一番最初の記憶にあるのは、川を流れる箱に流されていたこと。
跳ねる水飛沫、揺れる箱、徐々に溜まり始める水。状況が理解できず、ただ箱の中で震えている。
突然、箱が揺らされ水の中に引き込まれる。何かに掴まれ、抵抗も出来ず、ただ死を悟った。気がつくと、私は土手で彼に抱えられていた。
それが少年との出会いだった。
家の裏手の庭の番として繋がれて、少年と共に育った。
あの時、私には何かわからなかったが、私が住むのは店で、何やら人は物を買いに来ているらしい。暇になると往来をたまに垣根の隙間から覗いていた。
夕暮れに近くなると、必ず少年は私を紐で繋いで何処かへ連れて行く。出会った川の土手であったり、家々が並ぶ街を特に当てもなくついて行ったりした。
今でこそ、人間と繋がって意味がわかることが多いが、少年は随分とまじめな性格だったようだ。
雨が降るなり、体調を崩したりでもなければ、共に見回りに行くのを休むということはなかった。非常に暑い日では、私も辛いのだが、それでも少年は汗でびっしょりになりながら、一緒に走ったりした。
呼吸を早くして口からなんとか熱を出すのだが、人間とは毛が無い上に汗をかくとは不便そうな体質である。とはいえ、汗は取り込んだ馬の助言により、今の身体でも体温調節に便利だからか残しているようだ。私は匂いが気になる。
そうこうしてる時、少年が怪我をしていることがあった。何事かと気づけば、家に住む男、後に少年の母親のつがいとわかったが、夜中に暴れるようである。平時はこちらを見るだけの大人しい男だったのだが、あの嫌な匂いのする酒というものは良くない。
以来、夜中に叫び声が上がったり、物が飛んで壊れる音がするようになった。時にこちらも吠えて警戒するのだが、男に時に茶碗を投げられたりもした。当たらなかったが、紐さえなければ噛みついてやるつもりだった。
そうした日の次の日は、少年は土手に行くと、何やら遊びもせず、私に抱きついたり、私に何かを語りかけることが増える。何を言っているのかわからなかったが、彼が悲しんでいることは理解できた。
ある日、少年に抱えられて、馬の引く車に一緒に乗せられた。大人しく抱えられていると、随分と家が少ない山奥に連れて行かれた。あの男はいなかった。どうやら新しい住処であるらしい。
朝、日向で寝ていると少年に起こされ、畑に連れて行かれる。少年は大人たちに混じって何やら働いているようだ。
私は木に繋がれて、辺りの番をする。たまに獣やらが近づいてくるのを感じて吠えると、大人たちは武器を構えて獣を追い回したりしていた。そういう時は少年はおやつをくれる。
しかし、少年に連れられて村の回りを歩いていると、少年と同じくらいの大きさの子供たちが、少年に石を投げたり、こちらを棒で叩こうとしてくることがあった。
訳もわからず反撃しようとするが、少年は子供たちからは逃げ回るだけで、紐を強く握って子供たちの方へ行かせてはくれない。
そんなことが続いたある日、少年が捕まり、子供たちに棒で叩かれている時に紐から手を離した。
私は子供の一人に噛みついた。言っておくが、服の上からだったし、興奮はしていたが手加減したつもりである。私だって躾はされているのだ。
その後は紐を掴み直した少年に引っ張られて逃げたのだが、しばらく経った昼のことである。
畑仕事とは別に、村の大人達が用があるらしく誰もいない時、小屋に繋がれている私を子供たちが取り囲んだ。
私は袋被せられて、棒で散々に殴られた後、何処かに乱暴に引き摺られて、動けなくなったところを袋から出された。
あの時に噛みついた子供が、身の丈似合わない刃物を持っており、私の首元を・・・。
さて、『ポチ』よ。お前は新しい名前と首輪をもらったようだが、あの時のように彼女に危機が迫っている。早く目を覚ませ。
だが、目を覚さないというのならば。
私がお前の手で彼女を守ってやろう。
「ぐっ、あっ。」
「わ、わわわ、和香様!」
不味い、早く止血せねば。傷口を押さえようと触るが、敵の攻撃が止まるわけではないはずしゃ。
なんとかもう一つの手で札を出して構えようとするが、バランスを崩してうつ伏せに倒れ込む。しかし、ガン!という衝撃音の後、追撃は何故か来なかった。
「うぬら、ここが病院と知っての狼藉かぁ!」
診察台越しの向かいで、琴音様が信じられぬ怒声を浴びせて火炎の壁を放ち、目の前の一人を焼いているらしい。急激な熱気に包まれる手術室。
うまく見えぬが、流れ込む多数の足音、天井から次々と侵入されているらしいようじゃ。数は5、6人・・・いやそれ以上か?
