朝、眠い目をこすりながら、あたしは大学のロビーに向かう。いつもここでコーヒーを飲みながら理名と亜美とおしゃべりをし、それから授業に向かうのが日課。ぐるりとロビーを見回す。あ、理名いた。でも、亜美の姿は見えない。朝が弱いあたしと違って、亜美は朝から常にハイテンション。あたしより遅く学校に来ることなんて、めったに無いんだけどな。
「おはよー、理名。亜美は?」あたし、自販機で紙コップのコーヒーを買って、理名の正面の席に着いた。
「おはよ、結衣。亜美は研究室」
「研究室? まさか、また?」イヤな予感。
「そう、また」
またか。ま、朝亜美がロビーにいないという時点で、何か怪しい研究をしているのはほぼ確定事項ではあるんだけどね。
亜美はよく、研究室にこもっていろいろな実験をしたり論文を書いたりしている。それはまあ、大学生としては普通のことなんだけど、問題はその内容だ。これまでの亜美の研究は、海水から金を抽出するとか、パンを食べると犯罪者になりやすいとか、食べ物を床に落としても3秒以内に拾えばセーフだとか、ツッコミの1つも入れたくなるテーマばかりなのだ。しかし、なぜかそれらの研究は教授から大絶賛。世界犯罪心理学会議や世界食糧サミットで発表され、世界中から注目を集めていて、ノーベル賞を受賞しそうだ、なんてウワサもある。もう、ワケが判らない。
「で、今度のテーマは何?」あたしはコーヒーのカップをテーブルに置いてから訊いた。ヘタに飲みながら訊くと、吹き出してしまう恐れがあるからだ。
「寄生虫の生態についての研究だって」
…………。
普通じゃないか。
金の抽出や犯罪心理学や食糧問題を研究した人が何で虫を研究するのか、という疑問は残るけど、寄生虫の生態を調べるとかなら、今までのよりはずっとまともだ。
……いや、そうとも言えないな。あの娘のことだ。何かとんでもない落とし穴があるかもしれない。人の右手に寄生して、様々な姿に変形する、ひとつ目の寄生体を生み出そうとしている可能性もある。
時計を見る。講義まではまだ少し時間があるな。
「ねえ。ちょっと、様子を見に行かない?」理名を誘う。
「亜美の? 別にいいけど」
「じゃ、行こう」
2人でエレベーターに乗り、3階へ。このフロアの一番奥にある部屋が亜美の研究室だ。学生の1人にすぎない亜美に研究室が与えられていることから見ても、彼女の研究がいかに注目されているかが判る。
「亜美、いる?」
ドアを開け中に入り、そして。
――――!!
ぞわぞわぞわ! っと、全身に鳥肌が立った。
それは、いつもの霊感が働く合図――ではない。
部屋に入ってすぐそば台があり、大きなガラスケースが置かれてある。中には紫色のアジサイが咲いていて、その葉っぱの上に、カタツムリが1匹いるのだけど、それを見て、体中を鳥肌が駆け巡ったのだ。
別にあたし、カタツムリが苦手ってわけではない。まあ、ナメクジは好きではないけれど、別に見るのもイヤなほど嫌いなわけでもない。でも、そのケースの中にいるカタツムリは、とにかく異様な姿をしていた。まず、目だか触覚だかが、デカイ。と言うか、太い。普通のカタツムリの10倍くらいの太さだ。「ギョロ目のカタツムリ」という表現がぴったりな感じ。それだけならまだしも、その触覚、黄色やら緑やら赤やら白黒のぶちやら、とにかく様々な色の斑模様になっていて、それがあろうことか、にょろにょろと常に脈動しているのだ。その動きは、まるでイモ虫のようだ。カタツムリの触角がイモ虫になって、ウネウネ動いている状態。とてもこの世のものとは思えない。カタツムリのゾンビ、もしくはエイリアンだ。
「あら、結衣に理名じゃん。珍しいね、研究室に来るなんて」
部屋の奥から、分厚い本を手にした亜美が現れた。
「あ……亜美……これ……何?」震える声で訊く
「ん? ああ、それ? レウコクロリディウムに寄生されたカタツムリよ。カワイイでしょ?」
ぶんぶんぶん、と首を振る。これをカワイイなどと言うその感性が判らない。ゴキブリの方が100倍カワイイとさえ思う。
「へえ、これがレウコクロリディウムか。初めて見たわ」
理名、興味深そうにケースを覗き込む。あんなものをまじまじと見る理名の神経も判らん。
「何なの、その、レイコクロエオブライエンって」あたしは訊いた。
「レウコクロリディウム。カタツムリと鳥に寄生する寄生虫」亜美、嬉しそうに説明する。目の輝きがハンパない。「すごくユニークな寄生虫でね、レウコクロリディウムの卵が含まれた鳥の糞をカタツムリが食べることでカタツムリに寄生し、寄生されたカタツムリを鳥が食べることで鳥に寄生するの。この鳥は、普通カタツムリは食べないんだけど、見ての通り、レウコクロリディウムに寄生されたカタツムリの触角は、イモ虫そっくりになる。つまり、鳥はカタツムリをイモ虫と間違えて食べているの」
こんな気持ちの悪い姿でも、鳥にはおいしそうな食べ物に見えるってことか。どんな目をしてるんだ、その鳥。
亜美の説明は続く。「で、面白いのが、レウコクロリディウムに寄生されると、カタツムリは、わざわざに葉っぱの上に移動するの。鳥に見つかりやすいようにね」
鳥に見つかりやすいように、葉っぱの上に移動する?
