朝、眠い目をこすりながら、あたしは大学のロビーに向かう。いつもここでコーヒーを飲みながら理名と亜美とおしゃべりをし、それから授業に向かうのが日課。ぐるりとロビーを見回す。あ、理名いた。でも、亜美の姿は見えない。朝が弱いあたしと違って、亜美は朝から常にハイテンション。あたしより遅く学校に来ることなんて、めったに無いんだけどな。
「おはよー、理名。亜美は?」あたし、自販機で紙コップのコーヒーを買って、理名の正面の席に着いた。
「おはよ、結衣。亜美は研究室」
「研究室? まさか、また?」イヤな予感。
「そう、また。今日提出のレポートをまとめてるんだって。昨日の夜から徹夜でやってるみたいだよ」
やっぱりね。あたしたちが「また」というのも当然で、亜美はよく徹夜でレポートを書いている。それはまあ大学生としては珍しくはないんだけど、問題はその内容だ。これまでの亜美のレポートは、海水から金を抽出するとか、パンを食べると犯罪者になりやすいとか、食べ物を床に落としても3秒以内に拾えばセーフだとか、ツッコミの1つも入れたくなるテーマばかりなのだ。しかし、なぜかそれらのレポートは教授から大絶賛。世界犯罪心理学会議や世界食糧サミットで発表され、世界中から注目を集めている。そればかりか、ノーベル賞候補になりそうだ、なんてウワサもあり、もう、ワケが判らない。
「で、今度のテーマは何?」あたしはコーヒーのカップをテーブルに置いてから訊いた。ヘタに飲みながら訊くと、吹き出してしまう恐れがあるからだ。
「笑っちゃうわよ。霊感だってさ」
「――――」
絶句するあたし。
れいかん? ひょっとして、霊感のこと? あたしが持ってる、無駄な能力ナンバー1の、アレ? いや、亜美が調べることだ。もっとこう、ワケの判らないものに違いない。他にれいかんと言うと……冷感? それとも冷汗? いやいや0巻かな? そうか。それだ。マンガとか小説とか、なぜ1巻から始まるのだろう、なんて研究してるに違いない。
「……そんなわけないでしょう。霊感よ、霊感。幽霊とか見る力。あんたの得意分野よ」
やっぱりそうなんだ。亜美、霊感について調べてるんだ!
霊感――人には見えないものが見えたり、聞こえない音や声が聞こえたりする能力。あたしには、子供の頃からその力があった。でも、だからと言って何か得したということはない。むしろ、見たくもないものが見えてしまうので、迷惑している。何のためにこんな能力があるんだろう? と、常々悩んでいた。
でも!
亜美がその霊感について研究している。あたしのこの力は何なのか? 何のために存在するのか? 長年追い求めてきたその答えを、亜美が出してくれるのかもしれないのだ!
「あんまり期待しない方がいいわよ。所詮、ありもしない能力を研究してるんだから」つまらなそうに言う理名。
理名は根っからの現実主義者だ。幽霊や超常現象などの非科学的なものは全く信じていない。あたしが今まで体験した不思議な出来事を話しても、「何バカなこと言ってんの?」という目を向けるだけで、全く取り合ってもらえない。
「そんなことないよ。霊感は、確かに存在するの。亜美が調べてるんだから、間違いないでしょ?」
「そうとは限らないわよ。色々調べた結果『霊感なんてものは存在しませんでした』って結論になると思うけど?」
理名、全く関心が無いという口調。むう。相変わらずの石頭だ。あたしが何を言ってもムダだろう。
まあいいや。亜美のレポートを見れば何か判るでしょ。早く亜美、下りて来ないかな。あの娘のレポートが待ち遠しいなんて初めてだ。しばらくワクワクしながら待ってると。
「あ、亜美だ」
理名がロビーのはずれにあるエレベーターを指差した。亜美、眠そうに大きなあくびをし、こっちへ来る。
「おはよー、結衣、理名」
「おはよ、亜美。またレポートまとめてたんだって?」
「うん。おかげで眠くて眠くて……コーヒー、もらうね」
と、亜美はいつものようにあたしのコーヒーを飲む。
「で、できたの? 霊感のレポート」自然と目が輝くあたし。
「ん、一応。読む?」
「ううん。どうせ難しくて解んないからいい。簡単に説明してくれる?」
「……まあいいけど」呆れたような顔の亜美。でも、ちゃんと説明してくれる。
亜美の研究によると、霊感は、脳の働きに関係しているのだそうだ。
