ワイルズウィッチーズ ‐カシオペヤの魔女‐ 作:にょっき‐オリウィ創作
1944年4月。扶桑皇国三河地方関屋市内 関屋陸軍墓地。
「うわ~...ほんとにあった、私のお墓」
昼間、キジバトのさえずりだけがある陸軍墓地に独り言がこぼれる。
ひっそりと人気ないこの場所に、巫女装束を纏った少女がひとり。
ふわりと肩ほどまである黒髪には、少女を可愛らしく飾る小さな赤リボンがある。だが、左目につけた黒の三角眼帯が彼女を物々しい人物に見せていた。
彼女が見ていたもの。ネウロイとの戦いで命を落とした勇士たちが眠る墓標の列の中に”大友 花子”の名前がある。
それがこの子の名前だ。大友花子、15歳、扶桑皇国陸軍のウィッチ。
孤児院を出て航空ウィッチとなった花子は、欧州での戦いで撃墜されて帰らぬ人となった。というのが世間の認識だ。新聞に名前も載ったらしい。
孤児だった彼女に、個人名の彫られたお墓を建ててくれたのは孤児院の先生だろうか、それとも関屋の市長か。地元出身のウィッチを弔いたいという心意気を思うと胸が痛むが、大友花子は生きていた。生きて戻ってきた。
「こんな立派なお墓まで作ってもらって、恥ずかしながら帰ってまいりましたは、ちょーっと言いづらいなぁ…はは」
実際、身体には大きな怪我さえない。撃墜された彼女を苛んだのは、敵中での空腹だった。数週間、食事も水もままならず。疲労が幾重にも体にのしかかった末に半昏睡に陥り、最早自分の部隊に戻る事すら頭に浮かばない。飢渇極まるところ、想うはただただ故郷の味。とろろと白飯、それにうずらの卵の入った関屋のカレーうどんが食べたい。その一心で山谷を越えて、はるばる扶桑まで舞い戻ったのだ。
「誰だろ?このかわいいお供え」
お昼はカレーうどんだ。そう心に決めて花立を見下ろしてみれば、そこにカタバミの花冠がぽつぽつと置かれているのに気付く。
もしかしてこれは、ウィッチ夢見る女児達の精一杯の優しさかしら。
おかげで気持ちも和んだことだ、美味しいおめあてに足向けて、花子は陸軍墓地をあとにした。
関谷の味に舌を唸らせて、あとは生まれ育った孤児院に帰るのみ。長い欧州遠征から、ようやく愛する我が家に。
店を出て路面電車に乗り込むと、懐かしいが、いくらか見慣れない建物も増えた関屋の町並みが目に入ってくる。大通りを賑わす円物百貨店。荘厳なロマネスク様式の公会堂。かつての陸軍師団司令部跡地に立つ、関屋陸軍第一予備仕官学校。関屋は養蚕の盛んな産業都市であると同時に、東京大阪間のほぼ真ん中に位置し、陸軍演習場の適地もあったことから、かつては師団や歩兵連隊が置かれ、軍都としても名を馳せてきた。
しかし花子にとってみれば、海に百貨店にたくさんの映画館。そして路面電車のまちだ。
思い返せばウィッチを志したのも、航空ウィッチ達が勇敢に戦う姿を映画館で観たからだったなぁ...などと窓越しに劇場を見送っている間に、耳馴染みある停車場の名前が聞こえ花子は降り口に向かった。
「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が~♪っといけないいけない」見慣れ過ぎた景色につい気分も良くなって、子どもの頃に耳にこびりついた謳い文句を口ずさんでしまう。玄関上に立派な破風をかまえた古めかしい建物がずらり並ぶこの東田仲の町は関屋市がまだ三州吉田と呼ばれていたころ、遊郭として隆盛を極めた場所。先ほどの花子の小唄は昔ここで多くの飯盛女が客を取っていたその様を詠ったものだ。
「こんなの口ずさんだら佐里先生にまた叱られちゃうよ」
花子ふくめ孤児院の子供たちはこの町のおじいさまたちにからかわれ、昔から変なことばかり吹き込まれたものだ。そしてそのたび、孤児院の院長であり母親代わりでもあった佐里先生に叱られるというのが子供たちの日常。きっとここは今もそんな日常が流れているのだろう。
「や、やや…?」
が、待っていたのは思いもしない光景だった。花子の目の前に建っていたのは確かに子ども時代を過ごした孤児院だ、しかし玄関先の草は伸び放題、洋風のつくりの小さな建物はところどころ外壁がはげ、立ち入り禁止の張り紙が貼られた窓ガラスはことごとく割られてほとんどお化け屋敷。
前の通りをホウキがけしているおばさんをつかまえて事の次第を問うてみる。
「あの...ここに”ゆかり荘”って孤児院があったと思うんですけど」
「あんれ、もうやっと前に無くなっただよ。お嬢ちゃん佐里先生のお知り合い?」
無くなった。その言葉に耳を疑う。いつも、いつまでもこの場所はここにあるものだと思っていたのに。
「先生ね、だいぶお年を召してたもんで孤児院を閉めなすってね、ほいでその後すぐに亡くなられただよ」
「え...」
佐里先生が、死んだ?
