Y.U.I.~都市伝説ファイル~   作:ドラ麦茶

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女神と鬼神 #3

 堀北中学演劇部の春のお披露目公演は、女神ディアナの衣装が何者かに引き裂かれるというトラブルはあったものの、涼子先輩とさとみの機転により乗り切り、無事、終了となった。

 

 演劇部はお披露目会終了後のゴールデンウィーク期間は、自主練習となる。部室は解放されているけど、稽古に出るか出ないかは個人の自由。要するに、一区切りついたから、少し休んでいいよ、ということである。本当に練習するのは、演劇部のエース・涼子先輩とさとみと部長さん。それと、頭に超が付くほど真面目な未来くらいだったようだ。

 

 ゴールデンウィークが終わると、9月下旬に市川で行われる大会に向けての準備が始まる。基礎練習をみっちり行い、台本を直し、そして、場合によっては配役も変更するそうだ。

 

 お披露目会までの助っ人だったあたしだけど、その後も演劇部の様子が気になったので、時々様子を見に行っている。嬉しいことに、春のお披露目会を見て、入部を希望する生徒がいたようだ。1年生が5人と、2年生が2人だ。

 

 ただし、1年生のうち4人は、6月になる前に、早々に辞めてしまった。さとみの新人イビリに耐えられなかったのだろう、と、あたしと明奈は推測している。

 

 7月になると、手直しされた台本をもとに、配役が再考される。台本は、春のお披露目会の時の、涼子先輩とさとみのアドリブを取り入れたものになったようだ。配役の変更はほとんどなく、主演ディアナはもちろん涼子先輩だ。さとみも引き続きメイドのクレイア役。梓にも何か役が与えられるといいな? と思っていたけど、本人の希望もあり、春のお披露目会と同じく、ディアナの代役となったそうだ。

 

 そして、未来は。

 

 なんと、アリアというメイドの役を貰ったそうだ!

 

 1年生で役がもらえるのは、結構な快挙だ、と、梓は言っている。

 

 未来は「メイドのアリアなんて、出番もセリフも少ないですし、いてもいなくてもいいような役だから、おまけみたいなものですよ」と、謙遜しているが、それでも役がもらえて本当に嬉しそうだった。これも、日ごろから真面目に取り組んできた姿が評価されてのことだろう

 

 夏休みになると、稽古稽古稽古、である。合宿もあり、この時期は本当に厳しい稽古の毎日だったようだ。

 

 そして、9月。

 

 秋の大会が目前に迫り、再びあたしと明奈に招集がかかった。春のお披露目会と同じく、裏方の仕事である。未来が役を得たため、今回は1人少ないけれど、まあ、なんとかなるだろう。

 

 そして、堀北中学演劇部は、ついに、秋の大会を迎えた――。

 

 

 

  ☆

 

 

 

「――そんな! 今さら何言ってんですか!」

 

 控室に、さとみの声が響き渡る。ストレッチや発声練習など、各々準備をしていた部員たちの視線が、一斉に注がれる。小道具の準備をしていたあたしと明奈と梓も、思わず手を止めた。

 

「無茶なのは判ってる。でも、このままだと、大政中学には勝てない」淡々とした口調で言ったのは涼子先輩だった。

 

 さとみと涼子先輩が、何やら言い争っているようだ。珍しいな。確かあの2人は、家が近所で、小さなころから姉妹同然に育った仲のはず。まあ、さとみはあんな性格だから、演技のこととなれば先輩後輩を問わず、言いたいことをハッキリと言う娘だけど、涼子先輩と言い争うのは、初めて見たかもしれない。何があったんだろう?

 

「ちょっと、何やってるの。出番はもうすぐなのよ?」2人の間に部長さんが割って入った。

 

「……スミマセン。でも、涼子先輩が、台本を変えたいって」さとみが部長さんに言った。

 

 台本を変える? 今から?