くそっ、この時を狙ってくるとは、わしらが来る前から屋根裏に潜伏していたか・・・確認をぬかった。しかし、こやつらがただの賊とは思えぬ。
物盗りならば、わしらが来るまでに盗んでおけば良いだけなのじゃ。何処からかわからぬが、わしらを狙う刺客と見るべき。
「和香様!今すぐ手当てを!」
たろ坊が叫ぶも・・・。
「ぐ、ぐぅ、大丈夫じゃ、わしに寄るな!とにかく身を守れ・・・!」
いやしかし、不味い、たろ坊と、成穂が・・・立たねば、立たねばならぬのじゃ。貧血のせいか耳が遠くなるが、己の血で滑る床から立とうとする。
「敵襲!敵襲!」
入り口から、真莉の叫び声が聞こえる。入り口も押さえられているか。
立とうと突っ伏すと、背中を何かで抑えつけられる。そして肩口に激痛が走り、気が遠くなりかける。
不味いのじゃ、万事休すか?せめて背中の下郎に、一矢報いるかと札を構えて振り返ったのじゃが・・・。
「ガルルル・・・!」
首筋に生暖かい吐息が当たる。背中に乗っているのは、ポチか?
わしの首輪をかけているが、何か牛というよりは黒い狼や犬に近い顔の造形をしている気がする。
麻酔が抜け切れていないのか、牙を剥き出しにした口からヨダレを床に垂らし、凶暴そうな瞳がギラギラと輝く。こんな顔であったか、お主・・・?
ゴトリと何かが倒れる音がすると、床の上で目が合ったのはわしを斬りつけてきた男である。向こうは血を吐きながら倒れて、目を開けたまま気絶しているようじゃ。
そして、背中が妙に生暖かいように感じる。
やたら多いと思ったが、この床の血はわしのだけではなく、まさか、切開したポチの腹からか?
「ポチ!?どうしたんじゃ、ポチ・・・!」
背中のポチに呼びかけるも、目を細めるだけで、反応を返したのかよくわからぬ。明らかにポチの様子もおかしい・・・いったい何が起こっているんじゃ?
