Y.U.I.~都市伝説ファイル~   作:ドラ麦茶

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明け方の帰り道

 高校を卒業し、県外の大学へ進学した奈々が夏休みを利用して久しぶりに帰って来たので、あたしたちは車で隣町まで遊びに行った。これはその帰りに起こった話だ。

 

「ふあぁ。それにしても、今日は楽しかったなぁ。ありがとうね、結衣」助手席で大きく伸びをしながら、奈々が言った。

 

「ううん、あたしこそありがとう、こんなおそくまで付き合ってもらって」ハンドルを握りながら、あたしは答えた。

 

 時計を見るとすでに深夜2時を回っている。眠気も襲ってくるところだが、楽しかった1日を思うと、あたしは少しも眠くはなかった。2人で遊ぶなんて半年振りのことだ。しかも奈々は明日には帰るというので、今日は思いっきり遊んだのだ。買い物はもちろん、食事にカラオケ、ボウリングからゲームセンターまでめぐりめぐった。この半年間電話でしか会えずにたまった思いを、今日1日にぶつけた。そんな感じ。そうしているうちに、すっかり遅くなってしまったので、普段は通らない山道を通って帰ることにした。あたしの住んでいる街から隣町へ行くには、普通海沿いの道を使う。道幅が狭く、街灯などほとんど無いこの山道を、この時間に使う人はほとんどいない。しかし、ここを通れば、海沿いの道路を使うよりもはるかに早いのだ。

 

「そう言えばさ、この道じゃなかったっけ?」奈々が思い出したように言った。

 

「ん? 何が?」

 

「ほら、中学の時噂になったじゃない」奈々が突然意地の悪そうな顔になる。「この道、白いドレスの幽霊が出るって」

 

「ああ、そういえばそんな話もあったわね」

 

 奈々に言われ、あたしは当時のことを思い出した。

 

 中学時代、この道には白いドレスの幽霊が出る、と噂になったことがあった。友達の友達から聞いただの、知り合いの親が見ただの、どこどこのタクシーの運転手が見ただの、出所のはっきりとしない、今思えばうさんくさい話ではあったが、あの頃はこのような話題で盛り上がったものである。あたしは当時を思い出し、懐かしさのあまり笑みをこぼした。

 

「あれ? 全然怖がってないね」奈々が少しつまらなそうに言った。

 

「そりゃそうでしょ。この歳になってそんな話で怖がらないよ」

 

「ま、そうだよねー。今思えば、何であんな話で盛り上がってたんだか」

 

「あれってどんな話だったかな?」

 

「さぁ……白いドレスを着た女の幽霊、って言うのは覚えているけど、何だっけ、忘れちゃった」

 

「結局ホントに見た人って、いなかったよね。なんだったのかなぁ、あの噂」

 

「でも、ホントに出たらどうする?」

 

「どーするー?」

 

 ふたりで見詰め合い、しばしの沈黙。それがたまらなくおかしくて、大声で笑いあった。

 

 ――と、奈々の顔が凍りつく。

 

「結衣! 前!」

 

 弾かれたようにあたしは前を見る。

 

 道路の真ん中に女の人が立っていたのだ!

 

 反射的にブレーキを踏むが、気付くのが遅すぎた。車はそんなに簡単には止まってくれない。タイヤがロックされても、車体は無情にも滑っていく。

 

 だめだ! 間に合わない!

