Y.U.I.~都市伝説ファイル~   作:ドラ麦茶

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女神と鬼神 #2

 中学2年の春。始業式から数日経った金曜日。授業が終わり、さあ帰ろうとカバンを持って席を立ったあたしと明奈に。

 

「ねえ、結衣と明奈って、部活、やってなかったよね?」

 

 梓が、そう声をかけてきた。

 

 桜井梓。あたしたちのクラスメート。去年の夏ごろから話す機会が多くなり、友達になった娘だ。

 

「うん。部活はやってないけど、何で?」

 

「良かった! お願い! しばらく、あたしたちの部に入ってくれない?」

 

 梓は、ぱん、と顔の前で手を合わせ、お願いのポーズ。あたしと明奈は顔を見合わせる。

 

 梓は演劇部に所属している。堀北中学の演劇部と言えば、県内でも名の知れた、伝統ある部だったはずだ。

 

「いや、あたしたち、演技とか全然やったことないし、ムリだよ」正直に言った。

 

「もちろんそれは判ってる。大丈夫。演技をしてとは言わないから。舞台の小道具を作ったり、衣装を用意したり、ちょっとした仕事でいいから、手伝ってほしいの。お披露目公演まであと2週間しかないのに、今、すごく人手が足りないのよ」

 

 お披露目公演か。そういえば、そんなのもあったな。

 

 演劇部は、毎年4月下旬に、体育館にて公演を行うことになっている。秋に市川で大きな演劇大会が行われるのだけれど、それに出場するための演目と配役を発表する場だ。始業式から3週間もしないうちに上演できるレベルにしないといけないのだから、そのスケジュールはとんでもなくハードなのだろう。

 

「ダメダメ。あたし今、桜対戦2で忙しいから、そんなヒマないよ」

 

 と、言う明奈を無視して、あたしは、「うん、雑用くらいなら、別にいいよ。どうせヒマだし」と、言ってあげた。

 

「ホント!? やったぁ!」大喜びの梓。

 

「ちょっと。勝手に決めないでよ。やりたいんなら、結衣1人でやってよ」文句を言う明奈。

 

「そう言わないの。ゲームなんていつでもできるでしょうが。友達が困ってるんだから、助けてあげなきゃ」

 

「ありがと、2人とも。じゃあ、さっそく今日からお願い!」

 

 梓はあたしと明奈の手を握ってブンブン振った後、あたしたちを連れ、演劇部の部室へと向かった。明奈は、ぶつぶつと文句を言いながらもついてきた。

 

 西校舎の4階の、普段は使われていない教室が演劇部の部室だ。本番が近付けば体育館を使わせてもらえるけど、普段の練習はこの教室で行っているらしい。

 

 練習はまだ始まっていないようで、教室内では、準備運動をする人、発声練習をする人、台本の読み合わせをする人、いろいろだった。あたしたちは梓に連れられ、まず3年生の部長さんにあいさつをした。

 

「宮崎さんに、北沢さんね。演劇部部長の鈴原美智子です」

 

 部長さんは、笑顔で迎えてくれた。「毎年雑用は新入部員の1年生に任せるんだけどね、今年の入部希望は、1人しかいなくて、どうしようか困ってたとこだったの。本当に助かるわ」

 

 そうなんだ。伝統ある部だと聞いてたから、入部希望者には困ってないのかと思った。

 

「とりあえず、古い小道具の補修をお願い。今、1年の娘がやってるから、手伝ってあげて。……島本さん?」

 

 部長さんは、教室の隅で作業をしている娘を呼んだ。

 

 ん? 島本さん?

 

 島本さんと呼ばれた娘は、「はーい」と、かわいらしい返事をし、振り返った。長い髪を2つに分けて三つ編みにし、両耳の横で輪っかを作ったかわいい髪型、笑うとほっぺたに浮かぶえくぼ。どちらもなつかしいチャームポイントだ。背が高くなり、少し大人びたけれど、その娘はまさしく。

 

「未来ちゃん!?」

 

 あたしと明奈は、同時に叫んだ。

 

「あ! 結衣ちゃんと明奈ちゃん!」

 

 かけてきた未来ちゃんは、あたしと明奈の手を取ると、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。小学生の頃と、何も変わってない。

 

「何? 知り合いなの?」と、梓。

 

「うん。小学生の時、ちょっとね」あたしは明奈と一緒に笑った。

 

 島本未来ちゃん。小学生の時、2回だけ、遊んだことがある。当時、未来ちゃんは市川の小学校に通っていて、たまたま学校が休みだった日に遊んだのだ。

 

「そうなんだ。じゃあ、結衣、明奈。悪いけど、お願いね。公演が終わったら、必ずお礼はするから」

 

 そう言って、梓は部長さんと一緒にみんなのところに戻った。部長さんがパンパンと手を叩き、みんなが注目する。これから本格的な練習が始まるようだ。

 

「じゃあ結衣ちゃん、明奈ちゃん。じゃなかった。もう小学生じゃないから、結衣先輩と明奈先輩って、呼びますね」未来が言った。

 

 結衣先輩――何だろう? この背中がこそばゆい、むずがゆい、それでいて心地よい響きは。ああ。あたしにもついに、後輩ができたのか。

 

「何ニヤニヤしてるのよ。気持ち悪い」明奈が汚物を見るような目をあたしに向けている。

 

「べ、別にニヤニヤなんかしてないよ」あたしはコホンと、咳払いを1つして、未来の方を見る。「じゃあ、あたしたちも未来って呼ぶわね」

 

「はい! じゃあ、結衣先輩、明奈先輩、あたしたちはこっちで作業しましょう」

 

 あたしたち3人は教室の隅へ移動する。剣や盾などの小道具、樹や建物などのハリボテ、衣装ケースなど、たくさん置かれてあった。あまり手入れがされてなかったのか、状態はよくない。中には、使い物にならないほどボロボロのものもあった。

 

「これを直せばいいのね。OK」

 

 あたしと明奈は小道具を手に取ると、破損しているところをテープで補修したり、色あせたところを絵の具で塗り直したりていった。

 

「しかし未来、ホントに、堀北中学に来たんだね」明奈が言った。

 

「うん。だって、約束したから」未来は、笑顔で答えた。

 

