのは常連客の一人の胡蝶しのぶ。彼女はぺこりとお辞儀をしてからテーブル席に座った。
おしゃべりしたい時にはカウンター席へと座るので、今回は勉強に集中する為に来たようだ。
「ご注文は」
「アールグレイでお願いします」
彼女がこのカフェに来たのは本当に偶然の事で、後になってから姉のカナエが「実の妹です」とニコニコと答えた。
紅茶用の湯を沸かしながら様子を見ると専門外の用語ばかりが並ぶ分厚い薬学の本とノートを開いてサラサラと勉強中。様々な多言語の本をも取り出している様は流石、文武両道のスーパー高校生と呼ばれるだけある。
(俺が高校生の時はそういう子いなかったし。頑張れって応援したくなっちゃうよね~)
と弟に話したところ、彼は眉を寄せて苦々しく笑い「俺と兄さんとでスーパー双子ブラザーズやってたの忘れたの?」と言われた。
確かにお互い赤点という言葉からかけ離れた位置にいたし、試験の順位は上から探した方が早いし、運動音痴ということも無かった。加えて弟は金髪に虹のような目をしているので特にモテていた。
まあそんな事もあったが、それはそれ、彼女は彼女だ。
店内をちらりと見る。なにかとしのぶに敵対心を燃やす弟もこの前休んだ都合でかなり忙しくしている。
出すなら今しかないだろうと、文寿郎は紅茶を淹れる傍らで準備を進めた。
「お待たせしました。紅茶です」
「……注文した覚えのない物があるんですが」
「これ? 試作だからお金はいらないよ~。後で感想聞かせてね」
テーブルの元に置かれたのは紅茶と、レアチーズケーキ。
くっきりと分かれたクリームチーズとクラッカーの層に、目を惹く鮮やかな葡萄色のジャムがしどけなく凭れている。
ふわりと優しく芳香が紅茶の匂いと共に香り、しのぶはリラックスした様子でチーズケーキにかかるジャムを観察した。
「なんです、これ。花の形が残って、……藤?」
「そう! 藤の花のジャムを作ってみたんだけど、もっと色々と意見が欲しくって」
「藤のジャムですか。珍しいですね」
ではごゆっくりと文寿郎はカウンターに戻ると、ソワソワした常連客に「俺もあの藤のジャムの試作くれない?」とねだられた。
それを横目にしのぶは勉強の手を止めて紅茶を飲む。ふ、と舌に広がる芳醇な香りと溢れんばかりの旨味に淹れた人間の技量が伺える。
じんわりと紅茶の熱が体に行き渡って強張った筋肉が緩む。しのぶはこの穏やかな時間を好んでいた。
(藤のジャム……。なんで作ろうと思ったのかしら)
この店のオーナーたる彼、仏塚文寿郎は色々と試作のスイーツや軽食を作っては常連客から意見を貰っている。
その中でもしのぶによく試作品が来るのは、彼に少しは頼られていると思っていいのか。
フォークで切り分けたケーキに少しのジャムを絡めて口に運ぶ。しっとり、藤の花の良い香りと優しい甘さが口内に広がる。
(……本当に美味しい。弟さんさえいなければ本ッ当に良い店)
もしこの場に店主の弟がいれば「あれ~、しのぶちゃんってばお勉強? 学生らしくて偉いねぇ」と何かと話しかけてきて邪魔しに来ていたに違いない。
兄と違って弟は明確に邪魔をしようと話しかけてくるので、しのぶには天敵認定を受けている。
それでもこの店に通ってしまうのは、なんだかんだ居心地が良いからだろう。
店にゆったりと流れる空気、会話を邪魔しないピアノの音、そして。
(……絶対に言ってやりませんけど)
紅茶と予定外のケーキで一息つきながら彼女は黙々とノートにペンを走らせる。
ケーキが終わり紅茶をお代わりして、頭を悩ませながら机に向かってと。穏やかに時間を過ごしていると日が暮れ始めていた。
広げた勉強道具を仕舞い、会計に向かったしのぶは緩く笑う店主に「どうだった?」と聞かれた。
「香りも程よくて、甘さもあって美味しかったですよ。酸味の効いたチーズケーキとも相性は良かったです」
「良かった! しのぶちゃんって正確に教えてくれるから有難いんだよね~。不味かったら不味いって言ってくれるし」
「不味い試作を出される度にうんざりするのはこちらなんですけどね」
「手厳し~」
はい、とお釣りと一緒に渡されたのはラッピングされたクッキー袋だった。
「……なんです、これ」
「試作。来年の夏に向けてテイクアウト品増やしたくってさ。また感想教えてね」
