Y.U.I.~都市伝説ファイル~   作:ドラ麦茶

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親は千里行くとも子を忘れず

 日曜日。あたしは映画を見るために、駅前のショッピングモールにやって来た。このショッピングモールには、大きなシネコンが入っている。11というスクリーン数は市川にある映画館を抑えて県内1だ。人口もそう多くないこの堀北にそんな数のスクリーンが必要なのかは疑問だけど、多分、人が少ない分、土地だけは余っているのだろう。

 

 売店でバターをたっぷりかけたポップコーンとドリンクを買い、2番シアターに入る。夜更かししてDVDを見ることはよくあるけど、映画館で見るのは久しぶりだ。今日見る映画は、大人気の少女コミックを映画化したもので、今大ヒットしている『SEVEN』だ。たくさんある座席はほとんど埋まっていて、人気の高さがうかがえる。これは楽しみだな。

 

「ま、あんまり期待はできないと思うけどね」

 

 と、見る前から文句を言ってるのは明奈だ。どうもこの映画を見るのには反対らしい。

 

「結衣がどうしても見たいって言うから付き合うけど、絶対、やめときゃよかったと思うよ」

 

 明奈は原作コミックのファンなのだけど、どうやら映画のキャスティングにあまり納得していないらしい。まあ、ひねくれ者の明奈だから、ひねくれたことしか言えないのだろう。多分、キャスティングがどうあれ文句を言ってるような気がする。それに、公開から割と時間が経つ映画だけど、今でも満員に近いお客さんだ。面白くないってことはないと思う。

 

 えーっと、Gの8とGの9と。席を探す。上映前とは言え館内は薄暗い。席を探すのも苦労する。あった。あそこだ。2人で席に着く。お、始まったぞ。ナイスタイミング。ポップコーンを真ん中に置き、2人でポリポリ食べる。やっぱ映画はポップコーンとコーラが定番だ。がんになろうと骨が溶けようと、これだけは外せないよね。うん。

 

 そして、始まる前のCMの間にポップコーンを食べ終えるというもうひとつの定番を経て、映画は滞りなく終了した。

 

 

 

「――キャスティングは思ったほど悪くなかったけど、でも、やっぱり映画には不向きなタイトルね。いくらなんでも、展開が早すぎるわよ」ショッピングモールのフードコートでタコ焼きを食べながら、明奈はそう言った。

 

 確かに、映画は全体的に、原作の名シーンばかりをピックアップした内容になっていて、そこにいたるまでの過程はかなり省略されていた。

 

「ま、それはしょうが無いんじゃない? 長い話を2時間程度にまとめなきゃいけないんだから。あたしは結構楽しかったよ?」あたしもたこ焼きを食べながら率直な感想を言う。

 

「それは原作を見てるからでしょ? 見てない人は、多分、何のことかさっぱり判らなかったと思うわよ? それに、原作には原作の良さがあるの。全てのシーンには、必ず意味があるのよ。省略していいシーンなんて、ひとつも無いはず。2時間という長さですべてを再現できないのなら、最初から映画化なんてしないか、思い切って全く別の作品にしてしまった方がまだマシね。原作のダイジェスト版みたいな映画、見たってしょうがないでしょ?」

 

「でもさ、原作と全く違ったら、それはそれでブーイングの嵐でしょ? 明奈だったら絶対『原作と違う作品なら違うタイトルにしろ』って言うと思うけど」

 

「うーん、ま、それもデキ次第かな。とにかく、あたしはあのデキには納得しない。やっぱ、原作が一番よ。あーあ。やっぱり、『銀河戦争』にしておくんだったなぁ」

 

 銀河戦争とは、これも現在上映中の人気映画だ。ハリウッドのイケメン俳優と今売出し中の子役が共演したSF映画である。

 

「あれこそ前評判ばかり良くて、中身は大したことないってもっぱらのウワサだよ? 主演の男優は、アメリカの最低映画賞にノミネートされるって話だし」

 

「判ってないわねぇ、結衣は。『銀河戦争』と言えば、SF小説の神、R.G.ウェルズの古典的名作だよ? 長年映像化不可能と言われていた作品が、最新のCG技術で、ついに映画化されたんだよ? 内容よりも、映画化自体が素晴らしいことなのよ」

 

 さっき言ってたことと微妙に矛盾してるような気がするな。ま、所詮は明奈の言うことだ。どうせその『銀河戦争』を見ても、何かしら文句を言うのだろう。まあ、見終わった後のこの感想タイムは、映画の醍醐味の1つだ。どんな形であれ、会話が盛り上がるのは楽しい。その後もしばらく2人で熱く語り合い、さて、帰る前にゲーセンにでも寄って行こうかと明奈が言ったとき。

 

「あら? 明奈ちゃんじゃない?」

 

 若い女の人に声を掛けられた。ブロンドに近い茶のロングヘアー、露出の多いラメ入りの赤のワンピース、これまたラメ入りのアイシャドウにネイル。やたらと派手な女の人だ。以前、1度会ったことがある。確か、由里子さんという人。明奈のお父さんの再婚相手。つまり、明奈の母親だ。1つしか歳が離れていないけれど。

 

 明奈は以前と同じく、一瞬だけイヤそうな顔をし、でも、すぐに笑顔になった。「こんにちは、由里子さん」

 

「奇遇ね。買い物?」

 

「いえ、友達と、映画を見に来たんです」

 

 明奈がそう言うと、由里子さんはあたしの方を見て、にっこりとほほ笑んで軽く会釈をした。あたしも笑顔で会釈を返す。

 

「そうなんだ。実はあたしたちもなの」と、由里子さん。「これから『銀河戦争』を見るんだけど、よかったら、一緒に見ない?」

 

「あ、ごめんなさい。あたしたち、もう見ちゃったから。これから帰ろうと思ってたところなんです」明奈が答える。

 