 未来の通っていた小学校は、あたしたちの通っていた堀北小学校ではなく、市川の、勉強がすごく難しい学校だ。本当は中学も市川の進学校に通う予定だったようだけど、2年前、堀北中学演劇部のお披露目公演を見た未来は、堀北中学への入学を決意したのだった。

 

「結構大変だったんですよ? お父さんとお母さんを説得するの」未来は言う。

 

 未来の父親は、堀北市の市長をしている。未来がなぜ市川の学校に通っていたのか、正確なところは判らないが、その辺りが理由なのだろう。未来が行く予定だった市川の中学校とは、この堀北中学と比べて、かなり勉強のレベルは高い方だと思う。未来の両親がどんな人なのかは判らないけれど、わざわざ遠くの市川の小学校に通わせたほどだ。かなり教育熱心だったのだろう。演劇がやりたい、という理由で、堀北中学への入学を希望する。それを説得するのは簡単ではない、ということは、容易に想像できた。

 

「頑張ったんだね、偉い偉い」

 

 そう言って明奈が未来の頭をなでなでした。へへへ、と、未来が笑った。その様子がかわいくて、あたしも明奈もつられて笑った。

 

「ところで、今年の演目も、やっぱり『ディアナとミネルヴァ』?」あたしは未来に訊いた。

 

「もちろんです! この劇を楽しみにしてるファンの方が、県内には結構いるんですから」

 

「女神ディアナの役は誰なの? さっきの部長さん?」

 

「いえ、部長さんは、女神ディアナと対立する鬼神ミネルヴァの役です」

 

 へえ。あの人が鬼神役なのか。

 

『ディアナとミネルヴァ』は、女神ディアナと、鬼神ミネルヴァが、最初は対立しながらも、やがてお互いを認め、そして、力を合わせて国を護る、という話だ。主人公は女神ディアナで、鬼神ミネルヴァは準主役。2人の対立が最大の見どころであるこの劇では、鬼神は重要な役どころだ。

 

 鬼神ミネルバは、ディアナとの対立シーンでは感情を乱して叫ぶことはあるけれど、基本的にはクールな性格だ。さっき少し話しただけだけど、部長さんのイメージに合ってるように思う。

 

「じゃあ、ディアナ役は?」

 

「はい。ディアナ役は、我が堀北中学演劇部が誇るエース、3年の、篠崎涼子先輩です!」

 

 未来は、みんなの真ん中で演技をしている女生徒を手で示した。セミロングの髪を後ろでお団子に結び、誰よりも真剣な表情で、誰よりも声が出ている。20人ほどいる部員の中でも、ひときわ目立っていた。

 

「涼子先輩は、なんと、1年の時からずっと、主役のディアナ役を務めている、エース中のエースなんです!」未来、興奮を抑えられない口調だ。

 

 今の先輩が1年の時というと、ちょうど、あたしたち3人が、ディアナとミネルヴァのお披露目公演を見た年だ。あれ? でも、あの時女神ディアナを演じていた人とは違うような気がするな。記憶を探る。女神ディアナの演技はものすごく印象的で、今でもはっきりと覚えている。その記憶のディアナと涼子先輩を比べる。やっぱり、一致しなかった。

 

「あの時の春のお披露目会でディアナ役を演じた人は、秋の大会の直前、突然転校することになって、出られなくなったんです」未来が言った。

 

「え? そうだったんだ!」

 

 びっくりして思わず声を上げる。あの春のお披露目会での演技は、とても数週間の練習期間とは思えない、演劇素人のあたしや明奈ですら引き込まれるほどの、魅力的な演技だった。なのに、本番とも言える市川の大会を前に転校なんて……。突然の転校というと、親の仕事の都合か何かだろうか? 判らないけど、本人はさぞ無念だったろうな。

 

「まあ、そんな不測の事態に備えて、重要な役どころには代役の人がいるんです。2年前、女神ディアナの代役をしていたのが、当時まだ1年生だった涼子先輩です」未来が言った。

 

 不測の事態とは言え、1年で主役に大抜擢。そりゃ、すごいな。

 

「もちろん、そのときは誰もが『所詮は代役だから大した演技はできないだろう』と、思っていたそうなんです。でも、実際演技が始まってみたら、とても代役とは思えない熱演ぶりだったんです。残念ながらその年の優勝は逃してしまいましたけど、でも、涼子先輩の演技は、誰よりも輝いていました。そしてその日から、涼子先輩の絶対エースの伝説が始まったんです!」

 

 未来の熱弁は続く。

 

 その大会での演技が部員のみんなや顧問の先生に認められ、涼子先輩は、翌年も女神ディアナを演じることとなったそうだ。その演技力は、1年の時とは比べ物にならないほど上達していたらしいけど、それでも、秋の大会では優勝できなかったという。

 

「だから今年は、まさに悲願の優勝を賭けた、最後の舞台なんです」

 

 なるほど。そりゃ、気合も入るってもんだ。

 

 未来の話によると、1年から続けてずっと主演を演じた人は、長い堀北中学演劇部の歴史の中でも、例が無いらしい。このところ秋の演劇大会では優勝から遠ざかっているそうだから、涼子先輩に対する期待は、かなり高まっているようだ。

 

 そういえば。

 

 確か、秋の大会を『ディアナとミネルヴァ』の演目で優勝し、その時ディアナ役を演じた生徒には、特別な称号が与えられるんじゃなかったかな?

 

「T.A.D.True Actress Diana.です。先輩、この部に入ったからには、例えそれが臨時の助っ人でも、これを忘れちゃダメですよ」未来が言う。

 

 そうだ。T.A.D.だ。その称号を得た生徒は、将来日本アカデミー賞を受賞するほどの女優になる、って話だったな。

 

「過去、T.A.D.の称号を得た人には、堀瀬茉希さんや七下松子さん、古いところでは、白湯永良理さんもそうです」

 

 げ? そうなの? みんな超有名女優じゃないか。そんな有名人がこの堀北中学の卒業生だったなんて、全然知らなかった。伝統ある部、っていうのは、伊達じゃなかったんだね。

 

 あたしは涼子先輩の演技をじっと見る。序盤の山場、女神ディアナと鬼神ミネルヴァが激しく対立するシーンだ。練習とは思えないほどの迫真の演技だったけれど、途中で部長さんが手を叩いて止める。そして、涼子先輩に、何かアドバイス告げた。いわゆるダメ出しというやつだろう。涼子先輩は頷き、そして、シーンの最初から。それを、何度も何度も繰り返す。その場にいる全員が納得しないと、次のシーンには進めないようだ。

