土曜の夜、明奈から、「見せたいものがあるから明日来て」というメールが届いた。見せたいもの? 何だろう。まあ、明奈のことだからどうせ大したものではないだろうけど、ヒマだから、行ってやるか。
夜が明けて、さっそく明奈のアパートに向かう。2階建ての古い木造アパートの1階の一番奥。1日中陽が当たらない103号室が明奈の部屋だ。トントン。ドアを叩く。が、返事はない。まだ寝てるのかな? それとも、ゲームをしているからあえて無視をしているのか。後者の可能性が高いだろう。あの娘にはよくあることだ。まあいい。あたしは合鍵を取り出すと、ガチャリと開けて中に入った。
「おはよー、明奈。生きてる?」
相変わらず散らかり放題でめちゃくちゃのぐちゃぐちゃの部屋に足を踏み入れる。奥の部屋で、明奈は丸めた背中をこちらに向け、案の定ゲームをやっていた。やっぱ起きてたか。
「もう、人が訪ねてきたんだから、返事くらいしなさいよ」
散らかるごみの山をかき分けて、部屋の奥に進む。
そして。
「――――!!」
あたしは、凍りついた。
明奈の隣に、誰かいる。
明奈と同じように背を丸め、ゲームをしている。
これまでの約20年の人生で、霊感の強いあたしは、数々の見てはいけないもの、恐ろしいものを見てきたけど、今までで一番恐ろしく、信じられないものだった。
明奈の隣に座る人は。
年齢はあたしと同じくらいだろうか。ジーンズにTシャツという、ラフな姿。がっしりとした体格で、髪は短く刈り込んでいて、あごの周りには、うっすらと髭が生えている。
そう――そこにいるのは、男の人だった。誰がどう見ても絶対完璧ありえないほどに、男の人なのだ!!
明奈の部屋に、男の人がいる!?
しかも、こんな朝っぱらから!?
この部屋は、今まで様々な怪奇現象が起こってきた場所だけど、これは、いまだかつてない恐怖の出来事だ。
たが、怪異はそれだけで終わらなかった。
その男の人が、あたしの方を見て、そして。
「あれ? ひょっとして、宮崎か? 久しぶりだな」
なんと、あたしの名前を呼んだのだ!
何? どういうこと? 誰?
さまざまな疑問が頭の中に浮かぶ。軽くパニック状態だ。
「何だよ? まさか、俺のこと忘れたのか? 岡部だよ、岡部」
…………。
岡部……?
岡部君!?
あの、小学生のころ、ガキ大将で、いじめっ子で、明奈といつもケンカしていた、あの岡部君!?
「やっと思い出したか。まあ、そうだよな。中学卒業して以来だもんな」
そう言って笑った岡部君の笑顔には、確かに、当時のガキ大将だった頃の面影がある。
しかし、誰だかわかったところで、あたしの混乱は収まりはしない。むしろ、この人が岡部君だと判明したがゆえに、ますますパニックだ。
「……って、もう、こんな時間か?」岡部君、時計を見て、あわてて立ち上がる。「悪い、北沢。俺、10時からバイトがあるんだ。もう行くわ」
「えー、マジで? いいところなのに」明奈、ゲームのコントローラーを置き、残念そうな口調。
「あとは宮崎に手伝ってもらえ。宮崎。せっかく久しぶりに会えたけど、そういうわけだから、また今度な」
そう言うと、岡部君はさっさと部屋から出て行ってしまった。
「結衣なんかがこのゲームで役に立つわけないでしょうが。あーあ。もうちょっとで実績解除だったのに」ぶつくさ文句を言いながら、明奈はゲームの電源を切った。
めちゃくちゃぐちゃぐちゃの汚らしい部屋に残されたのは、あたしと明奈の2人。いつもの光景だ。さっきこの部屋に男の人がいた、なんて、到底思えない。
いや、現実を見つめろ、結衣。真実から目を逸らしてはいけない。
今、確かにこの部屋には、男の人がいた。そしてその人は、自分を岡部と名乗ったのだ。
それがいったい何を意味するのか、今のあたしには判らない。でも、ここで目を逸らしたら、真相は永久に藪の中だ。どんなに真実を知るのが怖くても、立ち向かわなければならない。
よし。まずは、落ち着こう。
そう、落ち着け、結衣。
この事件の真相にたどり着くには、氷のように冷静な心が必要だ。
まずは深呼吸。大きく息を吸い、吐き出す。