 

 あたしは目を閉じた。

 

 人を撥ね飛ばす鈍い衝撃がハンドルから伝わってくる――はずであった。

 

 しかし、何故だろう? ハンドルから衝撃は伝わってこなかった。タイヤがアスファルトと擦れる、ガリガリという振動のみ。やがてその振動も緩やかになり、ようやく車が止まる。恐る恐る目を開ける。奈々と目が合った。どうなったの? 目が問いかけている。あたしの目も同じように奈々を見ていることだろう。振り返るのが怖かった。しかし、確かめないわけにはいかない。意を決し振り返った。今まで走ってきた道が、暗闇の中に消えている。ここから見る限り、人が倒れているような様子は無い。もしかしたら、車の下にもぐりこんでしまったのかもしれない。あたしは備え付けてある懐中電灯を持ち、外に出た。車の下を照らすが、何も無い。道を数十メートル戻って確認するが、やはり何も無かった。

 

「気のせいだったの……?」奈々に意見を求めた。

 

「でも……あたしも見たよ、女の人」

 

「うん、白いドレスの女の人」

 

 そう言って、気がついた。

 

 ――白いドレスの女?

 

 そう。さっき立っていた女の人は、確かに白いドレスを着ていた。

 

 しかし、今は姿が見えない。

 

 嫌な考えが頭をよぎる。今さっき、奈々と話していたところなのだ。体中から汗が噴き出すのが判った。

 

「幽……霊……?」奈々が言ってはいけないことを言ってしまった。

 

「ま……まさか!」あたしは否定する。否定するが、それ以外には考えられなかった。ふたりで同じ幻を見るとは考えにくいし、幻でないなら消えた理由が判らない。幽霊と考えるのが、一番納得がいくような気がする。

 

「――――!」

 

 不意に奈々が息をのんだ。正面を指差し、細かく震えている。驚きのあまり声が出ない、そんな様子だった。あたしは彼女の指差す先を見た。そして、同様に言葉を失った。

 

 そこは、切り立った崖であった。

 

 手前にはガードレールも何も無く、車は崖の数センチ手前で止まっていた。ブレーキを踏むのがもう少し遅かったら、そのまま崖下に転落していただろう。崖はかなりの高さで、落ちたらまず命は無いように思われた。

 

 そこで思い当たる。

 

「もしかしたら……あの幽霊」

 

 奈々の方を見た。奈々も、同じことを考えていたようだ。

 

 ふざけあって車を運転していたあたし。あのまま進んでいたら、あたしたちは間違いなく崖下に転落していただろう。あの幽霊は、あたし達にそのことを警告するために現れたのだ……そう思った。

 

「ありがとう……幽霊さん」

 

 あたしは暗闇に向かって手を合わせ、親切な幽霊に感謝気持ちを伝え、同時に冥福を祈った。奈々も同じように手を合わす。

 

 そしてあたしたちはふたたび車に乗り込み、エンジンをかけようとした。

 

 そのとき、女の声が聞こえた。

 

 あたしの声でも、奈々の声でもない。誰かの声。かすれるような声だったが、はっきりと、こう言った。

 

 

 

 ――――。

 

 ――い

 

 ――結衣。

 

 結衣!!

 

 

 

 

 

 

「結衣! しっかりして! 結衣!!」

 

 泣き叫ぶかのような声とともに、大きく肩を揺さぶられ、あたしは、底なしの泥沼の中から引っ張り上げられるかのように、ゆっくりと目を開けた。

 

「ああ! 結衣! 良かった!」

 

 あたしの肩をゆすっていた人が抱きついてくる。誰だろう? 奈々かな? ちょっと、どうしたの?

 

 と言おうとして、その言葉を飲み込む。

 

 抱きついてきたのは、奈々ではなかった。

 

 明奈だった。

 

 ぎゅっ、っとあたしを抱き、そして、涙を流して泣いている。

 

 あれ? えっと、どうしたんだっけ? あたしは確か、奈々と市川まで遊びに出かけて、その帰り道に、白いドレスの女の人の幽霊を見て……。

 

 辺りを見回す。見慣れたハンドル、見慣れたルームミラー、見慣れたボンネット、見慣れたシート。あたしの愛車の中だ。でも、奈々はいない。いるのは明奈だ。右側のドアが開いていて、そこから明奈が抱き着いてきている状態だ。

 

「宮崎、大丈夫か? どこか、ケガとかしてないか?」

 

 男の人の声。ドアに手をかけ、心配そうな顔であたしの様子を伺っている。岡部君だった。

 

「えっと……明奈と、岡部君。あれ? どうしたの? 2人とも」状況が把握できず、ぱちぱちと何度も瞬きをするあたし。

 

「どうしたのじゃないわよ! あんたが電話で変なこと言って、そのあと連絡が取れなくなるから、探してたんでしょうが! どれだけ心配したと思ってんのよ!!」

 

 泣きながら叫ぶ明奈。

 

 ……電話? 電話で変なことを言った? なんだっけ?

