大学のロビーは、午後になると人でごった返すけど、その日はわりと空いていた。昼食を終えたあたしと理名と亜美の3人は、空いてる席に座る。食後から午後の授業までの間のこのおしゃべりタイムが、大学での唯一の楽しみといっても過言じゃないのよね、あたし。ま、話すことは、どこどこのカフェのアップルパイがおいしかっただの、この前雑誌で取り上げていたファッションはイマイチだの、たわいのない話ばかり。今話しているのは、昨日の成人式の話。そう、昨日、晴れてあたしたちも大人の仲間入りをしたのだった。今日はもう、その話題で持ちきり。
「昨日の亜美の振袖、かわいかったなぁ。あたしもピンクにすればよかったよ……」
「理名の水色も、落ち着いた感じで良かったよ」
「にしても、直樹君にはショックだったなぁ。中学の時はスッゴイカッコよかったのに……なんであんなに太っちゃったかなぁ」
「思い出は思い出のままでいる方がよい時もある。現実は厳しい物なのよ」
「さようなら、あたしの初恋」
理名も亜美もあたしも、今日は一段とハイテンション。ずっとしゃべっている。ま、話の内容自体は別にどうでもいいんだけど(なんて言ったら、絶対理名も亜美も怒るだろうけど)、話している理名と亜美を見ているのは楽しい。
「あいた!」
話を聞きながら私、首をちょっと振ったら、前髪が目に入ってしまった。そろそろ前髪切らなきゃね。ポーチの中から鏡を出そうとして思い出した。そうだ、今日は鏡を家に忘れてきたんだった。
「ねえ、理名。ちょっと鏡貸して」
「ん」
理名は話を中断し、鞄から手鏡を出してあたしに渡してくれた。
「うわ……何、この鏡」
受取った鏡を見てあたし、少しひいてしまう。だってこの鏡、持つところから鏡の裏側まで、一面真紫なんだもの。お世辞にも趣味がいいとは言えない。
「あんたねぇ。年頃なんだから、もっとかわいいの買ったら?」
「鏡なんて映ればいいの。何使ったって一緒よ。ちなみにそれ、100円ショップで買ったヤツ」理名、なんだか得意気。安いのを自慢するなんて、大阪のオバちゃんか、あんたは。
「……にしても、これはねぇ」呆れ声で言うあたし。「呪われてるみたい。20歳になる前に忘れないと死んじゃうよ?」
「ん? 何それ?」
「あれ? 知らない? ムラサキカガミ。二十歳になる前死んじゃった女の子の話。あたしの中学校では結構話題になったけどなぁ」
「しらなーい。亜美、知ってる?」
「ううん、知らない」
「えーそうなんだ」あたし、少しカルチャーショック。有名な話だと思ってたのに、まさか知らない人がいたなんて。でも同時に、うれしくもなる。だってこの話、すっごく、怖いんだもの。
「あのね、昔、すっごく綺麗な女の子がいたの。いつも鏡で自分の顔を見て、満足していたそうよ。でもね、その女の子、17歳のとき事故に遭って、顔に大きな怪我を負ってしまったの。綺麗な顔は見る影もなくなり、ひどく醜い顔になってしまった。その子は自分の顔を見るのが嫌になり、家中の鏡を紫の絵の具で塗りつぶしてしまったの。そのうちその子は部屋から1歩も出なくなり、ずっと、閉じこもってたそうなの。で結局、二十歳になる前に衰弱して死んだそうよ」
あたしここで一呼吸置く。理名も亜美も、今のところ、全然怖がってない。でも、この話の本番はこれから。
「でね、おもしろいのが、この話を聞いた人は、二十歳になる前にこの話を忘れないと、この女の子同様、成人できずに死んじゃうんだって!」
精いっぱい凄みを込めて、言った。
……しかし。
「……へぇ」
理名、全然怖がった様子もなく、さらっと言う。少しガッカリ。
「少しは怖がってよ。あたし中学の時この話聞いて、怖くて眠れなかったんだから」
「いや……だってもう二十歳になっちゃてるし」
……ごもっとも。この話って、二十歳になる前に聞くから怖いんだよね。聞いただけで死ぬ、なんて、すっごい強烈なインパクトなのに、忘れないと助からないって、今思うと、ホント、よくできた話だと思う。中学生怖がらせるにはもってこい。作った人、罪だわ。
