前から書きたかった。ヴァイオレット・エヴァーガーデンの二次創作です。
広い心でお願いします。のんびり更新していきます。
――はい。はい。私があの方に出会ったのは、ずっと、ずっと昔のことでございます。
お聞きになりたいですか?つまらない話ですよ。本当に。
――少し、お茶を飲んでもよろしいでしょうか?ありがとうございます。喉を潤しておかなければなりません。だって、たくさんの事を話さなければなりませんから。
ああ、なんて今日はいい日なんでしょう。誰かと、あの方の事を語ることができるなんて。
あの方は私にとって、今でも希望そのものなのです。あの方がいなければ、私はきっと死んでいたでしょう。ええ、本当に。いいえ、体が、ではなく、心が死んでいたでしょう。
それほど、私にとってあの方は大きな存在なのです。あの、ヴァイオレット・エヴァーガーデンは。
――さて、何から話せばいいのでしょうか。
やはり、私の生まれからでしょうか。ごめんなさいね。長くなると思います。でも、これを話さないと、きっと全然分からないでしょうから。
私は、極平凡な両親の元に生まれました。よくある普通の家ですよ。母が私を愛さなかったこと以外は、ですけど。
ええ、愛さなかったのです。おそらく私が生まれたその日から一度も愛したことはないでしょう。
なぜ、と言われましても、正直分かりません。母の気持ちは、私には一生分かりません。母娘というのも相性があるようです。まあ、聞いた話では、母はどうやら男の子が生まれることを望んでいたようなのです。それが生まれたのが私だったので、非常に失望したようですね。
父ですか?父はとてもいい人でした。私の事を愛してくれましたし、優しかったですね。本当に。ただ、よく覚えていないんです。顔もほとんど思い出せません。私に対してよそよそしい母と、よく喧嘩していたことは、ぼんやりと覚えています。
父が死んだのは私が小さい時でした。いつごろ?おそらくは五歳の誕生日を迎えた後かな、とは思います。五歳の誕生日に父がケーキを食べさせてくれたことは覚えていますから。あれが最後の誕生日祝いでしたね。
車の事故でした。私は父と手を繋いで、どこかに出かける途中だったようですね。突然、車が私と父に向かって突っ込んできたんです。父は即死で、私も大怪我しました。
ええ、この左目の傷ですよ。結構大きな傷でしょう?ただ、私の場合、怪我はこれだけではありませんでした。父が目の前で亡くなった事に対して大きなショックを受けて……、声が出なくなったんです。たまにあるようですね。心理的なショックやダメージが原因で失語症になることは。
私もそのケースの一つです。気がついたら病院に寝ており……、声を出そうとしても、どうしても出なかったのです。
母ですか?ええ、もちろん、父が死んだことに私以上にショックを受けており、半狂乱になっていました。
「あんたのせいよ!この悪魔!」
私の入院している部屋に入ってきて、肩を掴んで揺さぶってきました。
「なんであの人なのよ!あんたが死ねばよかったのに!!」
そう言ってました。
――父を愛していたのでしょうね。
退院してから、母は私をいない者のように扱ってきました。まるで空気のように。声は出ませんでしたが、母になんとか構ってもらおうと近づくと、あからさまに睨まれたり、ひどい時は叩かれたので、私もできるだけ母から隠れて過ごしてましたね。あの頃、どうやって生きていたのかよく覚えていません。お腹がいつもすいていたことだけは、覚えています。
その後、母は再婚しました。義父になった人は商売が成功している金持ちの男性だったようです。その頃になっても、私の声は出るようにはなっていませんでした。
母の再婚によって、私達は共に大きな屋敷に引っ越しました。とても大きなおうちに住めるんだ、とワクワクしました。本当に、大きな屋敷で、見たこともない物がいっぱいあったんですよ。ええ、最初は興奮しましたね。
でも、その屋敷にも私の居場所はありませんでした。
