Y.U.I.~都市伝説ファイル~   作:ドラ麦茶

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鏡に映るもの

 あたしには、鏡を見た後、後ろを振り返るクセがある。

 

 それは子供のころからのクセだった。なぜこんなクセがついたのか。原因は今でもはっきりと覚えている。

 

 あれは小学4年生の夏のことだ。夏休みを目前に控えたその日、教室の大掃除が行われた。しかし、先生が用事で教室から出て行ったのをいいことに、男子が掃除をさぼって遊び始めた。それを女子が注意するけど、男子は全く聞き入れない。まあ、おそらくどこのクラスでもありがちな光景だと思う。やがて言い争いになり、小さなケンカへと発展する。こういう時、うちのクラスで男子を率いるのはガキ大将の岡部君。女子を率いるのは明奈だった。

 

 言い争いはしばらく続いたけど、口喧嘩で勝つのはいつも明奈だった。言い負かされた岡部君たち男子は、ぶつぶつ文句を言いながらも掃除を再開する。明奈は、フン、と、鼻で笑い、その姿を満足そうに見つめる。

 

 あの当時、明奈はあたしたち女子の間ではちょっとしたヒーロー(ヒロインか?)だった。男子と何かあると真っ先に駆けつけ、女子の先頭に立って戦ってくれる明奈。女子たちはみんな頼りにしていて、岡部君は、それが気に入らなかったようだ。

 

 その日の午後の授業中、その事件は起こった。

 

 算数の授業だったと思う。ほとんどの子は、真面目に授業を受けていた。岡部君とか成績の良くない子は、ボーっと窓の外を眺めてたりしてたけど、それでも、お喋りしたり、遊んだりすることは無く、淡々と、静かに授業は進んでいった。

 

 しかし、チャイムまであと10分程のところで、突然、岡部君が席を立ち、教室を出て行ったのだ。

 

 あまりに突然の出来事で、みんな、何が起こったのか判らなかった。静かだった教室は、ざわざわと騒がしくなる。先生が追いかけようとして廊下に出たけど、その必要はなかった。岡部君は、すぐに教室に戻ってきた。

 

 右手に、水がたっぷり入ったバケツを持っていた。

 

 掃除はもう終わったのに、バケツに水を汲んで、どうするんだろう?

 

 岡部君は、教室の中に入り、そして。

 

 その水を、いきなり明奈に向けてぶちまけたのだ。

 

 周りの席の子が悲鳴を上げ、弾かれたように席を立つ。

 

 明奈はびしょびしょの濡れネズミ状態。あまりに突然のことに、何が起こったのか理解できない様子で、目をぱちぱちさせて、戸惑いの表情を浮かべる。

 

 そして。

 

「な……何すんのよ!」

 

 と、怒って岡部君につかみ掛かる……かと思ったんだけど。

 

 そのまま机に顔を伏せた。

 

 肩が震えている。

 

 やがて、声を上げ、泣き始めた。

 

 明奈は気が強い子だ。泣くなんてことは、めったにない。しかし、いくら気が強いとはいえ、まだ小学4年生の頃だ。授業中いきなり水をかけられたら、普通の女の子は泣き出すだろう。

 

 岡部君はそんな明奈を見て、「へ、ざまあ見ろ」という感じで笑っていた。

 

 当時の担任の先生は、どちらかと言えば温厚な性格の、若い女性の先生だったけど、このときばかりは、「どうしてこんなことするの!」と、岡部君の肩を揺さぶり、烈火のごとく怒った。岡部君はふてくされたように先生から目を逸らし、何も答えなかった。でも、みんなは気づいていた。さっきの大掃除のときの仕返しだ、と。女子たちは、怒りをあらわに岡部君を非難する。さすがの男子たちも、これはやりすぎだと思ったのか、誰ひとり岡部君をかばおうとはしなかった。

 