……よし。まずは疑問をひとつひとつ片づけて行こう。
「えーっと、明奈、いくつか訊きたいことがあるんだけど」
動揺を相手に悟られないように、平静を装う。
「ん? 何?」こちらを見る明奈。
ここからは、一瞬も目が離せない。相手の微妙な表情の変化、しぐさ、言動……それらすべてを観察し、真相を暴き出さなければいけない。
最初の質問を切り出す。「今の、誰?」
「誰って、岡部よ。さっき言ってたじゃん」当たり前のように答える明奈。
「岡部君って、あの、ガキ大将だった、小学校の頃、よく明奈とケンカしてた、岡部君?」
「だから、そう言ってたでしょ」
……どうやら、間違いないようだ。明奈も認めたし、本人もそう言っていたし、あたし自身も、あの男の人には、子供の頃の岡部君の面影があると思う。あれは、正真正銘岡部君ということで、ほぼ間違いないだろう。
では、質問はフェイズ2へ移行することにする。
「何でここにいるの?」
「ん? まあ、ちょっと、どうしても1人じゃ解除できない実績があってね。手伝ってもらってたの」
「ずっと、2人でゲームをしてたの?」
「そう。タンクを近接武器で倒すってやつなんだけど、これがなかなか難しくて」
「いつからゲームやってたの?」
「昨日の夜から」
「…………」
「…………」
どくん、と、心の臓が大きく血液を送り出す。
明奈と岡部君は、昨日の夜から、今の今まで、ここにいたと言うのか? それはつまり。
「えーっと。つまり、岡部君、明奈の部屋に泊まったんだ」核心に迫る質問をぶつける。
「まあ、そうなるね。徹夜でゲームしてたから、寝てはないけど」あっさりと認める明奈。
「…………」
「…………」
いよいよだ。
いよいよ、質問はフェイズ3へ移行する。
フェイズ3は、おそらく最後の質問になるだろう。
この質問を切り出すのは怖い。しかし、避けて通ることはできない。さあ、結衣。行くよ!
大きく息を吸い込み、そして、言葉を発した。「……付き合ってんの?」
その質問に、明奈は、目を丸くして、「はぁ?」と、間の抜けた声を上げる。
「いや、だから、付き合ってるのか、って訊いてるの」もう1度言う。
「誰と?」
「岡部君と」
「誰が?」
「明奈が」
「…………」
「…………」
「……結衣、あんた、大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」
「無いわよ。それよりどうなの? 付き合ってるの? いつから? まさか、小学生のころから?」
「冗談言わないでよ。何であたしがあのバカと付き合わなくちゃいけないのよ?」
「だって、泊まったんでしょ? 岡部君、この部屋に泊まったんでしょ? 一晩中、2人っきりだったんでしょ?」
「そうだけど、だからってなんで付き合ってることになるのよ? 結衣だってよく泊まっていくでしょうが」
「あたしと岡部君じゃ、全然違う! あたしは女! 岡部君は男!!」
「2人とも小学生の頃からの腐れ縁ってことで、見事に一致してるじゃん」
さも当たり前のように言う明奈。コイツには、男女の認識の違いはないのか? あたしと岡部君が一緒だっていうのか? 理解不能だ。
……また心が乱れてきた。落ち着け、結衣。少し、質問の方向を変えてみよう。
「えーっと。岡部君って、中学卒業後、どうしたんだっけ」
「あたしと一緒だよ。高校は南校で、今は専門学校」
「ずっと、一緒の学校だったんだ」
「そうだね。クラスもほとんど一緒だったし。迷惑な話だけど」
「岡部君とは、よく遊ぶの?」
「うーん、まあ、たまに、かな? ゲーセンとか、カラオケとかは、よく2人で行くけど」
「……付き合ってんじゃん」
「だから、なんでそうなるのよ? 意味わかんない」
「意味がわからんのはこっちの方だ! 2人で遊びに行って、2人で一晩過ごしてたら、普通付き合ってるでしょうが!?」
思わず叫ぶ。コイツの思考はどうなってるんだ? 今の話だと、どう考えても付き合ってるだろ? 世間一般の考え方からすれば、恋人同士だろ? それとも、あたしの考え方は古いのか? 思考がおかしいのはあたしの方なのか?
