大学が終わり、その後理名亜美と集まってのおしゃべりタイムも2人の都合で早々に切り上げ(年中無休のヒマ人であるあたしと違い、あの2人は勉強だ研究だバイトだイケメンだで忙しく、こういうことはよくあるのよね)、あたしは1人、夜道を歩く。普段なら家に帰ってお母さんとご飯を食べて部屋でゴロゴロするんだけど、今日はお母さん、用事で遅くなるって言ってた。このまま家に帰るのもさみしいので、あたしは明奈の部屋に遊びに行くことにした。
1階部分がコンビニなったマンションの角を曲がると橋があり、それを渡って10分ほど歩けば明奈のアパートだ。時計を見ると、8時を少し過ぎたところ。この辺は人通りが比較的少なく、街灯のまばらな道は薄暗い。普段使わない道を夜1人で歩くのは心細いけど、ま、そんなに遅い時間ではないから、心配することは無いだろう。あたしは橋を渡ろうとして。
――――。
思わず、立ち止まってしまう。
橋の手前、ガードレールのそばに、人が倒れていた。
うつぶせに倒れているから顔は見えないけど、ロングのストレートヘアに、ピンクのセーターと黒のスカートから、おそらく若い女の人だと思う。
どうしたんだろう? 酔っぱらって寝ているのかな? 年末年始のサラリーマンのおじさんじゃあるまいし、それは無いだろう。じゃあ、事故にでもあったのとか? まさか、死んでるなんてことは……。いや、大丈夫そうだ。わずかに動いている。うー、うー、って、声も上げている。
安心してる場合じゃないな。あの声は間違いなくうめき声だ。酔っぱらってダウンしてるならともかく、事故で怪我しているなら大ごとだ。いや、若い女の人が路上で寝てるのも問題だけれども。
「あの、大丈夫ですか?」
あたしは恐る恐る声をかけた。すると。
ばっ! 女の人が顔を上げた。
――――!
息を飲むあたし。
そこに顔は――無かった。
目も、鼻も、口も、何も無かった。何も無い。ゆで卵を剥いたような顔。
あたしは恐怖のあまり悲鳴を上げ――。
…………。
――るわけないだろ。
だって、全然怖くないんだから。
当たり前だ。今どきのっぺらぼうなんて、小学生でも怖がらない。
まして。
人気の無い夜の橋。すすり泣く女の人。顔を上げるとのっぺらぼう。子供の頃本で読んだ怖い話と全く同じのシチュエーションだ。
ナルホド。これは多分、手の込んだイタズラだ。のっぺらぼうのメイクをし、怖い話と同じシチュエーションでビックリさせようというのだろう。
うー。うー。
女の人は顔の無い顔でこちらを見ながら、相変わらず唸っている。手を伸ばし、何かを訴えかけるようなしぐさもする。名演技だ。
しかし、困ったな。
別にいたずらに付き合ってあげる必要は無いんだけど、せっかくがんばって演技してるんだ。ちょっとはノッてあげないと、悪い気もする。
しょうがない。
「きゃ……きゃあ……」
悲鳴を上げ、走り去るあたし。女の人はずっと唸っていたようだけど、橋を渡ると、その声も聞こえなくなった。
……あんなもんで良かっただろうか? 全然感情のこもってない悲鳴だったけど、あたしは梓みたいに女優を目指してるわけじゃないから、演技なんてできなくて当然。ま、ノーリアクションよりはいいでしょ。ああいうのって、リアクションが無いと、イタズラを仕掛けた方も仕掛けられた方も、両方気まずいんだよね。
ま、いいや。あたしはそれ以上このことを考えるのをやめ、明奈のアパートに向かった。
5分ほど歩くと、少し賑やかな通りに出る。八百屋やお肉屋さんなどが集まった小さな商店街だ。ラーメン屋さんやお蕎麦屋さんなどの飲食店もあり、人通りも多い。
と。お蕎麦屋さんの中に、見慣れた背中を発見。カウンター席でおそばを食べている。あれは、明奈に違いない。夕ごはん食べてるのかな? あたしはお蕎麦屋さんの中に入り、声をかけた。
「やっほ、明奈。夕ごはん?」
すると明奈、こちらを振り返ることも無く、お蕎麦を食べながら。「結衣? どうしたの? こんな時間に」
まあ、この娘がこっちを見ずに話をするのは別に珍しくは無い。部屋でゲームとかパソコンとかしてるときは、いつもこうだ。あたしは特に気にすることも無く。
「んー。ちょっと今晩ヒマでね。一緒にご飯でも食べようと思って来たんだ。それよりさ、聞いてよ! さっき橋のところに、変な人がいたの!」
「変な人? どんな?」