人の脳には、電気信号を発生させる特殊な神経細胞が集まっている。何かを感じたり、何かを考えたりするときに、脳は電気信号を発するのだ。いわゆる、脳波である。脳波は体内だけにとどまらず、体の外にも放出されているのだけど、通常、その範囲は極めて狭く、すぐに消えてしまう。しかし、脳波の力によっては、非常に広い範囲を飛び交うこともあるらしい。
つまり、強く感じたり、強く念じたりすると、その分脳波は強力になり、遠くまで飛んでいくというわけだ。
そして。
脳波は普通、専門の機械などでないと読み取ることができないけど、ごくまれに、機械など無くても感じ取ることができる人が存在するらしい。
「あたしが思うに、結衣みたいな、いわゆる霊感体質って人は、脳波を感じ取る力が強いんじゃないかな」コーヒーを一気に飲み干す亜美。あたしのコーヒーなのにひと口も飲めなかったけど、そんなことはどうでもいい。
「どういうこと? なんで他人の脳波を感じる力が、霊感になるの?」
「脳波を感じるということは、その人の考えたことが判るということなの。つまり、他人が思い描いたことが、自分が思い描いたことのようになってしまうわけ。例えば、あたしが理名のことを考えていたとする。結衣がその脳波を感じ取れば、ここに理名がいなくても、姿が見えてしまうのよ」
「――――」
「でね、ここからが重要なんだけど……脳波っていうのは、あまりにも強いと、その場に残ってしまうことがあるの。その人いなくなっても、そこにずっと、とどまり続けてしまうの。そういう脳波がとどまっている場所に結衣が行くと、とどまっている脳波が、結衣の脳に入ってくるわけ。だから、聞こえるはずの無い声が聞こえたり、見えるはずの無いものが見えたりする」
……なんとなく判って来たぞ。
例えば、車にひき逃げされ、死んだ人の霊が出ると言われる道があったとする。
その人は、車にはねられたとき、「痛い」とか、「苦しい」とか、「犯人が憎い」とか、思うはずだ。その思いが非常に強力だと、脳波は、そこにとどまり続ける。
そして、あたしがその道を通ると、その強力な脳波を感じ取る。それが幽霊に見えるのだ。
「そう。その通りよ」亜美、結衣にしては良くできました、という顔。
何と言うか……。
このレポート、すごい。すごすぎるよ! 霊感なんて正体不明の力が、そんな科学的に解明できるなんて! さすが亜美だ!!
理名を見る。レポートを読みながら、頷いている。反論する様子はない。理にかなった説明に、さすがの現実主義者も納得している様子。
「まあ、まだ仮説の段階だけどね。実際にその通りになると証明したわけじゃないの。このレポートが注目されたら、もっと詳しく研究するつもりよ。そのときは、結衣にも協力してもらうからね。何と言っても、いちばん身近な実験体なんだから」
実験体って言い方は引っかかるけど、でも、そうなったら全面的に協力させてもらおう。なんせ、長年のあたしを悩ませて来た霊感の正体が判るかもしれないのだから。ああ、まさか、こんな日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「そんなに期待しないでよ。注目されるかどうか判らないんだから」亜美、恥ずかしそうに笑う。
「注目されるに決まってるでしょ! これは世紀の大発見だよ! 今までの錬金術やパンと犯罪者や3秒ルールとかのレポートなんかより、何千倍もすごいよ!」
「失礼ね。今までのだって、十分すごいレポートだったのよ?」
とてもそうは思えないけれど、そんなことはどうでもいい。ああ、興奮が収まらない。これは、あたしの人生のターニングポイントになるかもしれない。生きる希望を見つけたって感じ? 別に人生に絶望してたわけじゃないけど、なんだか、明るい未来が待っている気がする。
「あ、そろそろ授業始まるよ。行こうか」
理名が時計を見て言った。おっと、もうそんな時間か。あたしは興奮を抑えられないまま、講義室へ向かい、その日1日、超ハイテンションで過ごした。
しかし後日。
教授は亜美のレポートを、「荒唐無稽で話にならない」と酷評。もちろん学会などで発表されることもなく、あたしの期待をよそに、全く注目を集めず終わった。
ああ、一体何が良くて、何がダメなのか……。
(作者オリジナル)