 

 市川で行われている、秋の演劇大会。後20分ほどで、あたしたち堀北中学の出番だ。このタイミングで台本を変えるなんて、そんなの、無茶だ。

 

「台本を変えるって、そんな簡単なことじゃないです! ヘタにいじって前後のつじつまが合わなくなったら、それこそ優勝なんてできません!」再びさとみが叫ぶ。

 

「簡単じゃないのは判ってる。でも、このままじゃダメなのよ」さとみとは対照的に、涼子先輩は感情を乱すことなく話す。「さっきの大政中学の演技、見たでしょ? 想像以上の完成度だった。今のままだと、きっと勝てない」

 

 大政中学は、前回大会の優勝校で、今年こそ悲願の優勝を狙うあたしたちにとっての、最大のライバルだ。今回の演劇大会にエントリーした学校は全部で5校。公演の順序は事前に行われたくじ引きによって決められた。あたしたちの出番は5番目。最後だ。大政中学は2番目で、すでに演技を終えている。

 

 大政中学の演劇は、現代のアメリカを舞台にしたホラーミステリーだった。部員全員で客席から見たけれど、さすがに前回優勝校だけあって、誰もがその物語と、役者たちの演技に引き込まれていた。演劇素人のあたしでも、その完成度の高さが判った。

 

 でも、個人的には、あたしたち堀中演劇部も、決して負けてはいないと思っていた。それは、素人目から見た安易な考えでしかなかったのだろうか? 大政中学に勝てない――涼子先輩は、そう言い切った。

 

「……そうなの?」あたしは、小声で梓に訊いた。

 

「うーん、どうだろうね?」梓は唸る。「あたしはそう悲観するほどではないと思うけど……でも、涼子先輩の気持ちは、判らなくはないよ。大政中学が、今年になっていきなり演目を変えてきたから、不安になったんだと思う?」

 

「演目を変えた?」

 

「ええ。大政中学の演劇部は、うちと同じくらい伝統のある部。毎年、代々伝わる演劇で、この大会に挑んできたんだけど、今年は違った」

 

 梓の話によると、大政中学はこれまで、第2次世界大戦時の日本を舞台にした恋愛物語でこの大会にエントリーしていたのだそうだ。今年の演劇とは、まるで方向性が違う。

 

「もちろん、毎年同じ内容だからと言って、評価が下がるということはないけれど……でも、審査員は毎年殆ど同じ顔ぶれだし、彼らだって人間だから、何度も見ている演劇より、初めて見る演劇の方を面白く感じる、ってことも、無いとは言えないわね」梓は、浮かない表情でそう言った。

 

 涼子先輩は、なおもさとみに訴える。「お願いよ、さとみ。あたしたち3年生にとっては、これが最後の大会なの。悔いは残したくない。春のお披露目会でのあなたのアドリブは、完璧だった。あなたにしか頼めないの。さとみ。自分に自信を持って。あなたなら、大丈夫」

 

「あ……あれは、ドレスが引き裂かれていて、あれ意外に乗り切る方法が無かったから、仕方なくやったんです。それに、そもそもあの時は大会じゃなかったから、あたしも、『失敗してもいいや!』って、開き直りもあったし……」さとみの口調が穏やかになった。迷っているように見えた。

 

「よしなさい、涼子」部長さんが止める。「さとみの言う通り、今から台本を変えるなんて無理よ。そんなことを認めるわけにはいかない」

 

 部長さんの言葉に、涼子先輩は納得がいかない、と言わんばかりの表情を向ける。何か言いかけようとしたけど、部長さんがそれを制し、言葉をつづけた。

 

「大丈夫。あたしたちはここまで、やれることは全てやってきた。後は舞台の上でそれを披露するだけ。今のままでも、十分優勝は狙えるわ」

 

 部長さんの言葉に、涼子先輩は。

 

「……判ったわ」

 

 小さな声でそう言った。言葉とは裏腹に、とても納得しているようには見えなかった。

 

 トントン。ノックの音とともに、控室のドアが開く。

 

「堀北中学演劇部の皆さん。準備をお願いします」

 

 大会係員の人がそう告げた。

 

「よし。じゃあみんな、行くよ」

 

 部長さんがそう言って、みんな控室を出て行った。あたしも明奈と梓と一緒に、舞台裏に小道具を運んだ。

 

「先輩。あたしも手伝います」

 

 そう言って、未来も一緒に運んでくれる。

 

