『主人なきデウスエクスマキナ』の主人公は、ここ焔の国ではない。ある日、森の中に突然召喚され、あてもなく小さな村にたどり着く。
そこで保護されて、賢者の末裔であるメインヒロインと仲良しこよし。そんなある時、ラスボス勢力のせいで活性化したモンスターが村を襲撃し、村は壊滅。主人公とヒロイン、生き残ったのはたった二人。
ヒロインがモンスターに襲われる、という瞬間に、英雄としての力に目覚め、モンスターを撤退まで追い込む。二人で冒険し、ゲルトマン王国の軍に加勢しようと、平和で安全な世界を築こうと誓う。
しかし、欲のまま快楽を貪る英雄『セイイチ』。彼が君臨する隣国ヨハキムとの戦争に巻き込まれていく。
友を失い、敗走し、再起し・・・諦めない彼の名は光の英雄『ヨウスケ』。足掻き続け、常に不幸の渦中にいた主人公を羨む気持ちは、あまりないかもしれないな。固い絆、得られた名声、絶望の中に残せた希望、誰もが憧れるものだが、彼は多くを失い過ぎた・・・。
俺かい?牛さんは落ち葉に寝転んで、青い空に白い雲を数えているよ。失うものなんて何もないよ。服もねぇ、全裸でも恥も外聞も関係ねぇ!
芳しい土の香り。そして満たされぬ空腹。おなかすいた。おうちかえりたい。
おうちかえりたい。
村を意気揚々と出たのはいいが、食料のことなどまーったく抜け落ちていた、なんてこったい。
危険分子が村に戻るわけにもいかず、あれから本当に目的もなく彷徨った。
食べ物ないかと森を徘徊し、謎の木のみを食べては不味さに吐き出し、カラフルなきのこを見つけたら動き出したので恐怖し、布団のようにでかいヒルに空襲されて叩き殺すわ、巨大なカマキリとこんにちはして首を刈られそうになったので、逆にこっちが首をもぎ取ったり。
夜は謎の獣の鳴き声におちおち眠れず、眠れるかなと思ったら、次々と襲いかかる正体を現した狼を殴って追い返した。その後も、あんまりにも鳴き声がうるさいので、耳で方向を特定して、叫びながら殴り込みに行ったら、逃げられて静かになったが。
叫びながら森を走り回るとか、自分でもあの時はどうかしていたと思うよ。
「ぶもぅ・・・」
手元に落ちているどんぐりに手をのばす。子供の頃は遊び道具でしかなかったが、これって食えるのか。驚異的な握力でパキリと割って中身を食す。筋肉は素晴らしいけど燃費が辛い。
ゴリゴリ。ゴリゴリ。苦い、舌が痺れるように苦い!
しかしこのままでは餓死してしまうため、とりあえず割っては食べて、割っては食べて、虫がいたらぶん投げて・・・。
「ぶももぅ。」
むなしい。
コンビニ行ったらおにぎりが売っている幸せ。
牛丼がすぐに食べられる幸せ。
スーパーに行けば新鮮な食材が簡単に手に入る幸せ。
調理器具に簡単に火を起こせる幸せ。
どんぐりを食べる度に当たり前だった幸せを思い出し、涙が出てきた。牛の目にも涙。
おえっ、と身体に合わなかったのか戻しかけたとき、独特の乳臭い匂いに気づく。人間、それも子供のようだ。そしてその中に混ざる、食品の匂い。
「ぶもっ!」
するすると木に登り、木から木へ、枝から枝へ飛びかかって移動する。障害物の多い地上よりも意外とスムーズに移動することができ、速度も巨大な身体の割には素早い。
うかうかすると、たまに枝が折れて落下することもあるが。こういう時は大は小を兼ねないと実感する。
とはいえ、便利な移動手段には違いないので利用しているわけだが、もはや何故できるのか深く考えるのは諦めている。
夜中に狼どもを追い回していた時に気が付いたわけだが、枝を握ると、次にどの枝を移ればいいかすぐにわかる。身体だけでなく、感覚まで『ぬえ』に侵されているのは素直に恐怖である。
「ぶももも?」
あの時の少年では?何故こんな所に・・・?
木の上から偵察すると、山賊に人質として捕らえられていた少年が、包みを抱えて、何かを探すように歩いている。たしか『たろ坊』だったか?
