ワイルズウィッチーズ ‐カシオペヤの魔女‐ 作:にょっき‐オリウィ創作
~前回までのあらすじ~
南ガリア脱出を目指し、港湾都市マルセイユに進路を取るワイルズウィッチーズ。
しかしマルセイユ偵察に出たジアーナとロレッタは音を操るネウロイに遭遇し足止めを食らう。
彼女たちはネウロイの狙撃作戦を立案。その狙撃手に大抜擢された新人ウィッチのリタは大いに意気込む。しかし内に眠るプレッシャーがリタの心を蝕み、作戦の行く末には暗雲が立ち込めていた。
アプフェルバオム討伐作戦、開始の30分ほど前。
花子とベルタは作戦に先駆けて事前準備を行っていた。ふたりが居るのはカシオペヤ号の客車のすぐ後ろに連結された軍用然とした一輛。それはストライカー用の各種設備を搭載した格納庫とも呼べるもので、機材の整備だけでなく、走行している列車上からウィッチの発進をも可能にする特殊車輛だ。天井部分を開閉し発進装置を列車屋根上に上昇、離陸時にはウィッチが列車の排煙に巻かれることが無いようデフレクターを展開するなど、かなり大掛かりなつくりだ。
「は~、列車用の発進ユニットなんて私はじめて見た!うまく離陸できるかなぁ」
「これね、私も数えるほどしか使った事ないけど、えと、説明してみるね」
発進ユニットを上昇させる油圧装置の操作や天井部分の開扉方法など、ひとつひとつの操作手順をベルタはたどたどしくも教えてくれた。
「大友さん、天井部分はまず、デフレクターを先に展開しないと開扉しないようになっているから気をつけてね」
「ね、ライマンさん。さっきエースちゃんが怒鳴ってたけど何かあった?」
「え?あっ、えっと...ううんと」
実のところ事前準備よりもそっちの事が気になっていた。射撃練習をしに行ったはずのリタが、どういうわけかベルタに怒鳴っているのを花子は聞いてしまったのだ。あれは何事だったのか、だが答えに迷う彼女を見て、直球で聞いた事を少し反省した。
「あーっと...そうだ、ねえ、ベルタって呼んでもいい?」
「えと...」
「呼ぶね、同い年だし!後々さ、昔はさん付けで呼んでたよね~って思い出すと私、恥ずくなっちゃうっていうかさ。ほら、そっちも花子って呼んで!」
「...う、うん、は、はなこ...ふふっ」
「どしたの?」
「あっ、えっとね、なんだかその...ちょっと強引なところがリタみたいだなって思って...」
「あは、なぁんだ」
「?」
「いやさ、さっきのやつ、遠目にケンカしてるみたいに見えたから険悪ムードかなって勘違いしちゃった」
「うん、そういうのじゃなくって...」
誤解が解けたことに安心したようで、それから彼女は事のあらましを話してくれた―――。
「ちょっと撃ち損じたくらいで怒鳴らなくってもいいのに。余裕なし子さんじゃんか」
「きっとね、はじめて大役を任されて不安だったんだと思う。だから緊張を解いてあげたかったんだけど...」
「そっかぁ、優しいんだ」
「リタはいつもそうしてくれたから...」
懐かしむように、ベルタは話してくれた。
「ちょっと昔、養成校にいた頃。全然周りに馴染めなくて...でもある日突然、私の前にリタが現れたんだ。いきなり私のパートナーになりなさいって言うから、最初は変な人だと思って怖かったけど」
「あは!初対面からその感じなんだ」
「ふふ、でもね、リタはすごいやつだったんだ。私もリタもいつも成績びりっけつでみんなに笑われたけど、それでもリタは堂々としてた。私が諦めちゃうようなことがあってもリタは諦めなかった。成績がダメでも、魔法が上手く使えなくても、馬鹿にされても。皆の前で恥ずかしい思いをしたって、泥だらけになったって...不安なんか見せずにずっと夢を追い続けてて」
「うんうん」
「ほんとにほんとにすごいんだ。教官が私達にウィッチは諦めなさいって言ったときも、リタは常識なんか打ち壊して道を切り開いた。いつも無茶ばっかりするけど、ぐいぐい私の手を引っ張って、いつだって私の不安を吹き飛ばしてくれる。だから...リタが弱っちゃうときがあったら、私が勇気を分けてあげたいんだ」
普段おどおどしているのが嘘みたいに思えるほど、それは芯のある優しい声色。
「強い子はいつだって私みたいな弱っちい子を勇気づけてくれる、でも強いその子が挫けちゃったときに誰も助けてあげられないなんて...そんな悲しいことは嫌だから」
静かに、けれど今までで一番力強い眼差しに花子の胸は熱くなる。
「...でも、リタを怒らせちゃったみたい。私、ダメダメだ...」