 

 …………。

 

 そういえばあたし、ケータイどこに置いたっけ?

 

 考え、徐々に思い出してくる。

 

 ……そうだ。

 

 ケータイ、捨てたんだ。窓から。うるさいから。

 

 あたしと奈々が2人でいる。それをケータイが邪魔をするから、捨てたんだ。

 

 あたしと、奈々――。

 

 明奈の言葉を、思い出す。

 

 

 

「奈々はもう死んだの! 先月、旧校舎の屋上から飛び降りたの。自殺したのよ……」

 

 

 

 あたしは、その言葉が信じられなくて。

 

 いや、信じたくなくて。

 

 そして、逃げたんだ。

 

 いつまでも、奈々と一緒にいたくて。

 

 鳴り続けるケータイを捨てて。

 

 奈々と一緒にいる――その妄想の世界に、逃げたんだ。

 

 でも。

 

 判っている。

 

 本当は、判っているんだ。

 

 奈々が死んだこと、奈々がもういないことは、判っているんだ。

 

 そうだ。奈々は死んだ。

 

 旧校舎の屋上から飛び降りて。

 

 あたしの目の前で、死んだ。

 

 あたしは、それが信じられなくて。

 

 信じたくなくて。

 

 認めたくなくて。

 

 でも。

 

 どんなに否定しても、どんなに目を逸らしても、現実は変わらない。

 

 奈々は死んだ。その事実は変わらない。

 

 認めたくはないけれど、認めなくてはいけない。

 

 明奈を見る。

 

 涙でぐしょぐしょの顔を、あたしの胸にあて、泣いている。

 

 明奈が泣くなんてことは、めったにない。長い付き合いだけど、数えるほどしかない。

 

 その明奈が。

 

 あたしのために、泣いている。

 

 あたしを心配して、泣いているのだ。

 

 あたしのために、泣いてくれる人がいるのだ。

 

 あたしは、明奈の肩を抱き返し。

 

「ゴメン……ゴメンなさい……」

 

 一緒になって、泣いた。

 

 

 

 

 

 

「――それにしても、あたしのいる場所、よく判ったね?」

 

 あたしは後部座席から前の2人に向かって言った。

 

 今、あたしたちは岡部君の車で、堀北に向かっている。あたしの車は、近くの空き地に置いてきた。別に事故を起こしたわけじゃないけれど、今のあたしに運転なんてさせられない、と、明奈が言うし、あたしも運転する気分じゃなかったので、また気分が落ち着いてから、取りくることにしたのだ。

 

「ああ。これ、使ったの」

 

 明奈はそう言って、カーナビみたいな機械を見せた。

 

「何? それ?」

 

「結衣発見器」

 

 ……はい? 結衣発見器? なんだその、怪しげな名前の機械は。

 

「結衣の大学の友達が貸してくれたんだ。『こんなこともあろうかと、結衣の車には強力な発信機を付けておいた』とか言ってたよ。世界中どこにいても、電波を拾うことができるんだって」

 

 ……亜美だな。そんなことをするのは、あの娘しかいない。そういえば以前、実験に使うとかで、亜美に車を貸したっけ? あのときかな。

 

「しかし、結衣の大学の友達も、変わってるわね。こんなの作っちゃうんだから」明奈、結衣発見器をしみじみと眺めながらそう言った。

 