「きっちりしとる人だったねぇ、面倒見てた子たちの行き先を方々まわって見つけてね、大きい子たちにも手に職つけさせたり。そうそう豊川の海軍工廠にここを出た子が働いとるよ。それもみんな食べるに困らないように佐里先生が手伝っただに」
「あなたも先生のところの子だったなら関屋銀行に行ってみりん。巣立った子たちに何かあったらいかんてずっと心配なすっててね、いくらかお金を残しとるみたいだから。ほいでここを畳む手続きを全部まわししてね、ほいだら気が緩んだんだろうねぇ、静かにお眠りになっただよ。」
「私もこの建物をせめて綺麗にしてやりたいけんど、先生が誰かに譲ってまったのか手が出せやへんのよね」
佐里先生が死んだ...ほんとうに?おばさんの言葉は花子の耳に半分も入ってこない。なにか、体の中にあるものが突然消失してしまったような、血も肉も無くなり、白綿だけが自分の体に詰まっているような錯覚に襲われる。
「そういえば、ここを出た子にウィッチになって欧州に行った子がいたらしくてね、佐里先生はずっとその子を心配なすってたねぇ...」
「...!」
最後の眠りについた日、きっと佐里先生は私の事を想っただろう。そう考えるとはらはらと涙が零れ、最早自分の気持ちもわからぬままに走り出した。
後ろでおばさんが心配の声をあげる、だが花子はそれを振り払って走る。ここから居なくなりたかった、この場所から消えたかった、そうすれば佐里先生の死を嘘にできるような気がした。
涙滲む夕暮れの関屋は最早花子にとって見慣れぬ場所、帰る家も、待つ人も居ない、その事実が目に映る景色を一変させる。走り抜ける関屋の町並みが、まるでここは知らない国だ。黄昏の闇に現世と幽世が交錯し、彼岸の川辺に迷い流れ着いたかのように――――。
数日後。関屋市内、関屋陸軍老津飛行学校校長室。
「電話をもらった時は驚いたよ。君の事は前校長から聞いている、よく戻ったね、帰国の途次は難儀しただろう。」
花子はこの数日宿で臥せっている事しかできず、喪失感で陸軍に生還を報告する気力も失ってしまっていた。
せめて自分の馴染みある人に迎えてもらいたい、その一縷の希望をかけて飛行学生時代の恩師である老津飛行学校の校長を訪ねたのだが、出迎えたのは恩師の後任で校長の座についた今橋中将だった。
「残念ながら君のいた部隊は解体されて各々別任務に就いているそうだ。」
「...」
「ううむそうだな...君は無事、国に戻ってきた。そこで良ければなんだが、どうかなもう一度軍に戻るのは。欧州に行かずとも扶桑で国の役に立てる、航空ウィッチなら引く手あまただ。君がまだ同じ空を飛んでると知ればかつての仲間たちも喜ぶだろう」
「......あの、どうもその、そういう気になれなくて」
彼女の意気消沈とした様子にいたたまれず、なにか元気づけてやれる事はないかと苦慮しての提案だったのだが。
「...そうか、まあ無理強いはできないな。戸籍の事もある、どのみち裁判所には行く事になるだろうから一度考えてみてほしい」
その言葉も耳に入ったかどうか、彼女は一礼し退室する。
「せっかく帰国を果たしたのに、ああ気落ちしていてはかける言葉がないな...」
「彼女は死にたかったんでしょう、そんな顔をしていましたよ」
そう言ったのは教授部の
「君な、めったなことを言うものじゃ―――」
「聞けば、大友准尉の育った孤児院は廃院になったとか、そこを切り盛りしていた院長も亡くなられたそうで。」
「うむ...辿り着いた故郷には帰る場所も待つ人もなく...な。軍に戻れば何かしら張りが戻るかとも思ったんだが」
「あの様子では原隊に報告もしないでしょう、まあ准尉には幽霊でいてもらった方が欧州での彼女の上官は立場が守られるでしょうが」
「幽霊か...もはや己の居場所とも感じられない扶桑に暮らすより、その方が幸せなのかもしれん」
今橋は校舎から去り行く花子の背中を校長室の窓から見送るほかなかった。
「まわり灯籠の画の様に 変わる景色のおもしろさ 見とれてそれと知らぬ間に 早くも過ぎる幾十里~♪」
