朝。あくびを噛み殺しながら、大学のロビーに入るあたし。ああ、眠い。なんでこの世界には、1限目の授業なんてものがあるのだろう。こんなものを作った人間を呪わずにはいられない。
ロビーを見回す。いつもなら理名と亜美が待っているはずだけど、今日は2人ともいなかった。おかしいな。亜美はともかく、理名があたしより遅いってことは、今までなかったような。
ま、いいや。たまにはそんな日もあるでしょ。あたしは自販機でいつもの紙コップのコーヒーを買い、適当なテーブルに座った。コーヒーをすすりながら、ボーっと、ロビーのテレビを見る。朝のワイドショーをやっていた。韓国の俳優が自宅で首つり自殺をしたらしい。名前を聞いて少し驚いた。数年前、日本でも大ヒットした韓国ドラマでメインの役を務めた、有名なイケメン韓流スターだ。日本のオバサマ方に絶大な人気を誇り、オバサマじゃないけど、イケメンマニアである亜美にも一目置かれていたはず。こりゃ大変だ。亜美、熱出して寝込むんじゃないかな。
なんて考えていたとき。
プルプルプル。ケータイが鳴った。亜美か? 見ると、亜美ではなく明奈からのメールだった。なんだろ、朝っぱらから。メールを開く。何々?
『この前撮った写メに変なのが写ってるの! 見て!!』
……いかにも明奈らしいメールだ。添付ファイルも添えられている。変なものが写ってる? またUFOがどうとか言うのだろうか? この前もそんなことを言ってたように思う。空に白いものがぼんやりと浮かんでいる動画だったっけ? 明奈はUFOだと言い張ったけど、多分、雲か飛行機かレンズに付いたゴミだと思う。今回もそんな感じに違いない。やれやれ。あたしはファイルを開いた。
写真には、あたしと梓が写っていた。場所は明奈の部屋。先日、東京から梓が久しぶりに帰って来て、明奈の部屋に泊まったときに撮ったものだろう。2人笑顔でVサインをしている。いたってフツーの写メだ。これのどこに変なものが写っているのだろう? まさか、あたしの顔が変だとでも言うのだろうか。失礼な。
…………。
……まてよ。
あたしは、じっと写真を見つめる。
あたしと梓が写っている。それは問題ない。その後ろ。押し入れがあるのだけれど、フスマが、少しだけ開いている。5センチほどだろうか? 中は当然暗い。暗いけど、そこに何か写っている。
あたしは、その押し入れの隙間を凝視した。
――――!!
これ、ぱっと見たら見逃してしまいそうだけど、こうやってじっくり見てみると!
その隙間に写っているものには、目があり、鼻があり、そして、口がある。
そう。なんで気付かなかったんだろう? これは顔だ。人間の顔だ!
押し入れの中は暗いはずなのに、その顔は、くっきりと写っていた。男の人だ。すっごく不気味な笑顔で、こちらを見ている。楽しそうにしているあたしと梓に対し、その不気味な顔は雰囲気があまりにも対照的で、見ていると、訳もなく不安な気持ちが沸き上がる。
これは、まさか――。
「おはよ、結衣」
突然後ろから声を掛けられ、あたしは、ビクッと大きく震えた。
「そんなにビックリしなくてもいいでしょ」呆れた声。振り返ると、理名だった。
「ああ、理名。脅かさないでよ。おはよ。今日は遅かったね」
「ん。ちょっと寝坊しちゃってね。最近夜遅くまで勉強してるから」
ああ。そう言えば理名、もうすぐ国家公務員I種試験というものを受けるとか言ってたっけ。それがなんなのかあたしはよく知らないんだけど、とにかく難しい試験だそうで、理名は毎晩猛勉強をしているらしい。
「で、何を見てたの」正面の席に座る理名。
「ん、これ」あたしは写真を見せた。
「これが、どうかした?」
「ここ、見てよ。人が写ってるでしょ? 男の人」
「うーん、まあ、そう見えなくもないけど、だから?」あっけらかんとした口調の理名。事の重大さが全く判っていない様子だ。
「だから? じゃなくて、これ、きっと幽霊よ! 心霊写真なのよ!!」
あたしは声を上げてそう言った。
――心霊写真。幽霊が写った写真。写るはずの無いものが、写り込んだ写真。
あの日、部屋にはあたしと梓と明奈の3人だけだった。他に人がいたはずはない。写真を撮ったのが明奈なのだから、他の人が写るはずは無いのだ。だったらこれは、幽霊以外には考えられない。
そう。これは心霊写真以外の、何物でもないのだ。
1度そう考えると、そうとしか思えなくなってくる。
幽霊が、あたしたちを見ている。不気味な表情で。あたしたちの、知らない所で――。
この不気味な表情。間違いなく悪い霊だ。何か良くないことを企んでいるような暗い笑顔。多分、あたしたちが楽しそうにしているのが気に入らなくて、悪さをしようというのだろう。どうしよう? もしかしたら、これから何か良くないことが起こるのかもしれない。そう言えば、昨日あたし、何も無いところで転んだ。大したケガじゃなかったけど、危うく車にひかれるところだった。あれってまさか、この幽霊のせい!?