「そう。残念」由里子さんは、本当に残念そうな表情になった。でも、すぐに笑顔に戻り、「じゃあ、今度また、一緒に見ようね」

 

「そうですね」明奈はあまり感情の無い声で言った。どうも、そんなつもりは無いような言い方だった。

 

 と、明奈の視線が由里子さんの後ろに注がれた。ポロシャツにジーンズという格好の中年のおじさんが、アイスクリームを2つ持ってやって来た。

 

「お待たせ」由里子さんにアイスを1つ渡す、それから明奈を見て。「おう。明奈も来てたのか」

 

 明奈は目を逸らし、うん、と、不機嫌そうな口調で言った。

 

 おじさんは苦笑いをし、そして、今度はあたしの方を見た。「えっと、君は確か……結衣ちゃん、だったね。久しぶり」

 

「お久しぶりです、おじさん」あたしは笑顔で頭を下げた。明奈のお父さんだ。会うのは多分、中学生の頃以来だ。

 

「一緒に映画を見ようかと思ったんだけど、さっき見ちゃったんだって。残念」甘えるような口調の由里子さん。

 

 明奈は、イライラしたように頭を掻き、席を立った。「行こう、結衣」

 

「あ……うん」あたしも席を立つ。

 

 明奈はおじさんを睨んだ。

 

「2人とも、そんな恰好で出歩かない方がいいよ。援交してるようにしか見えないから」

 

 キツイ声。

 

「こら。由里子に失礼だろう」おじさんの語気も荒くなる。気まずい雰囲気。

 

「あ、いいのいいの、あたしは」由里子さんがおじさんを止める。そして明奈を見て。「ゴメンね、明奈ちゃん。あたし、こんな服しか持ってなくて。次から気をつけるから」

 

 明奈はプイッと顔を逸らすと、そのまま無言で行ってしまった。あたしはおじさんと由里子さんに頭を下げ、慌てて追いかけた。

 

「ちょっと、明奈」

 

 声をかけるけど、明奈は無言で歩く。しょうがないのであたしも何も言わず後ろから付いて行く。ショッピングモールを出て、近くの公園に入った。

 

「ああ、もう! イライラするわね!」がしがしと頭を掻きながら、ベンチに座る明奈。

 

「大丈夫……?」

 

「うん、まあ、平気。……ゴメンね、結衣。せっかくのデートだったのに」

 

「それは別にいいんだけど。てか、デートじゃないし」

 

 そう言うと、明奈は小さく笑った。あたしも笑い返す。そして、隣に座り。

 

「……由里子さんのこと、聞いてもいい?」

 

「別にいいけど……大した話じゃないよ?」

 

「由里子さんとおじさんって、どうやって知り合ったの?」

 

「さあ? わかんない。高校卒業する少し前だったかな。突然お父さんに由里子さんを紹介されたの。『結婚することになった』って、いきなり。あまりに突然だったから、最初、ドッキリかと思ったわよ。あたしと1つ違いのキャバ嬢よ? ドッキリじゃないなら絶対財産目当てだよね」

 

「そんなことは無いと思うけど……」

 

 あたしがそう言うと、明奈はうつむいた。「そうなんだよね。あたしの家って、財産狙われるようなお金持ちでもないし。話してみたら、別に由里子さんは悪い人じゃないんだよ。でもね。何と言うか……あの2人を見てると、わけも無くイライラしてくるの」

 

 由里子さんは見た目は派手で第一印象はあまり良くないけれど、明奈の言う通り、話してみると割と普通の人だ。さっきの明奈のイヤミに対しても、大人の対応をしていたし、多分、普通に友達として付き合う分には問題無いだろう。でも、それが母親となると話は別だ。誰だって戸惑うはずだ。明奈がイライラしてあんな態度を取ってしまうのも、仕方が無いと思う。

 

「前に、明奈が『親とうまくいってない』って言ってたけど、それ、由里子さんが原因?」

 

 そう訊くと、明奈は無言で頷いた。

 

「そっか……」

 

 空を見上げた。雲ひとつない青空に、飛行機が一筋の線を描いていた。その飛行機が向かう先は、夕陽に燃えている。時計を見ると、5時過ぎ。

 

 自分から話を聞いておきながら、何を言えばいいか判らなくなり、黙るしかなくなるあたし。そんな自分がちょっとイヤになる。もし立場が逆だったら、きっと明奈は、何か気の利いたことを言ってくれるはずだ。普段はちゃらちゃらしてるけど、意外と明奈は決めるところは決める娘なのだ。

 

「ゴメンね――」あたしは思わず謝る。

 

「なんで結衣が謝るのよ」

 

「だって、あたし、何の役にも立てないから」

 

「バカね。そんなこと気にしなさんなって。話を聞いてくれただけでも、少し気分が晴れたから」

 

 そう言ってもらえると嬉しいけれど、結局あたしが明奈にしてあげられることは話を聞いてあげるくらいしかないのかと、ますます落ち込んでしまう。

 

 あたしと明奈は幼馴染だ。小学生の頃からの長い付き合い。その間、いじめっ子からかばってもらったり、目標も無く進路を決めたあたしにアドバイスをしてくれたりと、明奈は何度もあたしを助けてくれた。でも、あたしは明奈のために何かしてあげただろうか? 考えてみるけど、何も思い浮かばなかった。

 

「帰ろっか」明奈、席を立つ。

 

「……そうだね」

 

 あたしも仕方なく席を立ち、そして、2人で公園を出た。

 

 公園から20分ほど歩くと明奈のアパートだ。その間、あたしたちは無言だった。お互い、何を話していいか判らず、気まずい雰囲気だけど、だからと言って別れることもできず、ずるずるとここまで来てしまった。

 

「よってく?」部屋を指差す明奈。社交辞令的な言い方だった。特に話したいことがあるわけでもなさそうなので、あたしは「今日は帰るよ」と遠慮した。明奈も、無理に誘ったりしなかった。じゃあね、と手を振り、別れようとしたとき。

 

「明奈――」

 

 アパートのそばにいた女の人に、声を掛けられた。

 

 60代くらいのおばさんだ。白髪のたくさん混じった頭、地味な茶色の服装、長年の疲労が染み込んだかのような暗い表情。誰だろう? 明奈の知り合い……年齢から考えて、身内の人かな?