 まあ、確かに亜美は普通の娘ではないけれど、それを明奈が言うのか。亜美が聞いたら、発狂するんじゃないだろうか? あたしの周りには変な人は多いけれど、それをランキングにしたら、ダントツぶっちぎりで明奈が1位だぞ。

 

 フフ、と、あたしが笑うと、岡部君もつられて笑った。明奈だけが、なぜ笑われているのか判らないようで、あたしと岡部君の顔を交互に見ていた。

 

「それにしても、岡部君、車持ってたんだね?」あたしは言った。

 

「まあ、一応な。高校卒業したら車くらい持ってないと、男としてかっこ付かないだろう?」岡部君、カーブで大きくハンドルを切る。「でも、おかげで休みのたびに、北沢に呼び出されて、足代わりに使われてるけどな」

 

「あはは。岡部君もなんだ。あたしもだよ」

 

「この前なんか、急に『遊園地に行きたい』とか、言い出すから、片道6時間かけて、夢の国ランドまで行ってきたんだよ。でも、すっごい人で、1アトラクション数時間待ち。結局ジェットコースターに1回のってそのまま帰ったんだ。信じられるか? 往復12時間プラス3時間待ちで、ジェットコースター、たったの2、3分乗っただけで帰ったんだぜ?」

 

「いいじゃん、楽しかったんだから」明奈、あっけらかんとした態度。

 

「楽しいのはお前だけだろ。お前はほとんど助手席でイビキ掻いてただけだから楽だったろうけどな。運転してる方は全然楽じゃないんだぞ?」

 

「失礼ね。あたしだって辛かったわよ。こんな狭い助手席で寝るの、結構大変なのよ? お尻とか超痛いし。それに、あの日の夜は目が冴えて全然眠れなかったんだから。翌日は寝不足で、学校の授業、まるで頭に入らなかったよ」

 

「……宮崎、何とか言ってくれ」岡部君、明奈のぶっ飛んだ理論について行けず、あたしに助け船を求める。

 

「まあ、明奈と付き合ってる時点で、こうなることは覚悟しておかないとね」

 

 あたしがそう言うと、2人同時に。

 

「いや、付き合ってねーし!!」

 

 息もぴったりに叫んだ。

 

 これだけ息がぴったりで、しかも休日に2人で夢の国ランドでデートまでしていると言うのに、付き合ってないなんてことは無いだろう。まったく。素直になれよ。

 

「……でもさ。今でもあたし、信じられないよ。まさかあの明奈と岡部君が付き合うとわね」あたしは昔を思い出す。今思い出しても、明奈と岡部君は、ケンカをしていたという記憶しかない。

 

「だから、付き合ってないって言ってるでしょうが」

 

 すかさず明奈が否定するけど、あたしは無視して続ける。

 

「ほら、2人とも覚えてる? 小学校4年の時だったかな? 授業中、岡部君が明奈にいきなりバケツの水をぶっかけたことがあったでしょ? それで明奈は大泣きして……あたしあのとき、岡部君って、ホント、ひどい人だな、って思って。今だから言うけど、あの頃あたし、ホントに岡部君のこと、大っ嫌いだったの。絶対明奈もそうだと思ってたのに、まさかあの2人が、ねぇ」

 

 明奈と岡部君のケンカはしょっちゅうだったけど、あの事件だけは、本当に酷かった。冗談では済まされないレベルだ。

 

 と、明奈と岡部君、2人で顔を見合わる。

 

 そして、岡部君がクスクスと笑い始めた。

 

 明奈は岡部君を肘で小突いた。「ちょっと。子供の頃のことなんだから、今さら笑わないでよ」

 

 それでも、岡部君の笑いは止まらない。

 

 何だろう? この、2人で秘密を共有しているような雰囲気は。

 

「何? 何でいきなり2人でラブラブしてんの?」あたしは訊く。

 

