ワイルズウィッチーズ ‐カシオペヤの魔女‐ 作:にょっき‐オリウィ創作
~前回までのあらすじ~
カシオペヤ号のウィッチと協力し、村を襲撃していたネウロイを退けた花子達。しかし気を休める暇もなく、今度は巨大なネウロイの巣が村に迫る。花子たちはカシオペヤ号に村民たちを乗せて村を脱出。どうやら南ガリアはネウロイの支配下に落ち、孤立無援の列車旅が始まった。
そんな矢先、カシオペヤ号の前へ一人の少女が現れる。少女フラヴィを仲間に加え、ワイルズウィッチーズの名を掲げたウィッチ達は南ガリア脱出を目指す。
「エースの追想 ~リタ 立志編~」
ある日思い立ったの。
リタ・リンダ・リップスの戦いの記録を後の世のために残さなくちゃって。だから私がどのように生まれ育ち戦ったのか、そしてどれだけcoolだったのかをこれからなるべく詳細に記録することにするわ。
誕生してすぐの記憶はええと...そうね、生まれて3日目に自分の足で立って、7日後には来たるネウロイとの戦いを意識していた、と言えば大体わかってもらえるかしら。何もない空にネウロイたちの影を見出し、ファイティングポーズをとる0歳児を見てママはきっとこう思ったはず。
「この子は世界を救うために生まれてきた」
当然よね、だって私はママの子だもの。
私のママ、偉大なるリンダ・リップスは第一次ネウロイ大戦でウィッチとして戦った英雄。その頃はストライカーユニットなんかなくて、機械に跨って飛んでたって言うからなんだかちょっと変なカンジよね。でもママの語る英雄譚はいつだって私の心を奮い立たせた。
「みんなの不安を吹き飛ばしてあげるのがエースの使命よ」
これはママの口癖。ママみたいなスーパーエースに憧れるようになるのも無理なかったわ。まだ魔法力も現れていない私だったけど、使命を果たす場をいつも探してた。
そんなある日の事よ、いつもの散歩道の脇で犬の吠える声が聞こえたの。私が駆けつけるとそこでは震える仔ヤギを庇ってる女の子がいて、でっっかい野良犬がその子たちに吠え掛かってた。野良犬は3メートルくらいあったわ、本当なのよ。
「でたわね」
使命を果たすとき。私は悠然と野良犬の前に立ちはだかる。向こうは牙をむき出しにして、それはもうすごい形相だった。だけれど何も恐れることなんてない、結局のところこの子も怯えてるだけなのよね、威嚇して自分を大きく見せようとしているのは。本当は心細くって、神経質で、そして少しお腹を空かせているだけなの。そこで私はそのときたまたま持っていたハントケーゼってチーズを、その野良犬の口に突っ込んだ!
「ギャン!!」
野良犬は逃げ去ったわ、口の中に芳醇な匂いが広がったようね。このハントケーゼって兎に角臭くてたまらないの、なんというか、腐った魚の臭いがするわ。まあでもこれであの子のお腹も膨れたでしょうし、吠えた罰にもなったでしょう?私は誇りを胸に抱いて家路についた。
その次の日からよ、助けた例の女の子が私を慕ってよく遊びにくるようになったの、仔ヤギちゃんも一緒にね。女の子はちょっと気弱で、たぶん私より年下だったんじゃないかしら。
「リタちゃん、昨日はありがとう。」
「ふふん、エースとしてつとめをはたしただけよ」
「...エース?」
「エースって言うのはね、ウィッチの中のウィッチのこと!」
この気弱ちゃんのおかげで、ザクセンに引っ越してきたばかりだったのに沢山友達ができたわ。私ははじめて夢を語る仲間を得て大興奮。みんなが村のはずれにあるあばら家の庭先に集まって、私は崩れかけた石塀の上に立っていて、いつか空を舞って戦うリタ・リップスの一大スペクタクルを大いに語った。気弱ちゃんに、他の女の子たちや仔ヤギちゃん、みんなが目を輝かせて聴き入っていたわ。
「私もウィッチの中のウィッチになる!」
気弱ちゃんが言った、そうするとみんな私もって言い出して。ふふ、触発されたみたい。それからみんなでウィッチになるって村を駆け回った!使い魔を捕まえるために狂ったように虫取り網を振り回したりしてね。なかなかヤバイ集団だったわ。
そんな風に過ごしていたらいつのまにか、友達の中で一番年長の子が魔法力を発現した。皆その話題で持ち切りだった。私は嫉妬しなかったけれど、ただちょっとだけ、皆が私の話に耳を傾ける時間が減ったのが寂しかった。それで、ある事を思いついたの。
「あぶないよリタちゃん!ケガしちゃうよ!」
「やめようよこんなこと!」
「みんな落ち着いて、coolにいきましょ」
あばら家の上で箒に跨って私は爽やかに笑ったわ。飛べると思ったの、だって私にはママの血が流れてる。
バキッ!ガラガラバシャアアアアン!!!
次に気が付いたら、体は地面に投げ出されてて、左手がめちゃめちゃな方向に曲がっていたわ。
「リタちゃん!!!」
「メェ~~!」
「......勇気はある、翼はどうだ」
私は静かに嘆いた。
それから皆ね、親に「あんな危ないことをするような子と付き合うな」って言われたらしいの。ひとりふたり集まりに来なくなって、それでも残った子たちの中にまた、ぽつぽつ魔法力を発現させる子が出だした。ふつう、ウィッチというのはそんなにたくさんの子がなれるものじゃないの、ましてやひとつの村の子供からそう何人もね。精霊のいたずらかしら?でもそれなのに、私にはその兆候が現われなかった。
私が8才になった頃、集まりに来てた子たちはウィッチになって去って行くか、ほとんどはあきらめたかしてもう来なくなってた。残ってるのは仔ヤギちゃんと気弱ちゃんだけ。
でも私は諦めるつもりはない。今度は気弱ちゃんとふたりでウィッチ養成校に乗り込んで、教室の席に何食わぬ顔で座った。こうすれば魔法力の授業が受けられると思ったの。私の傍に明らかにその席の主らしい子がもじもじしながら立っていたけれど、尋常ではない厚かましさでそれをはね除けたわ!まあその後すぐにバレて、仔ヤギちゃんを囮に逃げたのだけど。
お次はストライカーの飛行訓練場に忍び込んだわ。そこの原っぱに伏せて隠れて、見習いの子が真上を通過するときに網を投げかけて捕まえた!それで機材を奪って、ふふ、そうしたら大勢が私達を追ってきてね。後ろから怒号が飛んで来る中、だだっ広い原っぱを逃げ走るのは妙な爽快感があったわ。下草から跳ねる露が気持ちよくって、土のにおいがして...なんだかいい思い出。青春って感じね。
だけど、そんな時間も長くは続かなかった。
その一件の少し後、気弱ちゃんにも魔法力が発現したの。
「イタズラをたくさんしてきたせいで学校には受け入れられないって言われたの。それに皆が噂してる...だから引っ越すことになって...」
別れの日、積もるわけでもないささやかな雪の日に、気弱ちゃんはそんなようなことを言ってた。彼女は今、どうしてるかしら。
お別れの言葉もそこそこにあの子は去って行って、仔ヤギちゃんだけが私の足元でさみしそうに鳴いていた。
「いよいよふたりぼっちになっちゃったわね」
―――――クスクス...クスクス...
