Y.U.I.~都市伝説ファイル~   作:ドラ麦茶

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別れの公園

 日曜日、あたしと奈々ちゃんは駅前の公園へやってきた。あたしたち、もう小学校3年生だから、自転車でここまで来ても大丈夫。この公園、お母さんとは何度か来たことがあるけれど、奈々ちゃんと2人で来るのは初めて。1度奈々ちゃんと来たかったんだ。だって、うちの近所の公園と違って、すっごく広いの! うちの近所の公園って、滑り台があって、ブランコがあって、ジャングルジムがあって、砂場があって、あとはシーソーくらい。男の子が野球とかサッカーとかしてると、ほとんど何もできなくなる。それくらいせまい。でも、この公園は違う。まず、滑り台が、すっごく大きいの! 小さな山があって、その頂上から下まで、ずうううっと、滑り台なの! 他にも、丸太を渡ったり、つり橋を渡ったり、鎖の網を登ったりする遊具がいっぱい。広場も広くて、野球やサッカーをする男の子が何人いても大丈夫。自転車で走っても叱られない。ああ、こんな公園、あたしの家の近くにもあればいいのに。

 

 あたしと奈々ちゃんはまず滑り台やブランコで遊び、その後広場でバトミントン。疲れたら芝生の上に横になって、空を眺めたりした。あー。楽しい! あれ? お昼過ぎに来たのに、時計を見ると、もう5時だ。うーん。楽しいと、どうしてこんなに、時間が経つのが早いんだろう。

 

「奈々ちゃん、そろそろ帰ろうか?」

 

「うん、そうだね。遅くなると、お母さんに叱られるしね」

 

 あたし達、自転車に乗って、家に帰る。まだ遊び足りない気もするけど、今度また来ればいい。ね、奈々ちゃん。

 

「あれ? 結衣ちゃんと奈々ちゃん?」

 

 帰り道、あたしは同じクラスの明奈ちゃんに会った。

 

「あ、明奈ちゃん。明奈ちゃん、この近くに住んでるの?」

 

「うん。すぐそこ。結衣ちゃんと奈々ちゃん、こんな所で、何してるの?」

 

「今日はね、あそこの、おっきな公園で遊んだんだ。今、帰るとこ。そっか、明奈ちゃんの家の近くだったら、誘えばよかったね」

 

「え? あの公園で遊んだの?」

 

「うん」

 

「まさか、2人で芝生に座ったり、寝転がったりしなかった?」

 

「寝転がったけど……どうかしたの?」

 

 明奈ちゃんが急にビックリしたような声で言うので、あたしは心配になって聞く。

 

「あー、寝転がっちゃったんだ。あの公園の芝生、仲のいい子同士で寝転がったりしちゃ、いけないんだよ」

 

「え?」

 

 あたしと奈々ちゃん。同時に声を上げる。

 

「あの公園の芝生の上に寝転がったりするとね、その2人、ケンカして、別れることになるんだって。みんな、そう言ってるよ」

 

「――――」

 

 あたし、言葉が出ない。

 

「……ホントに?」奈々ちゃんが恐る恐る聞いた。

 

「うん。あの公園、真ん中に神社があるんだけど、その神社、神様が1人で住んでいるんだって。ずっと、友達も、家族もいなくて、だから、仲よさそうに芝生の上に寝転がってるのを見ると、ヤキモチ妬いちゃって、別れさせるんだって。だから、この辺りの人は、あの芝生には、絶対、2人では行かないようにしているの。そっか、結衣ちゃんたち、知らなかったんだ……」

 

 あたしと奈々ちゃん、顔を見合す。

 

 あたしと奈々ちゃんが、ケンカして、別れることになる?

 

 そんなこと、無いよねぇ。

 

 だってあたしたち、ずっと、仲良しだったもん。幼稚園の頃から、ずっと。そりゃ、たまにはケンカすることもあったけど、でも、すぐに仲直りした。だってあたし、奈々ちゃん、大好きだもん。でも、でもでも、神様が別れさそうとするなら、本当にそうなっちゃうのかな?

 

 その日、あたしたちの楽しい気持ちはすっかり消えてしまい、すごく暗い気持ちで家に帰った。ご飯の時間になっても食欲がわかず、お母さんに、「どうしたの?」って聞かれても、何も言えなくて、不安で不安で、夜もあまり眠れなかった。

 

 

 

 

 

 

 数日後、あたしと奈々ちゃんはケンカをした。

 

 理由は、今思えば、別に大したことじゃないの。前から遊ぶ約束をしていたのに、その日奈々ちゃん、急に用事ができたとかで、遊べなくなった、ってだけ。普段なら、「うん、わかった、じゃ、また今度ね」、って言って、終わり。家で1人で遊ぶか、他の子と遊ぶかなんだけど、でもその日、あたしはわがままを言った。前から約束してたんだから、一緒に遊ぼうよ、って。別に、どうしても今日、奈々ちゃんと遊ばなきゃいけないってことはなかったんだけど、この前の、駅前の公園で芝生の上に寝転がったこともあって、奈々ちゃんに約束を守ってもらえないのが、奈々ちゃんがあたしを避けてるんだって気がして、だから、意地になって、遊ぼう遊ぼうって、しつこく誘った。でも奈々ちゃん、今日はダメ。早く帰らないとお母さんに怒られる、って言うから、だから、だから、言っちゃったの。

 

「奈々ちゃんなんて大っ嫌い! もう2度と、遊ばないから!」

 

 言った後、あたし、すたすた走って、家に帰った。そして、ものすごく後悔。なんで……なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。用事ができることなんて、誰にでもある。あたしだって、お母さんに「今日は早く帰ってきなさい」って、言われることあるもの。ああ、あたしって、本当にバカ。明日、奈々ちゃんに謝ろう。大丈夫。奈々ちゃんはきっと許してくれる。

 

 でも。

 

 明奈ちゃんの言葉が頭をよぎる。

 

 ――神様が、2人を別れさせる。

 

 今日ケンカしたのって、もしかして、神様のせい?

 

 …………。

 

 ううん。大丈夫。

 

 明日謝れば、仲直り。

 

 そう。あたしと奈々ちゃんは、絶対絶対、仲直りできる!