 反省の色を見せない岡部君に業を煮やしたのか、先生は、あたしに明奈を保健室に連れて行くように言うと、岡部君の手を強引に引いて、教室から出て行った。職員室でたっぷり絞られるんだろうな、と、みんな思った。でも、同情する子はいなかった。

 

 あたしはびしょ濡れのまま机に突っ伏して泣く明奈の肩に手を置き、「保健室に行って着替えよう」と言った。いくら7月とは言え、濡れた服のままでは風邪をひいてもおかしくはない。幸い体操服は教室後ろのロッカーの中だったので無事だ。あたしは泣き続ける明奈をゆっくりと立たせ、体操服を持って、教室を出た。あたしたちの教室は3階で、保健室は1階の奥だ。ゆっくりと階段を降りて保健室へ向かう。その間も、明奈の涙は止まらなかった。

 

 保健室に着いて、保険の先生に事情を話し、明奈を着替えさせた。下着まで水浸しだったけれど、幸い保健室には下着の替えがあるので大丈夫だった。明奈が体操服に着替え終わり、あたしは窓際に濡れた服を干した。明奈はまだ泣いていた。よっぽど辛かったんだろうな。あたしはしばらく保健室で休んでた方がいいと告げ、明奈は黙って頷いた。一緒にいようか? と訊いたけど、1人で大丈夫、と言うので、保険の先生にお願いし、あたしは教室に戻ることにした。

 

 保健室を出たところで、あたしは、自分もいつの間にか泣いていたことに気が付いた。あの明奈があんなにも泣くなんてことは今までに無かったことで、つられて泣いていたようだ。このままでは教室に帰れないと思ったあたしは、1階のトイレに入った。

 

 この校舎の1階は、保健室の他には、倉庫代わりに使われている教室しかない。1階のトイレはあまり使われておらず、ましてまだ授業中ということもあり、トイレに人の姿はなかった。あたしはハンカチを取り出すと、水道の蛇口をひねり、顔を洗った。なんとなく、それで涙をごまかせるような気がしたのだ。

 

 水を止め、ハンカチで顔を拭き、顔を上げる。正面には鏡がある。あたしの顔が映っている。

 

 その後ろに。

 

 女の子が、いた。

 

 白いシャツに、赤いスカート、おかっぱの頭。顔を伏せ、前髪で目が隠れていたけれど、じっと、こちらを見ているのが判った。

 

 いつの間に、そこにいたのだろう?

 

 トイレに入ったときは、確かに誰もいなかったはずだ。顔を洗っている間に入ってきたのだろうか? その割には、何の気配も感じなかった。

 

 女の子が、にやりと笑った。不気味な笑みだった。

 

 そして。

 

 右手を上げた。

 

 あたしの肩に、手を置こうとしている。

 

 振り返る。しかし。

 

 そこには、誰もいなかった。

 

 ――え?

 

 訳がわからなかった。

 

 確かにさっき、鏡には女の子が映っていた。でも、振り向いた先には、誰もいない。

 

 もう1度鏡を見る。

 

 そこには映っていたのは――あたしだけだった。

 

 気の、せい……?

 

 そう思った。確かに女の子の姿が見えたように思ったけれど、ここは1階のトイレ。使われている教室はないし、今はまだ授業中で、顔を洗っている間に誰かが入ってくる可能性は低い。実際、振り返ってもだれもいなかったのだ。気のせいだと思うしかなかった。あたしはトイレを出た。

 

 教室に戻ると、チャイムが鳴った。みんなが明奈の様子を訊いてきたので、「大丈夫だよ。今、保健室で休んでる」と答えた。心配した女子の何人かが、様子を見に行こうと言い出した。しばらく1人にしておいた方がいいと思ったけれど、当時はおとなしい子だったあたしは、止めることができなかった。5人の女子グループが1階へ降りて行った。あたしは教室に残った。岡部君はまだ戻ってきていなかった。今頃、学年主任の先生とかにも怒られているのかもしれない。多分、親にも連絡が行くだろう。

 

 それから5分ほどして。

 

 さっき明奈の様子を見に行った5人が戻ってきた。明奈の様子をみんなに話すのかと思ったら。

 

「1階の女子トイレに入ったんだけど、そこの鏡に、おかっぱ頭の、小さな女の子が映って、笑ってたの! でも、振り返っても誰もいないの!」

 

 そんなことを言う。

 

 おかっぱ頭の女の子……多分、あたしの見た子と同じだ。

 

 あれを、他の子も見た?