 

 明奈を見る。明奈も誰だか判らないようで、必死に思い出そうとしているような表情だった。でも、不意にその顔が険しくなる。

 

「……お母さん?」明奈が言った。

 

 お母さん? 明奈の?

 

 そう言えば……見覚えがあるような……?

 

 ――――!

 

 思い出した。そうだよ。あたしが最後に会ったのは小学3年か4年の頃で、もう10年以上も前だけど、覚えてる。すっかり歳を取っちゃったけど、面影がある。でも、明奈のお母さんなら、40代かせいぜい50代だ。実年齢よりも上に見えるのは、顔にしみ込んだ疲労のせいかもしれない。

 

「久しぶりね、明奈。私がお父さんと離婚して以来だから……もう10年以上になるのね。大きくなって、見違えたわ」笑顔で言うおばさん。

 

 でも、明奈の表情は、さっきおじさんと由里子さんに会ったときよりも厳しかった。

 

「何よ。いきなり現れて……何か用?」

 

 氷のように冷たい言葉に、おばさんは戸惑う。

 

「ううん。別に用ってほどのことはないんだけど……ただ、久しぶりに顔が見たくなって」

 

「そう。だったら、もういいでしょ? じゃあね」

 

 明奈は、そのままアパートの部屋に向かう。

 

「待って、明奈! お母さん、もう病院には行ってないの。もう、治ったの」

 

 その言葉に、明奈の足が止まった。

 

 おばさんは、明奈の背中に向かって言う。「もう昔みたいなことはないから……だから……」

 

 病院? 昔みたいなこと? おばさんが何のことを言っているのかは、あたしには判らない。

 

「だから……何よ」声が震えている明奈。向けられた背中からでも、彼女の憤りが手に取るように判る。「だから、一緒に暮らそう、とでも言うわけ? はは。面白いわね、それ」

 

「ううん。そうじゃないの。そうじゃないんだけど、ただ、たまには会って、お話したいなって思っただけ。お父さんも、許してくれると思うし。もう高校は卒業したわよね? 今、大学に行ってるの? それとも、就職したのかしら?」

 

 なんとか明奈に振り向いてもらおうと、おばさんは笑顔で話しかける。

 

 でも。

 

「冗談じゃないわよ……」明奈は、小さな声で呟き、そして、振り返った。その目には、涙が溜っていた。「冗談じゃないわ!! 今さら現れて、ふざけたこと言うんじゃないわよ!!」

 

 叫ぶ明奈に、ビクッと震えるおばさん。

 

 明奈の憤りは収まらない。全てを吐き出すかのように叫ぶ。「たまには会いたいだ? 話をしたいだ? 今までほったらかしにしておいて、よくもそんなことが言えね? あのときさんざんあたしを邪魔者扱いしておいて、よくもそんなことが言えるわね!?」

 

「あれは……あのときはお母さん、病気だったから……」

 

「うるさい!! 病気だったら何やっても許されるの? 何言っても許されるの!? あんたの顔なんか見たくも無いわ! 消えて! 2度とあたしの前に現れないで!!」

 

 再び背を向けると。

 

 バタン! 部屋に入り、拒絶するようにドアを閉めた。明奈の背中に何も声をかけることができなかったおばさんは、閉ざされたドアを、ただ呆然と見つめていた。

 

 長い付き合いだけど、あんなに荒れている明奈を見るのは、多分初めてだ。普段はお気楽で脳天気な娘なのに。いつもとあまりに違う姿に、あたしも戸惑いを隠せない。

 

 肩を落とすおばさん。あたしの方を見て、はっとした表情になる。「もしかして……結衣ちゃん?」

 

「あ……そうです。ご無沙汰してます」

 

 ぺこりと頭を下げると、おばさんは、懐かしそうに微笑んだ。「そう、やっぱり。昔の面影があるわ。懐かしいわね……結衣ちゃん、今、時間ある? 良かったら、少しお話、しない?」

 

「あ、はい」

 

 突然の誘いに戸惑いつつも、断るのもためらわれたので、あたしはおばさんと一緒に、近くの喫茶店に入った。

 

「それにしても、懐かしいわねぇ。結衣ちゃん、あの頃は小さかったもんね。でも面影があるから、すぐに判ったわ。そっか。ずっと明奈の友達でいてくれたのね。ありがとう。良かったわ。結衣ちゃんみたいな友達がいてくれて」

 

「いえ。あたしの方こそ、明奈みたいな友達がいて良かったです」恥ずかしくなり、注文したコーヒーを飲んでごまかす。

 

「明奈から、おばさんのこと聞いてる?」

 

「いえ……明奈、あんまり家のこと、話さないんですよ」

 

 おばさんは、そう、と言って、コーヒーを飲み、窓の外を見つめた。

 

 しばらく沈黙。

 

 どうしよう? 訊きたいことはたくさんあるのだけど、それを訊いてもいいものか迷う。明奈が家のことを話さないのは、話したくないからだ。いくら友達とはいえ、あたしが立ち入るべき問題ではないかもしれない。

 

 と、おばさんが。

 

「あの子は、あたしのことを恨んでるのよ」遠い目で窓の外を見つめながら、呟くように言った。

 

「そうなんですか?」

 

「ええ。結衣ちゃんも覚えてるでしょ? 家に遊びに来たとき、私があの人と、よく喧嘩してたの」

 

 あの人とは、明奈のお父さんのことだろう。確かに小学生の頃、明奈の家に遊びに行くと、おじさんとおばさんは、いっつも喧嘩をしていた。特に、ヒステリックに叫ぶおばさんの声は、今でもよく覚えている。

 

「私が明奈を産んだのは、19のときだった。避妊に失敗しちゃったのよ。今で言う、できちゃった婚ってやつね。まだ遊びたい盛りだったのに、早くに結婚することになって……悪いのは自分なのに、それを全部夫と子供のせいにしちゃってね。ずいぶん喧嘩したわ。あの子に当たったこともある。明奈が産まれたから、私は不幸になった、と、本気で思っていたの。精神的におかしくなってたのよ」

 

 あたしはふと思い出す。小学生の頃の出来事を。

 

 ある日、明奈はあたしに、手作りのお守りを見せてくれた。

 

 離婚したお母さんが作ってくれたものだと、明奈は言っていた。明奈はそれを、ずっと、大切に持っていた。

 

 でも、そのお守りの中には。

 

 

 

 ――お前なんか死ね!!