 

 だから明日、早く来い!

 

 

 

 

 

 

 次の日。あたし、いつものように近所の公園の前で奈々ちゃんを待つ。いつもは7時20分にここで待ち合わせをして、2人で一緒に登校するの。でも今日は、7時30分になっても、奈々ちゃんは来ない。うーん。1人で先に行っちゃったのかな? 昨日あんなこと言っちゃったから、おいて行かれても仕方ないよね。公園の時計が7時35分になった。7時30分過ぎたら先に行ってもいいって約束になってるし……。でも、早く謝りたいしな……。うん。もう少し待ってみよう。

 

 …………。

 

 7時40分になった。さすがにもう行かないと、8時のチャイムに間に合わなくなる。やっぱり奈々ちゃん先に行ったんだろうな。しょうがない。学校で謝ればいいか。あたしは走って学校に向かった。

 

 校門を通り抜け、下駄箱で上履きに履き替え、階段を1段飛ばしで駆け上がり、「廊下は静かに!」の張り紙を無視して教室に駆け込んだところで、チャイムが鳴った。ふう、ギリギリセーフ。教室を見回すと……あれ? 奈々ちゃんの席、空いてる。まだ来てないのかな? まさか、風邪でもひいてお休みとか? うーん。もしそうなら、学校が終わったらお見舞いに行こう。そのとき謝ればいいか。もう! 早く謝りたいのに、どうしてこう、うまく行かないんだろう。お母さん、「仕事がうまく行かなくてストレスがたまるわ」ってよく言ってるけど、こういうことを言うのかな?

 

 ランドセルを下ろして席に着くと同時に、先生が教室に入ってきた。その後ろから、なぜか奈々ちゃんが入ってくる。あ、よかった。休みじゃなかったんだ。今から朝礼をするから、その後謝ろう。

 

「きりーつ!」

 

 委員長の号令。みんなが一斉に立つ。……あれ? 奈々ちゃん席に着かない。先生の横に立ったまんま。そう言えば、ランドセルもしょっていない。どうしたんだろう? ……なんだか、すごく嫌な予感。

 

「礼! 着席!」

 

 号令にあわせて、みんな礼をして着席。でも、みんなも何か様子がおかしいと思ったのか、顔を見合わせている。

 

「今日は、皆さんに大切なお知らせがあります」

 

 やだ……なんだかこの感じ、今まで何度か経験したことがある。まさか……まさか!

 

 そして先生は、予想通りの、でも、とても信じられないことを言った。

 

「奈々ちゃんはお父さんのお仕事の都合で、転校することになりました」

 

 ――――。

 

 ええぇぇ!!

 

 あたし、心の中で叫んだ。奈々ちゃんが転校する? 奈々ちゃんがいなくなる? なんで? なんで? なんで?

 

 突然のことにみんなも動揺を隠せず、教室内がざわめく。

 

 あたし、何がなんだか判らなくて、頭の中が真っ白になった。奈々ちゃんがお別れの挨拶をしたけど、何を言っているのか、全然判らなかった。目があったけど、あたし、何も言えなくて。そして、奈々ちゃんは教室を出て行った。すぐに引っ越さないといけないらしく、今日は挨拶だけで、授業も受けないらしい。

 

 本当に突然だった。

 

 その日は、授業で何をやったか、給食で何を食べたか、どうやって帰ったのかすらも判らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「結衣、ご飯できたけど、食べないの?」

 

 部屋のドアが開き、お母さんが言ったけど、あたし、とてもご飯を食べる気分じゃなかった。家に帰ってからは、ずっと部屋にこもり、ベッドの上で泣いていた。日が暮れたのにも気付かなかったから、電気がついていない部屋は真っ暗。パチ。お母さんが電気のスイッチを入れる。

 

「どうしたの、結衣」

 

 お母さん、あたしの横に座り、やさしく髪をなでた。

 

「奈々ちゃんが……奈々ちゃんが……転校しちゃった……」

 

「……そうみたいね。お昼に奈々ちゃんのお母さんに会って、聞いたわ。本当に急に引っ越すことになった、って」

 

「あたし……あたし……奈々ちゃんに、大ッキライって、言っちゃったの。昨日、ケンカしちゃって。でも、謝れば許してくれると思ったの。仲直りできると思ったの! でも、でも! 奈々ちゃん、いなくなっちゃった! 奈々ちゃん、転校しちゃった!」

 

「……そうだったんだ」

 

「お母さん、何で神様は、こんなイジワルするの? 何で公園の芝生に寝転がっただけで、あたしと奈々ちゃんを、離れ離れにするの?」

 

「何? どういうこと?」

 

 お母さんが不思議そうな顔をするので、あたし、この前の日曜のことを話した。隣町の公園で奈々ちゃんと遊んだこと。その公園の芝生の上に2人で寝転がると、神様が嫉妬して、2人を別れさせる、ってこと。そのせいで、昨日ケンカしちゃったこと。全部、話した。

 

 すると、お母さん手、髪を撫でていた手が止まった。

 

「結衣――ケンカをしたのは、芝生の上に寝転がったからなの?」

 

「――え?」

 

 あたし、思わず顔を上げる。

 

「ケンカをしたのは、神様のせいなの? 違うでしょ?」

 

 お母さん、言い方は穏やかだけど、顔は少し恐い。

 

 ケンカをしたのは、神様のせい?

 

 …………。

 

 ううん。違う。

 

 神様なんて、関係ない。

 

 昨日ケンカしたのは、あたしがわがままを言ったから。

 

 ううん。それもちょっと違う。昨日のあれ、ケンカじゃない。奈々ちゃんの都合も考えず、あたしがわがまま言って、一方的に怒って、奈々ちゃんを困らせただけ。

 

 悪いのはあたし。神様なんて関係ない。

 

 あたし、お母さんにそう言った。するとお母さんにっこり笑う。

 

「じゃあ、奈々ちゃんに謝りに行く?」

 

「――え?」

 

「お母さん、奈々ちゃんの引越し先聞いておいたから、結衣、今度1人で行ってみる?」

 

「――――」

 

 あたしはお母さんの顔を見つめる。

 

 今朝、奈々ちゃんが転校すると聞いて、あたしは思った。もう奈々ちゃんには会えない。もう奈々ちゃんには謝れない。

 

 でも、でもでも!