ふと誰かが嗤うのが聞こえたような気がして、首筋に冷たい空気が伝い上がる感覚があって、急に意味もなく不安な気持ちになった。さみしい...ううん、くやしい?ちょっと違う。まだ自分の気持ちを表現する言葉を知らなかった。
コツンッ、と仔ヤギちゃんが私のお尻を鼻先で小突いて、おかげで正気に戻れたの。出会ってから3年経つのに一向に大きくならないこの不思議な仔ヤギちゃん、そういう種類なのかしらね?
「メェエ...!」
元気を出せって言ってるみたい。柄にもなく取り乱したわ。私はウィッチの中のウィッチ、エースになるんだ。赤くなった鼻を拭って、仔ヤギちゃんにVサインを掲げた。
1944年冬、南ガリア。
ウェルゴン村脱出から1時間と少し、花子達が線路上で謎のあなぐら娘フラヴィと遭遇した後のこと。カシオペヤ号の車内司令室ではネウロイ支配域脱出の作戦会議が開かれていた。灯りを落としランタンひとつになった車内で一同はロイター少佐を囲み、卓上の地図に置かれた彼女の指の示す先を見守る。襲撃されたウェルゴン村の位置に指を置き、そこからスーッと南に指を滑らせて地中海に面したある街を丸くなぞる。
「マルセイユを目指す」
それは地中海最大の玄関港にして南ガリアいちの貿易・商工業都市。
「敵が南ガリア一帯に展開しているとして、列車の進路上にある町で各軍が最も守りを固めようと考えるのはここのはず、おそらく一番持ちこたえている可能性が高い。偵察隊を先行させて安全を確認しよう。マルセイユがだめならこの先の...トゥーロンまで足をのばしてね。」
トゥーロンはマルセイユから沿岸部を東に進んだ先にあるガリア第一の軍港だ。
「安全が確認できたなら、どちらかの港でカシオペヤの民間人を船に乗せて南ガリアから脱出させられるかもしれない。それにロマーニャの国境にも近いから、そっちの方にネウロイがいなければ陸路で逃げ切っていく手もあるしね。」
「よかったぁ、そんなに遠くもないし、案外すぐネウロイとおさらばできるかも」
「...奴らはデュランス川以南のどこまで手を広げているかしら」
ほっと安堵する花子とは裏腹に、ジアーナはこの不可解なネウロイの包囲網にどうしても懸念を捨てきれない様子だった―――。
―――明朝、ジアーナとロレッタのふたりがマルセイユ偵察に出発、ほどなくしてヴォクリューズ県境を越えた。
「...そろそろカシオペヤ号と無線がつながらなくなるね」
ネウロイからの妨害なのか列車から大きく距離が離れると無線が通じなくなってしまう。故にロイター少佐は最も信頼できるこのふたりに偵察を任じた。
敵を警戒し、低い高度で山間を進む。このあたり一帯は山と低地が連続し、低地にいくつもの丘陵が存在する。ふたりの飛ぶ遥か上、山と山を渡るように二体のネウロイがゆっくり通り過ぎていく。敵に頭を押さえられている状況下でこの複雑な地形は彼女たちの姿を隠すのに役立った。
「わかってはいたけれど、簡単にはマルセイユまで行けそうもないね」
ネウロイを見上げながら声をひそめて話すロレッタ。
「気付いている様子はないわ、このままいきましょう」
「了解。さあ、そのまま気付かないでいておくれよネウロイ君?さもないとお嬢がこわいぞ」
「......視界が悪くなってきたわね」
出発の時には朝靄が立ち込める程度だったが、ヴォクリューズに入ってからは深い霧の予感がした。その予感のとおり谷合はやがて白く濁り落ち、両脇にそびえる山の斜面がやっと見えるかどうかの濃霧となる。
「これは、危険ね。霧が晴れるまでどこかに降りて待ちたいところだけれど...」
「どうかな...この辺りはかなり海抜が高いし、山に囲まれてるから風抜けも悪そうだ、すぐに晴れてはくれないかもしれない」
昨日の夏のような陽気から今日の急激な寒暖差は例年にもみられないもので、霧の原因はおそらくこれのせいだろう。日没後に吹いたあの強烈な季節風が遅れた冬の寒気を運んできたのだろうか。霧に包まれた谷合はあまりに静かで、尾根に突き出した岩や斜面に揺れている木々までもが何かに見え始める。
「濃い霧の中、両脇には岩壁...気味が悪いわね。岩の向こうからバーバヤーガが出てきそうだわ」
「オラーシャの伝説の妖婆だっけ?ネウロイに出会うよりよっぽど嫌だね、ふふっ」
「...楽しそうねロレッタ」
「キミが慣れない冗談を言うときは、たいてい怖いのを我慢してるときさ」
「あなたね...」
「この辺り、ヴォクリューズっていう名前がどういう意味か知ってるかい?」
彼女はいたずらっぽく笑う、ジアーナは呆れて聞き返す気が起きない。
「元々はプロヴァンスの方言で”閉ざされた谷”って意味だそうだよ。いかにもバーバヤーガみたいなのが住んでそうだと思わない?」
「はぁ...あなたって時々ほんとに意地が悪い」
――――クスクス...
「...ロレッタ、今何か言ったかしら?」
「へ?いいや、何も?」
彼女がからかって笑ったような気がしたのだが、聞き間違いかと目だけで周囲を伺う。そのときにロレッタが前方を指さした。
「見てお嬢、村だ」
霧にまぎれて建物の輪郭がまばらに浮かび上がっているのが見えた。
「...丁度いいわ、様子を見ていきましょう」
ネウロイの支配域となった村々の現況を知る必要がある。霧の中、時計塔と思しき高い建物を目印に降下していくふたりの耳にその音は聞こえた。
―――――――クスクス...アハハ...