 

 

 

 血のように真っ赤な字で、そう書かれた紙が入っていた。あたしはそれを明奈に見られないように、ビリビリに破いて捨てた。

 

 なぜ、おばさんがあんなことを書いて、それをお守りに入れて持たせていたのか判らなかった。

 

「当時は、本当に酷いことを言ってたもの。何であんなことを言ったのか……今ではすごく後悔してる。どんなに謝っても、あの子は許してくれないだろうけどね。きっと、私のことを恨んでるわね」

 

「――――」

 

 何と言っていいか判らず、ただ黙ってるあたし。

 

「ごめんなさいね。こんな話に付き合わせちゃって」おばさんが言った。あたしは、いえ、と、曖昧に返事をした。

 

 その後あたしは、おじさんとおばさんが離婚した後の明奈の様子を話した。たわいのない思い出話だったけど、おばさんは熱心に聞いてくれた。

 

「ありがとう、結衣ちゃん。良かったわ。あの子に結衣ちゃんみたいな友達がいてくれて、本当に良かった」おばさんは伝票を取り、席を立った。「良かったらまた、明奈の話、聞かせてね」

 

「ええ。あたしなんかでよければ、いつでも」笑顔で応えた。

 

 そして、喫茶店を出る。おばさんは何度も何度も頭を下げ、「これからも明奈をよろしくね」と言って、行ってしまった。

 

 別れる間際のおばさんの姿は、なぜだろう、とても小さく見えた。

 

 と。

 

 突然、おばさんの姿が消えた。

 

 ……え?

 

 どこに行ったんだろう? 瞬きした間に、角を曲がったのだろうか? いや、おばさんが歩いてた道は1本道で、曲がり角は無い。本当に突然、消えてしまった。

 

 …………。

 

 まさかね。幽霊じゃあるまいし、消えるわけないよ。多分、ここから見えない道があるに違いない。

 

 あたしはさほど気にせず、その場を後にし、そして、明奈のアパートに向かった。

 

 ちょっと、明奈を説教してやろう。

 

 そんなことを考えて。

 

 せっかく訪ねて来てくれたおばさんに、「あんたの顔なんか見たくも無い!」だの、「消えて!」だの言った明奈。

 

 もちろん、明奈もいろいろあったわけだし、そんな言葉が出てきても仕方ないとは思うけど、さすがにちょっと言いすぎだと思う。まあ、もちろん本気で言ったのではないだろう。子供の頃、明奈はお母さんのことが大好きだった。離婚した後も、あのお守りを大事そうに持っていた。楽しそうに、お母さんのことを話していた。あんなことを言ってしまって、今頃きっと、後悔しているはずだ。でも、意地っ張りの明奈のことだ。もしまたおばさんが会いに来ても、同じことを言うかもしれない。そうなってほしくないから。

 

 トントン。ドアをノックする。がちゃり。明奈が顔を出した。

 

「上がっていい?」

 

 あたしが言うと、明奈は「別にいいけど……」と応えた。

 

 相変わらず散らかり放題の部屋に上がる。明奈は無言で奥の部屋に座る。テレビゲームをしていたようだ。テレビの画面に、綺麗な3Dグラフィックのゲームが表示されている。たくさんボタンがあるコントローラを器用に操りながら、現れる敵を次々と倒していく。あたしはその後ろに座る。

 

「おばさんと、お話してきたよ」あたしは言う。

 

 明奈は何も応えなかった。ただ、黙々とゲームをしている。

 

「あんたのことよろしくって、何度も頭を下げてた。すっごく心配してたよ」

 

「……知らないよ、そんなの」小さな声で言った。

 

「明奈の気持ちは判らなくはないけど、せっかく会いに来てくれたんだからさ。もっと、優しくしてあげた方が良かったんじゃない?」

 

「…………」

 

「だってほら。何があったって、お母さんはお母さんでしょ? お母さんがいたから、明奈がいるわけだし。感謝しないと、ね?」

 

 あたしは、ただ、明奈とお母さんが仲直りをしてほしくて。

 

 単純にそう考えて、言った。

 

 明奈には、今までいろいろ相談にのってもらったりして、本当に感謝している。だから、純粋に友達として、明奈に、お母さんと仲良くなってほしかったから。

 

 でも。

 

「……感謝、ですって?」せわしなく動いていた明奈の手が止まる。「何であたしが、あの人に感謝しなきゃいけないのよ」

 

 低く、抑揚のない声だった。明奈がこんな声を出すなんて、思いもしなかった。「いや……だって……お母さんだし……」

 

「あんたに何が判るっていうのよ!!」振り返った明奈は、全てのいら立ちをぶつけるように、あたしに向かって叫んだ。「あたしがあの人にどんな目にあわされて来たか、あんたは知らないでしょうが! あたしの気持ちが判るですって? じゃああんた、母親に捨てられたことがあるの? 母親に邪魔者扱いされたことがあるの? 母親に『死ね!!』って言われたことがあるの!?」

 

「――――」

 

 それは。

 

 あのお守りに入っていた紙に書かれてあった言葉だ。

 