「ありがと。でも、大丈夫だよ。これはあたしたち裏方の仕事だから。未来は、自分の演技に集中してて」あたしは笑顔でそう言った。明奈と梓も頷いた。

 

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。あたしの出番は最後の方ですし、それに、何かしてないと、落ち着かなくて」ドレスの入った衣装ケースを持ち、未来は笑った。

 

 確かに、未来は笑ってはいるものの、どこかぎこちない、ひきつっているような笑顔だ。まあ、それも当然で、未来は春のお披露目会でも、裏方であるにもかかわらず、超緊張していた(もっとも、それはあたしもだけど)。それが今回は、出番は少ないとはいえ、役者として舞台に立つのである。その緊張は、春の比ではないだろう。

 

「判った。じゃあ、お願いね」

 

「はい!」

 

 未来は緊張を吹き飛ばすように元気に返事をし、そして、あたしたちは4人で小道具を運んだ。

 

 ちなみに。

 

 春のお披露目会の時のようなことが無いように、小道具や舞台のセットは、全て、何度も念入りチェックした。もう、衣装が引き裂かれているなんてことは無い。

 

「よし。じゃあみんな、1度集まって!」

 

 あたしたちが舞台裏にすべての小道具を運び込んだところで、部長さんがみんなを集めた。本番5分前だ。

 

「もうすぐ本番です。あたしたちはこの日のために、今まで練習してきました。あたしたち3年生にとっては、最後の舞台です。練習の成果を余すことなく出して、悔いの残らない舞台にしてください」

 

 部長さんの言葉に、「はい!」と、応える部員たち。

 

 ただ1人。涼子先輩だけが。

 

 下唇を噛み、じっと、うつむいたままで、返事をしなかったことに、あたしは気づいた。

 

 何を考えているのか。その表情からは判らない。

 

 ただ、さっきの控室での、さとみに言った言葉が頭をよぎる。

 

 ――あたしたち3年生にとっては、これが最後の大会なの。悔いは残したくない。

 

 今、部長さん自身も言った。悔いの残らない舞台にしてください、と。

 

 涼子先輩は今、何を思っているのだろう?

 

 あたしなんかに、判るはずもない。

 

 

 

 そして。

 

 舞台の幕は上がった。

 

 

 

  ☆

 

 

 

 演劇は、序盤は何の問題もなく進んだ。

 

 春のお披露目公演を経験したことで、あたしと明奈の気持ちにも余裕が生まれていた。緊張していないとは言えないが、それでも、ミスをするようなことは無かった。女神ディアナと主神ベルンの出会いである森のシーンが終わり、続いてお城のシーン。その後、ディアナの部屋、お城、と、暗転するごとに、テンポ良く、舞台上のセットを変えていく。

 

 あたしたち裏方も、役者の舞台上での演技も、全く問題は無く、順調に進んでいった。

 

 しかし。

 

 物語の中盤で、それは起こった。

 

 それは、ディアナとクレイアがカードゲームで対決するシーンだった。クレイアがイカサマで勝利し、負けたディアナはクレイアのイカサマには気づかず、クレイアがそのまま退場……となるシーンなのだが。

 

 クレイアの去り際。

 

「ねえ、クレイア。あなた、何かあたしに隠し事してない?」

 

 ディアナ役の涼子先輩が言った。

 

 立ち止まる、クレイア役のさとみ。

 

 今の、涼子先輩のセリフは――。

 

 台本には無いセリフだ。

 

 つまり――涼子先輩のアドリブ。

 

 部長さんに止められたにもかかわらず、台本を変えたんだ!

 

 突然のことに動揺したのか、さとみは何も応えない。

 

「クレイア? どうしたの?」ディアナがさらに問いかける。

 

 うつむいたままのクレイア。

 

 これは……アドリブを返せないのか?

