お隣の由希さんに、相談したいことがある、と言われ、あたしは、久しぶりに沢村家へあがった。あたしの家族は近所づきあいを大切にするタイプだったので、お隣の沢村家とも親交が深かった。沢村家は、ご主人の英一さん。奥さんの由希さん。そして、5歳になる息子の誠君の3人家族。夫婦そろって美男美女で、誠君も、両親に似てとてもかわいい子だった。
「ごめんね、結衣ちゃん。急に呼び出して。今お茶入れるから、座ってて。あ、コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「じゃあ、紅茶をいただきます」
通されたリビングルームには木目調の立派なテーブルと、ふかふかのソファーが置かれてあった。沢村家に上がるのは6年ぶりくらいかな? 結構来てないけど、前とあまり変わっていない。
「お待たせ」
お盆におそろいのクリーム色のティーカップとティーポットを乗せて、由希さんが戻って来た。テーブルの上に置くと、慣れた手つきでカップに紅茶を注ぐ。
「そういえば、誠君は?」
あたしがそう訊いたとき。
ビクン! と、由希さんは目に見えて判るくらい大きく震えた。ティーポットを持つ手が止まっている。何? あたし、何か変なこと聞いた?
しばらく沈黙。なんだろう? この気まずい雰囲気は。
「ま……誠は2階で遊んでいると思うわ」
由希さんは動揺を隠すような口調で言い、紅茶をあたしの前に置いた。その手は少し震えているように見える。何故だろう?
相談したいことがある、って言ってたよね。何だろう? さっきの様子を見ると、誠君のことかな? これから出かけるから誠君の面倒を見て欲しいとか、逆に来客があるから誠君を連れてどこかに遊びに行って欲しいとか、なんだかそんな単純な話じゃない雰囲気。
なんてあたしが勝手に想像を膨らませていると、由希さんは神妙な顔で話し始めた。
「相談って言うのは――誠のことなんだけど」
……やっぱりね。あたしは熱い紅茶をひと口飲み、じっと、由希さんの次の言葉を待った。
「最近……あのこの子が怖いの……」
……は?
予想外のセリフに、ちょっと面食らってしまう。
怖い? 自分の子供が? よく判らないけど、まあ、育児も色々あるだろう。5歳くらいって、確か反抗期のはず。思い通りにならなくて悩む母親が多いって、テレビか何かでよく見る。由希さんもそれで悩んでいるのだろうか? でも、あたしにそんなこと相談されても困る。あたしは16歳の高校生だ。育児の相談ならお母さんにした方がいい。
「高志――覚えてるよね?」
ビクッ! 今度はあたしが大きく震えてしまった。その名前が、由希さんの口から出るなんて思ってもみなかった。
高志君――英一さんと由希さんの間に産まれた、最初の子供。誠君のお兄さんにあたる。しかし、6年前に亡くなった。由希さんとふたりで公園へ遊びに行き、由希さんが少し目を離した隙に、池に落ちたのだ。確か、今の誠君と同じ5歳の時だったと思う。あのときの英一さんと由希さんの失意に満ちた顔は、今でもよく覚えている。一人息子をなくしたその喪失感は、あたしなんかには想像もつかないけど、なんと言うか、生きる屍みたいな感じだった。それ以降、由希さんは高志君の事を口にすることは無く、あたし達もその話題は避けてきた。翌年誠君も産まれたことだし、忘れられるなら忘れたほうがいい。あ、もちろん忘れるって言うのは、高志君のことじゃなく、高志君を亡くした悲しみを、ってことね。
そんな訳だから、あたし、由希さんの口から高志君の名前が出たことに、驚いてしまったって訳。
「……ええ、もちろん覚えてますよ」
考えてみたら、別に動揺する必要なんか無い。あたしは冷静を装い、答えた。
「実はね、高志は事故で亡くなったんじゃなくて――私が殺したの」
…………。
……え?
何を言ったかよく聞き取れなかった。いや、聞こえたけど、理解できなかったと言った方が正しいかな。それが顔に出てしまったのだろう。由希さんはもう1度言った。
「高志は、私が殺したのよ」
2度聞いても理解できない。何を言ってるんだろう、この人は。高志君を殺した? それはどういう意味だろう? 考える。高志君は、由希さんが少し目を離した隙に池に落ち、溺れて死んだ。由希さんはそのことに責任を感じて、比喩的に、自分が殺したと言っているのだろうか? そうか。そうに違いない。だったら、あたしは否定してあげなきゃ。
「由希さん、あれは事故だったんです。由希さんの責任じゃないですよ」
「違うの。事故じゃない。私が、あの子を突き落としたのよ」
……ダメだ。あたし、この話について行けそうに無い。
て言うか、何でそんな話をあたしにする? 本当に殺したんなら警察に言えばいいし、そうでないなら――例えば由希さんの妄想とかなら、医者にでも話せばいい。こんな話、育児の相談以上に困るんですけど。
なんてことが言えるはずもなく、あたしは帰りたい気持ちをぐっと抑え、とにかく由希さんの話を聞くことにした。下手に口を挟んで刺激するようなことになったら、どうなるかわからないし。
「あの子が産まれたのはもう、11年も前ね。産まれる前はすごく楽しみだったの。だって、私と英一さんの間にできた子なんだもの! きっと、かわいい、いいえ、綺麗な子が産まれるって、思うじゃない。でも、産まれてきたあの子は、とても醜かった! 確かに私と英一さんの間に産まれてきた子なのに、ひどく醜かった!」
ああ、何を言っているんだろう、この人は。あたし、このときはショックで頭の中が真っ白だったので、全然話の内容が判らなかったけど、今思えば由希さん、すごく、人として許せないことを言っていたと思う。確かに、英一さんはモデルの仕事をしていてもおかしくないほどのイケメンだし、由希さんも、女のあたしが見てもうらやましいほどの美人だ。だからと言って、産まれてきた子供が醜いだなんて、言えるものだろうか?
「でも私は我慢したわ。どんなに醜くても、私と英一さんの子なんだからって。でも、あの子が成長していくのを見るのは、とても苦痛だった。耐えられなかった! だから、だから! 運が悪かったのよ。あの日、公園に行ったら、あの子が池のそばに立ったの。周りを見たら、誰もいなかったわ。それで私――」
由希さんは、肩で大きく息をしながら、そこまで一気に話した。あたしはそれを、涙を流しながら聞いていたと思う。母親の身勝手な理由で5歳の生涯を終えた高志君は、一体どんな気持ちだっただろう? 想像もつかない。
「それから1年後、誠が産まれたの。あの子は高志と違って、とてもかわいい、私と英一の間に生まれるにふさわしい子だったわ。やっと私の望む家庭が手に入った。そう思ったの」
由希さんは夢見る少女のような表情で、まるで歌うように言った。ああ、こんな人と今まで仲良く近所づきあいをしていたなんて、寒気がする。
「1週間前だったわ。私は、誠と公園に出かけたの。高志が死んだ、あの公園。あんまり行きたくは無かったけど、別に行かない理由も無いからね。そしたら、あの子が、池の前に立ったの。私が高志を突き落とした、あの池の前に。私は、危ないよ、って言った。そしたら――そしたら!」
由希さんは興奮し、頭をかきむしりながら立ち上がり、叫ぶような口調で続ける。
「あの子が言ったのよ! 振り向いて。『今度は落とさないでね』って――」
振り返った誠君の顔は、醜い高志君の顔だった、と、由希さんは言った。
あたしは逃げるように沢村家を後にした。
そしてその後、由希さんの姿を見ることはなかった。
(都市伝説「今度は落とさないでね」より)