いやいやいや、いくら逞しいこの世界の住民でも森は危ないから!逞しくなってしまった俺でも、さっきまで泣いてたんだからな!
急に木から飛び降りて姿をさらす。ふんす、ふんす。
驚いて逃げられても、追いついて無理矢理にでも確保して村に連れて行く所存である。ついでに森の恐怖を体感して二度と入らないで欲しい。
「牛さん!」
パァッと少年の顔が明るくなる。んんん?
「お礼を言いたくて、おにぎり持って来たよ!」
風呂敷を広げると、そこにはおにぎりが、飯だ、飯だぁぁぁ!飯だぁぁぁ!
少年が地面におにぎりを置くと、身体が反射的にそれに飛びつき、おにぎりにむしゃぶりつく。
「ぶもっ?」
はっ?俺は何を?玄米混じりのおにぎりは俺の胃袋に消えていた。手品か何かだろうか。人間、飢えたら何するかわからないのを知った瞬間だった。
「あの時はごめんね、強くなるって約束したのに。
誰かを守るって、もう一人でも大丈夫って約束したのに。
かっこわるいの見せちゃって。いつも助けてもらってばかりだから、強くなったところを見せたかったのに。僕、情けなくて。
牛さんだってわかってたのに、逃げちゃって・・・。」
少年は悲しそうにしんみりと話す。
「ぶもっ?」
助けた?約束?なんか強くなるとか言い出しましたよ、この少年。
「ぶもも、ぶもっ。」
とにかく、少年よ、義理堅いのはいいが、たかがおにぎり届けるために大冒険なんてしてはいけない。母を訪ねるのに三千里を行ったとかいう話は感動的だが、『牛におにぎり届けてあの世行き』とか笑えないぞ。
「ぶももも?」
そもそも、なぜ俺がここにいるのがわかったのかい?
「傷を心配してくれてるの?
助けてくれてありがとう。ほら見て、怪我はもう治ってるでしょう?牛さんのおかげだよ!」
当然ながら『ぶも語』と化した俺の発言は、少年の中で勝手に処理してされてしまう。ペットの気持ちがわかるね。昔、実家で飼ってたわんこは何を言いたかったんだろう。ご飯くれはわかったが。
「ぶもっ?ぶもっ?」
まぁ、傷が治るの確かに早いね。『おかげ』って、確かにあそこで助けなければ・・・ん?傷跡が見当たらない?
「どう、上手くなったよね?」
少年は首と頬に、針で縫う必要があるくらいの傷を負ったはずだが、まるで別人のように一切の傷跡が残っていなかった。無傷の頬と首筋を、見せて満面の笑みを浮かべる。
「巫女さんと話してたよね、牛さん言葉覚えたら兵隊になるんだね。
じゃあ森も出て行くんだね。」
「ぶもっ」
あ、ああ、そうだね。可愛いあの子のために頑張るためとはいえ、兵隊とは、しかも戦乱の世の中の。これは死んだかもしれんね。ははは。はぁ・・・仕方ないとはいえ、もっといい就職先なかったのか。
少年は嬉しそうに笑い、目には薄ら涙が浮かぶ。
「牛さんも、やることが見つかったんだね。
ぼく、いつも村でいじめられていたから、『クロ』もみんなに殺されちゃった。本当に僕って弱いと思う。
でも、牛さんといっしょに遊んで教えてもらったこの『術』のおかげで、もう怖くないよ。」
人違い、いや、牛違いでは?君のような少年、牛になる前にも遊んだ記憶なんてないよ?
牛違いってなんだよ。しかも術を覚えたとか、俺も覚えたい。
「でも悪い人にいじめられてる巫女さんを助けるためにね、戦ったけど、逆に悪い人には捕まっちゃった・・・。」
「ぶもーぅ・・・。」
たぶん想像するに、巫女さんが悪い人をいじめてるところに少年が乱入して、巫女さんが逆にピンチになったのではないかなー?
巫女さんの一人が女の子辞めましたって形相で、君を見ていたよ?