「アオオオォォォーン!」
背中からポチがふわりと離れると、診療室が衝撃に揺れる。
「オオオーン!」
巨大な黒い肉が壁に何度もゴム球のようにぶつかっては跳ね返り、破片を撒き散らしながら、四本足で無規則に跳び回る。
壁に当たるたびに部屋が揺れ、棚などの医薬品や器具の入った棚もお構いなしにぐしゃぐしゃに破壊していく。
「ポチ殿!いったいどうしたのです!?」
琴音様も驚愕しながら、診療室が無惨に壊される光景を眺めておる。下手をすると、建物自体が崩壊するじゃろう。
意図のわからぬ異様すぎる動きに、襲撃者達も、屋根裏からそれぞれ降り立ったものの、武器を構えたまま迂闊に動くことができないようじゃ。
わしも、血を失ったせいなのか、それとも英雄殿の予言を思い出し悪寒がしたのか、冷や汗をかいてその様子を見守ることしかできぬ。
「ガウウゥ!」
そうやって、いたずらに滅茶苦茶に暴れ回るなか、襲撃者の一人が成穂を手をかけようと動くと、ポチは急に思い出したかのようにその一人に向かって飛びかかり、その巨体の重みで壁に押し付け潰す。
ポチが再び跳びはねると、意識を失ったのか、命を失ったのかわからぬ男が、ポチが跳び去った壁の凹みからずり落ちてくる。
「こ、こここれは野生の鎌鼬の動き?」
「成穂さん、動くと危ないよ!」
なるほど、鎌鼬とはのぅ。野生の鎌鼬とは、焔の国周辺に生息する妖で、このように木々の間を跳ね返りながら獲物を仕留めるのを得意とする。山の頂上付近にしか生息はしておらぬが、稀に人里に降りては酷い被害を出すこともあるのじゃ。
しかし、ポチは成穂やたろ坊には当たらないよう、うまく避けているようではある。彼らの周りだけ壁が壊れていないようじゃ。まだ理性はあるのか少し安心するが・・・。
驚いた襲撃者達が、刃物を構えてポチに反撃にでようがお構いなしに、斬撃を真っ正面に受けながらでも次々と飛びかかっていく。当然、かような肉塊の弾丸を避けられなかった者は戦闘不能となる。
しかし、異常すぎる光景でありながら、吹き飛ばされた襲撃者どもは叫び声すら上げず、無言のままなぎ倒されていく。6人ほど倒されたが、驚愕の表情こそすれど、意地なのか一切声には出さぬ。
「嵐電の使用許可を・・・!」
「承知!合わせろ!」
無事にポチの攻撃をかわして切り抜けた襲撃者のうち二人が突然口をきき、手が急に輝きだす。一人は女、一人は男。髪は二人とも金色か・・・。
手からバチバチと周囲に電気の光を撒き散らし始め、二人の手にみるみるうちに魔力が吸い込まれていくのがわかった。
顔色一つ変えず、冷静に統率の取れたこの動き、そしてこの術!こやつら、ヨアキムの手の者か!
「坊や、成穂様、伏せて!」
「クロ!?クロなの!?」
「ひぃぃぃ!」
琴音様とたろ坊の叫び声と成穂の悲鳴がすると、バチバチと男達の周囲から稲光が四方八方に放たれる。未だに麻酔のせいで動きを制御できぬのか、いやそれとも気が触れておるのか、避けることができぬポチは雷撃をもろに当たってしまう。
「キャウウゥゥン!」
ポチがまるで犬が悲鳴を上げるような、甲高い悲鳴を上げて、壁に濡れた雑巾が当たるように張り付き、床に倒れて動きを止める。
いつの間にか体毛が黒くなっておらんか?
「グルル・・・?」
ポチの身体の至る所から血が流れ、背中には襲撃者どもの刃が折れて残っておるようじゃ。
なんとか四本足で立っておるようじゃが、涎を垂らし呼吸も荒く、目つきも覚束ない。そして、腹の切開の傷も未だ塞いではおらぬようじゃ。ポチの立つ床がみるみる紅く汚されていく。
そして、どうも身体も変化しておる。角がなくなり、足の動き、だらしなく垂れた舌、笑うような瞳、まるで巨大な狼のような・・・?
いや、呆けて観察している場合しゃなかろう!
「ポチ、来るぞ!」
ふらふらと隙のできたポチに、すかさず襲撃者の一人の女がポチを雷を纏った刃で斬りつけようと躍り出る。女が走るのに音すらない。滑るようにポチへ向かって駆けていく。
「ガウウゥ・・・。」
「あっ、あわわわ、まっ、麻酔と雷撃で気絶してます。」
しかし、ポチは目を白黒させたまま、動くことができぬらしい。
「ええい、させぬ!」
多少、意識のはっきりしてきたわしも、札から火球を放ち、妨害しようとしてみるも、もう一人の男に結界術で阻まれる。ポチ・・・!
「うおぉぉぉ!」
「・・・!?」
意外であった。
たろ坊が子供とは思えぬ猛烈な勢いで椅子を女に投げつけると、思わぬ伏兵の反撃に避けることができなかったか、腹に的中し女が吹っ飛ぶ。そのまま、動けなくなってしまったようじゃ。
あやつ、真莉に劣らなぬ馬鹿力じゃな・・・!