 

 そう思った時。

 

 くるり。クレイアが振り返った。「あ……あはは。ごめんなさい! 実は、ディアナ様が楽しみにしていたショートケーキ、さっき、こっそり1人で食べちゃいました。だって、すごくおいしそうだったから」

 

 ひきつった笑顔で、そう答えた。

 

 沈黙。見つめあう2人。

 

 台本に無いセリフだ。この後どちらがしゃべるのか、なんて、当然決まっていない。一体、どうなるのだろう。

 

 どちらも、しゃべらない。動かない。

 

 ほんの数秒の時間が、永遠と思えるほどの長さ。見ているあたしですらそう感じるのだから、実際舞台に立っているあの2人には、どれほど重い沈黙なのだろう? 想像もつかない。

 

 やがて。

 

「そう。しょうがないわね」

 

 口を開いたのは、ディアナだった。笑っている。

 

 それが、止まってしまった時間を動かす魔法の言葉だったかのように。

 

「本当にゴメンなさい。また買ってきますから」

 

 クレイアも、笑顔でそう言った。

 

 そして、逃げるように舞台から去る。

 

 照明が消えた。暗転だ。

 

 ふう。大きく息を吐き出すあたし。気付かないうちに息を止めていたようだ。

 

 ああ、驚いた。まさか涼子先輩が、部長さんの言うことに逆らって、あんなアドリブを入れるなんて。でも、さとみがそれにアドリブで応えることができて、本当に良かった。とりあえず、演技は止まらずに済んだ。

 

「結衣、何してんの!? 次のシーン!」

 

 涼子先輩とさとみのアドリブに思わず見入ってしまっていたあたしは、明奈の声で我に返る。そうだ。次のシーンはお城だ。早く準備しないと。

 

 あたしは照明の消えた舞台に出て行き、部屋のセットを片付け、お城のセットを準備した。よし、うまく行った。あたしたちが引っ込むと同時に、再び照明が点く。次は、女神ディアナがベルンの正妻エリザに苛められるシーンだ。

 

 舞台袖からディアナ役の涼子先輩とエリザ役の部員の演技を眺めながらも、あたしは、さっきの涼子先輩とさとみのアドリブについて考えていた。

 

 ほんの数十秒のアドリブだったけど、あのアドリブは、この後の展開に、大きく影響を与えかねないのではないだろうか?

 

 と、言うのも。

 

 女神ディアナの忠実な従者として従うクレイアだけど、物語の後半で、クレイアはディアナを裏切り、彼女を殺そうとするのだ。

 

 クレイアを信じきっているディアナは、裏切られるその瞬間まで、そのことには気づかない――それが本来のシナリオなのだけど。

 

 涼子先輩がアドリブを入れてしまったことで、ディアナがクレイアを疑っている、という流れになってしまった。

 

 それが、吉と出るのか、凶と出るのか。あたしには判らない。

 

 演技は続く。

 

 その後も涼子先輩は、クレイアとの絡みのシーンで、クレイアを疑うアドリブを入れて行った。その都度、アドリブを返すさとみ。話の流れは少し変わってしまったけれど、それでもミスすることなく、物語は、後半へと差し掛かる。

 

「涼子先輩、まさか、あたしの時にもアドリブを入れたりしないですよね」

 

 さっきから死人みたいに青い顔をしている未来。ただでさえ緊張しているのに、涼子先輩がアドリブを入れるたびに、顔から精気が抜けて行っている。

 

「大丈夫だよ。涼子先輩、どうやらさとみにしかアドリブしていないみたいだし」梓が未来を励ます。

 

 梓の言う通り、涼子先輩のアドリブは、さとみとのシーンだけに限られていた。部長さんや正妻エリザ役の部員に対しては、台本に忠実に演技をしている。

 

 それはまるで、さとみを試しているかのようにも見えた。

 

 演技は進み、ついに、クレイアがディアナを殺害しようとするシーン。クレイアは鬼神ミネルヴァに捕えられ、ディアナは命を救われる。

 

 ここで、クレイアの出番は終わりである。次のシーンからは、クレイアに代わり、未来の演じるメイドのアリアが登場するのだ。

 

「お疲れ、さとみ」

 

 出番を終え、舞台裏に下がったさとみに、梓がタオルとスポーツドリンクを渡した。

 

「ああ! もう! ホントに疲れた。涼子先輩のアドリブ、心臓に悪いったらないわ。あたし、今日1日で寿命が3年は縮まったわね」さとみは汗をぬぐいながら、スポーツドリンクを飲んだ。