たろ坊が大人になればわかるはずだ。あの可愛い巫女さん達は牛さん以上の化け物だとな。辛い現実だね。俺も辛い。
「悪い奴を五人やっつけたんだけど、全然だめだった。捕まっちゃった・・・」
え?地味に逞しいね少年。スコアだと俺は二人だけだから負けてるんですけど。
「でも、牛さんはやっぱり助けてくれた!牛さんありがとう。
牛さんが怖くて逃げたんじゃないんだよ、村に山賊を連れてきちゃって、お母さんが殴られて、結局、助けられて、僕は怖くて、情けなくて、『クロ』が殺された時みたいに・・・逃げて・・・」
涙をぐっと堪える少年。
「えっとね、だから、森の中に来るのは危ないから最後にするよ。ぼくも村を守れるくらいに強くなるよ!巫女さんにもそう言われたんだ!」
「ぶもっ!」
とりあえず、なんだかわからないが肯定する俺。少年が森に来なければヨシ!の精神。
これもしや、自分が『ぬえ』になる前に、身体の主だった本来の『ぬえ』がいろいろやってくれていたのか?もしくは本当に牛違いか。
『ぬえ』は人と相容れない、あれはラスボスに活性化されたモンスターの中でも特殊な存在、災害のような妖であると描写されていた筈だ。これは新しい発見でもある。そんな怪物に情愛を示す存在がいたというのは驚きである。
しかし、妖から人へ『術』を伝授することはあり得ないはずだったような・・・?
「じゃあね、牛さん。文字覚えるの頑張ってね。僕も文字覚えるよ。僕も巫女さんも、頑張るから。」
「ぶもっ、ぶもっ。」
聞きたいことは盛り沢山あるが、少年の肩を軽く叩き、別れの挨拶の代わりに鳴くと、俺は三角跳びの要領で木々の間を飛び、少年の前から姿を消した。おにぎりの恩は忘れんよ!
堪えきれなくなったのか、ぽろぽろと涙を流し始めこの場を去る少年。まるで身に覚えがないので、不思議な感じではあるのだが、俺もうるっと来てしまう。
そして、当然のごとく木の上から少年をストーキングする。早速恩を返してやるぜ!
当たり前である。一般にファンタジーの森の中というのは、どう見ても物理法則無視した生物がわんさかいるし、山賊の残党だって何をしているのやら。少年は謎の能力でこちらを探り当てたようだが、無事帰れるのかも謎だからな。
「ぶもっ!」
ほら真横に昨日と同じヒルがこの野郎!口の部分を掴んで抉り取ってやると、そのまま地面に落ちて行った。血を吸うどころか、子供を丸呑みしそうだな。
人間サイズの陸上無脊椎動物とか、生体工学に中指突き立ててるとしか言えない。その巨体で木登りとか無理があるだろ。俺が言うなって?
五感をフル活用し、危険を察知しながら少年を追跡する。
む、地震か?音こそないが微かな振動を感じる。
「グオオオオッ!」
獣の絶叫。揺れは地震の地鳴りではない、猛烈な足音による地面の振動である。木が倒れたりする音も聞こえる。少年も異変に気づいて足を止めたようだ。
「グアアアッ!グルォォォ!」
走る災害のような何かが少年に向かってこっちへ来る・・・!
「グオオオオォォォッ!」
「ぶもおおおおおっ!」
三角跳びの要領で木を踏み台にし、己を弾丸にするかのようなタックルをかます。顔面を弾かれた巨獣の破壊的な突進は、少年の方向からわずかにズレて、加速しすぎたトラックが制御不能になるかのように、木々にぶつかってなぎ倒していく。
「牛さん!やっぱり、僕について来てたんだね!」
「グオオオオ!グオオオオ!」
「ぶもおぉぉ!ぶもぉぉぉ!」
タックルの痛みに涙目になりながら、少年に逃げろのジェスチャーをし、目の前の巨獣と相対する。次の突進先をこちらに切り替えたようだ。
8mほど、象のような猪である。目は奇怪に焦点が定まっておらず、巨大なマンモスのような牙を狂ったように振り回す。
いや、実際に狂っているんだろう。こいつはラスボス勢力の影響で巨大に強化された変異種である。種の繁栄ではなく、ただひたすら人間の数を減らすための装置と化した鉄砲玉。
ラスボス勢力が復活すると野生の化け物、つまりモンスターが活性化するのだが、その中でも稀にこういう妙に強いヤツが出てくるのである。ラスボスどもの尖兵的な立ち位置である。
焦点の定まらなかった巨獣の双眸が、唐突にグルりと動きこちらを捉える。距離は30mほど。当然、やる気らしいな。
体勢を低くし、力強く地面を踏みしめて、俺に突進をしかけてくる猪。タイミングを見て跳躍で回避してみるも・・・。
「ぶもぉっ!」
「牛さぁぁぁん!」
腹に激痛が走り、景色が一瞬で移動して、背中に激痛がすると思ったら背後の木が倒れた。命中されたッ!?
