教壇でネギが3-Aの皆に向かい、にこやかな顔で話をしていた。
「……一学期も残すところ、あと少し。期末テストまであと一週間です。そこで簡単な小テストをやってもらったわけですが……」
ゴゴゴゴゴゴ……。
ネギの背後から、嫌な擬音が響いて来る。その笑顔は、凍り付いた様に変わらない。教室は静まり返る。
「まずい、です。このままで行けば期末テストで、3-Aは学年最下位になるかならないか、微妙なところですね。前回の中間テストでもその傾向が出てはいましたけれど、ちょっと学園祭を境に学業の方が急落しています」
「「「「「「……」」」」」」
何時もであれば、この件すらも笑い話にしてしまう3-Aの連中であったが、今日はネギがマジだと感じているためもあってか、真摯に……真摯に? 話を聞いている。そしてネギの雰囲気が、少しだけ柔らかくなった。
「まあ、学校の勉強が学園祭と比べれば面白くないのは、理解できます。ですが、やっておいて損と言う事は絶対にありませんよ。皆さんの将来と言う『建物』を建てるとき、それは必ず立派な『土台』になってくれるんです。
今ここでしっかり勉強しておけば、皆さんの将来に地震や台風にも思える様な何がしかの辛さ苦しさが襲って来たときにも、その『土台』は必ずや皆さんを支えてくれます」
「「「「「「おおーーー……」」」」」」
そしてネギは、笑顔のままで言った。
「まあ、知り合いの大人の方が言った話ですが。その方が社会人になった時の話をしてくださいまして。社会に出て、実際に仕事をなさった時、非常に大きな後悔をなさったそうです。
それは、『学校の勉強の全てが役立ったわけじゃないけれど、社会ではそのうちのどれが役立つか分からない。幾つかは確実に役に立ったし、覚えておらず失敗したと悔やんだ知識は多い。今思うに、適当に流して勉強していたのは、大失敗だった。学校で、詰め込めるだけ詰め込んでおけば良かった』だそうです」
「あー、なんかわかる気がするー」
「そうー?」
「うーん……」
「皆さんも、できるなら後悔はしない様に学んでくださいね。きちんと教育を受けられると言うのは、素晴らしく恵まれている事なんですから。今はちょっと苦しくても、かならず皆さんの血肉になってくれます」
その後ネギは、某一部成績下位者に対し放課後居残り学習を通達するなりなんなりした後、
千雨は
「ネギ先生、ちょっと……」
「はい、長谷川さん」
「ネギ先生は、神楽坂の事について聞いてますか?」
ネギは左右をちょっとキョロキョロと見遣り、人影が無いのを理解すると頷く。
「明日菜さんは僕の従者ですからね。学園長先生とタカミチから、詳しく知らされました。長谷川さんも知らされてたんですね?」
「わたしは壊斗のオマケみたいな物ですけれど。わたしらが例の計画を推進している以上、『
「オマケなんて卑下しないでください。長谷川さんも、
ふっと失笑した千雨だったが、しかしその笑いは
近右衛門や高畑から聞くところによると、神楽坂明日菜はかつて『黄昏の姫巫女』として、まるで人間兵器の様な扱いを受けていたらしい。普通の人間として扱われなかったその彼女を、ナギ・スプリングフィールド以下の『紅き翼』が救出したとの事である。
だが彼女があまりにつらい記憶を抱えている事を危惧した、ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグと言う高畑の師匠が己の死に際に、彼女の記憶を消して普通の人間として生きられる様にしてやって欲しいと遺言で遺したのだ。高畑はその遺言に従い、近右衛門の協力を得て彼女の記憶を消す。そうして今の『神楽坂明日菜』が誕生したのだ。
千雨には、いかに善意だとは言え、人間1人のそれまで生きて来た記憶を消してしまう事に対し、何かしら思う事が無いとは言わないし、言えない。だがしかし、当時の高畑たちが苦悩し、葛藤したのも理解できる。その上に、師匠の遺言であったのならなおさらだ。その師匠とやらは、何か凄絶な死に方をしたらしいし。
「……それで、神楽坂の記憶は?」
「今、色々と戻す準備をしているそうです。そして、今日中にタカミチが明日菜さんに話すと言っていました。本番は、今晩になると思います。明日菜さんが、戻す事を望めばですがね……。僕もそれに立ち会います」
「そうですか……。上手く行くといいですね」
この『上手く行く』と言うのは、記憶を戻す事だけではない。それによっての人間関係、対人関係の変化や、場合によっては感情の