「「!」」
「...聞こえた?お嬢」
「ええ、人の声...かしら」
声のする方角は南方、こだまのように迫るそれは、本当に人のものだろうか。音を辿ったその先は村から少し離れた丘の上、霧に紛れたシャトーの影がぼうっと浮かび上がっている。目で合図するとジアーナは先行してシャトーに向かい、ロレッタがそれに続いた。
◇
一方その頃、カシオペヤ号内の客室。
「お嬢さん、はい、お名前は?」
「......」
偵察隊とは別に、ロイター少佐にも重要な仕事があった。昨夜、列車の前に突然現れた謎のあなぐら娘フラヴィ。この子の身元聞き取りだ。
「お父さんかお母さんはこのあたりにいないのかな?」
「......」
「...お家は?」
「......」
「ううーむ...」
「......」
「キャンディ食べるかい?ハッカだけど...」
あなぐら娘の鼻先にハッカ飴を差し出すとフレーメン反応を起こした。
「参ったなぁ...」
「......」
「...オレンジジュースすき?」
「......」
「はい、オレンジジュース」
「......」
「...おいしいねぇ、こんなにもおいしい。うれしい?そう、うれしいねぇ」
「......」
「...うれしかったかな?よし、じゃあお嬢さん、お名前は?」
「......」
聞き取りは難航していた。
「ふー...よし、それじゃあここはひとつ手品でも...ぅあ?!」
もうこの際興味を引ければなんでもいいと、トランプを取り出そうとしたそのとき。あなぐら娘の着ているジャンパーが盛り上がり、ぞぞぞっと蠢く!!
「ええと...何か、隠してる...のかな?」
いかにも怪しいそのジャンパーに手を伸ばすと、あなぐら娘のしっぺが―――ペチッ!
「あ痛ぁ!」
「何やってるんですか?」
「ぁあ、花子君か...」
様子を伺いに来た花子に聞き取りが上手くいっていないことを伝えると、彼女は一瞬考えてこう言った。
「この子、ブリタニア語が解らないんじゃ?」
「あっ!」
◇
再び、マルセイユ偵察隊。村南方のシャトーを調査中。
ジアーナが近づいてみるとそのシャトーはかなり古いもので、丘の岩肌から館の外壁がそのまま生えているようないかめしい出で立ちをしている。霧にかすむ館の上部には尖塔がゆらゆらと並んでいてなんとも不気味だ。
声は確かにこの建物からした、しかし人影は見当たらない。ジアーナの魔導針にも目立った反応はなかった。
<だいぶ痛んでいるように見えるけれど、このあたりの地主のものかしら?>
後方にいるロレッタのインカムにジアーナの声が聞こえてくる。
「1500年頃にこういう田舎に王侯貴族がこぞって別荘を作ったらしいけど、もしかしたら忘れられたガリア貴族の隠宅だったのかもね」
ヒヒ...フフフ...
再び声が聞こえた、しかし魔導針はいまだ不気味なほど無反応。
気を張り巡らせ、ジアーナは館の上空をホバリングしながら少しづつ高度を下げていく。それに合わせるように笑い声はだんだん勢いをつけ始める。
―――フフアハハハ、クククッフフフ、アハッアハッアハッ...
MG42機関銃を静かに構えながら、声のする方向に強い警戒の目を向ける。やがてシャトーの屋根辺りまで高度を落とすと、屋根上から突き出している尖塔の根元まできた。そのとき。静寂、笑い声が止んだ...
そして尖塔の影、剥げ落ちた外壁から黒い巨体がぬうっと顔をのぞかせる。
「...っ!!」
ジアーナが咄嗟に銃口を向けたのと同じくして、外壁から首を出したネウロイが頭部と思しき円盤状の部位をこちらに突き付ける。瞬時、トリガーにかけた指を折るよりも僅かの刹那。黒い円盤面の中心にコアらしき赤い光点を見たがしかし、初弾が発射されるより早く、耳を劈く凄まじい音が彼女に襲い掛かった。
ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!
空気を引き裂く大音圧に曝されたジアーナへ間髪入れず、閃光が辺りに走り、ネウロイの弾けたビームが彼女ごとシャトーの屋根を吹き飛ばす。
「ジアーナッ!!!」
吹き飛んだ屋根の上に爆炎をかき混ぜ黒い影が踊る。尖塔が崩落して露わになったその佇まいはまるで止まり木の怪鳥、しかし胸から上は頸椎のように節榑立った首がうねり、その上の円盤状の頭部をあちこちにのたうつおぞましい形貌を現した。
ジアーナはどうなった、ロレッタは焦る気持ちを抑え込み、シャトーの手前側に建つ貯蔵棟を挟んで、向かい側にネウロイを見据える位置まで急旋回する。
――――フフフフ...アハハハハ...フフアハアハ!!
―――アッハッハッハッハッ!!!!
奴の笑い声があちこちにこだました。うねる首の節からビームが何列も何列もこちらに向かって飛び、ロレッタのMG42から発射された弾丸を蒸発させていく。彼女が貯蔵棟の裏手にまさに回り込まんとしたその時。静寂、笑い声が止み、先ほどまで方向の定まらなかったネウロイの頭部がぐりんっとこちらを向いた。
「っ!」
あれだ。ロレッタは魔導エンジンを急停止させ、貯蔵棟の裏側に自らの身体を落下させる。建物の屋根でネウロイの姿が見切れようとしたときにそれは襲いきた。轟音、押し寄せる音の濁流。
「がああっっ!!!」
身体は硬直し、反射的に耳を抑えてそのまま落下していく。そこにビームの追撃が来るが、これは貯蔵棟の外壁に阻まれることになった。
今ので先ほど抱いた予測を確信に変える。これは音響兵器。ジアーナがネウロイにあの円盤状の頭部を突き付けられたとき、一瞬辺りに響いていた笑い声が止んで、そのあと彼女はビーム攻撃に飲み込まれた。それは周囲にまき散らしていたあの笑い声を円盤の向いた一面に収束し、極めて密度の高い指向性の音として彼女に浴びせていたのだ。指向性の強さゆえに一発目はロレッタの方角からは何も感じられなかったが、貯蔵棟を盾にする策でこの正体を看破できた。それと同時に、頭に嫌な想像がよぎる。
大音圧に曝されれば行動の自由を奪われ、魔法力の操作はほとんど不可能。
「あの距離で音響攻撃を受けて、シールドを張るのは無理だ...」
音でシールドを無効化しビームでとどめを刺す、二段構えの攻撃。彼女はおそらくもう...