義父は私の事なんか、全く興味がありませんでした。当然ですね。母の連れ子とはいえ、顔に大きな傷のある声の出ない娘なんて、不気味だったのだろうな、と思います。母がすぐに妊娠して、男の子が生まれたという事もあり、私は完全に“いらない子”となったのです。
使用人と一緒に働くように言われました。学校ですか?行ってなかったです。顔に傷がある上に、声がでない娘なんて、恥だと言われて、家の外に出ることを禁じられました。
一生懸命働きました。なんでもやりました。言われた通りに働かないと、母から殴られましたし、追い出されたくなかったんです。それに、頑張って働けば……、いつか弟のように愛されるのではないか、とほんの少し希望を持っていたんです。
弟は生まれた時から愛されていましたね。当然です。跡取りですし、母が切望していた男の子でしたから。
弟は、きっと私が姉だ、ということは知らなかったと思います。弟が物心つく頃には、もう完全に私はあの家で使用人として認識されていましたから。
他の使用人さん達もよそよそしかったです。その家の娘なのに使用人として働いていて、しかも声がでないなんて、どう接すればいいか分からなかったでしょう。何かの仕事の指示をもらう以外は、話しかけられたことはありませんでした。
つらい?うーん、正直に言うと、その頃はそんな感覚、なかったですね。多分、諦めていたんだと思います。そんな日常が、当たり前すぎて……、ええ、毎日が必死でした。傷物の娘でも、生きたかったんです。
そんな毎日を過ごしていた時の事でした。――あの方と出会ったのは。
母が手紙を出すために、代筆をホッジンス社に依頼したんです。なんの手紙だったかは知りませんが。
初めにあの方を見た時、あまりの驚きに大きく口を開けてしまいました。
美しくて、――本当に、美しくて。
ブルーのジャケットに真っ白なワンピース・ドレス、胸元のエメラルドのブローチ、宝石みたいな碧の瞳、そして何よりも太陽の光を受けて輝く金髪。
私の髪も金髪でしたが……、あの方のような光輝く金色ではありませんでしたね。
「お客様がお望みなら、どこでも駆けつけます。自動手記人形サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」
呆けたように見つめてしまいました。深々と一礼するあの方が本当に美しすぎて。
「何をやっているの。早くお茶を出して!」
母にそう叱られるまでずっと見つめていましたね。情けないことです。
慌ててお茶を用意しましたが、手はずっと震えていました。
こんなにも、美しい人がこの世に存在することに驚きすぎて。自分が見たものはひょっとして幻なのではないか、と思ったんです。
いえ、幻ではありませんでしたよ。
あの方は、ヴァイオレットは、確かに、存在していました。
私の目の前で静かに座っていました。母の言葉を聞き逃さないように、耳を傾けていました。
「――手紙をお願いしたいの。できるかしら?」
「問題ありません」
彼女が机の上に用意したのはタイプライターでした。その頃の私はタイプライターが何をする道具なのか全く知りませんでしたが。
そして、ゆっくりと手袋を外しました。母がハッとした顔をしていましたが、私も驚いて思わず見入ってしまいました。
それは、想像していたような美しい白い指ではありませんでした。指先に至るまで精巧に作られた機械の手でした。
もしかして、本当に人形なのだろうか、と馬鹿な私は思いました。
「何をボケッとしているの!もう用はないわ!出ていきなさい!!」
母にそう注意されるまで、私はポカンと見つめていたようです。慌てて部屋から出ていく時に、ヴァイオレットと一瞬目が合ったような気がするんですが……、もしかしたら、私の記憶違いかもしれませんね。
ヴァイオレットがどんな手紙を書いていたのか、私はよく知りません。でも母がヴァイオレットの仕事ぶりを気に入ったらしく、それから何度かヴァイオレットを指名して手紙を依頼していました。私は何度かお茶を入れるために部屋に入りました。見る度に、ヴァイオレットに見とれていましたね。
え?なんですか?
