県外の大学に進学し、1人暮らしを始めた奈々に続き、明奈も1人暮らしを始めたというので、あたしは久しぶりに明奈に会いに行った。明奈は、小学校の頃からの友達。高校は別だったけど、家が近いこともあり、ちょくちょく会ってた。奈々と違い、市内の専門学校に進学したんだけど、前から1人暮らしをしてみたかったらしく、バイトをしながらコツコツお金を貯めて、ついに夢を実現させたらしい。あたしは、電話で聞いた明奈のアパートを訪ねた。
…………。
アパートを見て、あたし、言葉を失う。
築30年は経ってるであろう、ボロい……もとい、歴史を感じるアパートだった。奈々のこぎれいなアパートとは対照的。それの103号室が、明奈の部屋。二十歳前のうら若き乙女が、セキュリティもないアパートの1階に住むってのはどうなのよ? と突っ込みのひとつも入れたくなるけど、ま、それは明奈のお金の都合もあるだろうからいいとして……問題は、部屋の中。
「いらっしゃい、結衣。どうぞ、座って」部屋に入ると、明奈はそう言った。
が。
座れと言われても……部屋の中はもう、ゴミ屋敷と言っても過言ではないほど、散らかり放題だった。マンガに雑誌にCDにDVDにゲーム、その他、あらゆるものが部屋中に散らばりまくっている。座る場所など見当たらない。
「ああ、ちょっと散らかってるけど、気にしないで。適当に寄せてくれればいいよ」
……これでちょっとなのか、と言いたいのを我慢し、あたしは言われたと通り適当に片づけ、座った。
「……明奈、あんたよくこんな部屋に住んでるね」
とても人が住める状態に見えない部屋を一望し、あたしは溜息を吐く。
「んー。まあ、ちょっと古いアパートだけど、その分家賃がすごく安いからね」
「いや……アパートじゃなく、部屋がね……」
「へ? どういうこと?」
「いや……何でもない」
どうやら明奈には、この部屋が散らかっているという認識はないようだ。ま、それがいかにも明奈らしくもある。昔からガサツな性格だったもんね、この娘。1人暮らしを始めたという時点で、こうなることは必然だったんだろうな。
「……にしても、窓くらい開けた方がいいんじゃない? なんか、この部屋の空気、よどんでるよ」
「そう? 気がつかなかった」
「開けるね」
あたしは散らばるものをかき分けて道を作り、窓の方へ進む。ほんのわずかな距離を進むのにも時間がかかる。ようやく窓際にたどりつき、窓を開けた。うー。さわやかな空気。下水道から外に出たような感じ。……って、さすがにこれは言いすぎかな。
「あたしんち、1階だからあんま窓開けられないんだよね。ほら、外から部屋が丸見えじゃん?」
と、明奈。ま、確かにそれは言える。窓の向こうは、道路をはさんで6階建てのマンションが建ってて、そこからこの部屋は丸見えだ。でも、それって部屋を片付けりゃそれほど問題ないんじゃないだろうか?
……あれ?
向かいのマンションの2階の窓。少しだけカーテンがあいてる。10センチくらいだ。で、その隙間から、何か見える。あれって、目? 誰かいる?
…………。
うん、そうだよ。あれ、男の人だ。じっと、こっちを見てる。目が合った。あたしは、思わず目をそらす。
「どうしたの、結衣?」
「ん……あそこ」
窓際に来た明奈に、あたしは向かいのマンションの2階の部屋を指さし、教える。「あの部屋、誰か見てる」
「……ホントだ。何? 気持ち悪い」
明奈は嫌悪感をあらわに男を見る。あたしももう1度、男の方を見た。
男は動じたふうもなく、ただじっと、こちらを見ていた。
「ああ、やだやだ。ごめん結衣、やっぱ、窓閉めるね」
明奈は大げさな動作で窓を閉め、カーテンを閉じた。
「なんなの、あれ――」
窓際から離れ、あたしは座りながら明奈に言った。視線は感じなくなったが、まだ、見ているかもしれない、と思うと、なんとなく、居心地が悪い。
「さあ? ただの変態でしょ。美人が珍しいのよ。気にしない気にしない」
明奈、あんまり気にしてないみたい。さすがと言おうか、図太い神経だ。
「でも……何かあったらどうする?」
世間じゃ1人暮らしの女性を狙った強盗やストーカー行為などの犯罪が増えている。明奈が心配だ。
「んー。ま、大丈夫でしょ。このアパート、高級マンションみたいにセキュリティは万全じゃないけど、交番が近いから、このあたりの治安はいいって、大家さん言ってたし」
「そう。ならいいんだけど」
不安はぬぐえなかったけど、明奈がそう言うのなら、と、あたしはそれ以上考えるのはやめにした。その後、しばらく2人でおしゃべりしてるうちに、あたしもすっかり気にならなくなっていた。
「――おっと。もうこんな時間か」時計を見ると、もう10時を回っていた。すっかり、話しこんじゃった。「ごめん明奈、もう帰るね」
「そうだね。すっかり遅くなっちゃったね」
「ん。まあ、また来るよ。今度は、奈々たちも一緒に」
「うん、待ってる。じゃ、気をつけてね」
「はーい。じゃね」
あたしは床に散らばる障害物を巧みに避け、なんとか玄関にたどりつき、明奈の部屋を出た。道路に出て、何気なく空を見た。
「――――!」
心臓が、凍りつくかと思った。
向かいのマンションの、2階のあの部屋。カーテンの隙間から、あの男は、まだ、明奈の部屋を見ていた。窓は閉まってる。カーテンも閉まってる。だから、部屋の中は見えない。なのにその男は、じっと見つめていた。
ずっと、明奈の部屋を見てたのだろうか?
あたしがあの人に気が付いてから、もう6時間以上経ってる。
その間、ずっと?
何も見えないのに、あそこに立って、ずっと?
これは――普通じゃ、ない。
あたしは慌てて明奈の部屋に戻り、そのことを伝えた。
「……ホントだ。さすがに気味悪いなぁ」
窓を小さく開けて隙間から外をのぞく明奈。さすがの彼女も、ちょっと声が怯えてる。
「警察に言った方がいいんじゃない?」
「うーん。その方がいいかな」
あたしはケータイを取り出し、110の番号を押した。数分後、2人の警察の人が駆けつけてくれた。あたしたちは外に出て、向かいのマンションの2階を指さした。「あそこです」
そのときも、その男は、じっと、明奈の方を見ていた。
警察の人は向かいのマンションに入って行った。あたしたちはその場で様子を見守る。
しばらくして。
部屋のカーテンが開けられた。開けたのは、警察の人だった。
「――――!」
カーテンの開けられた部屋の中を見て、あたしも明奈も、言葉を失った。
その男の首には――ロープが巻きついていた。その先は、天井にくくりつけられている。
警察の人が男の体に触れる。男は、ゆらりと揺れた。
あたしと明奈は、すべてを悟る。
そう。
その男の人は、部屋で首を吊って、自殺していたのだ。
人は苦しんで死ぬと、目を開いた死体となる――ウソかホントか、そんな話を聞いたことがある。かっ、と開かれた、その男の目。その視線の先にあったのが、たまたま明奈の部屋だったのだ。
警察の人は、男の死体を調べている。そのせいで、男の体の角度が少し変わった。もう、こちらを見ていない。
安心していいのかどうか判らず、あたしたちはただその場に立ち尽くし、じっと、男の部屋を見上げる。
と、そのとき――。
男の目が、ギロリ、と動き、こちらを見た――ような気がした。
(都市伝説「星を見る少女」より)