職員室に戻るネギと別れ、千雨は3-A教室に戻る。そこでは放課後の居残り授業決定に脱力している、成績低迷者たちの姿があった。その内の明日菜を見遣り、千雨は小さく首を左右に振る。
もしかしなくとも、『今現在の明日菜』とは本日いっぱいでお別れになるとも言える。封じられた記憶が戻った彼女には、『今現在の明日菜』の要素は残るのか? それはまったくもって、分からない事であるのだ。
そして数日後の週末である。今週は期末テストが近いため、壊斗以外の火星行きは無しであった。千雨が自室で勉強をしていると、明日菜が訪ねて来る。千雨は迎え入れて、お茶を出した。お茶を飲みつつ、明日菜は話しかけて来る。なんかその動作の端々が、洗練されていた。
「長谷川、心配してくれたみたいね。ネギから聞いたわ」
「あー、気にしないでいいぞ。それより、見た目はまあ大丈夫そうだな」
「あー、うん。いや、しかしナギのパートナーになるって言ってたわたしが、その息子の『
「あー……」
明日菜は笑う。何かしら、やはり以前の明日菜とは違うのだが、それでも同一人物である笑顔だ。
「人格とかの方面は、大丈夫なのか?」
「あー、それはね。なんか今の段階だと、微妙に記憶封印前の『アスナ』と、成長後の『明日菜』が並立、並存してる感じなのよね。いずれ統合されるって話だけれど。
まあ並存とは言っても、完全に各々独立してるわけでも無いわ。ある瞬間は『アスナ』が考えてるけれど、その続きは『明日菜』が考えてて、しかもその思考のつなぎ目がシームレスなのよね。その事自体に混乱する事もあるけれど……。まあ、そのうち統合されるらしいし、気にはしてないわ」
「そっか」
「しかし、碌な事しないわね、『
話は『
「一応、『新村明日海』さん、『後藤田阿須那』さんの2人にゃ、学園長がこっそり護衛つけたって話だ。ま、あくまで万一の話なんだが。壊斗もドロイド1体ずつ派遣してるしな」
「でも奴らの動きが無いって事は、おそらくわたしが『目標』だって事は、バレたかもね」
何と言うか、明日菜の頭の回転が早い。千雨は人知れず感嘆する。
「これまで以上に、注意しないとね」
「そうだな」
「ところで長谷川。ちょっと知恵貸して欲しいんだけれど」
「ん?」
千雨が疑問符混じりで促すと、明日菜は真面目な顔で口を開く。
「タカミチに責任取ってもらうには、どうしたらいい? いくら善意だとは言っても、乙女の純情を
「ぶうっ!?」
「うわ、きたなっ!?」
千雨は思わずお茶を噴いた。
「ごほっ、げほっ、そ、その責任ってえのはアレか? 慰謝料でも取ろうってか?」
「いや、違うわ。せっかくだから、男としての責任を取ってもらって、永久就職させてもらおうかと」
ある意味で頭は痛いが、ある意味では千雨は安心する。ああ、これは神楽坂だ、ちょっと性格は変わっているが間違いない、と。
「どうしたらいい、って言われてもなあ。近衛とかに聞いたらどうだ?」
「木乃香には何度も聞いてるのよね。でもって、ガーンと行ってドーンとあたってみろとか擬音混じりの台詞ばっかりで。
記憶を消す前の経験にも、恋愛沙汰って無いのよねえ、わたし。だから長谷川なら、と思って」
「わたしも、その手の経験は無いんだがなあ」
「何言ってるのよ。壊斗さんはどうやって捕まえたのよ」
「捕まえた言うな」
千雨は溜息を吐く。
「第一、壊斗との関係性はまだ違うと思う」
「ふうん。『まだ』ねえ」
「ああ。『まだ』だ。と言うか、わたしは壊斗を好いてるし、壊斗もわたしを好いてくれてるとは思うんだが。それが友愛なのか親愛なのか恋愛なのか、はたまた別感情なのか、そのあたりが壊斗もわたしも分かってねえんだよ。これでも悩んでるんだぜ?」
「で、どうやって捕まえたの? あんな優良物件」
「おまえな」
千雨は再度溜息を吐くと、答える。
「命を救った後で、命を救われた」
「マジで?」
「壊斗は当時本気で飢え死にしかけてたし、わたしは麻帆良に出没する妖怪に殺されかけたところを壊斗に救われた」
明日菜は小首を傾げる。
「そっか……。参考にならない……。いえ、もしかしたら」
「何を考えた」
「タカミチが強敵にやられて死にかけたところを、さっそうと救うのはどうかしら。そしてわたしがタカミチをお姫様抱っこして」
「やめんか」
「『
「だからやめんか」
もしかしてこいつ、記憶が戻ってその相乗効果でいっそうブッ飛んで、256倍ぐらいポンコツになったのではないだろうか。千雨はそう思ったりした。
とりあえずアスナの復活です。明日菜と一体化して、すっげぇポンコツになりました。まあ、この辺は主人公も副主人公も直接絡まないので、あっさり目に……。