劣等生の世界の一般魔法師女子にTS転生してしまったんだが 作:機巧
──魔法。
1990年代後半に世間に広く明かされたその技能は、およそ1世紀をかけておおよそ定式化されたものへと変化した。
だが、魔法そのものはある程度定式化されたとしても、その魔法を扱う魔法師(正確には魔法技能師)の魔法技能の継承については、何も分かっていない。
魔法技能の継承に関しては遺伝的な要因が大きいということであるが、逆にいえばそれ以外はほとんどが分かっていないと言える。
その遺伝的要因すらも寄与が大きいというだけで、定かではない。
代々優秀な魔法師を輩出してきた家柄にも魔法力を持たないものは生まれるし、逆に何も魔法力を持たない両親から魔法技能を有する子供が産まれることもある。
篠宮玲香は、母親が魔法力を
母親は先程の話における後者の方で、魔法技能を有さない両親から生まれた魔法師
それを玲香は引き継いだと言える。
母親が魔法師であったと過去形で示しているのは、すでに魔法力の大半を失っているからに他ならない。
そもそも魔法の資質を有するものは少なく、実用レベルで魔法発動できるものとなると、中高生なら年齢別人口比で1/1,000前後である。そして魔法事故などで魔法機能を失うことも多々としてあり、成人後も実用レベルの力を維持しているものはさらにその1/10以下である。
玲香の母親はこの1/1000にはなれたが、そのさらに1/10にはなれなかっただけの話。大きな事故を起こしたわけでもなく、ただ単純に成人後には魔法を扱えなくなったというよくある話である。
つまり、今現在として見かけ上、両親はどちらも魔法の使えない一般人であることには変わりはなかった。
ただ、通常の家庭より魔法に触れる機会が多かったのは事実である。
そんなわけで、幼い頃、玲香が無意識のうちに発動していた極微量の
体表面に触れたり、体表面から半径10センチ以内にあるものがほんの少しだけ震えることに気づいた母親は、自分の夢の代わりに魔法師になってくれそうな玲香に、喜びに震える──ことはなかった。
夢は夢であり、かつて破れてしまった夢を無理やり自らの子に押し付けるほど彼女はもう子供ではなかったし、何より母親であった。
ただ、制御できない魔法技能は本人にとっても危険であるため、魔法を教える公立の塾に放課後通わせること以外は、自らの子供の自由意志に任せた。
だが、公立の塾には魔法技能を有することを得意げに見せびらかす子供しかおらず、それに感化されたのか、それとも母親に残っていた微妙な未練を子供心に感じ取ったのか、玲香は魔法師を目指すようになった。
先天的な超能力──すなわちBS魔法である念動力を持っているため、通常の魔法技能を持っているかどうかは怪しかったが(BS魔法を使うほとんどのBS魔法師はそれしか使えないことも多い)、幸い玲香は通常の魔法行使能力を保持していた。
物分かりがよく、それなりの強さとはいえ念動力で魔法行使の感覚を持っていた玲香は、中学校に入学する頃には塾でもトップクラスの魔法技能を有するようになっていた。
この頃には、念動力は体表面から半径10センチの範囲に入ったものなら、それなりの重さでも浮かせられるようになっていた。
とは言っても、一般の魔法師の中ではトップクラスというだけで、同年代の十師族や二十八家、百家などの子女には及ぶべくもなかったが。
それでも、国立魔法科大学附属高校にもそれなりの成績で入学できそうということで、本人が望む技能を有し、その能力も高いともなれば、家族は皆応援ムードに入っていた。
これはおそらく玲香が絵が好きで、絵画の才能があったということでも家族は皆喜んで応援しただろう。両親は、自らの子供が自らの選んだ道に進む資格そのものがあることが嬉しかったのだ。
だが、そんな時玲香は事故にあった。
玲香が中学2年生になった夏のことである。
犬の散歩をしていた5歳くらいの少女が暴走する犬に引かれて、高速運転するキャビネットの前に出てしまうという事件が発生した。
目の前で飛び出した少女を助けようと、勝手に体が動いてしまった玲香は(魔法は意思によるものであるため、意思が身体を動かしてしまう魔法師はそれなりに存在する)、咄嗟に少女とキャビネットの間に体を滑り込ませていた。