「ううん、そんなことない」
花子はニッと笑う、その目には輝く心が踊る。
「しょうがないエースちゃんの事、助けてあげよ!一緒にさ」
花子の瞳の輝きをベルタも自分の瞳に映して、ふたりは思い定めた。
花子たちが格納庫車にいたのと同じ頃、カシオペヤ号先頭車輛キャブ。
「あら、いたいた」
アニー機関士がキャブに顔を出すと、そこではひとりの偉丈夫が焚口へ黙々と石炭を運んでいる。この人物こそ機関助士のクララベル。アニーと同じトランスジェンダーであり、共にカシオペヤ号を運行する相棒だ。
しかし、アニーが本当に見つけたのはこの偉丈夫ではなくその脇の、キャブの隅っこで小さく座り込んでいるリタだった。
「リタちゃん、あなたこんなところに居たら暑いでしょう?」
「...今日は寒いもの、これぐらいでちょうどいいわ」
リタはふて腐って、目も合わせない。
「...代わるわクララベル、休んできて」
寡黙なクララベルは頷いて、T字柄の石炭用スコップをアニーに渡すと、ウィンクひとつ挨拶代わりにキャブを出て行く。
アニーは先ほどベルタとの一件を聞いて、リタを探しにきたのだ。
「ベルタちゃんあなたの事心配してたわよ?」
「そう...」
会話は途切れる。アニーはリタとボイラーの調子を両方気にかけながら焚口に石炭を運び、この子が話し出すのを待つつもりだ。気分ではなかったが、沈黙がしばらくすると居心地悪く感じて結局、口を開いたのはリタの方だった。
「...ずっと火を看てるの?」
「そうよ~火を落としちゃったら、また走れるようになるまで5時間も6時間もご機嫌を取らないといけないの。赤ちゃんみたいに手のかかる子なんだから。まあそこが可愛いところよね」
「.........ヘッドライト、吹き飛ばしちゃってごめんなさい」
「ふふっ、そんなこと気にしてたの?いいのいいの、この子ブリタニア生まれだし。あっちの機関車はヘッドライトが無いのが普通なの、この子もガリアに来るまでは付けてなかったのよ。むしろ似合ってて良いと思わない?」
「...なんだか、ちょっと不格好だわ」
「あら、リタちゃんが吹き飛ばしたのよ?」
「......だって許してくれるって言ったもの」
「あははっ、そうね、あなたのそういうところ好きよ」
リタは見られないように伏せて小さく笑った。
「でもね、不格好に見えても、その美しさに気付いてくれる人が必ずどこかにいるものだってアタシは思う。それでね...そうねえ、ちょっと昔話をしてもいいかしら」
「うん」
我ながら強引かとも思ったが、アニーはとにかくリタの気をほぐすため、ええいと昔話を差し挟む。もともとおしゃべりなたちなのだ。
「アタシねっ、子どもの頃にウィッチのお友達がいたの。その子が箒で空をとぶ姿にいつも憧れてて、いつかその子みたいになりたい!ってなんでもまねっこしてた。女の子の服を着てズボンも履いたのよ?男の子のお友達はみんなアタシを笑ったけど、真剣にウィッチになれるって信じてた...子供だったのよね」
いつも明るいアニーが、どこかかげりのある微笑みを浮かべているのをはじめて見た。
「声変わりして身体つきもたくましくなって、男の身体に生まれたらウィッチにはなれないっていうのがショックだったけれど。でもせめてあの子みたいにキラキラ輝く存在になってやろうって思ったわ。素敵なレディに見えるようにお化粧やお洋服なんかに人一倍気を遣った。みんながそれを哀れな妥協だって笑ってもね」
「...嫌じゃなかった?」
「もちろん、ヤな感じ!って思ったけど。そんな足りないものばかりの不格好なアタシを美しいって言ってくれる人もいた。持てるやり方で、お星さまに手を伸ばし続ける貴方が美しいって...クララベルがね。」
「あの人って、喋ったりするのね」
「ふふ、当たり前じゃない!ちゃんと喋るしごはんも食べるわ。とにかく、足りないとか不格好だって思われても気にすることなんかない。生まれ持ってしまったもの、背負ってしまったもの、それをちゃんと見つめて、どういう風にお付き合いしていくのか。それがとっても大事」
「どういう風に付き合うか......ううん」
自分の心にどう問いかけるべきか、リタはやり方を見つけられないでいるように見えた。それを見守りながらふと、アニーが手持ちの懐中時計に目をやると、作戦開始の時が迫っている事に気が付く。
「やだ、アタシばっかり喋り過ぎちゃった。そろそろ時間じゃない!」
「行かなきゃいけないわ」
