5月。ゴールデンウィークを利用し、あたしは県外に住んでいる奈々のところへ遊びに来ていた。去年の春、引っ越しを手伝ったとき以来2度目の訪問。奈々の住む街は、あたしの住む街・堀北よりもずっと都会で、買い物や遊ぶところがたくさんある。なので、1日目は、街でいろんなお店をめぐり、遊びまくった。そして2日目。前日の疲れもあるので、今日は部屋でゴロゴロすることになった。適当にお菓子でも食べながらテレビを見たりおしゃべりしたりする。
時計を見る。うわ。もう10時だ。もちろん夜。あっという間の1日だったな。ぐう。お腹が鳴る。そう言えば、夕ごはんがまだだ。お昼にインスタントラーメンを食べ、それから適当にお菓子をぱくつきながらおしゃべりしてたから、すっかり忘れてた。さすがにお腹空いたな。
「ご飯、どうしようか?」奈々に訊く。
「うわ。もうこんな時間か」奈々も時計を見て驚いた。「そうだなぁ。今から作るのは面倒だし、どこか食べに行く?」
「いいけど、いいところあるの? この時間に」
「うん。バッチリ。10分ほど歩くけど、イタリアンのファミレスがあるよ。安くておいしいの。夜中までやってるよ」
「お? やったね。じゃあ、行こうか」
あたしたちは適当に準備を整えると、すぐに出かけた。廊下の突き当たりにエレベーター。奈々のアパートは6階建てで、部屋は最上階の6階にある。上り下りにこのエレベーターは欠かせない。ピッ、と、下のボタンを押す。出入り口上部の数字のランプが、1……2……と変わっていく。あたしたちは、何食べようか、ドリアがおいしいんだよね、あそこは珍しくイカスミのパスタがあるよ、女の子同士じゃないと食べられないよね、などと話しながら待つ。やがてランプが6を示すと、ドアが開いた。あたしが先に乗り、後から奈々が続く。そして、1階のボタンを押そうとして。
――――。
手が止まった。
この階を除く、1階から5階、全ての階のボタンが押されていたのだ。もちろん、エレベーター内には誰もいない。
どうしていいか判らず、そのままの格好で固まってしまうあたし。
しばらくして、ドアが閉まった。
「……誰かのイタズラかな」奈々が言った。
それで、ようやくあたしの金縛りは解ける。「そ……そうだよね。もう。誰よ? こんな明奈みたいなイタズラするのは」
「あはは。ホントだね。あの娘ならやりそう」
2人で笑う。そうだ。ただのイタズラだ。全部の階に止まるのは面倒だけど、しょうがない。それでも階段を使うよりは早いだろうし、特に急いでいるわけでもない。
すぐに5階に着く。誰かが乗ってくるとイヤだな。これ、あたしたちがやったと思われるんじゃないだろうか。そんな心配をする。
ドアが開いた。
――――。
あたしと奈々、言葉を失う。
女の人が立っていた。それは別に構わないのだけど、おかしいのは、その立ち方。出入口から2メートルほど離れたところに、うつむいて立っていた。長い髪がだらんと垂れさがり、顔は見えない。
女の人はそのまま動かず、ただ立っているだけだ。
やがてドアが閉まる。慌ててあたしは、「開」のボタンを押す。
「あの、乗りますか?」訊いてみた。女の人は、白のTシャツにジーンズと、いたって普通の恰好だ。立ち方以外に不審な点はない。
しかし。
あたしの問いかけに、女の人は返事をしなかった。その状態のまま、ただ立ちつくしているだけ。
「……ねぇ。行こうよ」奈々が言う。
一応、乗るか乗らないかは訊いてみた。返事が無いと言うことは、乗らないということだろう。じゃあ、なんであんなところに立っているのだろうか? 判らないけれど、とにかく、それ以上待っている必要はない。あたしは「閉」のボタンを押した。ドアが静かに閉まった。
「何だったのかな……」奈々、不安げ。
「さあ……? すごく人見知りする人なんじゃない?」
冗談交じりに言ってみるけれど、奈々は曖昧に笑うだけで、不安はぬぐえなかった。
4階に止まるエレベーター。全ての階のボタンが押されてあるのでしょうがない。ドアが開いた。
――――!