 

「でも、うまくアドリブで返せたじゃない」梓が言った。

 

「あんなのアドリブじゃないわよ。あれ、素の反応よ。ホントに焦ったんだから」

 

 そうは言いながらも、さとみの顔には、演技をやりきった満足感のようなものが浮かんでいるように見えた。その表情を見て安心したのか、梓の顔にも安堵の色が浮かぶ。

 

 舞台が暗転した。あたしたちは街のセットを片付け、お城のセットを準備する。

 

 このシーンから、未来の登場である。

 

「未来。あんた、あたしが必死でここまで繋いだんだから、トチって全部台無しにするんじゃないよ!」

 

 出て行こうとする未来に、さとみが余計なことを言う。そんなこと、言われなくても本人が1番判ってるのに。

 

「は……はいっ!」

 

 未来、声が完全に上ずっている。さとみのせいでますますプレッシャーがかかってしまった。

 

「大丈夫よ、未来」

 

 ぽん、と、未来の肩に、涼子先輩が手を置いた。「あなたは今まで、誰よりもこの役を練習してきた。それを披露すればいいだけ。自分に自信を持って、のびのびと演技をしなさい」

 

 その言葉に、未来の顔から、少し緊張の色が抜けたのが判った。

 

「はい! あたし、頑張ります!」笑顔で応える。

 

 これだよ。こういうのが、緊張をほぐすのよ。どうしてさとみには、涼子先輩みたいな優しい言葉が出てこないんだろうね。キツイ言葉をぶつけたって、余計緊張するだけで、全く逆効果なのに。

 

 さとみは、フン、と鼻を鳴らして、スポーツドリンクを一気に飲み干した。

 

 舞台の照明が点く。

 

「行くよ! 未来!」

 

 涼子先輩に続いて、未来が舞台へと出て行った。

 

 

 

 

 

 

 演技が進む。お城を護る騎士たちが、些細なことで大げんかを始めるのだけど、それをディアナが止めるというシーンだ。

 

 その姿を見たメイドのアリア、感心して言う。未来のセリフだ。ガンバレ! 未来! 心の中で叫び、そして、祈る。

 

「ディアナ様って、何と言うか……すごいですよね。騎士様たちのケンカを、あんなに簡単に収めるんですもの」

 

 よし! 間違えることなく、詰まることもなく、スムーズに言えたぞ!

 

「ええ? そんな大したことじゃないよ、あんなの。子供のケンカを仲裁するようなものだもん」ディアナが答える。

 

「そんなことないですよ! みんな百戦錬磨の騎士様なんですよ? 誰でもできることじゃないですよ!」

 

 完璧だ! 正直、練習の方が感情がこもっていて、上手だったけれど、初舞台でこれだけ演じることができれば、十分すぎるだろう。思わず拍手してしまう。「ちょっと、まだ早いよ」と、梓と明奈に笑われた。でも、2人もきっと、同じように思っているはずだ。

 

 その後も、未来は緊張しつつもそつなくアリアを演じ切り、出番を終えた。

 

 緊張から解放され、思わず泣き出してしまった未来を、あたしと明奈と梓の3人で抱きしめた。

 

 そして、『ディアナとミネルヴァ』は、春のお披露目会にも負けない拍手と喝さいを浴びて、終了となった。

 

 

 

  ☆

 

 

 

 出場5校の公演が、全て終わった。

 

 堀北中学の演劇『ディアナとミネルヴァ』は、出演校の中でも、高い評価を得た。特に中盤、女神ディアナがメイドのクレイアに疑いを向けるシーンは、後半への絶妙な伏線だった、と、審査員には好評だった。

 

 しかし、結果は2位に留まった。

 

 優勝は、2年連続で、大政中学となり。

 

 今年の市川演劇大会は、終了となった――。

 

 

 

  ☆

 

 

 

「――結果は2位でした。でも、私たちは、舞台の上で全力を出し切りました。その結果です。胸を張って帰りましょう」

 

 戦いを終え、控室で、部長さんが最後の挨拶をする。いつもより、言葉が短めだ。演技をやりきった満足感よりも、優勝できなかった悔しさが勝っているのだろう。話を聞く部員たちも同じで、中には洟をすすりあげ、泣いている人もいる。