 

 未来は小道具の補修を行いながらも、部長さんのダメ出しや涼子先輩の演技で気づいたことなどを、次々とメモしていた。その顔は、涼子先輩にも負けないほど、真剣そのものだ。

 

「未来も、やっぱりディアナ役をやりたい?」あたしは訊いてみた。

 

「え? あたしですか!? あたしにはちょっと、ムリかもしれないです」

 

 未来、何とも弱気な返事。

 

「何で? 小学校の時は、結構やりたそうに見えたけど」

 

 初めて未来と『ディアナとミネルヴァ』を見た日のことを思い出す。あの日の帰り道、いきなり未来がディアナのセリフを再現して、面食らった。あの時の演技は、結構サマになっていたと思うけど。

 

「あたしもあの頃はディアナ役をやりたかったですけど、涼子先輩の演技を見ていたら、あたしなんかには、とても務まりそうにありません」

 

「務まらないって、まだ入部して1週間も経ってないでしょうが」明奈が言った。

 

「それでも判るんですよ。もう、涼子先輩の演技は別格だって。それに比べたらあたしなんて、ほんと、ごっこ遊びの世界だな、って、思います」

 

「でも、ナースエンジェルごっこにかける熱意なら、きっと、ここのだれにも負けてないと思うよ」あたしは笑いながら言った。

 

「ああ! それ、言わないでくださいよ!」未来の顔がみるみる真っ赤になっていく。「それ、今のあたしの中では完全に黒歴史なんです! 小学校高学年まで、そんなごっこ遊びやってたなんて、絶対部のみんなには言わないでくださいよ!」

 

「そりゃないでしょ。あの時無理矢理付き合わされたこっちの身にもなってよ。超恥ずかしかったんだから」と、明奈。

 

「そんなこと言って、あんたあの時、結構ノリノリだったじゃん」と、あたし。

 

「それは結衣でしょ? 何よあの時の『エンジェルレッド! 今日こそ覚悟しなさい!』ってセリフ。恥ずかしくて聞いてられなかったよ」

 

「それはこっちのセリフよ! あんただって『ピーリカピリララ・パラレルパラレル・ウェディングフラワー! ムーンプリズムパワーで、ナースエンジェルに、ホーリーアーップ!!』って、もう何年も前の変身ポーズ、完璧に再現したじゃない。あれはにはちょっと引いたよ」

 

「はぁ? そんなことしてないでしょ! てか、あんたの方が完璧に覚えてるじゃん!」

 

「あ、あたしはたまたまよ! あの時変身したのは明奈でしょうが! 何、今さら、しらを切ろうとしてるのよ!」

 

 と、まあ、いつものあたしと明奈の、ケンカともいえない言い合いをしていたら。

 

「ちょっとそこ! うるさい!! こっちは真剣にやってんだ! 邪魔するんなら、出て行って!!」

 

 部員の1人に、怒られてしまった。

 

「ご……ごめんなさい!」未来が慌てて頭を下げる。あたしと明奈も、ぺこり、と頭を下げた。声を上げた部員は、フン、と鼻を鳴らし、あたしたちに背を向けた。

 

「……何あれ? こっちは善意で手伝ってあげてんのよ? なのにあの言い方。感じ悪いわね」明奈が小声で言った。

 

「まあ、そう言わないの。邪魔しちゃったのは確かなんだから」あたしは明奈をなだめた。

 

 そう言いながらも、あたしも心の中では、少しだけ明奈に同意していた。今、怒った娘。完全に上から目線だったけど、3年生ではない。あたしと同じ2年生のはずだ。確か、隣のクラスの……誰だっけ? 思い出せない。

 

「黒川さとみ先輩。結衣先輩と同じ、2年生です。結構厳しい先輩ですよ。あたしも、もう何度も怒鳴られてます」

 

 未来が小声で言った。入部1週間にも満たないのに、もう何度も怒鳴られてるのか。どんだけ短気なんだよ。あんまり関わらない方がいい娘かもね。

 

 それからしばらく、なるべく無駄話をしないように気を付けて、あたしたちは作業を進めた。

 

 演劇の練習も進み、シーンは中盤。涼子先輩と、さっきあたしたちを怒鳴ったあのさとみって娘が、2人で芝居に入る。

 

「あのさとみって娘、何の役なの?」未来に訊いた。

 

「さとみ先輩は、女神ディアナに仕える従者クレイアの役です。言ってみれば、メイドですね。ディアナとの絡みも多く、ストーリーにも深くかかわる、重要な役どころです」

 

 そっか。2年生なのに、結構いい役貰ってるんだな。

 

 ちょっと手を止め、さとみの演技を見る。ディアナとクレイアが、クイズゲームで対決するシーンだ。

 

 クレイアはディアナの従者ではあるけど、ディアナは権力を振りかざすようなタイプではないので、2人の関係は、仲の良い姉妹、もしくは先輩後輩みたいな関係だ。今練習しているのは、おいしいケーキを賭けて、2人がクイズゲームで対決するというシーンなのだけど、クレイアがイカサマで勝利し、ディアナが怒り狂うという、なんとも微笑ましい展開になる。

 

「別にディアナ様、間違ってませんよ。クイズの答えは、Eで正解です」

 

 クレイア役のさとみが、ディアナ役の涼子先輩に向かって、イタズラっぽい微笑みを浮かべる。さっき怒鳴った時の鬼のような表情とは大違いだ。その後、さとみはゲームのイカサマを説明する。そして。

 

「そんなのサギだああぁぁ! 認めない! 絶対に認めなああぁぁい!」

 

 ディアナは女神とは思えないような言動で大暴れする。この辺のギャップが女神ディアナの魅力であり、演じるに当たり非常に難しいところなのだけど、涼子先輩は、難なくこなしていく。さすがはエースと呼ばれることはある。

 

 そして、それに対するさとみの演技も、負けてはいない。

 

 ディアナとクレイアの「主従関係にありながらも親友のように仲がいい」という雰囲気を、見事に再現している。結構演技うまいんだな。

 

