〝悪の呪霊〟は願いを叶える 作:かぼまこ
───伏黒甚爾。旧姓は禪院。呪術界御三家の一つである禪院家に生まれた彼は、天与呪縛により驚異的な身体能力等を持つが、呪力が皆無な状態で生を受けた。
呪術師の家系でありながら、呪術の一つすら行使出来ない彼は、禪院家においての扱いは非常に悪く、呪霊の群れに放り込まれることすらあった。
本家出奔後は結婚。その際に丸くなったとも言われたが、妻に先立たれ再び荒れる。今や裏社会に入り浸り、果てには術師殺しとまで呼称される程の屍を作り上げた。
彼の戦闘スタイルは己の身体能力を基に、数多の呪具や武器を手繰るという、手数と威力の乱打。
また、状況を「殺害対象が最も疲弊ないし油断する」状態に運ぶ事にも長けており、身体能力のみを当てにしているわけでもない。
これも彼を強者足らしめている要因と言えるだろう。
───以上、とある術式より抜粋。
■ ■ ■
アヴェンジャーが擬態した男、衛宮士郎はとある術式をその身に刻んでいた。
名を投影術式。オリジナルの鏡像を、呪力で物質化させる術式。本来ならばお世辞にも「使える」とは言い難いそれを、かの少年は唯一無二のものにせしめていた。
本来ならば投影した道具は、オリジナルと比べると劣化が激しく、さらに時間を経れば投影したものは減衰し、呪力に戻ってしまう。また、イメージに破綻が起きても霧散する。
だが衛宮士郎が構築した複製は、いつまでたっても消失しない投影品であり、ほぼオリジナルと変わりないものだった。
何故そうなったのかは、誰もわからない。
そもそも、彼が術式を持っていた事自体、殆どの人が知らなかったのだから。
「───投影、開始」
だが、少なくともこの呪霊は知っている。
衛宮士郎に何度も殺された呪霊は、遂には己を殺した男の体を模倣した。
悪の呪霊。絶えず産まれる人の業は、正義の味方を志す男に辿り着く。
赤銅色の髪が揺れる。少年の腕に、青い光が迸る。
急速に形作られる何か。それは確かに剣の形になる。
勿論、それを見過ごす伏黒甚爾では無い。
ただの一歩、されど天より与えられた一歩。
木々を根から震撼させるそれは、人体を滑空させるという、ありえない現象を引き起こす。
「…んだ、それ」
だが、僅かに速く少年の剣が完成する。
ガギリ、と硬い鋼と鋼がせめぎ合う音が鳴る。
伏黒の呪具は、アヴェンジャーの脳を貫く事は無く、その代わりに白と黒の夫婦剣を突いていた。
「二束三文にもならねぇ贋物だよクソッタレ…!」
次いで分厚い胸板を足場に飛び退く。
距離は取れたが、天与呪縛が相手では意味がない。どうしたものか、と少年は思考を半ば投げやりに回転させた。
先ず己がやるべきことは大きく三つ。
天内理子の安否確認、この場からの生存、伏黒甚爾を撒く。
どれも難易度高いこと極まりない。マジでクソだな現実、と内心で呪霊は悪態を吐く。
夫婦剣を投擲する。引き合う性質を持つその剣は、弧を描き伏黒の死角へと回り込み、その首を刈らんと迫る。
だが無力。あまりにも速い風を破壊する音。彼の手にはいつの間にか三節棍が握られており、それが最も容易く二振りの剣を残骸に変えた。
「ッち───!」
全速力で退避するが意味など無い。
殺意の権化そのものと言っても過言では無い男は、口から武器庫代わりの呪霊を吐き出し自身の体に巻きつけた。アヴェンジャーはそれを知っている。あの武器庫が吐き出すモノに、己は何度も殺されたのだから。
夜になればこちらの勝ち。だが夜まで耐えられる可能性は極めて低い。██た者の身体を模倣したことを、アヴェンジャーは今だけ、心の底から呪っていた。
「…やっぱ速えな。ならこれか」
男が新たに取り出したるは鎖と短剣。
───特級呪具「天逆鉾 」
等級不明「万里の鎖」
方や、あらゆる術式を強制中断させるモノ。
方や、末が分からぬ限り無限に伸びるモノ。
シンプルながら凶悪な組み合わせが猛威を振るう。
