高校に進学し、奈々がバスケ部に入ったので、あたしは必然的に1人で登下校することが多くなった。幼稚園のころからずっと一緒だった奈々がいなくなるのは寂しい――なんて言うのは大げさかな。何と言っても学校もクラスも同じなんだから。それに、あの運動音痴の奈々がバスケ部に入るなんて、相当な決心だったに違いない。親友としては、温かく見守ってあげよう。
そんなわけで、あたしは1人で下校。途中、駅近くにある堀北中央公園のそばを通る。
と、前から自転車に乗った男の人が。フラフラしてて、なんだか危なっかしいな。そう思っていたら、がちゃん。案の定、転んだ。
「大丈夫ですか?」
駆け寄り、声をかける。
ちょっと太めの男の人だった。まだ5月だというのに、半袖のTシャツ。それでもかなり汗ばんでいる。黒ぶち眼鏡に伸ばし放題の長い髪、無精髭。お世辞にもいい印象ではない。はっきり言えばキモイのだけど、さすがに失礼なので、そんなことは言わない。
と、その男の人が。
「宮崎……さん」
あたしの名を呼んだので、思わずビクッとなる。なんであたしの名前を。
「あ、ボクです。向です」
彼はそう名乗った。
記憶をめぐり、そして、やっと思い出した。確か、中学時代のクラスメートだ。存在感の薄い子で、ほとんど記憶に残っていない。卒業後、どこの学校に行ったのか、あるいは就職したのか、全然思い出せない。と、言うより、最初から知らないのだろう。
でもまあ、元クラスメートには違いない。あたしは笑って。「久しぶりだね。元気だった」
「あ……うん」恥ずかしそうにうつむき、微笑んだ。
「あ、すりむいちゃったね」
向君の右肘。少し血が出ている。
「あ、うん。これくらいなんともないよ」
向君は、ぼそぼそと呟くように言った。
確かに大した傷ではないけれど、まあ、ここで会ったのも何かの縁だ。
「傷、洗おう。あたし、絆創膏持ってるから」
あたしたちは公園に入った。水道で傷口を洗い、ハンカチで拭いて、それから絆創膏を貼ってあげる。ピンクのかわいい絆創膏。男の子にはちょっとどうかというものだけど、まあ、仕方がない。
「あ……ありがとう……」
相変わらず小さな声で、もごもごと喋る向君。
「じゃあ、気をつけてね」
あたしは手を振り、そして、別れた。
向君は、姿が見えなくなるまで、ずっとあたしを見ていたようだった。
…………。
翌日。
今日も奈々はバスケ部の練習。あたしは1人寂しく下校。はあ。あたしも何か部活に入ろうかな。でも、得意なことは何も無いし、やりたいことも特に無いし。うーん。
などと考えながら歩いていたら、公園の前で。
「や……やあ、宮崎さん。また会ったね」
聞き覚えのある小さな声。見ると、向君だった。
「あれ? 向君、髪切ったんだ」
向君は、昨日の伸ばし放題の長髪から一転、五分刈りの丸坊主になっていた。思い切ったイメチェンだな。
「似合ってるよ。うん」
あたしは正直に言った。深い意味はない。少なくとも、昨日の長髪よりはいい感じだ。
「そう……? ありがとう……」相変わらずの小さな声。
それ以上会話が続かなかったので、あたしは、「じゃあね」と言って、すぐに別れた。
向君は、やっぱり姿が見えなくなるまで、あたしをじっと見ていたようだった。
家に帰って郵便受けを開ける。あたし宛の手紙が届いていた。誰だろう? 封筒の裏を見る。差出人の住所も名前も書かれていない。よくあるタイプの白い封筒の手紙だけど、なんだかこんもり膨らんでいる。80円では送れそうもない大きさだ。何だろう? あたしは家に入り、その封筒を開けた。もさっとした黒いものが入っていた。何、これ? あたしは手に取ってよく見る。しばらくそれをいじって。
――――!
あたしは、放り投げた。
それは、髪の毛だった。たくさんの、封筒いっぱいの、髪の毛。
それ以外は、何も入っていない。
これは一体何? 何で、こんなものを送って来たの? 誰が?
もちろん、考えたって判るはずもない。あたしは封筒と髪の毛を拾うと、ゴミ箱に投げ捨てた。こういうものは取っておいて、警察なり弁護士なりに相談した方が良いのだろうけど、このときのあたしに、そこまで考える余裕はなかった。すぐに洗面所に行き、取り憑かれたように手を洗う。お母さんがやって来て、「どうしたの?」と、心配してくれたけど、話さなかった。話したくなかった。一刻も早く忘れたかった。
そして、翌日。
憂鬱な気分で1日を過ごしたあたし。今日も1人で帰宅だ。
そして、公園の前で。
「や……やあ、宮崎さん。また……会ったね」
向君だった。
「こんにちは。よく会うね」あたしは、無理に笑って答えた。
と、向君の右手に目が止まる。
包帯でぐるぐる巻きになっていた、わずかに血がにじんでいる。どうしたのだろう?
「ああ。ちょっと、ドアに挟んじゃってね。爪が、剥がれちゃったんだ。全部」右手をさすりながら、不気味に笑う向君。
何と言っていいか判らず、あたしは黙ってる。
爪が全部剥がれた? ドアに挟んで? どんな挟み方をしたら、全ての爪が剥がれるのだろう?