「涼子先輩とさとみ先輩って、実際に仲がいいみたいなんですよ」未来が言った。「もともと2人は家が近所だったみたいで、子供のころから、姉妹同然に育ったそうなんです。あと、去年の秋の大会で、涼子先輩がディアナを演じた時、その代役に選ばれたのが、さとみ先輩だったんです。まあ、さとみ先輩の出番は無かったんですけど、それでもさとみ先輩、熱心にディアナの役を練習して、涼子先輩も、自分の練習の合間に、さとみ先輩にいろいろアドバイスしてた、って聞きました」

 

「ふーん。そうなんだ。ってか、未来、演劇部入ってまだ1週間も経ってないのに、いろいろ知ってるね」

 

「はい。今のあたしがやるべきことは、少しでも早くこの演劇部に慣れることだと思います。だから、先輩方とは、練習の邪魔にならない範囲で、いろいろお話をするようにしてますから」

 

 ふむ。感心感心。

 

「ところでさ、これ、どうしようか?」明奈が、衣装ケースからドレスを1着取り出した。白が基調の、落ち着いた感じのドレスだ。

 

「女神ディアナが、聖地ターラのお城に来た時に着るドレスですね」未来が言う。

 

「これ、結構派手に破れてるよ? 直せるかな?」明奈はドレスをひっくり返し、背中の部分を指さした。真横に大きく引き裂かれた感じになっている。確かにこれは、修復は難しそうだ。縫うだけなら簡単だけど、縫い跡が目立つようでは、貧乏臭さが出てしまう。ものがドレスだけに、ちょっとそれは避けたい。

 

「あ。それくらいだったら、あたし、直せると思います」未来が言った。

 

「ホント? 大丈夫? 新しいドレス買った方が良くない?」

 

「うーん。部長さん、いつも部費が少ないって嘆いてますから、それはちょっと難しそうですね。大丈夫です。あたし、お裁縫は得意なんです。縫い跡が目立たないよう、バッチリ直して見せます」

 

 自信満々の未来。じゃあ、このドレスは未来に任せよう。あたしと明奈は別の小道具の修復に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

「それでは今日の稽古はこれで終了します。お疲れ様でした!」

 

 部長さんの言葉で、本日の部活は終了となった。ふう。疲れたな。小道具の修復って細かい作業が続くから、目とか腰とかに結構響く。まだまだ直さなきゃいけない物はたくさんあるし、もうどうしようもなくボロボロのものは1から作り直さなきゃいけない。仕事はこれ以外にもたくさんありそうだし、結構大変だな。

 

「お疲れ、結衣、明奈、未来。大変だったでしょ?」

 

 梓が、肩にかけたタオルで汗をぬぐいながらやってきた。

 

「ううん。大変といえば大変だったけど、みんなの稽古を見てたら、楽しかったよ」あたしは笑顔でそう言った。

 

「ああ、あと、ゴメンね、途中でさとみが、イヤなこと言って」梓、すまなさそうな口調。練習の途中であたしと明奈が騒いで、怒られた件だ。

 

「ん? ああ、別にいいよ。騒いだあたしたちが悪いんだし」明奈が何か言い出す前に、あたしは素早く答えた。

 

「さとみも悪い娘じゃないんだけど、演劇のことになると、すぐにピリピリしちゃうのよ。悪気はないから、許してあげて。あの娘には、あたしから言っとくから」

 

「うん。別に気にしてないから、大丈夫だよ」

 

「そう? ならよかった。じゃあ、悪いけど、明日からもよろしくね。今日は、お疲れ」

 

 そう言って、梓は涼子先輩や部長さんの所へ戻った。

 

 そのまま解散になるのかと思ったけど、梓と涼子先輩と部長さん、それに、さっきのさとみという娘の4人は、何か話し合った後に、また演技を始めた。

 

「梓たち、まだ練習するんだ。熱心だなぁ」感心するあたし。

 

「お披露目公演までは2週間とちょっとしかないですからね。先生達も、この時期は、少しくらい下校時間を過ぎても、見逃してくれますから」未来が言った。

 

「ところで、梓は何の役なの? なんか今日、全然出番が無かったみたいだけど」あたしは未来に訊いた。今日1日見ていた限り、梓は、時々部長さんや涼子先輩と話をするだけで、みんなの稽古には加わらず、数人の部員たちとセリフの練習をしていたようだった。

 

「梓先輩は、今回はディアナの代役です」未来が答える。

 

 代役。何らかの理由で涼子先輩がディアナを演じることができなくなった場合、変わって梓が演じるということか。

 

「じゃあ、基本的に今回は出番は無いわけだ」

 

「まあ、そういうことになりますね。でも、代役って重要ですよ。何が起こるか判りませんからね。2年前みたいに、主演が突然転校になることもあるし、人間ですから、病気やケガをすることもある。プレッシャーに耐えられず、本番当日逃げ出す人もいるくらいですから」

 

 と、明奈が何やらニヤニヤしている。まあ、言いたいことは予想がつく。

 

「つまり、この先涼子先輩に何か起こったら、その時はまっさきに梓を疑えばいいわけだね」

 

 予想通りのことを言った明奈を無視し、あたしたちは梓たちの邪魔にならないように、静かに教室を出た。

 

 梓、頑張ってね。

 

 

 

 

 

 

  ☆

 

 

 

 

 

 

 翌日以降も、あたしは未来と一緒に、小道具の修復作業を行った。明奈も文句を言いながらもちゃんと手伝っている。まあ、この娘の場合、本気でイヤなら誰にも遠慮することなく堂々とトンズラするだろうから、内心結構楽しんでいるのだろう。

 

 1週間ほどで、小道具の補修は大体完了した。女神ディアナの白いドレスも、未来のおかげで、遠目からでは絶対バレない程度には修復できた。

 

 その頃から、稽古に体育館を使わせてもらえるようになった。教室とは比べ物にならないほどの広さだけれど、部員たちの演技の声は、ホール中に鳴り響く。本番の舞台で行う稽古は、やはり狭い教室で行う稽古と比べると、気合の入り方が違う。

 

 あたしたちの仕事も、小道具の修復から、演劇の裏方になった。役者が次に着る衣装を用意したり、場面が変わるところで風景のセットをチェンジしたり(例えば森のシーンから部屋のシーンに切り替わる際には、樹や草のハリボテを撤去して、机や本棚を出す、という感じである)、というのが主な仕事だ。簡単そうに思えるけど、これが結構気を使う。慣れないうちは何度も失敗し、みんなに迷惑をかけた。でも、みんな優しいから、ほとんどの部員は笑顔で「大丈夫大丈夫」と言ってくれた。でも、あのさとみだけは違った。まあ、梓のおかげか、初日のように怒鳴られるようなことはなく、イヤミを言われるだったけど(それでもキレそうになってる明奈をなだめるのは大変だった)、同じ部員である未来には、容赦なく罵声を浴びせていた。