出撃に向けて立ち上がり、お尻を払う。やり方を見つけられないまま行こうとする彼女へ、アニーは最後にアドバイス。
「いい?リタちゃん、素直になるのが大切よ。そうすればあとは簡単。素直になった女の子は敵無しなんだから」
勇気づけるように、長いまつ毛でばっちりウィンクを決める。
「うん、頑張ってみるわ」
そう言い残すと、彼女はキャブを出て行った。
同日正午、ヴォクリューズ県境上空。
ロレッタを長機とした、リタ、ベルタ、花子からなるアプフェルバオム討伐部隊は、敵と遭遇した丘陵地帯の村を目指していた。日が高く昇って気温が上がったことで今朝よりも霧の濃さは多少軽減されている。
「ん、やっぱり魔法力の配分が変な感じする。ううー焦って発進するんじゃなかった」
「ごめんね花子、途中で私が話しかけなければ...」
「あは、ベルタのせいじゃないって」
目の前のふたりが親しげに名前を呼び合うのがリタはなんだか気にくわなかった。
「......なによ」
「もうすぐ目的の村が見えてくるはずだ。皆、作戦の方はいい?」
長機のロレッタが3人に声をかける。
◇
カシオペヤ号の作戦室で聞いた事はリタの頭にしっかり入っていた。
「まず、敵の攻撃手段についてより細かく知ってもらいたい」
ロレッタは作戦室の黒板にスケッチしたネウロイをチョークでとつとつと小突く。敵の攻撃手段といえば大体はビームによる攻撃か、あるいは実弾だろうというのが考え付くところで、皆も同じに考えているようだった。
「彼らのビーム攻撃はいくつかに分類出来ると私は考えてる。そしてその中で、皆に説明するのは大まかに2つ」
黒板にピストルを持った棒人間が描かれる。
「ひとつは銃弾の軌道と似たモノ。銃口から狙いの場所までまっすぐ飛ぶ、点の攻撃」
次に、蛇口とホースを描く。
「もう一つはホースから出る水と似たモノ。ホースをあちこちに向ければ、出る水は振り回され縦横に軌跡を描く」
実際のビームは重力作用に違いがあったりすることは断りつつ彼女は続ける。
「大ざっぱに二つの性質があることを念頭に今回の敵を見てみよう。アプフェルバオムのビームは前者、点の攻撃だ。では問題になっている音響攻撃はどうか?これ自体はビームではないけど、性質は後者のホースから出る水に似ている。二つの性質の違いがキモだ」
ロレッタの視線に応え、今度はロイターがチョークを手に取る。
「いいかい皆、作戦はこうだ。敵が陣取ってる建物は山間にある、狙撃手のリタ君は山の中腹に位置取って固有魔法の準備をしてほしい。ロレッタ君たち3人は敵のお好みに合わせてひとりが誘導、ふたりは攪乱だ。まず3人でアプフェルバオムのビーム発射部分をなるべく潰しつつ注意を引いてもらう、そしてリタ君の準備が整い次第、ひとりが標的の誘導に移る。」
リタとネウロイの間を誘導役が横切っていく様をチョークで描きつけた。
「音響攻撃を引き付けながら狙撃の射線上を横切る、そうすることでコアのある頭部の円盤がリタ君の方を一瞬向く。一瞬だけど、音速を捉えられる彼女の固有魔法なら狙撃は可能なはずだ」
「...でも、それだと横切ってるときにリタがビームに巻き込まれるんじゃ...?」
「そこで、性質の違いを思い出してほしい。」
ベルタの疑問にロレッタが答える。先ほどの、銃弾とホースの水の違いだ。
「敵は誘導役を追って音を発射してくるはずだ、ホースの水のようにね。しかし同時に放ってくるビームは点でしか飛んでこない、薙ぎ払うような使い方が出来ないんだ。だから狙撃ポイントを通過していくわけじゃない」
「誘導を開始した時点で残る二人のうちどちらかがリタ君の直掩に入る。もしドンピシャで狙撃ポイントにビームが飛んできてしまったらカバーできるようにね」
そう、ロイターが補足した。
「まあ、気付かれないうちに狙撃できればこれも不要だけど、そうさせてもらえるとも思えない。お嬢の魔導レーダーをやりすごすために建物の中に身を隠すくらいの知能がある、恐るべき相手だよ」
「あの~、誘導してるときに音に追いつかれちゃったりとかしないですかね?」
花子が問う。
「音を放ってるときの首の旋回速度はそこまで早くないみたいだから、敵から離れすぎさえしなければ、かな」
「あとは気合だね」
「まじですか」
ロイターもロレッタも互いにうんうん相槌を打っている。
「最後にリタ。狙撃する瞬間にキミは大音圧に曝される事になる、固有魔法を切らさないようによく集中するんだ。できるかい?」
ここまで黙っていたリタはカチカチの顔を向け、その問いにVサインで応えた。
◇