 

 そうだ! あたしが会いに行けばいいんだ!

 

「うん! あたし、行く! 奈々ちゃんに謝りに行く!」

 

 あたし、力いっぱい言った。

 

 奈々ちゃんに会いに行こう。奈々ちゃんに謝りに行こう。あたしと奈々ちゃんは、別れない。あたしと奈々ちゃんは、ずっと友達!

 

 だから、奈々ちゃんに会いに行こう!

 

 

 

 

 

 

 1ヶ月後の日曜日。今日は、奈々ちゃんに会いに行く日。本当はもっと早く会いに行きたかったんだけど、引越しをしてすぐは奈々ちゃん家もバタバタしていて、訪ねても迷惑だから、と、お母さんが言うので、1ヶ月も待った。昨日の夜はうれしくて、あんまり眠れなかった。でも寝坊はしなかった。だって、奈々ちゃんに会いに行くんだから!

 

「いい、結衣。奈々ちゃんの家への行き方、もう1度説明するから、よく聞いておくのよ」

 

 朝ごはんを食べ終わったところで、お母さんが地図を広げる。行き方は昨日何回も聞いたから大丈夫なのに。

 

「まず、ここが堀北駅。いつも利用している駅よ。ここから、時05分の市川駅行きの電車に乗るの。お母さんがついていってあげるのは、電車に乗るまでよ」

 

「うん」

 

「で、その電車に乗ったら、9時57分に市川駅に着くの。ここで降りてね。この電車は市川が終点だから、これは大丈夫ね。市川は、何度か行ったことがあるから、覚えてるよね?」

 

「うん。覚えてる」

 

 市川。堀北よりも、ずっと、大きな駅。大きな街。たまにお母さんと遊びに行くのでよく知ってる。デパートとか、映画館とか、おもちゃ屋さんとか、レストランとか、堀北よりもたくさんあって、楽しい街。

 

「市川駅の7番ホームに着くから、そこから階段を上がって、2番ホームに行くの。10時14分に出る電車があるから、それに乗ってね。判らなくなったら、駅員さんに聞くのよ? いい?」

 

「うん。判ってる!」

 

「そう。でね、その電車に乗ったら、12時49分に、北乃駅に着くの。ここが、奈々ちゃんが住んでいる街。ここで下りれば、駅で奈々ちゃんと奈々ちゃんのお母さんが待ってくれてるから」

 

「うん!」

 

 奈々ちゃんが待ってる――あたし、それを聞いただけでうれしくて飛び跳ねてしまいそう。ああ、早く会いたいな。

 

「次は帰りね。北乃駅から3時12分の電車に乗るの。奈々ちゃんとは遊ぶのは3時までよ。いい?」

 

「……はーい」

 

 あたし、少し元気が無くなる。ちぇ。奈々ちゃんと遊べるのは、2時間ちょっとか。1ヶ月も会ってないのに、短すぎるよ。

 

「この電車が、5時50分に市川駅の1番ホームに着くから、今度は6番ホームに行って、6時05分に出る電車に乗るの。これも、判らないときは駅員さんに聞くのよ?」

 

「はーい」

 

「その電車に乗ったら、7時57分に堀北に戻ってこれるから。堀北には、お母さんが迎えに行くわ。どう、結衣。大丈夫?」

 

「うん! 大丈夫だって!」

 

 あたし、昨日も何度も言ったセリフ、今日もまた言う。堀北駅から市川駅に行って、市川駅から北乃駅に行けばいいだけだもん。簡単簡単。

 

「今お母さんが言ったこと、全部、この紙に書いておいたから、判らなくなったら見るのよ。絶対に無くさないようにね」

 

 そう言ってお母さんは、堀北 8時05分出発、市川 9時57分到着(7番ホーム)、市川 10時14分出発(2番ホーム)……と書かれたメモ用紙をくれた。

 

「それと、これを首から提げておいてね。もし迷子になったら、駅員さんにこれを見せるのよ」

 

 お母さんはあたしの名前と住所と電話番号を書いたカードの入ったケースの紐をあたしの首にかけた。これって、いわゆる迷子カードかな。もう。お母さんったら、心配性なんだから。迷子になんかならないよ。

 

「後、これはお弁当とお茶。おなかが空いたら電車の中で食べなさい」

 

 あたしはクマさん柄のおそろいのケースに入ったお弁当とお茶を受取る。うーん。ま、おなかが空いても少しは我慢しよう。1時前には奈々ちゃんに会えるんだし、せっかくだから一緒に食べたい。

 

「じゃあ、堀北駅に行くけど――結衣、本当に1人で大丈夫ね?」

 

「大丈夫だって! さあ早く行こう! 早く早く!」

 

 あたしはお弁当をカバンに入れると、クツを履き、外に出た。

 

 もう少し、もう少しで、奈々ちゃんに会えるんだ! 待っててね、奈々ちゃん。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、結衣。気をつけて行ってらっしゃいね」

 

「うん!」

 

 あたしは電車に乗り込んだ。お母さんはホームに残る。お母さんは、今日はここまで。

 

 電車のドアが閉まる。ガタン。ゆっくりと動き出した。お母さんが手を振ったので、あたしも手を振り返した。やがて、お母さんの姿は見えなくなった。

 

 さて、ここからはあたし1人だ。

 

 電車に1人で乗るなんて、初めてのこと。しかも、いつもは市川で降りるけど、今日はもっと遠く、北乃って所まで行くんだ。でもあたし、別に不安は感じない。だって、電車なら、乗ってしまえば後は座ってるだけでいいんだもん。自動的に目的地に到着するから、道に迷う心配は無い。ああ、早く着かないかな。

 

 あたしはドア近くの椅子に座った。えっと、市川には何時に着くんだっけ? お母さんから貰ったメモを取り出す。9時57分か。2時間くらい時間があるなあ。

 

 

 

 

 

 

 途中何度も駅に止まる。降りる人もいるけど、乗ってくる人の方が多い。今日は日曜だから、やっぱり市川に遊びに行く人が多いのかな? 電車は徐々に混んできて、市川につく頃には、ほとんど満員の状態だった。