そんな中、動く気配が一つ。
「神聖なるこの院に、土足で入った愚か者めが!」
「ぐっ、あがっ・・・!」
何事かと見れば、残った男の腹に、琴音様の腕が貫通しておる・・・。
一瞬で距離を詰めて背中から突き刺したようじゃ。そして突き刺した腕からは煙が上がり始める。
攻撃の合図以外には無言を貫いていた男も、思わず苦悶の声を漏らしたようじゃ。
「その血をもって罪を償えぃ!」
琴音様が腕を思い切り引き抜くと、血すら噴き出る前に、襲撃者の男から火が上がり、消し炭になっていく。現役を引いたとはいえ、何度か稽古をつけられたこともある。
相変わらず恐ろしい実力・・・。
ガン!と何事かと見れば、燃やされた男が倒れるのが早いか、ポチが突然診療室の戸にぶち当たって壊し、廊下に転がり出ておる。
「ま、待てっ、ポチ!」
「アオオオーン!」
そして、こちらを一瞥すると、遠吠えのように一鳴きして、爪の引っかからない床を多少、滑りながらでも走りだす。
「ぐっ、加勢するなら己の傷を治せ!ポチ!聞こえておるのか!」
わしも慌ててポチの後を追う、わしも傷がある以上・・・と思ったが、いつの間にか止血されておる。あやつ、背中に乗った時に治しておったか。ならばなおさら、なぜ己の傷を治さんのじゃ?
「ポチ殿!些細はわからぬが加勢いたしますぞ!」
共に加勢しようとする琴音様を走りながら手で制する。
「琴音様はその二人を、守っておいてくだされ!
まだ天井におるかもしれぬ!わしは一撃を受けたが戦える!」
「・・・立派になられましたな!御武運を!」
褒められると、ちょっとむず痒いのじゃ。
正門では真莉が雫を肩に抱えて仁王立ちしておった。
「どうしたァ!●×▲※!私はまだ健在だぜェ!」
鬼のような形相に片手で長剣を構え、3人の襲撃者と相対しておる。顔に切り傷があり、足元に血が垂れておる。周囲には焼き焦げた遺体が3体転がり、1体は胴体と下半身が切り離されておる。激戦の跡を伺わせるのじゃ。
襲撃者達は何も言わず、門の松明に照らされ、ただ武器を構える。表情からも何も読み取れるものはない。焼けるような緊張感が場に漂う。
「無事か!真莉!」
意外にも真莉の肩に背負われる雫は外傷は見当たらぬが、顔色は悪くない、気絶しておるようじゃ。
「和香様・・・!あ、いや今はお忍びだったか?すまねぇ!」
「気にせんでも、わしの正体なぞとうにバレておろう。」
変なところで気が回らんのぅ。
「え?とにかく気をつけろポチ!雫が急にやられた、奴ら怪しげな術を使う・・・!」
「ガルルル・・・!」
ボロボロになって四つ足で歩く元のポチとは思えぬ状態だが、真莉の頭でも仲間と認めておるようじゃ。真莉の足元を擦れるくらいに並んでおる。
目配せをすると、敵の3人は散開し、2人が距離をとり、単独で一人がこちらに向かってくる。呼応して、その一人に飛びかかろうと突進するポチ。真莉がそれに続いて応戦しようとする。
「あやつらの狙いは・・・?」
3人の腕がバチバチと帯電し始める。わしは風術で、後ろの二人に二連の風の刃を当てようとするも、避ける動作に入っていたのか、かわされてしまう。
くそっ、動きを読んで狙うべきだったか!
「ガウウゥ!」
ポチが一人に飛びかかって押し倒して、喉元に噛みつこうとするも、襲撃者はポチの肩に当たる部分に剣を突き刺してそれを制する。ポチの血に濡れた襲撃者の顔には、決死の覚悟が浮かぶ。
「いかん、ポチ!」
後方で術を構えていた2人が手を突き出す。あやつら、このまま術を放つとポチに襲われた仲間も巻き込まれるはずじゃが・・・!
