日曜日の朝、明奈に呼び出されたあたしは、車でアパートに向かった。いつものように、市川まで連れて行け、というのだ。市川はあたしたちの住む堀北の街と比べるとずっと都会で、遊ぶところが多い。明奈の好きなゲームショップやPCショップ、ゲームセンターもたくさんある。しかし、明奈は車を持っていない貧乏学生なので、市川へ用事があるときは、いつもあたしが呼び出されるのだ。
家を出て5分ほどで明奈のアパートに到着。時計を見ると、9時ちょうど。約束の時間ぴったりだ。しかし、アパートの前に明奈の姿はない。まだ部屋にいるのかな? ケータイを取り出し、明奈にかける。しばらくのコール後、明奈が出る。
「あ、結衣? もしかして、もう来ちゃった?」
「うん。今、アパートの前」
「ごめーん、すぐ行くから、ちょっと待ってて」
ぷち、と切れる電話。言われるままに待つあたし。
が。
1分。
3分。
5分。
10分。
……イライラ。
まだか。何してんだ、あいつ。
今日呼び出したのは、もちろん明奈の方である。「9時集合! 遅刻厳禁!!」と、念を押していたのも明奈の方だ。にもかかわらず、本人が遅刻とは、いったいどういう神経をしているのだろう? まったく。
さらに5分経過。催促の電話をかけようかと思ったとき、ようやく明奈は現れた。
「お待たせ、さ、行きましょ」助手席に座る明奈。悪びれた様子はない。
「……あんたねぇ、自分から呼び出しといて遅刻して、なんか言うことがあるでしょ?」エンジンをかけ、車を出しながら文句を言う。
「あー、ごめんごめん。ホントは準備できてたんだけど、出かけにトラブっちゃって」
「どうせ、FFのボス戦の途中だった、とか言うんでしょ?」
「違うわよ。カラスよ、カラス」
「カラス? カラスがどうかしたの?」
「それが聞いてよ! あのね、あたしはちゃんと、10分前には準備して、アパートの前で結衣のことを待ってたのよ。そしたら、あのカラスのヤロウが、あたしの頭にフンを落としていきやがったのよ! おかげで頭洗って髪のセットやり直し! ああ!! 思い出しても腹が立つわ」明奈、拳を握りしめて怒りをあらわにする。
「ふーん。そりゃ、不運だったわね」
「…………」
「…………」
「……つまんないわよ」
「別にダジャレを言ったつもりはないけど。まあ、カラスがフンをした場所に、たまたま明奈がいたわけだから、運が悪かったとしか言いようがないね」
「そんなわけないでしょ!! あいつら、狙ってあたしを爆撃したに決まってる!!」
狙って爆撃?
つまり、カラスが明奈めがけてフンをしたってこと? そんなバカな。
「何言ってんの? カラスが頭いいの、あんた、知らないの?」
「うーん。テレビとかでそんな話は聞いたことがあるけど」
「……のんきなものね。カラスが人の顔を覚えるなんて、カラス業界じゃ常識よ?」
なんだよ、カラス業界って。
「連中は、自分や仲間に危害を加えた人間は、決して忘れないの。見つけた瞬間、報復を開始するのよ」力説する明奈。
「……ってことは、カラスに恨まれるようなこと、なにかしたの?」
「んー。まあ、ごみの中に大量のからしを練りこんだマヨネーズを入れて、出したことはあるけど」
「……そんなことやってんだ。そりゃ、カラスから狙われても不思議じゃないね」
「しょうがないでしょ? ごみ捨て場を荒らしまわるあいつらが悪いのよ」
「ちゃんとごみ捨てのマナーを守らないから悪いのよ。カラス除けネットとかしてる?」
「してるわよ、失敬な。でもあいつら、巧みにネットの隙間をくぐり抜けて、ごみを引っ張り出すのよ? 他にもいろいろ試したわよ。カラス除けとか、CDとか、カラスの死骸の模型とか、目玉模様の風船とか、空砲とか。でも、どれも効果があるのは最初だけ。すぐに慣れて、今じゃ、何の効果もないただのオブジェ。あいつらの頭の良さは異常よ」
確かに、近年カラスの行動は社会問題になりつつある。ごみを散らかす問題はもちろん、人を襲うなんて話も、よく聞く。車道にクルミを置いて、車に轢かせ中身を食べる、なんてことはもはや常識で、最近では、公園の水道の蛇口を開けて水を飲んだり、神社のお賽銭箱からお金を盗み、公園の鳩のエサの自動販売機に入れて、エサを買って食べるカラスまでいるらしい。そんな奴らに比べたら、明奈の頭にフンをするくらい、どうってことはないだろう。
「……あいつらはきっと、異星人の先遣隊ね」明奈が静かにつぶやいた。
「異星人?」
「そう! 地球侵略のためにエイリアンが送り込んだ、鳥形スパイなのよ。そう考えると、異常に頭がいいのも納得がいくわね。地震や人の死を予知する、なんて未知の能力も持っているし。後、ほら。都会にはたくさんのカラスがいるのに、死骸を見かけない、って言うじゃない? あれ、きっと異星人が回収してるのよ。やつらの死骸には、地球のデータがインプットされているんだわ」