 

「――本日は、どうも、ありがとうございました」

 

 部長さんは、深々と頭を下げた。みんな、拍手でそれに応えた。

 

 これで、3年生は卒業だ。これからは、梓やさとみたち2年生が、演劇部を引っ張って行かなければならない。

 

「部長。最後に、いいでしょうか?」

 

 涼子先輩が手を上げた。部長さんが小さくうなずく。涼子先輩が前に出た。

 

「今日は、あたしの勝手な判断で、セリフを変えて、本当に、申し訳ありませんでした」

 

 涼子先輩が頭を下げた。

 

 でも、それを非難したりする人はいなかった。

 

 演技の前に、部長さんが言った通り。

 

 涼子先輩は、後悔のない舞台にしたかったのだ。

 

 それが、あのアドリブだ。

 

 大政中学に勝つために、必死で考え、そして、部長さんに逆らってでも、強行したアドリブ。結果は伴わなかったと言えるけれど、あのアドリブを入れずに今日の演技を終えていたとしたら、涼子先輩は、悔いを残したかもしれない。それが判っているから、部長さんも何も言わない。

 

 顔を上げた涼子先輩は、視線をさとみに向け、そして、言葉を継いだ。

 

「さとみ。あたしのわがままで、あなたに迷惑をかけて、本当にゴメンなさい」

 

「本当ですよ。もうあんな心臓に悪いことは、勘弁してください」

 

 さとみが冗談交じりに言うと、涼子先輩は、フフ、と笑った。「あたしはあなただからあのアドリブができたし、あなただからそれに応えられたと思っている。そのことには、自信を持ってちょうだい」

 

「……はい」さとみは、涼子先輩の言葉をかみしめるように頷いた。

 

「さとみ、T.A.D.の伝説は、もちろん知ってるわよね?」不意に、涼子先輩が話を変える。

 

 T.A.D.True Actress Diana.『ディアナとミネルヴァ』で大会に優勝し、その時主役のディアナを演じている女優に与えられる、特別な称号。そして。

 

「――その称号を得た人は、将来日本アカデミー賞を受賞する、ってやつですよね? つまらない言い伝えですよ」

 

 さとみは、苦笑とともに言った。確かにこの娘の性格上、こんな言い伝えを信じたりはしないだろう。

 

「そう? あたしは結構、好きだけのな、こういうの」涼子先輩はにっこりと笑った。へぇ。そうなんだ。涼子先輩も、どちらかというとさとみ側の人間で、こういう迷信めいたことは信じない人のように思っていた。

 

 と、涼子先輩の顔が、これまでにないほど真剣になる。

 

「あたしは、T.A.D.になるチャンスを、3年連続で与えられた。でも、そのチャンスを生かせなかった。きっとあたしには、その才能が無かったんだと思う」

 

「そんなことは……無いですよ」寂しそうに答えるさとみ。

 

「さとみ。堀北中学演劇部は、もう何年も、この大会で優勝できていない」鋭い視線を、さとみに向ける涼子先輩。その視線には、優勝できなかった悔しさと、来年さとみたちに寄せる期待が入り交ざっているように思えた。

 

「――――」

 

 その視線に射抜かれ、さとみは言葉を失う。

 

 涼子先輩は、にっこりと微笑むと。

 

「T.A.D.の夢は、あなたに託すわ。演劇部を、お願いね」

 

 そう、言葉を継いだ。

 

「はい。涼子先輩。ありがとうございます!!」

 

 さとみは、深く深く、頭を下げた。

 

 涼子先輩は、さとみをそっと抱きしめた。

 

 さとみの目から、涙があふれ出た。

 

 あたしは、気づかず、手を叩いていた。

 

 それにつられたのか、梓が手を叩き。

 

 続いて、未来が手を叩く。

 

 あたしたちから始まった拍手は、すぐに部員全員に広まり。

 

 3年間、エースとして演劇部を支えてきた涼子先輩と。

 

 これから、新たなエースとして演劇部を支えて行くさとみに。

 

 心からの拍手が、贈られた――。

 