「昔はこんな話ばっかりしてたなぁ」あたしは当時を思い出しながらつぶやいた。
「あんたの昔の話って、そんなのばっかりだよね」理名、少し呆れ気味の声。「『今あなたの後ろにいるの』とか、『今度は落とさないでね』とか。そんな話、どこから出てくるの。ねぇ、亜美」
亜美の方を見ると……あれ? なんだか青い顔してる。
「どうかした? 亜美」心配になって聞く。
「え? あ……いや、別に何でも……」
と、亜美は言うものの、その顔も反応も、全然何でもなさそうには見えない。
「どうしたのよ、一体?」と理名。
「別に大したことじゃないのよ……あたし、その……まだだから」
……あ。しまった。うっかりしてた。
あたし、亜美の「まだ」と言う言葉を聞いて思い出す。亜美の誕生日は1月18日……3日後だ。昨日成人式を終えたから、すっかりみんな二十歳になったと思っていたけど、あたしや理名と違い、亜美はまだ19歳。うー。あたしって何てマヌケなの。自分を呪う。
「で……でも、ほら! こんなの、よくある怪談話よ! ホントに死ぬわけないじゃん」あたし、慌てて言う。
「そうよ。話聞いただけで人が死んだら、殺し屋なんて商売あがったりよ!」
理名、なんだか変なことを言っているけど、あたしの失態をフォローしてくれているので、とりあえず突っ込まないようにする。
「ううん、わかってる。大丈夫。死んだりするわけないよ。ただ……」
「ただ?」
「結衣の怖い話って、時々、すごくリアルだから……」
がーん。ああ、あたしってホント、無神経な女。ゴメンネ、亜美。
その日は1日気まずい雰囲気で、あたしたちは別れた。
翌日の大学ロビー。いつもの通りにぎわってて、いつもの通り、あたしと理名が席に着くけど、亜美がいるはずの席は、今日は空いてる。亜美、今日はまだ、学校に来ていない。
「やばいよぅ。亜美、絶対怒ってるよ……」
あたし、昨日あんな話をしてしまったことを、死ぬほど後悔。そりゃあ、二十歳直前に、二十歳になる前に忘れないと死ぬ、なんて話を聞かされたら、怒るのも無理はない。それって、あんたなんか死ね、って言ってるようなもんじゃない。ああ、あたしって最低だ。亜美に謝らなくちゃ。
「大丈夫だよ。亜美、そんなことでいつまでも怒ったりしないよ。明日は来るって」
理名のなぐさめの言葉がありがたい。今はそれだけが救い。でも亜美に謝らないと、この後悔の念は消えない。ああ、早く亜美に謝りたい。
でも、その翌日も、亜美は来なかった。
心配になって電話するけど、留守電につながるだけ。
その日、あたしと理名はほとんど無言だった。連絡もなく2日も姿を見せないなんて、今まで無かった。すごく嫌な予感。
その翌日――誕生日当日も、亜美は来ない。
さすがにいても立ってもいられなくなり、あたしと理名、授業なんかほっぽりだして、亜美の部屋に行く。亜美は、大学から少し離れたマンションで1人暮らしをしている。玄関の横についてるインターフォンを押した。
…………。
誰も出ない。もう1度押してみたけど、結果は同じ。壊れてるのかもしれない、なんて、あたし思い、今度はドアを叩く。亜美の名前呼びながら、結構激しく。でも、やっぱり反応が無い。
そのとき、隣の部屋のドアが開いて、中年の女の人が出てきた。
「あ、おばさん、亜美知りません?」
あたしと理名、結構亜美の部屋に遊びに来るから、このおばさんとは顔見知り。何か事情を知ってたら、教えて欲しい。
「ああ、亜美ちゃんねぇ。最近、姿を見ないの。夜も電気がついてないから、ずっと帰ってないんじゃないかねぇ」
ヤバイ、意識飛びそう。
倒れそうになったあたしを、理名が支えてくれた。帰ってない? 帰ってないって、どういうこと? あたし、亜美に謝りたいのに、謝らなきゃいけないのに。亜美、いない。ずっと帰ってない。今日が二十歳の誕生日なのに、亜美は帰っていない。なんで? なんで? なんで?