訪れたのは、鋼の暴風だ。
鎖により潰される逃げ道。形成される幾多もの絶死の剣戟。その発生源も隙あらばこちらに寄っては殴打する。
じわじわと追い詰められるアヴェンジャーは、必死に贋作を作り出して応戦すること都合二十九。
砕いて盾にし、時には投げて牽制する。
必死の奮闘だった。
───だが、それも意味を成さない。確かな実力差は、非情なまでに呪霊を死に至らしめんと右足を裂いた。
だが、夜も近い。伏黒甚爾は掴んだ機を逃さない。よろめいた少年の躯体を、彼は武器庫樹齢から取り出した刀で切り裂いた。
「…ああ、まずった。封印が仕事だったなそういや」
血を傷口から吐き出す彼は、しかし死には至らなかった。最後の悪あがきとして、少年は一歩だけ引いていたからこそ、ギリギリで命を繋いだ。
だが、無駄な足掻きでしかなかった。
どの道、今ここで彼は終わる。そして彼が死のうが封印されようが、天内理子は終わる。
あらゆる策は、尽きた。
彼の過ごした僅かな時間は、無為となった。
正義の味方を模倣した悪の呪霊は、敗北した。
伏黒甚爾は、封印用の呪具を取り出す。
何も思う事はなく、ただ淡々と仕事を開始する。
■ ■ ■
少女は、夢を見た。
一人の男が、一人の呪霊が死ぬ悪夢を見た。
おかしな話だ。呪霊が死ぬのであれば、否、悪が死ぬのであればそれは万人の幸福であるというのに。
しかし少女───天内理子はそうではなかった。
それは彼女が破綻者だという証左ではなく、また彼女が善より悪を思考する偏屈者だという事でもない。
天内理子がそれを悪夢だと定義した。
その理由は、至って単純な回答。
彼女にとっては、彼は悪では無かった。
彼女は彼の死を望まず、彼の不幸こそ望まない。
ただ死なないで欲しい。それは自分の命に直結するから、という理由ではなく───単に友愛か、親愛か。
名前は様々だが、ともかくそこには「愛」がある。
だから、無事に帰ってきて欲しいと思った。
呪霊への愛? 果てには無事な帰りを望む?
なんて幼稚で、愚かな思いだろうか。
多くの呪術師、呪詛師はそう思う者もいるだろう。
なるほどそいつは確かにそうかもしれない。特に現実を知ったつもりのリアリスト気取りの腹を満たすには、とてつもなく十分で、かつ安易で安価で下劣な
だが、前提として彼女は「救われた側」なのだ。
理由はただそれだけで十分だ。
しかし、それを知らない者は好き勝手に罵倒する。
頼んでもいないのに「比較」し「憐れむ」。
それこそが「おおよそ全ての悪」を生む。
だからこそ「悪の呪霊」は生まれたのだ。
ただの████は、その様な思いで作られた。
だが、そこに───一縷の愛が紛れ込む。
この世で最も簡単で、最強の呪いが。
■ ■ ■
ぽたり、音にするならばそんな感じだ。
悪の呪霊は、最弱でしか無い存在は、「怨天大聖」は、己の中に何かが
それは初めて味わったわけでも無いモノ。
確かに一度平らげたが、全て裏切られたモノ。
今更授かろうが、とっくのとうに遅いモノ。
だがそれでも───悪く無いゲテモノだ。
「ひ、は」
笑みが、漏れ出た。
「ひゃ、はハは」
日が、落ちていた。
「は、ははハハハハ」
封印が迫っていた。
───ずわり、とあらゆる汚泥よりも悍ましく、それでいて形容し難い恐怖を思わせる蒸気が、血に汚れながら倒れ伏した少年を包む。
伏黒甚爾は、咄嗟に退避しつつも「天逆鉾」を振り下ろす。悪くない、むしろ最上の判断だ。
だが、少年は、否…最早少年では無い。
歴とした呪霊は、己の右手を盾にする。狙っていたかの様に、右手は斬り飛ばされて行く。
聞くに耐えない絶叫が、郊外に鳴り響く。
だが、それは、瞬く間に笑い声に変わった。
「ア───ギ、ギギ、ヒハハハハハハハ……!」
───術式起動。
悍ましい蒸気を纏ったそれは、もはや獣の様相だ。
獣は、笑い、嗤い己が本来の術式を起動させた。
だが、行うのはその反転。