 

 

 

 

 

 

「次は終点、市川です。降り口は左側です。乗り換えのご案内をします――」

 

 社内にアナウンスが流れる。ふう。やっと市川到着。2時間って、意外と長いなぁ。2時間。奈々ちゃんと遊べる時間も2時間くらい。でも、この2時間は、たぶんあっという間なんだろうな。

 

 やがて市川に到着。アナウンス通り左のドアが開き、みんなぞろぞろ降りていった。あたしは一番最後に降りた。

 

 あたしはホームに立って駅内を見回した。うーん。市川駅って、やっぱり広い。堀北は1番から3番までしかホームが無いけど、市川は、何番まであるんだろう……。ここから見ただけでも10個くらいはありそう。しかもホームの中に売店やおそば屋さんもある。いいなぁ。

 

 ま、いいや。今日は市川駅が目的地じゃない。早く北乃駅行きの電車に乗らなくちゃ。えっと、何番ホームだったかな。あたし、お母さんからもらったメモを探す。

 

 …………。

 

 あれ?

 

 無い。メモが無い。

 

 ズボンのポケットも、ジャケットのポケットも探してみたけど、無い。

 

 カバンに入れたってことは無いと思うけど、念のため探す。やっぱり無い。

 

 電車の中に置いてきちゃったのかな? あたし、電車に戻ろうとするけど、だめだ。もう、ドア閉まっちゃってる。

 

 ――判らなくなったら、駅員さんに聞くのよ?

 

 今朝のお母さんの言葉を思い出す。でも、ここから見る限り、駅員さん、このホームにはいない。遠くのホームにはいるけど、あそこまで行くと、ちょっと時間かかりそうだな。

 

 うーん。まあ、いいか。7番ホームに着いて、階段を上がって、2番ホームに行く、っていうのは覚えてる。そこで電車に乗れば、大丈夫でしょ。

 

 あたしは階段を駆け上がる。右を見ると、すぐ隣の階段が、4番5番って書いてあった。こっちかな? 4番5番の階段を通り過ぎると、2番3番って書かれた階段が見えた。その階段を下りると、2番ホームに電車が止まってた。これだよね。あたしはその電車に乗り込んだ。

 

 電車の中はかなり空いていた。みんな、やっぱり市川で遊ぶんだ。今はまだお昼前だから、市川から発車する電車を利用する人、少ないんだろうな。

 

 あたしはまたドアのすぐ横の椅子に座る。降りる駅は北乃。確か、1時前に着くはずだから、3時間くらい乗るのか。うーん、まだまだ時間がかかるけど、でも、もうすぐ会えるね、奈々ちゃん!

 

 やがてドアが閉まり、10時04分、その電車は出発した。

 

 

 

 

 

 

 市川から先は、あたし、全くの未経験。初めて見る景色にワクワクした。じーっと窓の外を見てる。始めは家やマンションばっかりだったけど、だんだん畑とかが多くなってきて、そのうち、山や川とか、自然の物ばかりに見えるようになる。でも駅に到着するアナウンスが流れる頃には、少しずつまた家が増えてくる。駅を過ぎると、また家が減っていって……そのくり返し。なんだか、見ていて楽しい。だって、すごいんだもん。

 

 何がすごいのかって言うとね。

 

 例えば、公園がある。日曜だから、あたしと同じくらいの子供が遊んでる。その公園、あたしの住んでる街からはかなり遠いから、そこで遊んでる子と、あたしが出会うことって、この先、たぶん無いと思う。言っちゃったら、あの子たち、あたしには関係ない子。

 

 畑で働くおじさんおばさんもそう。もしかしたらあたしの学校の友達の親戚の人とか、先生の友達とか、あるいはいつもお母さんがスーパーで買ってるにんじんやキャベツを作ってるとか、その可能性はあるかもしれない。でも、たぶん、それは無いと思うの。やっぱりあの人たち、あたしには関係の無い人だと思う。

 

 でもね、あの人たちにも、あの人たちの生活があるんだよね。

 

 公園の子供達。夕方になると家に帰り、ご飯を食べて、お風呂に入って、宿題がまだならやって、寝る。月曜になったら学校に行って、勉強をして、休み時間には遊んで、学校が終わったらまた遊んで、宿題をやって、ご飯食べてお風呂入って、寝る。

 

 畑のおじさんおばさん。夕方まで畑仕事をして、家に帰ったらおばさんはご飯の支度。おじさんは新聞読んだりテレビでニュース見たりするのかな? で、ご飯食べて、お風呂に入って、明日の仕事の準備して、寝る。朝になったらまた出かけて、畑仕事。

 

 他にもいろんな人がいる。車に乗ってどこかに出かける人。空き地でキャッチボールする親子。スーパーで買い物をするおばさん。人だけじゃない。電柱におしっこしてる犬も、屋根の上でひなたぼっこしてる猫も、庭の池を泳いでる鯉も、みんなみんな、生活してるの。この電車の窓から見える人、動物、その全部が、あたしと同じように、でもあたしとは違う生活があるの! これって、当たり前のことだけど、すごいよね! すごいよ! なんて言ったらいいのか……難しいけど、世界って、広い!

 

 あたし、窓の外を見てると、全然退屈しない。ずっと、4時間でも5時間でも、見ていられそうだ。

 

 

 

 

 

 

 駅に着くと、時折乗り降りする人が現れるけど、市川行きの電車と違い、その数はずっと少ない。お客さんの数は、増えもせず、減りもしない、そんな状態がしばらく続いた。あたしはその間ずっと、飽きもせず窓の外を眺め続けていた。でも……。

 

「次は終点、上戸、上戸。降り口右側です――」

 

 …………。

 

 あれ?

 

 今のアナウンス、終点、上戸、って言ったよね?