本来キャビネットは危険を感知し、それを避ける自動運転プログラムが存在する。しかし今回に限っては犬の挙動が不規則だったのもあって、事故対応のために緊急減速したものの、完全に減速し切ることができず玲香に激突してしまう。
その激突するほんの刹那。
走馬灯というのか、知覚が限界まで引き伸ばされた玲香は、ついこの間にテレビで見た今夏の九校戦の新人戦の一幕が脳裏に浮かんだ。
それは、第一高校の新人戦モノリス・コードに出場した巌のような人物が、さまざまな障壁魔法を纏って突進する姿であった。
その魔法に何故か惹かれた玲香は、障壁魔法の一つ、対物ベクトル反転障壁を塾にて先生に頼み込んで術式を貰い、親から中学入学祝いのプレゼントであるCADに落としていた。この術式はライセンス所持者に魔法師協会から公開されるものの一つで、難易度もそれなりであり、練習中でもあった。
──ああ、ベクトル反転障壁が使えていれば……
CADを持っていないにも関わらずそんな思いを覚えた玲香は、自らが無意識に展開する念動力の壁にキャビネットが触れたことを知覚し、反射的に目を閉じたのだった。
脳を揺さぶられる衝撃の中、玲香は何故か九校戦でその術式を行使していた人物ではなく、見たこともない白い髪に赤い目をした青年の姿を思い返していた──。
◇◆◇
今思い返したのは誰だろう。そんな思いとともに玲香の脳裏に【一方通行】と書いて【アクセラレータ】と呼ぶ不思議な単語が浮かんできた。
それを思い出そうとした瞬間、玲香は前世の記憶を思い出し、覚醒した。
──その瞬間、世界が爆発した。
尤もこれは比喩的な表現で、実際には何一つとして事象が起こったわけではない。
玲香自身が自分の知覚する情報量が多すぎて、爆発したように感じられたのだ。
それは『向き』という情報だった。
布団と病院の衣服が擦り合ってできる静電気の動きの向き。おそらく何かの点滴の液体が体内に入ってくる向き。微かな病院の空調の流れの向き。視覚に入ってくる光の向き。視覚に入ってこない光の向き。太陽光による紫外線の向き。物体が太陽光を反射する反射光の向き。太陽光の赤外線の向き。体にかかる重力の向き。自らの髪の毛と髪の毛の相互作用の向きと、それによって生じる静電気の移動の向き。体内の血液の流れの向き。衣服が体にかかる静電力や重力の作用の向き。空気の圧力の向き。微かな音波(誰かの声だろうか)の向き。空気分子の流れの向き。ベッドから自身に及ぼす垂直抗力の向き。体温と室温の温度差によるほんの少しの熱量移動の向き。病院のどこかにある電子機器が発する微かな振動が壁を伝わってくる向き。生体電気の向き。脳の電気信号の向き。空気中の水分移動の向き。何かしらの低周波の向き。石か何かが発する自然放射線の向き。体に触れる分子の弱い相互作用の向き。強い相互作用の向き。自らが発する黒体放射による電磁波の向き。体の動きに応じた筋肉移動の向き。呼吸における空気移動の向き。空気中の塵の移動の向き。そして地球の自転の向き。プレートテクトニクスによるプレートの動きの向き。発汗した汗の動きの向き。体内にて点滴の成分を吸収する向き。骨にかかる作用の向き。脳波の動きの向き。カーテンが動いたことによるほんの微かな空気対流の向き。あたりを飛び交う通信機器の電磁波の向き。
そして、──自らが取り込んだり発したりする
そのほかにも、ありとあらゆるものの『向き』という情報の海が、玲香に押し寄せていた。
そして特に最悪なのが、股につながるカテーテル(寝たきり入院患者の排泄装置)が吸い出す尿の向きまで感じ取れてしまうことである。
嫌な思いをしつつ、吹き荒れる情報量にじっと耐えていると、それから感覚を逸らす方法がわかってきた。『感覚を閉じる』といえばいいのだろうか。北国に引っ越したあと、少々の気温の変化に慣れていくように。普段は寒いと感じなくなったけど意識してみれば寒いな、という風になるような感じである。
ようやく感じられる感覚を、通常の六感(通常の五感とサイオン知覚能力)だけに戻すことができた頃には、かなりの時間がたっていた。