現地に到着した討伐隊は早速敵を発見し、狙撃ポイントとなる付近の山腹で敵の様子を伺っていた。
敵までの距離は約400m。音響攻撃の想定射程に保険の100mを足した距離で、霧に視界を邪魔されない限界がこれだった。ロレッタが双眼鏡を覗くと東南東にシャトーが見え、その屋根上には羽を休める鳥のように目標のアプフェルバオムが居座る。
「気付かれないうちに狙撃できればと思ったけど、どうやら自分の弱点をよく理解しているみたいだ」
敵は頭は伏せ、コアのある円盤の前面を真下に向けて狙撃させまいとしている。どうも眠っているように見えて、時折笑い声のようなものを放つので、霧がかった一帯が異様な空気感になっていた。
「気味が悪いなぁ、あの笑い声みたいなの...でも、とりあえずこっちには気付いてなさそう」
「いや、もしかしたらもう見られているともわからない。警戒を怠らずにいこう。リタ、私達が移動したら君はここで狙撃の準備だ、いいね?」
「頼んだよエースちゃん!」
「うんと...」
声をかけようかどうか尻込みしているベルタを見かね、花子が力強い眼差しを送って彼女を勇気づける。
「あの、リタ...がんばってねっ...!」
ベルタなりの精一杯を言葉にした。そして3人は狙撃ポイントから飛び立ってゆく―――。
「.....みてなさい」
残されたリタは震える左手を掴んで独り言つ。
シャトーの北西から接近を試みた3人。周囲にこだまするせせら笑いがだんだんと花子の耳元に近づいてくる...そして、アプフェルバオムの頭部がぐりんっとこちらを睨みつけた。
「気付いた!」
<散開!的を絞らせるな!>
谷合いに不気味な叫声が響く。花子は敵の背後に回り込むように飛びながらMG34の弾丸を浴びせつけ、敵の表皮が薄氷のように弾きあがった。
<ふたりとも、準備が整うまでビームを発する赤色部を集中的に破壊する。離れ過ぎると危険だ、付かず離れず一定の距離を保つ!>
ロレッタからの指示が飛ぶ。敵の背後に位置取った花子はネウロイの長い首を後頭部まで舐め上げるように射撃、赤色部位が白片を散らせ、続けざま後頭部に銃弾を叩き込む。頭部背面の装甲は硬く、銃弾は弾かれたが敵はこれに反応して、花子の方向に首を捻じり向けた。
「鬼さんこちら!はよ!ぼって!おいでん!!」
――――ヒヒヒッ...クククククッ
目隠し鬼の歌い調子でネウロイを挑発し、すぐに急旋回。これに引き付けられた敵の横っ腹をロレッタが射撃し抉り取る。ベルタもそれに続き、赤色に発光する頸椎部をいくらか破壊した。これだけ攻撃を浴びせられてなお、不気味な笑い声をあげるその様に嫌悪感すら抱く。
花子はちらとネウロイを見やると、敵はその場からは動かず、花子の飛ぶ軌跡を目で追うように円盤を向けてきている。その中心、ひときわ強い赤色光の模様に囲まれた部位にコアが薄っすら浮かび上がっているのが確認できた。
「ものは試しっ...!」
そこめがけてMG34の銃口から火線を走らせるが、銃弾はコアを囲む赤色模様部から発せられる熱で蒸発してしまった。それは高圧電流を流したフェンスのようにコアを囲んで守る役割を果たしているようだ。
「やっぱり、完璧ど真ん中に撃ちこまなきゃか」
<花子!速度を上げて!!>
え?と聞き返す前に気付く。笑い声が止んでいる。
「っやばっ!!」
オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!!!!!!
急加速、エンジンを魔力で叩いて身を弾き音を振り切る。加速をかけたときの一瞬に掠めた程度で耳に激痛が走った。揺蕩う霧の水滴を音波が震わせ、まるで雲をかき分けるように加速する花子に追い迫る。一時でも気を抜けば追いつかれる。近づくのは危険、かといって離れ過ぎればそれだけ奴の首の旋回角度は小さく済み、こちらに追いつきやすくなる。いっそ音波の射程外に逃げるのは?...だめだ、離れ過ぎると霧で敵を目視できなくなる。ネウロイの目が霧を問題にしないとしたら、こちらは一方的に狙い撃ちされるだけ。アプフェルバオムがこの山に囲まれた霧深い村に陣取っているのは、ここが最も有利に戦える場所だと理解しているからだった。
<うぅッッ…しつこいってッ!!>
「花子!速度を落とすな!!」
助けに入るためロレッタはシャトーの正面側に、そこからは最初の遭遇戦で半壊した屋根部分が射線に入る。崩落しかけた屋根基部にMP44の弾丸を撃ち込むと梁が落下し、上に居座るアプフェルバオムの一本足が屋根板を踏み抜く!