 

 終点ってことは、この電車はそれ以上先には行かないってことで……まあ、乗り換えすればたぶんその先にも行けるんだろうけど……でも、お母さん、市川駅以外で乗り換えしなきゃいけないなんて、言ってなかったよね。もしかして、北乃過ぎちゃった? 腕時計を見る。12時06分。北野に着くのは1時前だったから、過ぎたってことはなさそうだ。それにあたし、ずっと窓の外見てたし、アナウンスも全部聞いてたし、着く駅の名前、全部確かめてた。北乃は通り過ぎてない。じゃあ、また乗り換えしなきゃいけないの? でも、どの電車に乗っていいか判んないし……どうしよう。

 

 やがて電車は上戸駅に到着し、ドアが開いた。あたし、仕方ないので電車を降りる。

 

 上戸駅は堀北駅よりもさらに小さい駅だった。改札口の所に駅員のおじさんが立っている。あのおじさんに聞いてみよう。あたしはそのおじさんに駆け寄った。

 

「あの、すみません。あたし、北乃駅に行きたいんですけど、どの電車に乗ればいいですか?」

 

 駅員のおじさん、あたしの前にしゃがみ、少し困った顔。

 

「え、北乃駅に行くの?」

 

「はい」

 

「お嬢ちゃん、この電車に乗ってたの?」

 

「はい」

 

 なんだか嫌な予感。

 

「どこから乗ったの? 市川?」

 

 あたし、おじさんの表情見てて、だんだん不安になってきて、黙って、こくんとうなずくだけ。

 

「うーん、困ったね。北乃駅は、こっちじゃないんだよ。逆方向。お嬢ちゃん、電車、乗り間違えちゃったね」

 

 …………。

 

 やっぱり……。

 

 

 

 

 

 

「……はい。そうなんですよ。市川で10時14分の電車に乗るところを、10時04分の電車に乗ってしまったみたいでして――」

 

 駅員のおじさん、あたしを駅員室に入れてくれた。おじさんはあたしの迷子カードを見て、今、お母さんに電話してくれている。

 

「はい。それでですね、今からだと北乃に着くのはかなり遅くなりますし、上戸からなら堀北まで直通のバスが出てますので、おうちに帰った方がいいんじゃないかと思ったのですが、お嬢さん、絶対に北乃に行きたい、と言うものですから――」

 

 そう。あたし、駅員のおじさんにバスに乗ると堀北に帰れるって言われたけど、イヤだって言った。このまま堀北に帰るなんてダメ。奈々ちゃんに会うまでは、絶対に帰らない。

 

「――はい。はい。じゃあ、お嬢さんに代わります――お母さんだよ」

 

 おじさん、あたしに受話器を差し出す。あたしは受話器を受取った。

 

「……もしもし」

 

「もしもし、結衣、大丈夫?」

 

「うん……」

 

「電車、乗り間違えたんだ?」

 

「…………」

 

「どうする? バスに乗ったらすぐに堀北に着くみたいよ。帰ってくる?」

 

「……やだ」

 

「結衣?」

 

「だってあたし、まだ奈々ちゃんに会ってないもん。奈々ちゃんに、謝ってないもん。奈々ちゃんに会うまで、奈々ちゃんに謝るまで、絶対、絶対に、帰らない!」

 

 あたしはそう言った。でもこれ、お母さんにじゃなく、あたし自身に向かって言ってる。

 

 だって、ホントはあたし、帰りたいって気持ち、ちょっとあるもん。堀北からこんなに遠くに離れたところにあたし1人。すっごく心細い。さっきまではそんなこと思わなかったけど、電車を乗り間違えたと知って、初めて、心細いって思った。電車を乗り間違えて、全然違う駅に着いても、あたしだけで何とかしなきゃいけない。

 

 ――結衣、本当に1人で大丈夫ね?

 

 今朝、出かける前にお母さんが言ったことを思い出す。あのとき、あたしは何も考えず、大丈夫って言ったけど、それって、すごく甘かった。1人で電車に乗って北乃に行くのって、そんなに簡単じゃない。あたし1人じゃ心細い。でも、堀北になら、バスに乗れば着く。そっちの方が簡単。なら、堀北に帰りたい。

 

 でも。でもね。

 

 それじゃ、ダメなの。

 

 奈々ちゃんに会って、奈々ちゃんに謝らなきゃ、絶対ダメなの。

 

 お母さんは反対するかもしれない。やっぱり、結衣1人で北乃に行くのは無理だったって、思ってるかも。それは仕方が無い。実際あたし、電車乗り間違えたんだもの。もうすぐ1時になる。本当ならもう北乃に着いて、奈々ちゃんに会っている時間。でもあたしが今いるのは、北乃からは遠く離れた所。これじゃ、帰ってきなさいと言われても仕方ない。でも、やっぱり今帰るのは、嫌。絶対に嫌。

 

 でもお母さん、あたしの予想に反して、帰って来なさいとは言わなかった。

 

「判ったわ。ちょっと、駅員さんに代わってくれる?」

 

 あたしは駅員のおじさんに受話器を渡した。

 

「はい、お電話代わりました。はい……はい。よろしいですか? はい……はい。ええっと、今からですと、13時02分の電車に乗りまして――」

 

 おじさん、分厚い時刻表を引っ張り出し、それを見ながらお母さんと話してる。

 

「――はい。それなら、何とか終電までには堀北に着きます。はい……はい。判りました。では代わります」

 

 おじさんがまた受話器を渡してくれた。

 

「結衣、今から北乃に行っても、奈々ちゃんに会えるのは30分くらいになるけど、それでもいい?」

 

 30分……2時間でも少ないと思っていたのに、たった30分になっちゃうのか……。でも、仕方が無い。電車を乗り間違えたのはあたしだし、これは、あたしの責任だから。

 

「……うん。いい」

 

「判ったわ。じゃあ、今から駅員さんが、上戸駅から北乃駅までの行き方を説明してくれるから、ちゃんと聞くのよ。メモも書いてくれるから、今度は無くさないようにしなさい。いいわね?」

 

「うん」

 

「駅員さんに、よーくお礼を言うのよ。奈々ちゃんのお母さんには、ちょっと遅れるって連絡しておくわ。じゃあ結衣、頑張りなさい」

 

「うん!」

 

 あたしは受話器を置いた。

 

 その後、駅員のおじさんは、何時の電車に乗ると何時に市川について、そこから何時の電車に乗れば北乃に着くか、細かく説明してくれた。

 

「じゃ、この紙に書いておいたから、今度は無くさないようにね」

 

「うん!」

 

 あたしはメモを受取り、今度は無くさないように、迷子カードの入ったケースの中に一緒に入れた。

 