奴の笑い声がシャトーの上空に響く。魔導エンジンを再始動したロレッタは地面スレスレで飛び上がり、ネウロイが鎮座している本棟の東側の上空へ。
「あれは...!」
シャトーの中庭に崩れ落ちた瓦礫の中に横たわっている人影が見える、それは白い霧の中でひときわ目を引く赤髪。彼女だ。
「ジアーナ!今行く!!」
中庭に向けて急降下。時を同じくしてネウロイの声が一瞬止み、その敢行を愚弄するが如く狂気の笑い声が閉ざされた谷にこだました―――――。
◇
同時刻、カシオペヤ号車内指令室。
指令室の中ではウェルゴンの村民たちが朝食をとっている。ロイター少佐が食後に話があると村民たちを呼び集めたのだ。とうの少佐は皆が食べ終わるのを待つ間にあなぐら娘への聞き取りの成果を花子たちに話していた。
あなぐら娘――フラヴィ・ブフィエは肉親であるおじいさんと離ればなれになり、長い間孤児として生活していた。故郷や家族、ネウロイによって大事なものを失うという事が誰にも心当たる。聞いていたリタもベルタも、そして同じ孤児である花子にも。鼻の奥がツンとして、マッシュポテトを口に運ぶ手がどうしても止まってしまった。
「そっかぁ、孤児かぁ...きっと、寂しかったよね...」
「大丈夫よフラヴィ。おじいさんはきっと見つかる、少佐にたぶん考えがあるわ」
この子を勇気づけようと、リタだけは悲嘆の色を見せない。しかしとうのフラヴィはリタの方を見てはいるものの、食べ物を口の中に詰め込むことに夢中だ。そもそも彼女がブリタニア語で話すのでなんだかわかっていないだろう。
「おじいさんの行方はぼくが探すとして、とりあえずウェルゴンの皆と一緒にマルセイユまで送ろうと思う。この辺りに置いていくわけにもいかないしね。」
「そうよねぇ、任せて。アタシ達がちゃあんとマルセイユまで送り届けてあげる!」
「わっ?!」
突然耳元に響いたヴァリトンボイスに花子は驚く。会話に割って入ったのは、すらっとした長身で、絞りあげられた肉体をオーバーオールで包んだ人物。
「あら、アニーねえさん」
「びっくりさせてごめんなさいね。アタシはアニー、カシオペヤ号の機関士よ。よろしくね」
「あ、どうもどうも...」
最初は面食らったが、チャーミングな長いまつ毛でウィンクを決めるアニーの所作は大変女性的で、どうやら彼はトランスジェンダーのようだと花子は分かった。
「私、花子って言います。なんとかマルセイユまでお願いしますっアニーさん!」
「ええ、もちろん!...ああそうだ、ほかに機関助士のクララベルって子がいるんだけど、今は火のお世話をしているからまた今度みんなに紹介するわね。」
そうして花子達が話しているテーブルにもうひとり、初老の男性がやってくる。彼の名前はアルマン・パレ。ウェルゴン村の医師であり、石和大尉と共に負傷者の治療にあたっていた人物だ。代わりになる年長者がいなかったため、今は彼が村民の代表役を務めることになった。
「ああ、アルマン医師、お食事は済みました?」
「ええ、他の皆も大方は。ロイターさん、それで話というのは...?」
彼はロイターに伺いに来たようだった。
「そうですね、ではそろそろ」
ロイターは次の仕事に取り掛かる。グラスを指で鳴らして客室の皆の視線を集めた。そして一つ頷き、話し始める。
「皆さん、まずは昨日、あの困難の中で私達に従ってくれた事を感謝します。わざわざここに集まってもらったのは、私達が皆さんを安全な場所まで送り届けるためにこれからどのように行動するのかをお知らせするためです――――」
列車はマルセイユを目指す。そのために既に偵察隊を送っていること、そしてそこから脱出するために海路を使うという算段。他には、わかっている範囲でのネウロイの様子、食料や水は貨物車に備えがある事、重傷者の治療が進んでいるという報告。持ちうる情報をなるべく丁寧に説明し、客車にいた誰もが真剣な面持ちでそれを聞いていた。
「―――以上が、今私達が知りうる限りの事です。どうか、恐れることなく。どうか、私達を信じてください。私達に力を貸してください。そして、私達で生き残りましょう」
ロイターの真剣な眼差しは、まるでひとりひとりに話しかけているかのようだった。ひととき、客車の中は沈黙に包まれる。皆が彼女の言葉を自分に向けられたものとして受け取った故の沈黙だった。こうして話したのは、協力して生き残ろうという意志を伝えるためであり、いつネウロイが襲い来るかと怯える人々に少しでも希望を見出してもらうためでもあった。ロイターの気持ちを受けて村民たちも、必ず生還しようと各々目に光を宿し意気を揚げる。
だがしかし、無線機から響いた一報がこの場の空気を一変させた。
<カシオペヤ号!...少佐!聞こえるか?!こちらブリッツェン!>
「ロレッタ君?!どうしたんだい?」
<お嬢がっ...ジアーナが重体だ!!>
―――ロレッタ帰還後のカシオペヤ号。
指令室にはウィッチ達に加えてアルマン医師も残り、彼女の報告に耳を傾けていた。
「私達はヒトの笑い声のようなものを聞いて、それを辿っていたんだ。霧に紛れて敵は姿を現した。至近距離でジアーナに大音響を浴びせて、それから彼女に攻撃を...」
「大音響を浴びせた...?」
「それがネウロイの武器だった。敵は強烈な音を浴びせて動けなくしてから、標的を仕留める。」
「ネウロイのビームを直接食らったってことですか?!」
花子は戦慄する、がその問いにロレッタは首を横に振った。
「幸い直撃は免れたみたいだ...アルマン医師?」
ロイターがアルマンに説明を促す。
「大尉の身体にビーム攻撃の外傷は認められなかった。いくつか骨折があったが、重体の主たる原因はおそらく脳の損傷。その、音による攻撃を受けたときか、あるいは建物から落下したときに頭蓋の中で脳が激しく揺さぶられたのだろう。意識を失ってからここに運び込まれてくるまでにゆうに30分以上経過していることを考えれば、脳震盪ではなくもっと重い、脳挫傷の可能性がある。」
「そんな...」
「手術は適さないと判断した。今は石和くんが治癒魔法で治療にあたってくれている。彼女ならきっと...」
アルマンの祈るような言葉に一同沈黙する。そんな中、声をあげたのは輪から少し外れた位置に佇んでいるシンシアだった。