――ああ、なるほど。そうですね。
――認めます。一目惚れ、だったんでしょう。
ええ。ヴァイオレットが好きでした。この世の誰よりも。
遠くから見つめるだけで幸せでしたね。あの人の姿をチラリとでも見たい一心で、怒られるのを覚悟で、母の部屋の前をウロウロしたこともありました。一度バレて酷く殴られたこともあります。それでも諦められませんでした。
何に惹かれたか、ですか?どこが好きだったか?うーん。申し訳ありません。うまく言えません。
ただ、なんと言いますか……、あの人を見るだけで、胸が、心臓が痛くて……、いつまでも、見ていたい、と思うんです。不思議ですね。
私の人生が壊れたのは、突然でした。いえ、それまでの人生も十分壊れていたんですけどね。
義父が死んだんです。
え、さあ……?なぜ亡くなったのか、知りません。ある日、母と弟が大騒ぎしていて…、突然でした。葬儀が行われた事を、使用人さん達が話しているのを聞いて、それで亡くなったことを知ったんです。ええ。葬儀に出席しませんでしたね。出来ませんでした。何も聞かされなかったので。弟はともかく、母はもう、その頃には私の存在も忘れていたんだと思います。
数日間、屋敷は騒然としていました。屋敷で働く人々が少しずつ、出ていって……、そして、私一人になりました。ある日、目が覚めたら屋敷の中に、誰もいなかったんです。
そうなんです。私一人です。
母と弟は、父の財産を受け取って、どこかに引っ越したようですね。
その屋敷の全員が私の事なんて気にも留めていませんでした。
誰もいなくなった屋敷に愕然として……、気がついたら屋敷の門の所で佇んでいました。
これからどうしよう、と途方に暮れました。取りあえずは住むところを見つけなければ、とは分かっていたんですが、お金は全然持っていませんでしたし……、顔に大きな傷があるうえに、喋れない娘など、雇ってくれる人はいないだろう、と思いました。
そんな時です。あの方がやって来たのは。
気がついたら、あの方は私の目の前に立っていました。私はそれに気づいた時、また馬鹿みたいにポカンと口を開けてしまいました。そんな状況でも、やはり見とれてしまったんです。
「お客様がお望みなら、どこでも駆けつけます。自動手記人形サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」
あの方は前に見た時のように深々と一礼しました。私は、それをただ見つめていました。
「数日前、この屋敷の、奥様より、手紙の代筆依頼を受けていたんですが……、誰も、いらっしゃらないのでしょうか?」
そう尋ねられて、私はどう答えればいいのか分かりませんでした。いえ、声がでないので答えられないんですけど。
「――あなたは、この屋敷で働く方、ですね。奥様は、今、どちらに?」
私はその問いかけに、ただ首を横に振りました。そうすることでしか、答える術を持たなかったので。
「……」
ヴァイオレットがこちらを黙って見つめてくるのが分かって、私は下を向きました。はい、見られるのが恥ずかしかったんです。勝手なものですね。私の方はあの方を見つめるのに必死なのに、私自身は見られたくない、なんて。
だって、あの頃の私ときたら、とても汚い子だったので。痩せ細った身体、着ている服はボロボロ、彼女と同じ金髪なのに、ベタベタで汚ならしく、伸び放題の髪でした。そんな自分を見られるのが恥ずかしかったんです。
早く、目をそらして。早く、帰ってほしい。
そう思いながらうつむいていたその時、ヴァイオレットが口を開きました。
「あなたは……、行くところはありますか?」
その言葉に私は一瞬呆然として、うつむいたまま首をブンブンと横に振りました。
「……」
また沈黙です。
ヴァイオレットを前にどうすればいいか分からず混乱していた時、あの方は信じられない行動に出ました。
私の、汚い手を、握って、歩き出したんです。
私は驚いて顔をあげました。そんな事に構わず、ヴァイオレットは私の手を握ったまま、歩き始めました。
「付いてきてください」
そう一言呟いて。
今でも、覚えています。あの方の、手。
手袋越しに触れた、機械の手。
固くて、不思議な感触でした。
そして、なぜでしょうね。私は、その冷たいはずの機械の手を――温かい、と思ったんです。
私が連れてこられたのは、C・H郵便社でした。はい。ライデンに社屋を構える私営郵便社です。大きな建物でしたね。ビックリしました。ヴァイオレットはまっすぐにホッジンズ社長の元へと私を連れていきました。
私を見たホッジンズ社長はキョトンとしていました。
「ヴァイオレットちゃん、おかえり。その子は?」