相変わらず明奈は背を向けたままだ。
「あのね、ガードレールのところでうずくまってる女の人がいたの。で、心配になって声をかけたら、顔を上げたんだけど……それが、目も鼻も口も無い、いわゆるのっぺらぼうだったのよ!」
ずずっ。明奈はお蕎麦をすすると、顔を上げた。
「それってもしかして……こんな顔?」
振り向く明奈。
そこは、真っ白だった。
目も、鼻も、口も無い。ゆで卵を向いたような顔――のっぺらぼう――。
あたしは、息を飲み、そして――。
「…………」
「…………」
「……何やってんの?」
呆れた声で訊いた。
「ん? 部屋でフェイスパックしてたらお腹すいちゃって。ご飯食べてたところ。あれ? 怖くなかった?」残念、という感じの明奈。
そう。のっぺらぼうに見えたのは一瞬で、実際には目も鼻も口もある。ただ、パックのせいでそう見えただけだ。
「パックしたまま外に出ても平気なあんたの神経は怖いと思う」
「そう? 別にいいじゃん。近所なんだし、この店のよく来るんだし」
そういう問題ではないと思うけど。
ま、いいや。あたしもお腹すいちゃった。あたしは明奈の隣に座ると、キツネそばとおいなりさんを注文し、2人で一緒に食べた(後に理名亜美には、「そんな娘とご飯を食べても平気なあんたも結構怖いわよ」と言われたけど)。
「へ? あの橋にいた女の人、明奈とは関係ないの?」
食事を終えて外に出たところで、あたしは驚いて明奈の方を見る。てっきり、明奈の友達で、一緒になってイタズラを仕掛けたのかと思ったのに。
「当たり前でしょ? 何で来るかどうかも判らない結衣のために、そんな大げさな準備して待ってなきゃいけないのよ」ペリペリとパックをはがしながら答える明奈。
確かにそうだな。今日明奈の家に行こうと思ったのはたまたまだ。事前に連絡をしていたわけではない。
「……明奈以外にもあんなイタズラする人、いるんだね」
「ふむ、面白そうね。ちょっと行ってみない?」
そう言うと明奈は橋の方に向かって歩き出した。しょうがないな。あたしは明奈の後を追った。
橋の前には。
たくさんのパトカー、救急車、そして、大勢の野次馬が集まっていた。
「なんだかすごい騒ぎになってるね」と、明奈。
イタズラに驚いた人が通報した……にしては、大げさだ。いくらなんでも、パトカーの数が多すぎる。それに、あの救急車は?
「あの、何かあったんですか?」
明奈は近づいて行って、野次馬の1人に声をかけた。
「なんか、飛び降り自殺があったみたいだよ」野次馬の人はそう言った。
――飛び降り自殺?
その瞬間。
あたしの背中に、冷たいものが走った。
聞いてはいけない。そんな気がする。このまま何も聞かず立ち去った方がいいのではないか。そう確信する。
しかし、聞かずにはいられない。足は鉛のように硬直し、動くことができない。
その人の話によると。
女の人が、橋のそばに建っているマンションの屋上から飛び降りたらしい。
マンションは6階建てで、下はアスファルト。普通なら即死する状態だったらしいけれど、幸か不幸か、マンションの外壁に設置されてある看板に当たり、それがクッションになったようで、まだ息はあるらしい。
それなら幸運だった、と思うところだけど、必ずしも、そうとは言えない。
看板は、女の人の顔に当たったそうなのだ。
看板の上部は、かなり鋭利な状態だったらしい。当たった衝撃で、顔が削ぎ取られるほどに。
そう。
あのときは薄暗くて気付かなかったけれど、あたしが橋の上で見たのっぺらぼうは、特殊メイクでも、もちろんフェイスパックなんかでもなく、肉切り包丁で肉をスライスするかのように、看板によって、目を、鼻を、そして、口を削ぎ落された女の人の姿だったのだ。6階から落ちたのに、看板に顔を削られ、でも、それがクッションになったおかげで死なず、うめき声をあげ、助けを求めていた姿だったのだ。
「顔は今でも見つかってないそうだよ。もしかしたら、その辺に落ちてるかもしれないって――」
それ以上聞いていることはできず、あたしは、逃げるようにして家に帰った。
その後、女の人が助かったかどうかは、聞いていないので判らない。
ただ、削ぎ落された顔は、一部の肉片は見つかったものの、大部分は発見されないままだそうだ。ノライヌかノラネコが持ち去った――そう見られている。
(怪談「むじな」より)