 あれを明奈が知っているはずが無い。あたしは、明奈に見られないようにそっと隠し、そして、破って捨てたはずだ。

 

 誰にも知られていない。あたしだけの胸にとどめておいたことだったはずだ。

 

 ――でも。

 

 あのとき、あたしが紙を隠したのを、明奈に見られていないなんて、言い切れない。紙を破って捨てたところを、見られてないなんて言いきれない。明奈は、全て見ていたのかもしれない。誰もいなくなった後、ゴミ箱の中の紙を拾い、繋ぎ合わせたのかもしれない。

 

 明奈のあふれ出した感情は、もう止まらなかった。「あんたはいいわよね? あんなやさしいお母さんで、何の苦労も無くのほほんと暮らしてるんだもんね? 何があたしの気持ちが判るよ。適当な同情の言葉や説教なんか聞きたくないわ!!」

 

 ――――。

 

 明奈の言葉が。

 

 あたしの胸に、鋭い刃となって突き刺さった。

 

 返す言葉が無い。

 

 明奈の言う通りだ。あたしは、お母さんが大好きで、ずっと一緒に暮らしている。朝はお母さんがいないと起きられないし、朝晩お母さんの作るご飯を食べてるし、夜遅く帰るとお母さんが心配してくれる。それが当たり前だと思っていた。

 

 明奈には、そんな当たり前のことが無かったんだ。小学4年の、両親が離婚した日から、ずっと。

 

 明奈の言う通りだ。

 

 あたしに、明奈の気持ちが判るはず無い。ずっとお母さんに甘えてきた――今でも甘えている、このあたしが。

 

「――ゴメン、今日は帰って。1人になりたいの」明奈は小さくそう言うと、あたしに背を向け、再びゲームのコントローラーを握った。

 

「明奈、あたしはただ――」

 

 あたしはただ、あなたのためを思って言っただけ。

 

 その言葉が、出て来なかった。

 

 向けられた背中が、あたしを拒絶していた。

 

 適当な同情の言葉や説教なんか聞きたくない。

 

 さっきの明奈の言葉が全てだ。

 

 あたしに明奈の気持ちは判らない。明奈は、あたしなんかには想像もつかないほど、つらい経験をしてきたんだ。

 

 そんな明奈に、あたしなんかが何を言おうというのだろう。何を言えるというのだろう。

 

 あたしは、なんとなく偉そうなことを言って、友達のために頑張ってると思いたかっただけなのだ。ただ、自己満足がしたかっただけなのだ。明奈の本当の気持ちなんて、少しも考えていなかった。明奈とずっと友達のつもりでいた。でもあたしは、その友達の気持ちを、何も判っていなかったのだ。もしかしたらあたしはずっと、友達という関係に甘えて、明奈を傷つけていたのかもしれない。

 

「ゴメンね、明奈……」

 

 あたしを拒絶する背中にそれだけ言い、明奈の部屋を出た。泣くまいと思っても、溢れ出した涙を止めることはできなかった。悲しかった。

 

 いや。

 

 悲しいのではない。

 

 明奈に拒絶されたから泣いているんじゃない。明奈は優しい娘だ。本気であたしを拒絶したわけじゃないだろう。きっと数日もすれば、「あのときはゴメンね。ちょっと、八つ当たりしちゃったよね」と、ケロッとした顔で現れるだろう。そういう娘だ。それは判っている。

 

 あたしが泣いているのは。

 

 友達が本気で悩んでいるのに、それをどうすることもできない――そんな自分の小ささに、気がついてしまったからだ。

 

 そう。悔しいんだ。あたしは。

 

 友達が悩んでいる。苦しんでいる。それなのに、何もしてあげることができない。それどころか、かえって苦しめている。

 

 あたしは、その程度の人間だったんだ。

 

 そして。

 

 もしかしたら明奈が、「ゴメン、ヒドイこと言って」と、追いかけて来てくれるんじゃないかと、そんな甘えたことを、心のどこかで考えている。

 

 そんな自分が、心の底から嫌になり。

 

 もちろん、明奈が追いかけてくることもなく。

 

 ――最低だ、あたしは。

 

 ただ泣きながら、家に帰るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の月曜。あたしは、暗い気持ちで1日を過ごした。大学でのおしゃべりにも花が咲かない。理名と亜美に、「どうしたの?」と訊かれるけれど、曖昧に笑って、「何でも無い」と答えるのが精一杯だった。大学が終わった後、2人のおしゃべりの誘いも断り、あたしは1人、家に帰る。そして、部屋でボーっとテレビを見たり本を読んだり。もちろん、内容はまったく頭に入らない。心には、ぽっかりと大きな穴があいたような喪失感。

 

 ピンポーン。チャイムが鳴る。お母さんが出てくれるだろう。あたしは動かない。なんか、すべてが面倒だ。

 

 でも、しばらくして。

 

「結衣、明奈ちゃんが来てるわよ?」

 

 1階から聞こえたお母さんの声に。

 

 ――明奈?

 

 あたしは部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。

 

 玄関に、苦笑いの明奈がいた。「よっ」と手を上げる。その姿を見ただけで涙が出そうになる。

 

「うん……上がる?」

 

 そう言うと、明奈は頷いて靴を脱いだ。先に部屋に行ってもらい、あたしは台所でお茶を用意する。とっておきの高級チョコレートとティーセットを持って、部屋に戻った。

 

「お待たせ」折りたたみテーブルの上に、チョコとティーセットの乗ったトレーを置く。

 

「え? これ、ピーピングトムのチョコじゃない!? 堀北じゃ売ってないよね?」明奈、飢えた獣の目になる。

 

「そうよ。この前、市川に行ったとき買ったんだ。高かったんだから、味わって食べてね」

 