8か月後、1944年初冬の欧州。
501航空団の活躍によってネウロイから解放されたガリア、その南東プロヴァンスの小村へ続く道を北西に3マイル。そこに花子の姿があった。
九七式自動二輪に跨り、陽光照らすラベンダー畑のわき道を童謡を歌いながら走る。巫女装束を片掛けの外套で包む姿はひと目で扶桑のウィッチとわかる、ひとつ変わった事と言えば、左目に今度は白い花の柄をあしらった赤い眼帯をしていることだった。陸軍の巫女装束に外套で軍用バイクに跨っているかと思えば、赤いリボンの髪飾りに加えて花柄の眼帯。その様は軍人のいかめしさと少女性が同居してどうにもちぐはぐだ。
「んー地図ではそろそろ村が見えてくるはずなんだけどな~」
扶桑を去って数か月、花子は目下欧州放浪の旅の最中。
見渡す限りの紫に道行く距離の感覚が狂ってしまい、バイクを止める。一面のラベンダー畑は南ガリアの夏の風物詩。しかし冬のはじめの今、夏にも見られないほどに一帯を染めあげているこの紫の異様は、ガリア解放と共にネウロイの瘴気が去ったはずみで起こったスーパー・ブルーム現象によるものだった。
今日はこのラベンダー畑を抜けて小村ウェルゴンにて郷土料理のトマトのファルシに舌鼓をうつ予定だったのだが、すでに正午を過ぎてしばらく、おいしいおめあてにはありつけていない。
「歌ってたら余計おなかすいたよ...」
抜けるような青空に独り言と二輪のエンジン音だけがある。ハンドルに寄り掛かり紫の地平線をぼんやりと眺めていると、だんだん...だんだん......瞼が重くなってきた。
目の前が暗転し、意識が遠く―――そこで脱力し支えを失った車体の重みが左足にのしかかったことで、はっと我に帰る。
「あぶないあぶない、立ちごけしちゃうとこだ」
九七式の側車を外しているのが幸か不幸か花子を微睡から呼び戻した。
「―――やや?」
目覚めた花子の目に黒い影がぼんやりと映る。先ほどまでは見えなかったが、前方に霞んで微かに見えるのは目的の村ウェルゴン。その上空を黒い影のようなものが揺らめいている。まぶたを何度かまたたかせ、慣らした目でよーく前方を睨んでいるうちにどこからともなく暗雲が立ちこめてきた。村の上で揺らいでいる黒い影は水銀のように照り具合を変えるハニカムの模様に包まれ、ところどころに赤色の斑点。
「...ネウロイ」
身の毛がよだつ。バイクの後部にキッと目をやる、そこには満載した旅の荷物に埋もれてくたびれたストライカーユニット。上に括り付けられているせんべえ布団からそそぐ埃がたっぷりとまぶされたキ43「隼」。
花子は正面に向き直りアクセルを開け、唸りをあげる九七式でウェルゴンに走り出した。
―――同時刻、ウェルゴン村のとある診療所
「先生、先にお逃げになってください、すぐに追いつきますから」
「だが、キミひとりに任せて逃げるわけには...」
「防空壕には怪我をした方が大勢集まっているはずです、お医者様がいなければ避難できた方たちも長くはもちません、ここは任せてどうかお急ぎを」
診療所の廊下でウィッチと医師が外の様子を伺っている、つい先ほどまで穏やかだった昼下がりの空に突然ネウロイが現れたのだ。たちこめた暗雲からにょっきりと生えるように姿を見せたのは逆四角錐形のネウロイ達。8mほどはあろうか、これが村の外周を囲み、歯列のように並んでいる。
彼女たちがその存在を捉えた時にはすでに村に向けてビームの一斉掃射がはじまり、逃げ惑う人々の悲鳴と怒号があちこちであがっていた。
「すまない、あの子をたのむ...」
ネウロイの影が通り過ぎたのを見計らい、外を伺っていた医師が診療所の外に駆け出す。
医師を見送ったウィッチは背後からうめき声が上がったのを聞いてすぐに病室に向かった、病室のベッドにはホワイトブロンドの長髪を乱して悶える幼い女の子。
「カトリさん!いけない、また発作が...」
カトリと呼ばれた幼いこの娘は、ネウロイが出現したときからひどい発作に苦しめられとても連れて避難できるような状態になかった。