「別にラブラブはしてないけど……まあ、もう子供の頃の話だから、言っちゃうけどさ」明奈、ためらいがちな口調。「あれ、違うのよ」

 

「違うって、何が?」

 

「あのとき、実はあたし、ものすごくトイレに行きたかったんだよね。でも、我慢してたの。今思うとどうでもいいことなんだけど、あの頃って、授業中にトイレに行くのが恥ずかしかったんだよね。男子とかにバカにされそうで」

 

 うーん。確かに、子供の頃って、そういう変なプライドがあるよな。特に明奈は、あの頃は女子グループのリーダー的存在だったし、男子の手前、そんなみっともない姿を晒せない。そう思っても不思議ではない。

 

「で、何とか授業が終わるまで我慢しようと思ってたんだけど、我慢しきれなくて……」なにやらもじもじとする明奈。「その……しちゃったわけよ」

 

「……はい?」

 

「いや、だから、しちゃったわけよ」

 

 しちゃった……? 何を? 考える。トイレに行くのを我慢していて、でも我慢できなくて、しちゃった。まあ、普通に考えれば、アレしかない。

 

「……お漏らししたってこと?」ズバリ、言う。

 

「そんなハッキリ言わないでよ!」明奈、顔を真っ赤にして叫んだ。岡部君は、横で声を殺してクスクスと笑っている。明奈がその頭をバシッと叩いた。

 

 明奈、コホン、と咳払いをして続ける。「で、もう、どうしていいか判んなくて、あたし、泣きそうになってたんだ。そこで、岡部に気づかれたの。そしたらコイツ、いきなりバケツに水汲んできて、あたしにぶっかけたんだよ」

 

「――――」

 

「で、小さな声で『泣け!』って。あたし、お漏らしした上に水かけられて、もう訳が分からなかったんだけど、とにかく泣きそうだったのは事実だから、自然に涙が出てきて、1度泣き出したらもう止まらなくて、で、机に突っ伏して、ワンワン泣いたの」

 

 …………。

 

 言葉が出てこなかった。

 

 普通の男子なら、「うわ、北沢のヤツ、オシッコ洩らしてるぜ!」とか言って騒ぎ出すだろう。仮にあたしが発見していたとして、その時、どういう行動ができただろうか? こっそり明奈を連れ出してトイレに行かせ、こっそり教室に戻り、雑巾で掃除する――そんなこと、他の生徒に気づかれず、できるわけがない。

 

 岡部君は。

 

 状況を悟り、そして、明奈を傷つけないための最適な方法を一瞬にして思いつき、そして、実行した。

 

 でも、それには大きなリスクが伴う。

 

「……コイツ、ホントにバカなんだよね」明奈が言った。「あの後先生に、『どうしてあんな事したの!?』って、めちゃくちゃ怒られたのに、ずっと黙ってて。親を呼び出されて、親にも怒られて、殴られても、黙っててくれたの。ホント、バカだよ、コイツ」

 

 明奈の目に、うっすらと涙が浮かんでいるように見えた。それに気づいたのか、岡部君、「何言ってんだよ」と、恥ずかしそうに笑った。

 

 そうなのだ。

 

 この方法で、明奈がお漏らししたことを隠し通すためには、岡部君自身が、悪者になるしかない。

 

 授業中、いきなり女の子に水をぶちまけた――こんなことをすれば、怒られるのは当たり前だ。理由を言わなければなおのこと。先生に怒られ、親に殴られ、女子に蔑まれ、男子さえも味方にはなってもらえない。

 

 そんな状況の中でも、岡部君は何ひとつ言い訳することなく、真実を隠し通してきたのだ。

 

 ただ、明奈を守るために。

 

 この瞬間。

 

 明奈の隣に座る人が、単なる幼馴染から。

 

 急に、超イケメンに見えるようになった。

 

「……惚れたわ」あたしは、今の正直な気持ちを言う。

 

「……はい?」

 

「惚れたわ。あたし、岡部君に」

 