「市川駅にはおじさんが連絡しておいたから、駅に着いたら、市川の駅員が、北乃行きの電車に案内してくれるから、今度は大丈夫だよ」

 

「ホントに? ありがとう、おじさん!」

 

「でも、結衣ちゃんは偉いね」

 

「……え?」

 

「だって、まだ9歳なのに、1人でこんなに遠くまで来て。しかも電車を乗り間違えたのに、泣かなかった。偉いよ」

 

 おじさん、あたしの頭をなでてくれた。

 

 あたし、本当は泣きそうだったけど、でも、我慢した。だって、泣いたって、何にもならない。泣いたって、時間が戻ってくれるわけじゃない。奈々ちゃんに会えるわけじゃない。だから泣かない。奈々ちゃんに会うまでは。そう決めた。

 

 やがて電車がやってきた。あたしはおじさんに何度もお礼を言って、電車に乗った。

 

 ガタン。電車が動き出す。また2時間かけて市川に戻るのか。ぐう。お腹が鳴った。当然だよね。もう1時過ぎだもん。本当なら今ごろ奈々ちゃんに会って、一緒にお弁当を食べてる時間。でも、もうお昼間に合わないし……ゴメンネ奈々ちゃん。あたしは、椅子に座ると、カバンの中からお弁当とお茶を取り出した。お弁当の中身は、おにぎりとミニハンバーグとタコさんウィンナーとおいもとにんじんの煮っ転がし。本当は奈々ちゃんと食べるはずだったお弁当を、あたしは1人寂しく食べた。

 

 そして3時06分、市川到着。ホームに降りると、上戸駅のおじさんが言ってた通り、駅員のお兄さんが迎えてくれた。お兄さんはあたしを2番ホームまで案内し、3時14分の電車に乗せてくれた。あたしはそのお兄さんにもお礼を言い、そして、今度こそ北乃行きの電車は出発。

 

 ふう。これでひと安心。でも本当はこの電車、10時に乗らなきゃいけなかったんだよね。5時間の大遅刻。ゴメンネ奈々ちゃん。でも、もうすぐ会えるからね。

 

 夕方が近いこともあり、電車の中は、さっきの上戸駅からの電車とは比べ物にならないほど、たくさんの人が乗っていた。あたしは何とか座ることができたけど、立ってる人も何人かいる。でも、市川から遠ざかるほど降りる人が多くなり、1時間もすると、かなりガラガラになった。

 

 時計を見る。4時18分。北乃まであと1時間半。短いようで長い。ああ、早く着かないかな。あたしは奈々ちゃんと会えるのがもう待ちきれなくて、窓の外を見ている余裕もなくなってきた。

 

 でも、そんなあたしを、またもやトラブルが襲う。

 

 ギギギギィィ!

 

 電車が突然ブレーキをかけた。あたし、椅子から転げ落ちそうになったけど、何とか手すりに捕まって、大丈夫だった。で、窓の外を見る。駅に着いたわけじゃなかった。窓の外は、なんにも無い、ただの崖。反対側の窓もそう。山と山の間に停まってる状態。何でこんな所で停まるんだろう? 嫌な予感。

 

 やがてアナウンスが流れる。

 

「お客様にご案内申し上げます。この先の線路で大きな事故があり、ただ今、運転を見合わせております。お急ぎの方には大変ご迷惑をおかけしますが、今しばらくお待ち下さい――」

 

 …………。

 

 そんなぁ……。

 

 

 

 

 

 

 時折同じアナウンスが流れ、大人達が運転席に行って怒鳴ってる以外、特に何も変化が無いまま時間だけが過ぎていった。時計を見ると、5時20分。もう、1時間以上も電車は動かないまま。その間、あたしはただ椅子に座り、ずっと、考えていた。どうしてこんなことになったのかを。

 

 あたしは間違っていた。

 

 1人で電車に乗って、市川駅で乗り換えて、北乃駅で降りて、奈々ちゃんに会う。

 

 どんなに遠い場所だって、電車に乗れば大丈夫だと思っていた。どんなに時間がかかったって、奈々ちゃんに会えると思っていた。

 

 あたしなら、大丈夫だと思っていた。

 

 でも、それって間違いだった。

 

 例えば場所。北乃って行ったことは無いけど、1人でも行けると思っていた。でも、それは間違い。あたしが普段遊ぶ所って、家の近所の公園とか、神社とか、友達の家とか、それか、せいぜい自転車に乗って少し遠くの公園に行くくらい。休みの日には自動車やバスに乗って出かけることもあるけれど、お母さんと一緒。たまに電車に乗って市川まで買い物に行くこともあるけれど、それももちろん、お母さんと一緒。市川より遠くに行くことなんて、めったにない。それこそ、旅行に行くときくらい。北乃、市川より遠いけど、電車に乗れば簡単に着く、なんて、間違いだった。電車に乗るときは、いつもお母さんがいた。だから今までは簡単だったんだ。小学3年生のあたしにとって、電車を乗り継ぐのは簡単なことではなかった。北乃は、あまりにも遠い。

 

 そして、時間。時間なんて、今まで、あまり気にしたことは無かった。月曜から金曜までは学校。3年生だから授業が6時間目まであることはほとんどなく、いつも3時には家に帰ってる。まず宿題をすることもあるけど、大体いつも、帰ってから6時くらいまでは外で遊んでる。6時に家に帰って7時まで宿題。7時からご飯を食べて、その後お風呂に入って、宿題がまだ残っていたらやって、宿題が終わればテレビを見たり本を読んだり。夜更かしすることもあるけれど、普通は10時には寝るようにしている。土日は休み。8時か9時には目を覚まし、朝ごはんを食べながらテレビを見る。それから後は自由時間。午後から遊びに行くこともあれば、家族で出かけることもある。家でゴロゴロしていることもある。遊んでも遊んでも遊び足りないこともあるけど、また次の日遊べばいい。時間はたっぷりある。今日できなくても、明日がある。明日は、何度もやって来る。時間は無限にある。そう思ってた。でも、今日奈々ちゃんと遊べる時間は、1時に北乃に着いたとしても、3時まで。それなのに、もう5時を過ぎたのに、まだ北乃には着いていない。奈々ちゃんと遊ぶ時間って、もう無い。なのに、電車はまだ動かない。あれから1時間も経ったのに、まだ動かない。その動かない電車に対して、あたしは何もできない。ただ、こうして座ってるだけ。

 

 世界はあたしが思っていたよりも広く複雑で、与えられた時間は限らていて、そして、突きつけられる現実は、あまりにも厳しい。奈々ちゃんに会う。奈々ちゃんと遊ぶ。奈々ちゃんに謝る――たったそれだけのことが、こんなにも、難しいことだったなんて。たったそれだけのことが、できないなんて……。

 

 お母さんから貰ったメモを無くしたあたし。

 

 電車を乗り間違えたあたし。

 

 停まった電車に、ただ座っているだけのあたし。

 

 ぽとり。

 

 ひざの上で握り締めた拳に、雫が落ちた。

 

 あれ?