いや一人を犠牲にしてでも、何としてもポチを仕留めるつもりか!あやつは死ぬつもりで囮になったというのか!声も手の合図もせずにこれほどの連係を・・・!?
「あ、ヤベ・・・!」
真莉もポチと同じように接近戦をしようとしたのか、ポチの真横まで突っ込んで来てしまう。敵の狙いを察して動きを止めるが、いや、そこで止まるんじゃない!
「避けろポチ!真莉!」
真莉が咄嗟に目眩しのように火炎術を後方の二人に放つも、雷術は完成して放たれてしまう。夜だというのに、炎と雷撃の光で眩く周囲を照らし、わしは直視できなかった。
心臓が高鳴る。こんなところで三人も失うわけには・・・!
「ポチ!真莉!」
雷撃が収まると、後方にいた襲撃者の二人は真莉が放った炎にもがき、ポチと真莉は、先程と変わらぬ姿で押し倒した男の上で立ち尽くしておった。札を構えつつ、固唾を呑んで二人の様子を見る。
「あ、危ねぇ・・・助かった、雫。」
「全く、私の結界術がなければどうなってたことやら。」
真莉が雫をゆっくり降ろすと、雫も札を構えて周囲を警戒する。ため息をつき、ほっと胸を撫で下ろす。
「お主ら、無事か!」
駆け寄ると、こちらを見遣る巫女の二人。ポチが押し倒した男もポチの脚に殴られて潰されたのか、無力化されておった。周囲を確認すると、二人ともしっかりと頷き、勝利を確信するのじゃ。
「ガウウゥ・・・。」
ポチがこちらに気づき、よろよろと、覚束ない足取りでこちらに向かってくる。血がぽたり、ぽたりと垂れ、悲痛な唸り声を上げながら倒れ込んだ。
「そういや、ポチ・・・だよな?衣替えしたのか?」
真莉がよくわからないことをぬかす。
「衣替え?とにかく、まるで狼のようですが酷いお怪我を・・・。」
そっとポチの大きな頭を抱えこむ。身体中にポチの血で汚れてしまうのじゃが気にせず、炎の治癒術で手当てしようとする。頭を撫でてやると、こちらの顔を舐めようとしてくる。
完全に犬のようじゃ、やはり腹の中の犬が関係あるのか?
「ポチ!自分の傷を治せんのか・・・。」
安心したのか、ポチの身体から力が抜けていくようじゃ。いや、人知を超えた強靭な肉体とはいえ、この出血量はまずい。ポチの身体が少し冷たく感じる。
「雫はたろ坊と琴音様を呼んできてくれ!周囲の警戒を怠るな!」
「御意!」
雫が診療所の中に向かっていくのを見届けると、真莉も炎の治癒術で出血を抑えようとする。
「ひでえ傷だ、糸と針があっても全部抑えきれるか・・・。」
「お主も大丈夫か?倒れても対処できぬぞ?」
そう言って真莉の顔を見ると、血は残っているものの、傷口が消えておった。
「ん?あれ?大丈夫です。どこも痛くありません?」
「ポチが治したのじゃろう、もしかしたら雫もそれで目を覚ましたか。」
なぜ人の傷は治せても、己の傷は治せぬのか。腹の中にいた犬の頭、そして今の犬のような姿形。姉上の話を聞いても、ポチはわからぬことばかりじゃ。
しかし、ここで倒れるような奴ではない、頼む・・・!