「至近距離でその音の攻撃を受けて、次いでビームを放ったのも確認しているのだろう?なぜその外傷が無い」
「うん...ビームの外傷がないのはなぜか、そもそも音響兵器とは何か、私の推察だけれど説明するよ。」
そう言うロレッタに、ロイターも頷く。
「ぼくたちは今からこの厄介なネウロイと戦うことになるかもしれない。君の知見が必要だ、頼むよネウロイ博士」
ロレッタ・マイスナー中尉はカールスラント空軍人であると同時にノイエ・カールスラント技術省や魔導技術の研究機関にも籍を置く人物であり、そしてネウロイの謎を解き明かそうとする研究者でもあった。
「まず前提として、人間は130デシベル以上の音に曝されると苦痛を感じてしまう。さらに音が大きくなれば体が拒否反応を起こして嘔吐や平衡感覚障害に陥ったりもする。脳の判断能力も著しく低下するから、当然魔法力の操作なんてできないし、シールドを張ることもできない。これを武器として使うのが音響兵器なんだ」
「なるほど...すべて分かったわ!」
「リタ、邪魔しちゃだめだよ」
「ジアーナが何故、音響攻撃を受けてその後にくるビームを喰らわなかったのか。これは乱暴な推測だけど彼女の訓練のたまものとしか説明のしようがない。お嬢は平時から魔法力の操作を訓練してる、寝ている時間を除いたらほぼ一日中ね。熱いものに触れたときに咄嗟に手を引っ込めるのと同じように、外的刺激に対して大脳を経由しない反射の域まで魔法力の操作に熟達していた、のかもしれない。だからこそシールドを張ることができた。」
「そんなこと...あるんだ...」
花子にはとても信じられなかった。
「現に、お嬢より遠くで音の攻撃を受けた私は一切何もできなかった。これしか説明がつかないんだ。不意打ちでしかも至近距離、最初に喰らったのがお嬢じゃない別の誰かだったらあそこで死んでいたはずだ。」
「できる事なら戦いを避けたいところだけど、敵がその村から移動している可能性は?」
ロイターが問う。
「どうかな、退却するときに少し追いかけてきたけど、敵は一本足で跳ねるように移動してきたから機動力はあまり無いようだった。一定の地域に留まるタイプだと思う」
「ふーむ...ベルタ君、列車の後ろはどうだったかな?」
「あ、えっと、見てきた感じだと黒雲の壁――巨大ネウロイの巣はかなりこっちに近寄ってきてました...たぶん、そんなに待っている時間はない、かも」
北西から迫る巨大なネウロイの巣。巣は昨日一度ウェルゴンで停止したものの、未だにカシオペヤ号を追うように勢力を南下させていた。列車の線路上にネウロイ、後方から迫る巣、選択肢はなかった。
「となるとやっぱり戦いは避けられないか...ネウロイについて他にわかっていることは?コアの位置は確認できたかい?」
「あのネウロイ...そうだな、コードネームをアプフェルバオムとするけど。こいつは頭部の円盤状の場所が音響攻撃の発生源なんだ。頭部は自在に曲がる長い首に支えられているから死角も無さそう。音は指向性が強くて、射線から逃れられれば避けられる。射程距離は、技術省の同僚が似たような兵器を開発しててね、それを参考にすれば300mは届くと思う。攻撃の際に一瞬周囲に放っている笑い声が消える予兆があるけど、連続での攻撃もできるようだからあまりあてにならない」
説明をしながらロレッタは黒板にアプフェルバオムの姿を精巧にスケッチする。フクロウのようなシルエットに長い首と円盤を設えた頭、マイクスタンドのような一本足には三本の爪。不意の遭遇戦で、負傷した仲間を抱えながらここまで分析してくる洞察力に花子は驚きを隠せなかった。
「コアの位置については私の固有魔法を使うまでもなかったよ。音響を出してる円盤の前面、ごく表層の部分にある」
「それは、装甲の上からコアを貫通することは可能かな?」
「対装甲ライフルだとかなら。でも狙いをつけている猶予は...」
―――皆一様に、音響兵器の真正面に立って狙いをつける自分を想像し、沈黙した。
「なに、皆不安がらなくていいわ。私の固有魔法があれば万事解決よ!」
ここでリタが沈黙をやぶった。いつも周りの人間は心配事ばかり口にする、それを吹き飛ばすのは彼女のポリシーだ。
「ふむ、リタ君の固有魔法はどんなものなんだい?」
固有魔法という単語にロイターは存外悪くない答えが来る予感がした。
「いい?...私の魔法――極限集中は、ものすっごい集中力を発揮するわ!」
「...すごくすごい集中力?」
「す――――っごい集中力よ。音速で飛んでくるネウロイだって私には止まって見えるんだから!...まあ、そのかわり、集中している間は他の事はなにもわからなくなっちゃうけれど、そこはご愛嬌ね。とにかくそのナントカってネウロイもたぶんなんとかなるわ!」
彼女の言葉の、ある一点が引っかかった。
「ちょっといいかなリタ君。他の事がわからなくなる、というのは?」
聞き返された彼女は、今度はなんだかもじもじとしている。
「ええと...まあ、集中する魔法だから...その、狙ってるモノしか見えなくなるの、それで」
「それで?」
「うんと、あのね...暑さも寒さも味も...”周りの音とかも聞こえなくなるの”。ほとんど無防備というのかしら―――いやでも!不便だけれど、弱点を補って余りある能力と言えるわ!」
「.........」
「「「「それだ!!!!」」」」
全員の声が揃った。
リタはみんなの様子にきょとんとしたが、なんだかわからずとも注目されていて気分がいいので、えびす顔となった。
作戦会議終了後、停留するカシオペヤ号の線路脇。
「リタ、どこにいくの?無暗に列車の外に出たら危ないよ、どこにネウロイが隠れてるかわからないんだよ」
「作戦開始まで少し時間があるし魔法力の準備体操よ、こういう時間を無駄にしないのがエースの基本。フソウのマスター・サカモトも隙あらば訓練に励むべしって本に書いてたもの」
「マスター・サカモトって海軍の?本なんて出してたっけ...」
リタはぼろぼろにすり切れた一冊の本を引っ張り出し、得意げにベルタと花子に見せつけた。表紙には『大空おサムライ』と題字が書かれ、右下には小さな文字で”著者 坂本美夫”とある。
「いや偽物それ!」