「……何言いだすのよ、急に」

 

「惚れたのよ! ゾッコンラブってやつよ! あたし、今から岡部君の彼女に立候補する。別にいいでしょ? 2人は付き合ってないわけだし、あたしだって彼氏いないし、問題ないよね?」

 

 あたしがそう言うと、明奈は顔を真っ赤にして。

 

「な……何言ってんのよ! こんなバカ、絶対やめといたほうがいいわよ! 顔は人並み以下だし、気は効かないし、うるさいし、足は臭いし、全然いいところないんだから! 結衣が付き合うようなヤツじゃないよ!!」

 

 両手をブンブン振り回して、早口でそう言った。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……やっぱ、好きなんでしょ?」

 

 ニヤリと笑い、あたしがそう言うと。

 

「だ・か・ら、違うっつーとろーが!!」

 

 どっかーん、という噴火音が聞こえてきそうなくらい、明奈は荒れに荒れ、狭い車内で大暴れし始めた。「あぶねぇ! おとなしくしてろ」と、運転をしながらどうにか明奈を抑えつけようとする岡部君。そんな2人の姿を見ながら、あたしは笑う。2人の姿たまらなくおかしくて、心の底から笑う。

 

 こんなに笑ったのは、いつ以来だろう?

 

 もう何年、何十年も、忘れていたかのような錯覚。

 

 笑うということを。

 

 楽しいということを。

 

 さっきまで、あたしの心を支配していた絶望感。それがウソのように、あたしは、本当に心の底から、笑った。

 

 

 

 ――――。

 

 でも。

 

 どうしても、思ってしまう。

 

 今この瞬間が、心の底から楽しいからこそ、思ってしまう。

 

 そんなこと、今は考えなくていい。この楽しい時間を壊してしまうだけなのは判っている。

 

 でも、思ってしまう。

 

 

 

「……ここに、奈々がいれば、もっと楽しかっただろうな」

 

 

 

 思わず。

 

 その言葉が、口をついで出てしまった。

 

 それは本当に心の底から、そう思っていたから、出た言葉だ。

 

 今のこの瞬間は、本当に楽しい。でも、ここに奈々がいて、一緒に騒ぐことができたら、もっともっと、何倍も、何十倍も、楽しいはずだ。

 

 それがもうできないことは、判っている。

 

 できないことを言ってもどうしようもないことは、判っている。

 

 こんなことを言えば、今のこの楽しい気分がどこかへ行ってしまう。また、心を絶望に支配される。それは判ってるんだ。

 

 でも、あたしは。

 

 どうしても、思ってしまう。言ってしまう。それが、どれだけ無益なことだと判っていても。

 

「奈々がいたら、もっともっと、楽しかっただろうな――」

 

 その瞬間。

 

 車の中を、沈黙が支配する。

 

 あれだけ騒いでいた明奈も、ピタリと、口を閉ざす。

 

 楽しい雰囲気が消えてしまう。

 

 ああ、こうなることは、判っていたんだ。

 

 せっかく明奈と岡部君が、落ち込んでいるあたしを盛り上げようとしていたのに……あたしも、本当に心の底から、盛り上がっていたのに。

 

 それを、自分自身の言葉で、壊してしまった。

 

 あたしは、本当にバカだ。2人の気持ちをムダにして、本当に、救いようのないバカだ。

 

 後悔の念が押し寄せるが、もう、どうすることもできない。

 

「……なあ、宮崎」岡部君が、静かに口を開いた。怒られる。そう思った。いや、岡部君はやさしいから、怒ったりはしないだろうけど、せっかくの2人の気持ちを踏みにじったあたしは、非難されて当然だ。

 

「あ……その……ゴメン」小さな声で謝った。

 

「いや……別にいいんだけどよ。その――」

 

 岡部君は、次の言葉を言いよどんだ。なにか、言いにくいことを言おうとしている。そう思った。でも、何を言われても仕方がない。あたしが悪いんだから。

 

 岡部君は、ゆっくりと言葉を継いだ。

 

 

 

「奈々って――誰だっけ?」

 

 

 

 ――――。

 

 その言葉が。

 

 あたしの胸に、鋭い刃となって、突き刺さる。

 

 ――奈々って誰だっけ?