だが、大きく姿勢を崩したものの墜落はせず、陥没した屋根の穴から首を振り回して、今度は攻撃の出所を見つけようと躍起になっていた。
一方、狙撃ポイントで固有魔法発動中のリタ。
「集中なさい私...やっと活躍の場が巡ってきたの、エースの意地を見せるのよ...!」
魔法の発動に充分な時間があったにもかかわらず、上手く集中に入れないでいた。額を汗が伝う。初めての大役だろうとそんなものは今は関係ない。ザクセンが火に呑まれたあの日、あばら家の屋根から飛び降りたあの日、戦いはいつだって突然に来たのだから。敵も周りも強くなるのを待ってくれたりはしない、だからこそママはあの言葉を伝えたのだと思った。エースの心を持って、誰かの不安を吹き飛ばせるくらい強くいなさいと。
「少しづつよリタ、そう、いいわ...その調子」
ママの言葉を思い出してようやっと気持ちが落ち着き始める。頬に当たる風や漂う湿気が、彼方に聞こえる音が、視るという顕在意識にひとつひとつ統合されていく...リタはすべての感覚が消えきる前に合図を出した。
「こちらヴィクセン。準備が整うわ、五つ数えて誘導を開始してちょうだい」
<...了解、リタ!ま、まかせてっ>
返ってきたのはベルタの声。今まさに、敵はベルタを狙っていた。音も光もない世界にアプフェルバオムの姿だけが浮かぶ。極限の集中力で何倍にも引き延ばされた時間の中、奴は首を捻じってもうすぐこちらを向く。
姿は見えないがベルタがそれを誘導している。コアが完全にこちらに見えたその瞬間をズドンッ!簡単、それですべて終わるんだ。そう自分に言い聞かす。
「もう少し...もう少し...もう少し...」
――――くすくす...
「!」
おかしい、笑い声が聞こえる、もう音は聞こえないはずなのに。
「集中が不十分、だめよ...マスター・サカモトみたいにZENの境地に達するの」
―――くすくすくす...
「うるさい!あとちょっとなの...黙っていなさい...!!」
アプフェルバオムの首がもうわずか傾いたとき、眼を刺すような赤い光点が瞬いた。
「っ見えた?!」
引き金を引く、その瞬間。
―――知ってた?本当は不安なの、みんなに見透かされてるんだよ?
「え...」
気弱ちゃんの影が、リタの最も恐れていた言葉を耳元で囁いた。
―――ズガァァァン!!!!
動揺、発砲、しかし弾丸は敵の頭部を掠め、その瞬間にリタの五感すべてが元に戻る。
<リタ!危ない!!>
ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!
無防備となったところに大音圧が浴びせられ、脳みそがかき混ぜられたかと紛う苦痛が襲う。罠にかかるのを待っていましたとばかり、敵は翼を思わせる形状の装甲を展開。その下に隠し続けていた夥しい数の発射孔を露出させ、一斉に赤く光らせる。
<いけない!!>
瞬時の判断、目を焼くほどの閃光を放つ発射孔をシールドで抑え込もうとロレッタが立ちふさがった。同時に溢れる赤色光が炸裂し、建物が轟音と共に崩落。ごうごう立ちあがる黒煙の中に巨大な影が墜落していった...
◇
シャトーの北方、集落中心に建つ古い時計塔。
小さな鐘が吊るされたその塔の頂部に花子は逃げ込んでいた。鐘を囲む柱の陰にストライカーを履いたままの足を投げ出した格好で隠れ、そばには気を失ったリタが横たわっている。花子の視線の先には、崩壊したシャトーの残骸の中で未だ留まっている敵の姿。右に、左に、奇怪に首をよじりながらどうやらこちらを探している様子だ。
「......んう、あ」
背後から声がして振り向くと、リタが薄っすら目を開けていた。
「よかった...気が付いた」
「......フソウガール?...どう、なったの...?」
「起きれる?」
リタが鉛のように重くなった上半身をなんとか持ち上げる、そして見えたのは安堵とは言い難い強張った花子の顔。
「狙撃は失敗した。あそこ見える?まだあいつはあの建物の所に居座ってる」
「そうだ、私...」
花子の指差す先を見ることもできず、失敗という二文字に顔を伏せ苦悶に歯を食いしばった。頭の血管が熱を帯びる。逃してはならない場面を失敗し、それをライバルだと言いつけた相手から知らされた。なんとみじめで情けない。あのささやかな雪の日、まだそれを表現する言葉を知らなかった幼き日のあの気持ち。あれはまさしく”情けない”だったとリタはついに、こんなところで認めることになるとは。
花子はしかし、彼女にこのまま悔やみつづけてもらうわけにはいかなかった。ゆえに努めて冷静に、今の状況を飲み込ませようと試みる。