───術式反転、偽写万象
獣から発された、紋様の波動。
それはどれ程距離を取ろうが、如何に守りを固めようがどうしようもない呪いだった。
天与の身体だろうと、それは呆気なく突き破る。
その術は〝報復〟に類するもの。
この世で最も古く、誰でも必ず受ける呪いだ。
伏黒甚爾は、先ず右手の感覚を失った。
手首からは切られた様な激痛が走り、その次は胴体に、そして最後には足へ痛みは回り、天与呪縛の男は舌打ちをしながら倒れ伏す。
だが、終わらない。呪霊は更にとダメ押しをする。
「こいつは受けた傷を相手に映すだけの、この世で最もシンプルな呪いだ。
名を偽写万象。傷を負わなければ発動できない、クソッタレの三流術式さ」
術式の開示。手の内を晒し、更に呪いを色濃くする。
「わかるか? お前の魂に刻まれた傷は、上等な医療設備だろうが反転術式による治癒だろうが、魂そのものの治療だろうが治ることはねぇ…! その痛みは、オレの傷が治るまで、消えねぇのさ…!」
「…で、どうすんだよ…。テメェも俺も、このまま野垂れ死んで終わりか?」
激痛に苛まれながら、動かない足を動かそうともがきながら、伏黒甚爾は悪の呪霊に言う。
彼の言葉はもっともだ。足止めは確かに出来たが、しかしそれにさアヴェンジャーが傷を負っていなければならない。
だが放っておけば呪霊は死に、その瞬間に呪いも効果を失う。
詰みまでの時間が伸びただけだ。
「わかってるさ、…その上で、アンタと話がしたい。
縛りは…まぁ元から無理かねぇ。試してないから分からねぇけど」
どっこいせ、と血をダラダラ流しながら男は語る。
「簡単な話だ。オレがこれからアンタの呪具を工面するし、アンタの命も何もかも狙わない。
その代わり、天内理子を見逃して欲しい。
ああ、オレの命も保証しておいてくれよ? 今オレあいつと繋がってんだ。不安ならオレの四肢を切り落とせば良い」
「呪具は勿論、足がつかない様に注意は払うし、品質は落ちるが値段はゼロだ。
呪具だって金もバカにならねぇだろ? それが全部チャラになる。悪い話じゃねぇと思うぜ?」
命懸けの交渉だ。プライドも拘りも捨てる。
捨てるに能う主人がいる。
やれるだけのことはやり、切れるカードは切った。
そこから先はもうどうにもならねぇ。
断られたら最悪、自爆覚悟の大博打だ。
目を閉じて、男は返答を静かに待った。
「…オマエ、本当に呪霊かよ」
「生憎、生まれた時から悪意100%の呪霊だよ」
「……んな顔しといて、よく言うな」
激痛の中、そう天与呪縛の男はぼやく。
呪霊の顔は、必死だった。
ただ一人を生かそうと、悪条件の交渉を行う。
否、これは交渉ですら無い。
偽りでもここで伏黒甚爾が頷けば、それで呪いは終わるだろう。
真偽問わず、呪霊はその頷きを信じるしか無い。そうでなければ、彼も彼の守りたいものも死に絶える。
だが、無視して呪霊の死を待つ場合でも呪いは終わる。
そもそも、賭けにすらなら無い賭けなのだ。
「…は、ははっ」
だがそれが、伏黒甚爾の琴線に触れた。
…それ程遠くも無い昔を、思い出す。
もう己の元には無い陽だまりを、どうしてか。
それを失ったから、選んだのだ。
自分も他人も尊ぶことない。
彼は、そういう生き方を選んだ筈だ。
それでも、それでも───己がとっくのとうに捨てたつもりのモノが、顔を出してしまった。
そうともなってしまえば、駄目だった。
「…条件に追加だ。星漿体に、俺の
「…アンタ、こぶ付きだったのかよ…」
脱力した様に笑う呪霊を見る。
…下手な呪術師よりも、人間じみた呪霊を。
この呪霊が例外なんだろうと、分かってはいる。
だが───皮肉だな、と内心で呪術師を嗤った。
───「禪院家に非ずんば呪術師に非ず、呪術師に非ずんば人に非ず」
それが、彼の思う「皮肉」の全てを物語っていた。
アヴェンジャー…頑張った
伏黒パパ…色々思いが蘇ってちょっとセンチメンタル