「何言ってるのよフソウガール、”サカモトミオ”って書いてあるでしょ?フソウのスーパーエースの自伝書なんだから」
「ヨシオだよ!!誰なの?!」
「ふふん、フソウ語の字引きを使って全部調べて読んでるんだから!勉強熱心なのもエースの条件よ」
「全然聞いてないし...」
「さ、フソウガールは列車に戻りなさい。ここから先は秘密なんだから」
「ええっ?何で、別にいいじゃんか」
「昨日のあなたの戦いぶり、なかなかだったわ。だから私のライバルに認定したの。つまり、ライバルに手の内は見せないってことよ」
「あはは、ライバルかぁ...それ、ちょっとおもしろそうかも?」
花子はニッと笑う。戦いに熱意を持っていたのははじめの数回の出撃だけ、あとはただただ生き残ることばかり考えて飛んできた。映画館でスクリーンに舞うウィッチ達に憧れた幼き日の花子は、こういうのを期待していたのかもしれない。
「受けて立つってことでいいわね、フソウガール?」
「うん、いいよ。扶桑撫子に二言なし!カッコいいとこ見せてよねエースちゃん」
「私の活躍ぶりに震えなさい!行くわよベルタ」
「えっと、またあとでね大友さん...あっ待ってよリタ!」
先頭機関車の傍までやってきたリタは射撃練習に取り掛かかる。
魔法力を解放しPzB39対装甲ライフルをたやすく持ち上げると、そのまま立射で狙いをつける。線路の先には標的代わりのショカコーラの丸缶。そこでふと、リタは自分の手元に目をやって驚いた。ぶるぶると左手が震えている。
「―――これって、武者震いかしら」
「リタ、どうかした?」
「っ、なんでもないわ」
変に動揺を見せたくなかった。引っ掛かりを抱えながらも彼女は固有魔法――極限集中発動のため神経を研ぎ澄ます。
霧の奥まで続いていく線路の延長先上、突き立てた杭の上の丸缶はまるでネウロイのコア。だんだん集中力を高めていくと、端からどんどん視野が塗りつぶされ、最後には暗闇の中心に赤い丸缶がぽつんとひとつ見えるだけになった。視野が制限され、次に頬に当たる風が止む。さらに湿った空気の匂いが消えうせ、最後に、静寂があたりを包んだ。
リタが先ほど皆におおざっぱに説明したものは正確ではない。彼女の固有魔法は不要な感覚を遮断しているというよりは、標的捕捉のために五感を統合しているといった方が近い。頬に当たる風を感じることはできずとも、標的を目視することで狙撃に必要な風向きや湿度等も捉えることができる。ゆえに、”全身全霊をもって標的を視る”これが正確な彼女の固有魔法だ。
「よし、良い調子ね...」
―――――クスクス...クスクス...
「…!」
笑い声が聞こえる。
首筋を這いまわるような、不快な嗤い声。
「...きたわね」
――――――――――――クククッ、ウフフ...
音のないはずの世界に誰かの嘲りが響き、そして暗闇の中に立つリタを一息に包み込む。
ワハハハハアハーッハハハ、ハハッアアアアアアアッフハククク、クククアハッアハハハアハハハッ、ハハハハハハハハハッンヒヒヒッハッハッアア...
「...うるさい」
ホホホホオアッ、ウアーハハハハハハハッデュフフフッオホッアハッアハッアハッハッハッハッハ!ヒィーッフフフフフフ...ウーハハハハハハハハハッハハハハハハハァーハッハァアーアハハッンヒヒヒッククククククックッウ...
「うるさい!」
ウフフフフフフ、クスクスクスオッホホッンニヒヒッヒヒヒッヒヒヒヒヒヒ...ははっはっハハハハハはっはははっはははっはああっはああああああああああはあははっハハハハハハハあっハあははははッははははっははあっははあはっはああああははははははッははははあははっはあはハハハハハハハはっはあははははははハハ
アッハハアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!
「うるさいって言ってるでしょ!!!!!」
―――――ズガァァン!!!!!!!バッシャンッ!!!!!
―――――――――――――――――――リタッ!...リタ!!!」
暗闇の中、遠くからベルタの声だけが聞こえて、すぐに冷たい風が頬を撫でた。まるでブレーカをあげたように唐突に。
「よかった...リタ、大丈夫?」
訳もわからず引き金を引いて...そこからはよくわからない、いつの間に地面に倒れたのかすらも。リタの目には、ベルタの肩越しにカシオペヤ号のヘッドライトが吹き飛んでいるのが見えた。
「...リタ?震えてるの?」
ベルタのその一言にぞっとした。
「っなんでもないわよ!!!」
「あっ、リタ?!」
ベルタの手を振り払って、銃も、何もかも置き去りに、ただその場から逃げ出すしかなかった。
いったいいつからか?極限に集中したあの静寂の世界に、嫌な嗤い声が響くようになったのは。
◇
「エースの追想 ~第2章 ウィッチ養成学校編~」
1940年のことよ。
11歳になった私はブリタニアのドーバー港にいた。
5月にベルリンが陥落して、ダイナモ作戦で軍隊も国民も欧州大陸から引き揚げて、みんなが南リベリオン大陸を目指していたとき。私は海峡の向こうの燃え上がるパ・ド・カレーを見て気持ちを決めたわ。
「私の戦いをここからはじめるんだ」って。
避難してきた人たちのほとんどはブリタニアに留まるつもりはなくて、ママたちもそれは同じだった。だけど私はここに残るって決めたの、ここが人類の最前線だから。ものすっごく反対されたけど、最後にはママが認めてくれた!あなたはやっぱり私の子ねって言ってね。ブリタニアに駐留するカールスラントの部隊に兄様がいてくれたのも大きかったわ。
そこから数か月もたたずについに魔法力が目覚めた!戦いを決意した私の気持ちに女神さまが応えたのね。11歳ならウィッチとしては平均くらいなのかしら?でもエースたる私にとっては遅すぎたくらい。魔法力発現のときのことはよく覚えてる。それはちょうど時計屋で壁掛け時計を取り落としたときのことで、ゆっくり落下していく時計の文字盤が正確に読めた、固有魔法もこの時既に現れていたのね。
私はピグミーゴートのふさふさした耳と小さな尻尾を生やしたまま悠然と、然る全寮制のウィッチ養成学校の門をくぐったわ...そういえば、例の仔ヤギちゃんってどこに行ったのかしら?