「リタ、もうあんまり時間が残ってない。あいつの不意打ちを抑え込むためにロレッタ中尉が盾になって撃墜されたの...私達を守るために。中尉は今あいつの足元で動けなくなってる。でも、まだ生きてる!まだ助けられるかもしれないの。たぶんあいつは移動が鈍いから、わざと中尉を殺さずに、私達をおびき出す生餌にしてるんだ。」
その言葉に恐怖し、顔をあげる。アプフェルバオムの足元で瓦礫に挟まれながらもわずかに動いているロレッタの姿が、遠目にでも恐ろしいほどはっきり見つけられた。
「ベルタは...何処かわからない、ここに身を隠すのに精いっぱいで。でも、あいつはしばらく建物の崩落に巻き込まれてて私達に攻撃するどころじゃなかった。だから生きているはずだよ、きっと...」
敵の方に目を向ける花子の背中は震えているように見えた。
「フソウガール...?」
「起きるのを信じて待ってた...中尉を助け出せてもあいつを倒さなきゃここを進めない。もたもたしてたら列車はネウロイの巣に呑まれちゃう。だからリタ、もう一回...やるしかない...私達ふたりきりでなんとかするしかない......中尉だってこのままだと死んじゃうっ、やるしかないんだよ...!」
「あなた...」
――振り向いた花子の表情に言葉を失った。その決意は風にそよぐ黒髪では隠しきれぬ悲愴を湛え、眼帯の下の左目だけが涙をこぼす。恐怖、緊張、リタが目覚めたという事実、入り混じった感情の奥底を語るが如く。
その顔を見て、心の中にひしめく不安をリタ自身の意志が押しのけた。怖れでぐちゃぐちゃに濡れた気持ちを孕んでいながらも、この子の涙をすくってあげなければと花子の方に乗り出して。不安を吹き飛ばすという使命に突き動かされて。あの日のベルタの顔が今の花子に重なったせいだ。
「フソウガール...ねぇ」
それは震えるくちびるから出た。
「だいじょうぶ、ええ、だいじょうぶよ...ぜんぶ、うまくいくわ、私におまかせよ...私がなんとか、守ってみせるんだから......」
勇気づけるにはあまりにも無様な声色だった。
「だから泣かない...」
―――パァンッ
花子が、リタの頬を強く打った。
「...なに、自分が何とかするって。そんな震えた声で...強がって、こっちの不安まで勝手に抱えた気になって...!ふたりでなんとかしようって聞いてなかったの。なに?私を守ってやろうって、ライバルなんでしょ!!なんだと思ってんのよ!!己惚れんな!!!」
「......っ」
溢れた不安が涙となって流れ出ても、それでも花子の力強い眼差しには抗う気持ちがまだ生きている。
「強がって、強がって...本当は怖いくせに...目をそむけんなよ!!」
「私は...!」
言い淀む。気弱ちゃんとお別れしたあの日から心に刺さったままの気持ちを、口に出したかった。だけれどそうすれば今までのすべてを、ママがくれた大切な言葉を否定してしまうような気がして。だが、それでも最早あふれ出す気持ちはせき止めることはできなかった。
「...だって...だってエースでいなくちゃ...強くいなくちゃ大事なひとはみんな私の傍から居なくなっちゃう!私が不安を見せたら、ベルタだってあの子みたいに私の傍から居なくなっちゃうのよ!!」
「違う」
「違わないわ!!」
「ベルタはそんな弱っちい子じゃない...リタが、ほんとうは一番よく知ってなきゃだめなんだ」
リタが7年間、恐ろしくてずっと口にできなかった不安。うつむく彼女の手を取り、花子の声はやさしい色にかわっていく。
「ねえ、私のことを見たときあんたどう思った?...ベルタもね、今のリタを見たら同じ気持ちになるはずだよ」
「同じ、気持ち...」
花子は知った、ベルタの想い。あの子の力強い目。ずっとそばにいたリタが最初に見出していたはずの光。しかし応えを待たず、そこに無線からの声が届く。
<リタ、花子、大丈夫?!>
「ベルタ?!やっぱり生きてた...」
<花子!そっちは...?>
「ふたりとも無事、こっちは時計塔に隠れてる」
<よかった...これで中尉を助けられそう、よかった...っ>
「うん、うん、私も飛ぶから、もう一度狙撃のチャンスを作ろう!」
魔導エンジンを始動し立ち上がる花子。
「怖いのはお互い様...だからこそ信じて」
―――花子の瞳に浮かぶ輝きは不安に揺れていた。リタはこの輝きを見たことがある。タイガー・モスで飛び立とうとしたあの夜だ。あの日、不安に揺れるあの子の瞳に、自分が持っているのと同じものを見つけたはず。だからこそ、暗闇から飛び立つ勇気を分け合えたんだ。
「同じ気持ち、私も...花子も......ベルタも」