「ラッキー。いただきまーす」明奈、ナッツのたっぷり詰まったチョコをひと口でパクリ。「うーん。なめらかな口どけと上質な香り。これぞピーピングトムのチョコレートだね」ほっぺたを押さえ、陶酔した表情で、判ったようなことを言う。ま、ホントに判っているかどうかは疑問だ。この娘のことだ。この中に御縁チョコを紛れ込ましていても、きっと同じことを言うに違いない。その姿を想像し、あたしはフフッと笑った。

 

「……何よ?」手が止まる明奈。

 

「ううん、別に。あたしも食べよーっと」あたしはさっき明奈が取ったナッツチョコのホワイトバージョンをひと口でパクリ。うーん。上質な口どけとなめらかな香り、明奈じゃないけど、これぞピーピングトムのチョコだわ。

 

「あんたはこの中に御縁チョコが入っててもわかんないでしょ?」と、明奈。

 

「そんなこと無いもん」と、あたしが頬を膨らますと、明奈は笑った。

 

 昨日の今日、大喧嘩したとは思えない、いつも通りの明奈。それが嬉しくて、涙が出そうだった。

 

 しばらく2人でチョコを食べ、お茶を飲む。

 

 と、明奈が。

 

「……昨日は、ゴメンね。あたし、ヒドイこと言っちゃって」

 

 すまなさそうな顔で言うので、あたしは慌てて。

 

「そんな! 明奈は何も悪くないよ! 悪いのはあたし! あたしの方こそ、明奈の気持ちも考えないで、ホント、ゴメン」

 

 あたしも、手を合わせて謝る。

 

 本当に、明奈はいい娘だ。

 

 明奈は悪くない。悪いのはあたし。なのに、明奈の方からあたしに会いに来て、そして、先に謝ってくれる。今まで何度もケンカし、それでもずっと仲良くやってこれたのは、明奈のおかげだ。

 

 それからあたしたちは、昨日のことなんて何も無かったかのようにおしゃべりしたり、明奈がゲームをやるのを後ろで眺めてたり、明奈にごちゃごちゃ言われながらあたしがゲームしたりで時間を過ごした。もう、すっかりいつも通りだった。その瞬間までは。

 

 プルプル。ケータイが鳴る。明奈のケータイだ。明奈はケータイを取り出して開き、ディスプレイを見て、そして、顔を歪めた。ピッ。電話には出ず、ケータイを閉じる。再びおしゃべりしようとするけど、またケータイが鳴る。でも、今度はケータイを開こうともしない。

 

「……出なくていいの?」

 

「うん、いいの。ほっといて」

 

「そう……」

 

 あたしはそれ以上何も言えなかった。さっきの、ケータイのディスプレイを見たときの明奈の顔。あれは、お父さんと由里子さんに会ったとき、あるいは、お母さんに会ったときの、あの、イライラしたときの明奈だった。

 

 今の電話は、誰だったんだろう? 本当に出なくても良かったんだろうか? 心配になる。でも、それを確認するのは、ひどく怖かった。

 

 ――怖い? なんで?

 

 …………。

 

 そう。あたしは怖がっているんだ。また、昨日のように、明奈があたしを拒絶するのを。自分の小ささを、イヤと言うほど知ってしまうのを。

 

 それからしばらく明奈のケータイは鳴り続けたけど、明奈は徹底的に無視をし、最後には電源を切ってしまった。何でも無いように振る舞おうとしているけど、内心、イライラしているのが判る。時々頭を掻き、落ち着きなく部屋の中を見回している。

 

 と、今度はあたしの家の電話が鳴った。1階だから、お母さんが出るだろう。そう思い、あたしはそのまま部屋にいる。でも。

 

「結衣、お友達から電話よ」お母さんが呼ぶ。

 

 お友達? 誰だろう? 理名も亜美も奈々も恵梨香も梓も、みんなケータイの番号は知っている。あたしに用があるなら、ケータイに掛けてきそうなものだけど。

 

 あたしは階段を下り、リビングへ。お母さんに、「誰?」と訊くと。

 

「ゴメン、ホントはお友達じゃないの。明奈ちゃんの――お父さん」

 

 ――へ?

 

 なんで、おじさんが?

 

 戸惑うあたし。

 

「なんだか、大変なことになってるみたい。とにかく、電話に出て」

 

 お母さんから受話器を受け取る。何だろう? すごく嫌な予感がする。なんだか出たくないけれど、出ないわけにはいかない。あたしは保留を解除した。「もしもし、結衣です」

 

「あ、結衣ちゃん。ゴメンね、突然」それは、確かに明奈のお父さんだった。「今そちらに、明奈がおじゃましてるよね?」

 

「あ、えーっと……」何と答えていいか判らず、言い淀む。お母さんを見た。多分お母さんが、いると言ってるだろう。あたしは正直に答えた。「はい、来てます」

 

「そうか。結衣ちゃん、悪いんだけど、明奈を説得してほしいんだ」

 

「説得……ですか?」

 

「うん。実は、別れた妻が――明奈の母親が、昨日、亡くなったんだ」

 

「え……?」

 

 言葉を失うあたし。

 

 亡くなった?

 

 誰が?

 

 明奈のお母さんが?

 

 明奈のお母さん、昨日会ったばかりだよ?

 

 明奈とまともに話ができなくて、とても残念そうだった。でも、あたしが明奈の話をすると、すごく嬉しそうに聞いてたよ。

 

 それなのに、亡くなるなんて、あり得ないよ。

 

 そんなことは全く理由にならないんだけど、とにかくあたしは、そう思った。

 

 何も言うことができないあたしに、おじさんは続ける。

 

 おばさんは昨日の夕方、事故に遭ったという。買い物帰りに横断歩道を渡ってたら、車にはねられたそうだ。酷い事故で、ほとんど即死だったらしい。

 

 そして、今夜通夜が行われるけれど、向こうの両親――明奈の祖父母にあたる人が、明奈に出席してほしいと言ってるそうなのだ。事故の前、おばさんは、明奈にすごく会いたがっていたから。

 

「そんなわけだから、明奈に出席してもらいたいんだけど、絶対会わないって、かたくなに拒否してるんだよ」

 

 さっき明奈のケータイにかかってきたのは、その電話だったのだろう。

 

 ……あれ? ちょっと待って。

 

 今のおじさんの話に、違和感があることに、あたしは気付いた。

 

「あの、事故があったのって、何時頃か判りますか?」あたしは訊いた。

 

「たしか、5時過ぎだって言ってたよ」

 

 5時過ぎ?