「結衣が想像力豊かなのは判ったよ。でも、あたしはあんなバカとは付き合ってません。あたしの理想は高いのよ? もっとイケメンで優しくて金持ちで趣味の合う男でないと、あたしとは吊り合わないでしょ?」
並クラスの顔で外道で貧乏学生でオタクでBカップの女が何を言うか。
「……なんか言った?」
「何にも。で、どこが好きなの?」
「……あんたの話にはついて行けないわ。はい。もうこの話はおしまい。徹夜で疲れてるんだから、勘弁してよね。で? 何の用?」
大きなあくびをする明奈。もうこれ以上は答えてくれそうにない。まあ、大体の状況は把握できた。ケンカするほど仲がいいというのは、都市伝説ではなく、本当のことだったようだ。明奈と岡部君がねぇ。
「何ニヤニヤしてんのよ、気持ち悪い。用が無いんだったら、あたし、ひと眠りしたいんだけど」
そういえばあたし、何のために来たんだっけ? 少なくとも、明奈と岡部君の関係を問いただしに来たんじゃなかったはずだ。あまりに衝撃的なことが起こって、すっかり本来の目的を忘れてしまった。うーんと。
…………。
「いや、明奈が呼んだんでしょうが。何か、見せたいものがあるとかで」
「あ、そうだった。ごめんごめん」
明奈は謝りながら、机の上のパソコンのスイッチを入れた。先日パチンコで大勝ちして買ったという、最新式のハイスペックパソコンらしい。
「まさか、またこの間みたいにUFOの写真とか言うんじゃないでしょうね?」
「UFO? 何の話よ。違うわよ。これよこれ」
カチカチっとデスクトップ上のアイコンをクリックする明奈。画面が真っ暗になり、しばらくして、円の中に三角形を上下逆にして重ねて星の形にした図形が浮かび上がった。その円周には、ミミズがのた打ち回ったような奇妙な文字がずらずらと書かれてある。まるでファンタジー作品とかに出てくる悪魔を召喚する図形、魔法陣だ
「そう! これはまさしく魔法陣。あたしが1ヶ月かけて作ったの。その名も、『悪魔召喚プログラム』!」
明奈は、誇らしげにそう言った。
「…………」
「…………」
「……じゃ、あたし、帰るね」
「待たんか。何よ、その冷めた反応は。悪魔召喚プログラムだよ? 悪魔を召喚するプログラムなんだよ? 悪魔を召喚するには、非常に複雑な手順と高度な技術が必要なんだけど、それをすべて、このプログラムがやってくれるんだよ? このすごさがわかんないの?」
「悪魔召喚プログラムだか悪魔合体システムだか知らないけど、1人で勝手にやってちょうだい。そんなくだらないことに付き合ってるほど、あたしはヒマじゃないの」
「ウソつけ。ヒマでしょうがないから来たくせに」
チッ。変なところで勘のいい奴だ。
「まあ、せっかく来たんだから見て行きなさいよ」明奈はうきうきした表情でキーボードを叩き始めた。「じゃ、行くわよ。アジャラカモクレン・キュウライス・テケレッツのパー、アジャラカモクレン・キュウライス・テケレッツのパー……」
何やら意味不明の言葉をつぶやきながら、明奈はものすごい早さでキーボードを叩いていく。やがて、画面上の魔法陣が赤く光り始めた。それがどんどん強くなり、画面はついに真っ赤になる。そして、ピカッ、と一瞬鋭い閃光がほとばしり、目がくらんだ。次の瞬間。
「わしを呼ぶのはおまえか」
背後で声がした。
びっくりして振り返る。
そこには全身紫色の、獣と人間のハーフみたいなのがいた。人間の男性の顔に牡牛みたいなツノ、背中には大きな翼、マッチョな上半身と、これまた牡牛みたいな下半身。まあ、よく見る悪魔の姿ではある。
「うお。ホントに出たよ」明奈もびっくりしている。
……ホントに出たって、コイツ、自分でも信じてなかったな。
しかし、驚いたな。まさかホントに悪魔を呼び出してしまうとは。まあ、この呪われた部屋では、こういうことが起こっても、何ら不思議ではないけど。