やろう・・・衝突の瞬間、猪も同時に跳躍して、俺の回避する位置に無理矢理当てて来やがった。ゲホゲホ咳き込むが、なぁに、頭が冴え渡る。いい目覚ましになったと思えば。ぐほっ、血を吐いた、やっぱ辛い。
「だ、だいじょうぶ、牛さん!?」
猪は様子を伺って、次に突撃をかますタイミングを伺っている。眩んで世界が揺れているような感じがするが、こちらも気合いで立ち上がり、次の一撃に備えた。
「ぶもっ!」
来いよ!狙いは噛みつきか!
こちらを呑み込もうと巨大な口を開けて、肉食特有の鋭い牙をあんぐり開けて突っ込んでくる。まともに当たったら死ぬなこれ!
今度は相手を出来るだけ引きつけて、身体をギリギリでスライドさせつつ顎の裏に拳の渾身の一撃を叩き込む。
「グブッ・・・!」
今度は上手くいった。舌を噛んだのか相手がひるんだ、だがそこで許してやらねぇ!
「ぶもぉぉぉ!」
「グアアア!グオオオオ!グアアア!」
相手の『右目』に俺の鋭い左の爪を突っ込む。手首まで暖かい血塗れの感覚が伝わる。ぬちゃっ。とーっても気持ち悪い。
猪が苦痛にめちゃくちゃに暴れて、牙に当たって吹っ飛ばされ地面に叩きつけられる。しかし、偶発的で狙いもない攻撃、ガードできたし大したダメージではない。
めっちゃ腕がじんじんするけど大したダメージではないんだよ、いいね。
「ぶもっ!」
「やった!」
手に残る血の匂いが、俺を興奮させる。血に飢えてるとか中ニ病かよと、理性がツッコミを入れる。
だが、相手は人質としたいので積極的に人の命を奪う気のない、貧弱チンケな山賊ではない。
確実に少年と俺を殺すことしか考えていない、村や街を破壊するような、いや破壊するためのブタ野郎だ。あの時とはわけが違うぜ・・・!
ゲホッ、胃から口の中いっぱいに広がる鉄の味。吹き出た血を舐めとりつつ腕で拭う。
「うおおおっ!」
「グウッ!」
血を吐く俺を見て意を決したか、少年が俺の後ろから猪に向かって岩を投げる。なかなかどうして、5、6歳にしては野球選手になれそうな、良い当たりである。残った左目を狙ったようだが、惜しかったようだ。
「グアアア・・・!」
「ぶもっ、もぉぉっ!」
あ、くそ、逃げろ!とにかく逃げるんだ、少年!危険を伝えるように威嚇する。『牛を訪ねてあの世行き』が実現しちまうぞ!
「う、うう・・・?」
「ぶもぉぉっ!」
猪の野郎、あの残った片目の目線。ターゲットを少年に変えやがった!行かせてたまるか!少年に向きを変えて、勢いをつける猪の左の牙に飛びかかる。
「うわぁぁぁ!」
「ぶもぉぉぉ・・・!」
唸れ俺の筋肉ぅぅぅぅ!
牙を両手で掴んで、腕、腹筋、脚、持ち得る全ての筋肉で猪を引き止める。引き摺られて、足の裏が地面との摩擦で鉄板で焼かれるように痛い・・・が、猪の身体が宙に浮いた。
「グウッ!?グウウウ!?」
「ぶもおおおおおお!」
そのまま猪を上方向に振り上げて、バックドロップのように、頭を後ろの地面に叩きつける。何を食ったらそこまで育つのかわからん肉塊のような巨体は、凄まじい勢いで、己の全体重によるダメージを顔面に受ける。衝撃に地面が揺れた気がした。
「グウウウ・・・。」
「ぶもっ・・・!?」
右の牙は根本から折れて、顔中からはダラダラと血を流し、それでも素早く立ち上がる猪。顔で木々を粉砕しているだけあって、頑丈なツラしてやがる。しかし、あの目は『昨夜の狼の目』だ。尻を向けて、俺たちの方向とは逆方向に慌てたように突進していく。
猛烈な足音はどんどん遠のいていく。逃げ出したようだ。
「ぶもっ・・・。」
「逃げたんだ、よかった・・・。」
あれは衝撃で正気に戻ったか。それとも、あいつらに撤退を考えられる知性があるのか。だが懲りて今後も人間を襲わない、なんてことはないだろう。
村に突っ込む可能性もあるから仕留めたかったが、仕方ない。手負の生き物は凶暴化するのだが、少年もいる以上、次の機会にしてやろう。
「ぶ、ぶもっ。」
「牛さん!?」
気が抜けると同時に、血の気の引く感覚がして膝をついた。少年が駆け寄ってくれる。逃げて欲しかった・・・いや、逃げなかったおかげで守れたのか?とにかく、助かって嬉しいよ。
木を背にして座り込む。こうして落ち着いてみると、全身が痛む。格別に腹が痛い。あの突進の一撃が想像以上にこたえたようだ。案外、戦い続けていたら、こっちが危うかったかもしれんね。
とはいえ、少し休めばなんとかなるだろう。『ぬえ』の再生力を舐めてはいけない。なりたくはなかったし、この能力のせいで危険視されているのだが。
ガフッ!