 

「ただ衣装を渡すだけなのに何でそんなに時間がかかるの! あたしが着替えている間も、舞台の上では演技が進んでるんだよ! あんたにとっては数秒の遅れでも、舞台の上ではその数秒でタイミングが合わなくなる可能性だってあるんだ!」

 

「この机! さっきと置く場所が違う! 動きの激しいシーンじゃ、ほんのちょっとのずれでも、演技の邪魔になりかねないの!」

 

 と、まあ、こんな感じで、もはや言いがかりにも近いような内容で怒鳴る。その振る舞いは、まるでシンデレラの継母のようだ。その都度未来は、「す……スミマセン!!」と、何度も何度も頭を下げる。みんなが見ている前で怒鳴られて頭を下げて、それが、毎日のように続く。さすがに見ていてかわいそうなので、未来を庇おうとするけれど。

 

「いいんです。さとみ先輩の言っていることは間違っていません。悪いのはあたしですから」

 

 と、本人に言われると、どちらかといえば部外者のあたしには、口をはさむことができなくなる。

 

 そんな感じで稽古の日々は過ぎ、そして、ゴールデンウィーク初日。短い期間だったけど何とか公演できるレベルに達した堀北中学演劇部は、ついに、お披露目公演当日を迎えた。

 

 

 

 

 

 

「うわぁ。なんか、凄い人が集まってるね」

 

 舞台の袖、降ろされた幕の隙間からホールを覗く明奈。並べられたパイプ椅子は、2年前、あたしたちが見に来たときの倍くらいの数はあるけれど、開演1時間前にして、もう半分以上が埋まっていた。

 

 梓も横からホールの様子を伺う。「去年もすごい人だったから、客席の数を増やしたんだけど……この様子じゃ、今年も席が足りなくなりそうだね」

 

「それだけ、今年の堀中演劇部が、注目されているってことですよね」未来、緊張を隠しきれない口調。実際演技するわけじゃないのに、何緊張してるのよ、と、笑うことはできない。あたしだって、さっきから心臓のバクバクが止まらない。開演1時間前でこれじゃ、本番になったら、あたしの心臓は破裂するんじゃないだろうか。

 

「まあ2人とも、そう緊張しなさんなって」梓があたしたちを振り返る。「みんな、演技を見に来てるんだから、裏方のあたしたちのことなんて、気にしてないよ。多少失敗しても、誰も気づかないから、気楽にやって」

 

 そう言って、梓は笑った。梓は、去年の春の入学とほぼ同時に演劇部へ入部したので、去年のお披露目会を経験している。おかげで、あたしたちと違い、それほど緊張はしていないようだ。いてくれて心強い。あたしたち3人じゃ、心細くて仕方なかったところだ。

 

 女神ディアナの代役として稽古してきた梓だったけど、ディアナ役の涼子先輩をはじめ、部員全員今日の体調はバッチリで、1人の欠員も出すことはなかった。それはつまり、今回梓の出番は無い、ということになる。だから、今日の梓はあたしたちと同じく裏方だ。代役というのはそういうものであり、別に梓も悔しがってはいないけれど、何と言うか、せっかく練習してきた成果を披露する機会が無いっていうのは、寂しいだろうな。

 

「あ! 梓先輩! あれ、見てください!」

 

 未来が、体育館の入口を指さした。女生徒が5人、入ってくるところだった。堀中の制服ではない。他校の生徒だ。

 

「あれ、大政中学の制服だね」と、明奈。堀北の街にいくつかある中学校の1つだ。

 

「そう。そして、去年の秋、市川で行われた演劇大会の優勝校」梓が、重々しい口調で言った。

 

 去年の秋の優勝校――つまり、今年こそ悲願の優勝を狙っているこの堀中演劇部にとって、最大のライバルってことか。

 

「どうする? 毒でも盛っとく?」

 

 物騒なことを言う明奈を、あたしと梓はいつものようにムシする。

 

「ダメですよ、明奈先輩! 演劇は、神聖なものなんです! 正々堂々と勝負しなくちゃいけません!」

 

 真面目なツッコミを入れているのはもちろん未来だ。あの明奈に対してあんな受け答えをするなんて、なんて初々しいのだろう。まあ、それもきっと今だけだ。1年もすれば未来も「華麗にスルー」という、明奈と付き合うのに必須の技術を覚えることだろう。

 

「みんな、1度集まって」

 

 部長さんが手を叩き、みんなを呼んだ。各々発声練習やストレッチやセリフの読み合わせをしていた部員たちが集まる。あたしたちも急いだ。

 

「あ、涼子先輩!」未来が、涼子先輩に駆け寄る。「大政中学の部員たち、偵察に来てましたよ」

 

 未来の報告に、涼子先輩は、「そう」、と、頷いただけだった。興味があるのかないのか判らない反応だ。

 

「誰が来ようと関係ないよ」涼子先輩の隣に、さとみが立った。「あたしたちは、あたしたちの演技をやるだけだ。あんたもそんなこと気にしてないで、自分の仕事に集中してなさい」

 

「あ……はい」未来は、すまなさそうに頭を下げた。

 

 まあ、さとみの言う通りかもしれないけれど、何もあんな言い方をしなくてもいいじゃないか、と思う。しゅんとなってしまった未来に「気にしない気にしない」と、慰めの言葉をかけた。

 

 部員全員が集まった所で、部長さんは、みんなに向かって言った。

 

「今年も沢山の人が見に来てくれています。開演まであと30分。緊張している人もいると思います。練習期間が短いので、うまく行かないこともあるかもしれません。でも、今日の公演は、今年の演劇部のメンバーを紹介するための場です。大会ではありません。失敗を恐れず、のびのびと自分の演技をして、公演を楽しんでください」

 

 部長さんの言葉に、部員全員、大きな声で「はい!」と応えた。

 

「……自分の演技をして、公演を楽しむ……と」

 

 何やらぶつぶつ言ってるのは未来だ。見ると、さっきの部長さんの言葉を、しっかりとメモしている。ホント、真面目だな。

 