呼吸は荒くなり脂汗が滲んで今にも死んでしまいそうだ。はぁはぁという呼吸をぜぇぜぇと喘鳴に変えるこの幼子にウィッチは治癒魔法をかける。ひとまず落ち着かせなければ、避難の道すがらに治癒していたのではあまりに危険すぎる。
「大丈夫、大丈夫ですよ...」
立ち上がった栗毛の馬耳と滑らかな黒い尻尾。使い魔のそれをあらわし、ウィッチは手を握って魔法力の青い光でカトリの体を包む。
カーキ色の軍服に栗色の髪の彼女は扶桑陸軍のウィッチ、
「深呼吸して、大丈夫ですよ。ゆっくりでいいですから、大丈夫、大丈夫、」
幼い体からこれほど強い熱気が出るものなのか、荒い呼吸に火照った小さなその胸をふいごのようにして懸命に息を整えている。石和はそんな幼子の汗ばんだ額をハンカチで優しく拭い、やわらかな声色でささやき続ける。その様子はさながら我が子を想い寄り添う伏し目の母。慈愛に満ちたその面立ちをカトリは薄く開けた目でぼんやりと見ていた。
やがて乱れた呼吸がだんだんと落ち着き始める。
「そう、がんばりましたねカトリさん、私が見えますか?」
「お、ねえ...さん......」
看病のかいあってなんとか小康状態に持ち直し、意識が鮮明さを取り戻す。
しかし安心したのもつかの間、怪鳥のようなネウロイの声が聞こえたかと思うと診療所のすぐ裏手を赤い閃光が走る。石和は咄嗟にカトリを抱いて窓側に背を向け、一拍のちに爆発音が響いた。
石和の肩越しに窓の方を見ると病室の窓枠が吹き飛び、窓際にあった花瓶や本が室内に散乱している。
「私たちも避難しなければいけません、立てますね?」
「...はい」
石和の腕を頼りにカトリは弱々しくベッドから降りた。
村の集会所、地下防空壕。
ネウロイの襲撃がはじまっておよそ四半刻。防空壕に集まった村民たちはほとんどが大小の怪我を負って、中には今すぐ処置しなければ命にかかわる者もいる。なんとか防空壕にたどり着いた医師は、すでに治療に奔走していた。
「しかし避難者がこれだけとは、村の半分もいないじゃないか...」
ガリアが解放されて間もなく疎開先から戻ってくる人がまだ少ないとはいえ、住民は本来100人以上いる。だが防空壕の中を見渡してもその人数はせいぜい20人前後だ。
「はじめにみんな車で逃げたんだ、だけど地面からもネウロイの野郎が飛び出してきて壁みたいに道をふさいじまった。前でトラックが横転して怪我人は出るし、後ろの方を走ってた俺たちは引き返すしかなかったんだ。」
そう語る青年は、おそらくそのトラックを運転していたであろう壮年男性の腕に突き刺さったガラス片を取り除こうとしていて、医師は無理に抜かないよう諭す。ここに残っているのは引き返さざるおえなかった人や、逃げ遅れた人ばかり、もはや全住民の安否を確かめるすべはないだろう。
「石和くん、どうか無事にたどり着いてくれ...」
医師は彼女たちの身を一層案じた。
地下壕の隅でこの行き詰まりの状況を見つめる者がある。さっぱりした黒髪のブリタニア人らしき少女、白いバレッタで髪を留めている。少女はすっと立ち上がり医師の元に来て聞いた。
「失礼、医師、イサワというのは?まだ避難できていない住民がいるのか?」
「あ、ああ、ウィッチがひとり。今頃診療所から患者を連れてこちらに向かっているはずなんだが...君は?」
そのとき防空壕の入り口の方から避難者が来たことを告げる声があがった。それが件のウィッチだと確信し、謎の少女は入り口に向かう。外では石和大尉がカトリを連れてなんとか集会所の前庭にたどり着いたところだった。
「カトリさん、あとひと息ですよ」
背に負ぶられたカトリは再び息を荒くしはじめている。その顔色を確かめようと振り向いた石和の目に、なにか人影のようなものが映った気がした。遠方、瓦礫となったたくさんの家屋の向こうに老人らしき小さな影が見える。
それを確かめんとしたそのとき、石和の視界をネウロイのビームが赤く染めた!