 

 それは、あたしと明奈が駅前のショッピングモールを出て、公園にいた時間だ。

 

 その後明奈のアパートの前で、あたしはおばさんに会い、しばらく喫茶店で話をした。

 

 でも、おばさんはほとんど即死だったらしい。

 

 つまり、あたしと明奈がおばさんに会っていた時間、おばさんは、もう死んでいたことになる。

 

 …………。

 

「おばさんの通夜、どこで行われているんですか?」静かに、あたしは訊いた。

 

「上戸の実家でやるらしいんだ」

 

 上戸。市川よりさらに向こう。堀北から電車で4時間くらいかかる、小さな田舎街だ。

 

「……判りました。あたし、絶対明奈を説得して、おばさんの所に連れて行きます」

 

 決意を込めた声でそう言い、あたしは、受話器を置いた。

 

 何か言おうとしたお母さんに、「大丈夫」と言う視線を送り、そして、2階の部屋に向かう。

 

 ドアを開ける。明奈は、パソコンのゲームで遊んでいた。あたしに背を向けている。昨日と同じ格好。あたしを拒絶した背中。

 

「電話、誰だったの?」背を向けたまま訊く明奈。「友達じゃないんでしょ? 友達だったら、普通ケータイに掛けるでしょ?」

 

「うん。明奈のお父さんだった」隠さずに、正直に言うあたし。

 

「やっぱりね。ったく、しつこいなぁ」明奈、舌打ちをして。「行かないよ、あたし。なんであたしが、あの人の通夜に出ないといけないのよ。もう関係ないんだから」

 

「ねえ、明奈――」あたしは、静かな口調で言う。「おばさんが事故に遭ったの、昨日の夕方5時過ぎだったって」

 

「うん、聞いた。笑えるよね。じゃあ、昨日あたしたちが会ったあの人は、何だったの? って話。幽霊でも出たのかな」

 

 冗談っぽく言う明奈だけど、あたしは笑わず。「……あのね、幽霊って、脳波が影響してるんだって」

 

 あたしがそう言うと、明奈、ゲームを遊ぶ手を止め、あたしの方を見る。「――脳波?」

 

「うん。これ、大学の友達が言ってたの。人の脳は、何かを感じたり、何かを考えたりすると、脳波を発するんだけど、脳波って、体内だけにとどまらず、体の外にも放出されているの。通常、その範囲は極めて狭く、すぐに消えてしまう。でも、脳波の力によっては、非常に広い範囲を飛び交うこともあるんだって。つまり、強く感じたり、強く念じたりすると、その分脳波は強力になり、遠くまで飛んでいくってわけ」

 

「――――」

 

「で、その友達が言うにはね、強い脳波を感じ取ると、そこに、ありもしないものが見えたり、聞こえるはずのない声が聞こえたりするんだって。それが、幽霊に見えるってわけ。これって、すごいよね」

 

「……何が」

 

「だって、明奈のお母さんが事故に遭ったの、上戸だよ? 電車で4時間。そんな遠くから、脳波を飛ばしてきたんだよ。よっぽど明奈に会いたかったんだと思う」

 

「だから何?」

 

 キツイ声になる明奈。一瞬昨日のことを思い出し、口ごもりそうになった。

 

 でも、今日は違う。あたしは続ける。

 

「それにね、脳波って、普通の人は感じることができないんだって。でも、それを感じることができる人もいる。それが、あたしみたいな、いわゆる霊感体質な人だって、その友達は言うの」

 

「――――」

 

「明奈ってさ、昔から幽霊の話とか大好きで、いろんな話をしてくれたけど、霊感って、ほとんど0だったじゃない? でも、昨日はおばさんの姿が見えた。明奈も、おばさんの脳波を感じ取ることができたんだよ。それって、明奈もおばさんに会いたがってたからじゃないかな?」

 

 あたしがそう言うと。

 

 明奈は、頭をかきむしり。

 

「ああ、もう……どうしてあんたって、そう、判った風な口を利くの」

 

 イライラした口調で呟いた。

 

「それは、明奈のことを心配してるから――」あたしが言うと。

 

「心配!? はん! 大きなお世話よ!」

 

 叫ぶ明奈。

 

 昨日と同じだ。

 

「あたしがあの人に会いたがってるって? あたしのことなんて何にも判って無いくせに、偉そうに言うんじゃないわよ! あんな人、もう母親でも何でもない! 死んだって、知るもんか!!」

 

 ――死んだって、知るもんか。

 

 明奈は優しい娘だ。本気でそんなことを言うわけが無い。それは判っている。苛立ちから、思わず言ってしまったのだろう。

 

 でも。

 

 その瞬間あたしは、多分、生まれて初めて。

 

 思いっきり、人をひっぱたいた。

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 あたしは明奈の手を取り、家を出て、車に乗る。

 

 ケータイで明奈のおじさんに住所を聞いて、上戸を目指し、車を走らせた。

 

 その間、あたしも明奈も、一言もしゃべらなかった。

 

 ただ、あたしの頭の中では。

 

 ――あたしのことなんて何にも判って無いくせに、偉そうに言うんじゃないわよ!