 

 やだ。

 

 あたし、泣いてる?

 

 泣いちゃダメなのに! 泣かないって決めたのに!

 

 いつの間にか目から涙がこぼれだし、ほっぺたをつたって、手に落ちていた。 

 

 止まれ! 涙、止まれ!

 

 奈々ちゃんに会うまで、泣いちゃダメ! 奈々ちゃんに謝るまでは、泣いちゃダメ!

 

 ――でも。

 

 時間は過ぎて行く。

 

 あたしにはどうすることもできない。

 

 電車は動かない。

 

 あたしにはどうすることもできない。

 

 奈々ちゃんには会えない。奈々ちゃんには謝れない――。

 

 あたしには……どうすることもできない。何とかしようと思っても、所詮あたしは小さな子供で、直面する問題はあたしの手にあまり、何もできない悔しさが、涙となって、握り締めた拳に落ちるだけ。

 

 あたしは無力。そう、無力なんだ。

 

 宮崎結衣という女の子は、世界から見ると、とても小さな存在だったんだ。

 

 だから、涙はもう止まらない。

 

 動かない電車の中で、あたしは自分の無力さが悔しくて、ただ、泣き続けた。

 

 そして電車は、さらに1時間、何も無い山の中に停まり続けた。

 

 

 

 

 

 

「次は、北乃。北乃。降り口左側です――」

 

 8時45分。電車は、ようやく北乃駅に到着した。本当なら、うれしさのあまり走り出してしまうところだけど、今のあたしのホームに降りる足取りは重い。

 

 本当なら、12時45分に、この駅に着くはずだった。奈々ちゃんは、もう待っていないだろう。もともとあたしのわがままでケンカして、離れ離れになって、謝りに行くと言いながら、8時間も遅れたんだ。もう、帰りの電車も無い。6時28分の電車に乗らなければ堀北には帰れないって、上戸駅の駅員のおじさんが言っていた。それでも引き返さなかったのは、ただ、帰り方が判らなかっただけ。だから、北乃駅で駅員さんに迷子カードを見せて、上戸駅のときと同じようにお母さんに電話してもらって、どうしたらいいか聞こうと思った。それ以外に、どうしたらいいか判らなかった。

 

 北乃駅。堀北駅よりも、上戸駅よりも、さらに小さい、寂しい駅だった。この駅で降りたのはあたしだけ。と、言うより、もうかなり前の駅から、電車に乗っていたのはあたし1人。この駅から電車に乗った人もいない。そして、改札口にも誰もいなかった。ただ、空き缶のような物が取り付けられてあり、そこに何枚か、切符が入っているだけ。この中に入れればいいのかな? あたしは堀北駅でお母さんに買ってもらった切符、何度も握り締め、すっかりクシャクシャになってしまった切符を、その中に入れた。

 

 待合室は、椅子が5個、一列に並んでいるだけの、とてもせまい所だった。売店があるけど、もう閉まってる。切符を売る機械は動いていたけど、駅の中には誰もいなかった。

 

 あたしは外に出る。駅の外――あたしのイメージでは、タクシーがたくさん並んでいて、バス停があって、お店とかもたくさんあって、賑やかなところ。堀北はそう。市川はもっと賑やか。駅って、そういう所だもん。

 

 でも、北乃駅の外には、何も――あたしのイメージしていた物は、何も無かった。

 

 バス停はある。でも、「北乃駅」と書かれたプレートが立っているだけ。ベンチも何も無い。駅の正面には細い道がある。ところどころに取り付けられた街灯のぼんやりとした明かりが、かえって不気味な、暗い道。

 

 ――誰も、いない。

 

 そんな……そんな……。

 

 あたし、どうしたらいいの? 北乃、知らない街。初めて来た街。あたし1人。誰もいない。誰か、誰かいないの? ねえ、誰か! だれか!

 

 あたし、周りを何度も何度も見回す。でも、やっぱり誰もいない。ただ、すごく暗い空間が広がってるだけ。暗闇の中に誰かいるのかもしれないけど、探しに行くことは出来なかった。その暗闇はまるで生き物のようで、1度入ったら、2度と戻って来られない。そんな気がするの。だから、あたしは駅の前のわずかな明かりの前に立ち、ずっと、周りを見回すだけ。誰かいないかと、ただ、見回すだけ。

 

「――結衣ちゃん!」

 

 …………。

 

 ……あ。

 

 この声は……。

 

 この声は!

 

 あたし、声のした方を見る。薄暗くてよく判らないけど、この声は、絶対、絶対!