普通カタツムリは、外敵に見つからないよう、葉っぱの下や陰にいるものだ。わざわざ目立つ所に行くことは無い。
「つまり、寄生虫が、宿主の行動そのものを乗っ取ってしまうってこと?」
あたしの質問に、亜美は「そう」と頷き、「でも、まだ詳しいメカニズムは解明されていないんだけどね」と続けた。
へえ。身体だけでなく、心まで寄生虫に乗っ取られるのか。なんだか、可哀想だな。
このカタツムリは、寄生されたが最後、自ら進んで鳥のエサになりに行くわけだ。言わば、カタツムリの自殺。
自殺というのは、自らの意思で死を選ぶことだけど、このカタツムリは、他人の意思で自殺するのだ。そう思うと、このカタツムリも、いとおしく思えて――。
…………。
ぞわぞわぞわ!
改めて体中を鳥肌が駆け巡る。ダメだ。どう考えてもいとおしくなんて思えない。あまりにもグロい。グロすぎる。
「ちなみに日本にも似たような寄生虫がいるわ」と、亜美。そばの棚を開け、中から瓶を取り出した。カマキリが入っている。「これ、ハリガネムシよ」
ハリガネムシ? それはなんか聞いたことがあるな。
「ハリガネムシは、カマキリやコオロギなどに寄生する虫。宿主の中で成長し、水中で卵を産むんだけど、このとき、レウコクロリディウム同様、宿主を操って、水に飛び込ませるの」
そう言って亜美、瓶の中からカマキリを取り出すと、そばにある水槽に投げ込んだ。何とも容赦ない行動。慈悲の欠片も無いけど、研究者とはえてしてこんなものなのだろう。
水槽に投げ込まれたカマキリは、しばらく水面でもがいていたけど、やがて動かなくなった。
すると。
――にょろ。
と、カマキリのおしりから、細長いものが出て来た。ミミズの超細いやつ。でも、ミミズみたいに伸縮するわけじゃないから、ぬたぬたとのたうちまわっている。その長さ、どうやってカマキリの中に入っていたのか判らないけれど、カマキリの体長の3倍くらいはありそうだ。その姿は、まさしく針金だ。
……ああ。これ、子供の頃見たことがあるな。男子がカマキリ捕まえて殺したとき、こんなのが出てきて、ドン引きしたっけ。今見ても気持ち悪いけど、さっきのカタツムリに比べたら、これはかわいいもんだな。あたしは水槽の中に手を入れ、指でハリガネムシをツンツンしてみる。のたうちまわる姿が何ともほほえましい。
「レウコクロリディウム同様、このハリガネムシも、どうやって宿主を操るのか判っていないの。そのメカニズムの解明をしたいんだけど……」亜美の顔から輝きが消えた。
「うまく行ってないの?」
「全くね。地球上の生命体の中でも、昆虫は特に謎が多い生命なの。今回の研究は、ちょっと長引きそうね」
さすがの亜美にも判らないことがあるのか。ま、亜美だって神様じゃない。判らないことがあっても別に不思議じゃない。むしろ、当然なんけどね。
「でも、なんでそんなこと研究しようと思ったの?」あたしはハリガネムシをツンツンしながら訊いた。
「うん。この前ね、警察の鑑識に依頼されて、市内の川で見つかった水死体の検視に立ち会ったんだけど、どうもおかしなことになってるのよね」
さらっとした口調だったけど、今亜美、とんでもないことを言ったような。警察の検視に立ち会う? 亜美が? 警察に依頼されて? この娘、一体何者なんだ。謎だ。
亜美の話は続く。「検視の結果、特に争った形跡や目立った外傷は無かったから、自殺と断定されたんだけど、遺書なんかは残っていなかったの。家族や周りの人に聞いても、何で自殺したのか判らない。自殺する心当たりなんて、まるで無いって」
「で、それが何でハリガネムシなの?」
「うん。その水死体から、発見されたのよ――ハリガネムシが」
――――。
あたしは、思わず手を引っ込めた。
入水自殺した人の身体から、ハリガネムシが発見された?
「……それってつまり、ハリガネムシが人に寄生したと言うこと?」恐る恐る訊いてみる。
「そうね。ただ、もともとハリガネムシが人に寄生する例は、そう珍しいことではないの。これまでに、数十件の報告例があるわ。でも、いずれも川で遊んでて飲み込んだとか、偶発的なもの。正しい意味での寄生ではないんだけど……」
亜美はその先を言い淀んだ。でも、言いたいことは判った。
つまり、ハリガネムシが、人の行動を乗っ取った可能性もある、ということだろう。
バカバカしい、と、理名が否定した。カマキリやカタツムリならともかく、人間なんて巨大なものを、こんな小さな虫が操れるわけが無い、と。
しかし、ハリガネムシがカマキリをコントロールするメカニズムが判っていない以上、理名の否定は何の意味も無いと、亜美は言う。
その通りだと、あたしも思った。
ハリガネムシは、相変わらず、水中をうねうねと踊っている。
その後。亜美はしばらくその研究を続けていたけれど、やがて断念したようだ。別のことに興味が出てきた、と、本人は言うけれど、新しい研究をしている様子は無い。
ちなみに、亜美が研究を途中でやめたのは、あたしの知る限り、この件だけだ。
(都市伝説「ハリガネムシの人への寄生」より)