「さあ、あたしたちも、そろそろ準備しようか」梓が言った。

 

 梓と未来は役者たちの衣装を準備し、あたしと明奈は舞台のセッティングをする。最初のシーンは森の中。女神ディアナと、後にディアナが側室となる主神ベルン、そして、鬼神ミネルヴァの出会いのシーンだ。セッティングといっても、木や草のハリボテを数個立てるだけだ。置く場所にさえ気を付ければ、何の問題も無い作業である。

 

 大変なのは、開演してからだ。

 

『ディアナとミネルヴァ』は、ストーリーが進むにつれ、シーンが切り替わるのが特徴だ。例えば、最初は森のシーンだが、ストーリーが進むと、次はお城のシーンとなる。その次はディアナの部屋、そして次はまたお城、と、シーンはめまぐるしく入れ替わる。その都度風景の小道具を入れ替えるわけだ。シーンの切り替え時には舞台は暗転するから、薄暗い中、決められた置き場所に、決められた時間内にセッティングするのは結構大変だ。仮にあたしたちがセッティングミスをして、それで演技に何らかの支障が出たら、恥をかくのはあたしたちではなく、舞台に上がっている役者だ。それを考えると、プレッシャーに押しつぶされそうになる。

 

 そして、緊張から解放されぬまま、ついに、舞台の幕は上がった。

 

 

 

 

 

 

 幸い、何事もなく演技は進んだ。森の中で女神ディアナと主神ベルンが出合い、ベルンの15番目の妻に選ばれたディアナは、ベルン一行とともに、聖地ターラへ向かう。

 

 ここで、場面暗転。次のシーンはお城だ。お城に到着したディアナが、ベルンの正妻エリザと謁見する場面である。舞台が真っ暗になったところで、あたしたちは出て行く。木や草のハリボテを片付け、石の壁や鎧の置物をセッティングする。よし! うまく行った! 舞台が明るくなり、演技再開。

 

 舞台上では、ディアナとエリザの演技が行われる。このシーンはあまり長くない。すぐに次のシーンの準備をしなければ。次はディアナの部屋だ。ディアナとメイドのクレイアが出会うシーン。用意するのはテーブルとイスとクローゼット。このクローゼットの中には、ディアナが着替える白いドレスが入っている。未来が一生懸命直した、あのドレスだ。

 

「もうすぐよ。未来。準備はできてるの?」クレイア役のさとみがやってきた。

 

「はい! この通り、準備OKです」未来は用意したクローゼットを見せた。「中のドレスも、バッチリ、直しましたから」

 

 そう言って、未来はクローゼットを開けた。

 

 その瞬間。

 

「――――!」

 

 その場にいた全員が、息をのんだ。

 

 中にあるドレス。女神ディアナが着るドレス。未来が一生懸命直したドレスが。

 

 ズタズタに、切り裂かれていた。

 

 袖が切られ、背中部分が大きく引き裂かれ、スカートは裁断されていた。

 

「な……何よこれ!」ホールにまで聞こえるんじゃないかと思うほどの大きな声を上げるさとみ。クローゼットからドレスを出す。純白の美しいドレスは、見るも無残なボロ雑巾のような状態になっていた。とても着られる状態ではない。

 

 キッ! っと、鋭い目で未来を睨むさとみ。まるで、未来のせいだ、とでも言いたげな視線。衣装関連は、ほとんど未来にまかせっきりだった。このドレスを最後に確認したのは、未来ということになる。

 

「昨日の夜、あたしがチェックしたときは、異常はありませんでした……」消え入るような声で答える未来。

 

「その時は、あたしも一緒に確認したわ」未来とさとみの間に梓が入る。「異常は無かった。それは確かよ」

 

「じゃあ、何でこんなことになったの!」さとみが怒りをあらわに叫んだ。

 

 何でこんなことになったのか――。

 

 昨日の夜まで異常が無かったドレスが、一晩クローゼットに入っていただけで、自然に破れるはずがない。

 

 誰かが切り裂いたんだ。そうとしか考えられない。

 

「どうしたの? 何の騒ぎ?」

 

 涼子先輩の声。お城のシーンでの出番を終え、戻ってきたのだ。舞台上では、主神ベルンと正妻エリザの会話シーンが演じられている。しばらく女神ディアナの出番は無いけど、それもそう長い時間ではない。すぐに次のシーンが始まる。

 

「涼子先輩。ディアナのドレスが……」さとみが、引き裂かれたドレスを見せた。

 

 息をのむ涼子先輩。

 

 言葉が出てこない。

 

 恐らく、瞬時にして気が付いたのだろう。ドレスが、誰かの手によって引き裂かれたことに。

 

「誰がこんなことを!!」吼えるさとみ。

 

 もちろん、誰も応えない。

 

 重苦しい沈黙。

 

 と、舞台のライトが消えた。

 

 まずい、暗転だ。次のシーンはディアナの部屋だ。テーブルとイスとクローゼットを準備しなければいけない。でも、ドレスは切り裂かれて使えない。いったいどうすれば? オロオロするしかないあたしたち。

 

「……いいわ。未来、梓、そのまま準備して」

 

 そう言ったのは、涼子先輩だった。

 

「え……そのままって、このドレスで演技するんですか!?」驚く未来。ドレスはとても着られるようなものではない。とても演技ができるとは思えない。

 

「時間が無いわ。いいから準備して。後は、あたしとさとみで何とかするから」

 

 鋭い声で言われ、未来は、ドレスをクローゼットに戻した。あたしたちも手伝う。未来と梓がクローゼットを運び、あたしと明奈はテーブルとイスを運ぶ。同時に、お城のセットを片付ける。そして、照明が点いた。演技の再開だ。

 

 女神ディアナとメイドのクレイアの出会いのシーン。クレイアが部屋の掃除をしているところに、ディアナがやってくる。お互い自己紹介をする。かわいらしいクレイアの言動に、好感を持つディアナ。

 

 ……次だ。

 

「さて、ディアナ様。まずは、お召替えをなさいますか?」クレイア役のさとみが言う。

 この後、クレイアがクローゼットを開け、ディアナをドレスに着替えさせるのだ。しかし、あんな状態のドレスで、いったい、どうするつもりなんだろう?