「太古よりの命に従い、そなたの願いを3つ叶えよう。さあ、1つ目の願いを言え」
悪魔がそう言うと、明奈の目がキラーンと目が輝いた。「マジですか。やったね。えーっと、なんにしようかなぁ。パソコンは最新のがあるし、ゲーム機も欲しいのは全部そろえたから……あとはタイムシフト機能付きのテレビか? あ、でも、あれを置くにはまず引っ越さないとね。うーん、難しいな」
ぶつぶつ言いながら考える明奈。やめといたほうがいいと思うけどなぁ。相手は悪魔だぞ? こういう3つの願いの話はよく聞くけれど、たいていろくな結果にはならない。まあ、明奈のことだ。どうせ「何度でも願いが叶うようにしてください!」とか言って、断られて終わりとかいうオチだろうけど。
「さあ、早く願いを言え」せかす悪魔。
「ちょっと待ってよ。今考えてるんだから」
明奈がそう言うと、悪魔は。
「判った。ちょっと待とう」
そう答え、黙った。意外と素直だな。
「……引っ越すんだったら、やっぱちゃんとエアコンの完備された部屋じゃないといけないし、学校から近くて、家賃も安くないとね……よし、決めたわ」
明奈が悪魔の方を向く。
「よし、では、2つ目の願いを言え」悪魔が重々しく言った。
……って、え? 2つ目?
まだ1つ目の願いは言ってないと思うけど。明奈も訳が分からずきょとんとしている。
「貴様はさっき、『ちょっと待て』と言った。わしはちょっと待った。これで1つめの願いは叶えた」
…………。
ああ。なるほど、そういうことか。納得。
もちろん、明奈は納得するはずもなくて。
「ちょっと! ふざけないでよ! さっきのはお願いじゃないわよ!」
声を荒らげて怒る。すると悪魔は。
「判った。ふざけない」
と、答えた。
あーあ、やっちゃったよ。
と、あたしは思ったけど、明奈は気づいていないようで。「じゃあ、1つ目の願いを言うわね」
「次は、最後の願いだ」
悪魔は淡々とした口調で答えた。
またまたきょとん顔の明奈。
一応解説すると、明奈がさっき、「ふざけないでよ!」と言ったのが、2つ目の願いというわけである。悪魔はあの後ふざけたりはしていないから、明奈の願いはかなえられたわけだ。
ようやくそのことに気づいた明奈。両手を振って否定する。「待った待った待った! 今のは無し! 全部なし!」
この娘には、学習能力というものが無いのかな。まあ、無いだろうな。うん。
「判った。今のは無しにしよう」悪魔が答えた。
「ふう、良かったわ。じゃあ、1つ目の願いを言うわね」
明奈は、期待に胸を躍らせる表情で願いを言おうとしたけれど。
「願いはすべて叶えた。では、さらばだ」
悪魔はそう言い残すと、バフン、と、煙とともに消えてしまった。
呆然とする明奈。
「……判ってないようだから教えてあげるけど、最後の願いは、『今のは無し』よ」
心優しいあたしは、明奈に優しく教えてあげた
当然、明奈がそれに納得するわけもなく。
「ちょっと待て! そんなのあるか! おい! 戻って来い! 悪魔! こら!」
パソコンをバンバン叩くけど、もう何の反応もしなかった。
「……じゃ、今度こそあたし、帰るね」
ぎゃーぎゃー騒ぐ明奈は放っておいて、あたしは部屋を後にした。
さて、日曜の朝から貴重な時間をムダにしちゃったから、ここからはちゃんと計画を立てて行動しないとね。
空は雲ひとつ無い良いお天気だ。あたしは大きく伸びをし、そして、スキップしながら街へ出かけて行った。
――それにしても。
悪魔って、何の見返りもなく、人間の願いを叶えたりするものなのだろうか?
そんな訳はない。悪魔は、願いを叶える見返りに、魂を持っていくと言うのが通説だ。
じゃあ、明奈はあのしょーもない願いと引き換えに、魂を売ったことになるのか。かわいそうに。
…………。
でもまあ、あの娘のことだから、悪魔にも勝ちそうな気がするな。それはそれで恐ろしいけど……。
(都市伝説「3つの願い」より)