 

 クラスは、すぐにその話題に持ちきりになる。小学4年生だ。このテのオカルト話には目が無い。女子はもちろん、男子も一緒になって、1階のトイレに向かった。みんな、明奈のことなんてすでに忘れてしまったかのようだった。それが少し腹立たしくて、でも、気の弱いあたしにはみんなに意見するなんてできるはずもなく、あたしもみんなの後を追った。

 

 1階に着くと、女子トイレの前はものすごい数の子が集まっていた。話を聞いた他のクラスの子も駆けつけたらしい。呆れたことに、その中には明奈の姿もあった。目をキラキラ輝かせて、おかっぱ頭の女の子を見たという子の話を聞いている。さっきまでグズグズと泣いていた姿はすでに無い。まあ、それも当然で、このテの話に目が無い子の筆頭が、誰あろう明奈だ。すでにスイッチは、泣き虫モードからオカルト大好きモードに切り替わっている。その変わり身の早さには呆れるしかなかったけれど、まあ、泣いている明奈を見るよりはいい。

 

 と、トイレの中から悲鳴が上がった。みんなの視線が注がれる。

 

 中から、同じクラスの女の子が数人出てきた。

 

「確かに女の子が笑っていた!」と言う。

 

 同時に、「あたしは何も見えなかった」と言う子もいた。

 

 見える子と、見えない子がいる。どういうことだろう?

 

 狭いトイレに入れ替わりで生徒が入って行き、その度に、見た子と、何も見えない子に分かれたけれど、見たという子の方が圧倒的に多かった。やがて騒ぎはどんどん大きくなり、泣き出す子まで現れる始末だ。

 

 授業が始まっても騒ぎは収まらず、やがて先生がやってきた。すぐに教室に戻りなさい、と言うが、それに従う子は少なかった。鏡に映る女の子を見た子が、そのことを必死に先生に訴える。が、当然先生はそんなことを取り合わない。しかし、それが1人や2人ではなく、あまりにも多くの子が見たと訴えるので、頭ごなしに否定することもできなかったのか、とうとう先生も、鏡を見てみることになった。

 

 先生が鏡の前に立った。子供相手とは言え、こんなことに付き合わされるなんて……そんな表情で鏡を見る。

 

 が。

 

 その顔が、曇った。

 

 次の瞬間、ばっ! っと、振り返った。

 

 でも、先生の後ろには誰もいない。

 

 先生は、もう1度鏡を見た。ぱちぱちと、何度も瞬きをする。

 

 その動きは、さっきのあたしが鏡の中に女の子の姿を見たときと、全く同じだった。

 

 生徒の1人が、「ね? 見えたでしょ?」と言ったが、先生は否定した。何も見えない。さあ、教室へ戻りなさい、と繰り返すだけだった。みんな仕方なく、教室に戻った。

 

 この話は、すぐに学校中の話題になった。その日の放課後はもちろん、次の日も、その次の日も、1階の女子トイレの前には人だかりができ、そして、悲鳴が響いた。見えない子は少なかった。最初は面白がって見に行った子も、実際に見てしまうと、怖くなって泣き出してしまう。また、見えなかった子も見えなかった子で、何故見えないのかと、不安になって泣き出す。学校は、パニック状態だった。

 

 先生達は必死で「何も見えない。おかっぱの女の子なんていない」と繰り返したが、信じる子はいなかった。当然だろう。実際ほとんどの子がその目で見ているのだから、いない、と言われても、説得力は全くない。そして、先生自身も、あのとき見えていたに違いないのだ。