再び絶句するあたしたち。
ドアの前には、ジーンズに白いTシャツの女の人がいた。うつむき、髪をだらんと垂らし、顔が見えないように立っている。
間違いない。さっき、5階にいた女だ。
なぜ、ここにいるのだろう。もちろん、すぐ下の階だ。ダッシュで階段を下りれば、エレベーターより早く着くことは不可能ではないだろう。しかし、そんなことをする理由が判らない。なぜ、先回りして同じ位置に立つ必要があるのだ。
いや――。
あたしは気付いた。同じ位置ではない。
さっきより、ほんの少しだけ近い。30センチくらいだ。約、1歩分。
ドアが自動で閉まった。今度は、「開」のボタンは押さなかった。
「何……あの人」奈々、痛いくらいにあたしの腕を握る。
「わかんない……」そう答えるしかなかった。ただ、ぎゅっと奈々を抱きしめる。
そしてエレベーターは、3階に止まる。
ドアが開く。止めることはできない。
――――!!
やはり、その女はいた。
さっきよりも、さらに1歩、近い位置に立っていた。
後何歩だろうか? ふと、そんなことを考えた。
もう、1メートルもない。恐らく2歩で、エレベーターに入ることができる。
あたしは慌てて「閉」のボタンを押す。ドアが閉る。女は動かない。
でも、それで恐怖が去ったわけではない。それは、あたしも奈々も判っていた。
2階に着いた。開くドア。
女は、ドアのすぐ前にいた。
あと、1歩。
ボタンを押し、ドアを閉める。それで逃げられるとは思えないけれど、押さずにはいられない。
そして。
エレベーターは1階に着いた。
嫌だ。
開いてほしくない。
開かないで!
お願い!!
あたしたちの祈りは届かない。
ドアが開いた。
今までで、一番ゆっくりとした動きに思えた。
2人で息を飲む。
しかし。
そこには、誰もいなかった。
ほっと、息を吐く。
良かった。どこかに行ったんだ。もう、安心だ。
そう思い、外に出ようとしたけれど。
――――。
いつの間に中に入って来たのか。
エレベーターのボタンのところに、あの女が立っていた。
相変わらずうつむき、髪の毛をだらんと垂らし、顔は見えない。
ドアは開いている。早く下りなければ。そう思うけど、体は金縛りにあったかのように動かない。奈々も同じ。恐怖の視線を、女に向けている。
そして――女が、口を開けた。
「……何階から落ちますか?」
にやり、と、笑った気がした。
閉まり始めるドア。
その瞬間、あたしは。
奈々の手を引っぱり、全速力で駆けだした。間一髪、ドアが閉まる前に外に飛び出す。振り返らず、そのまま走った。女は追いかけて来ない。それが判っても、走るのをやめない。とにかく、あのエレベーターから離れたかった。
どのくらい走ったか。息が切れ、それ以上走ることができなくなり、あたしたちは、ようやく走るのをやめた。道端に座り込み、息が整うのを待つ。
何事もない、普通の夜の街並みが、そこには広がっていた。
しばらくしてアパートに戻ると。
パトカーや救急車、何台もの緊急車両が、アパートの前に停まっていた。
集まっている野次馬の人に話を聞く。どうやら、エレベーターで事故があったらしい。ワイヤーが切れ、6階から落下したらしいのだ。男の人が乗っており、まだ救助はされていない。生存は絶望的だろう、とのことだ。
その後しばらく、エレベーターは使用できなかった。
あたしは次の日には堀北に帰ったけど、奈々は、今でもそのアパートに住んでいる。
しかし、運転が再開されても、奈々はもう2度と、そのエレベーターは使わなかったそうだ――。
(都市伝説「何階から落ちますか?」より)