――ビィン!!
咄嗟に、瞬きするよりも早く魔法障壁がその閃光を弾き飛ばす。
シールドを展開したのはカトリだ。しかしビームを受けた衝撃で彼女は昏倒、ふたり揃って体勢を乱し地面に崩れ落ちてしまう。次の攻撃でふたりは間違いなく蒸発する。だがそこに先ほどの謎のブリタニア人少女が飛び出し、懐から抜いたコレット.25オートを数発発砲してネウロイをひるませた。
「…っ、カトリさん!」
「君たち、早く中へ!!」
拳銃での牽制をつづけながら謎の少女は前に出て退避を促す。昏倒したカトリを抱え走る石和、少女が殿を務めてなんとか壕の入り口まで引き上げた。
わきにカトリを寝かせ、再び治癒魔法で容体を落ち着かせようと試みる。
「この子はどこか怪我を?」
謎の少女は、視線を外の警戒に向けながら問う。
「いいえ、でもとても危険な状態です」
カトリの顔からは血の気が引いてまるで人形のようだ、荒い喘鳴はなくなり呼吸が浅くなっている。
「体質に異常があって、自分の魔法力で自分を傷つけてしまうんです。ネウロイが現れてからは特に潜在意識下で魔法力を励起して発作を繰り返しています、その状態でシールドまで使ってしまったから...」
「私に、何か手伝えることは?」
実は、と石和はカトリから目を外さずに、
「前庭でネウロイの攻撃を受けたとき、逃げ遅れた人影を見たように思うのです。はっきりとは見られませんでしたがご老人のようでした。貴方はネウロイに対する心得があるとお見受けします、私は今ここを動くことができません、どうかその人を助けに行ってはもらえませんでしょうか...」
「無論だ」
かわりに外に送り出すことを心苦しく思う石和。謎の少女はその顔を見ることもなく.25オートのマガジンを交換し、おおよその方角を聞くと再び地上への扉を開ける。
「どうかご無理だけはなさらずに、ええと...」
「名乗るほどのものではない、通りすがりのウィッチだ」
その言葉だけを残して謎のウィッチは壕の外へ出て行った。
一方その頃、村に到着した花子。
「おーばーあーちゃん!!やーばいって!!!ネウロイ来てるネウロイ!!見える?!あれ!黒いの!ネウロイ!!!!」
「...なんだってぇ?」
「ネーーーウーーーローーーイッッ!!!」
「サビロイ?」
「おばあちゃん今ソーセージの話してない!!」
民家の庭先で子供用のボロの引き車を連れて掃除するボケたおばあさんを花子は必死に避難させようとしていた。
「フィレール、釜のパンがそろそろ焼きあがるころだよ、急がないと焦げてしまう」
「誰?!ああもうわかったパンね!釜からパン出したら逃げようパン!いいおばあちゃん?!」
おばあさんの返事も聞かずに半壊した家の中に入り、大慌てで家の中を見回す。
「おばあちゃん釜どこ?!あっこれか!!熱ッッッッ!!!!!!!」
「りんごを剥いてあげようねぇ」
アツアツのパンに文字通り手を焼いている花子を気にもせず、りんごなど剥こうとしているのだからかなわない。
「りんごなど、こう!」
それを横から奪い取り丸かじり、袖で口元をふき取った勢いそのままにおばあさんの手を引いて家から飛び出す。
ズドガッシャアアアン!!!