 

 このままでは収拾がつかず、授業にも影響が出る。そう判断した先生達は、夏休み前に、1階の女子トイレから鏡を撤去した。これで騒ぎは収まる。そう考えたのだろう。そして、実際にその通りになった。鏡に映るはずのないものが映るから怖いのであって、映る鏡そのものが無ければ、何も起こらないのだ。残念がる子もいたが、安心する子がほとんどだった。もうこれで、あの女の子の姿を見ることは無い。

 

 でも、あの鏡の中の女の子の不気味な笑顔は、心の片隅に残った。

 

 あの女の子は、一体なんだったのか? いろんなウワサが流れた。トイレに入ったが閉じ込められ、そのまま鏡の世界に引き込まれてしまった子。トイレの中で変質者に襲われ、殺されて成仏できない子。戦争中空襲から逃れるためにトイレに逃げ込んだけど、校舎が焼け、そのまま死んだ子。どれもありがちな話だったけど、それなりに盛り上がっていた。でも、実際の鏡が無くなってしまったので、みんなの興味はすぐに薄れて行った。

 

 そして、夏休みになった。

 

 そうなると、もう、学校で起こった出来事なんて、どうでもよくなる。みんな、プールに海に山に宿題に忙しく、それどころではない。あたしや明奈でさえ。8月に入るころには、もうすっかり鏡に映る女の子のことなんて忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 しかし。

 

 話はこれで終わらなかった。

 

 長い夏休みも、子供にとってはあっという間だ。すぐに9月になり、始業式。

 

 久しぶりに学校に登校すると。

 

 トイレに、鏡が無かった。

 

 1階の、あの女子トイレだけではない。

 

 その隣の男子トイレの鏡も、2階のトイレの鏡も、3階のトイレの鏡も、他の校舎のトイレの鏡さえも。

 

 全てのトイレから、鏡が無くなっていた。

 

 いや、それはトイレだけではなかった。

 

 プールの鏡、保健室や美術室にあった鏡、体育館の大きな姿見。

 

 とにかく、学校中の鏡という鏡が、すべて撤去されていたのである。

 

 先生に理由を聞くと。

 

「夏休み中に学校に来た生徒が鏡を割って怪我をしたの。それで、危ないから、鏡はみんな外すことになったのよ」

 

 そう言われ、子供だったあたしたちは「そうなんだ」と、納得した。

 

 もちろん、今考えると、これは明らかにおかしい。割れると危険なのは鏡だけではない。教室の窓ガラスなど、鏡以上に割れやすいはずだが、当然撤去などされていない。

 

 また。

 

 これを教えてくれたのは、隣のクラスの先生だった。

 

 あたしたちのクラスの先生は、夏休みの間に、事情により、先生を辞めてしまったそうだ。その事情というのを訊いても、先生は、あいまいに笑うだけだった。

 

 こうして、2学期が始まった。

 

 まだ子供だったけれど、鏡が無いといろいろ不便だった。特に女子は。

 

 こっそり家から鏡を持ってくる子も多かったけれど、先生に見つかると、問答無用で没収され、どんなに頼んでも、学校にいる間は返してもらえなかった。

 

 そして。

 

 自宅から持ってきた鏡を見ていた子が、突然悲鳴を上げ、後ろを振り返る。そんなことが、たびたび起こった。

 

 でも、「どうしたの?」と訊いても、「何でも無い」と答えるだけ。

 

 何が起こっているのか? 理由はすぐに思い当たった。

 

 そしてあたしは、どんなに不便でも、小学校を卒業するまで、決して鏡を持ち歩いたりはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 この出来事以来、あたしは鏡を見ると、何もなくても思わず後ろを振り返ってしまうクセがついた。

 

 今もあの小学校には、1枚の鏡も無い――。

 

 

 

(都市伝説「トイレの鏡」より)

 

 

 

 

 

 

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