まあいいわ、話を戻すわね。
魔法力を発現して数日後。養成学校の寮の食堂で私はある子と出会った。
「ここ、座るわよ」
「え、あっ...」
了承を得る前に座っている、それが私よ。だってものすごく食堂が混んでて、空いてるのはこの子の隣しかなかったんだもの。
「あなたってラッキーだわ、今日から私の教練パートナーになるんだから」
「え?!何言ってるの...?」
「いい?独力は成熟への回り道だわ。フソウのエース・サカモトがエース・タケイやエース・ニシザワと共に”リバウの三羽烏”と呼ばれたのは記憶に新しいわね?エース・サカモトがエースになれたのは、背中を預けられる仲間がいたからよ」
「あの、どこかで会ったかな...私達」
「私はリタ・リンダ・リップス!背中を預けるに足る女よ。よろしくね」
「うう、全然聞いてない...ベルタです...」
この気弱な子がベルタ・ドーリス・ライマン。この日から私のパートナーになったわ。
退屈な基礎の基礎を終えたら、ようやく魔法力を扱う教練がはじまった。最初に教えられたのはシールドの張り方だったわ。
「いい?あなた達が今日までにしっかり基礎教育を修了していれば、シールドを作る魔法力の操作は身についているはずよ。これからウィッチとして訓練を積んでいくうえでシールドはあなたたちの身を守る大切な命綱になる...」
「く、ふふふっ...」
「大事な訓練よ、何を笑ってるの!」
「すみませっだって...ライマンさんが...あははは!」
「あ、え、ええとえと...」
ベルタはこれがすごく苦手だったの。ドリンクのコースターくらいのちいさなシールドを前に突き出して、顔を真っ赤にして震えてるんだから。やれやれだわ、恥ずかしがってるから笑われるのよ。こういうのは堂々としてなきゃだめね。
「教官!リップスさんが!!」
「...リタ・リップス?あなたそれはなんのつもり?」
「おなべのフタよ!昨日夜なべしてドルイド式の魔法陣を描き込んだの!」
「なんのつもりかと聞いているの」
「魔法の操作技術は...ちょっとだけ間に合わなかったわ。そこで、機転が大事だと思ったの。、エース・サカモトもこういう機転が生死を分けると言っていたわ!」
「言い訳をしている暇があったら基礎からやり直してきなさい!!!」
教官の怒鳴り声で生徒達がワッと笑った、なかなか妙案だと思ったのだけれどね。でもまあ、ベルタも私の堂々たる態度には感銘を受けたんじゃないかしら?
「皆ーーー!体力錬成よ!私に続きなさい!!」
養成校では何かにつけて走らされたわ。もちろん走るのは私が先頭!――――のはずだったのだけど。
「はぁっは...ひぃっはぁっぜぇはぁひぃはぁっま、待ちなさひぃぃ...はぁっあきら、あきらめないわっ...よっオェッ」
「リタ、がんばって!もうすこしで追いつくよ!!」
魔法力の使用を解禁された日から、長距離走の先頭には一度もたどり着けなかった。さすが魔法の本場ブリタニアといったところかしら。この国の子たちはほとんど皆が先祖代々魔女の家系で、幼い頃から魔法に慣れ親しんでる。魔法力の操作に雲泥の差があることは認めなければならなかった、まぁ、自分を磨くのには最高の環境ね。
「だはぁーーー!!ゼェ、ゼェ、ゼェッ...やりきったわ!!ベルタッみて...ゼェ、みてたわよね?!はぁっはぁ」
「すごい!リタすごいよ!!」
全身ちぎれそうだったわ。途中でベルタが脱落したのを見たときは心が折れかけたけれど、なぜだかそのとき気弱ちゃんの事を思い出したのよね。まあともかく走り切ったわけだし、試合に負けて勝負に勝ったというところかしら。
地上演習機でのはじめての教練の時間、これが転機になったわ。
地上演習機っていうのは、ワイヤーで吊ったストライカーがコンプレッサーと繋がってて、圧縮空気の補助でストライカーでの飛行を体験できるって代物。
教練の結果は...ベルタはズボンが脱げたまま宙吊り、私はアクロバット飛行を真似て機械を破壊、教官は頭を抱えてたわね。
「...もう言うまでもないと思うが、お前たちに航空ウィッチとしての適性は、無いに等しい」
教官の言葉に私は何も返さなかった。ちょうど頭の中でぐるぐる考え事してたのよ。
「あの、あの...」
ベルタは教官に縋るような気持ちだったでしょうね。
「その...陸戦ウィッチというのはどうでしょうか...」
「この際はっきり言っておく、いいか、今日の事だけを言っているんじゃない。航空ウィッチも陸戦ウィッチも、魔法力のプロフェッショナルとして命をかけていることに変わりはない。お前たちが戦場に出ても良くて死ぬか、悪くて周りを巻き添えだ。そんな生徒を送り出すような無責任なことはできない。」
「.........はぃ」
「...これからどうするのかお前たちでよく考えて決めるように。話は以上だ」
日の落ちた校庭は群青に染まっていて、寮の明かりだけがオレンジ色に光っていたわ。なんだか遠いところに来てしまったような気がしたのを覚えてる。私はずんずん寮まで歩いていて、後ろをベルタが泣きながらついてきてた。
考えはまとまらなかったわね。いつも私の頭の中にはヴィジョンがあった、エースになるための道筋ね。でも今は完全に暗闇の中、押しつぶされそうな気分だったわ。後ろでベルタはずっと泣いてるし、泣きたいのはこっちよって彼女を振り返ったの。
そうしたら...この子の瞳の紫色が、涙と一緒にこぼれてしまいそうだった。とっても不安そうな顔で、私は零れ落ちる涙を手ですくってあげなきゃって思ったの。それまでごちゃごちゃ考えてた事なんて全部忘れたわ。
それから頭に浮かんだのは、また、気弱ちゃんの事。そして次にどうしたらいいかは、ずっと昔にママが教えてくれていた。
――――みんなの不安を吹き飛ばしてあげるのがエースの使命よ。
つまりそれは、私の使命ってこと。
「ねえベルタ、悲しむ必要はないの。coolにいきましょ」
「でも...私達落第生だし...ここにいくら居てももう置いてけぼりだよ...」
「まだ諦めるには早い、よく聞きなさい」
彼女に耳打ちした。
「...今夜、タイガー・モスを盗むわ」
私の頭にはヴィジョンが舞い戻ってきてた。
DH.82 タイガー・モスは訓練用の本物のストライカー。教練ではまだ触ることすら許されてなかったけれど、ここまでさんざん失敗を重ねた私達には実績が必要だった、空を飛んだっていうね。そうすれば教官だって見方を変えるはずよ。だいたい大人しく教練を受けるなんてらしくなかった、エースになるなら普通なんかじゃいられない。
「でも、盗んだら今度は罰掃除じゃ済まないかもしれないんだよ...?リタ!」
「盗むなんて言ってないわ、ちょっと借りるだけよ。もうオママゴトをやってる余裕なんてないんだから」
格納庫に忍び込んで、懐中電灯の灯りを頼りにストライカー発進ユニットに繋がっている配管を辿った。壁や天井を伝った先に配電盤があるはずだもの、見つけた盤の中のブレーカは手あたり次第上げたわ。
「もう!これも違うわ。配線経路がめちゃくちゃじゃない」
「ねえ...リタ、怖いよ。よそうよ、もし失敗したら今度こそ本当に...」
「...っ」
私だって...!そう言いかけたけどやめた。また気弱ちゃんの顔を思い出したから。どんなに道が真っ暗でも私は不安を口になんかしない、それはエースじゃない、私は誰かの不安を吹き飛ばす存在でなきゃいけないんだもの。
――――――――クスクス...