「そう……じゃあ、気をつけてね……」
ようやくそれだけ言い、あたしは別れた。やっぱり向君は、姿が見えなくなるまで、あたしをじっと見つめていたようだった。
あたしの胸を言いしれぬ不安が支配していた。そのまま家に帰り、そして、予感が的中した。
郵便受けを開けると、また手紙が入っていた。昨日と同じ封筒。昨日と同じあたし宛。昨日と同じ、差出人の名前はない。昨日と違うのは、封筒があまり膨らんでいないことだ。何気なく振ってみる。カサカサと、イヤな音がした。
開けたくないけれど、開けずにはいられない。封筒を破り、開けた。手の上に出すのはイヤだったので、そのまま中身を地面にひっくり返した。半透明の、楕円形で湾曲したものが出て来た。それが5つ。大きさは不ぞろいだ。大きいものもあれば、小さなものもある。一瞬、何か判らなかった。じっくり見て、その正体を知る。
爪だ。
人の、手の指の、爪だ。
大きいものは親指、小さいものは小指のものだろう。5つということは、片手の指の爪、全部なのだろうか。
見たくないけれど、目を逸らすことができない。どうやって剥がしたのだろうか? 少なくとも、整形手術等、まっとうな手段ではがしたわけではなさそうだ。全ての爪には、黒く乾いた血の跡。そして、ところどころにピンク色の部位も見える。恐らく、肉片だ。マイナスドライバーを指と爪の間に突っ込み、無理矢理剥がした。そんなイメージが浮かぶ。
あたしは封筒を投げ捨てた。風に乗り、どこかへ飛んでいく。そのまま逃げるように家に入った。玄関にはしっかりと鍵をかけ、2階に上がり、自分の部屋に閉じこもる。お母さんが心配して、どうしたの? と訊いてくれるけど、とても言う気にはなれなかった。早く忘れよう。それが一番だ。そう思った。もちろん、忘れられるはずもないけれど。
翌朝。重い足取りで家を出る。玄関の前に、爪はもうなかった。お母さんが掃除したのか、あるいは風で飛んで行ったのか、それは判らない。
夕方になり、下校時間となる。やっぱりあたし1人だ。いつもの帰り道を通ることはできなかった。遠回りだけど、別の道を通り、家に向かう。
頭をよぎるのは、送られて来た髪の毛、爪、そして――髪を切り、ドアに挟んで爪が剥がれたと言う、向君。
結びつけることは容易だった。でも、髪も爪も捨ててしまった以上、証拠は何も無い。せめて帰り道を変え、会わないようにしたかった。そんなことに意味があるのかは疑問だったけれど、少なくとも、もう会いたくはなかった。
でも――。
「やあ……宮崎……さん」
コンビニの角を曲がったところで、声を掛けられた。向君だった。
息を飲む。高校からの帰り、あたしがこの道を通ることはまずない。なのになぜ、向君はここにいるのだろう?
あたしが言葉を発することができずにいると。
向君が、ニヤリと笑った。
歯が、無かった。
その瞬間、あたしは駆け出した。無我夢中で走る。向君が追いかけてくることはなかったけれど、やはり、姿が見えなくなるまで、じっとあたしを見つめていたようだった。
そして。
家の郵便受けには、例の封筒が入っていた。
もう開けることはできなかった。すぐにお母さんに相談し、2人で警察に行った。事情をすべて説明し、封筒を渡す。あたしは怖くて中身を確認することはできなかった。後でお母さんから話を聞く。やはり、中身は歯だったらしい。
そして、翌日。
被害届は出した。最近はあのような、いわゆるストーカー行為に関する規制が厳しくなっている。事情はすべて説明したし、現物もある。DNA鑑定なり、歯型の照合なりで、誰のものか特定するのは難しくないだろう。でも、それには時間がかかるはず。
授業が終わった。今日はとても1人で帰る気にはなれなかった。奈々の部活が終わるのを待ち、他にも男の子たちに事情を説明し、一緒に帰ってもらうことにした。さらに、ものすごく遠回りになるけど、今まで1度も通ったことのない道を選ぶ。普通に考えれば、向君に出会うはずはない。でも、昨日も出会ってしまった。もしかしたら、学校からずっとつけているのかもしれない。きょろきょろとみんなで警戒しながら歩く。
そして、普段の倍以上の時間をかけ、あたしは家に着いた。向君には会わなかった。警察に相談したのを知って、やめてくれたのかもしれない。郵便受けを見てみたけど、何も入っていなかった。良かった。まだ安心はできないけれど、ひとまず、ほっと胸をなでおろす。奈々と男の子にお礼を言い、家に入った。そして、2階に上がろうとしたとき。
ピンポーン。チャイムが鳴る。
「宮崎さーん。お届け物でーす」男の人の声。
ぎくり、とした。お届け物? 何だろう? イヤな予感はしたけど、出ないわけにはいかない。あたしはドアを開けた。
「――――!!」
言葉を失う。
そこには、宅配便の人が2人と。
そして、大きな――とても大きな箱が、1つ。
高さは、あたしの身長よりも高い。180センチくらいだろうか。横幅も奥行きも、1メートル近かった。
ふと、これまで送られて来たものを思い出す。
向君の髪が無かった。髪が送られて来た。
向君の爪が無かった。爪が送られて来た。
向君の歯が無かった。歯が送られて来た。
そして今日は――。
向君の姿が無かった。大きな箱が送られて来た。
それは、人が1人、すっぽりと入れるほど大きさだ。
「宮崎結衣さんに、クール便で届いてます。こちらにハンコかサインをお願いします」
事務的な口調で言う宅配の人。
「……いりません」
「は?」
「あたし、これ、いりません! 持って帰ってください! 送り返してください!!」
狂ったように叫び、そして、ドアを閉め、鍵を掛けた。宅配の人はしばらくそこにいたようだったけど、諦めたのか、いつの間にかいなくなっていた。箱は、もう無かった。
その後、あたしが向君と会うことはなかった。
あの箱がどうなったのか、あの中に何が入っていたのか、あたしは今でも知らない。知りたくもない。
(都市伝説「贈り物」より)