 

 クレイアがクローゼットを開けた。

 

 そして、切り裂かれたドレスを取り出す。

 

「な……何よこれ!」クレイアが叫んだ。

 

「どうしたの?」ディアナが覗き込み、そして、ドレスを見て、息をのんだ。

 

「申し訳ございません! 昨日の夜確認したときは、異常は無かったんですが……誰がこんなことを!!」怒りをあらわにするクレイア。

 

 これは。

 

 さっきの舞台裏でのやり取り、ほとんどそのままだ。

 

 もちろん、こんなセリフは台本には無い。

 

 つまり、2人のアドリブだ。

 

 しかし、全く違和感は無い。

 

 主神ベルンの15番目の妻として、お城にやってきた田舎女神のディアナ。それに対する、何者かの嫌がらせ。話の流れとして、不自然なではない。

 

 演技は続く。

 

「本当に申し訳ありません! すぐに別のお召し物を用意します!」

 

 そう言って部屋を出て行こうとするクレイアを、ディアナが止めた。「まあ、いいよ。あたし、このままで」

 

 ディアナは、着ている服のスカートを少し広げた。地味な茶色のワンピースだ。

 

「え? いえ、でも……」

 

「そのドレス、綺麗だけど、ちょっと派手かな。あたしには似合わないよ。この服で十分」

 

 ディアナはくるっと1回転し、にっこりと笑った。

 

 そんなディアナを見て、クスっと笑うクレイア。

 

「ん? どうしたの?」ディアナが言う。

 

「あ、いえ、失礼しました。ディアナ様って、変わってますね」

 

「へ? なんで?」

 

「だって、主神ベルン様のご側室になられたのですから、普通は着飾りたがるものですよ?」

 

「そうかな?」

 

「そうですよ。あたし、これまで何人かのご側室に仕えてきましたけど、みんな目の色を変えて、ドレスや指輪やティアラやネックレスなど身につけてましたから。でも、良いと思います。こんな風に言うと他のご側室に失礼でしょうけど、あまりお高く止まってなくて、親しみが持てます。他のご側室の方々や、王妃様は、なんだか近づきがたい雰囲気がありますし、そばで働いてると、息がつまるんですよ。……あ、申し訳ありません。あたしったら、ディアナ様にこんな軽口を……」

 

「ん? あたしは全然構わないよ? 変に気を使われると、こっちも息がつまってくるもん。逆に、これからもずっと、こんな風に、お友達感覚で話せるとうれしいな」

 

「そんな! そういうわけにはいきません。ディアナ様は、あたしのご主人様なんですから」

 

「じゃ、命令。あたしと友達でいること。これならいい?」

 

 クレイア、目を丸くして、驚き半分あきれ半分という顔。そして、ぷっと吹き出し、笑った。ディアナも笑う。

 

「ホント、変わってますね。判りました。命令なら、仕方ありません」

 

「じゃ、よろしくね、クレイア」

 

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 

 ディアナとクレイアは、お互い笑い合った。

 

 ……す、すごい。今の全部、アドリブだよ? 今その場で考えたセリフだよ? 全然違和感が無かった。最初からそういうシーンだったかのよう。観客みんな、そういう台本だと思ってるに違いない。

 

 その後も2人の演技は続く。アドリブは終わり、今は通常の台本のセリフに戻っている。アドリブを入れても、その先の話の流れが変わってしまったり、矛盾点が発生したら問題だけど、見事に本来のセリフに戻ってきた辺りもすごい。

 

 おっと。感心してる場合じゃない。もうすぐこのシーンも終わりだ。次の準備をしなきゃ。次は、再びお城のシーンだ。さっき下げたばかりのお城のセットを用意する。

 

 そして、暗転。あたしたちはお城のセットを持って舞台に飛び出した。

 

 

 

  ☆

 

 

 

「誰がこんなことをしたの! 何が目的なの!!」

 

 さとみが、部員全員に向かって叫ぶ。誰も応えない。みんなうつむき、お互いの様子をチラチラと伺っているだけだ。

 

 お披露目公演は、ディアナのドレスが引き裂かれた一件を除き、大きな混乱もなく終了した。観客はスタンディングオベーション。体育館内は割れんばかりの拍手に包まれた。一応、公演は大成功と言える。

 

 しかし、それで終われるはずもなく。観客が帰った後、一体誰がこんなことをやったのか、犯人探しが始まったのだ。

 

 みんなが気まずそうにうつむいている中、明奈は、頭をガシガシと掻きながら、つまらなそうに成り行きを見ていた。今にも大あくびでもしそうな雰囲気だ。

 

「……ちょっと。不謹慎でしょ、こんな時に」小声で注意するあたし。

 

「だってさ。なんか、かったるくて」みんなに聞こえるくらいの大きな声の明奈。

 

「何ですって?」鬼のような目で睨むさとみ。明奈の隣にいた未来がびくっと震えるほどの視線だったけど、明奈は動じない。

 

「だってさ、舞台衣装をこっそり切り刻むような姑息な真似をするようなヤツが、『誰がやったの!?』なんて言われて、ホイホイ名乗り出てくるわけないでしょ? 時間のムダだよ」あっけらかんとした口調。

 

 確かに、明奈の言うことは一理ある。

 

 もちろん、そんなことをさとみが認めるわけもなく。

 

「フン。部外者は黙ってなさい」

 

 吐き捨てるように言った。

 

「はいはい。あたしは部外者ですよ。だから、もう帰っていい? バカバカしくて、付き合ってられないよ」

 

「ふざけないで。帰りたいのなら、自分が犯人じゃないと証明しなさい」

 

 その言葉に、今度は明奈の目が鋭くなる。

 

「……って言うかさ。あんたさっきから偉そうに仕切ってるけど、あんた自身が犯人じゃない証拠はどこにあるのよ?」

 

「はぁ? あたしがそんなことするわけないでしょ!」

 

「だから、その根拠が無いって言ってるんでしょうが。ギャーギャー騒いだ人が犯人じゃないっていうんなら、あたしだってそうするわよ。『いったい誰がやったのぉ!! ふざけないでぇ!!』こんな感じでいい?」

 

 明奈、挑発的な視線をさとみに向ける。うーむ。さすがは明奈だ。部外者なのにここまで言うなんて、並の心臓じゃできない。まあ、言ってることは間違ってないかな。あたしだって明奈と同じ考えだ。でも、そろそろ止めないとマズイかな。さとみ、今にもキレそうだ。このままだと殴り合いのケンカに発展しかねないし、隣で未来が失神しそうだ。