 

 さっき明奈に言われた言葉が、リフレインされている。

 

 あたしに、明奈の気持ちは判らない。

 

 昨日も同じことを言われた。

 

 明奈の両親は離婚し、母親は、ずっと行方不明だった。

 

 あたしはずっと、お母さんと一緒に暮らしている。仲良くしている。いい歳して、今でも甘えている。

 

 明奈が言うことはもっともだ。あたしに、母親のいない明奈の気持ちなんて、判らない。

 

 でも。

 

 それが、何だと言うんだ。

 

 明奈の気持ちが判らなかったら、あたしは、明奈に対して何もできないのだろうか。

 

 明奈があんなに苦しんでいるのに、あたしは、何にもしてあげられないのだろうか。

 

 そう。明奈は苦しんでいる。

 

 小学生の頃からの付き合いだ。もう、10年以上になる。これまで、あんなに荒れている明奈を、あたしは見たことが無い。

 

 そんな明奈を見ていることは――とても、つらい。

 

 普段は脳天気でお気楽な明奈が、あんなにも苦しんでいる。そんな姿を見るのは、あたしには耐えられない。

 

 だから。

 

 例え気持ちが判らなくたって、何かしてあげたいと思うのは、いけないことではないはずだ。

 

 確かに、明奈の言う通りだ。あたしには、母親に捨てられた明奈の気持ちは判らない。それだけじゃない。あたしなんて、何の頼りにもならない。悩みを相談されても、気の利いた言葉のひとつもかけてあげられない。何の力にもなってあげられないかもしれない。

 

 でも。

 

 だからと言って、何にもしないで、ただ黙って見てるなんて、できっこないのだ。

 

 明奈は、あたしの大切な友達だから。

 

 そう――友達、親友なんだよ。明奈は。

 

 あたしに、母親に捨てられた明奈の気持ちは判らない。

 

 でも、あたしは誰よりも、明奈のことが判っている。

 

 明奈は、絶対に、お母さんに会いたいはずなのだ。

 

 本当は会いたくてしょうがないのに、意地を張っているのだ。

 

 あたしには、判る。

 

 そうだ。判るんだ。

 

 だからあたしは、上戸へ急ぐ。

 

 明奈は何も言わず、ただ黙って、窓の外を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 あたしたちが明奈のお母さんの実家に着いたときには、すでに10時を過ぎていて、通夜も終わり、身内以外の人はみんな帰った後だった。

 

 いきなり飛び出してきたので、あたしも明奈も普段着だけど、みんな、快く迎えてくれた。

 

 葬儀のマナーなんてよく知らないあたしだけど、通夜は故人と親しい人のみが出席する、というのは知っていたので、あたしは車で待つことにする。

 

 1時間ほどで、明奈は戻って来た。

 

 助手席に座る明奈に、あたしは「いいの?」と、声をかける。今日が通夜なら、多分、告別式は明日だろう。今日は泊めてもらって、明日、そのまま告別式にも出席すればいいのに。

 

 でも明奈は、「うん、いい」と、小さな声で言ったので、あたしもそれ以上は何も言わないでおいた。

 

「これ、食べる?」

 

 と、明奈は折詰を取り出した。中身はお寿司だ。通夜振る舞いの残りだろう。おいしそうだな。もう11時だけど、晩御飯はまだ食べてない。お腹はもうペコペコだ。ありがたく頂こう。さっそくひとつパクリ。うーん、おいしい。明奈もおいしそうに食べる。

 

 しばらく2人で食べていると、明奈が。

 

「お母さん……死んじゃったんだね」

 

 ぽつりと言った。

 

 お寿司を持つ手が、少し震えている。

 

「結衣……あたし昨日、お母さんになんて言ったかな」

 

 あたしは答えない。なんて言ったかは、明奈自身が一番判っているはずだ。

 

 

 

 ――あんたの顔なんか見たくも無いわ! 消えて! 2度とあたしの前に現れないで!!

 

 

 

「……あたし、今でもお母さんのことは許せないよ。あたしを捨てて、ずっとほったらかしにしておいて、今さら会いたいだなんて、許せるはず無いもん」

 

 明奈の目から。

 

 涙が一筋、こぼれ落ちた。

 

「でも……あんなこと、言うんじゃなかった」

 

 明奈の言葉は、やがて、言葉にならなくなり。

 

 それをごまかすように、お寿司を食べた。

 

 顔は、いつの間にか涙でぐしゃぐしゃで。

 

 その顔を見るあたしも、多分、涙でぐしゃぐしゃで。

 

 それからしばらく、あたしたちは、車の中で、2人泣きながら、お寿司を食べていた。

 

 

 

 

 

 

 母と娘は、喧嘩しやすい関係にあると思う。

 

 精神的に似ているから、言いたいことを言いやすいのだろう。些細なことで喧嘩になる。

 

 あたしもそうだ。

 

 あたしとお母さんは、基本的には仲がいい。でも、やっぱり時々は喧嘩してしまう。そんなとき、思わずヒドイことを言ってしまうこともある。

 

 もちろん、本心で言ったことではないから、すぐに後悔して、謝る。それで仲直り。また、いつものあたしとお母さんの関係に戻る。

 

 でも明奈は。

 

 もう、それができないのだ。

 

 会いに来た母親に、明奈は、冷たい言葉を投げつけた。

 

 あたしと同じく、決して本心で言ったことではないだろう。

 

 それでも、それが最後の言葉になってしまった。

 

 どんなに後悔し、謝りたくても、もう母親はいない。

 

 言ったことは取り消せない。謝ることはできない。

 

 この先明奈は、どんなに後悔するだろうか?

 

 それを思うと、あたしの涙は止まらない。

 

 

 

 ――――。

 

 

 

 ――大丈夫。

 

 きっと、大丈夫だよ。

 

 お母さんはきっと、許してくれている。

 

 どんなに酷いことを言ったって、気にもしていよ。

 

 だって。

 

 お母さんなんだから。

 

 子供が何を言ったって、許してくれてるよ。

 

 お母さんって、そういうものだよ。

 

 

 

 

 

 

 10年後。

 

 

 

 幼い娘を抱いた明奈は、笑顔でそう言った――。

 

 

 

 

 

 

(作者オリジナル)

 

 

 

 

 

 

 

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