庭に飛び出たその瞬間ネウロイからの流れ弾で家が倒壊した。
「――――っと!セーフ!!」
冷や汗を散らして体操選手よろしくフィニッシュポーズを決める、あとコンマ数秒遅ければ下敷きだ。
「はー、あぶなかったねおばあちゃん、さ、逃げよ...」
つないだ手の先を見ると、おばあさんは地面にへたり込んでいた。ぺしゃんこになった家の前で。
「...おばあちゃん?はやくここから離れよう、もっと頑丈なところに隠れないと」
「ああ、フィレール...」
その背中には落胆の色が伺える。おばあさんの右手には写真入りのロケットペンダント、写っているのがフィレールだろうか。
「ここが...ここだけが希望だったのに...ああ...」
「おばあちゃん?」
その目は痛々しいほどに潤み、息遣いは悲しみに震えている。
「あなたは逃げなさい、私はもうここから動けない、ごめんなさいね...」
先ほどまでと打って変わっておばあさんは今の状況をしっかり認識している、所謂まだらボケというものだろうか。家が倒壊したショックでせん妄から抜けた様子だ。
「だめだよ!置いていけるわけないじゃん!!」
「あなた、もしフィレールに会うことがあったら、ホレのおばばがもう一度カリソンを焼いてあげられなくてごめんねと言ったと伝えてくれる...?」
涙を拭って願うそれは孫娘を想う優しい、しかし無念の祖母の顔だ。
ネウロイが不気味な風切り音をたてて漂うその下で、いっときの静寂。
「...わかった」
―――――どかっと、おばあさんの前に胡坐をかいて座る。
「どうしてかわけを聞かせて、どうして動けないの?何か力になれるかもしれない、望みを捨てちゃだめだよ。いい?話してくれるまで私は一歩も動かないから。」
確りとした口調と、強く優しい笑顔でそう言った。
「...あの子に似た優しいお嬢さんね」
この子の目に宿る強さに説得させられ、おばあさんは静かに話し始める、ペンダントを心惜しそうにさすりながら...
「
「ほんとに優しい子でね、トマトが嫌いなのに私がトマトをうんと入れたラタトゥイユを作るからいつも嫌そうな顔をして食べていたわ。だけど絶対に文句は言わないの、鍋の中を全部たいらげて美味しいわってね。やさしいから言えないのね、でも顔はとっても嫌そうなの。可笑しいでしょう?」
花子は静かに耳を傾ける。
「意地悪してるわけじゃないのよ。あの子がもっと小さい頃、トマト料理を嫌がって私が落ち込んでしまったのをずっと覚えてるのね、だからそれからトマトをうんと入れてと言うようになって...意地っ張りなのね」
怪鳥を思わせる奴らの鳴き声が其処此処でこだましはじめている。ふたりの元に集まってきているのか、それでも花子は話を遮ることなく、この人の心に触れようと耳を傾けつづける。
「ごめんなさいね、あなたの強い目を見ていると意地っ張りなあの子をどうしても思い出してしまって」
「ううん、」
「村に怪異が迫ってきて私たちは逃げる支度をしていたの、あの子この田舎から出たことがなくってとても寂しがったわ。だからいつか戻ってきて、そうしたらカリソンを焼いてあげる約束をしたの、あなたカリソンってご存知?」
首を横に振るがそれでもおばあさんは続ける。いつネウロイが襲い掛かってきてもおかしくない。囃し立てるように叫声がどんどん大きくなり、首筋に冷たい汗が流れる、それでも花子は邪魔させるつもりなどなかった。
「離れ離れになってしまったの、怪異のせいで大きな爆発があって周りみんなが混乱していたわ。そこではぐれてそれっきり...」
「故郷が取り戻されたとき私はすぐこの家に戻ってきたの。あの子も必ずこの家に戻るはず、私たちが再会するためのここは唯一の...道しるべなの。他に身寄りもない私たちにはここだけ、この家だけが...帰る場所......だったのよ...」
「帰る...場所...」
大粒の涙をためて、必死に気持ちを絞り出すおばあさんの”帰る場所”という言葉が強く、強く耳に残る。