あたし、理名に支えられながら、マンションを後にする。……ダメ。歩けない。あたしたちは近くの公園のベンチに座った。理名が自販機でジュースを買ってきてくれた。あたしはそれを受取ったけど、開けることはできない。頭が働かないの。亜美がいない、亜美がいない、って、ずっと繰り返しているだけ。そのうち、何でいなくなったの? って、考えるようになる。でも、そこで考えるのをやめちゃう。それは、考えちゃダメなこと。そんなこと、ありえないから。……でもね、その先は考えちゃいけない、とか、ありえない、とか思う時点で、あたし、その先に考えが行っちゃってるわけで、ただその考えを否定したくて、考えないようにしなくちゃって思ってるわけで……もう、訳わかんない。
「――結衣」理名、あたしの顔を覗き込む。元気出して、って言ってるような、優しい顔。そんな理名を見ていると、あたし、心がゆるむ。
「亜美……死んだりしてないよね」
あ、言っちゃった。これ、言っちゃいけなかったのに。言うと不安が膨らむから。膨らんだ不安に、あたし耐えられそうに無いから、だから、言わないように……考えないようにしてたのに、ついに言っちゃった。
「バカね……そんなことあるわけ無いでしょ」理名はやさしく答える。
「でも、亜美、いなくなっちゃった。あたしがムラサキカガミの話なんかしたから、亜美がいなくなっちゃった! 亜美、まだ19歳だったのに。どうしよう……あたしのせいで、あたしのせいで、亜美が!」あたし、いつの間にか涙流してる。亜美がいない。これって多分、罰。あたしがあの日、亜美を傷つけた罰。そう、全部、あたしのせい。
「結衣!」理名、すっごく怖い顔であたしを見る。「今度変なこと言ったら、ひっぱたくよ!」
あたし、ビックリして、思わず黙っちゃう。だって、こんな理名、初めて見たもの。理名が怒ったことなんて、今まで、無い。
でも理名、すぐにいつもの笑顔に戻る。そして、あたしの頭をなでながら、やさしく言う。
「亜美は死んだりしないよ。大丈夫、まだ、たった3日学校休んだだけなんだから。ね? だから、今日はとりあえず帰ろう? それで、明日も亜美がいなかったら、どうすればいいか、2人で考えよう」
亜美は死んだりしない――これ、今、あたしが一番言って欲しかったセリフ。あたしの心、この一言でかなり楽になった。ありがとう理名、って言おうとしたけど、できなかった。声の変わりに、涙がまた出ちゃったから。だからあたし、代わりに理名の胸で泣く。理名、そんなあたしの頭を、ずっとなでてくれる。
どれくらい泣いたかな。いつの間にか夕方になっていた。あたし、ようやく落ち着いてきた。理名の言うとおり、あんな話で人が死ぬなんてバカげてる。大丈夫、亜美は大丈夫! そう自分に言い聞かせ、立ち上がった。
そのとき。
「あ、結衣と理名じゃない。何してるの、こんな所で?」
…………。
あれ?
この声って……。
あたしと理名、声のしたほうを見て、2人で叫ぶ。
「亜美!!」
そこには確かに、亜美がいた。
「ど……どうしたの? 2人とも」
亜美、きょとんとしている。何があったか判らないって顔。どうしたのじゃないでしょ! こんだけ心配させといて!
「亜美……無事だったんだ……良かった」
「無事じゃないよー。ずっとバイトが忙しくってさ。家に帰るヒマもなかったの。3日も泊りがけで働かされたの! もう最悪だよ、せっかくの二十歳の誕生日なのにさぁ。……で、結衣。何で泣いてるの?」
……何? このあっけらかんとした態度は。
「あ……あたし。ずっと心配してたの。だって、あたしがムラサキカガミの話をした後、亜美、すごく気にしてたみたいだから。あたしが無神経だったから、亜美、怒ってるんじゃないかって。もしかして、ホントに死んじゃったら、どうしようって……」
「ムラサキカガミ……あ、ゴメン。忘れてた」
…………。
おいっ!!
あたし、心の中で、亜美の頭をハリセンで思いっきりひっぱたく。
何だったのよ、あたしのこの3日間は。
あの日、あたしの話を聞いてあれだけ心配そうな顔してたのに、すぐに忘れるって……まったく、長生きするよ、この子は。
でも――あたしその日はずっと泣いた。亜美が怒ってなかったことに安心して、涙が止まらなかった。亜美ったら、悪いのはあたしなのに、「心配かけてゴメン」って、あやまったりするから、余計涙が止まらなくて……。理名も「良かったね」って、頭をなでてくれて……って、あたしは子供か。
その日はそのまま、亜美の部屋で誕生パーティー。近所のケーキ屋でケーキ買って、ついでにコンビニでお酒も買ったりして。隣のおばさん、うるさくて今夜は眠れないかもしれない。でも今晩だけは許してもらおう。だって、あたし達3人が二十歳を迎えたこの日は、もう2度と無いんだから。
あたし、理名も亜美も大好き、うん。
(都市伝説「ムラサキカガミ」より)