花子が飛び立っていく。リタはやっと思い出した、あの子の強さを。
<進入角度を変えるよ、ベルタっ!>
<うん!>
インカムから二人の声がする。リタはストライカーを再び身につけて、その機械力で残された魔法力を出来る限り引き出す。気絶からの復調にかなりの浪費をした今、狙撃に使う魔法力はフラックウルフD-9の性能頼りだ。
「最後の賭けに出るわ、お願いよ私の愛機」
機体横にペイントした意匠を指でなぞる、それはリタの大好きなVサイン。そのサインの谷間からカールスラント空軍の山岳帽を被った仔ヤギが顔を出し、こちらに招待状を差し出している図柄。わずかばかり心が落ち着いて、仔ヤギちゃんがメェと小さく返事するのが聞こえた気がした。
塔の中でホバリングしながら次はPzB39ライフルの撃発準備。ピストルグリップを前下方に開いて閉塞器を下降させ薬莢を排出。弾薬ケースの蓋を開け、一発取り出す。PzB39は単発式だ、だからリタが手にしているこの一発にすべての命運が掛かっている。祈るように握りしめ、丁寧に親指で薬室へ送り込む。ピストルグリップを持ち上げる。接続部がガチンッと銃身に噛みつき、撃発準備は整った。
構えを取り、照準。体中張り巡らされた神経のひとつひとつから、葉脈を伝う露の如く清涼な力が集まる。照星の彼方、踊るネウロイ。周囲を飛ぶ花子たち。視界の端から輪郭がほどけて、色は滲んで混ざりゆく、アプフェルバオムの姿ただひとつだけを捉えようとするために。ときを同じく、髪揺らす風が止み、首筋伝う汗がひく。奴の発する笑い声もあちら...こちら...小さなものから消えてゆく。
「もうすぐ、私とあいつだけの世界になる」
リタの見る世界は真っ暗な海の中、天地も光も音もない。標的と彼女のたったふたりだけ、になるはずだった。
――――くすくす...
「あの子今頃、どうしているかしら」
―――くすくす...くすくす...
「だめ、余計なこと考えちゃ」
くすくすくすクスクス...ふふふふフフフフフフフフフ......
「はぁっ...はぁ、ハァッ...ハァッ...ベ...ルタ.........」
空気を上手く吸い込めない、汗がにじむ感触が体にまとわりつく。極限集中は完成しようとしているのに、嗤い声がどんどん反響を増していく―――。
「リタが、呼んでる」
絞り出すような声が、ベルタのインカムに届いた。
「花子!」
その声に頷く。ベルタはバンクをかけ時計塔へ180度反転。急激な機動に反応しアプフェルバオムがそれを追おうとするが、そこに花子が躍り出て弾幕を張る。邪魔されるわけにはいかない。
――――闇の中に響く声は、どんどん明確になる。
「...ハァッ...っっ...だめ、だめだめだめだめっ」
―――ふっふっふっフフフフフフフフ...ひっヒッヒッヒひっひひひひひヒヒヒヒ...!!
――ハハハはっはははっはははっはああっアハッアハッンフフフ、ヌフフ、ンフフフアハッアハッンフフフ、ヌフフ、ンフフフ...
嘲笑、強がる私をどこまでも笑いものにしようという、声、声、声...
目頭に涙がにじみ出るのを感じる。本当は感じないはずなのに、いつもより一層強く。
「だめ............」
「...大丈夫だよ、リタ」
「え?」
ぬくもりを感じる。冷たい闇の中、寄り添うあたたかさが私の肩を抱いてる。
「ベルタ、そこにいるの...?」
「うん、遅くなってごめんね、リタ」
耳元に声がする。音はもう、聞こえてちゃおかしいはずなのに。
「どうして...こっち来たのよっ...!」
「リタがね、いつもそうしてくれてたからだよ」
感じる、頬をなぞる涙の冷たさ。
「泣いてるの、リタ?」
「私......」
言うのが怖い。不安を口にするのが怖い。だってそうしたら、
「私...............」
―――頬を撫でる、柔らかな指先の感触。
「リタの涙は、私がすくうから」
「うう、ううううう...!!!」
「私は弱っちくて、だからリタと同じようにするのに時間が掛かっちゃった。一緒に賭けに挑んだのに、遅くなってごめん」
「ずっと...うぐっ...ずっとずっとずっと...ずっとずっとずっとずっと...不安だった!!ああああああっ......」
「うん、うん、うん、」
今、私はたぶんあの子に頭を寄り掛からせてて...感じるのはあの子の髪の、さらさらとした肌触り。
「......ちょっと...ひぐっ......すっきり、した...」
「あはは、リタらしいね」
「...うん」
「一緒に飛び立った日みたいにね、また私、リタを支えるから」
「うん」
私の魔法力はいっそう輝いて、戻りかけてた感覚がいよいよひとつに撚り合わさっていく...