うーむ、いかにも明奈らしい考え方だ。その発想力には、ちょっとだけ感心する。
明奈の妄想は続く。「……少し前に、電車の線路に置き石するカラスがいるって、ニュースとかで話題になったの、覚えてる?」
「聞いたことあるけど、あれ、何が目的なんだろうね?」
「あれも、きっと報復よ」
「報復? 何の?」
「たぶん、駅構内にあったカラスの巣を、駅員が撤去したのよ。で、その仕返しに、置石して、列車事故を起こそうとしてるの……ああ、考えただけでも恐ろしいわ」
……んなバカな。いくらなんでも、それは話が飛躍しすぎている。こういうとき、きっと理名や亜美なら、『これこれこういうわけでこうだから、そんなことはありえないわ』『でも、あれがああなってああだから、まんざら否定もできないんじゃない?』とか、長い論議が始まるに違いない。でも、今のあたしにはその話を否定するだけの知識を持っていない。だから。
「違うわよ。あたしが思うに、置石するカラスは、どこかで人間の肉を食べたことがあるの。山で遭難した人とか、土葬された人とか。で、人間の肉の味を覚えた。でも、人間の死体なんて、そう簡単にありつけるはずがない。そこで考えた。人間の死体に簡単にありつける方法はないか? そのときたまたま、カラスは列車の脱線事故で、多くの人が犠牲になった大事故を目撃した。そして思う。そうか。事故を起こせばいいんだ、と。そしてカラスは、線路に置き石をするようになった。もう1度、大事故を起こすために……」
「……そんなわけないでしょ。あんた、いくらなんでも話が飛躍しすぎ、マンガの読みすぎよ」
「……んなこと明奈に言われる筋合いはないでしょ。てか、それ言うんだったら、さっきのは何? あたしのダジャレがつまんない? あんたにだけは死んでも言われたくないわ」
「はあ? 何言ってんの? あんたのあのしょーもないダジャレと、あたしの高度な笑いを、一緒にしないでほしいわね」
などとくだらない話に花を咲かせながら、車は市川行きの国道を進む。すでに堀北の市街地を抜け、郊外の、人家がまばらな山道に差し掛かっている。
と、明奈が。
「結衣、あれ」
前方を指さした。見ると、道のわきにカラスが1羽いる。そして、そのカラスのすぐ前。サイドラインの内側に、石ころのようなものが置かれてあった。
「あれ、クルミじゃない?」と、明奈。そう言われたら、そう見えなくもない。うわ。話にはよく聞くけど、実際に見るのは初めてだ。
と、明奈の目がきらりと光った。
「結衣」
「何?」
「避けて」
「……何で?」
「このままあのクルミを割ったら、あたしたちの負けよ」
「あたし、カラスと勝負してないから、別にどうでもいいんだけど」
「何言ってんの! このまま奴らの思い通りになんてなるもんですか! 人類の知恵の恐ろしさを見せてやるのよ! いいから避けなさい!!」
と、言って譲らない明奈。このままだと、横から手を出して勝手にハンドルを切りかねない。そうなると大事故にもつながる。しょうがないな。あたしは前方と後方をよく確認する。よし。他に車はいないな。道もかなり広いから、ちょっとくらいなら大丈夫でしょ。でも、良い子はマネしないでね。ぐいっ。あたしはハンドルをひねり、寸前でクルミを避けた。
「よし! ざまあみなさい!!」ガッツポーズをとる明奈。
と、その瞬間。
ぱきっ。
車が、何かを踏んだような音。
何だ?
ルームミラーを見ると。
道路には、割れたクルミ。
そして、それをおいしそうについばむカラス。
そんなバカな。クルミは避けたはず。内輪差も考慮して、後輪でも決して踏まないようにしたのに、何故?
よく見ると。
あたしが避けたクルミは、割れることなく、路上にそのままの姿で置かれてあった。
で、今カラスが食べているのは、そこから少し離れたところ、ちょうど、車道のセンターラインのあたりに置かれたクルミだ。
その瞬間、あたしたちはすべてを理解する。
道路に置かれたクルミはひとつではなかったのだ。
あたしが最初のクルミを避けることを見こし、避けたところに、もう1個クルミを置いていたのだ!
「…………」
「…………」
「……明奈」
「……うん?」
「あたし、あんたの言うこと、ちょっと信じてみてようと思う」
「そう。良かったわ」
人とカラスの全面戦争は、もう避けられない。
いや。
それはもう、すでに始まっているのかもしれない。
そして、生き残るのは、果たして――。
(「カラスの都市伝説」より)