先程の情報は何だったのだろう、と考えると漠然としたイメージで、ベクトルを知覚しているのではないかということが、だんだんぼんやりとわかってきた。
その頃には自意識もはっきりしていて、自分は篠宮玲香であるが、主体は前世の男子大学生の方の影響が大きいことがわかった。何より脳内で今までキャーキャー言っていたアイドルとかイケメンを思い出しても何にも思わない。興味を示していた恋愛にも、あまり進んでしたくはないという感じであった。
だけど女の子としての意識はあるようで、入院生活で荒れてしまった肌や毛の処理などはかなり気にしているという歪な状態が出来上がった。
そして、今の置かれている状況が、おそらく事故の結果であることなども把握できた。あの少女を助けた結果、こうして入院することになったのだろう、と。
そんなこんなでようやく自分の気持ちを落ち着かせ、上半身を起き上がらせることのできるようになった玲香は、ナースコールを押した。
◇
それから先は怒涛の展開だった。
看護師や医師には驚かれ、意識がはっきりしていることを確認され(指を立てて何本か答えるものが本当にあるとは思わなかった)、その後、両親には思いっきり抱きしめられた。
無論無事でいたことをひとしきり喜ばれた後は、危険なことをしたとして思いっきり怒られたのであるが。
その話を総合すると、どうやら玲香は数ヶ月もの間昏睡していたらしかった。
ここまで昏睡していた人間が普通に意識がはっきりして目覚めるなんて、奇跡だとも言われた。
そんなこんなで色々検査をされつつ、今後リハビリなどの方針が決められていく中、新人看護師が台の上でコップの水をこぼし、その水が玲香に溢れてくるという事件が発生した。
水がこぼれてきたのは太もものあたりで、しかも水という液体だけであるから触れても冷たいくらいで何も起きようがないのだが、ぶつかる、ということに恐怖を覚え、目をグッと閉じると念動力の膜に水が触れたことがわかった。
──こないでっ!
事故の恐怖がまだ鮮明だからか、そんな思いが玲香を占めた。
するとどうだろう、水は玲香に触れることなく
看護師は慌てていてそのことに気づいた様子もなかったが、玲香には偶然それたわけではなく、確実に弾いたことがわかった。
──今のは一体……。
必死になって「すみません」と謝ってくる新人看護師に当たらなかったんですからいいですよ、と言いつつ今の現象について思いを巡らせていると、再びぼんやりと【ベクトル反射】というイメージが浮かんできた。
それじゃあ、まるで前世のアニメのベクトルを操る超能力者、一方通行みたいじゃないかと少し笑って横になった。『とある魔術の禁書目録』という物語に出てくる学園都市最強の能力者に、子供の頃憧れなかったといえば嘘になる。
そして布団をかぶる時、ベクトル反射なら少し上から自分にバサッとかけた布団を反射できるのかな、と悪戯心が沸き、損はないとやってみることにした。
全然期待はしていなかったが、結果としてその試みは成功した。手で20センチ程度持ち上げた布団を自分に重力に従い落とすと、触れた瞬間、それが再び浮き上がったのだった。
憧れの【反射】に気分が高揚したのはその一瞬だけだった。
事象の改変が起こることについて、今現在…現代魔法では魔法式が必要であり、その魔法式を公共の場所で使用するとたとえ未成年であっても重大な罰則があるのだ。
これは公共の場所での『魔法の行使』が制限されており、この場合の『魔法の行使』は魔法式をイデアに出力してエイドスひいては物理現象を改変することを指す。
【反射】という改変が起こったからには、それすなわち魔法式を無意識に行使している可能性があり、そして病院は公共の場所である。
それすなわち法令違反をしている可能性が高いということだ。
──どうか見つかっていませんように。見つかっていたとしても、事故による魔法力の暴走って事で許されるといいなぁ……。
とかなりヒヤヒヤしながら玲香は覚醒1日目を終えた。
あくまで一般人で、魔法行使を揉み消す権力とかは持っていないため、他の二次主人公と違って法令に怯えて思うように練習もできない小市民主人公である。