花子を狙っていたアプフェルバオムの頭部が急に時計塔を向く。
「ッこっちを見ろ!」
他の何よりも真っ先に、花子を無視して時計塔に大音響を発射。さらに翼状装甲を広げ、両翼下合わせて何十基というビーム発射孔が光を漏らす。
「させるかぁ!!!」
花子は大太刀”長太郎”を抜き放ち、地面を踏みしめている奴の三本爪めがけて疾風迅雷。その身ごと力にして一本たたっ斬る!
アプフェルバオムは体勢を大きく崩し、翼下の発射孔は明後日の方向に火線を走らせたが、しかし。
「うそっ?!」
奴のうねる首は蛇の執念で時計塔を捉え、頸椎の節から放ったビームがすでにリタたちの元に到達しようとしていた。
大音圧が時計塔に届くその瞬間。リタを抱きながらベルタはメッサーシャルフの魔導エンジンを全開で逆回転させる。まもなく時計塔は大音圧に呑まれ、ビーム攻撃の到達で爆発が塔を覆った。無念の紙一重...いいや違う、花子の目には見えた。
ベルタがストライカーの縛着を解き、ビームめがけて機体を投げうったのを。ストライカーは爆散し、回路から漏れ出た魔法力が盾となってビームを霧散させ、ベルタはまだ、そこにいる。
音の濁流にもまれ、苦痛に溺れようとも、ひしとリタに寄り添い支えている。ネウロイの執念を凌駕する、たった一つの願いのためにそこにいる。
ふたりの手が、重なった。
―――ベルタの声はもう聞こえない。音も光も、私のすべての感覚が暗闇に没していく...ただひとつ、銃身を支える左手に添えられたぬくもりだけを残して。
「感じるわベルタ、あんたの手のあたたかさ...」
「感覚は遮断されてるはずなのにね。ほんと私って、エースには全然足りないところだらけ」
「......でも、足りないのも悪くないのかも」
「だってそのときは、あんたが不安を吹き飛ばしてくれるでしょ、ね、相棒」
照準、狙うのは敵の心核。
その射線を遮るように立つ人影。
あの子が、照星の向こうに立ってる。長い髪を垂らして、表情は見えない。
「ねえ、気弱ちゃん。あなたも不安なのよね」
「...」
「私もね、不安だわ。だけど怖くないの、だって同じように不安に思う子が傍にいて。勇気をわけっこしてくれるから」
「......」
「ごめんね、遅くなって」
「.........」
「ママやマスター・サカモトや、アニーねえさん。もらった言葉の意味がちゃんと分かるまで、すごく時間が掛かっちゃった」
「............」
「やっとあなたにかっこいい所、見せられそう」
気弱ちゃんは頷いたように見えた、そして射線をあけてくれたの。
―――――静寂の世界に、一発の銃声。
そして嘲笑う声はもう二度と、響くことはなくなった。
◇◇◇
時計塔の針が4時を差す、夕暮れのヴォクリューズ。
戦いの止んだ空はさっきまでの霧が嘘みたいに思えるほどの真っ赤に澄み渡って、そこに黒い影が三つ舞っている。まるで夕暮れに遊ぶ三羽の烏のように。
「ベールーーターーー!!いいかげん起きなさいあなた、重いのよ!こんな脂肪の塊つけて!!」
「んうう...わぁあ?らにしてうの!!!」
ストライカーを破壊したせいで彼女の事を抱えてやらなければ仕方ないのだが、気絶した人間というのはやたらに重たい。ベルタの大きな胸が腕にのしかかってきて鬱陶しいったらなく、リタは怒りに任せて鷲掴みにした。
「まぁまぁ、ベルタのおかげで上手くいったようなものだし大目に見てあげなきゃさ!」
「もう仕方ないわね、今回だけよ」
「へ、らに...?うう、耳がきーーんってすう...」
「あはは...これは早く帰って石和大尉に診せなきゃ」
しばらく大きな音に曝されたせいで花子達の会話どころか、自分の声もまともに聞こえていないようだ。
「......あなたに背中を預けられてとっても安心だった。ありがと、相棒」
「......?」
彼方の夕陽を眺めながらリタは言った、今の彼女には聞こえないほど小さな声で。
「ねえ~私は?結構頑張ったんですケド」
花子には聞こえてたらしい。
「盗み聞きなんてお下劣よ花子!あなたはライバルなの!ライバル!」
「やーいはずかしがり!...でも、”花子”かぁ、そこは悪い気しないかも」
「は~ずかしがってないのだけど?」
「恥ずかしがってました~!!」
「ふたいとも!けんかしらいで!!」
<おお~~い君たち...私の回収!忘れないでね...>
「「ああっ忘れてた!中尉!」」
美しい夕焼けの空にも、まもなく夜の闇が迫る。だけど私達ならどんなに真っ暗な空だろうと、世界のどこへだっていけそうな気がしたわ。
この気持ちも書き留めておかなきゃね。
つづく
次話更新はつねに不定期です、のんびり制作中。