 

「奈々ちゃん!」

 

 あたし、力いっぱい叫んだ。奈々ちゃんの名前を。

 

 そこにいたのは、やっぱり、奈々ちゃん。ずっと、ずっと会いたかった、奈々ちゃん。

 

 あたし、奈々ちゃんを抱きしめた。抱きしめないと、もう2度と会えないかもしれないってくらい、抱きしめた。

 

「奈々ちゃん、会いたかった、会いたかったよう」

 

 自然と涙があふれてきた。でもいいの。もう、泣いたっていいの。奈々ちゃんに会えたから。

 

「あたしも会いたかったよ、結衣ちゃん」

 

「奈々ちゃん、ゴメンネ、ゴメンネ、ゴメンネ――」

 

 あたし、奈々ちゃんに謝る。あの日、わがまま言って、嫌いって言ってしまったこと。今日遅刻したこと。いろいろ謝ることがあって、何から謝っていいから判んないから、ただ、ゴメンネ、って、繰り返す。奈々ちゃん、ゴメンネ――。

 

 

 

 

 

 

「……はい。今着きました。電車が事故で遅れてしまったようで……はい……はい。いえ、いいんですよ」

 

 奈々ちゃんのお母さん、今、公衆電話から、あたしのお母さんに電話してる。

 

「……ええ、私も、結衣ちゃんは遅くなるから、家で待ってるように言ったんですが、奈々が、『結衣ちゃんは絶対来るから、待ってるの!』って、聞かないんですよ――」

 

 ……そうだったんだ。

 

 あたし、こんなに、こんなに遅くなったのに、奈々ちゃん、ずっと、待っていてくれたんだ。あたし、うれしくてうれしくて、もう1度、奈々ちゃんを抱きしめた。

 

「……ええ。ぜひそうしてください。奈々も喜びますから。はい。はい。代わりますね。――結衣ちゃん? お母さんよ」

 

 奈々ちゃんのお母さんはあたしに受話器を渡してくれた。

 

「もしもし」

 

「結衣、やっと着いたのね?」

 

「うん」

 

「奈々ちゃんにはちゃんと謝った?」

 

「うん」

 

「そう。よかったわね。でね、結衣。今日はもう、堀北まで帰ってくる電車が無いから、奈々ちゃんの家に泊めてもらいなさい」

 

「……え? いいの?」

 

「ええ。その代わり、明日は早く起きて帰ってこなきゃダメよ」

 

「うん!」

 

 やった、やった!

 

 奈々ちゃんと会える時間。最初は2時間くらいだった。それが30分になって、すっごく、残念だった。でも、今日は、奈々ちゃんのうちにお泊り。もっともっと、奈々ちゃんと話せる。やったね!

 

「もしもし? 結衣、聞いてる?」

 

「あ、うん」

 

「ちゃんと奈々ちゃんのお母さんに、お礼を言うのよ?」

 

「うん!」

 

「じゃ、奈々ちゃんのお母さんと代わって」

 

「はーい」

 

 あたしは奈々ちゃんのお母さんに受話器を渡した。

 

「奈々ちゃん、今日は、奈々ちゃんのうちに泊まってもいいって!」

 

「ホントに? やったぁ! 結衣ちゃん、あたし、話したいこと、いっぱいあるんだぁ」

 

「あたしも!」

 

 あたしと奈々ちゃんは手をつないで、うれしさのあまり、その場をピョンピョン飛び跳ねた。

 

 その日は奈々ちゃんと一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、そして、一緒のお布団で寝た。でもあたし、奈々ちゃんと一緒なのがうれしくて、ずっと、夜遅くまで起きて、話をしていた。奈々ちゃんのお母さんに、早く寝なさいって叱られたけど、でも、ずっと、話してた。だって、話しても話しても、話し足りないんだもん!

 

 そして、大ニュース!

 

 奈々ちゃん、来年の春になったら、また堀北に戻ってこれるんだって!

 

 やったね!

 

 

 

 

 

 

 翌朝。あたしは5時に起きて帰る準備。奈々ちゃんとお母さん、普段はまだ寝ている時間だと思うけど、わざわざ起きてくれて、あたしを駅まで送ってくれた。

 

「じゃあ、結衣ちゃん。元気でね」

 

 結衣ちゃんとあたし、最後にもう1度抱き合う。

 

「うん。奈々ちゃんもね」

 

 そしてあたしは、電車に乗った。また、少しの間お別れ。でも、本当に、少しの間だけ。春になったら、また一緒に学校に行ける。だから、春までのお別れ。

 

 電車のドアが閉まった。ゆっくりと、電車は走り出す。

 

 あたしと奈々ちゃん、ずっと、手を振り続ける。電車のスピードはどんどん速くなって、すぐに姿が見えなくなっちゃったけど、あたしはずっと、手を振り続けた。

 

 ――奈々ちゃん、本当に、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 市川駅で無事電車を乗り継ぎ、堀北駅に着いたのは、11時過ぎだった。駅の前では、お母さんが待ってくれていた。ああ、怒られるんだろうな。だって、今日は月曜日。今から学校に行くと、給食に間に合うかどうか、って時間。

 

「ただいま、お母さん……その、ごめんなさい」

 

 あたし、恐る恐る言った。

 

「……まったく、しょうがない子ね。お帰りなさい、結衣。どう? 泣かなかった?」

 

 あれ? あんまり怒ってないみたい。

 

「んっと……ちょっと、泣いちゃった。でも、がんばったよ、あたし」

 

「そう。偉いわ、結衣。話はまた帰ってから聞くわね。はいこれ、ランドセル」

 

 あたしはランドセルを受取り、お弁当箱の入ったカバンをお母さんに渡した。

 

「先生とクラスのみんなにも、よく謝るのよ。遅刻したんだから」

 

「はーい」

 

「でもね、謝って、許してもらったら、後は、みんなに自慢しちゃいなさい。1人で奈々ちゃんに会いに行ったこと」

 

「……え?」

 

「だって、結衣、がんばったんだもんね、1人で。だから、みんなに、自慢しちゃいなさい」

 

「うん!」

 

「よし。じゃ、行ってらっしゃい!」

 

「はーい! お母さん行ってきます!」

 

 あたしは、学校に向かって走り出した。時々振り返って、お母さんに手を振る。お母さんは、ずっと、あたしの姿が見えなくなるまで、手を振ってくれていた。

 

 堀北の街。あたしの街。いつもと同じ街だけど、なんだか、昨日までとは、ちょっと違う気がする。気のせいかな?

 

 ――ううん、気のせいじゃないよね。

 

 だってあたし、やりとげたんだもん。奈々ちゃんに会って、謝るってこと。

 

 途中電車を乗り間違えたり、電車が止まって泣いちゃったりしたけど、あたし、最後までやりとげたんだ。そう思うと、なんだか、昨日までとは全然違う1日が始まったような気がするの。

 

 そして、宮崎結衣は、今日もがんばっちゃいます! うん。

 

 

 

 

 

 

(作者オリジナル)

 

 

 

 

 

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