そんな私を嘲笑うみたいに、真っ暗な格納庫の中に笑い声が響いた気がした。ジタバタ追いつこうとしてる私を同期の子たちは笑ったけど、知らないふりしてた。そんなものそよ風と変わらないって思ってた。だってエースになるのは簡単じゃない、羞恥も後悔も不安もどこからだってかかってきなさいって感じよ。だからいつもみたいに嗤い声なんて無視して、手元のブレーカをあげた。
バツンッ――――
暗闇を水銀灯の灯りがぼうっと照らして、そこにはタイガー・モスが鎮座してた。
私達には、それが奈落から飛び立つための翼に思えたわ。それに歩み寄って、顔を見合わせて、お互いやけに神妙にしてたわね。
「ねえ、ベルタ。あなたどうしてウィッチになろうと思ったの?」
「え?」
もし、この初飛行計画に失敗したら本当に道は閉ざされるかもしれない。だからその前に聞いておこうと思った。ベルタは困惑してたけど、綺麗な紫の瞳をこっちに向けて話してくれたわ。
「私...家族とベルリンを脱出したときにネウロイに襲われたんだ。そのあと誰かに助けてもらって、目を覚ましたとき傍に妹はいたけど、お父さんとお母さんとはそれ以来離ればなれになっちゃって...」
「うん」
「私、すごく不安でわんわん泣いてた...でもね、私の隣でうなされてる妹がうわごとみたいに言うんだ。おねえちゃんと一緒なら怖くないよって。気を失ったままなのに、震えてるのに、情けない私を勇気づけようとしてくれてて...」
「強い妹さんね」
「気が付いたら、眠ってる妹には使い魔の耳が生えてて...ウィッチになろうとしてた」
いつも泣いてばかりいるベルタがこのときばかりは真剣な目をしてた。
「私、怖かった。私の弱さのせいで妹が戦場に行ってしまうなんて嫌だった。だから妹を連れて行かないでって必死にお願いしたの」
彼女の身体に現われている黒いウサギの耳と尾が成り行きを物語ってたわ。
「...使い魔は、応えてくれたのね」
「...うん。だから、私が約束を破ったらきっとこの子はまた妹の元へ行っちゃう」
ベルタは思いつめた表情で、気持ちが溢れそうな胸を必死に抑えてて、不安で崩れ落ちてしまいそうで。でも、妹を想うこの子の瞳に揺れる輝きは...私が誰より知っている。
「やっぱり怖いよ...ここに見放されたらもう行き場がないかもしれないし。でも、今のままだったら私、使い魔に見放されちゃうかもしれないし...どうすればいいかわからないよ」
「私は、声をかけたのがあなたで良かったと思ってるわ、ベルタ」
「...え?」
「大事な妹の代わりにウィッチになるなんて立派なことよ。あなたには確かな資質が備わってる」
この子の不安を吹き飛ばしてあげたいって、そう思った。
「一緒に飛びましょう?どうせ今のままじゃ落第生だわ。エースっていうのは危険な賭けにいつだって勝ってきた。どうして勝てるのかわかる?それは彼女たちにエースたる資質があったからよ」
「エースたる資質...?」
「あなたの中にその資質を見たわ。賭けに挑むのが怖いのなら私が力を貸してあげる、私は背中を預けるに足る女よ」
私はVサインを作って、今までで一番力強い眼差しであの子の瞳を覗き込んだ。あの子、面食らってたわね。
そのときよ、格納庫の入り口を開け放つ音がした。ストライカー把持のロックを外すためにブレーカをさんざん弄ったから、電灯が点いたり消えたり、格納庫に誰かいるのがモロバレだったみたい。用務員と教官らしき声がすぐそこまで迫ってきてた。
「...さあ賭る?時間はないわよ」
「う、うううう...うん!」
この子と、はじめての勇気のわけっこ。ホント言うと私もそれで安心したの、賭けにのってくれて嬉しかった。
「リップス!ライマン!戻れ!!罰掃除じゃすまないぞ!!!」
教官の怒号を背に私はタイガー・モスを履いて滑走路にのろのろ滑り出した。もちろんストライカーを履いたまま自立なんてまだ出来ないから、すぐ横にベルタがくっついて支えてたわ。
「しっかり支えてなさいよベルタ!このまま加速して、そうしたらあんたを抱えて飛び立つわ!ダッシュ!!」
「わ、わわわあああ」
「リィィップス!!!ラァイマァン!!!!」
タイガー・モスはどんどん加速して、横にくっついてるベルタは足が漫画みたいになってたわ、それがおかしくって、ふふっ...なんだか懐かしい気持ちね!
速度は足りてる、ただ飛び立つための魔法力をエンジンに送るのにもうひとつ時間がかかった。
「いたた!リタ?!いったい何をばら撒いてるの?!!」
「37年のパリ万博で買ったマキビシよ!フソウの秘密部隊ニンジャ・ウィッチーズはこれでネウロイの追跡を逃れたと言うわ!!」
この足止めは大成功。滑走路にばらまいたマキビシに教官たちは悲鳴を上げてた、痛快ね!
そして私はベルタに合図して、ええいままよとエンジンに魔法力を送り込んで...
―――――私達は、ロンドンの煌めく夜景の上を飛んでた。
「綺麗...」
ガス灯の柔らかい光が街並みを飴細工みたいに照らして、零れた光がテムズ川に流れていて。ベルタは私に抱えられたままその光景に見入ってたわ。
私?私は、はじめての飛行に舞い上がってた。信じられなかった、だって生まれて初めて飛んだんだもの!たまらない、これが成功の味ってやつね。規則は破ったけど、実績は手にしたんだから教官だって考えを変えるはずよ。私の中の止まってた時間がやっと流れ始めたんだって感慨に浸ったわ。
「ねえ、リタ?」
「なあに?」
「私達、このまま世界のどこへだっていけそうだね」
ベルタの言葉を受けて私は歩んできた道に思いを馳せ、光あふれるロンドンからドーヴァー海峡の方を振り向いた...
水平線の先の欧州大陸は、真っ暗な闇だったのをよく覚えてる。
「うん...そうね」
気弱ちゃんの顔がまた思い浮かんで、湧き出た気持ちを心に仕舞ったら...どこかからあの嗤い声が聞こえたような気がした。
第4話 後編に続く