 

「やめなさい、さとみ。北沢さんの言う通りよ」

 

 そう言ったのは、涼子先輩だった。

 

「涼子先輩、そんな!」さとみの顔に、裏切られた、という思いがにじみ出る。

 

「勘違いしないで、さとみ。あなたがやったんじゃないってことは、あたしが一番よく判ってるわ。でも、北沢さんの言う通り、こんなことは時間のムダよ。犯人は名乗り出たりはしない」

 

 涼子先輩に言われ、さとみもようやく落ち着いたのか、それ以上は何も言わなかった。

 

「ただ――」涼子先輩の視線が、みんなに向けられる。「あたしも、これが外部の人間の仕業だとは思っていません。犯人は部員の誰かだと思います。これはどう考えてもあたしを狙ってのことでしょうから」

 

 ……そうだ。

 

 涼子先輩の言う通り。

 

 ディアナのドレスを引き裂いたということは、涼子先輩を貶めることが目的だったとしか考えられない。

 

「誰が何の目的でこんなのことをしたのかは判りませんが、あたしを狙ったということは、あたしのことが気に入らないのでしょう。でも、こんな方法は間違っています。もし、あたしが女神ディアナをやるのが気に入らないというのなら、あたし自身に直接言ってください。こんなことであたしがディアナを辞めると思ったら、大間違いです」

 

 決意に満ちた声で、そう言った。

 

 涼子先輩は。

 

 1年のときから、ずっと、女神ディアナを演じている。

 

 伝統ある堀北中学演劇部にとって、それは異例のことだ。

 

 もちろん、涼子先輩にそれだけの才能があるということなのだけど。

 

 世の中には、優れた才能に対し、嫉妬する人がいる。

 

 特に。

 

 ここにいるみんな、演劇をやる人たちだ。控えめな人なんていない。誰だって目立ちたい。主演をやりたいと思っているはずだ。

 

 でも、自分と才能ある人の間に、埋めようのない差があると気付いたら。

 

 嫉妬のあまり、今回のような行動に出てしまう人も、いるのだ。

 

 こんなことをしても、なんにもならない。それはきっと、本人にも判っているはずだ。

 

 それでも、やってしまう。

 

 悲しいことだ。

 

 でも、きっと。

 

 その気持ちも、涼子先輩には判るのかもしれない。

 

 同じ演劇者として、才能ある人に嫉妬する気持ちは、判るのかもしれない。

 

 だから、犯人探しはしない。

 

 演劇のことなんて全くの素人で、なんにもわからないけれど。

 

 その時あたしは、涼子先輩を見ていて、なんとなくそう思った。

 

 

 

 その後、部長さんがなんとかその場を収め、ようやく解散となった。

 

 

 

  ☆

 

 

 

「なんか、ゴメンね、結衣、明奈。イヤな思いさせて」

 

 学校を出て、梓がすまなさそうに言った。

 

「ううん。大丈夫。気にしてないから。それに、結構楽しかったよ、演劇部」

 

 いまだはらわたが煮えくり返っている明奈が何か言う前に、あたしは笑顔で答えた。予想外のトラブルがあったとはいえ、公演自体は大成功だった。

 

「それにしても、涼子先輩とさとみ先輩のアドリブ、凄かったですねぇ」未来うっとりした表情。

 

「ホント、そうだよね」梓が同意する「最初からああいう脚本だったんじゃないかってほど、自然だった。むしろ、あの方が話としては説得力があったくらいだよ。もしかしたら秋の大会は、あれをベースに脚本書き直すのかもしれない」

 

「え? 脚本書き直すって、そんなことがあるの?」驚くあたし。

 

「もちろん。いいと思ったら、脚本も演技もどんどん変えていくよ。配役だって、変わる可能性もある。だから、あたしも未来も、今からみっちり練習すれば、秋までに役を貰える可能性もあるのよ」

 

「えー。あたしなんかじゃダメですよ」弱気なことを言う未来。「あたし、今日の涼子先輩とさとみ先輩の演技見て、ますます自信がなくなっちゃいました」

 

「うーん。そうだね。涼子先輩はともかく、さとみもあんなアドリブができるなんて。完全にあたし、差を付けられた感じかな」梓も弱気だ。

 

「何言ってんの。まだ秋の大会まで半年近くもあるじゃない。今からみっちり練習して、あの2人から役を奪ってやりなさい!」あたしは拳を振り上げた。

 

「あー、ちょっとそれはムリかな。でも、そのつもりで頑張るよ。ありがと、結衣」梓は笑顔で応えた。

 

「さとみに毒を盛るなら、いつでも協力するからね」

 

 またまた物騒なことを言う明奈を、あたしと梓は華麗にスルーする。

 

 でも。

 

「だから明奈先輩! 演劇は神聖なものなんです! 正々堂々と勝負しないといけないんです!」

 

 相変わらず真面目にツッコミを入れる未来。ホント、律儀だな。

 

 そんな未来の姿を見て、あたしたちは笑い合った。

 

「……さて。結衣、明奈、今日は、ホントにありがとう。また、秋の大会もよろしくね」梓が微笑む。

 

「ダメダメ。今年の秋はスターオーディション・セカンドストーリーが発売されるんだから、そんなヒマないよ」

 

 と、言う明奈を制し。

 

「うん、いいよ。あたしも明奈も、楽しみにしてるね」

 

 笑顔でそう言った。少しイヤな思いもしたけど、楽しかったのは確かだし、最後の、観客のスタンディングオベーションは、本当に嬉しかった。

 

 もちろん、あの時の拍手と歓声は、その大部分が役者の人たちに向けられたものだ。あたしたちのような裏方に向けられた拍手など、ほとんど無いだろう。

 

 それでも。

 

 雑用係で部外者で演技の素人でも、あの舞台を影で支えたのは、あたしたちだ。あの拍手と歓声の、ほんの数パーセントでいい。あたしたちに向けられていると思っても、バチは当たらないだろう。

 

 また、この喜びを味わいたい。

 

 明奈も、そう思っているはずだ。

 

 だからむしろ、こっちからお願いしたい。

 

 また、秋の大会もよろしく、と。

 

 うん。

 

 

 

(作者オリジナル)

 

 

 

 

 

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