 

 もちろん、冗談で言っているのだろうけど。

 

 今の状況で、よくそんな冗談が言えるな。その神経を疑ってしまう。

 

 いや……落ち着け、結衣。

 

 悪いのはあたしだ。

 

 あたしが、「奈々がいれば、もっと楽しかったのに」なんて言ってしまったからいけないんだ。これでお相子だ。

 

 それに、岡部君は岡部君で、悪くなった空気を元に戻そうとして言ったのかもしれない。ちょっと趣味の悪い冗談だけど、まあ、状況が状況だから、仕方ないかな。

 

 あたしは、できるだけ笑顔を作ると。「またまた、そんなこと言って。いくら中学卒業して以来会ってないからって、それはちょっとヒドイんじゃない? 奈々よ、日高奈々。もう、明奈からも言ってやってよ」

 

 明奈の方を見た。

 

「ゴメンね。このバカ、冗談がヘタだから」

 

 笑いながら、明奈はそう言う――はずだった。

 

 しかし明奈は、渋い顔をしている。

 

 そして。

 

「日高奈々……ゴメン、結衣。あたしも判んない」

 

 ――――。

 

 車の中を、再び、重苦しい空気が包み込む。

 

 奈々を……知らない?

 

 何言ってるの。

 

 何言ってるのよ!!

 

 こみあげてくる感情を、抑えることができず。

 

 あたしは、叫んでいた。

 

 幼稚園の頃からの幼馴染。中学卒業まで、明奈と岡部君もずっと同じクラスだった。高校は別だったけど、家は近かったから、何度も会った。高校卒業後は県外の大学に進学したけれど、それでも何度も帰って来ている。何度も遊んだ。明奈も誘った。それを忘れるなんて、あるはずがない。これ以上そんなつまらない冗談を続けるのなら、いくら明奈でも、絶対に許さない。絶対にだ!

 

「落ち着いて、結衣。あなたがそう言うんだったら、きっと、その娘は本当にいたんだと思う。うん。でも、今日はとりあえず、その話はやめよう? 結衣、今疲れているみたいだから。少し休んだ方がいいよ。うん」

 

 明奈のその言葉に、あたしの心に、黒い炎が灯る。

 

「何よ、それ……あたしがおかしくなったと思ってるの!?」

 

「そんなこと思ってないよ。思ってないから。お願いだから、落ち着いて」

 

 やさしい言葉をかけてくれる明奈。

 

 でも、その目が。

 

 あたしを、憐れんでいた。

 

 あたしを、可哀そうだと思っていた。

 

 そんな目で、あたしを見るな……。

 

 そんな目で、あたしを見るなぁ!!

 

 あたしは、おかしくなんかない!

 

 小学生の時、奈々とケンカし、仲直りできないまま、奈々が転校していった。あたしは奈々に謝るために、子供には信じられないほどの遠い場所まで行った。

 

 中学生の時、旧校舎で、肝試しや百物語をしたとき、いつも奈々がいた。人一倍怖がりなのに、いっつもあたしや明奈に付き合ってくれた。

 

 高校生の時、ヒドイ運動音痴なのに、バスケ部の先輩に一目惚れをし、入部した。全然活躍できなかったけど、先輩とはいい関係を築いていた。

 

 別々の大学に行っても、あたしは奈々の所に何度も遊びに行ったし、奈々も、何度も帰ってきた。

 

 はっきりとした記憶が、あたしの中に、あるというのに。

 

 これがすべて、あたしの妄想だとでもいうのか?