あたしがそのことを話すと。
理名は、はぁ、っと、気の抜けるため息をついた。また始まったか、という表情。
「何よ……あたし、おかしなこと言ってる?」心外だ、という思いを込めて、理名を見つめる。
「おかしなことだらけでしょ。あのね、結衣。あんたは普段からぼーっとしてるから、よくつまづいて転ぶことがあるでしょ?」
「失礼ね。確かに何も無いところでつまづくことは多いけど、そんなにしょっちゅう転んでるわけじゃないわよ。せいぜい、2日1回くらいね」
「……そこにたまたま車が走ってきたって、別に不思議じゃないでしょ? 悪いことが起こったからって、それをその写真と結びつけるなんて、ナンセンスだわ」
「それはまあ……そうかもしれないけど」
「そもそもこの世に幽霊なんて存在しないし、それが写真に写るなんてことはあり得ないわ」
はっきりとした声で、理名はそう言い切った。
そうだった。この娘は、幽霊とか心霊写真とか、そういった非科学的なものは一切信じていない、いわゆる現実主義者だった。あたしは子供の頃から霊感体質だったから、色々と不思議な体験をしてきたけど、それを話しても、全く信じようとはせず、今みたいに憐れみの言葉をかける。ヒドイときは、『バカかコイツ』と言わんばかりの冷めた目であたしを見るのだ。
「でも、この日、この部屋にはあたしたち3人しかいなかったんだよ? なのに人が写ってるんだよ? 写るはずの無いものが写ってるんだから、それは幽霊としか考えられないじゃない」反論するあたし。少しムキになっているのが、自分でも判る。それも仕方が無い。霊の存在を否定するということは、あたしの霊感を否定するということ。つまり、あたし自身が否定されていることになるのだから。
そんなあたしとは対照的に、理名は極めて冷静だ。「いないものが、カメラに写るはず無いでしょ。結衣だって、カメラの構造は知ってるわよね?」
知ってて当然、という口調だけど、当然あたしは知らないので、首を横に振る。
「……カメラは、レンズと絞りを使って光を収束し、それをフィルムに写すわけ。これは、水晶体を使って光を収束し、網膜に写すという、人の目の構造と同じなの」
……急に難しい話になった。こういうのは苦手だ。あたしは、とりあえず判ったふりをして頷いておく。
「……要するに、カメラと人の目は、ほとんど同じ構造ってこと」
呆れたような口調で判りやすい説明に変える理名。どうやらあたしが判ったふりをしていたのがバレたらしい。こういうところ、理名は鋭い。もっとも理名に言わせれば、あたしの表情が読みやすいとのことだが。
理名は続ける。「つまり、人の目に見えるものはカメラにも写るし、人の目に見えないものはカメラにも写らない。人の目に見えないのにカメラに写るなんてことは、その構造上、絶対にあり得ない。だから、この世に心霊写真なんてものは存在しないの」力強く言い切る理名。
「そんなの、わかんないじゃん!」
「どうわかんないのよ? じゃあ、目に見えないものがカメラに写る仕組みを、説明できる?」
う……そう言われると、人の目の仕組みやカメラの構造なんてさっぱり判らないあたしには、反論のしようもない。
黙り込むあたしに、理名は、ふうっと笑い。「それに、あんたはいつも、自分には霊感があるって言ってるじゃないの。でも、このときはここに幽霊がいるって気付かなかったんでしょ? だったら、幽霊じゃないってことじゃない」
…………。
そう言われてみたら、そうだな。
理名の言う通り、あたし、子供の頃から霊感だけは強い。こんな邪悪そうな幽霊がすぐ後ろにいたら、絶対に気が付いたはずだ。
それに。
今の言葉は、理名の最大限の譲歩だ。理名は幽霊なんて信じていないから、当然あたしの霊感も信じていない。あたしが反論できずに困っているのを見て、折れてくれる辺りは、いかにも理名らしい。
そうだね。理名の言う通りだ。
科学的にも、あたしの霊感的にも、これは幽霊じゃないって証明されている。
「そっか。この写真に映っているのは、幽霊じゃないんだ」
「ええ、もちろんよ。幽霊なんかじゃないわ」
理名の言葉に、あたしはほっと胸をなでおろした。
この写真が心霊写真じゃないなら、昨日、何も無いところで転んだのは、単にあたしがドジだったってことで、この写真とは何の関係もない。だから、この写真が何か不吉なことが起こるのを暗示している、なんてことは無いのだ。幽霊が存在するかしないかは置いといて、とりあえずここは、理名の言うことを信じよう。良かった。これ、幽霊じゃないんだ。明奈にもそう言ってあげよう。この、不気味な表情でこっちを見ている顔は、幽霊じゃないって。きっと安心するだろう。
…………。
「で、理名」
「何?」
「これ、幽霊じゃないなら、何?」
「…………」
「…………」
黙り込む理名とあたし。
その押し入れの顔は、あまりにもはっきりと写っている。これが、ぼんやりと写っていたら、光の加減でたまたま顔に見えるだけ、ということになるだろう。しかし、ここまではっきり写っていると、その可能性は無いと言っていい。
幽霊でもない。錯覚でもない。じゃあ、これは何?
「……それは考えない方がいいかもね」
理名が、ぽそりと言った。
(都市伝説「心霊写真」より)