また血を吐く。くそっ、ままならんなぁ・・・。大丈夫か、これ。
「手当てするよ、だから逃げなかったんだ、ごめんね、本当にごめんね。」
「ぶふーっ・・・。」
少年の手が黄色っぽく輝き・・・ここは黄金に輝くと言った方が風情があるのだろうか。優しく俺のムキムキ腹筋に触れた。ふん、俺の鍛え抜かれた腹筋に触れる権利をやろう。
「僕はもう逃げない、クロみたいなことは、もう絶対に・・・!」
クロ・・・?頭の中で何か聞こえた気がするが気のせいだろう。
どこか痛みが増した気がするが、じんわりと暖かく、傷が治っている気がする。これが『術』だろうか。新感覚である。しかし、何か身体が馴染んでいるような感じもする。ゆっくりと目を閉じて考える。
ノベルによると、この世界には『術』と呼ばれる力が存在する。そして、その術の祖は必ず『英雄』である。どういことかと言うと、術は非常に感覚的なものだからである。
つまり、その感覚を知らなければ、誰も知らないのである。例えば、火の術を操るのならば、実際に操る人の側で操る感覚を理解し、真似をして初めて可能になるのである。言葉などでは説明できないのだ。
そして、その感覚を新しく作ることはできない。偶発的に術が産まれる、ということはないのである。
例外的なのは『英雄』である。この世に召喚された時点で、誰も知らない術を操る方法を理解している。そして、その操る力も尋常ではなく、時には戦場を火の海にし、嵐を起こし、幾百の兵を波動という力で吹っ飛ばすこともある。ただし、扱える術は一つだけである。この世界の住人は複数の術を組み合わせることができる。
この『英雄』に特に高い親和性を見せるのが『従者』と呼ばれる。ノベルによると深い絆に結ばれると強いとかなんとか。ロマンチックですね。術が感覚的なだけあって、この世界では精神論も馬鹿にならないのかもしれない。
従者は英雄に並ぶ高い身体能力を得られる上、時として、英雄にすら使えない形で、術の形を変えて行使することもある。
さて、『術』とは相容れない力として『妖術』と呼ばれるものがある。それは野に住まう生物達が行使する『術』であり、人間にはどうやっても行使することのできない力である。火を吐くトカゲがいれば、氷を操る精霊のようなモンスター、風を操る鳥など多岐に渡る。
それを人間に得ようと、昔からアレコレ酷いコトが起きたらしいが・・・まぁ、とにかく失敗に終わった。ナニをしようとしたかは想像にお任せする。だいたい想像した通りのことである。
間接的には人間も利用できる。死体に術の力を通すことで、擬似的に『妖術』に近い力を発揮したり、『術』の力を高めたり、コントロールすることができるのである。必ずしも動物だけではなく、植物など自然界のあらゆるものに力は宿っているため、応用して薬に使われたり、素材として使われているようだ。
恐らく、巫女達の武器や鎧、服やお札などにも高級な妖術の力を込めるものが仕込まれていると考えられる。
さて、例えば先程の猪も『妖術』を行使していないように見えて、実は筋肉を強化する妖術を行使しているのである。本来なら物理的に有り得ない形で、生物が存在することも可能性にしている。
人間も個人差があるが、同じように筋肉が強化されているので、ある意味、人間も妖術を扱える獣でもあると言えるかもしれない。本来なら扱える術の属性は一つだけの英雄も、並々ならぬほどに肉体が強化されているので、単純な妖術とは異なるのかもしれないが。
さて、その肉体に関する妖術の中でも、頂点に近い位置いるのが『ぬえ』の肉体を操作する妖術である。筋肉、骨格、種族、遺伝子的に異なるのも拒絶反応もなんのその。あらゆる動物と連結して、取り込み、それをコントロールする化け物なのである。