 

 いや、奈々のことだけではない。

 

 同じ経験を、高校卒業前にしている。

 

 美沙子――。

 

 中学の時、奈々同様、いつも一緒にいた。でも、三年の春に突然転校し、連絡が取れなくなった。高校卒業前、みんなで集まって、小さな同窓会を開いた。その時、美佐子の話をしたけれど、誰も覚えていなかった。アルバムに写真の1枚も無かった。確かに、美沙子はいたはずなのに。

 

 これはいったい、何なんだ。

 

 あたしの周りで、何が起こっているんだ。

 

 それとも。

 

 本当は、何も起こっていないのだろうか?

 

 明奈の言う通り、おかしいのはあたしの方なのだろうか?

 

 奈々のことも、美沙子のことも、すべて、あたしの妄想なのだろうか?

 

 ――――。

 

 

 

「止めて……」

 

 静かに。

 

 あたしはそう言った。

 

「え? 何?」と、明奈。

 

「止めて……止めてぇ!!」

 

 あたしは、声の限り叫んだ。ここにいたくない。ここは、あたしのいる場所ではない。奈々のいない世界、美沙子のいない世界、ここは、あたしの望む世界じゃない。

 

「結衣、落ち着いて。お願いだから」

 

 明奈が必死で説得するけれど、そんな言葉にはもう耳を貸さない。あたしは、ドアに手をかけた。

 

「危ない!」

 

 明奈が叫ぶ。車は急ブレーキをかけて停まる。みんなが前につんのめる。シートベルトをしているからケガこそしなかったけれど、ベルトが食い込み、息ができなくなった。関係ない。あたしは素早くベルトを外し、外へ出た。

 

「結衣! 待って!」

 

 明奈の声を無視し、あたしは走った。

 

 道路わきのガードレールを越える。

 

 その先は山だ。樹々と草が、深々と生い茂る山だ。陽はまだ昇らない。外灯すらまばらな山道で、道から逸れれば、そこは真の闇だ。あたしは生い茂る草を、樹の枝を、闇を、かき分けながら、ただひたすら走った。服が破れる。肌が斬れる。血が流れる。それでも、ただ走って、走って、足がもつれて、転んだ。立ち上がろうとして、できなかった。足を見ると、変な方向に曲がっていた。痛みは感じない。でも、立てない。這ってでも進む。でも、闇の中では、進んでいるのか進んでいないのか判らない。ただあたしは、とにかく逃げたくて、その一心で、闇の中を進む。顔を流れている液体は、涙なのか、血なのか、もう判らない。もう、明奈の声は聞こえない。誰の声も聞こえない。何もいない。ここには、あたし1人だ。それでもあたしは、逃げる。

 

 あたしは、どこまでもどこまでも逃げ続け、そして――。

 

 

 

 

 

 

 ――――。

 

 ――疲れた。

 

 本当に、疲れた。

 

 もう、どうでもいい。

 

 どうでもいいや。

 

 あたしは、逃げるのをやめ。

 

 そして、横になった。

 

 まあ、ここは上も下も縦も横も無い闇の世界だ。横になるも何もない。

 

 とにかく、疲れた。休みたい。

 

 このまま、休もう。

 

 目を閉じる。

 

 奈々の姿が見えた。美沙子の姿が見えた。

 

 2人が呼んでいる。

 

 あたしを呼んでいる。

 

 あたしはもう、疲れてしまった。すべてが嫌になった。

 

 奈々――美沙子――。

 

 あたしは、手を伸ばす。

 

 その手を、奈々が、美沙子が、握る。

 

 そして。

 

 あたしは、深い闇に飲み込まれるように。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 

 意識を失って行った。

 

 近くで、誰かの声が聞こえた。明奈のようだったけれど、無視した。

 

 闇は、そのままあたしを飲み込み。

 

 

 

 あたしは無になった――。

 

 

 

(都市伝説「死ねばよかったのに」「水をかけた男子生徒」及び作者オリジナル)

 

 

 

 

 

 

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