 

 

  ☆

 

 

 

 そして、時は流れ――。

 

 

 

  ☆

 

 

 

 4月。

 

 始業式が終わり、いよいよ、春のお披露目会の配役発表だ。あたしは、未来と一緒に部室に向かう。

 

「ところで、明奈先輩は、今日はいないんですか?」未来が訊いてきた。

 

「……ああ、あいつね。帰っちゃった」

 

「え? そうなんですか?」

 

「うん――」

 

 明奈は今、FF8というゲームをやっているらしい。先日発売されたばかりの国民的大作RPGで、さすがにこれは無視できなかったようだ。今回の助っ人は望めそうにない。

 

「そうなんですか……残念です」未来は心底ガッカリした表情で言った。

 

「大丈夫、秋の大会には出てくくるよ、きっと」あたしは励ますように言った。未来は、「そうですね」と、笑った。

 

 まあ、今回はあのゲームバカのことは忘れよう。それより今は『ディアナとミネルヴァ』の配役だ。

 

 ディアナ役の本命は、何と言ってもさとみだろう。去年の秋の大会の後、涼子先輩から直々に「T.A.D.の夢は、あなたに託す」と言われていたくらいだ。性格はアレだけど、演技力の方は、今の演劇部メンバーの中ではズバ抜けているのは確かだ。

 

 しかし、予想に反して、梓がディアナ、ということも考えられる。

 

 梓は演技力ではさとみには劣るけれど、彼女には、去年1年間ディアナの代役として練習していたという強みがある。ディアナのセリフは完璧に覚えているだろう。

 

 それに、信じられない話ではあるが、梓は今、演劇部の部長をやっている。信じられないと思うのでもう1度言うけど、梓は今、演劇部の部長をやっている。卒業した美智子先輩から直々に命名され、顧問の先生もそれを認めたようだ。何の冗談でもなく、真面目に選んだ結果らしい。演劇部終わったな……と、正直あたしと明奈はそう思ったけれど、未来が言うには、わりとしっかり部長をしているらしい。

 

 そんな訳だから、梓がディアナ役、というのも、ありえる話なのだ。

 

「未来は何の役がしたい?」あたしは訊いてみた。去年の秋の大会では、メイドのアリア役を演じた未来。狙うはもちろん、それ以上の役だ。

 

「あたしですか? そうですね。シャドルの役とか、やりたいです」笑顔で答える未来。

 

 シャドル。主神ベルンの正妻エリザを護衛する騎士だ。一言で言い表すならクールビューティー。物静かで可憐だが、エリザを護るためならば眉ひとつ動かさず人を殺めることができる、そんな役である。

 

「……て、あの役、殆どセリフ無いでしょ」

 

「そうなんですけど、シャドルって、無口でカッコいいじゃないですか!」瞳を輝かす未来。

 

 それはそうだけど、でも、シャドルは未来のイメージじゃないな。悪いけど、未来にクールビューティーなんてイメージは全く無い。たぶん、セリフは少ないけど出番は多いとか、そんな理由で選んだんじゃないだろうか?

 

 未来のイメージに合っている役って何だろう? 考える。すぐに思い浮かんだのは、メイドのクレイアだ。女神ディアナに仕える娘。でも、その関係は主従というよりは、仲の良い姉妹。うん。未来にぴったりだ。

 

 でも、クレイアは物語の後半、ディアナを裏切って、彼女を殺そうとする。役柄が前半と後半で正反対になるのだ。今の未来に、それができるだろうか? 難しいかな、やっぱり。

 

 そう考えると、配役って難しいな。役のイメージと役者のイメージがピッタリ合致しないといけない。それが合わないと、見ていてどうしても違和感が残ってしまう。あたし、演劇はいまだ素人の域を出ないけれど、テレビでドラマとか映画とかはよく見る方だ。役者と役のイメージが合わず、それが気になって話に集中できない、なんてことは、結構多い。

 

 そんなことを思いながら、あたしたちは部室に入った。

 

 部室には、すでに多くの部員たちが集まっていた。みんな、ホワイトボードの前に集まっている。そこに、配役が書かれているようだ。

 

「あ、もう発表されているみたいですね」

 

 未来がそう言った瞬間。

 

 みんなの視線が、一斉に、こちらに注がれた。

 

 え? 何?