「クロ・・・牛さん!」
「和香様!ご無事で!」
琴音様達が駆け寄ってきた。たろ坊がすぐさま金色の光を手に纏わせ、ポチの傷口をなぞっていく。
「クロとはいったいなんじゃ?」
「僕の以前飼っていた犬に似ているので・・・。
とにかくクロとよく似ているんです。」
「うーむ?」
ちょっとわしにはよくわからないが、後で詳しく聞くとしよう。
「仰向けに・・・そうです。」
真莉がポチを仰向けに転がすと、腹の開口部を糸と針で手早く縫い始める琴音様。雫は周囲を警戒して武器を構えておるようじゃ。
「それで、これを嗅がせて・・・。」
成穂が強烈な刺激臭のする茶色い固形薬品の入った瓶をポチに嗅がせようとする。わしも姉上との訓練でたまに嗅いだことがあるのじゃが・・・。
「いやいやいや、何をしようとしとるんじゃ!?」
「きき、気付け薬です。アンモニアと言います。恐らく、麻酔のせいで中途半端に犬の部分だけ覚醒し、私に使った術が上手く使えていないと推測しました!
代わりに、肉体を変形させる術は使えているようですが、もし完全に覚醒すれば術が使えるようになるはずです!」
薬を嗅がされ、眠りかけていたポチが首を振って目を見開くと、口をパクパクさせ、明らかに驚いた表情をしておる。
「あそこまで痛みつけられて、覚醒もなにもないじゃろう。」
「痛みに対する気絶に効果的なのですが・・・。」
ポチが何か悟ったかのように、顔を上げてたろ坊の方を見つめると、そのままポテッと力が抜けて意識を失った。
「ああ、こら、ポチ・・・!」
すると、ポチの身体が、たろ坊と同じ黄金色の光を放ち始め、みるみる傷が塞がっていく。眠る顔も、だいぶ安らかに見える。
「や、やりました!リュウノスケの部分が目覚めて、連結されたのでしょう!」
「気絶したのじゃが、納得いかぬ・・・。」
「良かった、牛さん・・・。」
術を練習しとるとはいえ、負荷によって息も絶え絶えなたろ坊。ポチの頭を再び撫でてやる。これが治癒の術か・・・。
優しく暖かいのぅ。
「おー、これがポチの術か!すげー!力が漲ってくるぜぇ!」
真莉がよく見るとポチと同じ術の色を見に纏っておる・・・!
そういえば、かつて巫女として雇われる前、真莉は姉上が殴り込んだ時も、見よう見まねで姉上の火の術を習得してそのまま応戦しておったと聞く。姉上はそのまま真莉を気絶させると、有無も言わせず巫女見習いの厩舎に放り込んでおったが。
教える気のない術を練習もなく勝手に習得するとは、前代未満としか言いようがあるまい・・・。
「な、ならばわしにも!」
姉上は術の相性が悪いのか、ポチの術は習得できなかった聞く。とはいえ、せめて飼い主のわしならば・・・!
「できぬのじゃ・・・。」
少し気を張ってみたが、上手くいかないようじゃ・・・。
「僕も牛さんを真似するのに随分かかったから、大丈夫ですよ。」
汗を拭い、ちょっと自慢気にこちらに笑いかけるたろ坊。
「この術を学べれば、医者として冥利につきますなぁ・・・。」
琴音様も真似してみたが、上手くいかないようじゃ。恐らく、真莉がおかしいのじゃろう。
「うー・・・。
真莉、雫、手練れ相手に数で劣るなか、正門の守りは大義であった。
琴音様もお力添え感謝いたします。」
「いえいえ、不届き者に鉄槌を食らわしたまででございます。」
琴音様も涼しい顔で言ってくますのぅ・・・。
「たろ坊もよく頑張ってくれた。
真莉と雫とわし、たろ坊でポチを馬車に運び入れるのじゃ。
幸いにして馬車は無事。わしと雫はポチを連れて山のふもとまで脱出する。
真莉と琴音様は後始末を頼む、大変だとは思うが・・・。」
「うぇっ、私が後始末を・・・!」
真莉は聞こえないように呟いてるようじゃが、聞こえとるんじゃよ・・・。
「任されました。
賊の仕業、というにはあまりに派手ですが、仕方ありません。
まだ追手がいるかもしれません、どうかお気をつけて。」
琴音様が頭を下げる。この方に頭を下げられるとは、わしも偉くなったものじゃのぅ・・・。