「冬になってもあの子はここに戻ってこない...それでも信じていた、この家さえ残っていればいつか必ずあの子と再会できるはずなの...それなのに...失ってしまった、この家がなくなってしまったら、私たちにはもう導がない...帰る場所を喪ってしまったの」
同じだ。
花子の目には泣き崩れるおばあさんの姿がまるで自分自身のように映った。扶桑にたどり着いて、懐かしい景色を見て、だけど帰る場所はなくて。そうと知ったとたん目に映る景色が色褪せ、かつていたその場所がひどく遠くに行ってしまった気がして。消えてしまいたかった、いっそ欧州で死んでいればとさえ思った。悲しみに暮れて、扶桑から逃げるように去った。
――――――だけど、大切なあの人が勇気づけてくれた。
「...おばあちゃん、きっと会えるよ。私が会わせてみせる」
おばあさんの手をとる花子の瞳は強さとやさしさに輝いていた。
心の中に、大切なあの人の言葉が煌めいていたから。
「だからほら、前を向いて。」
時は44年の4月、花子が老津飛行学校で今橋中将と会った直後に遡る。
飛行学校の恩師にすらも会うこと叶わず、意気消沈の彼女は関屋市を去ろうとしていた。ただ、扶桑に戻る道すがら食つなぐのがやっとだったせいでここを去るにも先立つものがない、数日お世話になった宿は手伝いをする代わりにタダで泊めてもらったものだし、欧州から使わずに握りしめていた15銭はこのあいだカレーうどんに使ってしまった...。
「あ...銀行...」
そういえば孤児院の前で会ったおばさんが関屋銀行に行くように言っていた。足は重たかったがとにかく一刻も早くこの我知らぬ街から離れたいがため、選択肢はない。
銀行にたどり着いて窓口で事情を話す。しかし今の花子には戸籍が無いため取り合ってもらえない、おそらく死亡届も出されていて書類上は故人だ。ただ幸いな事に銀行の上役と思われる壮年の男が大友花子を知っていた。欧州に派兵されるときに市をあげて壮行会が開かれ新聞にも載ったほどだ、ウィッチであることがここで幸いするとは。
そうして話が付くと次に花子は正方形の引き出しが一面に並ぶ部屋に立っていた。銀行にはお金や宝飾品だけでなく、ごく個人的なものまで保管してくれる貸金庫室というものがある。金庫の中身は利用者だけのもの、部屋に入るのはたったひとりだ。
「1020...1020は...」
番号を辿っていく声だけがこの見慣れぬ部屋に響く。
...あった。1020と刻まれた銘版。
鍵を差し込み取っ手をつかんでしかし、瞬時ためらう。待つ人を喪った現実に目を背けたい、この思いに、引き出しの中身はいったい何を突き付けてくるのだろう。
恐怖しながらも、開け放つ―――中には、封筒がひとつ。手に取ってみると、厚みがありごわごわとしている。
「...!」
そこで気が付いた、金庫の底、封筒の下に隠れていた薄い封書。
”花子へ”
封書に書かれた整った字は明らかに佐里先生のものだ。穏やかで、あたたかな筆運び。封書を手で包み込み、それに額を押し付ける。甘える幼子のように花子はそこに宿るぬくもりに縋りついた。
筆の軌跡から、いつも頭を撫でてくれた佐里先生のやさしい、しかしみんなの世話仕事で少しあかぎれした手を思い出す。
おそらくきっとこれは佐里先生の最期の言葉だ、それが何を意味するのかわからぬはずもない。でもそれへの恐れ以上にこの封書のたった三文字が、彼女を愛した人が確かにこの街にいたとわかる最後の鎹だったのだ。
「ねえ…先生、私どうしたらいい?もうどこにも行くところがないの、もう消えちゃいたい、誰もいないの、先生...先生会いたいよぉ...」
そのときごわごわした封筒から何かが足元に零れ落ちた。
それは、白いカタバミの花の刺繍が入った赤い眼帯。
「あれ...これ...」
幼いころに佐里先生が作ってくれた、とっくに小さくなって着けられなくなってしまったもの。でも、とても大事な贈り物だった。
そう、大事な贈り物、この眼帯を貰った日。花子にとってすごく大事な贈り物を貰った日......