その問いかけに、ヴァイオレットは少しだけ沈黙したあと、はっきりと社長に言いました。
「……しばらく、ここに住みます」
私はもちろん、ホッジンズ社長もポカンと口を開きました。
「え?その子、誰?……え?もしかして、ヴァイオレット、誘拐してきたの?」
取りあえず座るように言われて、私とヴァイオレットはソファに座りました。部屋に入ってきたカトレアさんもまたびっくりしたような顔で私を見ていました。
――カトレアさんですか?ええ、ヴァイオレットと同じ、自動手記人形です。はい、綺麗な方でしたよ。ヴァイオレットとはまた別の美しさでしたね。それに、とても明るくて、親切な方でした。
「……本日、ご指名いただいた奥様の家で働いていた方です」
「ああ、あの、ヴァイオレットちゃんをよく指名してくれる奥様?」
「はい。ですが、本日屋敷を訪ねたところ、奥様は不在でした。屋敷の方々はどこかに行ってしまったようで……、」
「ああ、やっぱり、か」
ホッジンズ社長は困ったように首をかしげました。
「当主が亡くなって、会社も大変だったようだからね……。奥様に何度か代筆の予約はどうするのか連絡しようとしたんだけど、全然繋がらなくて……、それでもキャンセル、という連絡はなかったから、取りあえずはヴァイオレットちゃんに行ってもらったんだけど……」
「あ、もしかして、あの大きなお屋敷かしら?噂では家族は夜逃げしたって……」
カトレアさんの言葉にショックは受けませんでしたね。私は、“家族”ではなかった。心のどこかでは気づいていましたから。
ぼんやりと目の前の三人の話を聞いていました。
「それで、君は誰かな?なんという名前か教えてくれるかい?」
ホッジンズ社長にそう話しかけられるまでぼんやりしていました。社長が私の顔をじっと見てきて、ようやく話しかけられている事に気づいたんです。
名前は、なんというのか。その質問に、私は答えられませんでした。
――はい。名前が分からなかったんです。父が死んでから、誰も名前を呼んでくれませんでしたから。
母ですか?私の事は、いつも「ねえ」とか「ちょっと」とか「アレ」とか呼んでましたね。はい。今の名前は本名ではありません。
今の名前の事は、またあとで話しましょう。
ホッジンズ社長の言葉に答えられなくて黙って震えていました。それでもヴァイオレットの手を離さなかったのを覚えています。
離したら、捨てられそうな気がして。
社長は困ったような顔をしました。
「うーん、困ったな。ヴァイオレットちゃん、お屋敷から連れてきたの?」
「はい。どうやら、行くところがないようなので」
「ええ……?そんな、ヴァイオレット、捨て猫を拾うんじゃないんだから……」
社長とカトレアさんは呆れたような顔をしていました。
その後も何やら三人はアレコレ話をしていましたが、内容は忘れてしまいました。今後自分がどうなるのか不安で不安で、心細かったんです。
気がつくと、私はカトレアさんに手を握られていました。
「こっちにおいで。とにかく、体を洗いましょう」
手を引っ張られましたが、私は怖くて、その手を振り払ってヴァイオレットにしがみつきました。
怖かったんです。本当に。ヴァイオレットから離れるのが、怖かったんです。
でも、ヴァイオレットは安心させるように私の肩に手を置きました。
「大丈夫です。ここにはあなたを傷つける人はいません。カトレアと一緒に行ってきてください」
「そうよ。安心して。洗ったら、すぐにヴァイオレットの所に戻るわ」
言い聞かせるように二人がそう言って、私はようやくヴァイオレットから身体を話しました。
カトレアさんは私の身体を優しく洗ってくれました。その後、清潔な服も用意してくれたうえに、私の伸び放題の髪も切ってくれたんです。
前髪を切ると、カトレアさんは、
「あら」
と驚いたように私の顔を覗き込んできました。私は大きな傷を見られるのが恥ずかしくてうつむきました。
「その傷は、……どうしたの?」
そう尋ねられても、私は何も答えられませんでした。
――ふう。疲れましたね。申し訳ありません。こんなにも長く話すのは久しぶりなので。
ええ。その後ですよ。
私がジューンリリー・カレンを名乗るのは。
ジューンで結構です。珍しいし、少し長いですからね。でも、私は気に入っています。
だって、ヴァイオレットが私にくれた名前ですから。
まだ長くなりますよ。準備はいいですか?
ええ、もちろん。全て真実です。
特別な話じゃないです。本当に。
これは、ヴァイオレットが「愛してる」を知っていく姿を、私がただ、――見つめるだけの物語です。
あるいは、馬鹿な女の、――馬鹿な片思いの物語ですよ。