 

 あまりに突然注目を集めたので、思わずうろたえてしまう。

 

 どうやらその視線は、未来に向けられているようだ。

 

「え……と、ど……どうかしました?」

 

 恐る恐るという感じで、未来が訊いた。でも、誰も何も言わなかった。未来と目が合うと、気まずそうに視線を逸らす。

 

 ただ。

 

 さとみと、その隣にいる後輩の娘だけが、視線を逸らさなかった。

 

 さとみの隣にいる娘、早川愛梨。未来と同じ2年生だ。

 

 去年の春、当時の1年生は6人ほど入部してきた。しかし、その内4人は、さとみの新人イビリに耐えられなかったのか、早々に退部してしまった。今残っているのは、未来と愛梨の2人だけである。未来はその真面目すぎる性格でひたすらさとみのイビリに耐えてきたけれど、愛梨は、何と言うか、うまくさとみに取り入った、という感じである。いっつもさとみの側にいて、機嫌を取っている、というイメージだ。悪い言い方をすれば、さとみの腰巾着みたいなものだ。

 

 さとみと愛梨は、じっと、未来を見つめている。鋭い視線だ。睨んでいる、と言ってもいい。ものすごく機嫌が悪そうだ。

 

 まあ、それはいつものことのような気もする。

 

 ……あの娘のことは気にしても仕方ない。そんなことより、配役配役。あたしはホワイトボードに貼られた配役表を見た。未来の役は……と。

 

 配役表は一番右が主役のディアナで、左に行くごとに、鬼神ミネルヴァ、主神ベルン……と、役の重要度が下がっていく。一番左はほとんどエキストラだ。あたしは、(未来には悪いけれど)左側から順に見て行った。

 

 去年の秋の大会で未来が演じた役、メイドのアリアには、他の部員の名前が書かれていた。と、言うことは、未来はもっといい役がもらえたということかな? 良かった良かった。あたしは視線を右へずらす。未来が希望した、正妻エリザの護衛、シャドルのところにも、彼女の名前が書かれていない。まあ、これは未来とはあまりにもイメージが違う役だから、当然と言えば当然だ。次。

 

 しかし。

 

 その後、正妻エリザ、メイドのクレイア、主神ベルン……と、続いていくけど、どこにも未来の名前は無い。まさか、未来は今回役無しなのだろうか? そう思い始めた時。

 

 鬼神ミネルヴァのところで、あたしの目は釘付けになった。

 

 そこにかかれていた名前は――黒川さとみ。

 

 さとみがミネルヴァ!? ディアナじゃなくて!?

 

 さとみは去年の秋、演劇部の絶対エースと呼ばれ、3年間女神ディアナの役を務め続けた涼子先輩から、直々にディアナ役を任せられた娘だ。もちろん、配役を決めるのは涼子先輩ではなく、顧問の先生なのだけど、それでも、誰もが次のディアナ役はさとみだと信じて疑わなかった。

 

 じゃ……じゃあ、ディアナ役は誰?

 

 まさか、梓だろうか? そう言えば、ここまで梓の名前は無かった。彼女は2年間ディアナの代役を務めてきたし、部長だし、素質は十分にある。ディアナ役を射止めたのだとしたら、大金星だ。

 

 鬼神ミネルヴァの右隣を見る。女神ディアナの配役が書かれてある。

 

 そこには、もっとずっと予想外な、恐らく誰も想像していなかった名前が書かれていた。

 

 その名前を見た瞬間、あたしたちが部室に入った時、みんなの視線が一斉に注がれ、そして、さとみたちがナイフのように鋭い視線を送ってきた理由が判った。

 

 隣の未来を見る。

 

 ディアナの配役を見て、驚いて目を真ん丸に開き、口も開き、その状態で固まっている。

 

 あたしは再び配役表を見る。

 

 そこには――。

 

 

 

 女神ディアナ――島本未来。

 

 

 

 はっきりと、そう書かれてあった――。

 

 

 

(作者オリジナル)

 

 

 

 

 

 

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