それは、幼かった花子がしょう紅熱に罹ったときの事だった。
高熱に苦しめられる彼女をおぶって佐里先生は診てくれる医者を方々探し回り、唯一受け入れてくれた町医者の元で奇跡的に一命を取り留めた。しかし幼い体にかかった大きな負担によって花子は左目の失明という後遺症を残すこととなる。
回復し孤児院に戻ってこれはしたが、白濁した左目を他の子供達に気味悪がられ、泣いていた。
そんなときだった、佐里先生がこの花柄の眼帯を作ってくれたのは。
「ほおら、つけてみて」
「嫌、こんなの変だよ」
「そんなことない、きっと可愛いわ」
愚図っても、佐里先生が可愛い可愛いと譲らないものだから花子の方が根負けしてしまう。
「ほおら、とっても素敵よ」
眼帯をつけた姿で鏡を不満げに見るが、やっぱりちぐはぐだ。
「そんな顔しないの。そうね、こうしましょうお姫様。リボンも一緒につけるの」
「うん...」
「まあ!これでもっと素敵になったわ」
「でもみんなきっと変だっていうよ」
赤い眼帯の色合いとよく合った赤い小さなリボンの髪飾り、お姫様はそれでもまだ不安げな様子。
そんなその子の幼い手を佐里先生は優しく包み込み、語り掛ける。
「花子、不安に思う事なんてないの、みんなからもきっとかわいいと言ってもらえるわ」
「......」
「信じて、そう思ってもらえるって。」
真心に触れたからか、それとも押し負けただけか。花子は背けていた顔を佐里先生に向ける。
「だいじなのは、前向きでいること。そうすればこわいきもちなんてふきとんでしまうわ」
「花子、これからたのしいこともあるのとおなじくらい、いやなこともあるかもしれない」
「それでも、前向きでいることを忘れないで。そうできれば、あなたの人生はあなたのものになるのよ。」
この言葉は花子の心に残り、光を放ち続けた。
――――強く輝く花子の瞳に映るのは赤い一閃、瞬くより前に魔法障壁がそれを弾き飛ばす。
「おばあちゃん信じて!!私を!!!」
ついにふたりを見つけたネウロイがビームを放つ。花子はオオカミの使い魔をその身に現し、魔法少女となっておばあさんを守る。
「生きていれば、もう一度会えるよっ」
ビームを防ぎながら必死に訴えかける。
赤い眼帯の奥、おばあさんは花子の左目に輝く心を見た。
「一緒に探しに行こう、おばあちゃん!!」
ドォン!ドォン!!
2発の銃声が響き、ひるんだ敵が攻撃の手を止める。
「無事か!?キミたち!!」
.25オートを敵に向けながらふたりの前に躍り出たのは、防空壕からようやっとここに駆け付けたブリタニア人の謎のウィッチ。だが敵がひるんだのもつかの間、今度はふたりを逃がそうと割って入った彼女にビームの集中砲火。何匹も集まってきたネウロイたちの攻撃で全員その場から動けなくなってしまう。
「くそ、数が多すぎる...」
「あの!」
唐突に花子が声をあげる。
「ちょっとおばあちゃんみててもらっていいですか!」
「は?おい、キミ!!!」
動揺する彼女をよそに、花子はすぐそこに停めてある九七式二輪に駆け寄ると満載した荷物を引っぺがしていく。荷物の山から現れたのはキ43『隼』そして、長大な扶桑大太刀。
「キミ、それはストライカーユニットか!」
「いま少しだけ持ちこたえてください!!」
花子はそういうと旅荷のくたくた布団からストライカーユニットにふりかかった埃や羽毛を振り払い、魔導エンジンの始動にかかる。
「おじょうさん...」
「おばあちゃん、見てて、また、私飛べるようになったんだよ」
おばあさんの不安な気持ちを吹き払うように二カッと笑う。欧州で撃墜され、扶桑で故郷を失い。以来一度も飛ぶことの無かった花子が今再び、飛び立つ。
魔法とは心が呼び起こす奇跡、前を向き己の人生を生きようとする花子の姿が、おばあさんの暗く沈んだ心を引き上げ空の上まで運んでゆく――――。
「いくよ、長太郎!」
名のごとく長大な扶桑大太刀を鞘から抜き放ち、大友花子、勇往邁進。
「チェストォォォォォォォォォッッッ!!!!!!!!!!」
花子の一閃が向かい来るネウロイの身を一刀両断した。
つづく