「ああもう……。分かりました。今度店に来たら教えてあげます!」
逃げる様にしのぶは店を出た。しばらく足早に歩いて、周囲に人がいないことを確認して乱暴に持った袋を再び見た。
『受験勉強頑張って!』と丁寧な字で書かれただけの袋に、嫌に鼓動が早打つ。
「なんなのよ、あの人……」
自分の顔を見たくない。ラッピングを解いて口に放ったクッキーは優しいレモンの味がした。
§
日が早く過ぎていく。夏には仲の良い兄妹をバイトに雇ったり、冬場では勾玉を付けたバイトくん考案のケーキが人気になったりもした。
そのおかげで今年のクリスマスはパティスリーレベルに忙しかった。好評かつSNSで広めてくれるのは嬉しいけど、あまりにも注文が殺到すると作るのが大変で大変で……。
夜は夜で忘年会二次会場になるし、文寿郎は昼も夜もあちこち動き回っていた。
そんなドタバタを乗り越えて、こたつでだらだら出来る年の終わりに漕ぎつけた。テレビの中では年末だというのに警察が慌ただしく脱税者を追いかけていた。
「仕事納め! たっだいま~!」
「お帰り、弟」
流行していたインフルエンザから回復した弟も今年の仕事は終わり。年末年始は事務所を閉めて、今年は嘴平一家と……。いや、伊之助たちは同級生と初詣に行くらしいので琴葉と親戚の祖母と初詣に行くのだったか。
ミカンを剥きながら一粒口に放り、爽やかに果汁が弾けた。
「伊之助くんも大きくなったし、友達も出来て良かった良かった」
「イノシシくんにあんな友達が出来るなんてね~。俺としても安心したというか、これ……」
スーツから着替えてこたつに潜り込んだ童磨がはっと、気付く。
「これが……、親心……!」
「かもね。他人に興味がまったく湧かないお前がそんな気持ちになるなんて驚きだぜ」
「兄さんに言われたくないかもごごご」
笑顔で文寿郎は弟の口に余ったミカンを突っ込んだ。騒がしい口は塞いでおくのが一番。
「年越しそばの用意でもするよ。ゆっくりしてて」
「ふぉーい」
文寿郎は温かな温もりを手放し、こたつから離れてキッチンに立つ。予め用意された鍋に水を溜めていると「そういえば兄さんさぁ」と、童磨から声が投げられる。
「なんだい弟よ」
「俺の机に張ってあったメモが消えてたんだけど」
「そう。腕でも当たって取れちゃったかもね」
「でさ。その取引先の男が今画面上で取り締まられてるんだけど……」
「たまたまじゃない?」
「いーや、あの黒子の位置と鼻の形はその人だったよ。月を跨いで相談する予定だった。結局こうして相手方が忙しくなってるから相談予定自体無かったことになったんだろうけどさ」
「へぇ……。違法な金の流れに巻き込まれる前で良かったんじゃない?」
薬味のネギを切る音が響く中、ちらりとも視線を寄越さない文寿郎へと童磨は目を向けた。
「なーんか前にもそういう事あってさ……」
「ふんふん」
「兄さん、何かしたでしょ」
とんとんとん……。言葉は返らず、ニュースの報道と作業する音が嫌に大きく聞こえる。
包丁を置いた兄が振り返った。何も変わらない微笑みを浮かべて。
「それ、聞いてどうなるの?」
「だって気になるじゃん。別に兄さんが犯罪しようが今の俺なら幾らでも抜け穴探せるし」
「やだなぁ、俺は何もしてないよ。ただ世間話していたら
「そんなに怒ることかい? 小さかった俺を神輿にして父さんの宗教で甘い汁啜ってた人間が生きてることって」
「世間一般では許せないものじゃない?」
そう言葉にする割に声音は淡々としており、怒りを堪えている様子でも無かった。
沸騰した水の中にそばを入れて茹でる姿には何の感情の乱れも無い。いつも通り、昔から目にする兄の姿。
「……ま、俺としては何でもいいよ。何でもね」
「なんだいなんだい、随分曖昧な言い方をするじゃないか」
「べっつに~? あ、そばまだ? お腹空いたんだけど」
「
「それは嫌」
口にして間もなくどんぶりそばが童磨の前に置かれた。出汁の匂いと香ばしく焼かれた餠が乗った年越しそば。
透き通るつゆに二つの同じ顔がぼやけて映る。
別に、兄が何かしら思おうが思わなかろうが、童磨の中での答えは昔から決まっている。
「「いただきます」」
――そうして、文寿郎は餠を喉に詰まらせた。
シリアスな空気も形無しの年末である。
しゃぁっ!キメ学ひとまず終わりィ!