肉体を思いのまま強化し、伸ばし、攻撃する。種を埋め込めば、それは神経と脳を支配し、妖の支配下、眷属となる。
無秩序に合体を重ねて、最終的に様々な生き物が溶けたようなグロテスクなスライムみたいになっていた。
しかし、知性が低いため取り込んだ肉体をうまく扱いきれず、むしろ機動力は低下する。触手などで物理的に攻撃するしか能がなく、眷属も術や妖術を行使できるわけでもないので、光の英雄ヨウスケと獄炎の桜のコンビネーションで呆気なく消滅していた。
そう考えると、食べ過ぎて自滅したアホの子と言えるかもしれない。
幾つも村や街を呑み込んだり、重要人物も多数呑み込んだりしたので、被害は笑えないものなのだが。
人も取り込んだり眷属にしていたようだが、知能だけは利用しなかったようだ。
さて、ゆっくりと目を開けると、己の腕も淡く輝いて見える。いや、全身が濃い黄色・・・ではなく黄金に輝いて見える。これが、『ぬえ』の力。身体の傷が痛みと共に塞がっていくのがわかる。
「はあっ、はぁっ、はぁっ・・・」
少年は汗びっしょりであり、苦しそうに真っ青な顔をしている。あ、これはヤバい。
「やっぱり、牛さんの方がうまいね、僕はもう、げ、げんかい・・・。」
「ぶもっ!?」
少年は倒れ込んでしまった。慌てて抱えて耳をたてるも、呼吸は乱れず息はしている。気絶してしまっただけのようだ。術は何らかの疲労を感じるらしい。『何らかの』ってなんだろうか?
精神力とかだとして、身体の何が減っているんだ・・・?謎である。
「ぶふーっ。」
ほっと一息。自分の身体に傷は残っていない。肉体を操作する力が、結果的にいわゆる回復魔法として作用しているようだ。
いやー便利、便利。そのうち腕とか伸ばしたり、人間の顔に戻れたりするのだろうか?牛さんが牛さんでなくなるとか、さいっっこうに夢が膨らむよね。
この世界にも一応の癒しの術は存在する。水の術、火の術はそれぞれ病気の治療や、傷の悪化を防ぐ派生術を持っている。水の術は毒の治療、火の術は解熱など、得意となる分野が異なっている。
また、薬なども『妖術』を利用した、現代医学を超えた効果を発揮するものも存在するようだ。
しかし、肉体をここまで素早く治療する術は存在しない。あくまで、怪我を殺菌などして安定して回復させる補助ができるだけである。
ククク・・・オンリーワンっていいよね。
さて、この腕の中で眠る少年が特別なのか、それとも、『ぬえ』の妖術が何らかの形で人間にも扱えるようになったのか。少年が妖なりモンスターの血でも引いているのか。
それとも、『ぬえに取り込まれた人間の部分も妖術が使える』と思えば、元々、人間にも扱えるものなのかもしれない。
そして、俺はいったいどうして、『ぬえ』になってしまったのか。まぁ、たぶん森に俺が落ちていて、『ぬえ』にそのまま飲み込まれたのを俺が乗っ取ったとかそんなところだろうが・・・。
ははは、召喚陣からズレて森に召喚された英雄の例もあるし、本来なら俺はこの国の英雄だったりするのかね。転生したら化け物に即転生とか、うける。くそったれ。
わからないことばかりだが、日が暮れるまでに、少年を住まいの村までデリバリーする必要が出てきたわけだな。
うーし、どういうわけか、頭の中に森の地図はあるので方向はわかる。取り込んだ獣達の森の記憶だったりするのかもしれんが・・・。
術を使えるようにしてくれた感謝の気持ちを込めて、ふっさふさの速達便でお送りしてあげましょう。
「ぶーもっ!」
少年を優しく抱き上げて、立ち上がった。まだまだ幼い少年だが、大人しそうに見えてあり得ん無茶を繰り返す奴ではある。将来に期待するとしよう。